「こちら第7部隊! 敵の攻撃が激しい! 援護を!」
「レッドガンに防衛線を抜かれた! くそ、ベイラムめ……」
「撃ちまくれ! ドーザーなんかに負けたら死にきれん!」
「封鎖機構と交戦中! あれは……特務機体だと!?」
「独立傭兵め、金に群がる犬どもが!」
「爆撃が来るぞ、退避しろ! 退避――っ!」
アーキバスの劣勢は続いていた。敵の連合軍は烏合の衆とはいえ、数があまりにも多すぎるのだ。事実、このルビコンにおいてアーキバス以外すべての勢力が結託しているのだから、アーキバスは文字通りの四面楚歌であった。
「第8部隊は近隣部隊の援護を! 無理ならその場で防衛線を死守! レッドガンのナンバーを照合、3以上なら無理攻めしないように! ドーザー共は死兵だ、奴らは撤退しない! 特務機体とはどの機種だ! カタフラクトか! 傭兵といってもランク外だ、アーキバスの誇りを見せなさい!」
怒涛のように上がってくる報告を、スネイルが片っ端から処理して命令を下していく。常人を超えた処理速度は強化手術の恩恵もあるのだろうが、大部分は彼自身の資質だろう。
度重なる
「ACインフェクション、ロスト! ……撃破されました!」
ざ、と管制官たちから血の気が引く。最前線で奮闘していたV.Ⅵメーテルリンクが遂に墜とされたのだ。青褪めた空気を振り払うように拳を叩きつけたスネイルが叫ぶ。
「フロイトを援護に向かわせなさい! まだ遊んでいるのか!」
「ロックスミス、レイヴンと交戦中です! 応答なし!」
「オキーフ! いますかオキーフ!」
「バレンフラワー反応なし! 撃破されていました! いつの間に!?」
「ぐう……っ!」
スネイルが歯噛みする。これで戦場に出ているヴェスパー五機の内、四機が墜ちた。あともう一機はフロイトである為、あてには出来ない。
「……潮時なようだね、行くよペイター君」
「はっ、お供いたします。脱走ですね?」
「出撃だよ。それで良いね? 第2隊長」
「……」
もはや管制室にヴェスパーを三人も置く余裕は無くなった。補佐役がいなくなれば
延命措置に等しい命令を下そうとスネイルが口を開き、
「通信要請? ……V.Ⅵからです!」
撃破されたメーテルリンクからの通信。スネイルが答える前に、管制官は回線を繋いだ。そして。
「ぞ、増援――! 増援をお願いします閣下! ぞうえ……きゃあぁ――!?」
管制室に響く甲高い悲鳴。間違いなくメーテルリンク本人の声であり、無事に脱出できたようだ。だがこの取り乱し様は……?
続いて、メーテルリンクとはまるで異なる野太い声が。
「おらぁ! 聞こえるか
「このプリケツ女は、俺たちRaDが預かったぜぇ!」
「ヒャッハー!」
粗野と下品を足して倍掛けしたかのような声はまさにドーザーらしさに溢れており、実際にそう名乗っていた。RaD――数あるドーザーの中でも、特に危険で狡猾な連中であった。
「いいか、耳の穴かっぽじってよぅく聞きやがれ!」
「この女は、
「ヒャッハー!」
「ぎゃあーっ! 嫌ぁー! 触らないで馬鹿ぁーっ!」
「何だと……っ」
突然の名指しに、スネイルも動揺を隠せない。その間にもパンパンと何かを叩く音とメーテルリンクの悲鳴が聞こえてくるが、まるで耳に入らない程に。
「逃げんじゃねぇぞ、一人で来やがれ! もちろんACは無しだ!」
「じゃねえと、このプリケツのケツがどうなっても知らねぇからな!」
「ヒャッハー!」
どうでも良いが、さっきからヒャッハーヒャッハーとうるさい。ドーザーには会話をそう締めくくる風習でもあるのか。それとも「
「……そのような要求に応じるとでも? お断りです」
冷厳とスネイルは告げた。ごく合理的な判断であった。次席隊長である自分と、第6隊長のメーテルリンク。戦術的にも戦略的にも、どちらがより優先されるべきかなど分かり切っていた。故に彼女を切り捨てる。そこに私情は無い。無いのだ。
だが。
「――指揮官は辛いな、V.Ⅱ」
その声は明らかに、RaDのドーザー共の声だった。声だけが同じだというのに、まるで人が変わったかのような。
「安心したまえよ、命は取らん。君も、この娘もな」
「一軍を率いる身として、そう簡単に使命を投げ出せない事も理解できる」
「使命という物の重みは、我らもよく知っているつもりだ」
重苦しく凪いだ、水面のような声。その水底に、何かを沈めたような声。
スネイルは、その声に聞き覚えがあった。そう確か、あの
「ならば、言い方を変えよう」
「君が一人で来れば、我らは
「さあ、どうするのが合理的だ?」
そんな虫の良い話があるものか。敵の言葉など信用に値しない。ノコノコ出ていけば、平然と騙し討ちしてくるだろう。
――だがもう、これ以上どうしろと言うのだ
元より勝ち目の無い戦いだったのだ。ベイラムだけでなく、あらゆる企業に解放戦線、ドーザーや封鎖機構までもが参集した連合軍。そんな馬鹿げた、戦いとも呼べない戦いに勝てる筈など。
「――おら、さっさと決めろや
「剥け剥け! ここから先はR指定だぜぇ!」
「ヒャッハー!」
「いやあーっ! うわーん! お嫁に行けなくなるーっ!」
「――やめんか貴様ら!
これ以上はいけない。スネイルは痛烈に確信した。何故だか。
「よーし、時間切れだ! そういう訳でプリケツ娘、ちょっと尻を貸せ!」
「うほっ、良い女!」
「ヒャッハー!」
「わぁーん! いやー! たすけて閣下! スネイル閣下ぁ――っ!」
ばあ、ん。と、掌を机に叩きつけた音が響く。
管制室が、あるいは戦場すべてが静まり返ったかのような静寂。それを破ったのもまた。
「――――……応じましょう、その取引」
一言だけ告げ、スネイルは踵を返した。そのまま振り返らず、出口へと向かう。
「な……本気ですか、閣下!?」
「他にどうしろと言うのです。このまま全員で玉砕するとでも? 第5隊長、指揮はあなたが執りなさい」
「……私がかい?」
狼狽するペイターには見向きもせず、あっさりとスネイルは指揮権を丸投げした。応じたホーキンスは、どこまでも複雑な表情をしている。
「消去法ですよ。もうあなたに任せるしかないでしょう、ホーキンス」
「……あぁ、任された。スネイル」
わずかに顔を向けたスネイルの横顔。そこに浮かんで見えた微かな笑みは幻だっただろうか。去って行く男の背を、ホーキンスは最後まで見送っていた。
「うぅ……っ! お任せくださいスネイル! このV.Ⅱペイターが必ずや……!」
「――よろしい、ならば再教育だ。ペイター君」
温厚なV.Ⅴが静かに
▼△▼△
氷原を埋め尽くしていた喧噪が止んでいた。白い大地の上、無数の機動兵器たちはただ、その場に立ち尽くしていた。
その中でまばらに立ち並ぶアーキバスのMT達。それらの全てが、非武装の大型トラックに道を空けるようにして分かれていく。トラックの運転席で自らハンドルを握りながら、スネイルはそれらを無感動に眺めていた。
――終わり、か
スネイルにとってアーキバスは全てだ。もはや半身と同じ、否、自身こそがアーキバスだとさえ思っている。その自負に等しいだけの功績を上げてきた。アーキバスに何もかも捧げてきた。それが自分であれ他者であれ。
企業こそが自身である以上、企業の利もまた自身の利。故に企業の為に邁進し続けることは何ら苦ではなく、今までずっとそうして生きてきた。
だが、それももう終わりなのかもしれない。
「さあ、望み通りに来ましたよ。約束を果たしてもらいましょうか!」
アーキバス軍と連合軍の狭間、大きく開けた場所で車を降りたスネイルは叫んだ。
叫びこそしたが、それで相手が律儀に約束を守るなどとは思っていない。それでも、こうするしか無かった事も事実だった。敗北の見えた戦いより一縷の望みに賭けた、どうしようもなく惨めな決断。
そんなスネイルの前に進み出てきたのは、一機のMTだった。武装した虫のような、一目で企業製ではないと分かるカスタムMT。
RaDのエンブレムを掲げたMT――トイボックスから、聞き覚えのある濁声がうるさく響いた。
「意外と根性あるじゃねえか
「ほらよ!」と粗野な声とは裏腹にそっと地面に下ろされた女性――メーテルリンクは、目に涙すら浮かべながらスネイルに向かって駆け出した。
「わあーん! 怖かったですありがとうございますスネイル閣かべらっ!?」
抱きつこうと飛んできた部下を一瞥もしないまま回避すると、氷の大地に顔面から着地したメーテルリンクの悲鳴が潰れて響く。部隊の紅一点に対する仕打ちとは思えない。ヴェスパーは男女平等であった。
「第6隊長、あなたには山ほど説教がありますから、楽しみに待っていなさい」
「は、はいぃ……」
青筋を何本も生やした次席隊長に凄まれ、「あわよくば」と期待していたメーテルリンクはすごすごと退散した。
乗ってきたトラックで彼女が基地に向かう様を見届けてから、スネイルは毅然とMTを見上げる。
「もう一つの約束も忘れてはいませんよね? さっさと出て行ってもらいましょうか」
「おうよ、尻尾巻いて帰ってやるぜぇ? ――だが、その前にひとつやる事がある」
再び豹変したRaDのドーザー。いやこの男は、RaDは本当にドーザーなのか? そんな疑問を抱き始めたスネイルの頭上に、巨大な影が差した。
「……っ、駄犬……!」
無遠慮にブースタを吹かしながら着地してきたのは、鉄色のAC――ハウンド5。あの生意気な
元より貧相だった機体はフレームが半壊しており、武装もほぼ脱落している。それでも未だ動いているという事は、この駄犬がフロイトを退けたという事実を示していた。
信じがたい現実に固まるスネイルに近付いてくるハウンド5。あと一歩も踏み出せばスネイルが氷原の染みになる距離で立ち止まると、軋んだ音をたてながら右腕部を差し出してくる。
ウイーン、とACには似つかわしくない小さな音。見れば、ハウンド5の右手首からは細長いアームが伸びてきていた。探査用機ならではの作業用アームだろうか。そして、その先に握られていたのは。
「これは……」
掌には余る程度の、樹脂製のケース。思わず受け取ったそれは軽く、爆発物の類とは思えないが。最早ここまで来てはどうにもならないと、半ば自棄の心境でケースを開き、その中に。
「……」
細い銀色のフレーム。長方形に切り取られた二枚のガラス板と、それを繋ぐブリッジ。精緻な蝶番を開いた先のテンプルとモダン。
要するに、「眼鏡」であった。
「…………」
眼鏡を手にしたまま周囲を見る。ベイラムが、ドーザーが、解放戦線が、封鎖機構が、あらゆる勢力のあらゆる構成員たちが、皆がスネイルを見ていた。
ビキビキと、もう何本目かも分からない青筋が額に走る。もうどうにでもなれば良いと、スネイルは開き直った。
「――――着ければ良いんでしょう! 着ければっ!」
かちいぃん。
初めて着けた筈の眼鏡は、忌々しいほどスネイルの顔に馴染んだ。
あるべき物が、あるべき場所に返ったかのように。
「「「Yeaaaaaaaaaah――――!!!」」」
歓声。
氷の大地を割り融かさんばかりの大音声の大歓声。ACが、MTが、LCがHCが特務機体が、機械仕掛けの腕を振り上げながら歓喜を露わにしている。ルビコンそのものを震わせる喜びの波は、敗軍であったアーキバスにまで伝播していった。
「アーキバス万歳! アーキバスばんざぁい!」
「お似合いです閣下! スネイル閣下!」
「代行殿! アーキバス社長代行殿!」
「あなたこそが――企業だッ!」
わーっしょい! わーっしょい!
いつの間にか社員たちに取り囲まれ、天高く胴上げされながらスネイルは思う。
「何だこれ」
「戦友、君の出した
「第4隊長、あなたもちょっとそこに正座しなさい」
▼△▼△
赤い雲の下を飛ぶ輸送ヘリ。ハンガーに固定された半壊状態のハウンド5の中で、レイヴンがぐったりと身を横たえている。それをガレージの監視カメラで眺めながら、エアはふうと溜め息をついたつもりでいた。
「よくやった621。仕事は終わりだ、ゆっくり休め」
操縦席からわざわざ足を運んできたウォルターに対して、レイヴンはかすかに手を振るような動きで応える。メッセージの思考入力すら困難なのかもしれない。ウォルターもそれ以上の負担をかけようとはせず、杖を突きながらガレージを後にした。
『本当にお疲れ様でした、レイヴン』
なるべく丁寧な交信で声をかけると、レイヴンは何かうにゃうにゃとした思考だけを返してくる。顔はヘルメットで覆われて見えないが、眠いのかもしれない。若干の名残惜しさを覚えながら、エアも交信を終えることにした。何せ、本当に厳しい戦いだったのだから。
あの後、V.Ⅰの駆るロックスミスとの戦闘は熾烈を極めた。
興奮と高揚で上りつめるように激しさを増していくフロイトに対し、レイヴンは沈み込むように平坦で冷たい戦いで応じた。それは奇しくも、有人機と無人機、人と機械、人間と強化人間の戦いその物のようで。
どちらかが動かなくなるまで続く筈だった戦いを止めたのは、ウォルターだった。
――「ずいぶんと調子が悪そうだがV.Ⅰ、
フロイトの言葉が正しかったなら、彼は既に百機近い敵と戦った後に無補給でレイヴンとの戦いに臨んだことになる。ただの人間であるフロイトも、乗機であるロックスミスも万全とは程遠い状態だっただろう。そして、それはレイヴンも同じ事だった。
――「それもそうか」
あっさりと翻意したフロイトは武器を収め、だが今度は
――「それで次はいつ
とあまりにもしつこかった為、エアとウォルターが通信を切断したのはほぼ同時だった。様子のおかしい人間だった。
視界をヘリの外に移し、氷原を大移動する群れを見下ろす。大小様々な機動兵器たちは、どこか満足そうにも見える動きでそれぞれの場所へと帰っていく。
今回の「大規模抗議活動」に参加した彼らは、もちろん普段は敵同士。だというのに、今日の一日に限っては同じ目的の元に集い、垣根を越えて手を取り合ったのだ。エアが知ってきた人類の歴史の中でも、極めて珍しい事例だったと言える。
――なら、人とコーラルも、いつか……
ほぼ全ての人々がそうと知らないまま起こっている、人類と
氷原を進む兵器たちが、いっせいに銃火を交えだした。
『――――え』
轟音。砲火。破裂。怒号。悲鳴。悲鳴。悲鳴。
様々な兵器たちが、様々な武器を互いに向け合って、引き金を弾き合って、殺し合って。
銃声は新たな銃声に埋もれて。爆音は新たな爆音にかき消されて。
延々と。延々と。延々と。
白い大地が、どこまでも赤く染まっていく。
その光景を、エアは理解することができない。
『あ、あぁ……?』
なに? これは何? いま何が起こっているの? 私は何を見せられているの?
こんなもの、私が知っているルビコンじゃない。
私が
私が、
『あ――――』
火が。
赤い空の上、その彼方から降ってきた火。
紅い、紅いコーラルの火が、氷原を舐めていく。すべてを飲みこんでいく。
なんで。どうして。
なぜ? 誰が? こんな事を!
さがす。姿をさがす。この、こんな、こんな事をした狂人の、大罪人の。
『――……レ』
そして。
その火の中心に。
私は、あなたの姿を、視た。
『レイヴン――――――ッ!』
――エア?
は、と。
バタバタと、装甲を隔ててローター音が聞こえる。私は私の波形だけでそれを感じていた。そして、聞き慣れたレイヴンとの交信も。
『レイ、ヴン?』
レイヴンの姿は何も変わっていなかった。ハウンド5も、ガレージの中も、何も。
外を見る。
赤い夕焼け空の下、ぞろぞろと進む兵器たちがいた。紅い火に焼かれることもなく。
『……、……ゆめ?』
ひどい夢だ。悪夢そのものだった。
エアの愛するこの
そんな事、ある訳ないのに。
『すみませんレイヴン。私も、少し疲れているのかもしれません。
いえ、怒ってなんていませんよ。何故そんなに震えているのですか。
……何ですか、何か心当たりでもあるのですか。だったら白状してください。
白状しなさい。怒りませんから。レイヴン聞いていますか。レイヴン?』
私たちを乗せてヘリは進む。
赤い夕焼け空の下。今日を終えて、明日を迎える為に帰っていく。
あなたと私の、帰る場所へと。