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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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『荀子』備忘録(メモ)(重要箇所だらけ。正名篇[最重要]と音楽論だけでもどうぞ)。『韓非子』少々 new!!

※重要箇所だらけですが、正名篇(最重要)と音楽論だけでもどうぞ(記事内検索オススメ)。

目次
前置き(読むきっかけ)
荀子の基本情報
『荀子』(金谷治訳)の読書メモ1回目(一部しか読んでいない)
『荀子』(金谷治訳)の読書メモ2回目(全文読了)




本記事は、作りかけのまま長期間放置していた記事の1つ。やっと完成した。読むきっかけになったシーア兄貴に感謝!

[2023年5月21日に追加:
以下に「8月7日」とあり、年度が書かれていないので、この頃に作られたとわかる。

https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1423765328698351616
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
左翼で自由主義を問わない
右翼で漢籍・国文引用しない・諫めたりしないならただのキモヲタ
荀子で忠臣には4つあり
君主を諫めて、ダメなら職を辞す者
君主を諫めるのを命がけするもの
君主を諫めるのを官僚・役人組織全体でするもの
君主の過ちを止めるべくワザと君主の権を奪ってするものがいるんよ
午前6:58 · 2021年8月7日”

だから、2021年だな。

追加ここまで]

じゅんこちゃん。
そんこちゃん。
ごこちゃん。
こうこちゃん。
もうこちゃん。
しゅこちゃんはこうこちゃんの注釈も書いているよ。
ろうこちゃん。
そうこちゃん。
かんぴこちゃん。
以上は全部お勧めだよ。

荀子は韓非の先生。
韓非子は山我骨さんの愛読書の1つ。


『荀子 上』金谷治訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1961年6月。ISBN 4-00-332081-6。読み下しと現代語訳。
『荀子 下』金谷治訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1962年4月。ISBN 4-00-332082-4。度々再刊
『荀子』沢田多喜男・小野四平訳、中央公論新社〈中公クラシックス〉、2001年5月。ISBN 4-12-160005-3。町田三郎解説、抄訳版・新書。
最近の研究成果も知りたいから新しいほうの注釈書も読みたい。



来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
8月7日
左翼で自由主義を問わない
右翼で漢籍・国文引用しない・諫めたりしないならただのキモヲタ
荀子で忠臣には4つあり
君主を諫めて、ダメなら職を辞す者
君主を諫めるのを命がけするもの
君主を諫めるのを官僚・役人組織全体でするもの
君主の過ちを止めるべくワザと君主の権を奪ってするものがいるんよ

8月7日
勿論、佞臣・奸臣も同じことをするので君主が君子であれば、徳治であるなら下は上が存在しなくとも君主の権を侵さないし
法治なら機構・構造によって、事前に潰す事が出来る
要は法術、法は法律そのものと術はその運用方法を言う
で、イスラームでもそうだが法よりも術の方が遥かに重要なのよ

8月7日
ところが術を教えられる人がまずいない、居るのは知っているけどその人しかいないので仕事が過剰な状態になっている
で、わしはいつも術・方法が最も重要なのよ
だから、法といわれても使用した形跡がないならそれは術・判例などにしろそれは法の意義がないのよ


法と術の話が出たので、荀子ではないが韓非子について書いておく。
韓非子も素晴らしい内容だぞ!

金谷治訳注 『韓非子』 岩波文庫(全4巻)より:

韓非が受けついだ主な思想は、
①商鞅(前390?-338)の「法」、
②申不害(前400?-337)の「(刑名の)術」、
③慎到(しんとう。前4世紀末)の「勢(せい)」。

①法
=はっきりした成文として公布され、
きびしい賞罰をともなって施行される
経験的具体的な規定。
確立した権威として、だれにも犯すことのできない客観性を持ち、
政治の技術性を高めるもの。
法が一、智者を求めない。
法を勝たしめて泣(なみだ)(人情)を聴(ゆる)さず。
君主の温情や個人の能力に頼る政治は排斥され、
公的客観的な法によって
一元的技術的に処理される政治が理想とされた。

②(刑名の)術
刑は形で実際のあり方、
その実際と
それについての名目・評判とを照合して、
それによって臣下の裏表をつきとめる。
評判だけが高い者、
職分をこえて実績をあげる者は処罰される(二柄篇)。
君主は自分の意志を群臣に見せてはならない。
臣下がそれに迎合して君主の目をくらますからである。

術は君主の地位を守るために、
群臣を観察する方法。
一定の客観的な法規のもとに、
群臣がその法規の名目どおりに動くのは、
いわば官僚主義の基本。

韓非にとって、法は万民に明らかにするのに対して、
術は君主の胸中に秘めて人にもらさぬもの(難三篇)。
君主は秘密のうちに
「刑名参同」
「参験(参照して調べる)」の術を行なって、
臣下を思いのままに操縦する。
(でも部下に恨まれたりしたら駄目だよね


③勢
=権威の根拠。君主の地位にともなう権勢。


孟子と同じころ、
慎到は、君主個人の能力(聖人賢智)に期待する儒家に反対して、
君主の地位にともなう権勢の重要性を訴えた。
ただ、慎到の場合は、道家的な自然の大勢としての性格が強かったが、
韓非はそれを転じて人為的に作りあげる権勢とし(難勢(なんせい)篇)、
それをその法術主義の中心にすえた。
今日の言葉で言えば、権力と言いかえてもよいのであろう。
君主個人をこえた普遍的な統治原理としての権勢を強調。
もちろん、君主は、賞罰の大権と共に、
この権勢を人に奪われてはならない(内儲説(ない ちょ ぜい)下篇)。

言葉の不自由な口吃(こうきつ)であった韓非は、
若いとき、儒家の荀子に学んだ。
荀子は、客観的な社会規範としての礼を説き、
人を外から規制することを考えた。



来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
8月8日
荀子読み込め
今、読み直しているがほぼほぼわしが言っている事と変わらない
だから読み込め、学が立つぞ

私は迷ったらとりあえず金谷治訳を選んでいる。孫子も韓非子も論語も金谷治訳を読んだ。本によっては、他の人の注釈も読むことがある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%80%E5%AD%90
” 『荀子 上』金谷治訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1961年6月。ISBN 4-00-332081-6。読み下しと現代語訳。
『荀子 下』金谷治訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1962年4月。ISBN 4-00-332082-4。度々再刊
『荀子』沢田多喜男・小野四平訳、中央公論新社〈中公クラシックス〉、2001年5月。ISBN 4-12-160005-3。町田三郎解説、抄訳版・新書。
『荀子 中国の古典 ビギナーズ・クラシックス』湯浅邦弘編訳・解説、角川学芸出版〈角川ソフィア文庫〉、2020年1月。ISBN 4-04-400546-X。抄訳版・文庫。
『荀子 上』藤井専英訳著、明治書院〈新釈漢文大系5〉、1966年10月。ISBN 4-625-57005-0。 - 原文・読み下し・訳注解説が揃った大著。
『荀子 下』藤井専英訳著、明治書院〈新釈漢文大系6〉、1969年6月。ISBN 4-625-57006-9。
『荀子』藤井専英訳、明治書院〈新書漢文大系25〉、2004年1月。ISBN 4-625-66334-2。井ノ口哲也編、抄訳版・新書。
『荀子 上・下』 金谷治・佐川修・町田三郎訳著、集英社〈全釈漢文大系7・8〉、1973-74年、再版1981年。原文・読み下し・訳注解説が揃った大著。”


来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
親父が建築の勉強していると同時に荀子を読了したので左伝を読み始めているので親が勉強するとやはり子供も学を養うものなんだと思う
10:09 PM · Aug 11, 2021


来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
8月10日
ここ2ヶ月タイベックスーツ来て歩いている人を誰一人見てないので誰一人も信用してないんでしょ
これが戦時なんですよ、戦時というのは「誰もが誰もを信用してない」のですよ
信用していないから「流れている情報に合わせて生活する」んです
荀子の「議兵」の部分をよく読めば秦が瓦解したのがわかる

来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
8月10日
前もいったけど、中国の古典や仏典読んでいれば我々は進化も進歩も発展も反省も変化も何も一切していない
己の欲するところとその欲するところに合わせるところと周りの欲するところに従う言葉の三つを合わせると「都合」という単語になる
皆が皆の都合に合わせて生きている事が無明の始点と終点

https://twitter.com/mod_str/status/1428903074211405839
”不知
@mod_str
荀子読みはじめました。今後、勝手ながら触手さんを先生と呼びたい
午前11:13 · 2021年8月21日·Twitter Web App”



荀子の基本情報

荀子とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E8%8D%80%E5%AD%90-78605
”じゅん‐し【荀子】
[一] 中国、戦国末の思想家。名は況。趙の人。はじめ斉の祭酒となり、のち、楚の春申君に仕えた。荘周や五行説を否定し、孟子の性善説に対して性悪説を唱えた。著「荀子」。荀卿(じゅんけい)。孫卿。(前二九八頃‐前二三八頃)
[二] 中国の儒家書。二〇巻。周の荀況(じゅんきょう)撰。荀況とその学派の著作三二編を集録。前三世紀頃成立。「勧学」「礼論」「性悪」などの諸編で礼を価値規準とした哲学・倫理・教育・政治などに関する論評・随想を述べ、孟子の「性善説」に対して「性悪説」を唱え、善なる偽(人為)を高揚して個人の能力主義を主張、世襲制・血縁制を否定している。孫卿新書。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について
〔略〕

荀子(読み)じゅんし
日本大百科全書(ニッポニカ)「荀子」の解説
荀子
じゅんし

紀元前3世紀ごろの中国の思想家。高級官僚でもあった。名は況(きょう)。荀卿(じゅんけい)、孫卿(そんけい)ともよばれた。趙(ちょう)の国(現、河北省西部から山西省北部)の人。50歳ごろには斉(せい)の国(山東省)に遊説し、稷下(しょくか)に集まった学者たちの間で長老として優遇されることもあった。しかし、まもなく中傷されて楚(そ)の国に移り、春申君(しゅんしんくん)に取り立てられて蘭陵(らんりょう)(山東省南部)の知事となった。前238年に春申君が暗殺されたあとは官を追われ、そのまま任地の蘭陵で没している。

 孔子(こうし)(孔丘)、孟子(もうし)(孟軻(もうか))の後輩で、儒家の系列に入る。『荀子』20巻32篇(へん)の著作が残っている。その中心思想は、たゆみない努力の持続の重視である。このいわば努力主義とでもよべる基本的な考え方から、孟子の性善説に対して有名な性悪説が生まれている。人間の本来の性質は悪であるが、後天的な作為、努力しだいでは聖人になれる、というのである。また、古代中国では、災害は天の意思表示とみなされていたが、人間の後天的努力を重視する荀子は、両者の相関関係を否定した。また、古代の神話的天子(先王)を君主の理想像とする伝統的考え方に対して、政治はいちばん近い時代において現実に努力した王、つまり「後王(こうおう)」の定めた政策や制度に従うべきだ、という後王思想をも主張している。ただし、現実と、現実を変える努力を重視する荀子の考え方は、現実よりも理想論をたてまえとする儒教では異端視され、彼の説が注目されるようになったのは、実に清(しん)朝も18世紀に入ってからのことであった。

[福井文雅 2015年12月14日]
[参照項目] | 儒家 | 春申君 | 性悪説

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

〔略〕
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「荀子」の解説
荀子
じゅんし
Xun-zi
中国,戦国時代末の儒家。趙の人。名は況。尊称は荀 (孫) 卿。一時斉の「稷下の学」に属したがのち楚に行き,蘭陵で小吏となりそこで客死した。著書は『荀子』 32編。性悪説を唱え,孟子の性善説に反対してはいるが,しかし,本来悪である人間を礼と楽を中心とする訓練によって徳化することをすすめているから,真の意味の性悪説ではない。荀子の思想の中心は,努力の積重ねによって,人間は善にも悪にもなるというものである。したがって,天と人間との間には相関関係があるとする当時流行の天命思想 (→天人相関説 ) を退け,天界からの人間界に対する運命的な影響を否定した。人間の努力と,それを形式化した礼を重視したところから,法家にも似た厳格な思想が生れ,それが弟子の韓非子,李斯の考え方として発展している。性悪説を唱えたために,性善説を正統とする中国思想界では長い間『荀子』の書は読まれず,その研究は清朝に入ってからのことである。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
"




『荀子』(金谷治訳)の読書メモ1回目(一部しか読んでいない)

『荀子 上』金谷治訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1961年6月。

下巻 の解題を最初に記す。
荀子(荀況)の思想の要約が載っているからだ。


p427から
孟子は主観主義
対して
荀子は客観的形式主義。

荀子の思想は、まさしく孔子の思想の一面をうけたものに相違はなかったが、その後の儒教の歴史からすれば異端である。天論篇において人間道徳の基礎としての天の権威を追放し、性悪篇で人の本性を悪だとしたことなどは、概して彼の評判を悪いものにした。しかし、儒教の精神主義的な側面でプラスすることは少なかったとしても、その現実的具体面における大きな功績は十分に評価しなければならない。社会的形式的規範の確立、階級秩序の強調や教学の力説などは、漢代以後、政治権力と結びついた儒教の長い生命に関して、無視することのできないものである。そして、天論や性悪説は、異端として確かに儒家思想における貴重なものを失なわせてはいるが、しかし、そこに見られる迷信の打破、人間の主体的努力の強調、そして人間性の弱点の率直な指摘などは、かえってまたわれわれの共感をよぶに十分である。認識の機能をたずねたり、名辞の分析を行なったりする、いわば論理学や認識論ないし心理学に属するような内容も、中国の古典としては珍らしいものである。総じて、これらを通じて見られる科学的客観的な性格は、またその社会的立場の尊重とともに、読む者に一種新鮮な印象を与えることであろう。
 ところでまた、要するに彼もまた孔子の教えを奉ずる儒家の徒である。孔子からの正統思想がここに読みとれるのはもとより当然であろう。学問をはげまし、聖人になるための修養努力を強調し、道徳による政治を説くことばは、もとより力強い。そして、興味のある古伝やアフォリズムを求めるにはもちろん不足はない。読者の立場に応じた自由な取捨を許すだけの豊富な内容をも備えているのである。通読して得られるものが、孔子から孟子へと伝わった儒家思想がここでどのように変化したかという、単なる歴史的知識に止まらないであろうことは、もとよりいうまでもない。
 
 荀子とその時代
 荀子の名は況(きょう)、また荀卿(けい)とか孫卿と呼ばれる。


彼の生まれた年は、春申君の死んだ年から逆算してほぼ西紀元330年をさかのぼることはなかろう。孟子よりは六七十年若い。従って斉にはじめて遊説したのはほぼ280年より後のこととなるが、それは斉の襄王か次の王建の初年に当る。王建は四十年のあいだ位について221年に秦に亡ぼされた最後の王で、秦の始皇帝の統一はそこで完成するのである。いわゆる戦国時代の終末期、秦による統一の形成は日をおうて決定的になりつつあった時代である。孟子がどのようにすれば世界が統一できるかということを重視したのに対して、荀子では統一した世界をいかに治めるかということを主要な政治的関心としているのは、そのためである。

総じてはなばなしい政治的活動などはなく、読書と著述、そして門人教育という生活であった。門人では、法家思想の韓非や始皇帝の宰相になった李斯のような一派と、浮丘伯のような純学問的な一派とが代表的であるが、当時においてかなり大きな影響力を持ち、蘭陵の人々は長く彼を慕ったという。漢の初めの儒学復興に際してはその業績を継承する者が多かった。

荀子の天論 荀子の思想の特徴は、その天と人との分離を宣言するところに最も端的にみられる。それは、形而上学の否定であり、人間を支配する迷信的権威の否認である。正統的な儒家思想では、道徳的権威の基礎を天においた。老子や荘子の道家思想では、人間的な活動を否定して自然秩序としての天に従えと説いた。そして、そうした天の規範性や権威性は、また多くの民間の迷信をささえる働きをもとげていた。荀子はそれをすべて否定したのである。そうした天に頼る思想は人間の自主的独立性・積極的活動性を忘れている、天を思慕して手をこまねいているよりは、人間的な能力を馳せてその自然の利用を考えた方がよい、という主張は頗る新鮮である。
社会思想 天から離れた人間がその独自の優秀性を発揮するのは、その社会生活においてである。人間が社会生活を営むのは必然的であり、そこに他の動物を違った優秀性があるが、それがうまく行なわれるためには社会秩序の維持が重要である。そして、それは礼義(原文ママ。儀ではない)によってこそ行なわれる。礼義は、人々を放任して社会秩序の乱れることを防ぐために、聖人が考え設けたもので、天子から庶民に至るまでの階級分別に応じた秩序を調整する。それぞれの職分とそれぞれにふさわしい経済生活の享受とが、ここに定められる。それは、個人的な欲望を無限に放つことを防止するとともに、また反面では欲望を満足させ長養する働きをとげるものでもあった。禁欲や寡欲を説くのは政治的無策にひとしいとした荀子は、人間の多欲を率直に認めたうえで、節儉主義を説くよりは生産の進展に応じた欲望の充足を目ざすのが、正しい方向であるとしたのである。
 さて、このようにして国家成立の根拠と礼義の必要とが示され、やがてそれが君主権の起源ともされるのであるが、ここにいう階級分別はもとより固定的なものではない。封建的世襲制によって実力者を抑えることに反対し、賢人の抜擢と知能の差にもとづく序列を強調することばは、随所にみえる。それがまた荀子ら士人階級の自己擁護にも連なることはいうまでもない。個人の実力に応じた社会的階級の発生は自然なことで、それに応じた礼の不平等な規定は、実は真の平等をとげるための必須の条件だと説いたのである。いわゆる弱肉強食の戦国末の社会を反映して、荀子もまた実力主義の自由競争を認める立場にあったといえるであろう。ただ、それにはやはり道義的立場を中心とした君主権による統制が条件であった。

政治思想 儒家思想の伝統に従って荀子もまた道義的な先王(古代の聖王)の政治を説く。しかし、その著るしい特色は、先王は古い時代のことで分かりにくいからその伝統をうけた後王(こうおう)すなわち近代の王者について規範を求むべきだとする、いわゆる後王思想である。
それは荀子の思想の現実的実際的な性格のあらわれである。そして、後王は先王とその性格において重なるのではあるが、しかし孟子などの先王主義と違って特に後王思想とよばれるのは、またその性格内容の相違のためである。荀子の重点は、孟子のばあいでのような先王の道義的心情にはなくて、先王以来基準とされてきた礼義や法制という外的性格の強い規範にあった。荀子の思想の客観的性格であり、政治の技術的性格の助長である。その礼義は、道義的規範であるとともに、また多分に法律的規範としての性格を備えており、法制面での厳罰主義の色彩も強くなった。それが門人の韓非の法家思想にも連なるところである。ただ「良法があっても世の乱れることはあるが、君子がいて乱れることはない」(致士篇)という人治主義の伝統はやはり儒家としての本領で、法家とは一線を画している。ところでまた、孟子が王道政治を説いて覇道を排斥したことは有名であるが、荀子では、王者の政を第一の理想としながらも、覇者を容認するふうが強い。その覇者とは、実力による現実的権勢を持ち、信賞必罰によって人民の福利と世界の平和に対して実際に貢献する君主である。それが王者に劣るのは道義的理想的性格においてであるが、しかしそれを容認するのは荀子の理想政治がそもそも覇道的要素を持つからのことであった。王制篇を中心として見られる統一政治の在り方は、それをよく物語っている。

人性論と教育説 さて、人間は社会的動物であるが、それを放任しておくと争乱におちいるから礼儀(原文ママ。ここは儀)による秩序が必要だ、というのはさきにみたとおりである。いうまでもなく、そこには荀子の人間観が強く働いている。人間の生まれつきの本性を善だとする孟子の主張に反対して、それを悪だと断定したのが、性悪篇の主張であった。そこでは、善とは正理平治、悪とは偏険悖(はい)乱だとして、人間の性情を放任すると社会的混乱におちいるから、本性は悪だという。それが現実的社会的な立場からの結論であることは明瞭であろう。ただ、性悪篇のほかでは「性は悪なり」ということばはない。荀子の性悪論は大変有名であるが、余りそこに重点をおいて考えるのは誤りであろう。荀子の主張としてはっきりすることは、人間の本性は生まれつき素朴な飾りけのないもので、後天的な環境や習俗によって聖人にも大盗にもどのようにも変化するということである。勧学篇や修身篇などで後天的な学習修養の必要が力説されるのもそのためである。そして、そうした素朴な本性が立派に修飾される内的な根拠は、心の働きであった。心は感覚器官を統御して認識の機能を果たすとともに、また礼義と師法の善を認めてそれに向う価値判断と意志決定の主体である。天の権威から離れた人間の自主的な尊厳性はここから生まれる。
 さて、学ぶこと、教えることは、既に『論語』のなかでもくりかえして強調する儒家の伝統である。荀子においてそれは一層甚だしい。学習と教育との必要性と可能性とは、上にみた人性論からして極めて明白である。そして、荀子において特に強調され、またその特色とみるべきことは、教育内容として経典を読み礼を重んじ、さらに教師と教育環境との重要性を説いたことである。漢代の儒教の学問が、大学を設置し、経典学を中心として師法を尊重するようになったのは、そもそも彼の教育論から発した影響であるとしてよかろう。そして、ここにも荀子の思想の客観的形式主義の性格がよくうかがえるが、また「聞よりも見、見よりも知、知よりも行」とすることばにみられる実証的性格と実践尊重の立場も重要である。

論理学 荀子の特色ある思想として、最後に論理学についてのべよう。戦国末にはいわゆる名家とよばれる論理派が起り、名辞の細密な分析にもとづいて種々の詭弁をもてあそんだ。荀子の論理学はそうした名辞を乱す者に対抗して、その正しい在り方を規定しようとするところに生まれたものである。それが窮極的に現実社会の混乱を防ぐ政治的効果を目標とするものであることは、もとよりいうまでもない。正名篇第二節では、まず名辞制定の必要性を社会的立場からして説明し、次いで名辞の根拠としての認識作用を究明し、最後に名辞制定の原則を説く。この第二段は認識論とみるべきもので、解蔽篇第十節で判断の正否をのべる文章などとともに興味深いものがあるが、論理学としてはこの第三段がそれに当る。そこでは概念の内包と外延との関係に注意し、また類概念や種概念の区別を説いて、「単名」「兼名」、「別名」「共名」などという分類が示される。『荀子』の書中でしばしば恵施などの詭弁を排斥し、また概念規定の多くみられるのは、もとよりこれと関係することである。正名篇には、なお論理の誤謬がどうして起るかについての究明もみられる。すべて、これらは荀子の思想の科学的性格を示すものである。


荀子を読むと、正名と論理学について学べる。
科学的と論理的は一致しないぞ。神学も論理学を用いるからな。

荀子の思想が、韓非にかなり影響していることがわかる)



上巻

はしがき

それぞれの口語訳のはじめにはおおむね《 》にかこんでその章の大意をかかげたが、専ら読者の理解の便利のためで、もとより原文にあるものではない。
 訳文中の( )内はその上の字または句を解釈したことばであり、〔 〕内は理解のための補足の語である。各篇の内容は必ずしもその篇名にかなった一貫したものでなく、またくりかえしや重複のほかまわりくどいところもあるが、現代語訳はそれを忠実に伝えることにして、読みやすくなるような整理や注釈は加えなかった。

金谷先生はこういうことをきちんと書くから私は優先して読むようにしている




上巻 p305から 荀子 巻第十
議兵(兵事を論ずる)篇第十五

 《用兵の根本は民を親附するにあり》

親付・親附(しんぷ):親しんで従う。 目上の者になつく。

孫卿子(そんけいし)=荀子。荀子は荀卿や孫卿と呼ばれることがある


p307から
孫卿子(そんけいし)が口を開く、「そうではありません。私が聞き知っている古代のやり方では、およそ用兵攻戦の根本は民衆を統一することであります。

士民が親しみなついているのでなければ殷の湯王や周の武王のような聖天子でさえ必勝することはできません。そこで、うまく民衆をなつけ従える者がつまりうまく兵を用いる者であります。従って、用兵の根本は民衆をなつけ従えるということにこそあるのです。」

p313から
「それではおたずねしたいが、王者の兵としてはいかなるやり方によっていかなる行動を行ったらよいのであろうか。」孫卿子は答える、「およそ大王さま(孝成王をさす)にとっては、将帥の技術などは末梢的な事です。

p315から
秦の国ではその民衆の生活を窮迫させたうえ民衆を使役することも苛烈であります。権勢によって脅迫し窮屈な生活でしばりあげ、褒賞でたらかし刑罰でとりしまって、あの下々の民衆たちがお上から利益を得る手段としてはただ戦闘以外に方法がないというようにさせるのです。苦しいめにあわせてそのうえで働かせ、勝利を得てそのうえで功績を認め、功績によって賞を与えて、功績と賞与とを互いにひきのばすようにして、五つの首級を獲得した者には五つの家を支配させるのであります。これはさきの斉や魏に比べて最も兵力強大で永続的な方法であり領土は広大で租税の徴収も可能だと考えられます。

これが秦が滅んだ理由でもある。こりゃ滅ぶわ。民衆に嫌われまくると長続きしないからな。
確かにシーア兄貴のいうとおり、議兵篇ををよく読めば秦が瓦解した理由がわかる


ところがまた秦の国の鋭兵は〔あの春秋時代の覇者である〕斉の桓公や晋の文公の節制ある軍隊に当ることはできず、桓公や文公の節制ある軍隊は殷の湯王や周の武王の仁義の軍隊に敵することはできません。

これら〔現今の斉・魏・秦など〕数国の軍隊は、要するにすべて賞与を求め利益にはしる軍隊で、雇われ人夫や商売人のゆき方であります。君主を尊重し制度を守って節義を極めるという道理は持ちあわせてはいません。もし諸侯のなかで節義に従って精微をつくしていける者があれば忽ちこれらの国を兼ねあわせて危険におちいらせることでしょう。だから勇士を招きよせ選択して謀略による欺きを尊び功利を第一とするのでは民衆を詐欺に走らせるものであり、礼義(社会規範)に従って教化を行っていくのは民衆を斉一にさせるものです。




『荀子』(金谷治訳)の読書メモ2回目(全文読了)

読書メモ1回目と間がかなり空いたので、1回目メモの箇所に加筆する形式にするのはやめた。
先に役立ちそうなサイトを紹介しておく。

新読荀子 | 読み下し・現代語訳・読書ノート
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/
”『荀子』全文の読み下し文・現代語訳のサイトです。(2016年3月をもって完結)”

当サイトの漢文について | 新読荀子
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岩波文庫版『荀子』(金谷訳)上巻
(本書に白文はない)



書き下し文の次に、和訳が続く形式だ。
どう読んだらいいかいろいろ試してみた。
書き下し文を読んでから和訳を読む方法だと、書き下し文の箇所の大半の意味がわからないんだよな。なので和訳を読んでから書き下しを読む方法に切り替えた。
それと、音読する方が頭に入る。特に書き下し文は黙読だと頭に入ってこない。
和訳の方は黙読でも頭に入るのにな。書き下し文は現代文じゃないからな。
読書の意欲が続くようにするコツは読みたい箇所から読むことだ。一番最初から読み始めるかどうかは、目次を見てから決めた方がいい。


荀子 巻第一


p.9(本文の最初のページ)から
勧学(学を勧む)篇第一

一 君子曰わく、学は已(や)むべからず。青はこれを藍より取れども藍よりも青く(一)、冰(こおり)は水これを為せども水よりも寒(つめ)たし。

 《総論――学の必要をいう》
 君子はいう。学ぶことは中絶してはならぬ。青色は藍(あい)草から取るが藍よりも青く、氷は水からできるが水よりも冷たくなる。

訳注
p.339
一 いわゆる「出藍の誉」の語はここにもとづく。
(こういう自分が知っている表現の元ネタの箇所を読むと楽しい)

(先ほど紹介したサイトがどんな感じか引用してみる。

勧学篇第一(1) | 新読荀子
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/%e5%8b%a7%e5%ad%a6%e7%af%87%e7%ac%ac%e4%b8%80/kangaku01/
”君たちは、こうあってほしい―

「学ぶことは、継続しなければいけない。青の染料は、藍の草から採取するものだ。だがその色は、元の草よりも青いではないか。氷は、水から形成される。だがその冷たさは、元の水よりも冷たいではないか。」(君たちもまた、学び続ければますますよい人間となるのだ。努力を怠ってはならない。)
[中略]
《原文・読み下し》
(注4)君子曰く、學は以て已む可からず。靑は之を藍に取りて、而(しこう)して藍よりも靑く、冰(こおり)は水之を爲して、而して水よりも寒し。
[中略]
注4)勧学篇の前半部は、『大戴礼記(だたいらいき)』勧学篇とほぼ同一のテキストである(本サイトの(3)末尾までが一致する)。両者の関係については、議兵篇(5)のコメントを参照。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

『荀子』という書物は『孟子』に比べると、不遇な扱いを受けて来た。
宋代の朱子学においては異端と決め付けられて、儒学の正統なテキストから弾かれてしまった。有名な詩人の蘇軾(蘇東坡)は『荀卿論』を書いて荀子を「好んで異説をなして譲らず、あえて高邁な議論を立てて後を顧みず、その言葉は愚人の驚くところであり小人の喜ぶところである。子思(しし。孔子の孫であり『中庸』の作者とみなされる)・孟軻(孟子の本名)は世のいわゆる賢人君子である。だが荀卿(荀子のこと)一人だけが『天下を乱す者は子思・孟軻である』などと言うのだ」と批判している。蘇軾は、荀子の弟子で秦の丞相であった李斯がなした悪政は師の荀子に由来するとまで言い、散々である(注)。

わが日本では、荻生徂徠が荀子に一定の評価を与えた。徂徠は儒学を個人の倫理学として学ぶ朱子学の姿勢を斥け、儒学はむしろ「礼楽刑政(れいがくけいせい)」、つまり古代中国の為政者たちが創生した統治のための法律、文化の体系を学ぶことであると、大胆な価値転換を提唱した。徂徠によって、儒学は統治論として読み替えられた。それゆえ徂徠は個人倫理を重視する孟子を批判し、礼楽刑政のシステムを論ずる荀子により好意的な評価を与えたのであった。しかし日本の儒学の本流はやはり朱子学であり、あるいはそのアンチとしての陽明学であり、両者ともに孔子・孟子を称えるが、荀子は顧みられることが少なかった。

その荀子が著した書が、『荀子』である。現在のテキストは、前漢末の劉向(りゅうきょう)が整理した『荀卿新書』三十二篇が唐代にははなはだしく混乱したテキストとなって伝わっていたために、唐の楊倞(ようりょう)がこれを再び校訂して注解を施したものが起源である(元和十三年、818)。劉向の『荀卿新書』はすでに伝わらず、ましてや劉向の整理以前の原型がどのようであったかは、今は知る由もない。どこまでが荀子本人の著作で、弟子あるいは他人の追加がどれだけあったのかも、わからない。その後清代になると朱子学から距離を取って古代文化を客観的に研究しようとする考証学が盛んとなり、ようやく中国での『荀子』研究が進んだ。王先謙の『荀子集解』(光緒十七年、1891)はその成果である。日本では、久保愛(1759-1835)が研究成果をまとめて『荀子増注』(文政三年、1820序)を著した。

こうして正統な儒学から目の敵にされ続けた、『荀子』である。それほどに、世の正義漢たちの神経を逆撫でする書物なのであろうか?

現在手に取ることができる『荀子』の開巻の言葉が、上のものである。私は読んだとき、なんと穏やかで理性に満ちた語り始めであろうか、と感心してしまった。『孟子』の開巻の言葉は、王との対話である。富国強兵を望む梁の恵王に対して、「なんぞ必ずしも利を言わん。ただ仁義あるのみ!」と食って掛かるのである。孟子の戦略は、大王を圧倒してねじふせる言葉の魔力を用いてこれを洗脳し、頂上のトップから理想の改革を行わせようとするものである。なので孟子の言葉は、宗教的な折伏の響きがある。論理は時に飛躍し、たとえ話で分かった気にさせるものである。

しかしながら、この『荀子』の開巻の言葉は、大王へのメッセージではない。この書を開く興味を持った、志ある諸君に対しての語りかけである。この勧学篇が冒頭に置かれていることは、まちがいなく『論語』を意識している。『論語』の冒頭には、「学びて時に之を習う、また楽しからずや」に始る有名な句が置かれている。荀子も参照したことであろう『論語』は、その冒頭に志あって学ぶ者たちへの励ましの言葉が置かれているのである。荀子は、自らこそが儒学の正統派であると疑うことがなかった。それで、『論語』の続編を書くつもりで、学ぶ者たちを励ます言葉を冒頭に置いたに違いない。(荀子のオリジナルな配置が、現行のとおりであったとは限らない。しかしながら、私は少なくとも現行の形に最初に並べた前漢の劉向は、明らかにこの書が『論語』の続編であることを意識していたはずだと思う。)

荀子は、「性悪説」の提唱者であると知られている。じっさい、後の篇にはそのものずばり「性悪篇」まである。人間はしょせん利得を考える欲望的存在が本性であり、善人はその本性を矯正することによって後天的になり得るのである、という主張である(誤解してはいけないが、荀子は人間の本性が邪悪を好む、と言っているのではない。単なる利得を求める利己心が本性であると言うのである)。その主張はいずれ検討するとして、この冒頭の言葉はそんなスレた人間観から発するものであろうか?性悪説と言っておきながら、読む者の自発的な奮起を期待する、熱い励ましの魂があるではないか?これから後、荀子は読む者に対して知性ある立派な人間となることを勧め、人相で人物を評価する当時の風潮を批判し、これを打ち砕け、人間の真の価値は外見にはなく心の中にあるのだ、と喝破するのである。その言葉は、人が善を選んで自己を向上させることを明らかに期待している。これのどこが性悪説なのであろうか?

私は、「性悪説」はあくまでも孔子以来の儒家の主要テーマである「国家をいかに運営すれば平和な統治が行われるか?」という統治論的問題を荀子が考察した際に、人間認識として置いた作業仮説であると考えたい。『荀子』では、中盤以降で統治論が展開される。そこでは、人間は「悪=利得を求める存在」として設定され、その存在をよく誘導して統治する方策が述べられる。国家を統治する方法を考えるときには、統治される対象である人間に幻想を持たず、これを突き放して捉える冷徹さを持たなければならない。荀子は、マクロの社会を考察するときの統治論を考察するための作業仮説として「性悪説」を唱えたのではないだろうか。
[中略]
(注)服部宇之吉氏によれば、蘇軾の真意は荀子・李斯の名を借りて王安石・呂恵卿を誹るものであったという(『漢文大系十五巻 荀子集解』収録の「荀子解題」)。しかしながら、宋代の新法批判者たちが王安石を攻撃するために荀子の名を借りて、それが受け入れられたということは、すでに宋代主流の儒者たちの間において荀子とはそういうものであると受け止められていたことを意味しているはずであろう。ましてや、以降の朱子学者たちにとってはなおさらである。
” ※着色は引用者

このサイト、凄い! 方針をきちんと書いたページもあるのが良い)


https://twitter.com/J_J_Kant/status/1404283130953945096
”なかだち⛰️ネット難民📡さんがリツイートしました
中嶋 哲史
@J_J_Kant
日本社会に決定的に欠けているのは普遍的論理と倫理への希求がないこと。だからものごとの決定が常に権力者・上位者の恣意でなされ、しかもそれにほとんどの人が疑問を持たない。
午後0:42 · 2021年6月14日”
(荀子は普遍的論理と倫理について参考になる)



p.20の「権利」は「権勢利欲」と和訳されている。

五 学は悪(いず)くにか始まり悪くにか終る。曰わく、其の数は則ち誦経に始まりて読礼に終り、(後略)。
 学は何から始まって何に終るか? 答え。その手段からすれば詩・書の経典を暗誦することに始まって礼を読むことに終り、その意義からすれば士たるの道に始まって聖人としての道に終る。真に久しく積習努力したならば聖域に入るであろう。学は死ぬまでつづけるべきである。だから学の手段には終りがあるがその意義からすればほんのしばらくでさえ離れられないのである。学問するのが人間でありそれを棄て去るのは禽獣である。そこで書は政事の記録であり詩は中正な声音の所在であるが、礼は法(規範)の大本で類(条例)の紀綱であるから、学は手段としては礼に及んで終るのである。そもそもこれを道徳の極みと謂う。礼の敬文と楽の中和と詩書の博識と春秋の隠微な意味と、これだけを学んだなら天地の間に在るものが尽される。

(敬文(けいぶん):礼容[礼儀正しい態度、礼儀にかなった法式]のあるさま。

紀綱(きこう)とは? 意味や使い方
https://kotobank.jp/word/%E7%B4%80%E7%B6%B1-473194

紀綱(読み)きこう
精選版 日本国語大辞典 「紀綱」の意味・読み・例文・類語
き‐こう ‥カウ【紀綱】
〘名〙
① (「紀」は小綱、「綱」は大綱で国家を引き締める意) 政治を行なう上で、根本となる重要な制度や規則。政治の大綱。制度典章。綱紀。法度。
※続日本紀‐天平宝字三年(759)六月丙辰「律令格式者、録当今之要務、具庶官之紀綱」
※政談(1727頃)二「太平久く続くときは漸々に上下困窮し、夫よりして紀綱乱て終に乱を生ず」 〔書経‐五子之歌〕
② 国を治めること。取り締まること。〔国語‐魯語下〕
③ 禅宗寺院で、寺内の治安維持をはかる職。また、仏事法要の運営を指導し、誦経を先導する役。維那(いのう)。”

「詩・書の経典を暗誦することに始まって礼を読むことに終り」
「書は政事の記録であり詩は中正な声音の所在であるが、礼は法(規範)の大本で類(条例)の紀綱であるから、学は手段としては礼に及んで終る」
「礼の敬文と楽の中和と詩書の博識と春秋の隠微な意味と、これだけを学んだなら天地の間に在るものが尽される。」
「誦経に始まりて読礼に終り」

荀子派の経書の学習する順番についての一部が書かれているのだが、当時は四書五経という概念はない。
四書(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)には『孟子』が含まれるが、荀子と孟子は生きている時期が一部かぶるので、当時は『孟子』は必須学習書には含まれていないはずだ。
孟子派ではすでに『孟子』は含まれていただろう。『荀子』は孟子の性善説を孟子という名前を出して否定しているから、必須学習書に含めないのはおかしくない。この学派でも読んでいる人がほとんどだっただろうけどね。基本的な文献の扱いはされていたと思う。

年表・地図 | 新読荀子
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/%e5%b9%b4%e8%a1%a8%e5%9c%b0%e5%9b%b3/
によると、
「BC339前後?」に 「荀子生まれる」。
「BC289」に「この頃孟子死去」。
「BC285」に「荀子、斉湣王の末年に斉を去り楚に行く(『塩鉄論』)」「荀子、この頃までに50歳で斉に初めて遊学したか?」。

当時は、『詩』(詩経)、『書』(書経)、『礼』(礼記)、『楽』(楽経)、『易』(易経)、『春秋』の六経なので、五経ではない。『楽経』は失われたらしい。
「詩・書の経典を暗誦することに始まって礼を読むことに終り」
(誦経に始まりて読礼に終り)
「書は政事の記録であり詩は中正な声音の所在であるが、礼は法(規範)の大本で類(条例)の紀綱であるから、学は手段としては礼に及んで終る」
「礼の敬文と楽の中和と詩書の博識と春秋の隠微な意味と、これだけを学んだなら天地の間に在るものが尽される。」
なので、学ぶ順番の一部がわかる。
最初は、 詩経・書経(どちらが先か不明。同時進行だろう)。最後は礼記。
楽経、易経、春秋はその間。ただし、易を荀子は必須学習書に含めていない可能性がある。言及していないからだ。言及していないといっても、論語にも言及していないけどね。
順番といっても、いずれも何度も読むことが前提でないとおかしいから、最初に全体をある程度学習してから、より深く学ぶ段階の順番も含めているのかもしれない。
ただし、書き下しだと「誦経に始まりて読礼に終り」なので原文では「経」のみだろう。
「経」がつくのは、詩・書・楽・易。和訳が 詩(詩集)・書(歴史書)のみなのは、最初に楽と易からはやらないだろうと考えたからだろう。詩集は現代なら、国語・文法・文章表現などにあたるのだろう。
でも、当時は「書経」と呼ばれていないんだよな。岩波版の金谷訳『荀子』上巻は、1961年に出版されたので、この頃はまだ当時の呼び方が分かっていなかったのか? いや、当時の表現なんて原文見たら一目瞭然だからそれはないだろうな。注釈書にそう書いてあるのかもしれない。
「誦経」って荀子派の教科書を音読する[意味を覚えたり、解釈を習うのは後。つまり素読(そどく)]という意味しかないのでは?

(追記: 荀子の頃に四書五経の概念はないと後に知った)

書経(しょきょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%9B%B8%E7%B5%8C-80079
”書経
しょきょう

儒教の五経の一つ。もと単に『書』といい、漢以後『尚書(しょうしょ)』とよばれ、『書経』と称するのは宋(そう)に始まる。『詩経』と並び称せられる古典のなかの古典である。編者は孔子(こうし)(孔丘)であると伝えられ、上古歴代史官の文書をもとに、堯(ぎょう)・舜(しゅん)以下、夏(か)・商(殷(いん))・周3代の帝王の事蹟(じせき)を100篇(へん)の書にまとめたという。史実のほか神話的伝承を含んでいるが、儒家はこれを天下統治の普遍的法則を示すものとして尊重した。

 現行の『書経』は58篇を存するが、その伝来・真偽をめぐって重要な問題がある。秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の焚書(ふんしょ)と項羽(こうう)の咸陽(かんよう)焼打ちによる廃絶ののち、漢初ふたたび世に出た『書』は、秦の博士伏生(ふくせい)が伝えた29篇(序の1篇を含む)で、漢代通行の隷書(れいしょ)で書かれていたので『今文(きんぶん)尚書』という。その後、孔子の旧宅の壁中から、今文より16篇多い『書』が発見されたが、古代の蝌蚪(かと)文字で書かれていたので『古文尚書』とよばれた。この『古文尚書』は前漢の武帝(ぶてい)のとき孔安国(こうあんこく)が読み伝授したが、西晋(せいしん)末の永嘉(えいか)の乱に失われてしまった。ところが4世紀の初め、東晋の梅賾(ばいさく)が孔安国伝と称する『古文尚書』58篇を朝廷に奉ったのである。その内容は、今文の28篇を33篇に分け、これに偽作の25篇を加え、もと1篇の序は分割して各篇首に配し、かつ全篇にわたってこれまた偽作の孔安国の伝(注釈)をつけたものであった。これを『偽古文尚書』という。唐初、孔穎達(くようだつ)らが勅命によって『五経正義』を著したときには、まだ偽作のことは明らかでなく、『尚書』の正義(疏(そ)ともいい、注釈のこと)はこの本に依拠し孔伝を祖述したために、これが正統的な地位を得て継承されることになった。しかし、南宋(そう)の蔡沈(さいちん)が師朱子(しゅし)(朱熹(しゅき))の意を受けて注釈を施した『書集伝』では、今文・古文の区別に留意し、序と孔伝を疑って採用していない。清(しん)初、閻若璩(えんじゃくきょ)の考証『尚書古文疏証』に至って、偽作の様相は逐一明らかにされたのであった。今文の28篇(現行33篇)を『真古文尚書』と称する学者もある。

[廣常人世]

『諸橋轍次著『経学研究序説』(1936・目黒書店)』▽『平岡武夫著『経書の成立』(1946・全国書房)』▽『小林信明著『古文尚書の研究』(1959・大修館書店)』▽『松本雅明著『春秋戦国における尚書の展開』(1966・風間書房)』▽『加藤常賢著『真古文尚書集釈』(1964・明治書院)』▽『赤塚忠訳『中国古典文学大系1 書経・易経(抄)』(1972・平凡社)』▽『池田末利訳注『全釈漢文大系11 尚書』(1975・集英社)』▽『陳夢家著『尚書通論』(1957・上海商務印書館)』▽『張西堂著『尚書引論』(1958・西安陝西人民出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について
” ※着色は引用者

易経についての言及も荀子にある。

https://twitter.com/kikuchi_8/status/1048258119220912128 と続き
”菊池
@kikuchi_8
儒学の古典「中庸」では「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う」としている。極端な感情が発する以前の平静な状態を「中」として重んじている事が分かる。このように「中」とは「無執着」「喜怒哀楽の未だ発せざる」という平静な心理状態をも意味する。確かにそれでこそ中正な判断が可能となる。
午前2:06 · 2018年10月6日

中庸に曰く「喜怒哀楽之未発、謂之中。発而皆中節、謂之和。喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中る(あたる)、これを和と謂う。」喜怒哀楽の未だ生じていない状態が「中」で、喜怒哀楽が生じても過度にならずに適正に調整されている状態を「和」と謂う、と。これも参考になる。
午前2:19 · 2018年10月6日

同じく儒学の古典の「易経」も「中」を重んじる。易経は「占いの書」と見られがちだが、荀子が「善く易を為むる者は占わず」と述べたように、適正な判断力を養う為の経験科学的な義理の書としても読める。易経では陽爻は陽位に、陰爻は陰位にある即ち中正である事をよしとする。これも中の考えだろう。
午前2:27 · 2018年10月6日

「易経では陽爻は陽位に、陰爻は陰位にある即ち中正」について説明する。易経では「爻」という陰陽二種類ある横棒を六つ縦に重ねて「卦」を形成する。三爻では全部で八卦、三爻を二つ重ねる六爻では六十四卦となる。爻の順番は下から数える。一、三、五の奇数が陽位で、二、四、六の偶数が陰位である。
午前2:33 · 2018年10月6日

陽爻は普通の横棒、陰爻は横棒の真ん中に切れ目がある。陽爻が卦の中で下から数えて一、三、五の奇数の順番(陽位)に位置し、陰爻が二、四、六の順番(陰位)に位置するのを「正位」とする。この意味を解釈するに特定の状況に応じた適正・中正な対処をすべきという事だろう。まさに中道・中庸である。
午前2:38 · 2018年10月6日

陽爻が陽位に、陰爻が陰位にあるを「正位」とする易経の考えも「中」の一種である。ここから一般的な教訓を引き出すならば、「何が適切か」は状況によって変わってくるという事である。西洋的な二元論みたいに「陽=善・陰=悪」とかではなく、状況(位)に応じて何が適切・不適切かが決まるのである。
午前2:45 · 2018年10月6日

中道には固定的な内容はなく、何が適正・中正かはその時の個別具体的な状況に依って決まる。陽爻が陽位に、陰爻が陰位にあるを「正位」とする易経の考えもそれを言っているのだと解釈している。ここがイデオロギーである中道主義との違いである。中道はイデオロギーや主義ではなく、思考の方法である。
午前2:52 · 2018年10月6日

ちなみに易経は我が国では足利学校で教えられており、戦国期など中世の知識人の必須教養であった。江戸期の儒者も同じくである。「当たる」とか「当たらない」とか言う迷信的な占いではなく、膨大な歴史的経験から帰納された理に適った物の考え方・処世術を教える義理の書(哲学書)として学ばれた。
午前3:03 · 2018年10月6日

易経の話の続き。易経は卦辞や爻辞、十翼など色々と細かい事が書いてあるが、次のように趣旨を要約できると考える。「物事にはリズムがあり、勢いが伸びる時節と縮む時節がある。その時々の時節・状況を見極めて適切な判断・行動をすべきである。常に慎みや謙虚さを持っていれば大過はないであろう。」
午前1:44 · 2018年10月7日

宮本武蔵は「拍子が大事」と言ったし、徳川家康は戦に関して攻める時と引く時の見極めが大事と言った。易経の趣旨もこれらと同じだと思われる。物事には拍子、循環するリズムがあるという考え。極限状態である命のやり取りではそれが露骨に感じられるのであろう。状況の見極めと判断が大事という事。
午前1:56 · 2018年10月7日

その点、欧米の「積極思考」は物事の一面しか見ていないと言えよう。物事は伸びるばかりではなく、縮む時節がある事を忘れている。陽剛一辺倒では枯渇して滅びるだけだと易経では考える。夏至が過ぎれば段々と冬に近づく。逆に、冬至が過ぎれば春が近づくように、陰極まれば一陽来復する、とも考える。
午前2:01 · 2018年10月7日

このように「具体的な状況に応じた適正・中正な判断・行動=中・中道・中庸」という事を考察する上で、儒仏の考えは参考になる。五輪書・水の巻に「心を真ん中に置け」と書いてあるが、これも同様であろう。宮本武蔵の場合は儒仏の教えを借りずに、自らの実戦体験のみでそこに到達したので凄みがある。
午前2:06 · 2018年10月7日

戦国時代の足利学校の中心科目は易学だった。戦の日取りを定めたりするのに必須の知識だったからだろう。だが易経の思考法そのものは合理性が要求される兵法に転用可能である。なので軍配者から参謀に横滑りした軍師もいたと想像する(山本勘助など。一時は実在を疑われ軍師ではないとも言われるが)。
午前2:22 · 2018年10月7日

「物事にはリズムがあり、勢いが伸びる時節と縮む時節がある」と書いたが、五輪書・地の巻にも「物毎、さかゆる拍子、おとろふる拍子、能々分別すべし」と、そのままの事が書かれてあった。「物ごとにつき、拍子ハ有ものなれども、取わき兵法の拍子、鍛練なくしてハ、及がたき所也」 全てに拍子あり。
午前11:57 · 2018年10月7日


勧学篇第一(4) | 新読荀子
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”では、学ぶことはどこから始めてどこで終わるべきであるか?
それはこうである。まず入門のカリキュラムは、美しい格言を繰り返し唱えて、体で人の道を覚えこむ。そこから進んで応用のカリキュラムは、人間社会のルールである礼を熟読して、よき社会人となるのである。学ぶことの目的には、まずいっぱしの士(宮廷人として最低ランクの存在)となるところから始めて、最後には聖人(最高段階の人間、あるいは国家の統治者)を目指すのである。真に学問を積み、努力すること久しければ、必ず聖人にまで至るはずだ。学ぶことは、死んではじめて終わるものだ。学ぶカリキュラムには、終わりがある。しかし学ぶ目標については、いかなるときも一瞬たりとも捨て置いてはならないのである。これを行う者が、人間というものだ。これを捨て置く者は、しょせん禽獣(きんじゅう。ケダモノ)の域を出ない。『書経』(古代王朝の法令集)はわが国の政治の軌跡である、学ばなければならない。『詩経』はわが国の均整ある歌の文化の極地である、学ばなければならない。礼すなわち礼儀規則は、わが社会の法の大筋であり、法判断(注1)のガイドラインなのである、これも学ばなければならない。ゆえに、学ぶことは礼を最終目標としなければならない。これがわが国の道徳の本源なのだからだ。礼を学べば、恭敬の精神と文化故実の詳細が身に付く。音楽を学べば、ハーモニーの美が身に付く。『詩経』と『書経』を学べば、知識豊富となる。『春秋』を学べば、微言大義(びげんたいぎ。簡潔な記録の中に豊富な意味を込める叙述法)の読解力が身に付くのである。これら学問の体系を学ぶことを通じて、天地の間にある知識は全てカバーできるのである。
[中略]
(注1)原文「類」。『荀子』にはこの語がしばしば出てくる。法の明文がない事項について統治者が判断すべき基準のことを指す。あるいは礼義の正義の原理に基づく類推判断を指し、またあるいは類似の判例を参照した判断を指すと考えられる。ここでは法判断と訳しておいた。
[中略]
《原文・読み下し》
學は惡(いず)くにか始り、惡くにか終る。曰く、其の數は則ち誦經(しょうきょう)に始まり、讀禮(どくれい)に終わる。其の義は則ち士爲(た)るに始まり、聖人爲るに終わる。眞に積み力(つと)むること久しければ則ち入る。學は沒するに至りて而(しこう)して後に止む。故に數を學ぶは終り有るも、其の義の若きは則ち須臾(しゅゆ)も舍(す)つ可からず。之を爲せば人なり、之を舍つれば禽獸(きんじゅう)なり。故に書なる者は政事の紀なり、詩なる者は中聲の止まる所なり、禮なる者は法の大分なり、類(るい)(注3)の綱紀なり。故に學は禮に至りて止む。夫れ是を之れ道德の極と謂う。禮の敬文や、樂の中和や、詩書の博や、春秋の微や、天地の閒に在る者畢(つく)せり。
[中略]
荀子はこうして師を選ぶように語るとき、最上の師は自分であると自負していたはずである。荀子は、孟子亡き後の儒家界で最大の知識人であった。漢代にまとめられた礼のテキスト集の一つである『大戴礼記(だたいらいき)』には、荀子の叙述と重複する点が多い。これは、荀子が主に編集したテキストが儒家の礼関係文献では重視されていた痕跡であると思う。また『孟子』では『論語』からの引用は前半十篇からが比較的多い。それに比べて荀子の引用はここのくだりのように後半十篇から目立つ。わが国の伊藤仁斎は、『論語』の前半十篇と後半十篇では性質が異なっていると見抜いた。これを武内義雄氏は『論語の研究』において前半を魯学派の伝承を中心としたものであり、後半を主に斉学派の伝承を中心としたものであろう、と考証した。魯学派は孔子の死後に彼の生国である魯国で起こった派閥であり、孟子はこちらに含まれる。いっぽう斉学派は孔子の弟子、子貢(しこう)から始まり斉国で起こった派閥である。荀子の生国は儒家不毛の地であった趙国であり、そこから斉の儒家界にデビューした。斉で荀子は個人倫理を重視する魯学派よりも、政策論に重点を置く斉学派に近い立場を取っていたと想定してみたい。荀子は、孟子やその師である子思(しし。孔子の孫)を誤った儒家の先行者たちとして辛辣に批判するのである。

さて荀子はここで儒家として推奨するカリキュラムを詳説する。礼儀規則を学び、音楽を学び、『書経』『詩経』『春秋』を師について詳しく学ぶべきであると言う。中華文明の歴史・国語・音楽・道徳修身の学習である。そう考えると、内容は変わっているが現在の教育と教科はそんなに変わらない。この他に、士が学ぶ六芸(りくげい)には計算術があり(数)、弓術があり(射)、馬車の運転術があり(御)、書道があった(書)。なので初等数学と武芸もあったのである。もっとも、古代ギリシャのように体育教育を最重視することはなかった。西洋の英雄は裸体となっても美しいことに憧れるが、中華世界の君子は上半身ですら裸になることは非礼の極みであった。

しかし、荀子は古典を尊重するとはいえ、古典がそのままでは現代の役に立たないことを認めている。古典の現代的意義を師から解説されず、ただ独学で詩経や書経を学んで知識人ぶる者を、荀子は三流教師と蔑み、志ある君たちはそうなってはならないと説くのである。そして礼儀規則を学ぶことを通じて、現代の世界の法の精神を読み取り、為政者の勘を育め、と言うのである。


四書の概念は、五経という教科書のまとまりよりも後らしい(とはいえ四書に含まれる経書は読まれてきた)↓

五経 世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-122.html
”漢の武帝時代にまとめられた儒学の基本経典。『易経』・『書経』・『詩経』・『礼記』・『春秋』の五書。
 儒学の経典とされた、『易経』・『書経』・『詩経』・『礼記』・『春秋』の五書のこと(時期によって異なることもある)。経書とも言う。漢の武帝の時、この五経を講義する五経博士がおかれ、儒学の官学化が推進された。

経書と緯書
 なお、「経」とは「たて糸」のこと(それに対してよこ糸が「緯」)で、社会・国家のもっとも正統となる基本的な理念を示す書物の意味となる。儒学以外の書物が「緯書」と言われる。
注意 四書と五経 この漢代に定められた五経に加え、南宋の朱熹(朱子)はそれを補う基本図書として『四書』を定めた。それが『大学』『中庸』『論語』『孟子』であり、あわせて「四書五経」というが、五経の方が先に定められていることに注意する。なお、四書のうち『大学』と『中庸』は五経の一つ『礼記』の一部分を抜粋したもの。 → 五経正義  五経大全 
” ※着色は引用者

武帝って紀元前2~1世紀の人だ。
荀子は紀元前4世紀生まれで、存命中に孟子が死去(BC289。紀元前3世紀)し、紀元前3世紀に死去(孟子より後)したので、武帝より前の人だ。
つまり、荀子の頃に四書五経の概念はない


巻第一 脩身篇
p27 (書き下し文と和訳を混ぜて記す)
五 志意が修正であれば(志意の脩まれば)富貴にも屈せず、道義心が重厚であれば王公をも恐れない。即ち、内的な道徳性が重視されて外界事物(外物)が軽視されたのである。古伝に「君子は〔その主体性を持して〕外物を使役するが、凡人は〔主体性を失って〕外物に奔弄される。」というのは、このことをいうのである。(伝に、君子は物を役し小人は物に役せらる、と曰えるは此れを謂うなり。)

士君子は貧窮だからといって正道の修養を怠ることをしない。(士君子は貧窮の為めにとて道に怠らざるなり。)

(
https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1636150369922297858
“来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
AI関係で荀子の言うように「君子は物を役し、小人は物に役される」って事でしかないんだよね
中共が塾の禁止とか言い始めたのは科挙の時代にその弊害があったのと、AI時代においてはAIを動かす側を養成・育成する事となればペーパーテストだけでは足りないとなったんでしょうね
午前8:40 · 2023年3月16日
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p.71から
巻第三 非相篇第五
非相(相[うらない]を非とする)篇第五

一 人を相(うらな)(占)うこと、古えの人は有りとすること無く学者は道(い)わざるなり。(人相をみることなどは、古聖人の無視したところで、学に従う者は口にしない。)

形状のいかんを占うのは心のいかんを論ずるに及ばず、心を論ずるのは術(実践の拠り所)を選択するには及ばない。形は心より劣り心は術よりも劣るから、術が正しくて心が従順であれば人相は悪いとされても心と術は善いわけで、君子とよぶのに何の妨げもない。人相は善いとされても心と術が悪ければ小人(しょうじん)とよぶのに何の妨げもない。君子への道が吉であり小人への道が凶であるから、形状の長短や小大や美醜で占ったのは吉凶ではない。古聖人の無視したところで学に従う者は口にはしない。

士たる者は長さとか大きさとか重さなどの形のことを考えずにただ心を知ろうとするばかりである。(亦[た]だ将[まさ]に心を志[し]らんとするのみ。)

孔子(仲尼)の形状はその顔が鬼やらいのお面のようであり、(中略)
禹王は跳びはね(跳び)湯王は半身不随であり(偏し)尭と舜には三つの瞳があった(参つの牟子[ひとみ]なり)。学に従う者は志意を論じて文学に親しみ近づこうとすべきであろうか、あるいは徒らに形状の長短を区別し美醜を分別して互いにいつわり遊ぶべきであろうか。
 昔(古者[いにしえ])、桀と紂とはその形貌が長大好美で世界中に傑出しており、筋力軽強で百人に匹敵するものであった。しかるに人に殺されて国は亡ぼされて天下の大罪人となり、後世のひとびとは悪を語れば必ず彼らを引き合いに出す。これは容貌が悪かったための災害ではない。見聞が狭く論議が下劣であったためにほかならない。

p.350の訳注で、「方相」に「おにやらい」とルビがふってある。



(書き下し文と口語訳を混ぜてメモする)
上巻 巻第九 臣道篇第十三
p.285から

命に従いて君を利するはこれを順と謂い、命に従いて君を利せざるはこれを諂(てん)と謂い、命に逆らいて君を利するはこれを忠と謂い、命に逆らいて君を利せざるはこれを簒(さん) と謂う。
(命令に服従してその君主の利益をはかるのを従順といい、命令に服従しながら君主に利益しないのを諂[へつらい]といい、命令にさからってその君主の利益をはかるのを忠節といい、命令にさからって君主に利益しないのを簒奪という。)また君主の栄誉や恥辱を顧慮せず国家の興敗(原文ママ)をも顧慮せず、ただ軽々しく迎合しいいかげんに受けいれてその俸禄を守り社交を盛んにしていくだけというのを、国賊という。
 君主の謀慮や事業に過失があって、それによって国家が危険になり社稷も亡びようとする恐れがあるというばあいのこと。大臣や父兄の中の或る者がよく君主に進言して、それが聴きいれられたときはよいが聴きいれられないときにはその国を去るというのを、諫というのである。(大臣父兄に能く君に進言して用いらるれば則ち可なるも用いられざれば則ち去るもの有り、これを諫と謂う。)また或る者がよく君主に進言して、それが聴きいれられたときはよいが聴きいれられないときにはそのために死ぬというのを、争というのである。また或る人々がその思慮をあわせ能力を集めて群臣諸役人を統率し、ともどもに君主の過失をむりに矯正して、君主個人にとっては好ましくはなくてもどうしても聴きいれなければならないようにさせ、それによってついには国家の大患大害を解除して君主の尊厳と国家の安泰とを成しとげるというのを、輔というのである。また或る者は君命にもさからい君主の大権をもかすめ取って君主の事業に反対し、それによって国家の危険を救い君主の恥辱をはらいのけてその功績は国家の大事業を完成するに十分だというのを、弼(ひつ)というのである。(書き下し文では「拂(弼)」と書いている)
だからこうした諫争輔弼をする人は社稷の臣すなわち国家としてなくてはならぬ臣下であり、国君の宝である、〔従って〕聡明な君主の尊び重んずる人物である。ところが闇愚な君主は見当違いをして却って自分の反逆者だと考える。そこで聡明な君主が賞与する人物は闇愚な君主が罰する人物であるし、闇愚な君主が賞与する人物は聡明な君主が死刑にする人物である。殷王朝の伊尹(いいん)と箕子(きし)のふるまいは諌というべきであり、殷の比干(ひかん)と春秋時代の伍子胥(ごししょ)との行為は争というべきであり、平原君が趙の国のためにしたことは輔というべきであり、信陵君が魏の国のためにしたことは弼というべきである。古伝に「真実の道に従っていくべきで君主には従わない。」とあるのはこのことをいったのである。

p.393からの訳注。
社は土地神、稷は穀神で、社稷とは国家の象徴。

伊尹は湯王を助けた殷王朝の建国の功臣で、湯王の没後に帝の太甲(たいこう)を諫め、教育のために放逐したうえ悔悟をまってよび戻し自分は引退したといわれるが、ここでいう諫めてきかれないばあいに国を去ったという事実は不明である。
箕子は殷の紂王を諫めて聴かれず狂人のまねをして奴となりやがて紂にとらえられた(『史記』殷本紀)。

比干は紂王を諫めてついに殺されたうえ心臓をえぐられ、伍子胥(ごししょ)は名を員といい、呉王闔閭(こうりょ)が越王勾踐(こうせん)の和議をゆるしたことで諫めて殺された(『史記』伍子胥伝)。

平原君は姓を趙、名を勝といい、趙の恵文王の弟で、恵文王と孝成王の大臣として活躍し、特に秦に都の邯鄲が囲まれた危急を救って功績があった(『史記』平原君伝)。

次の信陵君は魏無忌といい、魏の昭王の子。
国権を掌握して秦の勢力に対抗し、一時秦軍を圧迫する功績をあげた(『史記』魏公子伝)。平原君・信陵君はさきの斉の孟嘗君及び楚の春申君とともに食客を集めたことでも有名で、四君子と称された。

以上は、以下の出典だ!

https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1423765328698351616 と続き

来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
左翼で自由主義を問わない
右翼で漢籍・国文引用しない・諫めたりしないならただのキモヲタ
荀子で忠臣には4つあり
君主を諫めて、ダメなら職を辞す者
君主を諫めるのを命がけするもの
君主を諫めるのを官僚・役人組織全体でするもの
君主の過ちを止めるべくワザと君主の権を奪ってするものがいるんよ
午前6:58 · 2021年8月7日

勿論、佞臣・奸臣も同じことをするので君主が君子であれば、徳治であるなら下は上が存在しなくとも君主の権を侵さないし
法治なら機構・構造によって、事前に潰す事が出来る
要は法術、法は法律そのものと術はその運用方法を言う
で、イスラームでもそうだが法よりも術の方が遥かに重要なのよ
午前7:03 · 2021年8月7日

ところが術を教えられる人がまずいない、居るのは知っているけどその人しかいないので仕事が過剰な状態になっている
で、わしはいつも術・方法が最も重要なのよ
だから、法といわれても使用した形跡がないならそれは術・判例などにしろそれは法の意義がないのよ
午前7:06 · 2021年8月7日

臣道篇第十三(2)
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/%e8%87%a3%e9%81%93%e7%af%87%e7%ac%ac%e5%8d%81%e4%b8%89/shindo02/

By 河南殷人 | 2015年10月12日
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君命に従って君主に利益をもたらすことを、順すなわち従順であると言う。君命に従った結果君主に利益をもたらさないことを、諂(てん)すなわちへつらうと言う。君命に逆らって君主に利益をもたらすことを、忠すなわち忠勤であると言う。君命に逆らった結果君主に利益をもたらさないことを、簒(さん)すなわち君主の力を奪うと言う。君主の栄辱をかえりみず、国家の善悪をかえりみず、主君にまにあわせの迎合をして主君からの下命は適当に受け取って、このようにして禄を保って己の交際を広めるばかりであるならば、これを国賊と言う。君主が誤ったはかりごとや事業を行って、それが国家を危うくして社稷(しゃしょく)が倒されるようなことであるとき、その大臣や父兄が的確に進言し、容れられたならばよし、容れられなければこれを去る。これを諌(かん)すなわち君主を諌める行為と言う。君主に的確に進言し、容れられたならばよし、容れられなければあくまで君主と争って死ぬ。これを争(そう)すなわち君主と争う行為と言う。よく知と力を合わせて、群臣・官吏を率いて、皆でともに君主に強要してこれを矯正し、君主はそれが面白くなくても聴かざるを得ず、ついにこうして国の大きなわずらいを解決し、国の大きな害を除き、君主を尊んで国を安んずることを成し遂げる。これを輔(ほ)すなわち君主を輔佐する行為と言う。よく君主の命令に反抗し、君主の権勢を盗み取り、君主の事業に逆らい、こうして国の危機を安んじ、君主の辱を除き、戦勝して国に大きな利益をもたらすことができる。これを弼(ひつ)すなわち君主を諌めて助ける行為と言う。ゆえに、諌・争・輔・弼の人材は、社稷を守る家臣であり、国君の宝である。明君はこれを尊び厚く遇すが、闇主はこれにとまどって己の賊とみなす。ゆえに明君の賞する者を闇君は罰するのであり、闇君の賞する者を明君は殺すのである。伊尹(いいん)・箕子(きし)(注1)は、諌する臣と言うべきである。比干(ひかん)・子胥(ししょ)(注2)は、争する臣と言うべきである。平原君の趙国におけるは(注3)、輔する臣と言うべきである。信陵君の魏国におけるは(注4)、弼する臣と言うべきである。言い伝えに、「正道に従って君主に従わず」とあるのは、このような臣道なのである。ゆえに正義の臣が登用されたならば、朝廷から不平は起こらなくなる。諌・争・輔・弼の人が信頼されたならば、君主の過ちは大きくならない。武勇の士が登用されたならば、仇なす敵国は付け入ることができなくなる。辺境の臣が正しく処遇されたならば、国境線は失われなくなる。ゆえに明主は家臣と心を同じくすることを好み、闇主は独断専行することを好む。明主は賢明な者を貴び能力ある者を登用して、その成果を受け取る。闇主は賢明な者をねたみ能力ある者をおそれて、己の功績をつぶし、己に忠勤なる者を罰し、己の賊を賞する。これを暗愚の極みと言い、桀(けつ。夏王朝を滅ぼした悪王)・紂(ちゅう。殷王朝を滅ぼした悪王)はこれゆえに滅んだのである。

(注1)楊注は、「伊尹太甲(たいこう)を諌む」と注する。すなわち史記殷本紀によれば、湯王の後を継いだ太甲(たいこう)が不明で徳を乱したので、伊尹はこれを桐宮に追放して反省を促したという。しかし新釈の藤井専英氏は、この故事は「諌」ではなくて「拂(弼)」と言うべきだから、伊尹が湯王に仕える以前に夏の桀王に仕えて、これを諌めて容れられずに去ったことを指すのであろう、と言う。箕子は、殷の紂王の一族。議兵篇(5)注8参照。
(注2)比干は、殷の紂王のおじ。上の議兵篇の注を同じく参照。子胥は伍子胥(ごししょ)で、春秋時代末期の呉国の臣。史記伍子胥列伝に伝記がある。闔閭(こうりょ)・夫差(ふさ)の二代の呉王に仕えて重きを成したが、呉軍に破れて屈従を約した越王勾踐(こうせん)がいつか必ず叛くことを予想してこれを許さず討つべきことを夫差に説いたが、聴かれなかった。ついに讒言を信じた夫差から死を賜い、果てた。伍子胥の死後に勾踐は兵を挙げ、夫差は自害して呉国は越国に滅ぼされた。
(注3)平原君は、戦国時代後期の趙の公子。戦国四君子の一に数えられる。史記平原君列伝に伝記がある。長平の戦で趙軍は秦軍に惨敗し、秦軍は趙都の邯鄲を包囲した。このとき平原君は自ら楚国に赴いて救援を要請し、楚国から帰国後は決死の士を率いて秦軍と戦いこれを後退させた。そこに楚国と魏国から救援軍が到着して、邯鄲は解放された。しかしこのとき平原君が趙王を強要したとは、史記には書かれていない。
(注4)信陵君は、平原君と同時代の魏の公子。同じく戦国四君子の一に数えられる。史記魏公子列伝に伝記がある。信陵君は上の平原君の援軍要請に応じて、魏王の意志を無視して魏軍の兵権を奪い取り、邯鄲を救った。信陵君はそのまま趙国に留まったが、信陵君のいない魏国を秦軍は攻撃した。信陵君は故国の危機にあって再び魏国に戻って将軍となり、諸国は信陵君に救援軍を派遣してついに秦軍は敗走した。
《原文・読み下し》
命に從いて君を利す、之を順と謂い、命に從いて君を利せざる、之を諂(てん)と謂い、命に逆(さか)いて君を利す、之を忠と謂い、命に逆いて君を利せざる、之を篡(さん)と謂い、君の榮辱を卹(かえり)みず、國の臧否(ぞうひ)を卹みず、偷合(とうごう)苟容(こうよう)して、以て祿を持し交を養うのみなる、之を國賊と謂う。君に過謀・過事の、將(まさ)に國家を危うくし社稷を殞(おと)さんとするの具(ぐ)(注5)有るや、大臣・父兄、能く言を君に進め、用いらるれば則ち可とし、用いられざれば則ち去ること有る、之を諫と謂う。能く言を君に進め、用いらるれば則ち可とし、用いらるれば則ち死すること有る、之を爭と謂う。能く知を比(あわ)せ(注6)力を同じくし、羣臣(ぐんしん)・百吏を率いて、相與(とも)に君を强(し)い君を撟(た)め、君安んぜずと雖も、聽かざること能わず、遂に以て國の大患を解き、國の大害を除き、君を尊び國を安んずることを成すこと有る、之を輔と謂う。能く君の命に抗し、君の重を竊(ぬす)み、君の事に反し、以て國の危を安んじ、君の辱を除き、功伐以て國の大利を成すに足ること有る、之を拂(ひつ)(注7)と謂う。故に諫爭・輔拂の人は、社稷の臣なり、國君の寶(たから)なり、明君の尊厚する所にして、闇主は君(これ)に惑いて(注8)、以て己の賊と爲すなり。故に明君の賞する所は、闇君の罰する所なり、闇君の賞する所は、明君の殺す所なり。伊尹(いいん)・箕子(きし)は、諫と謂う可し、比干(ひかん)・子胥(ししょ)は、爭と謂う可し、平原君(へいげんくん)の趙に於けるは、輔と謂う可し、信陵君(しんりょうくん)の魏に於けるは、拂(ひつ)と謂う可し。傳に曰く、道に從いて君に從わず、とは、此を之れ謂うなり。故に正義の臣設(もち)いらるれば(注9)、則ち朝廷頗(は)(注10)ならず、諫爭・輔拂(ほひつ)の人信ぜらるれば(注11)、則ち君の過は遠ならず、爪牙(そうが)の士施(もち)いらるれば(注12)、則ち仇讎(きゅうしゅう)作(おこ)らず、邊境(へんきょう)の臣處(しょ)すれば、則ち疆垂(きょうすい)(注13)喪せず。故に明主は同を好んで、闇主は獨を好む。明主は賢を尚(とうと)び能を使いて、其の盛を饗(う)け(注14)、闇主は賢を妒(ねた)み能を畏れて、其の功を滅し、其の忠を罰し、其の賊を賞す、夫れ是を之れ至闇と謂う,桀・紂の滅ぶる所以なり。

(注5)宋本は「懼」に作る。
(注6)楊注は、「比」は「合」なり、と言う。あわせる。
(注7)楊注は、「拂」は読んで「弼(ひつ)」となす、と言う。以下の「拂」字も「弼」字に読み替える。
(注8)原文「闇主惑君」。集解の盧文弨は、「主惑」二字は疑うは衍と言う。宋本は「君」字を「之」に作る。宋本に従えば通して読むことができるので、「君」字を「之」に入れ替えて読むことにする。
(注9)集解の王先謙は、「設」はなお「用」のごときなり、と言う。もちいる。
(注10)増注は、「頗」は不平なり、と言う。
(注11)楊注は、「信は君に信ぜらるを謂う、或は曰く、信は読んで伸となす」と注する。集解の王先謙は楊注の或説のほうがよい、と言い、漢文大系は「信」をのぶる、と訓ずる。新釈は楊注本説を取っている。楊注本説に従っておく。
(注12)集解の兪樾は、「施」はなお「用」のごとしと言う。もちいる。
(注13)楊注は、「垂」は「陲」と同じ、と言う。疆陲(きょうすい)は、国境のこと。
(注14)増注は、「盛」は読んで「成」となし、「饗」は「享」と同じ、と言う。成功を受け取ること。

子道篇において「道に從いて君に從わず、義に從いて父に從わざるは、人の大行なり」と言われている。上に訳した荀子の臣道は、子道篇の言葉のとおりである。すなわち国と君主の利益を思って、へつらうことなく全力を尽くすのが忠なる家臣である。それは君主の命に逆らってでも行わなければならず、時には命を賭して君主を諌めなければならない。「君に事(つか)えて遇わざる時は、諫死するも可なり、幽囚するも可なり、飢餓するも可なり」(講孟箚記、乙卯六月十三日より)と言った吉田松陰なども、荀子の臣道には異論がないことであろう。松蔭は孟子を愛読する正統派の儒者であって、荀子に依拠していたわけではないが。

上に訳したような荀子の臣道は、悲壮感を帯びている。孟子はつまらない君主には早々に見切りを付けて立ち去ったが、そのような雇い主が気に入らなければ立ち去る契約社員のような気軽さは、もはや荀子の臣道には見えない。松蔭もまた、孟子の主君を渡り歩くあり方については、模範としてはならないと批判した。こと臣道に関しては、松蔭の思想は孟子よりも荀子に近いようである。

荀子の法治官僚国家の下で働く官僚は、国家に忠を尽くして命懸けで働いてもらわなければならないのである。そこからは、「どうして人間が国家という作り物の怪物に尽くし、同じ人間である君主に命懸けで尽くさなければならないのか?」という疑問が、すでに排除されている。”




岩波文庫版『荀子』(金谷訳)下巻


(上巻の「はしがき」の一部を要約すると、
 ・口語訳のはじめにはおおむね《 》にかこんでその章の大意をかかげた。この大意は原文にはない。
 ・訳文中の( )内はその上の字または句を解釈したことば。
 ・〔 〕内は理解のための補足の語。
 ・くりかえしや重複のほかまわりくどいところも忠実に現代語訳。整理や省略なし。
つまり、
《 》内に大意。
( )内は、( )の直前の意味、言い換え。
〔 〕は補足)

p.29から
巻第十一 天論篇第十七
天論(天についての論)篇第十七

一 天行、常あり。

《吉凶禍福は天によるものではない》
天道は一定不変である。聖天子の堯があらわれたから存在し、暴君の桀があらわれたから無くなる、というものではない。うまく治まるやり方で対応すれば吉であるし、乱れるやり方で対応すれば凶である。

天を怨むべきではない。その人のやり方によってそうなのである。だから、天道と人道との分別をはっきり知っていれば、至人(しじん)すなわち最高の人物といえるのである。


(天罰などの、天の意志を否定するのが『荀子』思想。全文を荀子が書いたとは限らないので、『荀子』思想と書いた。荀子派の思想。荀子の思想だと誤りになる可能性あり。

うなじ
@unajiperopero
荀子、とにかく「天」の捉え方がドライ(ほとんど、ただの自然法則扱い)だし、殷とか夏の王朝に遡って聖人の逸話が作られていく同時代の傾向に逆らって、より近い時代の聖人(制度が現在に近く、事跡がはっきりしている)に倣うべきことを強調するのもドライだし、こいつなら性悪説も納得な人物
午後9:49 · 2019年11月17日


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/942714751888498690 と会話
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
儒教は原罪否定で基本は性善説で、性悪説も後天的教育でなんとかなるって思想なので結局は性善説。
耶蘇は儒教の性善説も嫌い。原罪否定だから。

葬儀は信者にとって譲れない点なのは重要。
骨の髄までカトリック信者のロヨラのお墓は明確にカトリック式でありユダヤ教式ではない。
@kikuchi_8
午後8:14 · 2017年12月18日

菊池
@kikuchi_8
同感です。孟子の良知良能、性善説の考え方は聖書の原罪思想とは真逆の発想ですね。荀子も修養や社会的規範(礼)によって人は善たりうるという発想なので、人間の本性が「悪」として固定化されているとは考えていない事が分かります。
午後11:47 · 2017年12月18日



ファボログよりコピペ:

2016年10月14日(金)
[非公開] 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi
16年10月14日
そう言うと韓非とかはというのでしょうけど、あれもまた儒の一部です
だって、あれは荀子一派の分派が法家なのですから、あれもまた儒の一部なのです
だから、名による原子化する分類法は西欧の田舎ものが複合的にモノを考えられない人達の為でそれに従う道理なんてないのです
タグ:  編集
posted at 05:03:18 削除
2017年02月19日(日)

[非公開] 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi

17年2月19日
なので、日本で一番資料があって・翻訳されていて・読みやすいのは形而上をするのであれば孔子・孟子・荀子・朱子・陽明学をやるのが無難で形而上を絶対殺戮する気なら唯識などの古典仏教と臨済さんとかの古い禅のおっしょさんの文献に当たるのがいいでしょう
それ以外は何一つオススメしません
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仏教系の仏教破壊者4人。臨済流ボクシング。拳法ならぬ仏法。仏法を拳で語る『臨済録』(岩波文庫と中公版)と小川隆の解説書で魔(境)インドフルネスを打破しようhttp://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-412.html



《天の働きは自然である》
 〔例えば草木の生長のように〕仕わざをしなくとも完成し、〔四季の推移のように〕求めなくとも得られる、そもそもこういうのを天職つまり天の仕事というのである。そうした現象に対しては、たとい思索に深い人でも思慮を加えず、能力のすぐれた人でも才能をふるわず、洞察に鋭い人でも察知しようとはしない、そもそもそういうのを天と仕事を争わないというのである。天には天としての四季のめぐりがあり地には地としての生産物がある〔ように〕、人には人としての治めるべきことがある、そもそもそのようなのを天地とならぶ立場になれたというのである(八)。天地とならぶための方法を行わないでいて、ならぶことだけを願望するのは、誤りである。

訳注
p.353
天地とならぶ立場になれた
「能く参なりと謂う。」 「参」とは天地と対等にならんで人としての立場を守ること。
『中庸』=天地の化育(かいく)を賛(たす)くべくんば則ち天地と参なるべし。


多くの星は順を追うてめぐり、日月はかわるがわるに照し、四季は次次に治まり、陰陽の気は大いに変化し、風雨はひろく施していて、万物はそれぞれにそうした調和を得て生じ、それぞれにそうした養いによって育成している。その仕わざの跡ははっきりしないのにその功績の結果はよく分かる、そもそもそういうのを神(しん)(神秘的作用)というのである。
(其の養を得て以て成る。其の事を見(あらわ)さずして其の功を見(あらわ)す、夫れ是を神(しん)と謂う。)
すべてその完成された〔具体的な〕結果は分かるが、その〔原因となった〕無形の所は分からない、そもそもそういうのを天の働きというのである。ただ聖人だけが〔こうした超人間的な〕天を知ることを求めないといえる〔が、凡人どもはむりな知恵をしぼりたがるものである〕。


 天の仕事がとげられ天の働きが完成され、〔つまり自然の生成作用によって〕人間の肉体が備えられ精神もできると、そこに好悪や喜怒や哀楽などが宿される、
(天職既に立ち、天功既に成り、形具わりて神[こころ]生ずれば、好悪喜怒哀楽)
ここでこれらを天情すなわち自然な感情というのである。耳や目や鼻や口や肉体などはそれぞれに外界の物と接触して〔その特殊な働きをとげるが〕互いに通用しあうことはできない、そこでこれらを天官すなわち自然な官能というのである。心は体内の最も中心にあって五官を制御している、そこでこれを天君すなわち自然な支配者というのである。大地の生産物は人類とは異類であるが人類の生命を養ってくれる、そこでこれを天養すなわち自然な長養というのである。人類の生活に順応していく者は福を受けるが逆らう者は災禍をこうむる、そこでこれを天政すなわち自然の政令というのである、その天君である心を曇らせて五官の官能的欲望にふけり、自然の長養をもかえりみず自然の政令にもきかず自然な本来の感情にもそむいて、天の働き〔としてのわが身のすべて〕を失ってしまう、そもそもこういうのが大凶である。聖人はその天君としての心を清明にして五官の働きを正常にととのえ、自然の長養を十分にうけ収め自然の政令に順応し自然な本来の感情を陶冶(とうや)して、天の働き〔としてのわが身〕を完全なものにするのである。このようであってこそ、人間としてなすべきこと(また可能なこと)と、してはならないこと(また不可能なこと)との分別をわきまえたものである。そこで、天地もそれぞれの職分をとげ万物も利用されるのである。

(喜怒哀楽はそのままの順番が日本語で取り入れられたのだろう。
五官は原文ママ)

 《自然についての知識はその現象面に限ること》
 その行為はこまかい点まで立派であり、その養生はどこまでも適切であって、生命を傷害しないようにしてそれ以上のことは求めない。そもそもこういうのを天を知るというのである。

天についての知識範囲はその現象のはっきりしたものだけに限り、
【天に志(し)(知)る所の者は其の見(現)象の期すべき者に已(とど)(止)まり、】
地についての知識範囲は穀類の繁殖に適するかどうかというはっきりしたことだけに限り、四季についての知識範囲は勤労に関係するはっきりした条理だけに限り、陰陽についての知識範囲は政治に役だつはっきりした調和現象だけに限って、その他のことは求めないのがよい。天のことについてはその専門役人がつかさどるべきで、君主自身は〔この範囲内での〕人道を守っていくのである。

 《国家の治乱は自然によらず、人力による》
 国家の治乱は天によるのでしょうか? 答え(曰わく)、日月星辰の循環は、聖王の禹(う)のときも暴君の桀(けつ)のときも同じである。禹のときはそれで治まり桀のときはそれで乱れた。〔してみると〕治乱は天によるのではない。
(治乱は天に非ざるなり。)

p.37から
八 星隊(お)(墜)ち木鳴(な)る。(星が落ちたり樹木が鳴ったりすると、)
国中の人々はみな恐怖して、「これはどうしたことか(何の前兆か)。」という。しかし、それは何でもない。それは天地陰陽(自然現象)の変化として極めてまれに起る事がらである。それを疑問とするのはよいが恐怖するのはまちがっている。あの日蝕や月蝕、季節はずれの暴風雨、怪星がたまさかにあらわれるというようなことどもは、いつの世にもきまってあることだ。
【夫(か)の日月の食(蝕)あり、風雨の時ならず、怪星の党(たまたま)見(あらわ)るるは、是れ世(よ)として常にこれ有らざることなし。】
君主が明敏で政治もうまくいっておれば、そんなことはたといひきつづいて起ったところで別に心配することもない。君主が暗愚で政治も悪ければ、たとい一度も起らなくとも何の役にも立たない。あの星が落ちたり樹木が鳴ったりするのは、天地陰陽の変化として極めてまれに起る事がらであるから、それを疑問とするのはよいが恐怖するのはまちがっている。頻繁に起ることで人間がひきおこす妖怪こそが恐怖すべきものである。
【物の已(はなは)(甚)だ至る者にして人祅(じんよう)(妖)なれば、則ち畏るべきなり。】

人妖(じんよう)――人間のひきおこす妖怪
(「人祅」は、日本的な、あの、河童とかの妖怪とはまったく異なる意味であることに注意)

牛が馬を生んだり馬が牛を生んだりして家畜の類も妖怪を起す
【牛馬も相い生じ六畜も祅(まがごと)を作(な)す】

古伝のことばに「万物の奇怪事は書きとめておくだけで説明を加えない、無用の弁論や不急の明察は棄て去って行わない。」という。
【伝に曰わく、万物の怪は書して説(と)かず、無用の辯・不急の察は棄てて治めずと。】


 雨乞いの祈りをして雨がふるのはどういうわけであろうか?(雩(う)して雨ふるは何ぞや。) 答え。別に意味があるわけではない、雨乞いしないでいて雨がふるのと同じである。日蝕や月蝕になってそれを除こうとつとめ、旱魃になって雨乞いの祈りをし、卜筮(ぼくぜい)してそのうえで大事をきめるというのは、それによって望むことが得られると考えるからではなく、それによって〔荘重な儀礼としての〕装飾を加えるのである。そこで、君子は装飾だと思っているが一般民衆は神通力があると思っている。
【君子は文(かざ)ると以為えるも百姓は神(しん)なりと以為う。】
(「以為」で「おも」とルビがふってある)
装飾だと思っていればよいが、神通力があると考えれば〔社会的に〕害がある。


p.41


人間の運命が天すなわち自然の配剤にあるように、国家の運命は礼にかかわっている。
【人の命(めい)は天に在り、国の命は礼に在り。】


2024年6月22日に追加:

(上巻の「はしがき」の一部を要約すると、
 ・口語訳のはじめにはおおむね《 》にかこんでその章の大意をかかげた。この大意は原文にはない。
 ・訳文中の( )内はその上の字または句を解釈したことば。
 ・〔 〕内は理解のための補足の語。
 ・くりかえしや重複のほかまわりくどいところも忠実に現代語訳。整理や省略なし。
つまり、
《 》内に大意。
( )内は、( )の直前の意味、言い換え。
〔 〕は補足)

下巻
p.119から
荀子 巻第十四
楽(がく)論(音楽論)篇(一)第二十


一 夫(そ)れ楽(がく)なる者は楽(らく)なり。人情の必ず免(まぬが)れざる所なり。故(もと)より人は楽しみなきこと能わず、楽しめば則ち必ず声音に発し動静に形(あらわ)る。而して人の道の声音動静と性術(二)の変とは是(ここ)に尽くるなり。故に人は楽しまざること能わず、楽しめば則ち形(あらわ)るるなきこと能わず、形れて道を為(おさ)めざれば則ち乱なきこと能わず。先王は其の乱を悪(にく)めり。故に雅頌の声を制して以てこれを道(みち)びき、其の声をして楽しむに足りて流〔淫〕せざらしめ、其の文をして辨ずるに足りて諰(や)(三)(息)まざらしめ、其の曲直繁省廉肉節奏をして人の善心を感動するに足らしめ、夫(か)の邪汙(じゃお)の気をして接するを得るに由なからしむ。是れ先王の楽(がく)を立つるの方(術)なり。而るに墨子のこれを非とするは奈何(いかん)。
[ 《音楽の必要不可欠性について》
 そもそも音楽というものは快楽である。人情として必ずなくてはならないものである。人間はもちろん楽しみがなくてはおれないが、楽しければ〔その感情が〕必ず音声にあらわれ動作にあらわれる。こうして人の道としての〔外的な〕音声動作と〔内的な〕本性の動きの変化とはこの音楽において尽されるのである。だから人間だれでも楽しまないではおれないが、楽しければ〔その感情を〕外に出さないわけにはいかず、外に出して道理を守るのでなければきっと社会的混乱をひきおこす。古代の聖王はその混乱を憎んだのである。だから雅頌の調べ(九)を制定してそれを指導し、その調べが十分楽しめてしかも放縦に流れないようにし、その文飾が十分理解できてしかもそれだけには終らないようにし、その音楽の曲直・繁簡・するどさ円さ・節奏(緩急抑揚)が人々の道義心を感動させることができるようにして、あの邪悪な気分のやってくる余地のないようにさせる。これが古代の聖王が音楽を設けたそのより所である。それにもかかわらず墨子がこの音楽を否定するのはどういうわけであろうか(一〇)。]
音楽は侵略手段として有効だから、自衛が必要だとわかる。カタカナ語と英語が混ざる曲が流行る理由だ。娯楽は侵略手段にも使えるから注意が必要だ

p.375
訳注
九 雅頌の調べ――雅と頌とは『詩経』の類別である。雅は正の意味で、これに大小があり、大雅は朝廷での会合に奏する音楽、小雅は饗宴の音楽である。また頌は宗廟の祭りに奏して祖先の徳をほめたたえる音楽である。いずれも最も典型的な正統音楽とされる。

一〇 墨子が音楽を否定する――墨子は墨家の開祖墨翟(ぼくてき)のこと。今日の『墨子』のなかにも非楽篇があり、一般に節倹勤労を重んじたその主張からして、儒家の尊重する礼楽を否認した。

(「而して」は「こうして」と口語訳されている。

而して(しこうして)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%80%8C%E3%81%97%E3%81%A6/
” しこう‐し‐て〔しかう‐〕【×而して】 の解説
[接]《中世には「しこうじて」とも》前文で述べた事柄に並べて、あるいは付け加えて、別の事柄を述べるときに用いる。そうして。それに加えて。
(後略)
” )

p.120から
 夫(そ)れ声楽(せいがく)の人に入るや深く、其の人を化するや速やかなり。故に先王は謹しみてこれが文を為(な)せり。楽(がく)の中平なれば則ち民は和して流れず、楽の粛荘なれば則ち民は斉(ただ)(正)しくして乱れず。
(略)
故に礼楽廃して邪音起る者は危削侮辱の本なり。故に先王は礼楽を貴びて邪音を賤しみ、其の序官に在りても(五)、憲命を脩め詩商(章)(ししょう)を審(つまび)らかにし、淫声を禁じて時を以て順脩し、夷俗邪音をして敢えて雅を乱さざらしむるは、太師の事なり、と曰えり。
[ そもそも音楽は深く人心を感動させ、また速やかに人々を感化するものである。だから古代の聖王はそのための修飾を慎重に作りあげた。音楽が調和的であれば民は和合して放縦(ほうしょう)に流れず、音楽が荘重であれば民は正しくなって乱れない。
(略)
そこで礼と音楽とがすたれて邪悪な音曲のおこるのは、国家が危うく領土が削られて侮辱をうけるようになる始まりである。だから古代の聖王は礼と音楽とを貴んで邪悪な音曲を軽蔑したのであって、その官職記録にも「法令を修めて詩章を検察し、淫らな音楽を禁止して適切な時期に治め整え、蛮夷の奇妙な音楽の侵入によって正統音楽を混乱させないようにするのは、大師の官の仕事である。」といわれている。]
音楽は影響力が強いから、正統音楽を混乱させないようにせよってことね

p.121から
 楽(がく)なる者は聖人の楽しむ所なり、而して以て民心を善くすべく、其の人を感ぜしむるや深く其の風俗を移すや易(やす)し(六)。故に先王はこれを導びくに礼楽を以てして民和睦せり。夫れ民には好悪の情あるに而も喜怒の応なければ則ち乱る。先王は其の乱を悪(にく)みしなり。故に其の行(列)を脩め其の楽を正して、而して天下も焉(こ)れに順(した)がいしなり。故に斉衰(しさい)の服と哭泣の声とは人の心をして悲しましめ、甲(よろい)を帯び䩜(かぶと)(冑)を嬰(か)けて行伍に歌うは人の心をして惕(うご)(蕩)(七)かしめ、姚冶(ようや)の容(かたち)と鄭・衛の音とは人の心をして淫ならしめ、紳端章甫(しょうほ)して韶(しょう)を舞い武(ぶ)を歌うは人の心をして荘ならしむ。故に君子は耳に淫声を聴かず目に女色を視ず口に悪言を出ださず。此の三者は君子はこれを慎むなり。
[音楽というものは聖人の楽しんだものである。しかもそれによって民衆の心を善導することができ、深く人心を感動させやすやすと風俗を変化するものである。だから古代の聖王は礼と音楽とによって民衆を指導し、それによって民衆は和合して親しみあったのである。そもそも民衆には愛憎の感情があるが、それにもかかわらずそれに対応するものとしての喜びや怒りを表現させなければ、社会的混乱がおこる。古代の聖王はそれを憎んだのである。だからそのための序列を整え音楽を正したのであるが、そうすることによって天下の人々もそれに従うこととなった。そこで、斉衰(しさい)の喪服と哭泣(こくきゅう)の声音(一四)とは人々の心を悲しませ、よろいかぶとをつけて行軍の列で歌うことは人々の心を奮激させ、なまめかしい様子と鄭(てい)や衛(えい)の地方の音曲(一五)とは人々の心を淫らにさせ、朝廷の衣服に大帯(だいたい)をしめ古めかしい章甫(しょうほ)の冠(一六)をかぶったうえで韶(しょう)を舞い武を歌うのは人々の心を荘重にさせるもので〔礼楽の影響はこのように強いので〕ある。だから君子は耳には邪淫な調べはきかず目には妖女の美しさを見ず、口では悪事をいわない。この三つのことは君子の謹慎するところである。]

p.375 訳注
七 惕(うご)かしめ━━諸本では「傷」とあるが、兪樾(ゆえつ)は「傷」では意味が通じないから「惕」の字の誤りであろうとし動蕩の意味だという。
(動蕩は日本語ではなく中国語。

動蕩の意味 - 中国語辞書 – Weblio日中中日辞典
https://cjjc.weblio.jp/content/%E5%8B%95%E8%95%A9
” 簡体字 动荡 ピンイン dòngdàng 注音符号ㄉㄨㄥˋ
 1. 波打つ
2.(情勢などが)不安定である”)


p.376 訳注
一四 「斉衰(しさい)」は一年の喪に着る喪服。哭泣は喪礼として声をはりあげて泣くこと。
(哭泣は「こくきゅう」だけでなく「こっきゅう」とも読む)

一五 鄭・衛の音——鄭(今の河南省新鄭地方)と衛(河南省黄河の北の地方)の両国は風俗が邪淫であるとされ、従ってその音曲も邪悪だとされた。『論語』衛霊公篇== 鄭声を放ちて佞人を遠ざけよ。 鄭声は淫にして佞人は危うし。また陽貨篇== 鄭声の雅楽を乱るを悪(にく)む。『礼記』楽記篇==鄭・衛の音は乱世の音なり、桑間濮(ぼく)上の音は亡国の音なり。

(具体的にどんな音楽なのか気になるのだが知りようがないだろうな。

鄭衛の音(ていえいのおん)とは? 意味や使い方
https://kotobank.jp/word/%E9%84%AD%E8%A1%9B%E3%81%AE%E9%9F%B3-332735
”鄭衛の音 (ていえいのおん)

中国で世の乱れを反映したみだらな音楽をいう。《礼記(らいき)》楽記篇に〈鄭衛の音は乱世の音なり……桑間濮(ぼく)上の音は亡国の音なり〉とあるが,鄭衛の音が具体的に何を指すかについては,《詩経》の鄭風,衛風だとする説や,鄭国で盛んであった男女の歌垣の歌をいう等の説があるが,むしろ春秋戦国時代に黄河中下流域の鄭や衛で栄えた都市文化に対し,古い農本的な心情をもつ儒家層が反感をこめて言ったのがこの言葉だと理解されよう。
執筆者:小南 一郎

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 ”

現代の鄭衛の音って「夜遊び」みたいな曲なんだろうな。

https://x.com/EpisodeNeo/status/1669286513073614848
”Deep Forest
@EpisodeNeo
車でよあそびの曲を何曲も続けて聴いていると頭痛くなってくる。ガチャガチャしてて転調だらけでおかしなサブリミナル仕込んでそう。
午後7:11 · 2023年6月15日·1万 件の表示”

「夜遊び」はどうみてもケツ社員なんだよな)

一六 朝廷の衣服に……━━「紳端章甫」 紳は大帯(だいたい)、端は周の朝儀の服、章甫(しょうほ)は殷の儀礼の冠。韶(しょう)は舜の舞楽、武は周の武王の舞楽。


p.122から
故に楽(がく)なる者は楽(らく)なりと曰えり。君子は其の道を得ることを楽しみ小人は其の欲を得ることを楽しむ。道を以て欲を制すれば則ち楽しみて乱れず、欲を以て道を忘るれば則ち惑いて楽しめず。故に楽(がく)なる者は楽しみを道(みち)びく所以なり。金石絲竹は德を道びく所以なり。楽(がく)の行われて民は方(みち)に鄉(むか)(向)う。故に楽なる者は治人の盛んなる者なり。而るに墨子はこれを非とするなり。
[そこで〔さきに〕「音楽というものは快楽である。」といったのである。君子はその道義を身につけることを楽しみ、つまらない小人(しょうじん)は自分の欲望をとげることを楽しむ。道義によって欲望を制御していけば楽しんで乱れはないが、欲望のために道義を忘れるのでは惑乱して楽しめなくなる。だから音楽というものは快楽を導びくためのものであり、金石糸竹の楽器は徳を導びくためのものである。こうして音楽が行われれば民衆は正しい道に向かっていく。従って音楽というものは人々を治めるのに最も有効なものである。それにもかかわらず墨子はこの音楽を否定するのである。]
楽器は徳を導くためにあるつまり、音楽の目的には徳もないといけないってことね。楽しけりゃいいぜってのはダメってことね。惑乱つまり冷静な判断ができないほど心が乱れると音楽が楽しめなくなるって見解が興味深い。そもそも〔快〕楽の意味が君子と小人では違う。君子の楽は、欲望をとげるって意味ではない


p.135から
荀子巻 第十五
解蔽(啓蒙)篇第二十一

(啓蒙って訳していいのかな。非常にenlightenment[啓蒙主義]的な印象になる。蒙を啓く。蒙[くら]い。啓[ひら]く。[心の]蔽[おおい]を解[と]くではダメだったのかな? 節用集という室町中期の国語辞書に載っているらしいので採用したのかもしれない[欧米語の和訳のためにできた言葉ではないという意味]。

啓蒙(ケイモウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%95%93%E8%92%99-489299
”けい‐もう【啓蒙】

〘 名詞 〙 ( 「蒙」は道理をよく知らない意 ) 一般の人々の無知をきりひらき、正しい知識を与えること。〔文明本節用集(室町中)〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について”


一 凡そ人の患(うれい)は一曲に 蔽(おお)われて大理に闇(くら)きことなり。
[一般に人々の欠点は局部〔的な説〕に蔽われて大きな中心的道理をわきまえないことである。(五)]

p.378の訳注
五 一曲は一端一局部の意である。


p.136から
二 故(な)(胡)んぞや蔽を為(な)すものは(六)。欲は蔽を為し〔嫌〕悪(お)は蔽を為す、
[正しい心を蔽うものは何であろうか。欲望が蔽い嫌悪が蔽う。]
(仏教みたいなことを言っている)

p.378 訳注
六 兪樾(ゆえつ)は「故」は「胡」と通用するとして何と同じ意味だとのべた。
(兪樾[1821~1906]は清末の古典学者)

追加ここまで

2024年6月25日に追加:

子どもの頃に刷り込まれた音楽は消えない。

https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1562258931694546944
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
音を管理するのが支配者よ
音韻学や音の旋律に気をかけているのはどの歴史資料みてもわかること
孔子のおっさんが斉の国で韶の音楽を聞いて3ヶ月肉の味を覚えていないほど重要視していたのを知ってくれば
権力者が音楽を支配したがるのは常識でしょうに
言葉と音・その旋律を支配するのが管理だすよ
午前11:02 · 2022年8月24日”

https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1640178545828798470
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
反出生主義というより、今の四十代以下はアンパンマンマーチ聴いて育ったという事実の方が重そう
労働教徒やりながら、魂の救済も同時並行でやんなきゃいけなく
道具と手段は増えたが、便利な槌と鎌が増えただけでそれ自体は魂意味を与えるものでなく、結果モノの増減以外の基準を与えられてないんよ
午前11:26 · 2023年3月27日·674 件の表示”

https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1640439204483153920
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
アンパンマンマーチは実害と言うのは、子供の時に覚えた旋律って忘れないのよ
自由七科で下級の三学を用い切った上で立っているのは音楽だけで、数学・幾何学・天文学の三つは精々論理学で修辞学を少し使う程度でしかない
五経で天の理である易経の次に来るのが人を含めた世界の理である詩経だろ
午前4:42 · 2023年3月28日·1,040 件の表示”

https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1640654769415942145
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
勘違いしてわ
易経の次は書経だった
午後6:59 · 2023年3月28日·417 件の表示”

https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1640844904736620546
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
全体像が教条論で
その最も外郭で表象としたものが世界の理解としてのフィクフとその行い・規範としてのアフカームがあるのよ
五経にすると全てである易があり、聖人達の言行集としての書があり、下々の世界として詩があり、そして行為の規範としての礼がある
で、易と書を体得せずにどう礼を糺すんだ
午前7:34 · 2023年3月29日
·378 件の表示


五経の正しい順番は
易→書→詩→礼→春秋
(宇宙の理→先王の言葉→民の声→礼の規定→魯の歴史)

四書の順番は2種類ある。
①学統順
論語→大学→中庸→孟子。

②学ぶべきもの順
大学→中庸→論語→孟子。
(孟子が最後なのは共通)

上記の出典は

シーア兄貴(来世触手)2023/3/18~4/7と良呟きや記事の保管庫。徐々6部と9部少し。四書五経の順番。神示・仮面ラ亻ダ-。金属の保存方法
Posted on 2023.03.24 Fri 22:40:16
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-516.html
に書いてある。

フィクフはイスラーム法のこと。アフカームはおそらく、イスラーム法の行いや規範。

https://twitter.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1627558564314198016
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
考え方を会得していないと
「イスラム社会ではあらゆる事がイスラム法を土台とする。」
何て戯言を言うようになる、当然違います
クルアーンです・ハディースです・理性です・知性です・直観です・過去の敬虔な人達と学者達が必死こいて出した見解が結びついてやっとイスラーム法・フィクフとなるのよ
午後3:39 · 2023年2月20日
·406 件の表示”

https://twitter.com/HASSANKONAKATA/status/688050746172940288
”中田考
@HASSANKONAKATA
(承前)アラブのイスラーム学の碩学といえども、最初にイスラームに触れるのは、「寺子屋」で意味も分からずクルアーンを素読し暗唱することです。そしてそれが済むと有名なハディース、フィクフ(法学)、カラーム(神学)、スーフィズムなどの古典綱要の素読暗唱に学び進めていきます。(続く
午前2:30 · 2016年1月16日

追加ここまで

2024年6月29日に追加:

https://x.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1726802627755970963
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
田中智学もそうだったんだけど、浪曲や演劇、作曲なんかもやっているんだよね
だから、新興宗教でも古い団体は自分達の曲や演劇などそういうのを作っている
前も話したが音を支配すれば、内心や刷り込みなどを行って認識の支配・陵辱・憎悪などを産み出す「源泉」となるのよ
気楽に音を聞いちゃいけん
午後0:20 · 2023年11月21日
·
1,847
件の表示”

(以下は現時点の題名↓)

随時追加シーア兄貴(来世触手)2024/6/27~
Posted on 2024.06.28 Fri 00:37:30
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-566.html

https://x.com/AXv4075LUC78949/status/1806260905929515355
”触おぢ
@AXv4075LUC78949
音って、階級なのよ
残念ながら底辺が聞く音と上位が聞く音というのは全くの別物
それは音楽という意味だけではなく、会話単位での話も含める
底辺は悲惨だ
しかし、それは常時そうであったし、コレからもそうでしかない
午後6:38 · 2024年6月27日
·
809
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(本記事初登場の、最初のシーア兄貴呟き)
https://x.com/AXv4075LUC78949/status/1806263483421667378
”触おぢ
@AXv4075LUC78949
底辺の音楽は「無意味」どころか「実害」しかなく、ある程度の階級あったものが作った音楽は効果があるの
底辺は底辺以上の発想が出来ないので「今を解決したい『しかない』」ので、連中に水を飲ませるよりは「渇かして塩水を与える方が賢い」のである
今までそうだったし、コレからもそう
午後6:49 · 2024年6月27日
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https://x.com/AXv4075LUC78949/status/1806265055522304176
”触おぢ
@AXv4075LUC78949
底辺は輩でしかないので、何でもかんでも「家族だの、絆だの」言うが、それは「領主と領民の関係でしかない」
そして、どんな歴史書を読んでも「領主と領民の関係では『何も改革も転回することはない』」
故に何かを変えたいならば、底辺や輩の音を忌避せねばならないの、コレが入り口
午後6:55 · 2024年6月27日
·
479
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https://x.com/AXv4075LUC78949/status/1806266282612011237
”触おぢ
@AXv4075LUC78949
権力者やその社会の不満を歌う底辺は「権力者の力を保持・維持する『補完勢力』」でしかない
アンタら畜生は誰かが歌ったことに満足する、それで無意味で再構築されることのない「労働」に隷属するのである
コレがずっと続いている、誠に馬鹿らしい
午後7:00 · 2024年6月27日
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もしかしたら、最近の私が荀子記事[作成中。未公開]に載せているシーア兄貴の音についての呟きをRTしたからかもしれない。
荀子には楽論という音楽論の個所がある。蛮夷の奇妙な音楽の侵入によって正統音楽を混乱させないようにしないといけないって旨の個所があるよ。統治する側が正統音楽を定める必要があるってことだ。
音楽は影響力が強いから、正統音楽を混乱させないようにせよってことね。
音楽は侵略手段として有効だから、自衛が必要だとわかる。カタカナ語と英語が混ざる曲が流行る理由だ。娯楽は侵略手段にも使えるから注意が必要だ。

神出マキナさんもRTしているのだが発端は私のRTだろうな。

神出マキナ⚙機械仕掛けの政治思想さんがリポスト
来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
音を管理するのが支配者よ
音韻学や音の旋律に気をかけているのはどの歴史資料みてもわかること
孔子のおっさんが斉の国で韶の音楽を聞いて3ヶ月肉の味を覚えていないほど重要視していたのを知ってくれば
権力者が音楽を支配したがるのは常識でしょうに
言葉と音・その旋律を支配するのが管理だすよ
午前11:02 · 2022年8月24日



追加ここまで


p163から
巻第十六 正名篇第二十二

正名(一)(ことばを正す)篇二十二


正名篇第二十二の
訳注
p.385
一 正名
『論語』子路篇==名の正しからざれば言順がわず、言順がわざれば事成らず。……

(上記の注の補足:

正名篇第二十二(1) | 新読荀子
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/%e6%ad%a3%e5%90%8d%e7%af%87%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e5%8d%81%e4%ba%8c/seimei01/

正名篇は、まず単語の定義から始まる。まず儒家の主張する「正しい」単語の定義を出して、ここから外れた邪説を攻撃するための下準備である。荀子の「正しい」単語の定義は、(1)国家の制度については歴史的な用法を継承し、(2)諸物の名称は中華世界で慣習的に通用するものを採用し、(3)抽象的概念は後王すなわち現在の為政者が定義するべし、というものである。この篇が「正名篇」と名付けられているのは、漢文大系も指摘するとおり、孔子の「名を正す」という言葉にならったものである。

「名を正す」とは、論語子路篇の以下の問答について言う。
子路曰く、衛の君、子を待ちて政を爲さば、子將(まさ)に奚(いずれ)をか先にせん。子の曰(のたまわ)く、必ずや名を正さんか。子路曰く、是れ有る哉(かな)、子の迂なるや。奚(なん)ぞ其れ正しくせん。子の曰く、野なる哉、由や。君子は其の知らざる所に於て、蓋(けだ)し闕如(けつじょ)す。名正しからざれば、則ち言(こと)順(したが)わず。言順わざれば、則ち事(わざ)成らず。事成らざれば、則ち禮樂(れいがく)興らず。禮樂興らざれば、則ち刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、則ち民手足を措(お)く所無し。故に君子は之に名づくること必ず言う可し、之を言うこと、必ず行う可し。君子其の言に於て、苟(いやしく)もする所無きのみ。

《現代語訳》
孔子の弟子の子路(しろ)が言った、「衛国の君主が先生をお引止めして政治を任せようとしたら、先生はまず何から着手なさいますか?」と。それに対して孔子が言われた、「必ず『名を正す』ところから始めよう」と。子路が言った、「これだから困りますよ、先生はなんとも迂遠だ!いったい、何を正しくすると言われるか?」と。孔子が言われた、「由(ゆう)(*)、お主は野卑であるのう。君子は自分が知らないことについては、沈黙するものであるぞ。名が正しくなければ、言語が不明瞭となる。言語が不明瞭となれば、政治は成功しない。政治が成功しなければ、礼楽が盛んとならない。礼楽が盛んとならなければ、刑罰の公正さが破れる。刑罰の公正さが破れたならば、人民は手足の置き所もなくなるであろう。ゆえに、君子とは事物に名を付けるときには必ず言葉で明確に示し、示された言葉は、必ず実行しなければならない。君子は、言葉を用いるときには、これをゆめゆめ軽率にしないものなのだ」と。
(*)由(ゆう)は、子路の名。姓は仲(ちゅう)、名は由、字(あざな)は子路。『論語』においては地の文では「子路」と呼ばれ、孔子が話しかけるときには「由」と呼ばれる。


これに対する、貝塚茂樹氏の注釈は以下のとおりである。
子路と孔子とのこの会話は、いつ行われたか。ここに出てくる衛君がだれをさしているか問題である。前四九七年、孔子は魯国を逃げて衛国に亡命した。前四九三年に衛の霊公が死ぬと、夫人南子(なんし)が公の遺命によるとして、公子郢(こうしえい)を立てようとしたが承諾しない。ついに南子に反対して亡命していた後の荘公蒯聵(そうこうかいかい)の子で、霊公の孫にあたる出公輒(しゅっこうちょう)を即位させた。蒯聵は大国の晋の後援を得て衛の要地の戚(せき)の城に潜入し、ここを根拠地として内乱を起こした。(中略)この衛の君は衛の出公をさしている。これに対して孔子の立場は、荘公蒯聵は亡父霊公から追放されているが、父子の縁は切れていないし、また太子の地位は失っていないから、出公は父である蒯聵に位を譲らねばならないと考えた。「名を正さん」とはこのことをさしている。子路はそんなことを出公が承知するはずはないかから、孔子の言は理論としては正しいが、現実的でないとして非難したのである。孔子はしかし、自己の「名を正す」という立場が絶対に正しいことを確信して、子路を説得しようとした。「名」つまりことばと、「実」つまり実在とが一致せねばならないという「名実論」は、これ以降中国の知識論の基本となってる。(中略)しかし、孔子が「名実論」をはっきり意識していたかどうかについては若干の疑いがある。孔子のもとの発言が、弟子たちにより、「名実論」「大義名分論」の立場で解釈され、発展させられてこの形となったのであろう。
(貝塚茂樹訳注『論語』中公文庫より)


オーソドックスな解釈は、君主という「名」と君主にふさわしい人間という「実」は一致させなければならない、というものである(朱熹『論語集注』「程子曰く、名実相須(ま)つ。一事を苟(いやしく)もすれば、則ち其の余は皆苟もす」)。孔子は上の問答で、「名を正す」ということが礼楽を支え、法律を支える基盤となるという。すなわち「名を正す」ことは国家の行政が実効力を持つために絶対必要である、と孔子は考えていたことに他ならない。いったい孔子は、「名を正す」ことの政治的意義をどのように考えていたのであろうか?

この正名篇は、孔子の末流にあった儒家である荀子が、孔子の「名を正す」ということの解釈を開陳したものである。それは、国家が言語を定義して、正統のイデオロギーを定義して、それ以外の言語と思想を排斥するべし、といった政策主張であった。儒家が理想とする「正しい言語」「正しい名義」が国家において唯一許されることによって、政策者が発する法令はあいまいな解釈が排斥され、ただ一つの意味として受け止められる。こうして政策者の法令が効果的・効率的に施行されることによって、国家が人民を感覚によって操作する政策である礼楽は盛んとなり、国家が人民を暴力によって操作する政策である法律は公正さを得ることになる。荀子は、「名を正す」ことの政策的効果を、このように考えていたと私は考えたい。



以下の、冒頭の「成名」は原文ママ。正名ではない。「ふつう名詞」と書いてあるのがものすごく違和感)

一 後王の成名。(後王[こうおう]すなわち近代の理想的な王者が定めた名称について。)――刑罰の名称は商(=殷王朝)のに従い、爵(=官爵)の名称は周王朝のに従い、
文(=文飾)の名称は礼の制度に従い、さて万物につけられるふつうの名詞はといえば(散名[さんめい]の万物に加うる者は)中国の一般習俗に従ったうえで遠方の違った風俗の土地にもよく適合するように定め、それをもとにして通用させていくのである。人間に関係のあるふつう名詞について〔ここに述べよう〕。生まれつきがそのようであることの〔内的な〕根拠を性と名づけ、生まれつきが調和的な状態にあるときに内外の精妙な感応によって何の作為もなく自然に起る〔働き〕も性と名づける。性から起る好悪喜怒哀楽は情と名づける。あるがままの情についてそれを心によって選択することは慮と名づける。心で思慮したうえで身体でそれを動作にあらわすのを偽(ぎ)すなわち作為と名づけ、思慮が積まれ身体が習熟したうえで完成されたものを偽と名づける。

(書き下しでも「偽(ぎ)」と「偽」とあるので同じ文字。

正名篇第二十二(1) | 新読荀子
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/%e6%ad%a3%e5%90%8d%e7%af%87%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e5%8d%81%e4%ba%8c/seimei01/
”現代の君主(注1)が定めるべき、諸物の名称について述べる。まず、国家の刑法は殷王朝の法を採用すべし。次に官爵の体系は、周王朝の規定を採用すべし。国家の礼義文飾については、周王朝の礼制を採用すべし。その他の万物に付けられる名称は、中華世界ですでに慣習的に用いられている名称を標準として、さらに遠方の風俗を異にする地方由来の文物の名称についてはこれを中華世界のものとよく照らし合わせて、適切な中華の言語に翻訳して通用させよ。

つづいて、人間の属性に関する名称について述べる。人間が生得的に持っているものは、これを「性」と名付けよ。その人間が生得的に持っているものから何らの人為も加えずに自然発生する、陰陽の調和による身体の形成(注2)・外物と絶妙に対応する五官の形成(注2)・身体が外物の刺激に反応する感覚の形成(注2)、これらもまた「性」と名付けよ。

この人間の「性」から好き・嫌い・うれしい・腹が立つ・哀しい・楽しいといった衝動が沸き起こる。これを、「情」と名付けよ。この「情」が沸き起こった後で、心がこれを取捨選択する。この理性の作用を、「慮」と名付けよ。心が「慮」して、その結果人間の能力が発動して何ごとかを行う。これを、「偽(い)」(注3)と名付けよ。「慮」を積み重ね、人間の能力を用いて習得を行い、その結果成し遂げるもの。これもまた、「偽」と名付けよ(注4)。

利を期待して行うこと、これを「事」と名付けよ。義を期待して行うこと、これを「行」と名付けよ。人間が生得している認知能力、これを「知」と名付けよ。その「知」が外物と一致して知識となること、これを「智」と名付けよ。人間が生得している行為能力、これを「能」と名付けよ。その「能」が外物と一致して有用な作用を行うこと、これも「能」と名付けよ。「性」が傷ついて損なわれた状態、これを「病」と名付けよ。人間の行為の必然的結果ではなくて、その人にたまたま起こったことは天命と言える。よってこれを「命」と名付けよ。以上が、人間の属性に関する名称である。

これらが、現代の君主が定めるべき、諸物の名称である。
(注1)原文「後王」。王制篇(4)注3およびコメント参照。
(注2)それぞれ原文読み下し「和生ずる所にして」「精合(がっ)し」「感應(おう)じ」。ここは前の「性」と名付けられたものが生命そのものを表しているのに対し、生命が作動してなす身体と感覚の形成を表している。これらもまた人間が理性を用いることなく自然に形成されるものであるから、「性」なのである。よって、荀子は「性」という語を人間の動物レベルの活動とみなしていることが分かる。いっぽう孟子は、「性」という語を人間の生得的倫理感覚を指す語として用いている。両者の「性」の解釈がかみ合わないのは、単なる語の定義の違いにすぎないことになる。
(注3)偽(にせもの)ではなくて、人為のこと。「偽」の概念は、性悪篇で展開される。
(注4)前の「偽」は人間の人為的活動そのもの、後の「偽」はそれが成し遂げた成果である。
《原文・読み下し》
後王の成名は、刑名は商(注5)に從い、爵名は周に從い、文名は禮(注6)に從う。散名の萬物に加わる者は、則ち諸夏の成俗に從い、遠方・異俗の鄉に曲期すれば、則ち之に因りて通を爲す。散名の人に在る者は、生の然る所以の者は之を性と謂い、性(せい)(注7)の和生ずる所にして、精合(がっ)し感應(おう)じ、事せずして自然なる、之を性と謂う。性の好惡(こうお)・喜怒・哀樂、之を情と謂う。情然(しか)しくして而(しか)も心之が擇を爲す、之を慮と謂う。心慮(おもんぱか)りて而も能之が動を爲す、之を僞(い)と謂う。慮積み、能習いて、而る後に成る、之を僞と謂う。利を正(あて)にして(注8)爲す、之を事と謂う。義を正(あて)にして(注8)爲す、之を行と謂う。知る所以の人に在る者、之を知と謂う。知りて合する所有る、之を智と謂う。[智](注9)能くする所以の人に在る者、之を能と謂う。能くして合する所有る、之を能と謂う。性傷(そこな)う、之を病(へい)と謂う。節(たまたま)(注10)遇(あ)う、之を命と謂う。是れ散名の人に在る者なり。是れ後王の成名なり。

(注5)「商」は殷王朝のこと。
(注6)楊注は、文は節文威儀を謂い、禮はすなわち周の儀礼なりと言う。
(注7)集解の王先謙は、この「性」は「生」に作るべし、と言う。
(注8)猪飼補注は荻生徂徠を引いて、「正」は期待の意、と言う。
(注9)集解の盧文弨は、「智」字は衍と言う。
(注10)楊注は、「節」は時なりと言う。集解の王先謙は、「節」はなお「適」のごとし、と言う。王先謙に従い、読みがなは金谷治氏に従う。


なるほど、「偽」に2つの意味があると書いているのね)

p.386
訳注
七 性について二度のべているのは、本性そのものと本性の働きとを分別したので、下文の偽についても同様である。


(心で思慮したうえで身体でそれを動作にあらわすのを偽(ぎ)すなわち作為と名づけ、思慮が積まれ身体が習熟したうえで完成されたものを偽と名づける。
の続き)
利益を目当てとして行うことは事と名づけ、正義を目当てとして行うことは行と名づける。
【利に正(あて)(当)て為すはこれを事と謂い、義に正(あて)て為すはこれを行と謂う。】
ものごとを知るための内的な根拠を知と名づけ、知ったことで事実と適合しているものも知と名づける。実践するための内的な根拠を能(のう)と名づけ、実践したことで適切であるものも能と名づける。生存が傷害されるのを病と名づけ、偶然の会合を運命と名づける。以上が人間に関係のあるふつう名詞である。これが後王の定めた名称である。

(この箇所は『荀子』の用語集だな。

会合(かいごう)とは? 意味や使い方
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%9A%E5%90%88-42332
”① 相談、討議などのために人が集まること。その集まり。集合。寄り合い。
※中右記‐嘉保二年(1095)四月五日「今日賀茂行幸点地也。仍諸司等相催、於二陽明門下一可二会合一由、先所二下知一也」 〔曹植‐七・哀詩〕
② 一つに寄り合うこと。一つに合わせること。交わること。また、めぐりあわせ。
※小学読本(1873)〈田中義廉〉四「二線以上の、互ひに会合するとき、相合ふ処に角度をなす」
③ 交合すること。性交。交接。会交。
※古今著聞集(1254)一一「ま男して会合したる所などさまざまにかきて」
④ 二個以上の同種の分子またはイオンが、通常の化学結合によらないで、一つの結合単位となる現象。
⑤ ある惑星が、地球から見て太陽と同方向にある、すなわち、太陽と惑星の黄経が一致する時刻。また、そうなった状態。合(ごう)。→衝(しょう)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について”

本書は私が読めない字がたまに登場する)



 《名辞制定の三原則――名辞の必要性・名辞分別の根拠・名辞制定の準則》
 そこで王者が名辞を制定するには、名辞が定まってその事実もはっきりし、その〔名辞制定の〕やり方もうまく行われて人々の意思が通ずると、〔それによって〕すべての民衆を慎重に統一するのである。だから、ことばを分析し勝手な説を立てて正しい名辞を乱し、民衆を疑惑させて人々をともすれば論争させるような者は大悪だとして、ちょうど割符や度量衡をいつわった罪にもひとしい刑罰に処する。そこでその民衆もすすんでそうした人物にことよせて邪悪なことばをはいて正しい名辞を乱すようなことはしないから、従ってその民衆は実直であり、実直であれば使役しやすく、使役しやすければ功業も完成する〔というわけである〕。またその民衆はしいてそうした人物に身をよせて変奇なことばをはいて正しい名辞を乱すようなことはしないから、従って法律に専心服従し法令に謹慎順応する。そのようであれば王者の治績も永続する。治績が永続して功業(こうぎょう)も完成するというのは政治の窮極理想であるが、それは名辞の約束を謹慎遵守したことの効果である。ところが、今日では聖王はいなくなって名辞を遵守する風もゆるみ、邪悪なことばが作られて名辞とその対象事物との一致は混乱し、善悪の区別もはっきりしなくなって、法律を守る役人や経書を暗誦する儒者でさえもやはりみなでたらめになっている。もし王者が起るという事態があれば、きっとむかしの名辞に従ってまた新しい名辞を作ることになるであろう。してみると、何のために名辞が必要かというその理由と、何を根拠として分別するかというその理由と、名辞を制定する際の中心的な準則と〔の三原則〕は、必ずわきまえておかねばならないものである。
 〔まず第一の名辞の必要性についてのべよう。いまもし名辞が定まっていないと仮定すれば〕異なった形の物に対しては人々がその変った心でそれぞれに〔勝手な名称で〕理解することとなり、〔その結果は〕さまざまな万象についての名辞とその名辞の対象物とが混乱し結ぼれ合って、高貴なものと下賤なものとの区別もはっきりせず、同じものと違ったものとも分別できない。そのようであればきっと精神面では理解できないという害があり、事業面ではまたきっと困窮失敗するという災禍を受けるであろう。だから知者はそのために事物を分別し、名辞を制定してそれによって対象物を指示し、一方では高貴なものと下賤なものとの区別をはっきりさせ、他方では同じものと違ったものとを分別するのである。高貴なものと下賤なものとがはっきりし、同じものと違ったものとが分別されるというのであれば、精神面でも理解できないような害はなく、事業面でも困窮失敗するような災禍はない。以上が何のために名辞が必要かというその理由である。
 それでは何を根拠として分別するのであろうか。それは天官すなわち生まれつきの感覚器官によるのである。およそ同類同状のものに対しては人々の天官の感じ方も同じであるから、従ってそれを他の類似したものと比べ合わせ〔一括した名辞を作っ〕て通用させるのである。それが、とりきめた名辞を共通にして互いに理解しあえることの理由である。形状色彩すじ目などは目で区別し、音声とその清濁や調子や変奇な音楽などは耳で区別し、甘さ苦さ塩からさ淡白さ辛さ酸っぱさや変奇な味などは口で区別し、芳香と香草のかおりや生ま臭さ油臭さや悪臭や変奇な臭などは鼻で区別し、痛さかゆさや冷たさ熱さやなめらかさあらさや軽さ重さなどは体〔の触感〕で区別し、話や事件や喜怒哀楽愛憎欲の七情などは心で区別する。〔しかし、これらの中では心が主宰として天官を統べるものであって〕心には徴知(ちょうち)すなわち明らかな認識ということがある。徴知は耳によって音声を知れば働き、目によって形状を知れば働く。してみると徴知というものは、必ず天官が新しく感得した類別を以前に感得したものとひき合わせるという操作をへてはじめて働くのである。ただ耳、目、鼻、口、体触の五官が感覚表象を止めていってもそれが何であるかを知らず、心がそれを認識していってもそれを説明するのでなければ、人々はだれしも彼のことを知識のない者だということになる。〔そこで天官によって分別し、心によって徴知し、名辞によってその分別を表象する必要がある。〕以上が何を根拠として分別するかというその理由である。
 〔そこで第三の名辞制定の準則の問題に移ろう。以上のようにしてすでに分別されたならば〕そこではじめてそれに従って命名するのである。同じものには同じ名称、違ったものには違った名称をつける。単一のことばで理解できるのであれば単名(単純名詞)を作り、単一では理解できなければ兼名(複合名詞)を作り、単と兼とが同類であるばあいは共名(類名)を作る。共名になってもまぎらわしいことにならないのは〔その共名の中でも〕実際の対象が違うものには名称も異なるべきだということが分かっているからである。だから実際の対象事物が違っていればすべて必ず名称も違えるのであって、それを混乱することのできないのは、ちょうど実際の対象事物が同じばあいにはすべて必ず名称も同じにさせなければならないようなものである。従って万物はさまざまに多くあるけれどもそれを総称しなければならないばあいもあるから、そのために「物」と命名するのである。「物」というのは大共名である。つまり個々の名称を推してそれを合わせて共名にし、共名になればまたそれを合わせて〔さらにひろい〕共名にし、ついにはそれ以上に合わせることができなくなってそこで止まる。〔それが大共名である。〕しかしまた万物を一つ一つ示さなければならないばあいもあるから、そのために「鳥」とか「獣」と命名するのである。「鳥」とか「獣」などというのは大別名である。つまり一つの名称を推してそれを分けて別名とし、別名になればまたそれを分けて〔さらにせまい〕別名にし、ついにそれ以上に分けることができなくなってそこで止まる。〔それが大別名である(二三)。〕
 名称にはもとから定まった意味などはない。(名には固〔定〕の宜(ぎ)(義)なく、)とりきめによって命名されただけであるが、とりきめが安定して習俗になってしまうとそれを意味といい、そのとりきめに違うと意味を外れたことになる。名称にはもとから定まった真実性などはない。(名には固〔定〕の実なく、)とりきめによって命名されただけであるが、とりきめが安定して習俗になってしまうとそれを真実の名称(実名)というのである。〔しかし〕名称にはもともと定まった善さがある。分かりやすくてでたらめでなければ善い名称(善名)というのである。およそ物には形状がひとしくてその存在する場所が違っているというばあいがあり、また形状が違っていて存在する場所が同じというばあいがある(二四)。〔これはまぎらわしいことであるが〕分別すべきことである。形状がひとしくて場所が違っているという〔前者の〕ばあいは、それを一つの名称に合わせることはできるが、実際の対象物は二つである。形状は変ったが実際の対象物は同じで、しかも名称の区別をするのは、化という現象である。化があって実際の区別のないのは、一つの対象である。これが、事物について実際の対象を考えて数量をきめるための根拠である。以上が、名辞を制定する際の中心的な準則である。近代の理想的な王者が定めた名称は十分にわきまえておかねばならない(後王の成名は察せざるべからざるなり)。
(※着色は本記事作成者)

訳注
p.387から
二〇 割符をいつわる
「符節」は一枚の券を二つに割って双方で持ち、後日の証とするもの。それを書き改めていつわるのである。


二三
この節にみられるような言語の概念規定は中国の古典では珍らしいものである。この他では『墨子』経篇経説篇などが論理学の資料として有名であるが、その経説下篇では「物とは遠〔名〕なり」とあり、以下「類名」「私名」の三者を区別している

(この箇所で、経篇と経説篇の間に「・」がないのは原文ママ。
経篇
経説篇 のように改行の区切りだから「・」がないのか単に脱字か不明。脱字だろうけど。
孔子が正名が大事だと言っているのに、正名の方法の確立や用語集[辞書]作成をきちんとやったのは『荀子』だけなのか?)

二四 
「形状がひとしくて場所が違う。」というのは二匹の馬、二人の人のような例であり、「形状が違っていて場所が同じ。」というのは同一樹木の苗と枯木のような例である。


正名篇第二十二(4) | 新読荀子
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/%e6%ad%a3%e5%90%8d%e7%af%87%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e5%8d%81%e4%ba%8c/seimei04/

「侮られることは、恥辱でない」(注1)とか、「聖人は(他人を愛して)己を愛さない」(注2)とか、「窃盗犯を殺すのは人を殺す範疇に入らない」とかいう説は、名称を誤って用いることによって名称を乱す邪説の例である。前に述べた「正しい名称を定めることの必要性」(正名篇(2)の(1)参照)に従って、これらの説を検討せよ。そして、どちらがより人間世界に通用するかをよく観察するがよい。その結果、こういった邪説は無用無益であることが明らかとなる。よって、禁止するべきである。

また「山と淵は同じく平らかである」(注3)とか、「人間の情は寡欲である」(注4)とか、「肉の料理は美味でなく、大鐘(おおがね)の鳴る音楽は楽しくない」(注5)とかいう説は、名称が指す実体を誤って認識することによって名称を乱す邪説の例である。前に述べた「名称によって諸物の同異をはっきり定めることの必要性」(正名篇(2)の(2)参照)に従って、これらの説を検討せよ。そして、どちらがより名称と実体とを対応させているかをよく観察するがよい。その結果、こういった邪説は無用無益であることが明らかとなる。よって、禁止するべきである。

「非而謁」(注6)とか、「飛んでいる矢は常に楹(はしら)の地点にある」(注7)とか、「白馬は馬ではない」(注8)とかいう説は、名称を誤って用いることによって実体への認識を乱す邪説の例である。前に述べた「人間の約束による命名」(正名篇(3)の論述を参照)に従って、これらの説が社会に通用する名称の体系に合致しているかどうかを検討せよ。その結果、こういった邪説は言語の通用的用法から外れていることが明らかとなる。よって、禁止するべきである。

およそ邪説やかたよった主張で正道を離れて手前勝手に言葉を作る者は、すべて上の三つの誤りのどれかに入るのである。ゆえに明君は己のなすことに従って、このような輩と論争したりはしない。そもそも人民は、これを斉一にするには正道をもってするのが最も能率的であるので、為政者は正道についての理屈などをいちいち弁明したりはしないのである。ゆえに明君は人民に対して勢威をもって君臨し、正道をもって導き、国家の命令をもって告げ、倫理をもってなすべきことを明確に示し、刑罰をもってなすべからざることを禁止するまでである。これらの方法をもってするので、人民が正道に教化されていくのはじつに精巧なのである。なんで、人民に説明する必要があるだろうか?(注9)

しかし今や聖王はすでに没して、天下は乱れ、姦言が沸き起こる世となった。こんな時代では、君子といえども勢威をもって人民に君臨することができず、刑罰によって人民になすべからざることを禁止することができない。ゆえに、今の時代は弁説を尽くさなければならないのだ。実体が理解されないときに、はじめてその対象に命名がなされる。その命名があってもまだ理解されないときに、はじめて他の命名された対象と比較して概念を明らかにする。その比較がなされてもまだ理解されないときに、はじめて命名された概念に説明を加える。その説明がなされてもまだ理解されないときに、はじめて異説を斥けて弁説するのである。ゆえに、以上の命名・比較・説明・弁説の四者は、統治のための作用を持つ偉大な言葉の装飾であり、ここから王業が始まるところである。名称を聞けば、実体が想起される。これは、名称の作用である。名称を重ねて、文章をなす。これは、名称を飾る麗飾である。名称の効用と名称の麗飾の二者をともに会得しているならば、この者は名称のことを深く理解している、と言うべきである。名称というものは、多数の実体を比較するための基盤である。その名称を連ねて作られる言辞というものは、実体の異なる名称を連ねることによって、新たに一つの意味を理解させるものである(例:「山」と「高」を重ねると「高山」となり別の実体を示す言辞が作られる)。弁説というものは、名称と実体を変えずして、その内容を理解させる手段である。その弁説のとき、比較・命名が作用をなす。弁説とは、心中の正道を外部に向けて表現するものである。心というものは、正道の主宰者である。正道というものは、統治の筋道である。心は正道に合し、説明は心に合し、言辞は説明に合し、名を正してこれを比較し、実体に基づいて理解させ、異なる実態は弁別して間違えず、同類の概念に当たるべきものはそのグループ化を誤らず、他人の説を聴いてこれに理があれば、心中の言葉と合わせて改良し、言葉を用いて弁説すれば道理を全て表明する。このように言葉を正しく用いることができたならば、正道をもって姦説の過ちを説明することは、あたかも墨縄(すみなわ)をもって曲線・直線を規制するかのようにたやすいことである。このゆえに邪説は世を乱すことはできなくなり、諸子百家どもはもはや逃げ隠れることが許されなくなる。以上のような正しい言葉を用いて正道を取る者であれば、一度に多数の訴えを聴くほどの聡明がありながら、それを自慢する様子もない。万人を覆うような厚い徳がありながら、それを誇る様子もない。正しい弁説が行われたら、天下は正しくなるのである。しかし正しい弁説が行われない時代であれば、断固として正道を明らかにして、世から退くような真似はするな。これゆえに、聖人は正しく弁説することを尊重するのである。『詩経』に、この言葉がある。:

ああ慈なるかな、高きかな
圭璋(けいしょう)のごとく、うるわしき
おおいに聞こえ、たたえらる
やすらかなるご尊顔の、わが君は
四方(よも)の規範であらせらる
(大雅、巻阿より)

まさに聖王は、世の規範なのである。
(注1)宋鈃の説。正論篇(7)参照。
(注2)墨家の説。墨家は、君主は天下国家のために己を顧みず働けと主張する。
(注3)詭弁論者、恵施(けいし)・鄧析(とうせき)の説。
(注4)上と同じく、宋鈃の説。正論篇(8)参照。
(注5)楊注は、墨子の説と言う。墨子は確かに音楽排斥を唱えるが、食事の快楽を明確に否定したというよりは、より一般的にぜいたくを排すべしという節用説として主張した。
(注6)未詳。下の注11参照。
(注7)漢文大系の説を取って、ゼノンのパラドックス「飛んでいる矢は静止している」の意と訳す。下の注12参照。
(注8)名家に属する公孫龍の詭弁。「白馬」は白という色の属性を指す。馬はウマ目ウマ科という形状の属性を指す。両者の言葉が指す属性が違うので、「白馬」と「馬」の二つの語は別概念である、という詭弁。
(注9)原文読み下し「辨埶(説)惡(いずく)んぞ用いんや」。荀子は正論篇(1)で政治を秘密主義にするべきでない、と説いたが、これは法令・政策の内容を原則的に公開するべきであると言ったまでで、君主がどうして現在の政策を正しいと考えて施行するのか、については説明する必要がない、とみなすのである。荀子は聖王の統治の正道は自明の正解があって、そこに議論の余地はないと確信するプラトニストだからである。これは、価値観の多様性を前提として人民の意志によって政策を選択できる、と考える近代デモクラシーの原理とは全く違っている。荀子は公正な政治が必要であることには同意するが、政治にとって正しい価値観は複数ありえるということには全く同意しないからである。
《原文・読み下し》
侮ら見(れ)ても辱とせず、聖人は己を愛せず、盜を殺すは人を殺すに非ざるなり、と。此れ名を用うるに惑いて、以て名を亂す者なり。之を以て名有りと爲す所に驗して、其の孰(いず)れか行わるるを觀れば、則ち能く之を禁ず。山淵は平らに、情欲は寡く、芻豢(すうけん)は甘(うま)さを加えず、大鐘は樂しさを加えず、と。此れ實を用うるに惑いて、以て名を亂る者なり。之を緣りて[無](注10)以て同異する所に驗して、其の孰れか調するやを觀れば、則ち能く之を禁ず。[(解釈困難:)非而謁](注11)、楹(えい)に牛(や)有り(注12)、馬は馬に非ず(注13)とは、此れ名を用うるに惑いて、以て實を亂る者なり。之を名約(めいやく)に驗し、其の受くる所を以て、其の辭する所に悖(もと)れば、則ち能く之を禁ず。凡そ邪說・辟言(へきげん)の正道を離れて擅(ほしいまま)に作る者は、三惑に類せざる者無し。故に明君は其の分を知りて、與(とも)に辨(べん)ぜざるなり。夫(か)の民は一にするに道を以てし易くして、與に故を共にす可からず。故に明君は之に臨むに埶(せい)を以てし、之を道(みち)びくに道を以てし、之に申(の)ぶるに命(注14)を以てし、之を章にするに論(りん)(注15)を以てし、之を禁ずるに刑を以てす。故に其の民の道に化するや神(しん)の如し。辨埶(べんせい)(注16)惡(いずく)んぞ用いんや。今聖王沒して天下亂れ、姦言起る。君子は埶(せい)の以て之に臨む無く、刑の以て之を禁ずる無し。故に辨說(べんせい)するなり。實喩(さと)られずして然る後に命じ、命喩られずして然る後に期し、期喩られずして然る後に說き、說喩られずして然る後に辨ず。故に期命・辨說なる者は、用の大文にして、王業の始なり。名聞えて實喩(さと)るは、名の用なり。累ねて文を成すは、名の麗なり。用・麗俱(とも)に得て、之を名を知ると謂う。名なる者は、累實を期する所以なり。辭なる者は、異實の名を兼ねて、以て一意を論(さと)す(注17)なり。辨說なる者は、實名を異にせずして、以て動靜を喩すの道なり。期命なる者は、辨說の用なり。辨說なる者は、心の道を象(あらわ)すものなり。心なる者は、道の工宰(こうさい)なり。道なる者は、治の經理なり。心は道に合し、說は心に合し、辭は說に合し、名を正して期し、請(じょう)に質(もとづ)いて(注18)喩し、異を辨じて過たず、類を推して悖(もと)らず、聽けば則ち文に合し、辨ずれば則ち故を盡(つく)す。道を正して姦を辨ずること、猶お繩(じょう)を引いて以て曲直を持するがごとし。是の故に邪說も亂すこと能わず、百家も竄(かく)るる(注19)所無し。兼聽の明有りて、奮矜(ふんきょう)の容無く、兼覆(けんふう)の厚有りて、德に伐(ほこ)るの色無し。說行わるれば則ち天下正しく、說行われざれば則ち道を白(あきら)かにして冥窮(めいきゅう)せ(宋本に従い補填:)不(ず)(注20)。是れ聖人の辨說なり。詩に曰く、顒顒(ぎょうぎょう)卬卬(こうこう)、圭の如く璋の如し、令聞令望、豈弟(がいてい)の君子は、四方綱と爲す、とは、此を之れ謂うなり。

(注10)集解の郝懿行は「無」字は衍文と言い、猪飼補注は「無」は「而」に作るべしと言う。
(注11)未詳。なんらかの詭弁の説であると思われるが、解釈できない。誤字脱字があると思われる。漢文大系、新釈の藤井専英氏、金谷治氏のいずれも解釈を放棄している。
(注12)原文「楹有牛」。金谷治氏、藤井専英氏は、これも解釈を放棄しておられる。漢文大系は墨子経説上・荘子天下篇などにより『儀礼』郷射礼篇を参考にして考えると、いにしえは矢を射るに楹(えい。柱)の間を過ぎる、なので矢は行かざるの時がある、すなわち矢は未だ嘗て動かずとしてこの語あるならん、という解釈を示す。よって「楹有牛」は「楹有矢」の誤りか、と言う。これを言い換えれば、射手が射た矢を横から見れば、回廊の楹(はしら)に差し掛かる。その瞬間には、矢は運動していない。運動していないから、楹を通りすぎることができない。つまりギリシャ哲学におけるゼノンの「飛んでいる矢は静止している」のパラドックスと同じ詭弁を指しているのであろう、というのが漢文大系の推測である。古代中国でゼノンのパラドックスと同様の議論があったという証拠を私は浅学にして知らないが、他に適当な解釈が見当たらないので、仮に漢文大系の説を採用しておきたい。
(注13)猪飼補注も指摘するように、これは公孫龍の「白馬は馬に非ず」の説である。三字ずつ三つの詭弁を並べるために、「白」字を省略したのであろう。
(注14)「命」について増注の久保愛は「名」に通ず、と言う。藤井専英氏は正名篇(1)の定義に従って人間に巡り来る者(天命)の意と取る。金谷治氏は命令の意で訳している。藤井説はこの文脈ではやや抽象的すぎるので、金谷説に従いたい。
(注15)増注の久保愛は「論」は「倫」と通ず、と言う。これに従う。
(注16)増注は荻生徂徠を引いて、「埶」は「説(せい)」に作るべし、と言う。
(注17)増注は、「論」は「諭」の誤りで「喩」に同じ、と言う。
(注18)原文「質請」。集解の王念孫は「質」は「本」なり、と言う。増注は「請」と「情」は古音通じる、と言う。情実のこと。
(注19)楊注は、「竄」は「匿」なり、と言う。
(注20)原文「冥窮」。宋本は前に「不」字がある。集解の兪樾は「不」字がない通行本に拠った上で、「窮」は「躬」と読むべし、と言う。「躬(み)を冥(くら)ます」の意に解すれば、(正しい論が天下に行われないときには)天下から身を隠す、という意となるだろう。これは論語泰伯篇「天下道有れば則ち明(あら)われ、道無ければ則ち隠る」、孟子盡心章句上、四十二「天下道有れば道を以て身を殉じ、天下道無ければ身を以て道に殉ず」などで表明される、天下に道なきときは身を潔白にして天下から身を避けるべしという思想を、荀子はここで孔子・孟子にならって述べているのだ、という解釈となるだろう。漢文大系、金谷治氏も兪樾説を取る。しかし新釈の藤井専英氏も指摘するように、上のくだりで「故に辨說(べんせい)するなり」と表明しているように、荀子はこの正名篇で天下に道がないからこそ正論を説かなければならない、と主張している。よって、宋本に依拠すべしという藤井氏の説にあえて賛同したい。
”)


(以下の「秤桿」は「はかりざお」と読むと思われる)

p.182から
七 凡そ人は、其の可とする所に従いて、其の不可とする所を去らざるは莫(な)し。
(すべて人間というものは、自分の善いと思うものを求めて、悪いと思うものを追放するものである。)

故に人動くとして権と倶にせざることなし(五七)。衡(こう)(秤桿)の正しからざれば、則ち〔物〕重きときも仰(うえ)(上)に県(かか)りて人は軽しと以為(おも)い、軽きときも俛(した)(下)に県(かか)りて人は重しと以為(おも)う。
(そこで人の動作には必ず権(けん)(標準)(六六)を立ててそれに従うのである。〔しかし〕衡(こう)〔てんびんはかり〕が正しくなければ、物が重いばあいでも上に上って人は軽いと考え、軽いばあいでも下に下って人は重いと思う)

 《道理を中心としてわが心を平安に保つべし》
 すべて人間というものは、自分の善いと思うものを求めて、悪いと思うものを追放するものである。〔従って〕道理が第一だと知りながら、それに従おうとしないような者は、決していない。

そこで知者はただ道理(=道)を論ずるばかりである。小物(こもの)の奇説が主張するところは〔それによって〕みな衰えてしまう。
 およそ人がものを取得するばあい、得たいと思うものは決してそれだけではやってこない。〔不要なものまでやってくる。〕またものを棄て去るばあい、憎み嫌うものは決してそれだけで無くならない。〔ほしいものまでついてゆく。〕そこで人の動作には必ず権(けん)(標準)(六六)を立ててそれに従うのである。〔しかし〕衡(こう)〔てんびんはかり〕が正しくなければ、物が重いばあいでも上に上って人は軽いと考え、軽いばあいでも下に下って人は重いと思うが、これは重さに関して人の惑う理由である。〔同様に〕権の正しくないときは、害になることが人の得たいと思うものに託してやってきて人はそれを良いことの訪れだと思い、また良いことも人の憎み嫌うものに託して去っていって人はそれを害になることだと思うが、これもやはり禍福に関して人の惑う理由である。〔従って権(標準)は正しくなければならないが〕道理というものは古今をつらぬく正しい権である。この道理を離れて自分で勝手に思慮選択するのでは禍福のまじりあいはよく分からない。

p391
訳注
(動くとして権と倶にせざることなし(五七))
五七 「無動而不与権倶」

六六 権――はかりの分銅のことで、それからものごとの標準の意味に転じた。ここでは下文にも明言するように、上にみえる「道」と同じである。

(正名篇が個人的に最重要だと考えている。一番読んで良かったと思った箇所だ)


p189から
巻第十七 性悪篇第二十三

(性悪篇で「(後天的[な])しわざ」という言葉が頻出する。意味は「人為(後天的な作為)」。具体的には他人から受ける教育や、自分自身で自身を律するなどのことだ。
この「しわざ」には傍点が打ってあるのだが、再現できないので、【しわざ】と書こうと思ったが、別に「しわざ」と書くだけでも意味はわかるので、労力削減のためにそうしない。ただ、傍点が打ってあることを伝えたいので書いた。
『老子』思想の否定だな。荀子も儒教の一派だから当然だけどね。

「礼義」は原文ママ。白文にそう書いてある。「礼儀」ではない)

一 人の性は悪にして其の善なる者は偽(作為)なり。


《人の本性は悪であり、善は後天的作為から生まれる――一篇の総要》
 人間の本性――生まれつきの性質――は悪いものであって、その善さというのは偽(ぎ)すなわち後天的なしわざ(矯正)の結果である。いま考えてみるのに、人間の本性には生まれつき利益を追及する傾向があり、それに従ってゆくから、他人と争い奪いあうことになって譲りあうことがなくなるのである。また生まれつき嫉んだり憎んだりする傾向があり、それに従ってゆくから、他人を害するようになって誠心の徳がなくなるのである。また生まれつき美しいものを見たり聞いたりしたがる耳目の〔感覚的な〕欲望があり、それに従ってゆくから、無節制のでたらめになって礼義(社会規範)や文理(規範の形式的装飾性)がなくなるのである。してみると、人間の生まれつきの性質や感情にまかせると、必ず争い奪いあうことになって社会的条理が破られることになり、ついには世界の混乱におちいるのである。そこで、必ず教師による規範の感化や礼義による指導があってこそ、はじめて他人と譲りあうようになって社会的条理も守られることになり、ついには世界が平和に治まるのである。以上のことによって観察するなら、人間の本性が悪いものだということは明瞭である。その善さというのは後天的なしわざ(矯正)の結果である。


 孟子は「人間が学問〔して向上しようと〕するのはその本性が善いものだからである。」といっているが、〔私はそれに反論して〕それは正しくない、そうした説は、人の本性を十分にはよく理解しておらず、人の生まれつきの性質と後天的に作為(矯正)された性質との区別をわきまえないものだ、といいたい。そもそも本性というものは自然な生まれつきであって、後天的な学習や努力によって獲得するものではないのである。〔それにひきかえ〕礼義というものは聖人がつくり出したものであって、人々が学習して実行でき努力して完成できるものである。後天的な学習や努力にはよらないものとして先天的に人に備わっているもの、それを本性――生まれつきの性質――といい、学習して実行でき努力して完成できるものとして人に備わるもの、それをしわざ――後天的作為によるもの――というのであって、これが生まれつきの性質と後天的に作為(矯正)されたものとの区別である。

孟子は「いま考えてみるのに、人間の本性は〔元来〕善いものであるが、すべてその善い本性を失うために悪くなるのだ。」というが、そのような説は間違っているといいたい。もし人間の本性を生まれつきの自然に放任しておけば、〔孟子が善だと考えている〕その素朴さやもちまえから離れていって、きっとそれを失い亡ぼしてしまうに違いないからである。以上のことによって観察するなら、人間の本性が悪いものだということは明瞭である。
 いわゆる性は善なりという説は、本性が生まれつきの素朴さやもちまえから離れないばあいに注目して、それをよしとするのである。

 二
p196から
 《礼義は聖人の作為である。後天的作為と先天的本性との分別》

聖人は思慮を重ね多くのしわざをくりかえしたうえで、 礼義をつくりあげ法規を起すのであるから、してみると礼義や法規というものは聖人のしわざにもとづいてできるのであって、もともと人の本性にもとづいてできるというものではないのである。

そこで聖人は人間生まれつきの本性を変化させてしわざを起し、しわざが起されると礼義をつくりあげ、礼義がつくられると法規を制定するのである。してみると、礼義や法規というものは聖人のつくりあげたものである。だから、聖人でも凡人と同様で格別すぐれてはいないという点は、生まれつきの本性である。そして凡人とは違ってすぐれているという点は、後天的なしわざなのである。

(人間が高貴か下賤かは後天的に決まるという思想だ。仏教と同じ。本性が同じという意味で平等)


p213から
十 
《賢師良友の重要性――環境の支配力の大きいこと》

自分自身が知らず知らずのうちに日ごとに仁義の徳に進んでゆくのは、環境の影響(四八)がそうさせるからである。
(靡(び)の然らしむればなり。)

古伝にも「その人物の人がらが分からなければその友人を見れば分かろう。その君主の人がらが分からなければその側近者を見れば分かろう。」とある。環境の影響の大切なことに他ならない。環境の影響の大切なことに他ならない。(靡のみ、靡のみ。)


p397
訳注
四八 環境の影響――「靡(び)」という字は本来なびき従う意味であるが、それからして後天的な環境が及ぼす感化薫染の影響力を意味する術語となっている。


薫染(クンセン)とは? 意味や使い方 - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E8%96%AB%E6%9F%93-487795

くん‐せん【薫染】
[名](スル)《香気が他に染み込むところから》よい感化を受けること。また、与えること。「良き先輩の薫染をこうむる」
「五年を独逸に―せし学者風を喜び」〈紅葉・金色夜叉〉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例



(荀子派が性悪篇で言いたいことは以下のとおりだ。

https://twitter.com/Historian_nomad/status/1562993109231104000 と会話
”遊牧民@候選
@Historian_nomad
荀子に謝ってもろて…(あの人の性悪説は「人の本性は悪『だから』学んで善に向かわねばならない」であってそういうこっちゃない
午前11:39 · 2022年8月26日

Твиттерить‐Нет!
@BlueSiberia
だって孔子からして「上智と下愚は移らず」で、よっぽどダメな人間でもない限り教育すればまともになると思ってますし。
孔子孟子も荀子も、儒家は教育大好きですよね。
午後6:42 · 2022年8月26日

遊牧民@候選
@Historian_nomad
ある意味人間への厚い信頼に満ち溢れているひとびと
午後6:48 · 2022年8月26日


https://twitter.com/Historian_nomad/status/1562994868095709186 と会話
”遊牧民@候選
@Historian_nomad
荀子の性悪説、別に人間の本性が悪だから誰も信用するなとかそんな話はしてないんだよなっていうあれ(同時に孟子の性善説も人間の本性は善『だけど』ちゃんとこれを保持成長させないと駄目だよって話をしている
午前11:46 · 2022年8月26日

矢崎右兵衛権佐竜座@6/3みらスタvs長崎
@yazakiryuza
人間の本質は悪であるからこそ法治や礼節でそれを正す必要があるというのが真意でしたか?
午後0:50 · 2022年8月26日

遊牧民@候選
@Historian_nomad
荀子のいわんとするところの大意はそのように一般的に理解されますね
午後0:51 · 2022年8月26日

〔「荀子の性悪説、別に人間の本性が悪だから誰も信用するなとかそんな話はしてないんだよなっていうあれ(同時に孟子の性善説も人間の本性は善『だけど』ちゃんとこれを保持成長させないと駄目だよって話をしている 」に対して:〕
小太刀右京/Ukyou Kodachi
@u_kodachi
·
2022年8月26日
みんなもっと韓非子を読むべき


遊牧民@候選
@Historian_nomad
·
2022年8月26日
今度講談社が出すやつ、注釈は省いてそうなので薦めていいのか大変に悩みますね

小太刀右京/Ukyou Kodachi
@u_kodachi
·
2022年8月26日
なるほどー。僕は小学校二年生の誕生日プレゼントに子供向けの韓非子をもらったのが初読です。高校に上がってからまともに読みましたが、どこの出版社のやつだったか

小太刀右京/Ukyou Kodachi
@u_kodachi
·
2022年8月26日
ファミコンで三国志に熱中してるからって孫子と韓非子をくれるなよ、と今では思います


小太刀右京/Ukyou Kodachi
@u_kodachi
·
2022年8月26日
あと墨子もくれました。おかげで爆誕するやたら例え話の多い子供


https://twitter.com/Historian_nomad/status/1392723452935643143 と会話
”遊牧民@候選
@Historian_nomad
性悪説性善説って「人間の本性は悪か善か」の話だけにされがちですけど、あれそのあとに「悪だから善になるようまなばにゃならん」or「善なのに悪に染まってるからなおさにゃならん」って説なので、勝手に悲嘆したり楽観したりしてねえで性根叩き直せって話なんですよね(なに
午後3:08 · 2021年5月13日

メグミ・ツカサ🍋
@6k2zbQ1jPgybgW2
2021年5月13日
あくまであれは、「教育によって取り戻す」か「教育によって身に付ける」か程度の話です。
何故か日本では、「他人を信じろ」と「他人を信じるな」みたいな議論にすり替えられてますけど。

メグミ・ツカサ🍋
@6k2zbQ1jPgybgW2
·
2021年5月13日
もし孟子が他人を無条件に信じる人間なら、わざわざ遊説先で周りに武装したやべぇ連中でごえいさせたりしません(コラッ)



下巻 大略篇第二十七
p.276から
(メモ者注: 盟の意味は「ちかう。ちかい」。盟[ちか]う)
五十五 行に足らざる者は説の過ぎ、信に足らざる者は誠言す。故に春秋には胥(あ)い命ずるを善しとし、詩には屢〻盟うを非とするは、其の心一なり。善く詩を為(おさ)むる者は説かず、善く易を為むる者は占わず、善く礼を為むる者は相せざるは、其の心同じきなり。
 実践が十分でない者はことばで事実を飾るものであるし、実意が十分でない者はことばだけを誠実にするものである。だから春秋で「胥(あ)い命ずる、」すなわち血をすする盟をしないでただ口約束をしたのを善いとしている(五三)のと、詩経で「しばしば盟誓する、」のを悪いこととしている(五四)のとは、〔形式の取るに足りないことをいったもので〕その意味は同じである。またよく詩経を学習した者がそれを説明しないのと、よく易を学習した者がうらなわないのと、よく礼を学習した者が儀礼に人を助ける相人(しょうじん)とはならないのとは、〔ものごとの極致では形式を越えるわけで〕その意味は同じである。
〔相人(しょうじん)とは、「儀式の介助役」(出典後述)のことらしい)〕
p.412
五三
桓公三年公羊伝==斉侯と衛侯と蒲に胥命す。胥命とは何ぞ、相い命ずるなり。何ぞ相い命ずると言う、正に近ければなり。・・・古えは盟せず、結言して退く。血をすする盟誓をしなかったのを古意に近いとしてほめた。


五四
小雅・巧言篇==君子屢〻盟う、乱ここを用(もっ)て長ず。


相人(しょうじん)って何だよって思って調べた。

大略篇第二十七(14)
By 河南殷人 | 2016年1月20日
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/%e5%a4%a7%e7%95%a5%e7%af%87%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e5%8d%81%e4%b8%83/tairyaku14/
”六十七
行動が不十分であるのは、言葉ばかりが多すぎるからである。心中の忠信さが不十分であるのは、言葉ばかりが誠実だからである。ゆえに『春秋経』で「互いに口で約言だけしてわざわざ盟の儀式を行わない」ということをよしとして、『詩経』で「何度も誓約する」ことを非難していることは、その趣旨は同一なのである。詩をよく修める者はむやみに詩について解説したりせず、易(えき)をよく修める者はむやみに占ったりせず、礼をよく修める者はむやみに儀式の介助役を引き受けたりしないが、これらの趣旨もまたすべて同一なのである。
※言及されている『春秋経』と『詩経』の典拠については、下の注1および注2を参照。
(中略。
《読み下し》

行に足らざる者は、說過ぐればなり。信に足らざる者は、言を誠にすればなり。故に春秋に胥(あい)命ずるを善しとして(注1)、詩に屢(しばしば)盟(ちか)うを非とするは(注2)、其の心一なり。善く詩を爲(おさ)むる者は說かず、善く易(えき)を爲むる者は占せず、善く禮を爲むる者は相(しょう)せざるは(注3)、其の心は同じなり。
(中略)
(注1)楊注はここで『春秋』魯桓公三年「斉侯と衛侯、蒲に胥(あい)命ず」の記事とその公羊伝を引いて、「古(いにしえ)は盟(めい)せず、言を結びて退く」と注する。言うは、いにしえの時代に諸侯が約束を行うときには、合って言葉で誓約するだけで終わって退いたのであって、後世のような盟(めい)の儀式すなわち血をすすり合って盟約する儀式を行わなかった、ということである。
(注2)楊注はここで『詩経』小雅巧言(こうげん)の句「君子屡(しばしば)盟(ちか)う、乱是(ここ)を用(もっ)て長ず」を引く。句の意味は、「君主が(本気で誓約を守る気がないために)何度も誓約するので、乱がますます増長するのだ」というものである。


上記を引用した後に、「〔相人(しょうじん)とは、「儀式の介助役」(出典後述)のことらしい)〕」を加筆した。



「善く易を為むる者は占わず」(荀子)の文脈を確かめる
https://svnthv.blog.jp/archives/10117742.html
”五十五。行に足らざる者は説の過ぎ、信に足らざる者は誠言す。故に春秋には胥い命ずるを善しとし、詩には屡々盟うを非とするは、其の心一なり。善く詩を為むる者は説かず、善く易を為むる者は占わず、善く礼を為むる者は相せざるは、其の心同じきなり。

(「荀子」大略篇第二十七・金谷治)

 岩波の訳を参考にしながら意訳すると、行動に及ばないところがある者は釈明に多弁を弄し、信頼するに足りない者ほど誠実そうなことを言う。ゆえに春秋では、正式の盟約の手続きを踏まず言葉をかわすだけの約束をむしろ良しとし、詩(経)ではくりかえして誓うのを良くないとする。(要するにこころからの盟約であれば手続きを踏まずとも守られるし、こころからの誓約ならなんども誓わずとも行われる。形式を踏ませたり繰り返したりするのはこころ、本質が欠けているからである)。よく詩を詠むものは説明せず、よく易をするものは占わず、よく礼を踏むものは介添えをやらないが(相せざる、は小うるさい眼で見ないということかも)、そのこころは同じである。と、いうことになるだろうか。とりあえず僕にはそのように読めた。

 そこで「易を為むる」とはなにを意味するのかだが、この時代には義理易はなかったと思う。易をよくする者はみだりに占わない、という程度の意味ではないか。ただ荀子は実質占いに否定的な立場で、そこから義理をよく弁えた者は占うまでもなく先が読める、という風に解釈されるようになったのかもしれない。


「哲学(義理易)にしても占い(象数易)」(後述)らしい。

https://twitter.com/kikuchi_8/status/1048261488274681856
”菊池
@kikuchi_8
中庸に曰く「喜怒哀楽之未発、謂之中。発而皆中節、謂之和。喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中る(あたる)、これを和と謂う。」喜怒哀楽の未だ生じていない状態が「中」で、喜怒哀楽が生じても過度にならずに適正に調整されている状態を「和」と謂う、と。これも参考になる。
午前2:19 · 2018年10月6日”
(上記の続き)
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1048263469131157504
”同じく儒学の古典の「易経」も「中」を重んじる。易経は「占いの書」と見られがちだが、荀子が「善く易を為むる者は占わず」と述べたように、適正な判断力を養う為の経験科学的な義理の書としても読める。易経では陽爻は陽位に、陰爻は陰位にある即ち中正である事をよしとする。これも中の考えだろう。
午前2:27 · 2018年10月6日


うなじ
@unajiperopero
男の子向けの占いの本、朝日選書の本田済『易』がおすすめですよ! 易経の全訳が載っていて、義理易系の解釈と違って実際の占筮にも耐えられる簡潔明瞭な訳文が素晴らしくてですね(質の悪いオタクによる回答)
午後11:17 · 2019年8月12日

春燕軒
@syunnennkenn
哲学(義理易)にしても占い(象数易)にしても、易に通じた人など、今時、そんじょそこらにはいない。
そこで多くの人が独学を志し、まず岩波文庫『易経(上・下)』を手に取るのだが、多くの場合は挫折する。
これは岩波の罪ではなく、学び方の問題。
易の学びでは、いきなり経典に入ってはダメ。→
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午前10:23 · 2023年7月21日
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易の独学を志す人は、まずは講談社学術文庫の『易の話』(金谷治)を通読し、「そもそも易とは何か?」「易はどのように構成されているのか」などのアウトラインを把握すると良い。
本書は初心者にも分かりやすい丁寧な筆致で活字も大きいので、独学で易を学ぶための最初の、そして最適の一冊である→
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午前10:31 · 2023年7月21日
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易のおおよそを理解したら、いよいよ本格的な学びである。
義理易(哲学)を志すなら、朝日選書『易』(本田濟)を繰り返し読み、経典の意味を学ぶ。
象数易を習得したいなら、『新訂 現代易入門』(井田成明)が良い。入門書ながら、真勢流の生卦法や白蛾の卦象まで実に分かりやすく解説している。→
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午前10:43 · 2023年7月21日
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次の段階では、義理易なら公田連太郎先生の『易経講話』全5巻に挑む、象数易なら加藤大岳先生の『易学大講座』全8巻や横井伯典先生の『周易講義』全2巻あたりに進むと良いだろう。
ここまでくれば、その後、さらに学ぶべき典籍は、自ずと明らかになるはずだ→
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午前11:05 · 2023年7月21日
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なお始めに、
「初心者は、いきなり岩波文庫の『易経(上・下)』に手を出してはダメ」
と書いたが、中級以上の易学の徒には、岩波文庫の易経は手軽に購入でき、持ち歩きに便利なのでたいへんに重宝する。
私は上下2巻を合本して革のブックカバーを付けて、常に携帯し読むようにしている。(了)
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午前11:14 · 2023年7月21日
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うなじ
@unajiperopero
金谷治『易の話』
その特殊な性質上、四書五経の中で最も取っつきづらい(というか、どう読んでいいかわからない)と思われる易経について、実際に読んでみる前にこの本をワンクッション挟むと、スムーズに読んでいける。中国哲学の専門家による解説なので、やや義理易に寄ってるが、象数易もカバー。
午後1:22 · 2020年7月26日

うなじ
@unajiperopero
高田眞治『詩経』
国風だけの訳とかも結構あるけど、これは全訳。白文、書き下し、和訳、語釈、解説と一通り揃っていて、古注新注各種触れられており、便利。解釈は詩序を尊重することが多い。「漢詩大系」版と「漢詩選」版があって、「漢詩大系」版には和訳が付いてないので注意
午後1:40 · 2020年7月26日

揃いで手に入らなかったから、上巻は漢詩選、下巻は漢詩大系で持ってるんだけど、下巻に入ってから、「あれ、和訳ねえ」ってなった
午後1:42 · 2020年7月26日

うなじ
@unajiperopero
ウ・ジョーティカ『自由への旅』
著者は現代のミャンマーの僧侶。上座仏教の瞑想とか、マインドフルネスとかをすることで、何がどうなるの?っていうのを、これでもかという程詳細に書いてる。実は、役者が出版前にPDFで無料公開してるのでタダでも読めるんだが、まあお布施と思って買いましょう。
午後1:47 · 2020年7月26日



2024年6月29日に追加:
大略篇の「善く易を為むる者は占わず」は既に記したのだが、この大略篇の他の箇所は読了していなかった。
既に書いた大略篇の備忘録に加筆するとどの箇所が追加箇所かわかりにくくなるだろうから、ここに改めて記す。そうしないと、[新規]【既述】[新規]みたいな順番になる。そうならないように、【既述】[新規]という旧→新の並びになるようにした。

p.247から
荀子 巻第十九
大略(一)篇第二十七

訳注
p.407
一 大略篇━━楊注に、此の篇は弟子たちが荀子の語を雑録したもので、みなその要点だけを略挙しており、一事で篇名とすることができないので、それを総べて大略といったのである、という。篇首の「大略」二字は全篇をおおうもので、概略大要の意味である。内容は雑駁で他篇との重出文もある他、特に『礼記』『大戴礼』と重なるものが少なくない。

楊って誰だろうなと思ったらおそらく、楊時(ようじ)っていう北宋の儒学者。1053~1135年の人。師匠は程顥(こう)・程頤(い)であり、その正統を継ぐ。朱熹の学の祖とされる。


p.247
一 大略。人に君たる者は、礼を隆(とうと)び賢を尊べば而(すなわ)ち王たり、法を重んじ民を愛すれば而ち霸たり、利を好み詐多ければ而ち危うし。
 君主として人の上に立つ者は、礼の規範を尊重して賢人を尊ぶなら王者となれるし、法制を重んじて民衆を愛するなら霸者となれるが、利益を好んで民衆をあざむくことが多いと危険である。

[再掲:

p.276から
(メモ者注: 盟の意味は「ちかう。ちかい」。盟[ちか]う)
五十五 行に足らざる者は説の過ぎ、信に足らざる者は誠言す。故に春秋には胥(あ)い命ずるを善しとし、詩には屢〻盟うを非とするは、其の心一なり。善く詩を為(おさ)むる者は説かず、善く易を為むる者は占わず、善く礼を為むる者は相せざるは、其の心同じきなり。
 実践が十分でない者はことばで事実を飾るものであるし、実意が十分でない者はことばだけを誠実にするものである。だから春秋で「胥(あ)い命ずる、」すなわち血をすする盟をしないでただ口約束をしたのを善いとしている(五三)のと、詩経で「しばしば盟誓する、」のを悪いこととしている(五四)のとは、〔形式の取るに足りないことをいったもので〕その意味は同じである。またよく詩経を学習した者がそれを説明しないのと、よく易を学習した者がうらなわないのと、よく礼を学習した者が儀礼に人を助ける相人(しょうじん)とはならないのとは、〔ものごとの極致では形式を越えるわけで〕その意味は同じである。
〔相人(しょうじん)とは、「儀式の介助役」(出典後述)のことらしい)〕
p.412
五三
桓公三年公羊伝==斉侯と衛侯と蒲に胥命す。胥命とは何ぞ、相い命ずるなり。何ぞ相い命ずると言う、正に近ければなり。・・・古えは盟せず、結言して退く。血をすする盟誓をしなかったのを古意に近いとしてほめた。


五四
小雅・巧言篇==君子屢〻盟う、乱ここを用(もっ)て長ず。

再掲終わり]

上記以降に、本記事に記そうと思った箇所はないので、[新規]【既述】[新規]にはならなかった。

追加終わり】

2024年6月30日に追加:

『荀子』下巻
p.295から
荀子 巻第二十
宥坐(ゆうざ)(一)篇第二十八


p.414から
訳注
一 宥坐――楊注にいう、「宥」は右と同じで坐右において戒しめとする意味、あるいは侑と同意にみて勧戒の意味であると。なおまた、この篇より以下は荀卿とその弟子が諸種の伝承雑事を引用したものであるからまとめて巻末にあつめたのだともいう。この篇名はただ篇首第一節から二字をとったにすぎない。


p.298から
三 孔子、魯の司寇たりしとき、父子の訟(うった)うる者あり。

《民を教育しないで、刑罰を行うのはよくない》
 孔子が魯の国の司寇(しこう)(司法大臣)になったとき、父と子との間で争って訴え出た者があった。孔子は彼らを拘留して三か月の間その罪を決しなかった。するとその父親が裁判をやめてくれと願い出たので、孔子はそれを聴きいれて放免した。〔魯の国の家老である〕季孫氏はそれを聞いて不愉快に思い、人に告げた。「あの人はわたくしにうそをついた。以前、わたくしに対して、国家の政治には必ず孝行を第一にせよといったのだから、今度の問題では当然子供の方を殺して不孝の罪を罰すべきであるのに、〔ぐずぐずしていたばかりか〕また許してしまった。」冉子(ぜんし)(一二)がそれを孔子に知らせた。

p.416
訳注
一二 冉子――孔子の弟子の冉有のこと。名は求、字は子有。季孫氏の家宰として仕えていた。


(「冉子(ぜんし)(一二)がそれを孔子に知らせた。」の直後:)
 孔子は深く憂えなげいて口をひらいた。「ああ、為政者が政道を誤りながら民衆を死刑にするということは、どうして許されよう。民衆を教育することもしないでいてその罪を決するのは、無罪者を殺すことである。大軍が大敗してもその兵士を罰として斬り殺すべきではなく、刑事事件がうまく治まらなくとも(一三)民衆を刑罰に処すべきでないというのは、民衆には罪のないことだからだ。
[獄犴(ごくかん)治まらざるも刑すべからざるは、罪の民に在らざるの故なり。
(p.416訳注:一三 刑事事件が……――「獄犴(ごくかん)治まらず。」犴も獄の意味である。刑事事件というのは必ずしも適訳でないが、楊注に「法令の当らざるをいう。」とあるのがその最も大きい根本的な意味であり、最も狭義には刑の執行事務の停滞などをいうのであろう。 )]
さて、禁令をなおざりにしておきながら誅罰をきびしくするのは賊害することであり、農業生産には季節があるのに租税のとりたてに季節をかまわないのは乱暴であり、教育指導もしないでいて功績のあがるように追及するのはむごいことである。〔だから〕この三つのことをやめてこそ、はじめて刑罰を行って宜しいのである。書経(康誥篇)には『道義によって刑に処し、道義によって死刑にし、刑の適用には私心を用いてはいけない。これまでにまだ正しい指導をしなかった、とばかりいえ。』とあるが、それはまず教えなければならないということをいったのである。
[書に、義もて刑し義もて殺し、〔刑を〕庸(もち)(用)うるに予(わ)〔が私心〕に即(つ)くこと勿れ。維(た)だ未だ順(おし)(訓)うる事あらずとのみ曰え。と曰えるは教を先きにすべきを言うなり。
(「とのみ曰え。と曰えるは」は原文ママ)]
だから古代の聖王は正しい道理をはっきり示したうえで自らまずそれを実践し、それでうまくいかないときには賢人を尊重してすこぶる優遇し、それでうまくいかないときには無能者をやめさせて一人もいないようにし、こうして三年のあいだ十分につとめて一般民衆も感化された。そこでなお服従しない邪悪な民がいて、そのうえではじめて彼らに刑罰を適用するのであるから、民衆も罪悪をよくわきまえるわけである。詩経(小雅・節南山篇)に「尹(いん)氏は大師(一四)のお役め、周の柱石。国政の中心にいて四方を治め、天子を助けて民を迷わせない。」とあり、〔古伝に〕「威厳はきびしくともそれをふりまわさず、刑罰は設けてもそれを用いない。」というのはこういうことである。
 今の世の中はそうではない。民衆教育をでたらめにして刑罰をこまかく定め、民衆が迷って罪にふれると追っかけて処刑する。そこで刑罰はますますこまかくなりながら邪悪をおさえることはできない。わずか三尺の崖(がけ)でも空軍(からぐるま)でさえ登ることはできないのに、百仭(じん)(八百尺)もある山でも荷物をつけた車で登ることができる、その理由は傾斜がゆるやかだからである。またわずか数仭の高さの垣でもおとなもふみ越せないのに、百仭もある山でも子供でさえ登つて遊ぶ、それも傾斜がゆるやかだからである。そもそも現在の世の中もゆるんでいること久しい。
[三尺の岸にして虚車も登ること能わざるに、百仭(じん)の山にして任負車も登る。何となれば則ち陵遅(ゆるやか)なる故なり。数仭の牆にして民踰(こ)えざるに、百仞の山にして豎子(じゅし)も馮(のぼ)りて游ぶ。陵遅(ゆるやか)なるが故なり。今夫(そ)れ、世の陵遅(ゆるやか)なるも亦た久し。而るに能く民をして踰ゆることなからしめんや。]
〔備忘録者注:
牆:かき、かきね。へい。
「空軍(からぐるま)」は原文ママ。「虚車」なので「車」でないとおかしいのに「軍」になっている。誤りだろう。
「登つて」も原文ママ。なぜか大きな「つ」である。「追っかけて処刑」の小さい「つ」と比べると明らかに大きい。誤りだろう。〕
詩経(小雅・大東篇)にも「周の道は砥石(といし)のように平らか、そのまっすぐなことは矢のよう。君子のふむ所、小人(しょうじん)のみる所。つくづくとふりかえって〔その正しい道を歩む者のいないことに〕さんさんと涙が流れる。」とある。何と悲しいことではないか。
[
当時の単位がどのくらいかわからないからたとえがよくわからない。
まず時代を特定しないといけない。
荀子つまり荀況(じゅんきょう)は紀元前三世紀の人。
下巻の解題より、生まれた年は、ほぼ西紀前330年をさかのぼることはないらしい。孟子よりは六七十年若い。荀子は紀元前4世紀生まれ。斉にはじめて遊説したのはほぼ280年より後らしいから活動時期は紀元前3世紀だな。秦の始皇帝の中国統一は紀元前221年。古代中国の戦国時代とは、秦が統一するまでの分裂時代(紀元前403年~紀元前221年)。荀子の活動時期は戦国時代の終末期だ。

中国の度量衡
https://www.allchinainfo.com/outline/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%BA%A6%E9%87%8F%E8%A1%A1/
”戦国時代 1丈=10尺、1尺=10寸、1寸=10分 1尺=23.1cm


三尺はだいたい70㎝だな。
本書では、百仞(じん)=八百尺なので、一仞=八尺。
八尺は184.8cmだからだいたい一仞=185㎝=1.85m。
その100倍が八百尺=百仞(じん)=185m。
以下だと「わずか段差三尺(67.5㎝)の崖であっても、空の車は乗り越えることができない。しかし、高さ百仞(157m)の山であっても、荷物を載せた車は登ることができる。それは、坂の勾配がゆるやかだからだ。高さ数仞(10m程度)の垣根であっても、人は乗り越えることができない。」とある。あ、「仞」と書いたけど、本書だと異体字「仭」だ。

宥坐篇第二十八(2) | 新読荀子
By 河南殷人 | 2016年2月5日
http://sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/%E5%AE%A5%E5%9D%90%E7%AF%87%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB/yuza02/
”孔子が、魯国の司寇となったときのことである。
ある父とその子が、互いに争って訴えてきた。孔子は両名を拘置して、三ヶ月間裁判を行わなかった。その後父のほうから訴えを取り下げることを願い出てきたので、孔子は両名を放免した。
季孫(きそん)(注1)がこのことを聞いて、不快に思って言った、「あの老先生(孔子のこと)は、私に嘘をつきましたな!かつて老先生は、私に言われたものだ、『国家を治めるときには、必ず孝道をもって行わなければならない』と。ならばこういう事例においては、子を死罪に処して父を訴える不孝に対して厳罰を下さなければならないでしょうが。なのに、老先生は父子ともに放免するとは!」と。
冉子(ぜんし)(注2)が、この言葉を孔子に告げた。孔子は深く嘆いて、こう言われた。すなわち、「ああ!上の者が正しい政治を失いながら、下の者を殺す。それが、許されるというのだろうか?己の人民を教化する仕事を行わずに、いきなり裁判を行えば、罪なき民を殺すことにならないだろうか。たとえ三軍が大敗したとしても、兵を斬罪に処してはならない。たとえ裁判がうまく進行しなかったとしても、人民を刑に処してはならない。なぜならば、それらは人民に罪あるがゆえの失態ではなくて、軍の指揮者と裁判の官吏の罪なのだから。法令が疎漏でありながら誅罰をきっちり行うのは、人民を傷つけることである。農作物の生育には時期があるのに時期を考えずに税を取るのは、暴政である。人民を教化することなくして人民がよく働かないことを責め立てるのは、虐政である。これら三者を取り除いて、しかる後にはじめて罪ある者に刑を課さなければならない。『書経』には、この言葉がある。:

たとえ義刑・義殺であっても、直ちに執行してはならない。「私は順番にまだ従っていない」と言おう。
(周書、康誥より)

この言葉は、教化をまず行え、と言っているのである(注3)。ゆえにいにしえの先王は、この政治の正道を明らかに述べて、上の者が率先して正道を行い、それでもうまく行かなければ、次には賢者を尊んで登用して賢者による政治を尽し、それでもうまく行かなければ、無能者を罷免してこれを一掃することに努めたのだ。三年間こうした努力を行った後に、人民は上の者によく従うこととなった。それでも従わない邪民については、刑罰をもってこれに臨んだ。こうすることによって、人民は何をすれば罪であるかを知ったのであった。『詩経』には、この言葉がある。:

尹(いん)氏は大師(たいし)、周のいしずえ
平らかに治め、四方(よも)を維(つな)ぎて
天子を庳(たす)けて、民を迷わせぬ
(小雅、南山より)

と(注4)。「威は厳格であって、しかもそれを行うことはない。刑は定めて、しかもそれを用いることはない」(注5)という言葉は、このような先王の統治を言うのである。しかしながら、今の世はそうでない。人民の教化はでたらめで、人民への刑罰はこと細かで、人民が進む道に迷って罪に堕ちたときには、飛んで行ってこれを刑に処す。こうして刑罰はますます煩雑となり、しかも姦邪の行いはそれ以上に増えるのである。わずか段差三尺(67.5㎝)の崖であっても、空の車は乗り越えることができない。しかし、高さ百仞(157m)の山であっても、荷物を載せた車は登ることができる。それは、坂の勾配がゆるやかだからだ。高さ数仞(10m程度)の垣根であっても、人は乗り越えることができない。しかし、高さ百仞の山であっても、子供は登って遊ぶことができる。それは、坂の勾配がゆるやかだからだ。今の世は、先王の正道がだらけてゆるやかになってしまってからずいぶんと長い年月が経ってしまっている。これでは、人民がやってはいけないことを自ずから乗り越えないように仕向けることが、果たしてそんな簡単にできるだろうか?『詩経』には、この言葉がある。:

周朝の道、平らなりしこと砥石の如し
周朝の道、真直ぐなりしこと矢の如し
これぞ君子の履(ふ)み行く所、小人も見習う所
去りし往時を顧みるれば、涕(なみだ)はらはらと流る
(小雅、大東より)

と。周朝の道は、今や遠くに去ってしまっている。なんと哀しいことではないか!」と。
(中略)
(注1)季孫氏は、魯の三桓氏の一。宥坐篇(1)注1参照。本章に表れる「季孫」とは季孫氏の誰なのかは不明。孔子が魯の大司寇であったときの季孫氏の当主は、季桓子(きかんし)であった。季孫氏は三桓氏の中で最大の権勢を誇り、『論語』においてもしばしばその一族が登場する。
(注2)冉子とは孔子の弟子、冉求(ぜんきゅう)のこと。姓は冉、名は求、字は子有。論語では冉有(ぜんゆう)で表れる。政事に優れていると評され、季孫氏の家宰となった。論語では、季孫氏のために尽くし過ぎることを孔子が批判した言葉もある。
(注3)この書経からの引用と続く言葉は、致士篇(2)にも見える。ただし、書経の言葉が少し違う。
(注4)詩の原文は、国を治めるべき尹氏が姦悪であるので国が乱れていることを批判したものである。なので、引用の句の後は、尹氏はこのような政治を行っていない、と続く。この引用も、一種の断章取義であると言えるだろう。
(注5)原文の「威厲にして而も試みず、刑錯きて而も用いず」は、議兵篇では伝すなわち言い伝えの言葉として引用されている。
(中略)
三尺の岸にして、而(しか)も虛車登ること能わざるに、百仞(ひゃくじん)の山にして、任負車も焉(ここ)に登る。何となれば則ち陵遲(りょうち)(注14)なるが故なり。數仞(すうじん)の牆(しょう)にして、而も民踰(こ)えざるに、百仞の山にして、豎子も馮(のぼ)りて(注15)焉(ここ)に游ぶは、陵遲なるが故なり。今夫れ陵遲なること亦久し。而(しこう)して能く民をして踰ゆること勿らしめんか。詩に曰く、周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し、君子の履(ふ)む所、小人の視る所、眷焉(けんえん)として之を顧み、潸焉(さんえん)として涕を出す、と。豈に哀しからずや、と(注16)。
(中略)
(注14)楊注は、「陵遅(遲)は丘陵の勢漸漫なるを言う」と言う。勾配がゆるやかなこと。
(注15)集解の王念孫は、「馮は登なり」と言う。のぼる。
(注16)家語には、この末尾の詩経の引用が欠けている。

]

本書で陵遅の個所が出てきたときにふと、「凌遅刑という名前の元ネタが『荀子』だって、何かの動画で言ってたな」って感じで思い出した。以下の動画のことだ。

【凌遅】全身の肉を削ぎ落すシンプルに一番やばい拷問【ゆっくり歴史解説】
https://www.youtube.com/watch?v=nwLpJeH1K14
”134,828 回視聴 2021/10/30”
の1:54~:
この凌遅という言葉の語源としては、諸子百家の一人でもある荀子という人物が残した
「段差が1メートルでもあったら空っぽの車すら持ち上げられないけども、緩やかな斜面なら山頂までいけるよねー。これが陵遅!」(意訳)
という言葉に出てくる陵遅が元ネタになっている感じだぜ!

動画画面にて
「三尺の岸は虚車も登る能わざれど、百仞の山、車を負いて登るに任す。何すれぞや? 陵遅のゆえなり」と表示されている。

これが語源となって昔の中国では緩やかな斜面のことを指して陵遅と呼ぶようになっていたというね。
画面では「緩やかな山=陵遅」と表示されている。
次に画面では「”陵”遅≠”凌”遅」とある。[字が少し違う。]
さらに次の画面では「凌遅=身体中の肉を削いでから殺す」と表示。

こうした緩慢とした処刑方法から、昔の人は斜面を指す言葉である陵遅と削ぎ落す、切り刻むという意味のある言葉「凌」をかけ合わせることで、この処刑方法を「凌遅」と呼んだわけだぜ。

この動画の備忘録は以上。 陵遅の初出は『荀子』ではないらしい↓

陵遅(リョウチ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E9%99%B5%E9%81%85-659429
”りょう‐ち【陵遅】

〘 名詞 〙
① 山地や丘陵がしだいに低くなること。陵夷。
[初出の実例]「陵遅すると云も次第さがりに低の事ぞ」(出典:史記抄(1477)一二)
[その他の文献]〔荀子‐宥坐〕
② 物事がしだいに衰えすたれること。また、道義がうすれて行くこと。
[初出の実例]「公事陵遅万事如此之」(出典:小右記‐寛和元年(985)正月一五日)
「仏法陵遅(レウち)し行こと眼前に近し」(出典:正法眼蔵随聞記(1235‐38)四)
[その他の文献]〔詩経小序‐王風・大車〕
③ 昔の中国の刑罰の一つ。身体を切りきざみながら死に至らしめるもの。〔遼史‐逆臣伝中・牒蝋〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例


https://x.com/P_nuttari/status/226586030168494080
”紙塗ったり@C104月曜東6ヌ31a
@P_nuttari
ちなみに「凌遅刑」の「凌遅」は、『荀子』宥坐篇の「三尺の岸にして虚車も登る能わざるに、百仞の山に任負車も登る。何となれば則ち陵遅なるが故なり」の文中にある「陵遅」が語源。つまり緩やかに死に至らしめる(凌遅処死)という意味。
さらに表示
午後4:54 · 2012年7月21日”

https://x.com/Lemonist147/status/1784460095566610675
”檸檬色のトラウマ
@Lemonist147
「数十センチの段差があれば車はそこで止まってしまうが、緩やかな傾斜であれば車はいくらでも登ることができる」という、荀子による凌遅刑の語源となったアナロジー、私もさりげなく積極的に使いたい。
さらに表示
午後2:50 · 2024年4月28日·461 件の表示”


シーア兄貴(来世触手)2024/4/21~5/3などの保管庫。超人創造の目的。ギア巣。20世紀原爆少年。赤による青潰しの影響を受けた作品。すず目。宝島ドラゴン狩り。『論語と算盤』
Posted on 2024.04.21 Sun 08:29:14
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-558.html
”『論語と算盤』などについて。
以前、内容確認したことがあるのだが、明確な記憶ではないので、ウィキを読みつつ思い出す。

先に感想言っとくと、
「こいつに道徳なんて説かれたくね~。万教帰一に賛成している時点で、特定の1つの宗教以外は滅ぼせってことに賛同してるじゃん。それと優生学。道徳経済合一説なんて言ったら『道徳よりカネ』って奴が増えるに決まってんだろ! 両立するって聞いたら対等だと思っちゃうでしょ。儒教にて、商業を下に見る思想には根拠があるんだよ!」。

渋沢栄一 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80
”道徳経済合一説

栄一は大正5年(1916年)に『論語と算盤』を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益(=算盤)の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけた。 『論語と算盤』にはその理念が端的に次のように述べられている。

富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。[25]

そして、道徳と離れた欺瞞、不道徳、権謀術数的な商才は、真の商才ではないと言っている。また、同書の次の言葉には、栄一の経営哲学のエッセンスが込められている。

金銭資産は、仕事の滓である。滓をできるだけ多く貯えようとするものはいたずらに現世に糞土の牆を築いているだけである。

事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。[26]

幕末に栄一と同じ観点から備中松山藩の藩政改革にあたった陽明学者・山田方谷の門人で、「義利合一論」(義=倫理・利=利益)を論じた三島中洲と知り合うと、両者は意気投合して栄一は三島と深く交わるようになる。栄一は、三島の死後に彼が創立した二松学舎の経営に深く関わることになる。
(中略)
最終更新 2024年4月23日 (火) 10:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
” ※着色は引用者

良い論文を発見。儒教(の一派)の商業観がわかる。

晩年渋沢栄一の商業擁護に関する根本的問題
https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DB00000799.pdf
以下、一部引用しつつ書く。

この論文によると、
渋沢の儒学は徂徠学・水戸学の学統にあり、政治・社会論重視のいわゆる「荀学」の学派に属している。
荀子・徂徠学・水戸学には、為政者が利を求めることの必要性を説いたり、商業の社会的役割を是認する発想が存在したが、賤商・抑商思想も存在していた。
渋沢はこれとは対照的に抑商思想を説くことはなく、むしろ積極的に商業を正当化していた。このような態度は、儒者としても特殊である。
(そもそも儒教に基づいているのか?って指摘だ(笑) 実際、異端どころか異教でしょ。
日本の儒教って儒教じゃなくて儒教カルトだからな。その原因の1つは渋沢帰一だよ[渋沢栄一と帰一を合体させた言葉])

荀学において商業はどのように考えられているのか。それは大きく分けて三つの捉え方をされていると言って良い。まず第一は賤商・抑商思想である。商業は社会的に問題の多い産業であり、可能な限り抑制されるべきであると荀学では考えられている。例えば荀子は次のように述べる。
(「商買の数を省き」などと書いてある)
また荻生徂徠も『政談』で次のように賤商思想を展開する。
(農民の商売に変ずることは国政の上に古より大いに嫌うことだという旨)
この賤商思想は徂徠学の大きな影響を受けた水戸学にも相続されて、(以下略)
(ここまで読んでわかると思うけど、論語について論ずる資格がないんだよな、渋沢帰一)

荀学においては、民間の商業はただ抑制されるべきと考えられているわけではない。それはある程度抑制されなければならないが、同時にある程度の社会的役割を是認されたものでもある。
(この論文、荀子がいかにすごいかがわかる論文だ。渋沢帰一はおまけだ(笑))
 以上、荀学においては
①抑商思想、
②為政者による経済活動の義務、
③民間の商業の社会的役割の是認の三つがあると言える。渋沢は当然のことながら、このうち①は否定ないし無視している。渋沢は民間の商業者に官僚と同等の権限・義務を与えることによって商業を正当化したが、これは②と③を融合させて商業の必要性を説いたと解釈できる。つまり商業者に為政者と同じ国家・国民を安んずる義務を与え(②)、同時に民間の商業者をより強く社会的に是認させる(③)発想である。
(一番抜いたらダメなものを抜いてるじゃん。つーか②と③の前提が①だぞ。もはや儒学のうちの、荀子派じゃねーな)

孟子には荀子ほどの商業の社会的役割を積極的に是認する主張はないが、商業がある程度は正当化されることを前提とした主張はいくつか存在している。
(書き下し文省略)
その他市場に課税することを批判する主張が他にもあるという旨に続く。
(『論語にも)「民間の商人の存在意義を認めているかのような発言がある。」とも論文にある。

「修身重視の孟子に比べて荀子は政治 ・社会論重視であったが,具体的にはそれは道徳ではなく「法」によって民を制することを重視するものである」
(そうだよね。荀子の特徴。で、渋沢は法の重視思想じゃないから荀子系思想に矛盾って主旨に続く)

「通常の儒学では,商人は一般的に 「民」に入るはずであ り,法で制せ られる対象である。これに対 して渋沢は,後に述べるように工場法や産業振興策においては,法による商業への介入を認めるものの,財閥など巨大化 した産業の抑制そのものは説かない。彼の晩年にはいわゆる「財閥悪玉論」が浮上 し,財閥の巨大化その ものが問題になっていた。 しか し渋沢のこれに対す る反応は, もっぱら商業者に道徳を説 くのみである。」
(マジで糞じゃん)

「渋沢の主張を荀学的に解析すると,彼の商業正当化論は,商業を 「上」ない し 「士」 と対等とすることによって,商業者に為政者 と同じ国家意識の義務を与え,同時に為政者と同 じだけの裁量を与える論理構造を有 している。『立会略則』で彼が明治初期に主張 した政府の市場不介入論 も,この論理構造である。政府は商業者 も臣と見なして,その主体性を認めなければならない。これを先ほどの荀子の主張に単純に当てはめると,商業者 も 「士」なのだから 「礼」で制し,「法」で制 しなくて良いということにな りうる。これは形式的には, 彼が抑商思想を説かず,商業そのものの過剰な拡大に対 して道徳 しか脱かなかったことに符合する。
 しか しそれではまず第一に,彼の主張が孟学 と同様になってしまい,全ての人に道徳を説 くという修身重視の主張になる。 これは先に引用 した渋沢による朱子学批判 と完全に矛盾する。
渋沢によれば,朱子学は修身論重視であるがそれは間違いであり,儒学は本来は経世論だったはずである。民を法で制 しない経世家 とはどのような経世家であろうか。行 き過ぎた勢力は,荀学では法で制せ られるべ きと考えられるはずである。渋沢は別なところで 「孔子の説は…今日のいはゆる法治主義な り」 (渋沢 〔18〕589貫) と述べる事 もあったが,行 き過 ぎた財閥の勢力を法で制するべ きとは考えなか った彼の主張は.明らかに彼の中で も矛盾 している。渋沢は客観的に見て荀学的思想を展開していたのであったから,やはり財閥の問題に法的対処を考えるべきであったと言わざるを得ない。」
(つまり詭弁を用いているということ。意図的に詭弁を用いたのではなかったと仮定しても、そもそも財閥の巨大化を問題視しないのがダメ。結局、資本主義に好都合なことを言うのに利用しているだけじゃねーか!)

「儒教はいずれの学派であって も古代中国における伝説上の皇帝の治政を理想 としているので,未来へ永遠に発展 して行 くことを理想 とす ることはない8)。」
(進歩思想の否定)

「彼が最晩年に実業家に対 して道徳のみを説 き,彼の言 う「成金者流」についての問題を経世論的に議論 しなかった原因として,経済状況について現状認識その ものが甘かった事が推測される。
 また渋沢が 「経済道徳一致説」「論語算盤一致説」を説いていたのは,実業そのものが卑 しいという通俗的な批判に対処するためであったが,彼の最晩年には, これはいささか過剰反応に過ぎた観 もある。」
(現状認識じゃなくて、目的達成したからだろうね。つまり財閥の巨大化による支配構造を作るのが目的)

「彼は荀学の学統であ りながら,「商業は金力な り」 と考える実業家を法で制することを考えなか った。」
「渋沢は,財閥の行 き過 ぎた力を法律で制することを考えなかった。 しか しそのような現状がなかったとしても,彼の商業正当化論は論理的に不備が見出せ,彼の儒学理解の中にその原因が見いだせる。」

(このぐらいにしておこう。荀子ってすごいね!)

Atta Tatae
@Attatatae
「井上や教育勅語はこの「民」を啓蒙して,全員を「臣」にしようと志向している。渋沢も同様に,国家から「民」を廃止して,全員に国家意織を持たせようとする主張をした。」(坂本慎一「晩年渋沢栄一の商業擁護に関する根本的問題」より。)
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午前0:17 · 2021年2月28日


読了したので書く。『荀子』は重要箇所だらけだな。本当に読んで良かったよ。

追加ここまで】

【2024年7月4日に追加:

韓非子27 「五蠹(ごと)」8 
2012-06-12 10:02:39
https://ameblo.jp/yk1952yk/entry-11272330430.html
”故明主之道、          故に明主の道は
一法而不求智          法を一(いつ)にして智を求めず、
固術而不慕信。         術を固くして信を慕わず。
〔略〕
今、世間では高尚でむずかしい言葉がたっとばれ、それを使う者が

知恵者といわれる。

人をだまさない「貞信」の行為がたっとばれ、それを行う者が賢人と

言われている。

高尚でむずかしい言葉は、どんな知者でも理解しにくいものだ。

広く人民に知らせるべき法を、そんなむずかしい言葉でつくっても、

とても人民には理解することはできない。

糠(ぬか)さえ腹いっぱい食べられない者が、白米や肉を食べたい

と思うだろうか。

粗末な木綿(もめん)も着られない物が、色鮮やかな絹を着たいと

思うだろうか。

政治を行う場合にも、火急の問題が解決しないうちに、不急のことに

力を用いるべきではない。ところが、現在の政治や世間の風潮では、

どこの誰にでもわかる言葉を使わず、高尚でむずかしい言葉を使い

たがっている。これは政治の目的に反することである。

高尚でむずかしい言葉など、人民には無用の長物なのである。

もし、「貞信」な行為をたっとぶなら、人をだまさない人物を尊重する

ことになる。

それというもの、こちらに人にだまされないための術がないからである。

無位無官の者同志なら、人を利益でつる財力もないし、押さえつける

権力もないのだから、人をだまさない人物にたよりもしよう。

だが、君主とともなれば、人を統率する地位にあり、一国の財力を手に

しているのだ。

賞罰を加える実権を使って、「術」によって臣下を正体を見抜くことが

できるのだから、

たとえ相手が田常(でんじょう)や子罕(しかん)のような姦臣であろうとも、

だませるわけがない。人をだまさない人物にたよる必要がどこにあろう。

それに国中さがしたところで、「貞信」といえるような人物は十人といない。

ところが、国の官職は何百何千とある。「貞信」な人物でなければとりたて

ないとしたら、官職につかせる人間が足りなくなる。こうして、官吏が少なく

なれば、当然良民が減って、治安を乱す奴等がはびこるだろう。

したがって明君たる道は、法を統一することであって、知者を追い求める

ことではない。


術を確実に実行することであって、人の誠実さなどにたよることではない。

この方法さえ行われれば、法の効力は失われず、君主をあざむく臣下は

影をひそめるであろう。
” ※着色は引用者


『韓非子』五蠹篇に見られる世論の誘導について
nii.ac.jp
https://cgu.repo.nii.ac.jp › record › files
PDF
渋谷由紀 著 · 2022
”『韓非子』五蠹篇は、儒家思想を批判し、国家からの儒家の排斥を論じた
篇として知られている。多くの後学が編纂した篇が含まれているとされる
『韓非子』の中でも、五蠹篇は韓非本人の手になることが確実視されており、
韓非思想の中心となる篇といえる。
〔略〕
『韓非子』五蠹篇で儒者が「五蠹」、即ち国家に寄生し蝕み、やがて国家そ
のものを倒してしまう五種の「蠹」の一つである「學者」に含まれ、儒家思想が否定されているのは周知のとおりである。
〔略〕
次いで五蠹篇には、
今貞信之士不盈於十、而境內之官以百數、必任貞信之士、則人不足官、
人不足官則治者寡而亂者眾矣。故明主之衟、一法而不求智、固術而不慕
信、故法不敗、而羣官無姦詐矣。(今貞信の士は十に盈たざるに、而も
境內の官は百を以って数う。必ず貞信の士に任ずれば、則ち人官するに
足らず、人官するに足らざれば則ち治むる者寡く乱るる者衆し。故に明
主の道は、法を一にして智を求めず、術を固にして信を慕わず、故に法
は破れずして、群官に姦詐無し)
とあり、統治の実務を担わせる官吏として抜擢する対象であっても、彼らの
能力や素質に期待して登用することも韓非は否定している。「法」の基準が
一定であり、
君主が臣下を統制する「術」を堅固に実践していれば、官吏に
高い知性や信頼性を求める必要はなく、官吏が悪事や汚職をすることもな
い、と述べる。その国の統治に必要な官職は数百にも及ぶのに、高い知性や
信頼性を持つ人材はその国の統治下に十人も満たないので、それを条件に人
材登用をすべきではないことが主張される。
〔略〕
以上、『韓非子』五蠹篇に見られる儒家批判と儒家勢力を削減する手段を
考察してきた。官吏が教える法令以外、民間での思想・学術活動を国家から
排除すべきと主張する点では李斯の献策と『韓非子』五蠹篇は同様の結果を
目的とするが、その状態を達成する手段は大きく異なっていたということが
できる。李斯が法規制と処罰によって強制力で儒家を含む民間の学術活動を
直接排除する手段を示しているのに対し、韓非の主張は、君主が儒者の登用
や礼遇を廃止し、民衆が功績に基づく登用、耕作と兵役での成果以外では褒
賞が得られないようにし、また一定の「法」の基準に則った信賞必罰を徹底
することにより、世論を誘導し、人民の行動変容を促すことを手段とする。
両者の差違の原因には歴史的・地理的背景の違いもあろうが、政治思想と
しての側面から考えると、民間での書籍の所蔵や「詩書」に基づく表現や議
論を法によって禁止するには、国家的、組織的に警察力や司法制度を用いて
適切に摘発・処罰し、それを持続することが必要だ。摘発・処罰に不徹底や
不公正が生じれば、法の信頼性が失われ国の統治が揺らいでしまうのは『韓非子』五蠹篇が指摘する通りである。
” ※着色は引用者


https://x.com/aoJvqLcHOrs7UWg/status/1424260773929381893
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
荀子読み込め
今、読み直しているがほぼほぼわしが言っている事と変わらない
だから読み込め、学が立つぞ
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午後3:46 · 2021年8月8日



https://x.com/Chimaera925/status/856465797790580737 と続き
”Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
生存戦略として自給自足や農業を選択する。それも戦略としてはいいだろう。俺は、土地やしがらみに縛られるからそれは選ばないけれども。
午後8:12 · 2017年4月24日

土地は持って逃げる事ができない。知識はどれだけ持っていても手ぶらで逃げられるけどな。本なんて本当に必要な本を何度も熟読すりゃいいだけで、大層な本棚なんて必要ない。最新の知識も取り入れてアップデートしていくのが好ましいけれども、基本的な古典を頭に突っ込んでおけば対応できる。
午後8:15 · 2017年4月24日

ペンと手帳も必須か。ひたすら着想を書き留めて、それを読み返し、不純物を取り除き精錬する。自分自身を飲み干して作り変えていく。メモ書きの他に日誌みたいな体裁で記録しておくと良い。時事もさらっと記しておくと良いな。電子データなんざ十数年後に残っているかも怪しいものだ。
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午後8:20 · 2017年4月24日

ツイッターは検索機能が付いた便利なメモ帳だけど、ここにはそれほど重要な情報は書きとめていない。いつかは消え去るし、紙とインクほど長持ちはしないだろう。20年前くらいに作ったHPなんて今は残っていないし、ましてやデータなんて何処にも存在しない。紙の資料は出てくるのにな。
午後8:24 · 2017年4月24日

当時の自分で作った楽曲のメモや資料を整理していたら90年代後期に配信していたWebラジオの原稿が出てきて驚いたものだ。印刷された物はそれくらいは残る。電子データのままでは、それほど長くは残らない。データは永遠でも電子機器の寿命や賞味期限はそこまで長くない。すぐに古くなる。
午後8:26 · 2017年4月24日

俺が繰り返し読んだのはサキャ・レクシェーと菜根譚、孫子、韓非子、君主論くらいか。あとはほどほどに。紙の本は表紙を見ただけで中身を思い出せて、それによって記憶が深まるけれども、電子書籍はそうはいかない。
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午後8:34 · 2017年4月24日

韋編三絶
https://kotobank.jp/word/%E9%9F%8B%E7%B7%A8%E4%B8%89%E7%B5%B6-206375

>〔孔子が晩年「易経」を好んで読み、綴じた革ひもが何度も切れたという「史記孔子世家」の故事から〕繰り返し読むこと。熟読。韋編三たび絶つ。
kotobank.jp
韋編三絶(いへんさんぜつ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
精選版 日本国語大辞典 - 韋編三絶の用語解説 - 〘 名詞 〙 =いへん(韋編)三度(みたび)絶(た)つ〔空華日用工夫略集‐永徳元年(1381)一二月二七日〕
午後8:35 · 2017年4月24日

ペーパーバックは読み込むと簡単にバラバラになってしまうけど、日本の本は結構丈夫だ。
午後8:36 · 2017年4月24日

そりゃ乱読も必要だ。一日一冊くらい読んでいた時期もあるけど、それは大量の情報を咀嚼して飲み干す訓練になっている。美食家になるには大食漢でなければやっていけないように、ある程度幅広く情報に目を通しておく必要はあるだろう。けど、その中で繰り返し目を通す価値がある書籍はそれほど多くない
午後8:39 · 2017年4月24日

何冊読んだって、そいつを栄養にして自分で組み立てることが出来ないならば何の意味も無い。ただ知っているだけの知識と血肉となった知恵は別物。着想を自身の手で書きとめて、それを読み返し精錬していく工程は知識を知恵にする手助けとなるだろう。俺自身、大したことはないけれどコレをやらなかった
午後8:43 · 2017年4月24日

ら今よりも酷い状態になっていただろう。
午後8:44 · 2017年4月24日

情報をインプットするよりも、書き出すこと、話すこと、アウトプットすることを俺は重視している。その仮定で途中式が体得できれば、その途中式を応用して幅広く仮説が立てられる。あとは、その仮説に基づいて情報を集めるなり検証するなりすれば、自分なりの指針が簡単に立てられる。
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午後8:49 · 2017年4月24日

そりゃ、偏っているし間違ってもいるだろうさ。だけど、何も判断できない事の方がまずい。それでは大多数の意見に流されてしまう。熟考の末に大多数の意見を採用するのはまだ良い。どうして良いのか考えられないから、なんとなく大多数の意見に同調する、これはまずい。
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午後8:51 · 2017年4月24日

自分の最終的な利益や生存戦略を考えた上で大多数の意見や常識に乗っかるのはまだ理解できる。最終的な利益や生存が脅かされるようなものにわざわざ乗っかって同調していくというのは、遠回りな自殺と大して変わらない。俺が生き延びられなくても誰かが生き延びるのならば、俺は安心できるのだけれども
午後8:54 · 2017年4月24日


https://x.com/Chimaera925/status/229610217413947392
”Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
ハインラインの本に書かれている思想の影響受けてんだなぁと今更気付く。多感な小中学生の時によく読んだのはハインラインの他にはゲーテやワイルド、韓非子等。ギリシャ神話にソフィーの世界、百科辞典。このあたりも好んで読んだな。
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午前1:11 · 2012年7月30日”

https://x.com/Chimaera925/status/570157878184509440
”Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
虎の能く狗を服する所以は、爪牙なり。とは韓非子の言葉だが、虎、主権者の主権は爪牙のようなもので、狗、国家に規制せよ管理せよ禁止せよと命令するのは自ら爪牙を与えるようなものだ。故に国民から国家に対する命令である憲法、国家権力を監視する国民といった本来の構造とあべこべになっている。
午後6:46 · 2015年2月24日”

https://x.com/Chimaera925/status/247579733624238080
”Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
やっと熱がひいてきた気がする。風邪か過労か解らんけど、季節の変わり目はキツいわ。食料買い出しだりィ……オートミールだけでいいや。読書とツイートは捗ったけど、家事がさっぱり。愛読書の韓非子、何回読んでも飽きんな。
さらに表示
午後3:16 · 2012年9月17日”

韓非子も本当に素晴らしい漢籍。

https://x.com/Chimaera925/status/763028533027274752
”Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
極端な話、韓非子方式で成果を出せなかった、成果を出し過ぎた、背任行為を行った議員や官僚は処刑くらいのルールでないと、自浄化作用もクソも無いだろう。何かあっても誰も責任取らない。管理しない管理職や責任取らない責任者は、下に問題を押し付けいがみ合わせて自分達に矛先が向かないようにする
午前0:05 · 2016年8月10日”

https://x.com/Chimaera925/status/778232894363807744 と続き
”Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
勢利紛華、不近者為潔、近之而不染者為尤潔、
智械機巧、不知者為高、知之而不用者為尤高

勢利紛華は、近づかざる者を潔しとなし、これに近づきて而も染まらざるものを尤も潔しとなす。
智械機巧は、知らざる者を高しとなし、これを知りて而も用いざる者を尤も高しとなす

菜根譚 四
午後11:02 · 2016年9月20日

民人これを用うれば、その身殃(わざわい)多く、主上これを用うれば、その国危亡す。

韓非子

勢利紛華 勢利は権威と利益、紛華は派手できらびやかなもの
智械機巧 権謀術数や策略、謀略
午後11:08 · 2016年9月20日

マキャベリのような権謀術数の技術や人間の心理を応用した人を操る技術について屡々書いているが、これに溺れるとやがて破滅する。逮捕されたカルト教の教祖などを見ても、これらに溺れて人としての欲望の箍が外れ、人を辞めてしまっているのが解る。逮捕されずとも人として再起不能、既に破滅している
午後11:17 · 2016年9月20日

どれだけ富や権力、崇敬を集めたところで人として破滅していれば何の意味も無い。欲が人の脱け殻を着て人のように振る舞っているだけだ。当人の意思で欲し、望む事すらもはや不可能だ。
ある種の技術を学ぶ時は、それらを学ぶ前に意識や欲望のコントロールを徹底的に学ぶ。これが基礎だ。
午後11:23 · 2016年9月20日

基礎ができていないのに、面白半分で試して見て何も効果が無ければ幸いだが、効果があれば破滅の第一歩だ。やがて術に溺れて、それに依存し、傲った全能感から自制心を失い欲望に憑り殺される。自制心を持って術を使わず、日常生活を送る。これが必要最低限。それが出来ぬのに術を学ぶのは自殺行為だ。
午後11:27 · 2016年9月20日

自分は選ばれた人間だ、自分は特別な人間だ、自分は覚醒した、自分は人とは違う力を持っている、これが破滅の兆候。
午後11:32 · 2016年9月20日

欲を解放し過ぎても、欲を抑え過ぎても、人の心が解らなくなるから、ほどほどにな。
午後11:41 · 2016年9月20日

極端に欲が薄いのも困り者だ。生きる気力や活力が湧いて来なくなる。もっとも、気力や活力など無くても生きられるのだが、人の輪の中で生きるのは困難だろう。隠者となり、ひっそりと暮らすならばそれも良いかもしれないが。人間らしい振る舞いを想定して、それを模倣して人のように生きるのは辛い。
午後11:49 · 2016年9月20日

ある程度、自身の心理や意識を観察して制御する習慣が身についていれば、欲に従う事も欲あるいは対象への執着を手放す事もそれなりに自在に行えるようになる。欲や衝動が湧いた時、自身に「何故欲するのか」と問いかける。些細なものであれば答えを探す間に頭が冷めて、欲も冷める。
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午前0:00 · 2016年9月21日

スピリチュアルやクリスチャンサイエンス、ニューエイジ、自己啓発、カルト教ではこの逆を行い欲望や自意識を増大させて破滅へ導くものもあるので、お勧めはしない。よくもあそこまで依存させ、生きた傀儡を作るようなおぞましい手口を広めようと思うものだ。良いことだと思っているなら救いようがない
午前0:13 · 2016年9月21日

基礎の出来ていない者に誤った術を教えたり、不安を煽り終末思想とセットで特権意識や選民思想を植え付け教義に依存する宗教ゾンビにしたりと、軽蔑に値する。中には宗教ではなく科学のように見せかけた宗教、神学もある。法衣を脱いだペテン師どもは科学者の装いでやってくるから要注意だ。
午前0:25 · 2016年9月21日

信じて実践したことで一時は救われた気になっても、本質的に救われないからこそ、その商売は成り立つ。そして本質的に救われないからこそ人はそこにしがみつく。それに費やした金や時間、精神、肉体それらが大きければ大きいほど、それへの執着や依存、あるいはそれを手放す事への不安や恐怖が増大する
午前0:34 · 2016年9月21日

だからこそ、それらとの縁を切らせたり洗脳を解くというのは非常に難しい。ブッ壊したり自身に依存させるだけならば、そこまで難しいものでもないだろうが、根本的な解決にはならない。まして、その為に対象の人と接すれば感化される危険性もある。無意識下で人は影響し合うからな。
さらに表示
午前0:44 · 2016年9月21日


https://x.com/Chimaera925/status/795195101668462592 と続き
”Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
優生思想なのは言うまでもないが、本来、国民の権利である健康にノルマを履かせて義務化して、ノルマ未達成者を差別する。でたらめだ。
http://m.huffpost.com/jp/entry/12664276
午後6:24 · 2016年11月6日

何もかもが逆さまだ。国民の国家権力に対する命令である憲法が国民に対する命令となり、権利が義務となり、生活する為の労働が労働の為の生活となる。これらは戦後間もなくから行われて来た。面倒な手続きや主権を代理人に任せている内に骨抜きにされ、代理人が主のように振る舞うようになる。
午後8:13 · 2016年11月6日

韓非子にも似たような話があったな。出先故、手元に無いが大体どれくらい頁を捲ればその記述があるかは思い出せる。
午後8:15 · 2016年11月6日


https://x.com/Chimaera925/status/769174147783991296 と続き
”Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
動物農場 https://ja.m.wikiquote.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%BE%B2%E5%A0%B4

七戒
1.二本足で歩く者は誰であっても敵である。
2.四本足で歩く者または翼を持つ者は誰であっても仲間である。
3.動物は衣服を着てはならない。
4.動物はベッドで眠ってはならない。
5.動物は酒を飲んではならない。
ja.m.wikiquote.org
動物農場 - Wikiquote
午後11:06 · 2016年8月26日

6.動物は他の動物を殺してはならない。
7.全ての動物は平等である。

頭の悪い動物は七戒を覚えられなかった。ナポレオンは「よつあしいい、ふたつあしだめ」の格言に要約できると宣言。羊達はこの格言を繰り返して、それ以上は考えなかった。 単純化は権力側によって政治的な目的で行われる
午前2:14 · 2017年8月14日

弁証や修辞、人に説明したり説得する技法を学ばせず、掲げる主張の意味や目的も理解させず、ただ数として集めて単純化された「よつあしい、ふたつあしだめ」を叫ばせた所で、集められた人々はまた別の主人の奴隷となる。己の主人となる日は未来永劫やってこない。説明、説得、同意、契約これも無しに
午前2:18 · 2017年8月14日

「よつあしい、ふたつあしだめ」だけを覚えさせ、示威や力で何が出来るか。権力闘争くらいはできるだろうな。従わせて食い物にも出来るわな。悲しいかな、全ての者に学ばせても身に付けさせる事は出来ない。結社は一握りの人間にしかそりゃ教えんわな。だからと言って、隷属させて良いとは俺は思わん。
午前2:20 · 2017年8月14日

ヒトラーやゲッベルスの姿など何処にも無くても、似た様な事を何処もやっている。情報過多の時代はこれからも続くし、情報の濁流はますます酷くなるだろう。こんなものに適応しようとすれば、自身が考え、主張し、人に伝え説得したり同意を得たりする訓練に費やされる時間はゼロに等しくなるだろう。
午前2:24 · 2017年8月14日

言葉を尽くして、それより先へ進めなくなるまでは自身や他者に問い、仮説を立て、検証し、僅かながらでも確信を積み重ねていく必要がある。言語化できなくなるまで。非言語の神秘やスピリチュアルから入ると魔境だからな。妄想と確信の区別が付かなくなって、「よつあしいい、ふたつあしだめ」になる。
午前2:27 · 2017年8月14日

主観からどれだけ離れようとして客観視しても、客観視しているのは自身だから自身の物差しを離れられない。物差しなんぞ、世の中にいくらでもあるし、その平均値が真実でもない。真実など誰にもわからない、だがそれに近づこうとする事は出来る。人の数だけあるってのは嘘っぱちだからな。解釈は別だが
午前2:30 · 2017年8月14日

主観100%の神秘なんて、本当に毒にしかならんよ。自分が体験したから正しい、真実なんてな。確かにお薬やって生じた妄想をそれを体験した真実だと脳が嘘吐くことはあるだろうよ。脳って結構バカだからな。薬なんぞ無くても条件整えれば誰でも再現できる。記憶も改竄し放題だしな。神秘は先ず殺せ。
午前2:40 · 2017年8月14日

[
Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
ヒトラーやゲッベルスの姿など何処にも無くても、似た様な事を何処もやっている。情報過多の時代はこれからも続くし、情報の濁流はますます酷くなるだろう。こんなものに適応しようとすれば、自身が考え、主張し、人に伝え説得したり同意を得たりする訓練に費やされる時間はゼロに等しくなるだろう。
午前2:24 · 2017年8月14日

どうあれ、俺みたいな言説よりも感情を煽りつつ「戦争反対」「子供を守れ」「アベを倒せ」といった「よつあしいい、ふたつあしだめ」を連呼させる奴の方が支持が集まる。だからこそ、どれを経由しても全体主義になる。どう頑張っても民主主義や国民主権が実現出来ない訳だよ。外国でもそうだ。
午前3:27 · 2017年8月14日
]


Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
今日も動物農場は平和です。
午後3:06 · 2015年7月15日

Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
False flagでも言わされるんだよな。ショックドクトリンからの民意捏造。勝ち馬、主流派(に見えるだけ)に乗りたい奴やヒステリー起こした奴がホイホイ飛び付く。
さらに表示
午前8:48 · 2018年3月10日

肉屋の主人が用意した肉の特売のチラシを見て、「腹一杯肉が食べられる」と肉屋の主人を讃える動物農場の動物達。
午前8:51 · 2018年3月10日

Chimaera925/峨骨
@Chimaera925
受動的な日本人は共産主義者の素養がある。企業やマスコミの声である場合もあるけど、何かあると直ぐに国家へ規制しろ監視しろと他人の人生にまで介入を求める。福祉にせよ権利にせよ国家に保護を求めて管理されたがる。自由からの逃走だ。資本家が独裁者になれば動物農場と変わらん。
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午後0:23 · 2012年10月9日

名を乱す実例↓

『動物農場 おとぎばなし』 『1984年』。新語法の実例
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-325.html

https://x.com/kitsuchitsuchi/status/1793999521585967327
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
https://youtube.com/watch?v=MhM8buQOZrU

を聞くかして下さい。
以前呟いた「西周の誤訳が害悪なので、演繹(ディダクション)と帰納(インダクション)は語源などを使って、下導と上導と正名した。観念(イデー)も誤訳。思考関係の単語が汚染されている。」の単語の汚染よりも危険。実例は本記事にある。
『1984年』
youtube.com
【朗読/小説/SF】一九八四年 付録 ニュースピークの諸原理(ジョージ・オーウェル)【リマスター版】
ジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」の朗読です。#1→ https://youtu.be/ZROfMZ0JadU【一九八四年 再生リスト】 https://www.youtube.com/playlist?list=PLMwE1Q87L0HUAGZbniswadj9x2aP6QW8g## あらすじ西暦1984...
午後10:36 · 2024年5月24日
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