河野有理

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河野有理
@konoy541
政治学・日本政治思想史。法政大学法学部教授。researchmap.jp/konoy
Joined October 2021

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まだ若い頃、おっさんに「いいか若いの。おっさんには、「調子悪い」「とても調子悪い」「無理」の3択しかないんだ。だから調子悪くてもやるしかないんだ」と言われたことがあるが、だんだん実感してきたな。
若者が推しの開示に消極的なのって、「雑にいじられたらしんどい」からで、趣味がないのではなくむしろその逆で、「誰推し」かがペルソナの核心をついちゃうからなのではという気はする。
となりのトトロ、今見るとサツキは完全にヤングケアラーだし、お母さん入院中でワンオペ育児中にもかかわらず普通に仕事のペースを崩さないお父さんは相当問題があるのでは、と思ってしまうな。
小学校で「多様性が流行りすぎて禁止されかけてる」というからどういうことか詳しく聞いてみたら、他人を小突いて「多様性!」と言い捨てて逃げ去るという遊びが男子を中心に流行ってるらしく、なるほどそうくるのかという感じの話であった。
「悲しいことに今の世界は課金しないと正確で有用な知識は手に入らないんだ。だが心配いらない。君たちは四年間のサブスク契約済みだ」という話は一年生に毎年してるのだが、それでも無料の野良情報でレポートを書いてくる学生さんは絶えない。
自分が子どもの頃、近所のジジババが「あらぁ、大きくなってえ」と目をまん丸にしてるの、何を大袈裟なこれだから大人は嫌だね社交辞令でいちいち、と思ってたけど、あれは違うな。過去の自分よ、おっさんおばさんは本当に驚いてる。
息子が最近復刻(?)された仮面ライダー555ベルトを欲しがるのですが、切り離せる携帯の部分が「見慣れぬ形をしてるがめっちゃかっこいい未来のガジェット」に見えるらしいんですよね。父ちゃんの机の中探せばたぶん似たようなのが埃かぶってる……
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美術館や庭園などに行く理由、「世が世なら分厚い壁越しに垣間見ることさえ許されず値段さえつかない文物について、せいぜい数千円の端金払って堂々とじろじろみることで人民としてデモクラシーの世を言祝ぐため」が3割くらいあるんだけど、なかなか分かってもらえない。
「男は末期がんを患っていて、治療が行われていましたが、25日までにみずからが桐島容疑者であるという説明を始めたということです」かあ。実質逃げ切りで、死ぬ前にスポットライトを浴びたくなったのかな。
教員が願書出し忘れという事故を見て、「願書出し忘れがないかチェックを徹底させます」という方向で考える人と、「教員が願書出すという仕組みがおかしいので本人が出す方式に変えよう」という方向で考える人とがいるのである。
ラーメン屋に入ったら、隣席が「なんだこれ雑に作りやがって」と皆に聞こえるように言う系の高齢男性だったのだけど、「こんなグルメ漫画の登場人物みたいなことリアルで発話する奴がいるのか」と思ったらおかしくて咽せそうになった。
解説の松坂さんが、「世界中の野球少年、野球少女が大谷選手を見てる」と当たり前のように野球少女に言及したのはとてもよかったと思いました。
もしかして「良い人にしか人権はない」とか「良い宗教にしか信教の自由はない」と素で思ってるんでしょうかね。それは人権とか信教の自由という発想をまったく理解してないということなんですが。
プーチンの演説、これをアジア主義的に翻案したものを中華様が本気で言ってきた時にどうかということは今のうちにちゃんと考えといた方がいいと思う。「この近代自体アングロサクソンの作った茶番だろ。二発原爆落とされて何やってんだよ。目を覚まして一緒に世界を作りかえようぜ、兄弟!」という。
某サークルの件、旅館側は怒って当然だけど、正直、飲み会が盛り上がって器物破損しちゃいましたみたいなのを「武勇伝」にしてたサークルなんて、90年代なら本当に普通にゴロゴロあったのではないか。秩序感覚の変化とSNSの浸透で絶滅危惧種になったのかな。
「みんなが私のように「アップデート」されれば世界はもっと良くなるのに」という考え方は宗教のそれとよく似ているので、はた目にはある種の新しい宗教対立に見えるんですよね。
「ゲームに負けた時に怒り出してしまう人とは誰も一緒にゲームをしたいと思わない」という重要な真理を息子に伝えようとしている。人生に通ずる大事なことなので。
昔、とある市民講座のTAをやっていた時、ある先生が必死に「これこれの慣習は日本の伝統だと思われてるけどそうではなくて〜」という話をした後に年輩の受講生がやってきて「先生のおかげでこれこれの慣習が日本の古来よりの伝統だと知ることができました。感謝します」と言ってきたことがあった。
お前たちが始めた偽善なんだからもうちょっとちゃんとやれよ、と言いたくなる気持ちはもちろん分かりますが、もうそろそろ「憧れるのはやめましょう」というか、そもそもあんなの見る方が悪いという方に気持ちが傾きつつあるのも事実であります。
「直接会って謝罪したいという強い思い」は、執拗なパワハラを可能にする性質それ自体から来てることが多いからなあ。関係性への執着と何かアクションを起こして自分が「スッキリしたい」という衝動強めの人格。
このMV、批判する側の日本人の「謎の白人意識」みたいなものも炙り出すので、狙ってやってたら本当にすごいと思う。
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bugs grooove x
@BugsGroove
ジャパニーズはコロンブスの何が悪いのかわからない野蛮な猿なので、欧米の先進的な反差別思想を学ばねばなりませんよ。
今夜の映像の世紀、スターリングラード攻防戦は、ドイツ側が降伏して捕虜9万人のところ無事帰れたのは6千人というあたり「降伏したからとて命が助かると思うなよ」という教訓とも取れて、時節柄なんとも暗然とさせられた。他にも随所にウクライナ戦争を見据えた独ソ戦描写という感じでしたね。
東京女子大のミスコン廃止、まことに結構と思うのだけど、「ジェンダーレスの時代の流れに合ってない」と女子大の人が言うことについては、ちょっと考え込んでしまいますね。
バービーキノコ雲問題、今のところ、ポリコレが結局は他者の痛みに対する繊細な感受性ではなく、「リスト」に入ってる表現に粛々と対応する(入ってないものには対応しない)官僚制的なものに帰結しかねないことがよく分かる顛末では。
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「父親は戦力外」がデフォルトの感覚だと「あの家は大変だから」と近所や学校が配慮してくれるというのは当時のリアルだったかもしれない。
上川発言を文字通り「子供を産む」の意味だと思って怒っている人がいるが、これがダメだとすると、たとえば、「なかなか論文が完成しませんがこれも産みの苦しみですね」的な言い回しも不可ということになりかねないと思うのだが。
「地下鉄ホームドア、公務員のひらめきで車両改修20億円→270万円」の話、本当に良い話なんだが、私たちの日本、こういう「ちょっとの工夫でなんとかすなる」話が好きすぎるのもそれはそれで問題なんだよなと思ったりも。
「熱血漢で口は悪いが学生思い。成績評価は温情指導」みたいな一昔前の「いい先生」がもうアウトな時代なんですよね。「丁寧を通り越して慇懃無礼、成績評価だけは刺しに来る」が制度的に正解になってる。
大学でも報道の自由でも政治家の汚職でもなんでもいいんですが、およそ「ランキング」と名の付くものを見たら、そのまま鵜呑みにせずに誰がどんな基準や尺度で選んでるのかを気にする習慣は、身に付けていたいものです。ランキング・リテラシー。
文章というのは読者よりもそれを書いた人自身に大きな影響を与えるんだということをむかし清水幾太郎が書いていました。ある考えや行動が先にあって文章が出てくると思いがちだけど事態はむしろ逆であると。そう考えるとTwitterの機能はなかなか怖いものがあります。
心理的負荷の高いショッキングな画像や映像を見せつつ「教科書からは見えてこない歴史の真実」を教えて囲い込む。かつて大学新入生に向けてセクトがよくやってたオルグの典型的手法で、東大生には割とよく効いたんですよね。
哲学・思想にウブな人が怖いのは「目覚めた」時に最初に見た哲学・思想を親だと思ってどこまでもついていってしまうことなんですよね。一生目覚めないならその点の問題はないのですが。
一つだけ。功も罪もあった人だと思いますが、分かりやすく残念な点は、長年連れ添ったお連れ合いが永の別れを済ませる前に関係者ぶって情報を開陳するようなてあいが友だち面して周りを跋扈していたことでしたね。
すでに指摘のあるところですが、自衛隊を軍隊ではないと読み替えることができるくらい柔軟な憲法解釈を一方で取りながら、他方で「両性の合意」を「両当事者の合意」と読み替えるのを渋るというのはいまいちよく分からないところではあるんですよね。
一年生向けの入門ゼミ、報告順を学生さん自治で決めてもらい(教員の決定による)権威主義の効率性に比したデモクラシーの非効率性を体感していただく趣向でしたが、瞬く間にLINEグループができ「あみだくじ機能」で解決したとかで、デモクラシーがテクノロジーによって効率化されるのを目撃しました。
他方で、古典を多くの「国民」が学ぶべきという建て付けにしてあるのは、それが放任しておけば容易にエリート主義と結びつくことがあらかじめわかっているが故の賢慮という側面があると思います。国民を分断しないためですね。
古文漢文も数理統計も「それが役に立たない人生」は容易に想像可能で、かつ実際に多く存在する。大量の高校生を目の前にして改めてびっくりするのは「この人たちはまだどうなるか分かんない人たちなんだ」ということなんですよね。
企業に法務部があるように「倫理部」を作ったらどうかという提案が反感を呼ぶの、法務部はリーガルチェックを経てなお紛争になった案件については徹底的に自社側で戦ってくれそうですが、「倫理部」はそもそも自社側に立って戦ってくれるのか心許ないという直感がその背景としてある気がします。
そう、サンデルと日本の学生が議論できないのは英語の問題じゃないと思うのですよね。要は思想というか型というか何らかの規範的言語を強制ダウンロードされたことが無いからじゃないですかね。極端な話、教育勅語(共産主義でももちろん可)を叩き込まれた学生の方が議論はできたと思うのですよね。
「霞が関ではこういう雑な議論は通らない」。いやぁ、実にかっこいいですなあ。ぜひお得意の精緻な議論で財務省と渡り合ってほしいもの。
娘がアニメゲゲゲの鬼太郎でネズミ男が立ち小便をしてるシーンに「なんてやつだ!」と激怒してる。「まあそうだけど、お父さんの子どもの頃は割といたぞ」と言ったら「えええ…」と分かりやすく引かれた。ポリツァイの規律化が進行しすぎてシーンの意味合いが変わってきてしまっておる。
「不快にさせてしまって申し訳ない」というテンプレが怪しからんというご意見と、「謝りたくないことでもまずは嫌な思いをさせてしまったことに対してごめんと謝る」というりゅうちぇるさんの発言を絶賛するご意見とがほぼ同時にTLを流れていった。難しすぎる。
漢字の読みはテレビを観てるご家庭の子どもの方が正しいことは結構あって、反対にテレビ禁止家庭などは活字中毒を生産するものの目から入るので読みは案外出鱈目だったりするんですね。私もそれで、長じてずいぶん恥をかきました。おかげで辞書をチェックするのが習慣になってよかったのですが。
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目の前で喋ってる偉い人の話は、その内容を問わず、自分の兼ねてよりの信念を肯定してくれる「エビデンス」だと信じて疑わないタイプというのは、実は結構いるんじゃないだろうか。本人は喜んでるので別にいいといえばいいのだが。
「キモい」が身を守るセンサーというのは生き物レベルでそうだと思うのですが、それが誤作動した場合にどうするかが人間の文明では大事な話であるところ、盛大に誤作動させたあげく無実の町長や町全体を盛大に叩きまくった人がそれを言うところが何とも言えないという話ではないでしょうか。
学歴より経験の人の「世界を一つの学校に」というスローガン、無意識なんでしょうが、彼女たちの生きる「地位の一貫性が高い社会(地位の非一貫性が低い社会)」を指し示す標語としてピッタリなんですよね。
「同性愛は気持ち悪い」と公言するのは差別、「国家が保護すべき婚姻制度の本質は生殖可能性」と主張するのは差別じゃないですよ。前者はもちろん後者の見解にも全く同意できなかったとしても、この二つが区別できなくなったらこの世は地獄よ。
「われわれもかつて過ちを犯した。力がわれわれにとって不満な現状を変える唯一の手段だと考える過ちを。言うまでもなくその代償は巨大だった。プーチン大統領、私は衷心から……」で始まる岸田演説を聴いてみたいですねえ......
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「ワシに貸せぃ」と厨房に乗り込む伝説の元ラーメン職人かと思って固唾を飲んで見守ったのだが、ただの1000円に満たない商品にまで丁寧さを求めるわたくしたちの日本の消費者だった模様。
「目の前のブラウザでググるな。VPN通して学内のデータベースで検索しろ。何のために学費払ってるんだ」と口を酸っぱくして言わなくてすむ。
「西洋古典に比べて日本古典は自国に閉じすぎ」という呟きをみかけましたが、そういう時に想定される西洋古典はナショナリズム以前(ex.ブリテン島人がなぜかギリシャ古典を「我が古典」と思い込む)で、日本古典についてはなぜか漢籍や仏典が抜けているという特徴がありますね。
年の差婚が倫理的に悪であり、同性婚は倫理的に善であるところの包括的な道徳パッケージを他者にも強制したいという人は、要は「新しい教育勅語」を求める人々なのであると思っている。なお、私は他者の性関係・婚姻関係を倫理的観点から評価すること自体に反対(なので同性婚には賛成)である。
岸田文雄という政治家、55年体制というより平成デモクラシー志向が強い、実は小泉純一郎的な政治家なのかもしれませんね。顔が55年体制っぽいのでみんな勘違いしてしまう。
漢文学習をやめて中国崇拝から脱却しようと唱える人のうち何人が本居宣長をちゃんと読もうとするだろうか。まじめに宣長を読んで「やっぱ「日本」という国号だめじゃん、まして党名になんて最悪じゃん……」というところまでいけば大したものですが。
Twitterが議論に向いてないとは全く思わなくて、そもそも議論は「きちんと負ける用意のある人」同士の間でしか成り立たないというだけの話なんだと思います。
子どもを性的対象として見るフィクションの是非が話題のようですが、そういえば『源氏物語』が有りか無しかで江戸時代くらいから儒学者と国学者がバチバチやってました。女性作者による「今どきの価値観ではアウト」な作品の金字塔かもしれませんね。
「謝ったら死ぬ病」問題もこれと同じことで、「謝ったらそれ以上はぼこぼこにされない」というお約束が妥当する環境自体が実は割と高度な文明的作法の産物なんでしょう。
「アップデートされた人権意識がいかに上手に表現されているか」みたいなハリウッドやディズニー映画「批評」が当たり前になってみると「坪内逍遥が勧善懲悪を排して近代文学を立ち上げようとした~」みたいなごく陳腐(に昔は見えた)文学史の知識が改めてがぜん面白く見えてくるというのはあります。
大学院時代に、中国政治研究の専門家と「あの国は「デモクラシーへの軌道」に入ったのか」で激論したんだけど、「軌道に入った、大丈夫だ」側の専門家が繰り返しいったのが指導部定年制の存在だったんだよね。あれがある限り大丈夫と。
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「あんなの学校でやったけど全然役に立たなかったよなあ」と多くの人が共通の話題にできる社会くらいがちょうど健全でいいのではないでしょうかね。
漢文廃止を唱えながら保守党を名乗っちゃうの、大和心を讃えながら英語横文字をタイトルにしちゃう長渕剛みたいなもんで笑っちゃうけど、これは本邦の思想史の割と本質的な問題に接続してるので、すぐに真顔になる。
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放っておけば多くの人が学ばない(生活や出世の役にすぐには立たない)ものは金や余暇がふんだんにあるエリートたちが「貴族」になるにあたってこれほど好都合なものはあんまりないのです。「あら?源氏物語もご存じない? クスクス」という世界は別に夢物語でもなんでもない。
「キリスト教が定着しないから日本には真の個人が育たず、したがって真の近代も来ていない」。この種の主張、ふた昔以上前の思想史叙述では超あるあるなんですよね。
似たような生活をしている人が増えすぎて桐島聡のセルフ流刑も意外とリア充に見えてしまうというのはあるのではないか。家族に会えず、家族も持てずに、自宅と職場を往復してたまに飲み屋で憂さ晴らしというのは、その同世代の感覚ではやはり「世捨て人」だろう。
教育で「権利」をどう教えるかみたいな話、「権利主張された側が嫌な顔しないようにしたい」方向の人をよく見かけるけどこれはこれで筋違いで本当に教えるべきは「嫌な顔されたくらいで権利主張をやめてはいけない」の方なんですよね。嫌な顔されるのは当たり前なんだから。
某卒判不正疑惑エッセイ漫画、作者の分身であろう〈わたし〉が、読者の共感を全く呼ばないタイプのいけすかない奴で、惨めで無様な行動をひたすら取り続ける様を描くというのは、ただしく私小説以来の伝統であろうなと思った次第。
自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性がある(あるいはかつて実際に侵攻した)ことを「自覚」するとなんかいろいろあって「ロシアを責めるだけでいいのか」という結論になるという謎の理路、流行ってるんですかね。端的に意味が分からないと思うのですが。
もう半ばそうなのかもしれないが、失言同席罪とか曖昧微笑罪がそのうち適用され始めるので、即座に憤然と席を立つ瞬発力を皆が鍛え始めることになるんだろう。瞬間の判断が(社会的)生死を分けるような時代、あんまり幸福じゃないと思いますけどね。
「確かに拡散した情報は結果的にデマだったかもしれないけど、メッセージの基本的な方向性は正しいから、そこまで悪いことだとは思わない」。こういう感じの人、311の時に一挙に可視化されましたよね、そういえば。
「極東」にいる私たちからすると、つい「ヨーロッパが血相変えてるのはやっぱりアジアやアフリカ、アラブ、イスラムじゃないからですよねえ」と皮肉の一つも言いたくなりますが、そういう気分もまたロシアが動員したい資源の一つであるというのが情報戦の怖いところですね。
日本を滅ぼすものは〜という言い方は好きじゃないけど、現状の本邦のボトルネックの多くは、「キモい」の情動と「清貧」の思想に由来してると思っていますね。
重信房子を「ちょっと過激な昔のアイドル」みたいなノリで紹介する報道がありなんだから、割となんでもありなんじゃないですかとは思いますね。
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あそこにあるのは「世界」なんかじゃなくて、ただのアメリカで、それ以上でも以下でもないんですよね。
今さらではありますが、政教分離については現行憲法の解釈と判例の蓄積とともに、フランス型の厳格なlaïcitéの発想と、アメリカ型の「宗教の自由市場(独占禁止)」の発想という大きく異なる二つの枠組みのどちらで議論しているのかくらいは各自で踏まえておきたいものです。
「文庫はむしろ相対的には無産者のための文化」も、「岩波文庫全巻完備は実は超大変」も正しいのだろうが、それはそれとして岩波文庫を読んだことはおろか見たことすら無い学生さんに毎年春に大量にお目にかかるので、元ポストの言いたいことはだいぶ分かる気がする。
「ファンネル」とか「犬笛」って、21世紀インターネットにおける戦術革命を知らないと全く文意不明な言葉になるだろうな、この時代を扱う後世の研究者にとって。
戦前の描写で左翼が平和主義者として出てくることが多くてモヤっとすることがあります。例えばマルクス主義者であれば帝国主義戦争は不可避であって、戦争を内乱に導くことの方が大事なので、平和運動よりはプロレタリア内乱準備が大事なのですよね元来は。