男性Ｔ様に呼ばれて広島に行った。Ｔ様は「坂爪さんって実在したんですね！空想上の生き物だと思ってました！」と言った。Ｔ様おすすめのお好み焼きをご馳走になった。八十七歳のおばあちゃんが一人で切り盛りをする、昔ながらのお好み焼き屋さんだ。四人だけのカウンター席に座り、エアコンもない中、はふはふ言いながら食べる。Ｔ様が、おばあちゃんに「今日はものすごい暑いけど大丈夫？」と聞いた。おばあちゃんは「大丈夫じゃない」と言った。いつまで食べられるかわからないから、食べられるあいだに食べておきなさいと言って、笑った。

おばあちゃんの前では、客の誰もがこどもになった。聞き分けよく、忠実に、それでいて笑顔で、その場にいる全員がおばあちゃんのこどもになった。もちろんわたしもこどもになった。スーツ姿のサラリーマンもいれば、常連さんのおばちゃんグループもいて、このお店が長年愛されてきたことがわかる雰囲気に満ちていた。ダラダラ汗をかきながら、わたしはずっと幸せだった。おばあちゃんは「わたしはもう歳だから、最近は二〜三時間しか営業していないんだよ」と言った。その後に「だけどやめないんだよ」と、ぼそっと言った。働き者でしょ、みんなもっとわたしを褒めてよと言って笑った。その瞳は、童女のようにキラキラと輝いていた。

その後、喫茶店に移動してＴ様の話を聞いた。Ｔ様は「ずっと昔に付き合っていた女性と、喧嘩別れをしたことを未だに後悔している。その人の連絡先は知らないけれど、その人の実家なら知っている。謝りに行こうか迷っているのだが、坂爪さんだったらどうしますか？」と言った。私は「そんなことを聞かれてもわからないよ」と思った。やりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい。Ｔ様は「自分がスッキリしたいから言いたいだけなのは分かっている。だけど、傷つくことが怖いのだ」と言った。私は、同じ男として「それはちょっと自分のことばかりになっちゃいないかい？」と思った。このままだと、女性の迷惑になる。

一人で生きるなら、自分のペースだけを守ればいい。だが、誰かと生きたいと思うなら、自分のペースだけではなく、相手のペースも尊重しなければ、気持ちの良いダンスを踊ることはできない。それがコミュニケーションだと思う。自分だけ気持ちよくなっていてもしょーがないんだよ。自己犠牲でもなく、一方的な支配でもなく、一緒に気持ちよくなることが大事なんだよ。自分の気持ちを伝えることだけが、コミュニケーションではない。一緒に楽しむこと、一緒に気持ちよくなること、お互いのペースを大切にしながら一緒に幸せになることがコミュニケーションだと思う。好かれたいとか、嫌われたくないとか、それはコミュニケーションではないと思う。それは、コントロールだと思う。

誰にでもコンフォートゾーンがあると思う。これくらいなら普通にできるけど、ここから先は恐怖を伴う。そんな時は、ついつい二の足を踏んだり、相手の気持ちを確認しないまま「こう思っているに違いない」などと決めつけて、自己完結をしてしまうことがある。昔は自転車に乗れなかったこどもたちが、何度も何度も転びながら自転車の乗り方を覚えて行動範囲を広げたように、大人になってからも、怖いと思うことを勇気を出してやることが、自由の幅を広げるのだと思う。最初は怖くても、やっている間に普通になる。景色を楽しむ余裕も生まれて、誰かと一緒にサイクリングに出かける楽しさも覚える。自分や他人を決めつけてしまうこともあるけれど、意外と人は優しいし、意外と人は許してくれる。やらなきゃいけないことなんて一つもないのだと思う。ただ、やりたいと思ったなら、やろうよ。失敗してもいいから、やろうよ。何度も何度も転びながら、自転車の乗り方を覚えて行動範囲を広げたこどものように、ゆっくりのんびり、自由の幅を広げて行こう。