【旧約】狂気の産物   作:ピト

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 数話、大部分が深雪視点です。


追憶編
第24話


-------2095年、11月6日、四葉本家、応接室

 

 『灼熱のハロウィン』と呼ばれる朝鮮半島の軍港付近での大爆発が報道されてから約一週間が経過した日曜の午後、深雪と達也は四葉本家へ顔を見せていた。兄妹がこの地図にも載っていない山村に足を運んだのは、真夜の招きという強制力のあるもののせいでもあるが、達也のしでかしたことを鑑みれば当然のことかもしれない。

 

 徹底的なまでの秘密主義を貫く四葉は本家といえど他の十師族の本邸と比べるとさほど大きくはない。その理由は外部からの客を招くこと自体が異例であるからだ。外見は武家屋敷調伝統家屋ではあるが中身はモダンな仕様で和と洋が混在している。

 

 兄妹が通されたのはプライベートで使用される小さな応接室ではなく、『謁見室』と称される大きい応接室であった。この意味するところは兄妹に、達也に対して真夜が四葉家当主として呼び出したという事になる。

 

 実に三年振りの顔合わせとなる事に深雪はそれが良い事なのか悪い事なのか判断しかねていた。ただ三年前と比べ、達也の立ち位置は深雪の背後から真横へと変化している。

 深雪は兄の方を窺うように見る。達也の顔は一切の不安を感じさせないような無表情であった。そして深雪の視線に達也が気付いた時、彼は力強く頷いた。

 

 (お兄様はご不安を抱えていらっしゃらないのかしら……尽夜さんは本家に関しては心配するなとおっしゃってくださいましたけれども……)

 

 深雪は最愛の彼の言葉を思い出して不安を和らげようとするが、あまり効果はでなかった。尽夜は論文コンペの日以降一高に姿を見せていない。この一週間、連絡もなかった。

 

 (三年前から私とお兄様の関係は変わり、尽夜さんに私は好意を明確に持つようになった)

 

 深雪はソファに深く腰掛け、意識は三年の時を遡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

---------2092年、8月4日

 

 シートベルト着用のアナウンスが聞こえたのを機に、私は『読本・現代史』とタイトルがつけられた魔法師向けの教材ファイルを閉じた。それと同時に意識が現実に戻り、ファイルの文字列を追っていた目線はチラチラと隣の席に座るある男の子に向けるようになる。

 

 彼の名前は四葉尽夜。私の叔母様、四葉真夜の息子で私の従兄弟に当たる人。それから私と同じ四葉の次期当主候補。私より少しだけ高い身長、女の子のように黒い艶のある髪の毛、叔母様の紅い目を受継いでいる。私にはまだよく分からないけれど彼が1番叔母様の遺伝子を受け継いでいるのは誰もがその雰囲気だと答えている。

 

 彼と初めて出会ってから約八年、今だに私は彼に会うたびに緊張が取れないでいる。最初に謁見した時は彼から目を離すことができなくて、上手く会話が成り立たなかった。彼はそんな私を疑問にも思う事なく、微笑んで会話をリードしてくれた。

 

 今現在、飛行機の中でただ隣に座っているだけなのに胸の鼓動はいつもより少し速いのが分かる。ノーマルシートのように肘が隣と当たるような距離ではなく、ちゃんと隣席との間に空間があるにも関わらず、先程のように別の事に集中してないと頭の中で無意識に彼のことを考えてしまう。だから読んでいた物は少し私にとっては難しめの内容。それくらいじゃないと私の意識が奪えないから。

 

 卵型カプセルシートの内側に映る南の島のリアルタイム映像。その鮮やかな緑色と輝く海へと私は、いや私達は沖縄へ家族旅行に来ている。彼は従兄弟なのだから家族の範疇に収めても何ら問題はないと思うし、なにより我が家の場合は家族旅行でもプライベートじゃないケースがほとんどなので、柄にもなくウキウキしてしまっている。ただ一つ、兄も一緒というのが玉に瑕なのだけども。

 

 到着ロビーの会員制ティーラウンジを出ると、預かり手荷物を取りに行っていた兄が待っていた。お母様の隣を歩きながら肩越しにチラッと振り返ると、尽夜さんの隣で当たり前のように私たちの荷物を載せたカートを押す兄が不満そうな顔一つせず黙々とついて来ていた。何時も通りに……私は別にこの兄が嫌いではない。ただ苦手なだけだ。いったい何を考えているのかが分からない。

 

 何故家族でありながら使用人同然の扱いを受けても平気なのだろうか。そんな態度なら兄の横にいらっしゃる尽夜さんの方がよっぽど兄らしいのに…。そんな事を考えていると兄と私の目が合った。おそらく何度も振り返っていた私の視線が気になったのだろう。

 

 「……なんですか?」

 「何でもありません」

 「でしたらジロジロ見ないでください。不愉快です!」

 

 私がちらちら見ていたから兄も私の方へ目を向けたのだ、と理性では分かっている。だけど私の口からは不機嫌な声しか出てこなかった。理不尽だとは分かっている。兄を使用人扱いしているのは私達の方であって兄がそれを望んだわけではない。それなのに私は兄に自分勝手な苛立ちをぶつけている。

 

 「失礼しました」

 

 兄は立ち止り私に向かって頭を下げた。そしてさっき迄より少し離れて私たちの後をついてくる。何故、と思う。今のは私の我が儘なのに……。もう一度兄を見ると今度は尽夜さんと話をしていらっしゃり、私の方に向いてはいなかった。

 

 (これじゃあ私、嫌な子だわ。やはり私はこの兄が苦手だ)

 

 その後は、尽夜さんと話す兄を盗み見るしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回私たちが滞在するのは恩納瀬良垣(おんなせらがき)に買ったばかりの別荘だ。お母様は人の多いところが苦手だから、という理由で父が急遽手配したものなのだが、別荘を購入した資金はお母様を娶って手に入れたもの。相変わらずあの人は愛情をお金で贖えると思っているらしいのだ。

 

 私は軽く頭を振って、頭の中から父の事を追いやった。せっかくバカンスに来ているというのに、不愉快な想いに囚われるなんて愚かしい事だと気付いて。

 

 「いらっしゃいませ、奥様。尽夜君に深雪さんも達也君も良く来たわね」

 

 別荘で私たちを出迎えてくれたのは、一足先に来て掃除や買い物を済ませておいてくれた桜井穂波さんだった。彼女はお母様のガーディアンだ。

 

 五年前までは警視庁のSPだった。退職する時は随分と強く引き止められたらしいけど、彼女がお母様のガーディアンになるのは警視庁に就職する前から決まっていた事で、警視庁に入ったのは護衛業務のノウハウを学ぶ為だった。

 

 彼女は遺伝子操作により魔法資質を強化された調整体魔法師『桜』シリーズの第一世代。二十年戦争末期に研究所で作られ、生まれる前から四葉に買われた魔法師だ。

 

 しかしそんな生い立ちを少しも感じさせない明るくさっぱりとした女性で、ガーディアンの本分である護衛業務以外にも、お母様の身の回りの細々としたお世話をしてくれる。本人曰く、家政婦の方が性に合っているのだそうだ。

 

 本来護衛対象から離れる事の無いガーディアンが一足先に別荘へ来ていたのは、現地の情報収集の為であり、兄が私とお母様の傍にいたからなのだが、だったら桜井さんと兄の役目を逆にしてほしかった。兄に生活環境を整えさせるのは無理だから、仕方のない事なのだけど。

 

 「さぁ、どうぞお入りください。麦茶を冷やしておりますよ。それともお茶を淹れましょうか?」

 「ありがとう。せっかくだから麦茶をいただくわ」

 「はい、畏まりました。貴方達も麦茶でよろしいですか?」

 「ええ、よろしくお願いします」

 「はい、ありがとうございます」

 「お手数をお掛けします」

 

 唯一つ、桜井さんに不満があるとすれば、兄をお母様の息子として、私の兄として扱う事だろうか。

 

 「達也君、荷物運ぶの手伝うわよ」

 「いえ、これくらい問題ありません」

 「良いの、良いの。こういうのは達也君より私の方が得意なんだから」

 

 運ぶだけなら兄の方が向いているだろうが、その後の荷物整理は確かに桜井さんの方が得意だ。だけどもその荷物は兄が運んできたもの、兄が運ぶべきもの。そんな事を考えてしまう私は、やはり嫌な子なのでしょうか。

 

 「達也君も疲れてるでしょ。後は私に任せてお部屋に行っていいわよ」

 「いえ、二人で運んだ方が効率的です」

 

 何故だろう、桜井さんが兄と親しく話しているのを見ると、胸の奥がチリチリと痛むのは……叔母様も兄と親しく話してる時があるのだけども、その場面に出くわすとお母様がつまらなそうな表情を浮かべるのを見た時も、似たような痛みを感じたのです。これはいったい何なのでしょう? 

 

 私はそんな事を考えながらお部屋の整理を済ませ、窓を開けてのんびりとしていました。

 

 「失礼します。あら、深雪さんも荷物の整理は済ませちゃったんですね」

 「ええ」

 「でしたら、尽夜君が一緒にお散歩でもどうかとおっしゃってましたよ?」

 「えっ?あ、はい」

 

 尽夜さんのお誘いに私は戸惑いながらも二つ返事で返しました。

 

 「では……」

 

 その後、桜井さんに日焼け止めを塗ってもらったのですが、その時の事は出来る事なら思い出したくないものでした。

 

 何故桜井さんはあそこまでノリノリだったのか? 何故手の動きが若干卑猥に感じたのか? そんな事は考えなくても良い事なので、私は記憶の奥底に封印したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

---------浜辺

 

 別荘近くの浜辺を私は尽夜さんの隣で歩いていました。海からの潮風が心地良く、桜井さんに全身満遍なく日焼け止めを塗ってもらったおかげで、日差しを気にする事無くお散歩をする事が出来ます。塗られた時は酷い目に遭ったと思ったけど、もし塗って無かったら後で大変な目に遭っていたかもしれないので、結果的に桜井さんには感謝しなければなりません。

 

 隣を歩く尽夜さんの潮風に(なび)く髪は綺麗で、今思えば扇情的なものでした。凛々しい顔立ちからはとても同い年には思えません。何故か何でもないことなのに隣で歩けるのは嬉しくて私の顔は自然に笑顔になっていたことでしょう。

 

 私達から少し離れた位置には兄がついてきています。お母様のお言い付けに従って…。

 

 兄が同行することになっている事を思い出して先程の笑顔が急速に降下していきました。せっかくのお散歩にこの人が同行するなんて……。

 

 あの人の足音は聞こえないし気配も無い。もっとも、私は最初から気配など探れないのだけども。

 

 しかし振り向けば兄がいるのは間違いないのだ。兄は私のガーディアンなのだから。

 

 あの人が私のガーディアンになったのは私が六歳の時、尽夜さんに初めて会った一年後の事だった。私の初めてのガーディアンは兄で、多分それはこれからずっと変わらない。

 

 兄は四葉家当主の姉の息子ではなく、次期四葉家当主候補のガーディアンとして、私がもし当主になったらその影として一生を終える事になるだろう。私がガーディアンの任を解かない限りは。そう、ガーディアンは特別な状況ではない限り、護衛対象に解任された場合に限りその義務を免れ一人の人間として生きる事が出来る。

 

 兄が私についてくる。あの人が後ろから追いかけてくる。私はあの人から離れられない。あの人は私から逃げられない。逃がさないのは私、逃げられないのはあの人。

 

 私だけがあの人を普通の中学生に戻してあげられるのに。あの人が、兄が普通の中学生でいられないのは、私が兄を辞めさせないから。私は兄が苦手だけれども、私は兄が嫌いではない。

 

 ではなぜ私は兄をこの酷い境遇に縛り付けているのだろうか? その事を考えても答えは出ない。この事を考えようとすると、如何いう訳か私の頭は働かなくなってしまうのだ。

 

 「……深雪」

 「えっ?はい!」

 

 その時に急に尽夜さんに話しかけられました。尽夜さんは私の情緒が不安定になるといつも適時に話しかけて下さいます。離れている時はお電話が掛かってきます。まるで私の心が読めるかのように的確に私の心を掴んできます。

 

 「自分の心に正直になればいいよ。何も叔母上、深夜さんの真似をしなくとも良いんだよ」

 「……」

 

 この時の私は尽夜さんの言葉を理解できませんでした。私がお母様の真似をしてること自体自覚がなかったからです。それでも何も返答することが出来ずにだんまりを決め込む私に尽夜さんは優しく微笑んでくださいました。

 

 「今は理解できずともいつかは理解できればいいからね」

 「………はい」

 「でも失ってからじゃ遅い事も覚えておいてほしいな」

 「…??」

 

 首を傾げる私に今度の尽夜さんは苦笑いするだけでした。この人は一体どこまで深く物事を考えているのでしょうか。尽夜さん、貴方の目にはいったい何が映っていらっしゃるのですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-------ホテルパーティー会場

 

 昼間のお散歩では私の不注意で男の人にぶつかってしまった事があり、尽夜さんと兄のお陰で何ともならずに済んだ。

 

 私は今、憂鬱な気分で私は普段着からカクテルドレスに着替えて、髪飾りとネックレスを着けている。その理由はお母様の名代でパーティーに出席しなければならないからだ。お母様は体調が優れないため部屋で大事を取っておられるのです。欠席と連絡すれば良いのでは、と思ったりもしましたが招待主が黒羽貢さん、四葉家に名を連ねる者であるため断り辛いらしい。

 

 まあ、パーティーは嫌いではない。それに尽夜さんにおめかしした姿をお見せできるのは悪い気分ではなかった。けれど初日ぐらいゆっくりとさせて欲しいものだった。

 

 「深雪さん、準備はできましたか?」

 

 ドア越しに桜井さんから声を掛けられる。グズグズと準備をしていた私を呼びに来てくれたようです。返事をすると桜井さんは部屋の中に入ってきました。

 

 「なんだ、もう準備は済ませていらっしゃるじゃないですか」

 

 彼女は苦笑いで私のそばに寄って来ます。

 

 「そんなに不機嫌そうな顔をなさっては、可愛いお顔が台無しですよ」

 「………分かりますか?」

 

 私としてはそれ程顔には出してないつもりではあったが、桜井さんにはお見通しのようだった。

 

 「私には、ね」

 

 パチリとウインクをする彼女の言葉から彼女以外は分からないほどだと悟った。

 

 「もうっ、からかわないで下さい!」

 

 ムスッと頬を膨らませる私に、桜井さんはクスクスと笑った。

 

 「ごめんなさい……でも私以上の『目』の持ち主だって世の中には大勢いますからね。身近ではあなたのお兄さんとか、今夜貴方をエスコートする尽夜さんとかね」

 「えっ?」

 

 尽夜さんはなんとなくそうだろうと思うけれど、あの人がそんなに私のことを分かっているだなんて思っていなかった。私の兄は鋭い人なのですね。

 

 「良いですか、深雪さん。どんなに上手に隠したつもりであったとしても、気持ちというものは目の色や表情の端々にあらわれてしまうものですからね。必要なのは自分の気持ちを上手く騙せるようになる事、でしょうか。建前というものは、まず自分自身を納得させる為のものなんですよ」

 「建前……ですか」

 

 桜井さんのアドバイスを胸にそれを反芻する。しかし子供にそんな事がすぐに実践できるはずも無くパーティー会場に向かうコミューターの内で会場に近づくにつれて気分は落ち込んで行く。別荘で尽夜さんがドレス姿をお褒めくださった時は胸が熱くなって気分は優れていたのに。こんな時、いつもなら隣に座る尽夜さんがお声をかけていただけるのに今日のコミューター内では何故かそれをしていただけることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティー会場に着くと、兄によってコミューターのドアが開かれ、尽夜さんの肘に手を添えた形で会場内に入って行った。

 

 豪華な机や食事が並べられ、会場は既に賑わいを増している最中であった。私達は招待主の黒羽貢さんの元へと挨拶に行った。

 

 「今回はご招待いただきありがとうございます」

 「ありがとうございます」

 

 尽夜さんが形式通りの挨拶をして一礼するのに合わせて私もお辞儀をする。

 

 「よく来たね、尽夜君、深雪ちゃん。お母さんの体調は大丈夫かな?」

 

 貢さんから歓迎され、お母様の様態を聞かれた。兄のことは無いものとして扱うのはいつもの事。

 

 「お気遣いいただきありがとうございます。少し疲れがでただけだと思いますので、本日は休ませていただきました」

 「それを聞いて安心したよ。おっと、こんなところで立ち話もなんだから奥へどうぞ。亜夜子も文弥も、深雪ちゃんに会うのを楽しみにしてたんだよ」

 

 貢に連れられて奥へ向かうと一組の少年少女がこちらに気付いた。

 

 「亜夜子さん、文弥君、二人ともお元気?」

 「深雪姉さま!お久しぶりです」

 「お姉さまもお変わりないようで」

 

 私から声をかけると、文弥君は嬉しそうに、亜夜子さんは待ち構えていたような、それぞれにいつもの笑顔で迎えてくれた。

 

 亜夜子さんと文弥君は私より一学年下の小学六年生。私と兄とは違い本物の双子なのだ。一学年下と言っても私が三月生まれで二人は六月生まれなので歳は同じ。それも原因の一つなのでしょうが、昔から亜夜子さんは私に対してライバル心を抱いているのだ。

 

 「尽夜兄さまもお久し振りです!」

 「尽夜さん、お久しゅうございます」

 「文弥に亜夜子、久し振り」

 

 私に引き続き、尽夜さんも二人と挨拶を交わします。尽夜さんはそのお人柄通りに二人からは慕われていらっしゃいます。

 

 その後、貢さんから黒羽姉弟の自慢話を聞かされて時間が経ちました。それにつれて文弥君がソワソワし始めます。

 

 「……ところで、深雪姉さま。達也兄さまはどちらへ?」

 

 話が一段落したのを見計らって文弥君が兄の居場所を聞いてきます。文弥君は私を実の姉同様に慕ってくれていますけれど、それ以上に兄の事を慕っています。その目からは尊敬というより崇拝と言った方があっている程に…。

 

 「……あそこで控えさせているわ」

 

 私は壁際を指示する。

 

 「……えっと、どちらでしょうか?」

 

 壁際に視線を向けながら、きょろきょろと目をさまよわせる文弥君の隣で、亜夜子さんが無関心を装いながらもチラチラと壁際に目をやっている。亜夜子さんは文弥君以上に兄を慕っている節があるのだ。それはもう、恋心を抱いていると言っても過言ではないほどの関心を持っているのは見てすぐわかる。

 

 彼女の分かりやすい態度がおかしくて、つい口元がほころんでしまったけども、亜夜子さんはそれが文弥君に向けられたものだと思ったようだ。関心のないフリを貫く彼女の隣で、私は文弥君に兄が立っている場所を指し示す。兄は私たちを見ていた。

 

 「達也兄さま!」

 「もう、仕方ないわね!」

 

 兄を見つけパッと顔を輝かせて文弥君が兄の許へ小走りに駆け寄る。文句を言いながらも亜夜子さんも早足に文弥君を追いかける体で兄に近づいていく。

 

 そして文弥君は何事か一生懸命兄に話し掛けている。兄は数度頷いてから、唇の端を小さく吊り上げ、わずかに白い歯を見せて笑った。

 

 えっ?笑った?あの人が?嘲笑でも苦笑でもなく、あんなに普通に?何故……?私にはあんな笑顔を向けてくれたことはないのに…!

 

 「こらこら二人とも、達也君の仕事を邪魔しちゃ駄目だろ」

 

 貢さんは私が一生懸命作り笑いをしている隣で本音をまるで窺わせない完璧な作り笑いをしていた。

 

 「あらお父様。少しくらいよろしいのではありません? 深雪お姉さまはわたくしたちがお招きしたお客様。ゲストの身辺に害が及ばぬよう手配するのはホストの義務ですもの。ここにいらっしゃる限り、達也さんのお手を煩わせる事は無いと思いますけど」

 「姉さまの言うとおりですよ。黒羽のガードは一人のお客様の身の安全も保証出来ないほど無能ではありません。そうでしょ、父さん?」

 「それはそうだが……」

 

 二人の言い分に困り果てた叔父様に助け舟を出したのは、他らなぬ兄だった。

 

 「文弥、亜夜子ちゃん、あまりお父様を困らせるんじゃないよ」

 「でも、達也兄さま……」

 「滅多にお会いできないのですし、たまにはゆっくりとお話してもよろしいじゃないですか」

 

 縋る二人に兄は再び笑みを浮かべています。

 

 「黒羽さん、会場の中はお任せしてよろしいですか? 自分は少し外を見回って来ます」

 「おお、そうかい? それは立派な心がけだ。分かった、深雪ちゃんの事は任せておきたまえ」

 

 桜井さんが出かける前に言っていた自分を上手に騙すような建前を、兄と叔父様は上手く使いこなしている。

 

 「そんな! 僕たち、明日には静岡に帰るんですよ!」

 「文弥、少し落ち着きなさい……ですが達也さん、さっきも言った通り、滅多にお会い出来ない上に私たちは明日には帰ってしまいます。ですので早めにお戻りくださいね?」

 「分かった。一通り見て回ったら戻る事にするよ。では黒羽さん、少し外させていただきます」

 

 兄は自分の役割を忠実にこなしている。私もそうでなくてはならない。三人の会話を聞きながらそう思った。

四葉家次期当主について

  • 尽夜
  • 深雪

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