岸田首相VS菅前首相 最後の戦い

政治Plus

今野忍

 時には血で血を洗うような戦いに明け暮れることもあった自民党の総裁選。自民党が政権与党であるがゆえ、事実上この国のトップリーダーを選ぶ国内政治の最大イベントだ。そのイベントが開催される今年秋には、岸田文雄首相と菅義偉前首相という「因縁の2人」が真っ向対決することになる。国会の閉幕とともに早速、その火ぶたが切られた。

 自民党の裏金事件の処理に明け暮れた2024年の通常国会の閉会日となった23日。菅氏は文春オンラインの番組に出演した。

 「総理自身が派閥の問題、他の派閥と同じように抱えているわけで、責任をとっていなかった。いつとるのか。いつ言及するのかと、皆さん見ていたけど、結局その責任について触れずに今日まできている。そのことについて不信感というのは一般の国民は結構多いと思う」

 派閥の裏金事件で自らへの処分を見送った岸田氏を公然と批判した。さらに司会者から「9月の総裁選に新たなリーダーが新たな政策を掲げて出てくるべきか」と振られて、こう言い切った。

 「そう思います。そこを国民に自民党のそうした刷新の考え方とか、しっかりと理解してもらえる最高の機会だ」

 秋の総裁選に向けて、菅氏による事実上の「宣戦布告」となった。この二人の因縁は根深い。

 私は12年、野党自民党時代に菅氏の番記者になり、その後、第2次安倍政権で菅氏が官房長官に就任すると、そのまま官房長官番として菅氏の担当を続けた。岸田氏についても、野党時代の国会対策委員長や政権復帰後の政調会長の時期に断続的に番記者として取材を続けてきた。

 そんな私からみて、まったく正反対の2人であり、秋の総裁選はその2人による「最後の戦い」となるとみている。

   ◇

 「おい、この前のBSフジを見たか」

 19年の年末だった。安倍政権で官房長官だった菅氏から突然の電話。

 「いいえ、見ていません。岸田さんが出演した回のことですよね」

 そう聞く私に、普段は寡黙な菅氏がまくし立てるようにこう語った。

 「『総理になってやりたいことは何か』と尋ねられて『人事』なんて答えやがった。要するにあいつにはやりたい仕事やビジョンがねーってことじゃねーか」

 菅氏は「人事」について権力の源泉であると同時に自身が進めたい政策を実行するための手段と捉えていた。内閣人事局を立ち上げて、霞が関人事を掌握することで、外国人労働者や携帯電話料金の値下げなど自身のこだわりの政策を進める。時には「強権的」と批判されるほど、権力の行使に容赦がない。そんな政治手法を得意とする菅氏にとって、岸田氏の「やりたいことが人事」という答えは意味不明だったのだろう。

 「あいつを総理にしちゃいけねーよな」

 菅氏はそうこぼして私との電話を切った。

 そして、20年8月、安倍晋三首相が突然の退陣表明をすると、菅氏が岸田氏に先んじて総裁選への立候補に動き、一気に流れを引き寄せた。

 菅氏に惨敗した岸田氏は発足した菅政権で冷遇される。菅内閣には岸田派から上川陽子氏と平井卓也氏の2人が閣僚に任命されたが、当時岸田派会長だった岸田氏には、その人事を知らせる1本の電話もなかった。

 「俺はそんなに嫌われているんだな」

 岸田氏は心に刻むように言葉を振り絞った。

 当初は65%という高支持率で内閣を発足させた菅氏は「岸田さんはもう終わりだよね」と語っていた。

 「政界は一寸先は闇」――。

 これは岸田氏の口ぐせだが、そんな2人の関係が一変したのが21年夏ごろだ。新型コロナ対応で後手に回り、緊急事態宣言を断続的に出す菅首相の支持率は急落。

 その年の4月から補選や都議選など選挙に負け続ける姿に、岸田氏は「このまま菅政権が続いたら自民党が終わっちまうよ」。

 8月に入り、岸田氏と向き合った私にこう言い切った。いつも控えめな発言が多い岸田氏にしては、やけに踏み込んだ発言だった。まさにそのころ、水面下で側近の木原誠二氏ら岸田派のメンバーに公約の作成を指示。総裁選への出馬準備を進めていたことが後に発覚する。

 岸田氏は現職だった菅氏との全面対決を選ぶ。岸田氏が出馬表明した後、菅氏は再選の断念に追い込まれた。

 あれから3年。再び攻守逆転した姿で二人は対峙(たいじ)することになった。

 菅氏は雪深い秋田の山奥のイチゴ農家に長男として生まれた。高校卒業後に東京に出てきた菅氏は曲折を経て政治の世界へ。国会議員秘書、横浜市議を経て衆院議員の座をつかむ。

 対する岸田氏は故・宮沢喜一元首相を親戚に持ち、祖父の代から衆院議員という「世襲」であり、小学校時代はニューヨークに住んでいた。

 「たたき上げ」と「プリンス」。どちらも自民党で総理総裁に上り詰めながら、攻守が交差して対決が続く。「まだ道半ばだ」と首相続投への意欲を隠さない岸田氏に対し、公然と「退陣要求」を突きつけた前首相。この正反対な2人をどちらも番記者として間近で見てきた私としては、因縁の2人による3度目の対決、最後の戦いを、秋までしっかりと追い続けたい。(今野忍)

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この記事を書いた人
今野忍
政治部|与党担当

国内政治、外交・安全保障

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    曽我豪
    (朝日新聞編集委員=政党政治、教育改革)
    2024年7月1日17時3分 投稿
    【視点】

    政治記者の仕事の一つは政治家の心の中を覗くことだと思ってきました。むろん政策を度外視した政局記事に偏するのは要注意ですが、生の人間である政治家がこの国に政権づくりに決定的な影響を与える以上、その心の内を情報として報道するのは意義のあることだと信じます。 今回は今のところ、麻生太郎氏と菅義偉氏のキングメーカー争いにフォーカスするむきが多いように思いますが、私も、菅氏と岸田文雄首相とのいわば遺恨試合が一番の奥底にあると感じています。 菅、麻生両氏の政治的師匠だった故梶山静六氏がかつて、私に「政治家は誰しも最後は笑って死にたいんだ」と言っていたことを思い出します。ただ、その梶山氏も「愛憎半ばする」と認めたかつての盟友小沢一郎氏との政治改革政局に際して「憎」が先立ち、非自民政権誕生という一敗地に塗れました。  最後の戦いは、時に理性や常識を見失う激情をもたらすかもしれません。そんな感想を持ちました。

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