吐き出せる場所がなかったので、ここに書き記させてほしい。何かの肯定も否定もするつもりはない。ただの愚痴だと思って、暇つぶしにでも読んで頂けたら幸いである。
付き合っておおよそ2ヶ月程度だが、長々隠し続けるのもよろしくないと思い、酒の力を借りて(これに関しては良くなかったと思っている)震えも怯えも誤魔化し、宗教3世であることをカミングアウトした。恋人は、その場では多少驚いて見せたが、変わらない様子でその後も過ごしてくれた。そんな恋人を見て、受け入れてくれたのだなと脳天気に考えていた。
しかしその翌日、自分の宗教観、信仰心の程度、両親とも信仰をしているのか、何か金のかかることをしているのか、等を仔細に尋ねられた。
全てに素直に答えた。自分に信仰心はないし、両親に信仰心はあるが、より強かった母は既に逝去しており、父は母に言われて入信したにすぎず、母の死をきっかけに多少強まったとはいえやはりそこまでではない。金が出ていった形跡もない(母の医療費でそれどころではなかった)。これらのことを丁寧に伝えた。そして、自分は布教をする気はないし、宗教的な儀礼にも参加していないし、あなたに危害を加えるつもりは一切ないということを何度も何度も必死に伝えた。
それでも恋人の不安は止まらず、信頼(どころか崇拝の域だとは本人談である)している友達に相談したらしい。同じ宗教を信仰している知り合いがいたそうで、大金を叩いて大変なことになっていたらしいというエピソードや、信仰心がないと自称しているがそれは周りに信心深い人が多いからそう思っているにすぎないのでは?といった意見を聞いたそうだ。
そして自分で調べてみたら、拝金主義のヤバい宗教である、カルトそのものだ、2世や3世は人生を壊されている、などといった記事が次々と目に飛び込んできたらしい。
言わせてもらえば、インターネットなんてそんなものだろう。センセーショナルなものほど目立つ。たとえばある人について、懸命なボランティア活動を行っていたという報道よりも、その裏でセクハラをしていたという報道の方がよっぽど目を引くだろう。ましてやテーマは宗教だ。大きな事件もあったことだし、大衆の関心は高い。面白おかしく取り上げるにはうってつけの題材だろう。
大金を叩いて大変なことになるかもしれないというのも、先述の通り我が家ではそんなことはなかったし、自分自身だって宗教的なものに金を使うつもりはない。使えと言われても断れる自信がある。信仰心がないからだ。
恋人は「安定した生活を共に送れるパートナー」を求めていたらしい。宗教3世なんて肩書きのある者はそれに値しないとのことだった。やはりお金を宗教に使うリスクや、世間からどう見られるかといったことが気に掛かって仕方がないらしい。早く辞めてほしいと涙ながらに懇願された。
そもそも同性カップルである時点で世間から一切後ろ指をさされないとはいえないのではないか(もちろんそうならない世界に一刻も早くなってほしいが)。残酷なようだが、100%安定したパートナーを求めるのはハナから厳しい話なのではないか。
仮に同性カップルであることの誹りならば耐えうるというのなら、パートナーが自分の意思とは関係なく宗教に入信させられた(自分は出生した時点で入信させられたらしい)特に信仰心のない3世だという誹りも耐えられないのだろうか。同性愛よりも宗教への風当たりが強いという現実は否めないが、そこに差異を感じる理由が自分にはあまり理解できない。そもそも隠し通すことだってできるはずだ。自分だって今までそうしてきた。
ましてや自分はそれなりに安定した身分だ(身バレを防ぎたいのでぼかさせてもらう)。恋人が何もできなくなったとしても支えることはできる。これはまごうことなき安定した生活の保証ではないのか。こんな生まれついたもので、打ち消されてしまう程度のものなのだろうか。
生まれついて選択権のなかったものという点では性指向も宗教3世も同じなのではないかと思う。恋人は「宗教に関しては自分の意思で辞められるだろう」と言い返していたが、それなら、これはあまりにも暴力的な理屈だが、同性愛者であっても異性と性交渉をすることは精神的にはともかく物理的には可能じゃないか。自分だって本当にこんなことを言いたくはないが。世間の目線を気にし、自分の意思で無理矢理異性と結婚した同性愛者だって少なくないはずだ。恋人はこのような人達の存在も当然の行いをしたまでだと判断するのだろうか。
実際さっさと脱会したらいいのでは?という意見はよく目にするが、これもなかなか難しい話なのである。信仰心がないからといって即座に脱会!というわけにはいかない。どうしても宗教により築いた人間関係はある。その人達からどういう目で見られるのかと考えるとやはり恐ろしい。宗教のみを理由にして優しくしてくれていたのだとしたら、それまでの縁であったと割り切ることはきっとできると思う。しかしそれには大きな傷が伴うし、時間もかかるだろう。私は母が病死した際に、お線香を上げに来て下さった宗教のひとびとが、信仰心に基づいてそれを行ったとは思えないのだ。
ましてや父に勘当だってされるかもしれない。そこまでいかずとも、大きく傷つけてしまうかもしれない。今の父は、さきほど述べた通り、母の大事にしていたものを大事にしたいという心境から、信仰心が少しだけ強くなっている。そんな風に抱きしめているものを、突然唯一の子供から強く否定(に近い行動を)されたら、父はどう思うのであろうか。
そして、これはもしかしたら当事者にしかわからない感覚の話かもしれないが、信仰心とはパラレルに、やはりそこにアイデンティティが存在する。同じ括りにしていいのかはわからないが、出身地のようなものだ。地元愛があるかどうかは別として(自分はない側である)、その地の出身であることは人生の一部に他ならない。もしくはタグか何かだろうか。生まれついたものであり、見せびらかす人もいれば、隠したがる人もいて、いずれも外せはしない。
それでも恋人は、今後の自分の発言や行動を「宗教の人」のものとして認識してしまうと泣いていた。
そしてここからは宗教3世とは話題が離れるが、この話の流れでついでに吐露されたことがある。
まず、自分は鬱病を患っている。原因は母の病死と父の精神状態の悪化だ。通院をしており、現在闘病中である。今でも「お前らがストレスを与えるせいで私の病気は悪化して死ぬんだ」との母の昔の発言を引きずり、自分はどれだけ母の寿命を削ってのうのうと生きているんだろうという罪悪感を抱きしめ、病床の母がフラッシュバックし、それらをないまぜにした希死念慮と喧嘩している。それでもやっぱり死にたくはない。どうにか寛解を前向きに目指している。
このことについて、恋人は「鬱病だっていつ治るかわかったもんじゃない、精神疾患を抱えてるパートナーがいるってことも世間からどんな目で見られると思ってるんだ、ずっとずっと不安で仕方がない」と涙ながらに吐き出した。
「絶対にいつか治るよ、少しずつ良くなってるから、安心して」としか返せなかった。自分だって自分の鬱がどうなるかなんてわからないが、絶対に治す意思はある。一生鬱をやっていくつもりはない。そして、これだってなりたくてなったわけではない。
自分の意思でない肩書きのせいで泣く恋人に、世間の目が怖いと震える同性の恋人に、これ以上何ができたのだろうか。自分が「こう」でなければよかったという自責の念が止まらない。やはり生きていることへの罪悪感が、止まらない。生まれてくるべきではなかったのかもしれない。大好きな恋人をこんなにも悩ませ、泣かせてしまった。末永く付き合って、幸せにさせてほしいと思っていたのに。それも生まれのせいで叶わないのかもしれない。消えてしまいたい。
拙文で申し訳がない。繰り返すようだが、この世の何かの肯定も否定もするつもりはない。ただの愚痴に顔も名前も知らないあなたを付き合わせてしまい、申し訳がない。
追記:
信仰心があるようにしか見えないというご意見をいくつか拝読いたしました。あくまで自分視点での話にはなってしまいますが、本当にないつもりです。宗教3世であるというアイデンティティはあれど、何も信じていないし、教祖的な存在への批判も事実に基づくものであればすんなりと受け入れます。母がいよいよという時にも、宗教には決して縋りませんでした。信じていないからです。
宗教コミュニティに依存していること自体が信仰と関係なく怖いのでは?というご意見も頂きました。脱会してその人達からの扱いが露骨に変わってしまったら傷つくなあという不安イコール依存ではないのではないかなと感じます。ありがたいことに、コミュニティ外の友人も沢山いるので(依存してるとしたらこっちの方かと思います)そこまで依存はしていないつもりです。一度経験しなければならないであろう傷つきが怖い、それだけのことです。
脱会すればいいとのご意見も頂きましたが、本当になかなか厳しいのです。どうしても当事者にしかわからない事情で歯がゆいのですが、簡単にできることではないということだけ知って頂けたら幸いです。
なかなか知り得ない世界のことですし、そう思われて当然だと思っているため、どんな意見もありがたく受け止めさせて頂いております。自分への慰めの言葉をかけて下さった方も、大変にありがとうございます。
自分は恋人のことが本当に大好きです。これからどうにか妥協点を見つけていけたらいいなと模索中です。いくら大変とはいえ脱会も視野に入れております。鬱もせめて心配をかけない程度には寛解を目指すつもりです。
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