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サエキけんぞうのコアトークvol.91「なぎら健壱と高田渡を語る」イベントレポート ② フォークの神髄とオルタナティブな存在としての高田渡


開催日:2021年3月31日(水)
会場 :LOFT9 Shibuya

 3月31日、渋谷のLOFT9にて行われた「サエキけんぞうのコアトークVol,91」のレポート、第2回です。サエキさん、そしてゲストとして登壇した『高田渡に会いに行く』の著者、なぎら健壱さんの尽きることないフォーク談義の続きをお楽しみください。 

ヨシダクタロウって誰ですか?


サエキ
 なぎら健壱さんが初めて高田渡さんに出会ったのは、1969年3月、今から52年前ということになります。

なぎら 『日本フォーク私的大全』(なぎら健壱著 ちくま文庫 1999年)と『五つの赤い風船とフォークの時代』(なぎら健壱著 アイノア 2012年)はね、実はそこの日付間違えてるんです。ずうっとあたしはそっちで書いたことを本当だと思ってたんですよ。そしたらこの間、チケットの半券が出てきた。

サエキ なぜ、それまでチケットの半券出てこなかったんですか?

なぎら ずうっと思い込んでたから。

サエキ そっか、思い込んで書くことありますもんね。

なぎら それで、半券を見ると数日狂ってるんです。それで、いけないと思って直した。

サエキ じゃあ、こっち(『高田渡に会いに行く』)が正しいわけですね。みなさん、買うなら今です。なぎらさん、きょうサイン会なさいますよね?

なぎら なさるよ。

サエキ お求めになってない方は、ぜひ! それはともかくとして、1969年の3月19日、今から52年と12日前に、なぎらさんがフォークの四大巨頭に出会ったと。

なぎら 52年も前ですよ。あたしたちはそんな当たり前のことみんな知ってるだろうと思って書いちゃうんですけど、これ、大きな過ちで。50過ぎの人が、そのときまだ生まれたばっかりなんですよ。聴いてるわけはないんです。それを知ってると思って話しちゃう、これが一番いけないんですよね。ちょい前ですけども「吉田拓郎がね」なんて話してたら、若い女の子が、「ヨシダタクロウって誰ですかそれ?」って言うの。

サエキ そういう時代になったんです。

なぎら そういう時代ですよ。つまり、吉田拓郎さんの名前すら知らないです。高田渡さん、知ってるわけないです。高石ともやも西岡たかしも、それから岡林信康も、誰も知りませんよ。

サエキ そうですね。

なぎら その後の加川良も知らないでしょう。遠藤賢司も斉藤哲夫も知らないでしょう。下手すれば泉谷(しげる)がフォーク・ミュージシャンだったことも知らない。

サエキ 古井戸も生田敬太郎も知らないでしょう。

なぎら 生田敬太郎は不可能でしょう。

サエキ ましてや野沢享司さんとかね。そういえば南正人さん、亡くなりましたね。南正人さんと高田渡さん、深い関係にあるわけですから。

なぎら そういう人たちを、若い人たちは全く知らないんです。だから本を書くに当たって、端折る部分が出るとわからなくなっちゃうんですよ。

サエキ そうですね。

なぎら だから、本当にダブって申し訳ないとは思ってますけども、URCとは何ぞや、全日本フォークジャンボリーとは何ぞや、そこを語っておかないとわからないんですよね。

サエキ ということで、1969年3月19日にフォークの画期的なライブがこのそば、渋谷公会堂でありまして、そこになぎらさんが行かれた。しかし、当時のフォークというのはもっと品のいい、歌謡曲に近い、耳当たりのいい、青春を歌った歌ですよね。

なぎら バカじゃないですね~。

―会場 爆笑―

フォークソングとは民衆の歌


なぎら
 行った理由はね、高石ともやさんを聴きたかったんですよ。

サエキ 高石ともやさんといったら「受験生ブルース」、「♪ おいで皆さん~」……聴いたことある。

なぎら 
「♪ おいで皆さん、聞いとくれ、ボクは悲しい受験生、砂をかむよな味気ない、僕の話を聞いとくれ~」
               (「受験生ブルース」ビクター 1968年)

サエキ 受験生を哀れむような、自ら哀れむような曲が1968年に大ヒットして。

なぎら そう、面白い歌、コミックソングなんだなと思ってたときにちょうど『ボーイズライフ』(小学館)っていう雑誌が生まれましてね。それに、その高石ともやさんっていう方が出てて、「マイク眞木の『バラが咲いた』なんていう、あんな甘っちょろいのはフォークじゃない」って。

サエキ ここ、ポイントです。「♪ バラが咲いた、バラが咲いた、真っ赤なバラが~」っていうのは、甘っちょろい。実はこれは歌謡曲なんです。浜口庫之助大先生が作った、ヒットソングなんです。

なぎら そうです。あんなものフォークじゃないと。

サエキ フォークソングっていうのは民衆の歌だと。

なぎら そうです。私の中でフォークだと思うのは、丸山明宏の「ヨイトマケの唄」。今は美輪明宏という名前で、“真っ黄っき”になっちゃいましたけども、あの人です。

サエキ すみません、「ヨイトマケの唄」、一節でもいいから歌えないですか。

なぎら
「♪ 今も聞こえる、ヨイトマケの唄、今も聞こえる、あの子守歌、工事現場の、昼休み、たばこ吹かして、目を閉じりゃ、聞こえてくるよ、あの歌が、貧しい土方の、あの歌が~」
            (「ヨイトマケの唄」キングレコード 1965年)

―会場 拍手―

サエキ 感動しました。

なぎら 長い間、放送禁止だったんですよね。

サエキ どの部分で。

なぎら 「土方」というところです。

サエキ 「土方」が駄目なのか。

なぎら 駄目です。

サエキ そうやって、そういう歌を封印してきてるんですね。

なぎら そうです。高石ともやさんのことをコミックシンガーだと思っていたから、そんなこと、この人言っちゃってんの? って感じですよ。それで、聴きたいなあと思ってLP買いに行ったんですよね。第2集ですね。1968年かな、大阪のサンケイホールでの実況録音盤。そしたら、まず驚いちゃったのは、全部日本語で歌ってたことでね。例えば、「時代が変わる」の
“♪ Come gather ‘round people wherever you roam~”を「♪ あなたの周りをご覧なさい、水かさが増えた~」って日本語で歌ってて、すげえと思って。

サエキ 高石ともやさんがボブ・ディランの「時代が変わる」を。

なぎら あと“♪ Little Boxes, Little Boxes,ticky tacky~”という歌を「♪ 丘の上の、たくさんの、ペナペナ板でできている、ちっちゃな箱、ちっちゃな箱~」 これ、団地を皮肉ってるんですよね。「すごい人だなこの人は」と。
一回聴きたいなと思ったけど、当時どこでやってるかなんて分からない。そしたら、クラスメートが労音の会員で、「今度やります」なんて言うの。「どこで?」「渋公です」。それで、高石さんをメインに聴きに行ったんですね。

サエキ 労音っていうのは労働組合の音楽組織で、労働組合が主催しているわけですけど、そこに労働者がいっぱい来るんですか? 渋谷公会堂、でかくないですか?

なぎら いや、お客さん入りますよ。

サエキ じゃあ、お客さんは労働者……。

なぎら いや、労音だからっていって、そういう人ばっかり来るわけじゃないから。他には民音が、音協があったでしょ。

サエキ 別に「土方」の人がたくさん見に来てるわけじゃない。

なぎら そういうことじゃないんです。

サエキ 皆さん、わかりませんよね? 労音っていったら労働組合の主催だから、労働組合でシュプレヒコールしてる人がそのままやって来て……。

なぎら だから、みんな歌声喫茶みたいなものだと誤解してる。

サエキ そうですよ。「♪ 友よ~」って歌いだしちゃうかんじ。

なぎら 「17ページ、さあ、皆さんで歌いましょう、『トロイカ』」なんてね。「♪ 雪の白樺並木~」

サエキ はい、これは歌声喫茶。60年代前半までは全盛期で。でも、その頃もまだ歌声喫茶、ガンガンあったんですよね。

なぎら まだやってました。私、高田渡さんと一緒に「ともしび」に出たことあるんですよ。

サエキ 「ともしび」、新宿の歌声喫茶。労働者の人が集まる所ですよね。

なぎら 違う。

サエキ 学生?

なぎら 普通の人。
(中略)

渋谷公会堂で観たものとは?

サエキ 話を戻しましよう。

なぎら それで、観に行きました。そしたら、高石ともやだけじゃなくて、岡林信康、五つの赤い風船、高田渡とジョイントだったんですね。私は多感な時期、高2になるところでした。驚いちゃったのは、日本語でみんな歌ってたんですよ。今までのコンサートだと、必ず英語で……。

サエキ 「We Shall Overcome」*1)とかね。

なぎら 皆さん、日本語でやってんの。それぞれがね、切りつけてきたんですね。まず、一番最初が高田渡さんです。「♪ 今年こそは本当に、うんと働くぞ~」……暗い……何だこりゃと思って。

サエキ 暗かった。

なぎら ぼそぼそしゃべって。風貌も貧乏たらしかったです。

サエキ どんな服着てたか覚えてないですか。

なぎら しょうゆで煮しめたようなシャツでしたね。「♪ 新案特許品、よくよく見れば~」 ぽつり、ぽつりと歌う。だけどもその詞がね、よく聞こえるんですよ。すごいなあと思って観てました。その次に五つの赤い風船が出てきて「♪ らいらいらい、らーいらーいらいらい~」なんて始めちゃって。

サエキ 軽やかな感じでね。

なぎら ヴォーカルとってたのが西岡たかしさんで、黒いサングラスに髭生やして、髪長くて、前身黒ずくめで。そういうものがフォーク歌っちゃ駄目だというような恰好。でも、かっこいいなあと思ったんですよ。その次が岡林信康さんですよ。

サエキ 何歌いました?

なぎら 「♪ 骸骨がケラケラ笑ってこう言った、どうせ、てめえらみんなくたばって、おいらみたいになっちまうんだけど~」っていうね。

サエキ 「がいこつの唄」(URCレコード 1969年)。

なぎら それから「♪ くそくらえったら死んじまえ~」

サエキ プロテストソング「くそくらえ節」(前述「がいこつの唄」のA面)ですよね。

なぎら 「♪ 今日の~仕事はつらかった、あとは~」っていう「山谷ブルース」(ビクター 1968年)。

サエキ この曲って、暗いんだけど、ドスが利いてる。だから、有名になったんですかね。「くそくらえ節」っていうのは当時ヒットしたんですよ。僕も好きだった。

なぎら 「くそくらえ節」は発売禁止ですからね。

サエキ 「♪ くそくらえったら死んじまえ、くそくらえったら~」この歌は子どもでも楽しいわけ。でもね、「山谷ブルース」は買ったけど……暗い。「♪ 今日の仕事はつらかった~」ですから。

なぎら 最初の題名はね、「ほんじゃまあおじゃまします」なんですよ。

サエキ なんすか、それ。

なぎら 最初に「♪ ほんじゃまあおじゃまします~」から始まるわけです。それが、発売できなかったんです。話を戻すと、その後に高石ともやさんがやって、最後にみんな集まって、バッキングの人も呼んで歌ったのが「三億円強奪事件の唄」(URCレコード 1969年)ですね。

サエキ 最初のシングルですよね、高田さんの。

なぎら そうです、URCのね。それでまた、たまげちゃってね。「♪ さあさ、お話ししましょう、大事件~」という歌ですね。あれ、もともとはね、アメリカ民謡の「ジェシー・ジェイムス(Jesse James)」(*2)っていう歌です。義賊といわれた強盗ですね。本当はとんでもない悪党でね、義賊でも何でもないんですけどもね。それを高田渡がその歌の最後のほうで、「♪ 冷たいお墓のその下で、ねずみ小僧が笑ってる、八っつあん熊さんも三代目、あれから百余年~」というふうに、結局つかまんなかったってことを言ってるんですよ。

サエキ すごいですよね。

なぎら それがすごい。しかも、それを当時義賊と言われていたジェシー・ジェイムスにひっかけて、ねずみ小僧に例えてる。

サエキ すごいです、本当に。舌を巻きます。

なぎら 偶然なのか、そうじゃなくて必然なのか分からないですけども。必然だったら、ものすごい才能ですよ。

オルタナティブとしてのフォークと高田渡


サエキ
 話変わりますけど、このあいだステージで、なぎらさんこのライブのことを1968年って言いませんでした?

なぎら 69年って言ったんです。

サエキ どっちでもいいんですけど、70年ですよね、それは。

なぎら そう。あれね、自分でもショックでしたよ。つまり、加川良は70年の8月にデビューしてるのに。69年はあり得ないですね。それを指摘されて、あたしはもう悔しくて、部屋に帰って、どうにかして正してやろうと思ったら、私の間違いってのが分かりました。

サエキ 皆さんね、こういうのオタクの趣味で、“重箱の隅”とか思ってるでしょ。でもね、重要な事柄の時系列は話の骨格なんで、これはつかまないといけない。そうすると、もっと楽しめますから。

なぎら そういうことね。

サエキ 皆さんがもっと人生を楽しんでいただくために、時系列、それだけは注意していきたいと思うんで、よろしくお願いいたします。それでね、その前……。

なぎら それで、とにかくたまげちゃって。その前の日までは「♪ Puff, the magic dragon lived by the sea~」なんて歌ってたんですからね。

サエキ ピーター・ポール&マリーの「Puff」。

なぎら 「♪ How many roads must a man walk down、Before you call him a man?~」って歌ってたんですよね。

サエキ 「風に吹かれて」、ボブ・ディランの曲だけど、ピーター・ポール&マリーがヒットさせて。要するに、耳障りがいいんです。向こうではプロテストソング。

なぎら 耳障りがいいという言葉はない!(笑)。さっきは良かったのに。

サエキ そうだ、耳当たりがいいんです。すみません、間違えました。それで要するにですね、日本では60年代半ば、アメリカではそれより前の1962~1963年から公民権運動というのがあったんですね。黒人解放運動。白人の品のいい学生たちが中心になって、フォークソングを歌って世の中を変えようっていうような動きがありました。でも、それの中心になってるのはピーター・ポール&マリーとか、育ちの良さそうな感じの方々……。

なぎら ブラザース・フォアとかキングストン・トリオ。

サエキ それまでの「流行りのフォーク」はすごく育ちがいい感じがするわけです。

なぎら だから、日本でもそれを模倣してたんです、大学生が。

サエキ アイビーの。

なぎら だから、一晩で私はもう“けさ斬り”にやられて。

サエキ そういう育ちのよいものじゃないレーベルがURCだった。分かりますか、皆さん? そこ重要なんです。つまり、ものすごく品のいい人々が歌っているのがフォークで、歌謡曲で、「バラが咲いた」だったところに、全然違うのが現れた、それが高田さんだった。

なぎら サエキさん、赤羽の酔っぱらったおやじみたいになってますね……。

サエキ 赤羽の酔っぱらったおやじは、固有名詞とか年代は駄目なんですよ。私は、どんなに酔っぱらっても年代だけは間違えないようにしてます。すみません! ビールもう一本ください。

なぎら だから、あたしはそういう歌を一晩でやめちゃったっていうか、もう次の日からいわゆるプロテストソングとかを、歌うようになるんですよ。

サエキ 僕としてはですね、“オルタナティブ”という言葉を皆さんに言いたいと思います。90年代に“オルタナティブ”っていう言葉が流行って、ニルヴァーナとかレッド・ホット・チリペッパーズとかパール・ジャムなんかの、フジロック(FUJI ROCK FESTIVAL)を揺るがすようなアメリカのグランジロックというのが現れました。今までのロックと違う、「何か別のもの」という意味の“オルタナティブ”と呼ばれた。
 歌謡曲とグループサウンズしかない当時の世の中においてですね、わけのわからない高田渡さんとか、変におしゃれな五つの赤い風船とか、それから、何だかすごい岡林信康さんみたいな人たちは“オルタナティブ”なものだったというふうに言えると思います。
 これにも書いてあるんですけれども、1968年にフォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしておりまして、ジャックスは「からっぽの世界」を歌ってる。そういうポップだけどオルタナティブなものも、ないこともなかった。でも、なぎらさん、そして多くの人々にとってもそうだったと思うんですけど、URCっていうのは、ニルヴァーナみたいなものだったのかなと。でも、ニルヴァーナが1991年に「Smells Like Teen Spirit」を出して大ヒットさせたときに、パァーンと違うもんになった。そういうようなことだと、私は勝手に解釈しています。URCって1969年に設立されたんですけども、その前にもいろいろあった。

なぎら その前にURCを説明しておかないと、何のことかわからないんじゃないですか。

サエキ アングラ・レコード・クラブでございます。

なぎら つまりね、高石ともやさんの事務所にいたのがフォーク・クルセダーズなんですね。当時はフォーク・クルセイダーズと言いましたけど。

サエキ クルセイダーズって言ってましたね。十字軍です。

なぎら それで、「帰って来たヨッパライ」がヒットしまして……。

サエキ 「♪ おらは死んじまっただ~」

なぎら それが、1967年の12月ですね。

サエキ 1967年12月に、最初はインディーズだったのに、それが深夜放送、ニッポン放送『オールナイトニッポン』で大ヒット。ディスクジョッキーは朝妻一郎さん。

なぎら 最初は大学の卒業記念に自費出版で作ったんですね。それが、深夜放送でかかるようになって、各社争奪戦の末に、東芝が勝つんですね。理由としてはいろいろあるんですけども、今年中に出すところ、ということだったらしい。

サエキ 今年って1967年。

なぎら 1967年12月、無理なんですよ。市場的にね、25日に出すなんてことはあり得ないんですよ。それを東芝はやりましょうって言ったわけですよ。そして、大ヒットするんですけども、実はフォーク・クルセイダーズってのは、たまたま「帰って来たヨッパライ」はああいう感じですけども、他の曲はいわゆる普通のカレッジ・フォークですよ。あんまり面白くない。

サエキ わりと柔らかい歌を歌うバンドですよね。

なぎら そう、「帰って来たヨッパライ」のB面が「ソーラン節」かなんかです。

サエキ 「ソーラン節」ですね。あと「やぎさんゆうびん」とか、わりと柔らかい感じであります。

なぎら それで、1年間の約束で活動を始めた。でも平沼義男さんが卒業しちゃって、残ったのが、加藤和彦さんと北山修さん。そこで他に誰かいないかっていうことで、京都にあったドゥーディ・ランブラーズっていうバンドから端田宣彦さんを引っ張ってくるんですね。フォークルってのはみんなその3人だと思ってますけども、レコーディングのときは端田さんはいないんですね。それで今度はアルバムをちゃんとつくろうっていうときに、はじめてフォークルの形が出来上がります。

サエキ 『紀元弐阡年』(東芝音楽工業 1968年)。

なぎら それまでのフォークルっていうのは全然、形になってない、ただのカレッジ・フォークです。たまたま「帰って来たヨッパライ」が面白かったんですね。

サエキ この本の中に書いてあるんですけども、レコード屋さんたちが東芝に「1枚でもいいから譲ってくれ」と押し掛けたなんてすごいですね。国会、陳情しに行くようにですね、レコード屋さんの店主が東芝のある溜池に行って、「1枚でもいいから売ってくれ」っていうね。部品じゃないんだから。

なぎら 本社にはあまり置いてないですよね。

サエキ 本当に。でも、それほどの大ヒットだった。だから、そこが一つフックになって、アングラ・フォーク・ブームが生まれる状況が出来てくるわけです。その後、「受験生ブルース」がヒットして、そして、1969年の3月になぎらさんが観られたライブが開催された。

なぎら そうです。それで、いろんなものが引っ掛かるんですね。レコ倫と言いますけども。

サエキ レコード倫理委員会ですね。
(その3に続く)

構成:こまくさWeb

*1 「We Shall Overcome」…1960年代にアメリカのフォーク歌手、ピート・シーガー等によって広まったプロテストソング。
*2 「ジェシー・ジェイムス(Jesse James)」…19世紀のアメリカ民謡で、タイトルと同名の無法者についての歌。




プロフィール
なぎら健壱
…フォーク・シンガー、俳優、タレント、執筆家。1952年、東京都中央区銀座(旧木挽町)生まれ。1970年、第2回中津川フォーク・ジャンボリーに飛び入り参加したことがきっかけでデビュー。1972年、ソロアルバム『万年床』をリリースして現在に至るまで、数多くのアルバムを発売している。以後、音楽活動だけでなく、映画、ドラマ、テレビ、ラジオへの出演、新聞・雑誌の連載など幅広く活躍中。東京の下町とフォーク・ソングに造詣が深く、カメラ、自転車、街歩き、酒をはじめ、多彩な趣味を持つことでも知られる。1977年、『嗚呼! 花の応援団 役者やのォー』で日本映画大賞助演男優賞受賞。2009年、第25回淺草芸能大賞奨励賞授賞。代表曲に「葛飾にバッタを見た」、主な著書に『日本フォーク私的大全』(ちくま文庫)などがある。

サエキけんぞう…アーティスト、作詞家、プロデューサー。1958年、千葉県出身。徳島大学歯学部在学中の1980年、ハルメンズとしてデビュー。1986年にはパール兄弟で再デビュー。1985年~1992年頃まで歯科医師としての勤務経験ももつ。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げ、沢田研二、モーニング娘。、サディスティック・ミカ・バンド他多数に提供。TV番組の司会、映画出演などでも活躍。大衆音楽を中心とした現代カルチャー全般や映画、マンガ、ファッション、クラブカルチャーなどに詳しく、新聞、雑誌などのメディアを中心に執筆も手がける。著書に『歯科医のロック』(角川書店)、『ロックとメディア社会』(新泉社)、『ロックの闘い1965-1985』(シンコーミュージック)などがある。

高田渡_379pix

『高田渡に会いに行く』
なぎら健壱 著
2021年1月18日 発売
四六判/並製 336ページ
ISBN 978-4-909646-35-4
定価(税込み) 2,750円(税込)

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サエキけんぞうのコアトークvol.91「なぎら健壱と高田渡を語る」イベントレポート ② フォークの神髄とオルタナティブな存在としての高田渡|駒草出版
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