すべての仕事を捨てて、ドイツに来た。
捨てたものの大きさを言葉にすることはできない。唯一継続しているのが、原稿を書くこと。インターネットの発達は、どんなに遠いところにいても発言ができることを証明している。
同時に、世界のどこにいてもネットに書かれたことは共有される。デマは世界中に垂れ流されている。
こちらでも、日本人向けのポータルサイトでは「ニュース女子」が垂れ流されている。利用者がいくら指摘しても、管理人が削除する気配はない。
海外で暮らして分かったのだが、日本で生まれ育った私が日本語以外の言語で正確な情報を得るのは難しい。また、なにか起きたら韓国領事館に行くべきか、日本領事館に行くべきか、迷うことが多々ある。ドイツの運転免許証を取得すると日本の免許証は取り上げられる。それは大使館を経て母国に戻るときに返還されるというのだが、私の免許証はどこに送られるのだろうかと思った。
私と関わりを持った人が、日系企業の駐在員から、「反日のアジテーター」を呼んでどうするんだと問われたことがあった。
ここでも、私に貼られたレッテルは「反日」である。
日本人社会のネットワークでは、ボンにおける「少女像」設置への反対運動が呼びかけられている。そこには、世界共通の認識となっている戦時性暴力被害者への共感はない。彼らは、日本人の誇りにかけて「正義の闘い」に挑んでいるつもりなのだ。
たとえドイツにいても、「日本」は、カルトのように存在し続け、どこまでもからみついてくる。固有のものは辺境に残る、というわけでもないだろうが、ドイツの日本人社会は、ともすれば1970年代頃の感覚で止まっているのではないかと感じてしまうくらい遅れている。そして、彼らは欲する日本の情報をネットから取得する。だから右派思想も確実に伝播していく。
そんな中、私が関わった書籍が二冊、出版されることになった。送られてきた宣伝用のチラシを見て驚いた。私の肩書が「フリーライター」となっていたのだ。
私は、人生で一度も、自分のことをライターだと言ったことはない。だいたい、物書きで食べてきたことなどないし、それで食べられるほどの実力もない。本人に問い合わせることもなく書かれたチラシを見て、どうしようかと思った。
もう一つのチラシでは、肩書が「亡命者」となっていた。これには言葉を失った。
両方ともリベラルな出版社である。それが辛い。
思えば、いつも「彼ら」が勝手に私が何者かを決めてきた。
朝鮮人と呼んで蔑み、いや、あなたはもう日本人ですよと言って平等を装い、「反日」だとして劣等意識に苛まれる人たちの感情のゴミ箱にし、攻撃対象のアイコンにした。私が私でいたいという前に、いつも周囲が私を決める。
私は、企業内研修のインストラクター一筋で、30数年間仕事をしてきた。だのに「活動家」と言われ、市民運動で食べている「隙間産業」と言われ、「反基地運動の黒幕」と言われ、果ては「テロリスト」「スリーパーセル」だと言われ、そしてリベラルだと思っていた出版社からは、「亡命者」と勝手に書かれる。
そう書けばアクセス数が増えて売り上げにつながるからか。いつだって、売らんがために朝鮮を、韓国を、在日をしゃぶりつくしてきたそのクセが抜けないようだ。
右には、苦しくなったら朝鮮人を叩いてヘイトで稼ぐ人たち、政権に媚びて弱者を集団で叩く人たちがいる。
しかし、反体制と言われる側の人たちも、苦しくなったら何でもするのだ。その延長線上に私の肩書があるように思う。
彼らは、私が日本を出るに至った思いを、一生理解しないだろう。
日本は遠くなるばかりだ。
(マスコミ市民’18年8月号より転載)
執筆者プロフィール
- 1959年東京生まれ。在日三世。
人材育成技術研究所所長。
企業内研修、インストラクターの養成 などを行うかたわら、テレビ出演、執筆、 講演も多数こなす。
2003年に第15回多 田謡子反権力人権賞受賞。2013年エイボン女性賞受賞。
著書に、『怒りの方法』『悪あがきのすすめ』(ともに岩波新書)、『差別と日本人』(角 川テーマ21)、『せっちゃんのごちそう』(NHK出版)など多数。
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