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エジプトのピラミッドは本当に「王の墓」なのか?─ミイラが見つからない謎─

本当はおもしろい「古代エジプトの歴史」入門③


エジプトのピラミッドには今もなお、さまざまな謎がある。そのもっとも大きなものに「ピラミッドは王の墓だったのか?」というものがある。それについては多くの研究や議論が重ねられ、一時期は「王の墓ではなかった」という説が有力視された時期もあった。


 

■ほんとにピラミッドにミイラは葬られていなかったのだろうか?

 

(写真1)ギザの三大ピラミッド。世界で最も有名な古代遺跡のひとつであり、ユネスコ世界文化遺産にも登録されている。

 

「ピラミッドは王の墓だったのか?」という謎についてここでは向き合っていきたいと思う。エジプトのナイル河西岸に位置するギザ台地にそびえる「ギザの三大ピラミッド」(写真1)は、古代ギリシア・ローマの時代から「世界の七不思議」の一つとして広く知られてきた。古代エジプトの歴代ファラオたちのみならず、アレクサンドロス大王も古代ローマ皇帝たちも憧れと驚異とともにそれらを見上げてきたのである。フランスの英雄・ナポレオンもオバマ前アメリカ大統領もそうだ。

 

 しかしながら、エジプトで建造されたピラミッドには「謎」も多い。そもそも何のために建造されたのかでさえも明確には分かっていないのだ。それゆえにこれまでもプロの研究者、アマチュアを問わず、数え切れないほどの人々がさまざまな仮説を提案し、書籍・雑誌、あるいはテレビなど、あらゆる媒体で議論してきたのである。

 

 それらの説のなかで最も有名なのは、「ピラミッドは古代エジプト王の墓である」というものだ。古代ギリシアにおいて、「歴史」という概念を生み出すことに大きな貢献を果たした歴史家ヘロドトスも古代ローマの博物学者プリニウスもそのように自著に記している。プリニウスなどは、ピラミッドとは古代エジプト王の虚栄心に端を発する愚かな富の誇示に過ぎないとすら述べている。

 

 確かに人類は巨大な墓を権力に任せて建造してきた。そのことはピラミッドと並び「世界三大墳墓」に数えられる日本の大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)や中国の秦の始皇帝陵を見ればすぐに分かることだ。

 

 しかしピラミッドもやはり王の墓であるというのは、本当なのであろうか。以前からピラミッドは墓ではないと考える研究者たちがいる。彼らの主張の最大の根拠は、「ピラミッド内部から王のミイラは一体も発見されていない」というものだ。しかし、ほんとにピラミッドにミイラは葬られていなかったのだろうか?

 

(写真2)クフ王の大ピラミッドの「王の間」にある花崗岩製の大きな石棺。エジプトのピラミッドのほとんどに石棺が存在する。

 

 ギザのクフ王の大ピラミッドのいわゆる「王の間」には、花崗岩製の大きな石棺(写真2)が置かれているし、カフラー王の大ピラミッドの玄室にも巨大な石棺はある(ただしギザの三大ピラミッドの三つ目であるメンカウラー王の石棺は、イギリスに運搬される際に船が沈没し地中海に沈んでしまったが……)。つまりピラミッド内部でミイラを入れる棺は発見されているのだ。そしてそれらはすべて過去に盗掘を受けているのである。そもそもあれほど巨大で目につく建造物に人々(盗掘者など)が挑まなかったとは考えられないし、誰もがあのなかには宝物があるはずだと想像していたはずだ。

 

『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』をはじめとした後世に書かれた物語にも宝物の話しに紐付けられる形でピラミッドはしばしば登場する。だからピラミッド=お宝という構図は、それを目にした人々の頭と心のなかに刷り込まれ、長期間存在し続けたはずだ。ピラミッドは人々の想像を掻き立て続けてきたのである。それは現在も変わらない。

 

 また実際に古代エジプト文化の影響を受けて建造されたヌビア(現スーダン)のピラミッドからは、王や王族のミイラが何体も豪華な黄金の副葬品と共に出土しているし、エジプトのピラミッドからも王妃や王女などの王族のミイラは知られている。その点を考慮するならば、古代エジプト王のミイラだけがピラミッドに埋葬されなかったと考える方が奇妙なのである。もちろん古代エジプトでは、「王のミイラだけはピラミッドに埋葬されない」という習慣が存在した可能性は否定できないのだが、詳細に事例を調べてみるとネチェリケト(ジェセル)王の階段ピラミッドからもメルエンラー王のピラミッドからも一部ではあるが、ミイラの頭部や体の一部が発見されているのである。副葬品であろう黄金製品の一部の出土も確認されている。

 

 さらに古代エジプト人たちがミイラ作製の際に遺体の体内から取り出した内臓を入れて保存するカノポス壺やそれらを収納するカノポス箱が発見されてもいるのである。ミイラ本体をピラミッドに埋葬せずに、その内臓のみを玄室に置いていたとは到底考えられないであろう。やはりピラミッドとは、古代エジプト王を埋葬し、あの世へと送り届けるという意味を持つ墓であったと考えるのが妥当なのである。

 

 

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大城道則おおしろみちのり

駒澤大学文学部歴史学科

駒澤大学文学部歴史学科教授。関西大学大学院文学研究科史学専攻博士課程修了。英国バーミンガム大学大学院古代史・考古学科エジプト学専攻修了。エジプトをはじめシリアのパルミラ遺跡、イタリアのポンペイ遺跡などで発掘調査に携わる。おもな著書に『古代エジプト文明〜世界史の源流』(講談社)、『古代エジプト死者からの声』(河出書房新社)、『図説ピラミッドの歴史』(河出書房新社)『神々と人間のエジプト神話:魔法・冒険・復讐の物語』(吉川弘文館)ほか多数。

 

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