八欲王の生き残り   作:たろたぁろ

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霹靂

 

 真っ暗な場所にいた。世界の果てまで闇が続いてそうな、そんな場所に。

 思わず走り出していた。何も無くなった世界にただ一人だけになってしまった気がして、そんな心細さを、不安を、かき消すために。命を、誰かを求めて走り出していた。

 踏みしめる度に足元から水音がする。うっすらと水が張っているのか、暗くてわからない。

 ふと、遥か向こうに光の粒が見えた。見間違いじゃない。希望の光が。走る。叫ぶ。見失わないように。どこかに行ってしまわないように。

 近づくにつれ、朧げに光の輪郭が分かってくる。だだの光ではない。大きな翼と、尻尾と、長い首と、鋭い角。私はそれをよく知っている。

 それはドラゴンだった。見たことのないドラゴンだった。それも、沢山いる。

 ドラゴン達は此方に向かって必死に何かを叫んでいる。

 なんだろう。聞こえない。もっと、もっと側に。

 だんだんはっきり見えて来る。少しずつ声が大きくなる。

 そしてその言葉の意味を理解できた瞬間、私は近づくことができなくなった。

 

 

 

殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ

 

 引き裂けた喉で、黒い血を撒き散らしながら、叫んでいる。潰れた瞳を垂らした眼孔が、私を睨みつけている。

 ゾッとして後ずさった。水の音がなる。

 何かに足を掴まれた。鋭い爪が、太ももに深く食い込んでいた。

 万力のような力で押し倒される。腕を振ってもがく度に、真っ赤な水が跳ねるのが見えた。

 気がつけば、ドラゴン達に囲まれていた。ドラゴンの形をした屍達に。

 

殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ

 

ゴボゴボと零れ落ちた黒い血が顔にかかった。口から、目から、鼻から、皮膚から、私の中に入りこんでくる。  

 酷く冷たい感触が、身体の中をかき混ぜながら、だんだん這い上がってきて…私の脳に、噛み付いた。

 プツンと、意識が途絶えた。

 

 

 

「うわあああああああああ!!!!!」

 

 叫ぶと同時に飛び起きていた。布団代わりにしていた藁が埃のように宙を舞う。

 

「ゆ、夢!?夢か…。良かった。良かったあああああ」

 

 イリスはほっとして藁に倒れ込む。今にも落ちてきそうな朽ちかけの天井の隙間から、朝の光が数本差し込んでいた。

 これまでの人生で最悪の目覚めだった。少し落ち着いた今でも心臓が早鐘を打っているのがわかる。

 頭が割れる様にズキズキと痛む。額には汗が滲み、前髪がぺったりと張り付いていた。この分だと背中の方も大洪水だろう。

 ぐったりと上体を起こし、痛む頭を押さえながら、<無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)>の中から<無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)>を取り出すと、よく冷えた水を渇き切った喉に流し込んだ。頭の痛みが少しだけ和らいだ気がした。

 ローブを捲り上げてズボンをずらし太ももの辺りを見る。定番のホラーなら、そこに手形なり血の跡なりありそうなものだが…何の痕跡もなかった。

 イリスはふぅっと息を吐き出すと、立ち上がってフラフラと歩き始めた。もう絶対廃屋では寝ない。そう心に誓いながら。

 頭の奥で、何かが叫ぶ声が聞こえた気がした。

 

 正午より早く冒険者組合に着いてしまったイリスは、受付前の長椅子に座って所定の時間まで待つことにした。入口のドアが開くたびに、ギョッとした表情で冒険者と思しき者達が、イリスを避けて奥の掲示板へと向かっていく。

 原因は言わずもがな、面だ。だがもう慣れた。今ではその反応を楽しんでいる性格の悪い自分がいる。

 とはいえそこはモンスターハントのプロである冒険者。鉄より上のプレートを下げた者は全く動じることはなかった。何か変なのがいる、くらいのリアクションである。

 

(あー…暇)

 

 どんな仕事してるのか気になって掲示板を見てみたが、字が読めないのでさっぱりだ。

 言われた通り先に受付に行っても良いが、アングリードの面々と一緒のほうが何かとスムーズだろう。

 昨日までは面倒が増えたと軽く鬱になっていたが、一晩経って落ち着いてみると、少しだけ前向きに考えられるようになっていた。

 

(お金くれるって言ってたな。いくら貰えるんだろ。お肉買ったり高い宿泊まったりできるようになるのかな。ちょっとだけ楽しみになってきたぜ…ふふ)

 

 当初の目的はどこへやら、である。勿論ラガーマンに会うのは第一優先事項なのだが、出会うまでには当然過程がある。王都へ続く道での冒険もあるだろうし、王都での出会いもあるだろう。満天の星空の下で野宿したりもするし、焚火を囲んでお肉を焼いたり…

 

「じゅるり」

 

 思わず湧いて出た涎を飲み込んだ。受付にいた鉄級冒険者の1人が此方を見て剣の柄に手をかけていたが…気のせいだと思いたい。

 とはいえ今回の任務は荷物の輸送であり、モンスターとの戦闘ではない。突発的スペクタクルに遭遇しないように立ち回るのがイリスの役割なのだ。のんびりダラダラ馬車に揺られての旅路。それが理想。

 

(あー…暇)

 

 もう何度目になるかわからない、空白の時間に対する悪態を吐きかけた瞬間、扉の開く音と共に周囲がざわりと騒がしくなった。

 

「おう!イリス!約束通り来てくれたんだな」

 

 酒に焼けたしゃがれ声がかかり、イリスはぐっと伸びをしてしゃがれ声に向き直った。

 

「もう待ちくたびれたよー。化石になるとこだった」

「正午って言っただろ?…言ったよな?…まあいいやさっさと受付を済ませちまおう」

 

 そういうとバアルは受付に行き、なにやら受付嬢に耳打ちをした。すると受付嬢がギッッと真剣な表情になり、此方に手招きをする。招かれるままスタスタと歩いていくパドムとイシルの背中について行き、階段を登って二階の部屋へと入る。

 案内されたのは、待合に比べて小綺麗な部屋だった。壁は塗装されたばかりの様に白く、部屋に置かれた調度品の数々は、どれも高価なものに見えた。

 部屋の中央には大きな長机が置かれており、それを囲む様に、高そうな装飾が施された椅子が鎮座していた。

 

「ではこちらにかけてお待ち下さい。もう間も無く都市長と組合長がおいでになります」

 

 そう言うと受付嬢は出ていった。

 

「そんじゃお言葉に甘えて待たせてもらいますか」

 

 それぞれが荷物を下ろし、椅子に腰掛けた。

 椅子は見た目に反して意外なほど柔らかく、ずぶりと尻が沈み込んだ。こんな椅子で話を聞いたら眠ってしまいそうだ、と場違いな不安が脳裏をよぎった。

 と、ドタドタと階段を登る音がして、勢いよく扉が開かれる。

 脂ぎったよく肥えた男と、引き締まった身体をした精悍な顔つきの男が入ってきた。

 

「遅れてすまない。皆知っている顔…ではないな。では自己紹介させてもらうが、私がエ・ランテルの冒険者組合組合長のプルトン・アインザックだ。そしてこちらが都市長のパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア殿」

「はじめまして…えーと君は…」

「はじめまして。イリスって言います。えっと以後宜しくお願いします」

「そうか、イリス君。宜しくな」

 

 格式ばった雰囲気に、高校受験の面接を思い出し、少し緊張してしまう。

 太った男が都市長のパナソレイで引き締まってるのが組合長のプルトンだ。対照的ですごく覚えやすい。

 

「都市長、今回はやらねぇのか?ほら、プヒーってやつ」

「これだけ顔馴染みばかりなんだ。やる意味がないだろう。それに彼女?は奇妙な面をつけているからな、表情が読めないんじゃ効果は薄いと判断したまでだよバアル君」

「はんっ。相変わらず色々考えてやがるこって」

 

 2人のやり取りはよくわからないが、何かお約束的なものがあったのだろうか。というか鬼の面に対して寛容なのが驚きである。てっきり怒られるかと思っていた。

 

「では本題に入ろう。今回の任務はこの都市においても、そしてリ・エスティーゼ王国にとってもかなり重要度の高い依頼である。そう、『国宝級マジックアイテム』の王都への輸送、護衛任務だ」

 

 プルトンが続ける。

 

「『国宝級マジックアイテム』といったが、今回は前回に比べて輸送するマジックアイテムが多くてな、価値は様々だが、全て合わせれば国が傾くほどのレベルだと言えば、この任務の重要度は理解できるだろう」

「そしてこの任務は代々その都市のミスリル級以上の冒険者にのみ、極秘で依頼される。今回選ばれたのが君たちだったという訳だ」

「詳細の説明が任務当日なのは、情報の漏洩を防ぐためってことか」

「……そうだ。まあ君は勘が鋭いからな。なんとなく分かっていたんだろう?」

 

 プルトンの視線がバアルを射抜く。ビームでも飛ばしそうな彼の眼力を受けても、バアルは自然体で受け流していた。

 

「んなこたぁねぇよ。今もめちゃくちゃびっくりしてるぜ」

「ふん、どうだかな。ところで彼女は…」

 

 ビームがこっちを向く。

 

()の代わりかな?」

「そうだ」

「務まるのかね?今回の任務は絶対に失敗できないものだが」

 

 バアルは笑う。

 

「務まるね。俺が保証する。今回限りのメンバーってのが惜しいくらいコイツはレンジャーの能力に長けてる」

「ほう、君がそれほどいうのなら、間違いないのだろうな。いいか、今回の任務は絶対に」

「失敗できねぇんだろ?わかってるって。俺達に任せときゃ何も心配いらねぇよ」

 

 バアルとプルトンの視線が交錯する。

 あれ、とイリスは思う。ただの輸送任務と聞いていたのに、なんだかとっても重大な仕事に思えるのは気のせいだろうか。

 

(もしかして…騙されてる?)

 

 バアル以外の2人を見ると、真剣な表情で黙っているだけだった。緊張しているのだろうか。2人とも固く拳を握り締めている。イリスは釈然としない気持ちで、残りの説明を聞き流した。

 

 

「では説明は以上だ。君たちの健闘を祈る」

「頑張ってくれよ。プヒー」

 

 お偉いさんが退出して静かになった部屋で、イリスはよく沈む椅子に深くもたれたまま、バアルに問うた。

 

「おーいバアルさんや、話違うくないかね??」

「ん?何も違わねえよ。ただの簡単な輸送任務さ。お前さんはしっかり前だけ見てりゃいいんだよ」

 

 任務が始まる。

 

 

 

 

「いよっこらせっとぉ!」

 

 荷物がパンパンに入った袋が放り込まれ、馬車の荷台が大きな音をたてて揺れた。積み込まれた荷物をバアルが手際良く壁際に詰めていく。そうして真ん中にできた空間に、ボロい布で包まれた()()が硬質な音を立てて積み込まれる。

 金属の擦れ合う音、恐らくこれが国宝級のマジックアイテムとやらなのだろう。まるで雑巾の様な薄汚れた色をした布で覆っているのは、カムフラージュのためか。

 気になる。すごく気になる。国宝級とか希少とか聞いたら確認したくなるのが元MMOプレイヤーの性である。お偉いさんが国が傾くレベルとまで言っていたのだ。低く見積もってもバルカンよりは強力なアイテムと見て間違いないだろう。

 イシルとパドムは馬の前で兵士らしき人と何か話をしていた。バアルは荷台の奥でせっせと荷造りをしている。完全に後ろを向いている今がチャンスである。

 イリスは荷台の後ろにしゃがみ込み、丁度アイテムと同じ高さに目線を合わせると、変態が淑女のスカートをめくるが如くこっそりと、ボロ布を持ち上げた。

 一部の竜族は、近くで見るだけでアイテムの鑑定を行うことができる。この特性はドラゴンがお宝好きという逸話から来ているのかもしれない。

 眼を凝らし、期待を込めてアイテムを見つめる。

 そこには王国の至宝に相応しい超希少レアアイテムが無数に転がって__無かった。どれもこれもユグドラシルではまるで価値のない、ぼろ布でくるまれるのがお似合いのアイテムばかりだった。

 

「うえぇ…ガラクタばっかじゃん。アダッ!!」

「なーにやってんだぁ?お前は」

 

 後頭部に衝撃を感じ、見上げると赤い顔をした怒り髭親父(バアル)が手刀を構えて此方を見下ろしていた。

 わざわざ馬車の前面から降りて背後に回ってくるとは…なんと姑息な。

 

「んーと、、宝探し?」

「ほう、御目当てのブツは見つかったかよ?ったく油断も隙もねぇなあ。いいか?」

 

 イリスの横にしゃがみ顔を近づけるバアル。横目でチラチラと周囲を確認すると、構えていた手刀を口元に持ってきてコソコソと話しだした。

 

「ここに入ってるアイテムはな、一つ無くすだけでも俺達の首が吹っ飛ぶレベルのレアもんばっかりなんだ。下手に触って壊しでもしてみろ?全部お前の責任にしてやるからな」

 

 そうなったらこうだこう、と親指で首を切る動作をするバアル。

 聴力が超強化されている今、耳元で囁き声を出すのはくすぐったいからやめてほしいものだ。 

 それよりも…レアもんってどれだ。下の方に埋まっているのか。もうちょっと捲らなきゃ出てこないのか。いや、無い。レアもんなんて、無い。

 あくまで剣呑な雰囲気を崩さないバアル。イリスもつられて小声になってしまう。

 

「でもここ、ゴミしかないよ?」

「ゴミじゃねぇよ!!物の価値の分からんやつめ!」

 

 食いしばった歯の隙間から、限界まで声量を絞った怒りの言葉を吐き出すバアル。真っ赤な顔をして、こめかみには太い血管がくっきりと浮き出ていた。これは…マジギレだ。

 

「ご、ごめん」

「ハァ…まあお前はそれでいい。変に気負われて能力(ちから)を発揮できんよりはマシだからな」

 

 バアルはさてと、と立ち上がると

 

「準備ができた。出発するぞ」

 

 と言い、固くなった肩を回しながら馬車の前方へ歩いて行った。

 

 旅は順調そのものだった。見渡しの良い平原に、整備されてないとはいえ、しっかりと踏み固められた街道。正直イリスの介入する必要が全く感じられないほどであった。

 ただ一つ不満があるとすれば、その歩みの遅さだろう。その原因は兵士だ。王国の兵士が4人、馬車を囲んで歩いているせいだ。

 てっきりアングリードだけで行くものとばかり思っていたので、これは嫌な誤算だった。こんなペースでは王都に着くのに一体何日かかることやら。まだちょっとしか進んでないのに、空が赤く染まろうとしていた。

 ぼーっと、されど最低限の注意をしながら馬車に揺られていると、分かれ道にさしかかり、大きく右に曲がった。

 右に行けばその先は大きな森だ。ざっくりしか見てないがとても安全とは言えない道になる。イリスは不思議に思い、手綱を引くイシルに声をかけた。

 

「真っ直ぐいかないの?」

「ああ、そろそろ野営の準備をしないといけないからな。街道は目立つからすこし外れるよ」

「ふーん…まあ、そういうのは君たちの方が詳しいか」

「この先にいいポイントがあるんだ。大森林の麓だから滅多に人は近づかないし、モンスターもそこまでは出てこない」

 

 一見危険な場所の方が、安全になりうるということか。確かにお宝の防衛となると、モンスターよりも価値の分かっている盗賊の方が脅威だ。

 イシルの理屈に納得できたのか、そわそわしていた兵士達の動きが、少し落ち着きを取り戻したのがわかった。

 程なくして麓に着いた。鬱蒼と繁った天然のトンネルが強烈な西日を遮り、森の中に深く暗い陰を落としていた。

 飲み込まれそうな闇の中に、夢に出てきた屍の竜を幻視して、イリスは身震いして目を逸らした。

 森の門番のように佇む一本の巨木の陰に馬車を停めると、各々が野営の準備にかかった。

 こうなると暇である。バアルには周囲の警戒をしろと言われているが、ただ周りの観察をするだけというのがどれだけ暇なことか。念願のキャンプの初仕事が監視員だなんてあんまりだと思う。

 兵士達でさえペグを打ったりなんやりで体を動かして働いているのに、一人だけぼーっとしているのは、なんとも居た堪れない気持ちになる。

 ふと焚火の方を向くと、パドムが小さい椅子に座ってジャガイモの皮を剥いているところだった。

 あまり器用な方ではないのだろう。ツルツルと太い指を滑らし、可食部を大きく削りながら、一口サイズの不恰好な破片を大量生産している。

 ニヤリと笑うイリス。これはパドムの料理下手なことに対してではなく、仕事が見つかった嬉しさ故の笑みだ。スキルを発動する。

 

≪トランスソウル/グレートマザー・テロワール≫

 

 腰まで伸びた髪が、毛先にウェーブのかかった白髪のセミロングに変化し、背が少し伸びて胸と尻は一回り大きくなった。イリスは少しムッとしながら締め付けがキツくなったチュニックの胸元を引っ張り、ズボンの腰紐を緩めた。

 マウンテンに変身した時から不思議に思っていたが、何故人間形態の身体まで変化してしまうのだろうか。ユグドラシルでは変化するのは髪の毛と肌の色だけだったはずなのに。

 新たに増えた自分の弱点への不満を、仕方ないの一言で片付け、イリスは皮剥きに悪戦苦闘している巨漢の隣りにしゃがんだ。

 

「手伝うよ。ナイフ貸して?」

「んん!?あぁ…新入りかあ。だめだぞぉ。おめえには見張りをしといてもらわんといけねぇから」

「大丈夫!そっちもぬかりはないからさ。ずっと監視してるのも息が詰まるんだよー。お願い!一品だけでいいから手伝わせて!」

「本当かあ…?」

 

 両手を合わせて懇願するイリスを訝しげに睨んだ後、その視線が上下に泳ぎ、頬ほぽりぽりと掻いてから、ナイフの持ち手を此方に向ける。

 

「す、少しだけだぞぉ」

「やたっ!ありがとう!!」

 

 体格が変化し、赤黒い髪が真っ白になってもイリスだと分かってくれるのは、鬼の面故か。イリスはナイフを受け取ると、じゃがいもの一つに手を伸ばした。

 

 

 グレートマザー・テロワール(通称オカン)とは、プレイヤーの代わりに料理を作ってくれるコックのnpcのことである。

 見た目はモサモサの白髪を所謂サザエさんヘアーに纏め、白い割烹着に身を包んだグラマラスな二足歩行のワニ。種族はドラゴンキンである。

 料理系のクラスはあらかた網羅しており、彼女に作れない料理は存在しないと言われる程。

 彼女の持つ究極の料理系クラスである<ワールド・リストランテ>は、取得報告がサービス終了まで__イリスの知っている限りでは__出てくることのなかった超激レアクラスで、テロワール以外に存在が確認されたことはない。

 レアクラスというがゴールドさえ払えば料理を作ってくれる存在がいるので、職業レベルを圧迫してまで取得しようと思うプレイヤーが居なかった説が濃厚だが…。

 この<ワールド・リストランテ>のクラスの最大の特徴として、バフの付与されていない食材にも様々な効果を付与することができると言うものがある。

 食材の種類やデータ量によって付与できる効果は制限されているものの、レシピによってはその辺の食材で上級素材に勝ることもできる強力なスキルである。

 イリスはこの能力で回復効果のある豆を大量に生産しており、ゲーム後半では回復アイテムを使うことがほぼほぼ無かった。

 

≪千秋の審美眼≫

 

 手前の芋を手にしてスキルを発動し、バフを付与しようとした…が。

 

(効果低っ!!鮮度の問題?同じ芋なのにユグドラシルの五分の一くらいしかないじゃん)

 

 ユグドラシルなら50は付与できたであろうスタミナ値が10しか無い。これが神話(ゲーム)の世界と人間界の差とでも言うのだろうか。

 とはいえ今日はもう寝る以外することもないだろうし、無理にバフをかける必要もないかと、スキルの使用を止めた。

 使うなら朝食がいいだろう。強化された料理がどんな味になるのか、肉体にはどんな変化があるのか、明日の楽しみが増えて自然と笑みが溢れた。

 

「おめぇ…器用だなぁ。思わず見惚れちまったよぉ〜」

「え」

 

 ハッとして手元を見ると、既に最後のじゃがいもの皮を向き終わるところであった。

 

「あ、ああ、こういうは得意だから私…ははは」

 

(テロワール凄え)

 

 己の中に宿る竜の魂に、パドムと同じ感想を抱きつつ、イリスは苦笑いで答えた。

 降って湧いたような借り物の力の、そのまたさらに借り物の力だ。そんな風にキラキラした目で感心されると流石に罪悪感で胸が痛む。

 

「パドムはこのチームの料理担当なの?」

「いやあ、うちに決まった担当なんてないぞぉ。その日その日で色々だぁ。料理はアスハルが一番上手だったな」

「アスハル?」

「うちのレンジャーだった男だよ。この間任務で死んじまったけどなぁ。あいつの作るシチューはとても美味しかったんだなぁ」

 

 そう言ってパドムは、手の中でいじくり回していた木の枝を焚火に放り込んだ。

 遠い目で揺れる炎を見つめる彼に、イリスはかける言葉が見つからなかった。

 仲間の死。危険な任務の多いこの職業では、特に珍しいことではないのだろう。

 でも、背中を預けあい、こうやって野営の分担をしたり、死にそうな目に会ったり、一緒の夢を見たり、数々の任務をこなしてきた仲間。その喪失はきっとイリスの想像を絶する苦しみがあるのだと思う。

 イリスも__月本茜時代ではあるが__大切な人を2人亡くしている。その時の喪失感や絶望は、きっと死ぬまで忘れることはできないだろう。

 ドラゴン人間になった今でも、思い出すと酷く落ち込んでしまうのだ。パドムの心境など考えるだけで胸が苦しくなる。

 

「人は簡単に死んじまうんだよなぁ。どんだけ仲良くても、強くっても、大切でも、ちょっとしたことで死んじまうんだ。はぁぁ…仲のいい奴が死ぬのはいやだよなぁ」

「うん…」

「だからな、死なねえように生きなきゃならねぇんだよぉ。俺や、俺の仲の良いやつが、死なねえように。その為ならなんだってやってやる。やってやるんだぁ俺はぁ!」

「だ、大丈夫?パドム?」

 

 だんだんと語気が強くなり、目をかっぴらいてこめかみに血管を浮かべ、遂には叫び出したパドム。そのあまりの変貌ぶりに、イリスはたまらず声をかけた。

 

「ああ、大丈夫だぁ」

 

 一瞬にして無表情になるパドム。それはまるでおもちゃの電源を唐突に切ったかのようだった。

 

「そ、そう?なら良かったよ」

「ああ、良い匂いがしてきたなぁ。オメェのシチューもすっげえ美味そうだぁ。オメェみてぇな仲間がほしいなぁ俺ぁひゃひゃひゃひゃ」

 

 パドムはそう言ってイリスの頭をくしゃくしゃと撫で回すと、組み上がったテントの方へ歩いて行った。

 いつの間にか出来上がっていたシチューを、イリスは複雑な気持ちでかき混ぜた。

 

 食卓を囲む頃には、辺りは真っ暗になっていた。イリスの作ったシチューはすこぶる好評であった。

 酒を片手に何度もおかわりを要求する兵士達に、お前らそれでいいのかと呆れ果てたが、いざ自分で食べてみるとほっぺがずり落ちるほど美味かったので、浮かれ騒ぎになるのも仕方ないのかもしれない。にしても弛み過ぎだと思うが。

 バアル達も上機嫌に見えるが、流石に酒までは飲んでいない。あのバアルでさえもだ。

 注意しようかとも考えたが、それは出来なかった。なぜなら兵士に酒を勧めたのがバアル本人だからである。一体何を考えているのやら。

 

 それはそうと一つ気になることがあった。それはパドムと料理をしていた時のことだ。

 イリス達の野営から約2キロほど離れたところに、5人の人影の反応があったのだ。

 その時はただの旅人だろうと気にしていなかったが、今はその5人が散らばり、2人を残して3人が一定の間隔を開けて、此方を見張るように800メートルほど近くまで接近して止まっていた。

 昼間なら何か散策しているのかなと思えなくもないが、今はもう完全な夜である。

 平原の方を見る。目視で確認できないのは茂みに隠れているからだろう。集中すれば詳細な情報を入手できるが、そうすると相手が感知タイプの魔法なりスキルなりを使用していた場合、気づかれて戦闘になる可能性がある。

 ないとは思うが万が一、<攻性防壁>などの反撃系魔法などが仕込まれていたら、覗いた瞬間大惨事だ。

 ということで自分で考えるのは疲れるから、報告だけしてバアルに一任しようと振り向いた瞬間、イリスは絶句した。

 

 赤ら顔の兵士の首から、鋭利な切先が飛び出していた。引き抜かれると同時に噴き出した鮮血が、シチューの残りを真っ赤に染め上げ…器を持ったままの身体が、鈍い音を立ててそのままうつ伏せに崩れ落ちる。

 倒れた兵士の後ろには、血の滴るナイフを握りしめたバアルの姿があった。

 

「おいパドム!お前ヤる時ゃあこっちの武器使えって言ったろ!!」

「あぁすまねぇ。ついうっかりしちまったよぉ」

 

 そう言って頭をぽりぽりと掻きながら、潰れた頭からハンマーを引き抜いて肩に担ぐパドム。担がれたハンマーの先端から、脳漿がぬっとりと糸を引いて地に落ちた。

 

「こっちは終わったぞ、お前は死体を掘り起こせ。俺は武器の偽装をする」

「わかったぞぉ。木の根っこのとこだよなぁ」

「そうだ。急げ。バアルはああ言っていたがいつエ・ランテルから追手が来ないとも限らん」

 

 淡々とそう告げ、血のついた直剣を兵士の鎧に打ちつけて、傷をつけ始めるイシル。殺したのだろう、その剣で残りの2人を。

 

「み、みんな何して…」

「見りゃわかるだろ?これからあのマジックアイテムを持って帝国にトンズラする。売っぱらえば俺達全員遊んで暮らせる金が手に入るんだよ。お前さんも大金持ちだ、な?わかったら手伝え、偽装用の死体を掘り起こさなきゃならん」

 

 バアルに突き出されたスコップを、信じられない気持ちで見つめる。

 

「わからないよ、全然分かんない。だってさっきまでみんな…」

「ん?ああ、心配するな。ちゃんと販売ルートは確保してある!人数分の入国許可証もな。お前はただ前を見て危険を知らせてくれればいい。約束と一緒だろ?」

 

 いいから早くしろ。耳元で囁かれると同時に感じるお腹に何かを突き立てられる感触。

 

「お前さんはもう共犯なのさ。このまま捕まりゃ国家反逆罪で全員斬首。でもそうはなりたくねえ。裏切るなら殺す。いいな」

 

(ヤバい)

 

 己の迂闊さを全身全霊で呪う。最悪だ。自分はなんて馬鹿だ。今更理解した。イリスは今完全に真っ黒な大犯罪に巻き込まれてしまったということに。

 彼らは最初から任務をこなすつもりなどなく、アイテムを奪って逃走するつもりだったのだ。帝国とやらに行くにはレンジャーの能力が必要で、だからイリスに懇願してきたのだ。

 帝国に行く時点で『青の薔薇』には会えなくなるのだが…どうやらイリスの意思などどうでも良いらしい。

 

「俺達は野営中に野盗に襲撃された。激闘の末皆殺しにされ、死体は全て燃やされた。そんでお宝は奪われて…どこに行ったかは誰も知らない」

 

 呆然とするイリスの手を取り、スコップを握らせるバアル。鉄っぽい臭いが鼻をつく。

 

「今晩中には帝国の領土に入っとかにゃならん。固まってねぇで手ぇ動かせよ!」

「わ、私はっ!!__」

 

 

 

「ほぅ、帝国に行ってどうするつもりだ?お前達の任務は王都行きだったはずだが?」

 

 

「誰だっ!!!!」

 

 

 声の主を探す2人の視線が、星空を眺めるように上を向いて止まった。

 そこには奇妙な仮面を被った小さい人間が浮かんでいた。赤いローブにフードからのぞく金髪。

 性別は…わからない。声も子供なのか爺さんなのかいまいち判然としないものだった。

 それよりもイリスが驚いたのはバアルのリアクションである。目を見開いて顔に多量の脂汗を浮かべ、唇が小刻みに震えている。まるでとんでもない化け物にでも遭遇したかのように。

 

「イリス!!…お前見張ってろって言っただろうがぁぁ!!!!」

 

 今にも泣きそうな顔で絶叫するバアル。すっかり忘れていた。接近する影があったことを。

 さっきまでの自信に溢れた顔が、今はくしゃくしゃに歪んでいる。そんなにも危険な相手なのか、この宙に浮いた人間は。

 

「私を知っているのか、それなら話は早い。おいクズ共、とっとと武器を捨てて投降しろ。もっとも__今ここで死にたくなければの話だが、な」

 

 のたうつ竜の如き雷が、仮面の人間の腕に纏わりつくのが見えた。

 

 

 

 


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