放送内容
- 冨田美香「“私たちの映像”が喪失する前に ~デッドラインは2025年~」
冨田美香「“私たちの映像”が喪失する前に ~デッドラインは2025年~」
国立映画アーカイブ主任研究員 冨田 美香
1895年に誕生した映画は、またたくまに世界中に拡がり、フィルムに記録された各地の光景や出来事、描かれた夢のような物語の世界で多くの人々を魅了し、映像の世紀といわれる時代を築きました。
その後半の半世紀に登場し、映像を日常生活に溶け込んだ、より身近なメディアとしたのが、ビデオテープなどの磁気テープです。
フィルムよりも安価で、映像と音声を一本のテープに同時に記録することができ、記録後すぐに再生して確認することもできる、さらには、繰り返し録画できるというビデオテープは、1970年代以降、メインユーザーの放送業界だけでなく、民俗学や人類学、歴史学、舞台芸術や音楽、スポーツなど、広範な分野の調査や記録、分析用にも活用されていきました。1980年代には、家庭や学校、職場、地域へと普及し、個人で誰もが映像を撮ることができるようになり、ホームムービーや記録映像、学生映画、ビデオアートなど膨大な映像が作られ、まさに新たな映像の世紀へと深化します。
その磁気テープに記録された音声や映像について、2025年までにデジタルファイル化しなければ二度とアクセスできなくなる可能性が高い、という警告“マグネティック・テープ・アラート”をユネスコが2019年に発したことはご存知でしょうか。私たちは、自分たちの生きた時代の膨大な映像記録や音声を一気に失うことになりかねない事態に直面しているのです。
2025年をデッドラインとする根拠は、テレビやラジオ番組の膨大なコレクションを所蔵するオーストラリア国立フィルム&サウンドアーカイブが、2015年にデジタルファイル化の募金キャンペーン「デッドライン2025 危機に瀕したコレクション」を始めた時に、3つの理由を説明しています。
最大の理由は、再生機器が無くなることです。すでに再生機器は、製造もスペアパーツの供給も保守サービスも終了しているため、正常に動作する再生機を維持できなくなります。再生機器がなければ、磁気テープの視覚情報を確認することはできず、フィルムのように一コマずつスキャンすることもできません。
第2に、経験豊かな技術者がいなくなることです。テープには1インチやβマックス、VHS、Hi8など、さまざまな規格があり、その規格毎に再生機器も異なります。放送業界はすでにファイルベースに切り替わっているため、これらの知識と経験をもった技術者は減っていきます。
3番目は、テープの経年劣化も加わって、デジタル化の難度とともに費用もあがり、予算を確保することがさらに難しくなるためです。
2025年は、これらの総合的な判断ですが、正確なデッドラインは、「再生機のヘッドが擦り切れるまで」といえるでしょう。その時期は、動作する再生機の台数や稼働率、使用法などで異なってきます。新たな機材や部品の提供がない限り、再生機のヘッドは、個人が持っているものから、組織や企業、地域、国、世界の順で減り切れていき、動作可能な再生機はゼロになっていく以外ありません。デジタルファイル化できる期間を少しでも伸ばすためには、使える再生機を廃棄したり、手荒な使用でヘッドを傷めたりすることなく、現存するすべての再生機を大事に有効活用していく意識が必要です。
この問題の周知と、世界各地の磁気テープコレクションの情報収集などを目的に、“マグネティック・テープ・アラート・プロジェクト”と題した調査を、ユネスコと国際音声・視聴覚アーカイブ協会が、2019年から約1年かけて行いました。総計76カ国355人が回答し、イギリスとアメリカを中心に、ヨーロッパ30か国、アジア17か国から、図書館・アーカイブ、放送局・報道機関、学校・大学、美術館・ギャラリー、個人が参加しました。回答者の29%がデジタルファイル化を計画しておらず、44.8%の組織が計画していても十分な資金がない、という憂慮すべき状況です。
私たちの時代には、ビデオテープによって、日記を書くように日常生活を記録した映像が膨大に作られるようになりました。結婚式や家族旅行や子どもの成長過程といったホームムービーや、勤め先や学校の行事、地域の祭礼を撮った記録映像、学生映画などには、廃校になる前の運動会や、全盛期の商店街、廃線前の鉄道やバス、継承されなくなった祭礼、災害で姿を変える前の地域の景観など、地域の人々にとってかけがえのない歴史や、その時代の生活者、若者たちの問題意識や感性が、世界で唯一つの映像として残されているのです。各地の民俗芸能や舞台芸術を撮影したビデオや、伝統工芸や映画製作などの創作過程やインタビューなど、関係者の家に残されている貴重な資料映像も多いかもしれません。
これらの膨大なテープから、大切な映像のデジタルファイル化を少しでも進めるために、アメリカ議会図書館やアメリカ国立公文書館では、個人向けのマニュアルやガイドラインをHP上で公開しています。それは、多くの人々がパソコンや携帯などでデジタルデータの写真や動画を作成している現代において、紙や写真のファイル化と同様に、映像のデジタルファイル化も特別視せずに、著作権者や所有者自身がファイル化作業を行うことが、最も多くの映像を救出できる道だからでしょう。ビデオカメラや再生機器が手元にあれば、入手しやすくなったビデオキャプチャーとパソコンをつないで自分たちでできるのです。
大事なことは、まず、残したい映像とその優先順位を決めることです。次に、その映像の保存の目的や利用方法・期間に応じたファイル形式と、保存メディアを決めましょう。
ファイルは、保存用として、高解像度で持続可能な形式のファイルと、手軽に見られるアクセス用として、低解像度で高圧縮のファイルの、計2種類を作成します。どちらもバックアップファイルを最低二つ作りましょう。保存は、メディアの寿命や災害から防ぐために、異なる種類のメディアで、地理的に異なる場所で保存し、五年ごとなど定期的に、ファイル形式の更新と保存メディアの移行が必要です。とても大切な映像は、将来、新たな技術で救出できることも考え、オリジナルテープの保存も推奨されています。
ビデオテープの映像の救出は、デジタルファイル化で完了ではなく、それは新たなスタートにすぎません。どんなデジタルデータも定期的な更新や移行を忘れると、アクセスできなくなってしまうからです。
映像の世紀といわれた時代、初めの30年間は無声映画の時代でしたが、実は日本の無声映画は1割も残っていません。1970年代から半世紀にわたって享受し、私たちの生きた記録ともいえる映像の大半を失ってしまう、そんな大惨事を繰り返さないためにも、今できること、をしていくことが望まれます。