鴉、名を騙る
すべては幻。
すべては幻。
なにもかも
それでも、だからこそ。
私はすべてを恐れるのです。
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登録番号:Rb23 識別名:
それがルビコンにおける強化人間C4-621の名義であり、独立傭兵として活動する為の名前でもある。それは主な戦場が中央氷原に移った後も変わらず、独立傭兵レイヴンの名は今や充分すぎる程に売れ渡ることになった。
だがそれが今、少しまずい事になってしまっている。
『レイヴン……詳しく説明してください。私は今、冷静さを欠こうとしています』
エアが冷静さを欠いた事などもはや日常茶飯事な気もするが、こうして凄まれる事にはいつまでたっても慣れない。
考えてみてほしいのだ。脳内という、零距離を通り越してマイナス距離まで迫って来られて震えあがらない者がいるだろうか?
『ウォルターがいつまでもあなたの事を番号で呼ぶ事が気になってはいましたが……まさか偽名だとは思いませんでしたよ、えぇ』
ウォルターが621を「レイヴン」と呼んだ事は一度もない。例えそれが部外者の前であろうと、必ず「621」と呼ぶ。それはまさに、悪名高きハンドラーが己の手駒を人ではなく
『ずっと私の事を騙していたのですねレイヴン……いえ名前も知らないあなた。
私の事も遊びだったのですか?
徐々にエアの声が暗い粘性を孕んできた。今日はどうも良くない怒り方だ。このままではACをハッキングされて無理心中でも敢行しかねない。あながち冗談でもないあたりが、本当に冗談ではない。いや本当に。
そもそも、621もエアに対して「レイヴン」と名乗った覚えは無い。初対面の時から既にそう呼ばれていたという事は、おそらくライセンスをハッキングして覗き見したのだろうが、それを指摘したところで火に油だろう。あるいは火にコーラルか。大惨事である。
非常に今更だが、621は大惨事に縁があり過ぎはしないだろうか?
『だいたい、ウォルターもあなたも不用心ではないですか? いくら撃破された機体だからといって、見ず知らずの他人のライセンスをそのまま使うだなんて……』
今はもう懐かしさすら覚える最初のミッション。ルビコンに密航してすぐ汚染市街へと赴き、何機も転がるACの残骸の中から「レイヴン」のライセンスを見つけたのだった。時期や条件が少し違っていれば、もしかしたら621は「モンキー・ゴード」や「トーマス・カーク」と名乗っていたのかもしれない。
……しかしエアの言うことも一理あるか。というか、
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先日に行ったミッション、特務機体撃破。
惑星封鎖機構が実戦配備した特務機体――カタフラクトを撃破せよという、ごく単純な内容の依頼だった。件のカタフラクト自体は621も既にBAWS工廠で撃破済みであり、その弱点も攻略法も既に知っているのだから、楽な仕事だと思っていた。
思っていたのだが。
『目標を確認! カタフラクト、来ま――』
「優先排除対象レイヴン! 貴様よくも我々の前に顔を出せたなッ!」
カタフラクトの搭乗者である特務上尉。彼から謂れのない怒りを向けられ、そのあまりの気迫に621ですら怯んでしまった。鬼気迫る勢いでカタフラクトを駆りながら、特務上尉は語り叫ぶ。
曰く、コーラル再湧出の情報を星外にリークしたのは「レイヴン」であり、つまり今のルビコンにおける戦乱を引き起こした張本人である。
曰く、企業をルビコンに招き入れる為に封鎖ステーション31を襲撃し、これをほぼ壊滅させてしまった。
曰く、ステーションもただ破壊するだけで飽き足らず、金目の物は根こそぎ持ち去ってしまった。
曰く、燃料基地を襲撃しては中身の燃料だけを盗んでいく独立傭兵がいる。
曰く、最近は封鎖機構の基地でしょっちゅう備品が無くなる。
曰く、先日は食糧庫をやられた――
「レイヴン」とは何という極悪人なのか。621は戦慄した。
確かに独立傭兵とは、金目当てで戦うような者たちだ。621とて、自分が善き存在などとは思っていないが、それでも越えてはならない一線がある事は理解している。
つい先日も依頼でヨルゲン燃料基地を襲撃し、燃料タンクもプラントも全て破壊した後で増援の
ちなみにエクドロモイの残骸はRaDに売り渡した。環境に配慮したリサイクル活動である。いま思えば、燃料も爆破するぐらいなら持ち帰って有効活用した方が良かったかもしれない。依頼をくれたラスティは何故か引いていた。特別報酬はとても嬉しかった。
まあ、とにかくだ。621をそんな
『レイヴン……あなた、私と会う前に何てことを……』
「レイヴン貴様、グリッド086といいヨルゲン基地といい我々に何か恨みでもあるのか! やはり花火にしてやったぐらいでは反省できないのか!? コード15!」
「排除執行――!」と凄まじい勢いで突撃してくるカタフラクト。いつの間にか増援に来たMT達からも、ブーイングと共に銃弾が飛んでくる。ひどい嫌われようだ。
クイックブーストを連続で吹かし、弾幕を避けると同時に足元の雪を巻き上げる。即席の煙幕に紛れるようにして距離をとったところを強襲してくるカタフラクト。巨体と速度を活かした体当たりをギリギリで回避した。
「避けるな! 反省しろ!」
この勢いでは反省する前に轢かれてしまうだろうに!
雪塵を撒き散らしながら旋回するカタフラクトの巨体。急制動により速度が限りなくゼロに近くなる瞬間。その時を逃すまいと、アサルトブーストで吶喊した。
「なに!?」
中央のコアMTに機体を叩きつける。更にブーストを全開にし、数倍の質量を持つ相手の頭を抑えつけた。だが数秒と持ちはしない。その数秒でケリをつける。
狙いは頭部。唯一の弱点であるそこにライフルを――
「ぐはッ!」
ライフルを突き刺すようなことはせず、左のマニピュレータで
擱座するカタフラクト。だがその絶好の機会を、621はデバイスでメッセージを打つ事に使った。
「なんだと、レイヴン、これは……?」
まずは話をしたい事、次に自分は「レイヴン」ではない事を伝える。そして今までの経緯――密航からのライセンス盗用までも包み隠さず伝えた。
とはいえ、このような事をいきなり言ったところで信じてもらえるかどうか……。
「――なんだ、そうだったのか!」
特務上尉の明るい声。つい今まで声に溢れていた戦意と敵意は欠片も残さず霧散していた。そのまま、気安げにハウンド5の肩まで叩いてくる。
「いやー、おかしいとは思っていたんだ。レイヴンと機体は似ているが武装は違うし、戦型もシミュレータとは一致しないし! システムにも上申しておかないとな!」
なんと話の分かる人なのか。621は感動した。やはり封鎖機構はみんな良い人たちだ。このミッションが終わったら募金しようと心に誓った。15コーム……いや12コームぐらい。
「人違いして悪かったな。気を付けて帰るんだぞ!」
いや本当に良い人たちだ。ついでにグリッド爆破やヨルゲン燃料基地の完全破壊についても「レイヴン」のせいに出来た。あとは拠点に帰って、識別名をモンキーかトーマスに変えてしまえば後は――
「……とでも言うと思ったか、貴様」
あ、はい。
まあそうなるなと、621でも納得する。想定の範囲内である。
「ライセンスの盗用も立派な犯罪だろうがッ! 何をそんな、外れ籤を引いた自分が被害者のような顔をしおってからに!
だいたい貴様も企業の連中も! ここが封鎖惑星だという事を忘れていないか!? 居座るなら居座るで、少しはコソコソしたらどうなんだ!
どこにでも湧きおって、いい加減にしろこの不法進駐者共が!
貴様らゴキブリか!
システムに上申するまでもない! 排除執行――――ッ!」
まさかの
きっと普段から星外企業や密航者の相手に忙しいのだろう。あちらでもこちらでも好き勝手に暴れられて
更には周囲のMT達までもが一斉に襲い掛かってくる。おそらくきっと、皆が怒り狂った顔で。
「くたばれレイヴン!」「お前のせいで寝れないんだよ!」「この燃料泥棒!」「俺のプディングを返せー!」
「謹んで反省しろ! 俺たちが惑星封鎖機構だ――ッ!」
うおおおぉぉ――っ! と、怒涛のように迫る怒りの軍勢。それを前にしては621も弾代の節約など考える余裕はなく、ただ生き残る為に戦うのみであった……。
▼△▼△
『なんとか生きては帰れましたけども! 安易にライセンスの盗用なんてするからこんな事になったのですよ!』
『反省してください反省!』と、それこそ特務上尉のような説教を始めるエアに対し、621も多少は自省した。なにせ、その621がいま乗っているハウンド5がほぼ中破の状態だったからだ。
さすがに特務機体とLCとMTの混合部隊を相手に単機は厳しかった。なんとかミッション自体は成功したものの、こちらも無傷とは程遠い状態だったのだ。
『まさか、コアMTだけで分離してくるとは思いませんでしたね……』
げに恐ろしきは人の執念か。カタフラクトの戦闘機動を621が見切ったと知るや否や、装甲やらキャノンやら履帯やらを全てパージして殴りかかってきたのだ。初手のパンチでリニアライフルを落としてしまったハウンド5は、そのまま泥臭い殴り合いに付き合う破目となってしまった。
よく考えればブレードなりミサイルなりを使えば良かったのだが、なんというかそういう空気ではなかった事もある。
「その
『そういう訳で、レ……あなたの本当の名前を教えていただきましょうか』
どことなく鼻息も荒そうな声音でエアが交信してくる。
してくるのだが、そもそも621に名前は無い。手術を受ける前にはあったかもしれないが、とっくに抹消されているだろう。621自身も記憶に無いのだから、もうどうしようもない。
つまりは、「強化人間C4-621」が本名ということになる。
――621としか
『……そう、ですか』
何故かエアは残念そうだ。そういえば、エアの名前はいったい誰がつけたのだろうか。そんな疑問をよそに、ふんふんと鼻息も荒くエアの声が近くなる。それにしても、肉体を持たないエアのこの息遣い? のような声はどのような原理なのだろうか。621の疑問の一つである。
『で、では呼びますね。呼んでしまいますねっ』
ずいぶんな気合いの入り様だ。621の名前の何がそこまで彼女の琴線に触れたというのか。
『――
『ろ……ろ、く』
『ろく、に……ぃ、ち…………』
エアらしくもない、ひどく小さな声だった。脳内で響いている筈なのに、殆ど聞き取れない程の。
やがて、いつも通りの
『……っ、こ、これはまだ早いですね……っ!』
?