八欲王の生き残り   作:たろたぁろ

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試練

 

 

 イリスは≪遅延≫の使用限界まで飛び続け、追手が全くきていないことを確認すると、ホッとため息をつき灼熱の太陽の下そのまま飛行を続けた。

 一体あの敵はなんだったのか。ダンジョン外に設置された新しい敵なのか、はたまたあの街の管理人なのか…。何れにせよ敵対的な存在であることに変わりはないだろう。ラガーマン達だったかもしれないが、きっとそれは無い。

 『死神の隠蓑』を解除し、わざと姿を見せたにもかかわらず攻撃してきたのだから。

 他のプレイヤーの可能性もあるが、あれだけの数に殺気を向けられて、あの場で交渉する勇気は無い。問答無用で殺されていた可能性だってある。 

 お腹がグルグルと咆哮を上げる。

 色々な考えが頭の中を巡るが、お腹が空きすぎて正直まともな思考をできているとは思えなかった。

 

 もうこのまま餓死するのかと諦めかけていたところ、≪千里≫の竜眼に反応があった。

 目を凝らすと、イリスのいる場所から200キロほど先に動物の頭をした二足歩行の生き物の大軍がいた。ざっくり数えただけでも1万以上はいそうだ。皆武装しており、腰に剣を帯びているものもいれば、鋭い爪を研いでいるものもいる。

 皮でできた天幕のような物がいくつも張られており動物人間達が出入りしている。

 

(戦争…してるのかな?)

 

 武装しているにも関わらずそこまで緊張感を感じられないのは、恐らくそこが前線ではないからだろう。

 どこと戦っているのかはわからないが、これだけの生き物がいるのだ。食べ物の一つや二つあってもおかしくないはずだ。

 そしてこの動物人間達はイリスより格段に弱い。イリスはこの身体になってから、相手の動きを見るだけである程度の強さを判断できるようになっていた。その正確さは鮫人間やポセイドンで実証済みである。誤差があったとしても1〜2レベル程度だろう。

 そのイリスの見立てでは、この動物人間達のレベルはイリスは疎か人魚鮫にも大幅に劣る。これならば例え下手をこいて1万人と戦闘になったとしても余裕で逃げられるはずだ。

 天幕の中にはプレイヤーレベルがいるかもしれないが、もうそんな可能性を考慮している余裕は無かった。さっきから骨つき肉を貪り食う動物人間が視界にチラついてしょうがないのだ。

 口の中に涎が溢れる。もう我慢できない。

 たまりかねたイリスは赤の王ギュラのスキルを発動させた。

 

≪グレーター・テレポーテーション/上位転移≫

 

 パッと視点が切り替わり、動物人間軍団のすぐ後ろまで移動した。

 転移後のイリスに気がついた何人かの動物人間が、驚いて声を上げた。馬と虎と…熊?他にも沢山いる。頭のバリエーションはかなり豊富なようだ。

 

「な、なにもんダ!!どこからでてきタっ!」

「おい、なんだあいつは!オマエ知ってるか!」

「しらない!審判長よべ!!」

「あっ言葉通じるんだー良かった。」

「う、うごくな!しゃべるな!早くガラウム呼べ!」

 

 ザワザワと騒ぎ出した群れを眺めること数分後…人混みを掻き分けるようにして1人の動物人間が出て来た。

 ニワトリの頭をした動物人間だ。筋骨隆々な肉体は革鎧の上からでもわかるほどで、腰に差したメイスによく似合っている。

 ニワトリ男が怒鳴った。

 

「我こそは審判長ガラウムであるッッ!!オマエは何者だ!見たところ…半竜…?とお見受けするが!?」

 

 引き絞ったような声が響く。ひどく聞き取りづらいが、会話できないほどではない。言葉が通じれば十分だ。

 もう我慢していられないイリスは、ガラウムに向かって単刀直入に欲望を叩きつけた。

 

「イリスっていいます。お腹空いてるから食べ物下さい。お金は払います。アイテムと交換でも良いです。お願いします。」

 

 必死に頭を下げた。我ながら酷い交渉だと思う。だがもうこの空腹に耐えられる気がしないのだ。ゴールドなら幾らか持っているし、それが駄目なら物々交換でも構わなかった。が、ガラウムの要求はイリスの想像とは全く別の物だった。

 

「金などいらぬぞ!そんなものに価値を見出すは忌々しい人間くらいのものよ!我々は違う…」 

 

 ダンと足を前に出し、渾身のドヤ顔でガラウムが告げた。

 

「力だ!ここでは力こそが価値を持つ!!さあ!己が要求を貫きたくば、力を見せるがいい!半竜の娘イリスよ!!」

 

 返ってきた予想外の返答にイリスは困惑した。力を見せろと言われても何をすれば良いのか。周りの動物人間達が「マタ始まったよー」とか「ダレダ、アイツ呼んだノ」とか言っているが、とりあえず無視する。

 

「力…?んー腕相撲でもしたらいいんですか?」

「腕相撲も不要!!オマエがするべきはただ一つだ!!」

 

 ガラウムが腕を広げてフフンと鼻?を鳴らしながら横目でこちらを見る。

 

「私を殴れ!!!!」

「うぇっ?」

「だからっ殴れ!!私を!!力を示すのだ!!私を屈服させて見せろ!!」

 

 ガラウムが鎧を脱ぎ胸を差し出す。張り裂けんばかりの胸筋がテラテラと光っている…汚い、なぜ脱いだ。

 正直困った。いや、ガラウムの要求はとても単純でわかりやすいものではあるのだが…。

 イリスは自分の手を見る。本気で殴ったらこのニワトリ男は弾けて死ぬだろう。それこそ≪次元断切≫を食らった時の人魚鮫のように。ハキハキと己を殴れと言っているこの自信満々な顔も、イリスが殴った瞬間物言わぬ肉塊と化すのだ。

 そんなのは…嫌だ。

 周りの反応を見た感じ、きっと愛されているのだろう「やっちまえー」とか「ぶっ殺せー」とか物騒な言葉が飛んでいるが、そこにはどこかお約束というか愛情のようなものを感じるのだ。

 彼の帰りを待つ家族だっているのかもしれない…いるのかな?

 だから困った。本気どころか9割抑えて殴っても殺してしまう気がするのだ。かといって撫でるような攻撃だと力を示すことができない。弱いとみなされてご飯は貰えないだろう。単純だが超難題だ。

 ぐぬぬとガラウムを睨む。まさかドヤ顔のニワトリがここまで神経を逆撫でするものとは…。

 

「どうした!!怖気付いたか!娘よ!!早く殴れ!!」

「わかったよー 。そのかわり後でちゃんとご飯出してよ?」

「承知!!オマエの力を認めた暁にはその願い聞き届けよう!!」

 

 もうやるしか無い。一か八かだ。弱すぎず強すぎず…ガラウムを認めさせる一撃を。

 目覚めてからこんな博打ばっかりだ。安定した高校生活がとても恋しく感じた。つまらない日常に刺激が欲しいと思ったことはあるが、こうも連続して窮地に立たされると流石にうんざりする。

 変身を解く。そして角と眼以外の竜化を解除した。イリスの変化に周りがどよめく。

 ガラウムの話だとこの動物人間達と人間は敵対してそうだ。これはユグドラシルでも変わらない。人間種と異形種、一部亜人種は仲が悪い。

 だから竜化を完全には解かない。人間だと思われると後々厄介なことになるかもしれないからだ。極力種族レベルのステータスが乗らない状態にしたかったが仕方ない。

 イリスは覚悟を決め、審判長ガラウムの前に立った。直立のまま右腕だけ前に構える。

 

「おい!そんな構えで大丈夫か?ちゃんと殴れるのか?力を示すのだぞ!!」

 

 ガラウムの唾混じりの怒声が飛ぶ。

 思わず力任せにぶん殴ってしまいそうになるのを必死で堪えた。

 

「大丈夫だから心配しないで。んじゃあいくよー。」

「ムッ!!」

 

 ガラウムの胸筋がキュッと締まる。黒光りした胸に生えた鮮やかなピンクの突起がピンと跳ねた。

 イリスはその突起めがけて__赤子を愛でるような優しさでもって__拳を突き出した。

 ニワトリが飛ぶ。それは本来の翼を使った滑空ではなく…だが同じくらいの滞空時間を経て地面に衝突し、砂埃を舞上げながら転がった。

 野次が止み、周囲を静寂が包み込む。ガラウムは地面に突っ伏してピクリとも動かない。

 

「わっごめっ大丈夫!??」

 

 イリスは用意していた<中級回復薬>を使おうとガラウムに駆け寄り、そのニワトリ頭に触れようとした瞬間、此方を制止するようにバッとガラウムの手が上がった。

 

「ゴフゥッ!い…痛くも痒くも…ないブハァ!!あっ…あっ…」

「うわぁ!めちゃ血ぃ吐いてるじゃん!強がんなくていいから!ホラッ」

 

 吐血しながらフルフルと起き上がろうとするガラウムに、回復薬を振りかける。ポセイドン戦の時の効果が確かならこれで全快するはずだ。

 回復薬をかけられたガラウムはビクリと身体を震わせた後、半身を起こして自身の胸の辺りを数度さすり、驚きの声を上げた。

 

「こ…これは…痛みが…無くなったのか!?いや、別に痛みなどなかったが。元より痛みなど無いのだ。」

「嘘つくなよ。めっちゃ血吐いてたからね君。」

「失礼なっ!!おい!私はまだお前を認めておらんぞ!!もう一度だ!もう一度殴れ!私を!!力をっ」

「示したじゃん。吹っ飛んでたじゃん。早くご飯よこせー!ニワトリぃ!」

 

 回復なんてさせなければ良かった。ケロッとしたガラウムの顔を見て心底後悔した。

 往生際の悪いニワトリの肩をゆすりながら懇願するが、カクカクと頭を揺らすだけで頑として認めようとしない。コイツもしかしてただ殴られたいだけなんじゃないだろうか。

 ドMという言葉がイリスのいた世界にはあったがこのニワトリ男はそれに該当する可能性が極めて高い。そうなるとイリスの願いが叶うことはない。

 冗談じゃない。なぜなら力を示せば示すほどこのニワトリの愉悦が高まるだけなのだから。恐らく…死ぬまで。

 イリスは周囲を見渡し助けを求めた。が、他の動物人間達は「ドウシヨウ」とか「吹き飛んダ、ガラウム、オンナつよい」とか各々好き放題騒ぐだけで助け舟を期待することはできそうになかった。

 どうもガラウムの種族は知的レベルに大きく差があるようだ。3語文以上話している者はガラウム以外見当たらない。となるとまともにコミュニケーションを取れるのが、この目の前で己を殴れと連呼するドMだけになってしまうのだが…。

 イリスは深くため息をつき、ガラウムの肩から手を離した。

 

「なんだ。小娘、漸くやる気になったのか。さあもっと私を喜ばせろ!」

 

 もう本人も性癖を隠す気がないらしい。四つん這いになって尻を此方に向けている。

 いくら殴っても無駄だと分かったので、別のアプローチをすることにした。

 

≪トランスソウル/マウンテン≫

 

 スキルを発動した瞬間イリスの身体がメリメリと大きくなり、ガラウムの2倍程の大きさで止まる。ステータスに大幅な補正がかかり、身体がフッと軽くなった。

 おおよそ5メートルほどだろうか。元の大きさが1.6メートルくらいなのを考えると、かなりの変化具合だ。集中すれば大きさのコントロールは自在みたいだが、今は放っておく。

 イリスの変化に周囲が騒ぎ出す。中には後ずさって尻餅をつくものもいた。

 そんな中でもガラウムは相変わらずだったが。

 

 だから、もっともっと大きくなることにした。

 

≪完全竜化≫

 

 目線がグンと高くなる。どんどんどんどん高くなる。それは四つん這いのガラウムがもう米粒程にしか見えないくらいに。

 全身が硬い深緑色の鱗に覆われた。頭には大樹の様に枝分かれした巨大な角が2本生え、その巨体から伸びる尻尾は、先端がどこにあるのかわからないほどに長い。背中に生えた翼は、広げればガラウムの軍全てを包み込めるほどの大きさがある。

 長い首を持ち上げてグッと背伸びをして前を見ると、地平線の果てまで見渡せた。

 

 それは丁度夕日が沈むところだった。赤く照らされた黄昏時の空。

 その光景にイリスは言葉を失った。

 いつだっただろうか。これと似た景色をちっぽけな教室から眺めたのは。

 これだったのか。あの景色の空気は、匂いは、音は、感触は。

 現代科学の粋を極めた最新のテクノロジーでさえ再現出来なかった光景がそこにはあった。

 それはあまりにも壮大で、雄大で、広大で、偉大で…一瞬だが倒れそうなほどの空腹感を完全に忘れていた。

 遥か下方から悲鳴のような声が聞こえてきてハッと我に帰る。下を見ると蟻のように小さい動物人間の群れが散り散りに四散して逃げ惑っていた。

 

(そっか今私マウンテンなんだった。それにしてもちょっと大きすぎない?気のせい?)

 

 『天衝龍マウンテン』とはユグドラシル内でも最大級の超大型レイドボスのドラゴンの名称である。

 その名は比喩でもなんでもなく、正に天を衝く山のような大きさの超巨大なドラゴンなのだ。

 設定資料では全高1500メートル以上…となっているが、ゲーム内の処理の関係か実際はそこまでの大きさはなかった。あっても精々500メートルくらいだろう。それでも規格外の大きさには変わりなく、実際に戦ってみると自分がどこにいて何を攻撃しているのかわからなくなるほどだった。

 特別な攻撃スキルは無い。あるのはその巨体を使った肉弾戦とブレス攻撃のみ。

 その純粋な戦闘スタイルからか、絡め手を嫌う脳筋プレイヤーからの人気は高く、また武器や魔法の試し斬り相手としての需要も高かった。

 イリスはこの形態でギルドメンバー複数人とレイドボスよろしく戦ったことがあるが、その時は5分と保たずにやられてしまった。

 理由は明白で、プレイヤーからすればその大きすぎる身体はただのマトになってしまうからだ。

 また、『竜の意志』の変身効果はステータスの補正こそあれ、完全にボス級モンスターの能力値と同じになるわけではない。特にhpの補正は低く、最大級のhpの高さを誇るマウンテンでも並プレイヤーの3倍が限界値なのだ。当然そんな状態でタコ殴りにされれば反撃する間も無くやられてしまうという訳である。

 そんなこんなでユグドラシルではほぼ日の目を見ることのなかった『マウンテン』の形態にわざわざ変身したのは、当然ガラウム達動物人間軍団をビビらせて力の証明をする為だったのだが…正直あまりの大きさに彼らよりもイリス自身の方が驚いてしまっていた。

 明らかに設定遵守のデカさだ。下手に動いたら地震でも起きそうなので、地に接しているところは指一本動かせそうもない。

 

 足元では未だにパニックが続いていた。少し先を見れば、武器を手にして此方に向かってくる集団がいるが全く恐怖心はなかった。

 このイリスの余裕は『マウンテン』ら一部のボスエネミーの持つ、70レベル以下の存在からの一切のダメージを受け付けないという特性からきている。

 これは低レベルプレイヤーの寄生行為を防止するための運営の策であり、これによりダメージを与えないと経験値やドロップアイテムが貰えないというユグドラシルの仕様上、プレイヤーは嫌でもレベルを上げる必要があるのだ。

 そんな仕様上の能力をプレイヤーが使えるのは全くの謎だが、深くは考えない。使えるものは規制されるまで容赦なく使い倒して勝利をもぎ取る。それがユグドラシルの常識なのだから。

 

 この集団にレベル70を超える存在はいない。故にイリスがダメージを受けることはないはずだ。

 後問題があるとすれば、このパニックの中にあって、『マウンテン』という超ド級のドラゴンに変身したイリスの前にあって尚、四つん這の姿勢を崩さず、寧ろ興奮を増しているガラウムくらいだろうか。

 

「素晴らしいィ!素晴らしいぞぉぉ!!竜の王よ!今こそその偉大なる御御足で、私をぉぉ!!踏むのだ!!!!」

 

(手強い…)

 

 認めるしか無い。コイツは大物だ。

 イリスは黒光りした艶のいい尻を眺めつつ豪風と見紛うほどの猛烈なため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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