失われた「貧しさ」と「豊かさ」-歌謡曲の変遷から新型コロナ世相を読み解く-

私は超懐メロファンである。昭和40年代後半の小学生時代に当時の流行歌には全く目もくれず「思い出のメロディ」の類に魅力を感じていた。

懐メロ番組の藤山一郎の朗々とした歌声に魅了され、岡本敦夫の明るい歌声や灰田勝彦の歌声にしびれという変な小学生だった。新しいところでも水前寺清子の初期か、内山田洋とクールファイブくらいまでだった。

特段嫌いということではなかったので普通にテレビやラジオから流れるのを聞いていた。ただ、同年代の多くの子供たちほど熱中できなかっただけだ。

年をとっても志向は変わらず、50代半ばとなった今も相変わらず超懐メロを楽しく聞いているのだが、惰性で聞いてきた曲の記憶も増えてきたのでいろいろな比較が可能になってきた。

youtubeやamazon unlimitedのおかげで興味本位でいろいろ聞くこともできるのもありがたい。

こういった面では良い時代になったものだ…といえるが、これを書いている今は新型コロナ対策の警戒宣言発令中の真っただ中である。

SNSは三か月前の3倍速で流れ、テレビのワイドショーは新型コロナ関連の話があふれ。TVニュースネットニュースも大半がその関連ニュースである。

「政策」「検査体制」「休校」「自粛」への賛否両論は言うまでもなく、今回の新型コロナの流行を契機にでてきたと思われる様々な事象に関する賛否両論がメディアを問わず大量に湧き出してくる。

これは一体どういった事なのだろうか?

「歌は世につれ世は歌につれ」と言われるが、自粛、そして緊急事態宣言によっての更なる自粛要請のため、製作側も観客も集まれないし、カラオケ店もほぼ休業という事態に陥っている。

第二次大戦においてすら「慰問」「戦時歌謡」といった形で若干の減速にとどまった「歌」の世界に、かつてない減速の波が押し寄せているのだ。

スローモーションのようになっている歌の世界の傍らで、少しばかり歌の変遷について考えてみたくなった。

昭和29年に「高原列車はゆく」という歌が発売された。作詞‎: ‎丘灯至夫 作曲‎: ‎古関裕而 歌:岡本敦郎。この歌は非常に人気を博した流行歌だ。

歌詞を読んでみるとかなり現実離れした歌で、その辺に関しては突っ込みどころ満載なのであるが、なかなか良い歌だ。

朗々と歌われる「高原の旅の楽しみ」。この歌が売れた背景は、旅行というものがさほど一般的でなかった人々の「旅への憧れ」「豊かさへの希求」があったからであろうとも思われる。

さらにさかのぼって昭和11年「東京ラプソディ」歌:藤山一郎、作曲:古賀政男 作詞:門田ゆたか。レコードが当時あった蓄音機の台数以上に売れまくったというこの歌は、実に明るい歌である。「都会への憧れ」「モダンな生活への憧れ」などの庶民の「豊かさへの希求」を、歌詞、曲、歌唱が三位一体となって満たしたからこそのヒットだったのたのだろう。

だが、昭和11年といえば、2・26事件の年だ。世相が明るいとはいいがたい。

戦前まで遡ったが、今度は「高度成長期」まで時間をすすめる。

高度成長期といえば、公害問題や交通戦争と呼ばれる道路事情の問題など、悪いことも多々起こっているが年々日本が豊かになっていったのもまた事実である。

とはいえ「貧しさ」というものが描かれている歌もある。

数日前、岡本敦郎の「高原列車は行く」を聞こうとして、amazon unlimitedで検索してみたら舟木一夫の歌う「高原列車は行く」にぶちあたった。舟木一夫の大ヒット曲である「高校三年生」はもともとは岡本敦郎が歌う予定だったものが急遽変更されたというものらしいので、ちょっとおもしろいかなと聴くことにした。そしてその後なんとなく舟木一夫のA面コレクションを聴いた。

その中に「ジングル・ベル」という歌がある。

曲は、クリスマス時期になるとあちらこちらで流れるているあの曲である。日本語歌詞もさまざまあるので

歌詞には貧しさがあふれている。「貧しさをなかないで」とか「ツリーやケーキがなくっても」という部分があったりするのだが、曲は「ジングルベル」であるし、歌唱も貧しさのなかにある明るい希望が紡ぎあげられている。

「ボロは着てても心は錦」というのは水前寺清子の「いっぽんどっこの唄」にあるセリフだ。

「貧しさ」もまた歌の世界に生きていた。

おおよそこの時代までは「貧しさ」は否定的に歌われてはいない。「豊かさへの憧れ」をもちつつも「貧しさ」も許容されていた。

高度成長期も末頃に時計の針をすすめてみよう。

この頃から「内面」や「追憶」を歌う歌が増えていき、「豊かさへの憧れ」も「貧しさ」も歌の世界から消えていったように感じるのは私だけだろうか?

「昭和枯れすすき(1974 さくらと一郎)」では「貧しさ」があってはならないものかというくらい暗くに、そして「負け」として歌われている。この歌が売れた背景にはオイルショックの影響もあったのだろう。

ともあれ、歌の世界ではその後「貧しさ」は急速に消えていったように思う。

「豊さへの憧れ」についてはどうだろうか?

1980年代序盤までの、ニューミュージックの世界には、「若者が車を駆る」「レジャーに興じる」「ディスコで踊る」「海外旅行をする」といった姿、すなわち、バブル期に都市部の大学生に人気だったシーンが描かれている。

だが、バブル崩壊時期を境にそういったものもまた消えていった。「豊かさへの憧れ」もまた表舞台からはきえていったのである。

歌の世界はさらに「追憶へ」「内面へ」「抽象へ」と向かっていった。

歌われなくなった「貧しさ」「豊かさへの憧れ」は一体どこにいったのだろう。そして、何がそれを表舞台から消し去ったのだろうか?

とりあえず言えることは新型コロナウイルス感染症対策のための自粛要請が各地で行われている現在の日本語のSNSで、

「資金繰りが大変です」「自粛で大変です」は目にするが「あー、もうやりくり大変でやんなっちゃうわあwww」も「そのうち、いつか○○いきたいよねえ」もあまり目にしない。

 

















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情報分析と思考が趣味のおばさん。埼玉育ちだが大阪府内某川の土手っぷち近くの狸屋敷在住 成人発達障害者のための自助会やってま。情報商材や美容・健康グッズは売らん主義の物販アフィリ屋。むかしの名前はアライグマ。
失われた「貧しさ」と「豊かさ」-歌謡曲の変遷から新型コロナ世相を読み解く-|狸穴猫(まみあなねこ)
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