第1回だれが通報?警察が客に… 「禁書」並ぶ香港「独立書店」静かな戦い
香港の九竜半島、生地の問屋が集まる一角にある「狩人書店」を消防当局の職員が訪ねてきたのは6月中旬のことだった。「消防用の通路が塞がれていると通報があった。検査する」
店長の黄文萱さん(32)は「またか」と心の中でため息をついた。
【連載】沈黙する「自由都市」 香港市民はいま
2020年6月30日に施行された香港国家安全維持法(国安法)は、「自由都市」と呼ばれた香港を変えました。あれから4年。厳しい統制で街が沈黙したいま、市民はどう生きているのでしょうか。
先週、訪ねてきたのは警察だった。その前は衛生当局だったり、税務当局だったり、建築当局だったり、労務当局だったりした。誰かの通報に基づき、どこかの政府部門が「検査」にやってくる。そんなことが週に1回は続いている。
誰が通報しているのか、いや、本当に通報している人がいるのかもわからない。スタッフが2人ばかりの書店は、そのたびに対応を迫られる。
「『検査』が多すぎて、正常な営業が難しい」と黄さんはこぼす。
こぢんまりとした店内には書籍がびっしりと並ぶ。
国安法施行後に増えた「独立書店」
1989年に北京で発生した天安門事件の写真集は、民主化を求める学生を中国軍が弾圧した事件のさなか、中国軍の発砲によって血を流す人びとの様子を収めている。「統一とはすなわち奴隷になることだ」と題した本は、中国の民主活動家で、国家政権転覆扇動容疑で逮捕されて服役中に死亡したノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏が、中国が統一を目指す台湾や、香港について書いたものだ。さらに、2019年に香港で広がった反政府デモに参加した人びとを紹介する書籍なども販売している。
いずれも中国本土では販売できない「禁書」扱いのものだ。
狩人書店のような個人経営の書店は香港では「独立書店」と呼ばれており、大手チェーンでは扱わないような政治的に敏感とみなされるような書籍を扱う店も多い。また、読書会などを通じて、報道の自由や性的少数者に対するものなど社会的な討論の空間も担ってきた。
「政府はこうした書籍を販売するわれわれを警戒しているのでしょう」と黄さんは話す。「ただ、本は本来、自由なものです。文字を通じて、意見を発し、文字を通じて、思考する。そうした行為を誰も管理することはできません」
黄さんはもともと香港紙の星島日報の記者だったが、19年には区議会議員選挙に民主派として初当選した。民主派が議席の8割以上を獲得して圧勝した選挙だった。
だが、20年に香港国家安全維持法(国安法)が施行され、反体制的な活動が厳しく取り締まられるようになった。香港政府は施行を受けて、区議に政府への忠誠を宣誓させ、「非愛国」とみなせば資格を剝奪(はくだつ)できる条例改正案を21年5月に成立させた。政府の方針に反発した黄さんを含む民主派の議員の多くは辞職を迫られた。
黄さんが狩人書店を開業したのは、22年5月のことだ。国安法の施行後、言論の自由をうたうメディアにも当局の厳しい目が向けられ、政府に批判的な論調だったメディアの廃業が相次いでいた。
一方で、むしろ新規開業が増えていたのが、独立書店だった。香港メディアによると一時は90店舗ほどにも達した。そこには多くの元記者らも携わったという。
民主派やメディアが厳しい取り締まりを受ける中、もはや大規模なデモや集会の開催は現実的ではなくなった。香港社会が広く圧力にさらされて沈黙し、黄さん自身も職を失う中、「公民社会の実現を模索する別の方法がこの書店だった」と話す。
「レッドラインは常に動いている」
しかし、独立書店への風当たりは今、強まりつつある。
こうした空間を保障してきたのは、香港の憲法にあたる香港基本法だ。言論の自由を認め、中国ではタブーにあたる中国共産党を批判する書籍も多く売られてきた。「自由都市」として国際社会の資本を引きつけてきた香港は、現在も表立っては出版物を制限してはいない。
だが国安法の施行後、「国家安全に有害」だと判断された書籍は公共の図書館から撤去された。一般書店もほとんど販売しなくなっている。
香港政府トップの李家超(ジョン・リー)行政長官は「言論の自由は保障されている」と立法会(議会)などの場で繰り返し強調。23年5月の記者会見で、公共図書館から撤去された書籍について「民間の書店では買える。買いたい人は買えばいい」と発言。しかし、「政府が取り締まりの対象とするレッドラインはどこか。誰にもはっきりとは分からないし、常に動いている」と香港メディアの記者は話す。
独立書店の販売する書籍そのものがとがめられることはない。だが、営業を続ける独立書店に対しては、狩人書店のように「通報があった」「定例の検査」などとして頻繁に香港当局が検査に入るようになっている。
廃業を決めた独立書店もある。多様な文学作品で人気のあった「見山書店」は23年12月、SNSで今年3月での廃業を宣言。「この投稿の後、毎週のように各部門の訪問を受けることがありませんように」と投稿した。書店関係者によると、別の独立書店も今年、入居している建物の使用目的に違反しているとして政府部門によって退去を求められた。
米政府系放送局ボイス・オブ・アメリカ(VOA)は、2020年以降に閉店した独立書店は40店舗に及ぶとする。
行政の干渉とみられる行為は検査だけではない。天安門事件から35年を迎えた今年6月4日、狩人書店では、警察が店に出入りする全ての客の身分証のチェックを始めたという。「そんなことをされたら誰が店に来たいと思いますか? 小さな書店にとっては大きな打撃です」と黄さんは語る。
どんな権力も阻止できないものは
ただ、黄さんはやり方を変えるつもりはない。
「狩人書店がぜったいに必要かどうかは分からない。でも、どんな都市にでも自由な思考ができる空間はなくてはならない。それは私たちの権利であって、どんな権力であっても阻止できないものです」
こうした考えをもつのは黄さんだけではない。
「香港には(自由に物事を語れる)公共空間が少なくなってしまった。独立書店の開業が相次いだ背景にはそうした空間が求められていることもある」。そう語るのは、「留下書店」店長の岑蘊華さん(50)だ。もともとは公共放送に勤務していた岑さんも22年、仲間たちと独立書店を立ち上げた。
香港政府は今年、国安法を補完する国家安全維持条例も施行した。中国や香港政府に批判的な言論は今後、ますます厳しく取り締まられる可能性がある。香港政府が今は見逃している行為を、いつ取り締まりの対象とするかは分からない。
岑さんは政府との対立を望んでいるわけではない。すでに取り締まりの対象となっている反政府デモのスローガン「光復香港 時代革命(香港を取り戻せ 我らの時代革命だ)」と書かれた本は輸入しないなど、レッドラインを見極めながらの経営を続ける。
「ただ、国家安全維持条例ができたから今の書籍を売るのをやめるのか? と聞かれれば答えは『ノー』だ。政府が明示していないのに、先に後退するようなことはしない」。岑さんはそう語った。(香港=高田正幸)
香港国家安全維持法
2019年に香港で起きた政府への大規模な市民デモを機に、中国の主導で20年に導入された。▽国家分裂▽政権転覆▽テロ活動▽外国勢力との結託、の四つを国の安全を害する犯罪と定める。最高刑は終身刑。これにより民主派の弾圧が進み、多数の活動家や元議員らが逮捕され、香港紙「リンゴ日報」など中国政府に批判的なメディアが廃刊に追い込まれた。香港外での行為や外国人も摘発の対象にする。今年3月には同法を補完する形で国家安全維持条例が施行された。
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- 高田正幸
- 台北支局長兼香港支局長
台湾、香港、中国、反社会的勢力
- 【視点】
狩人書店といい、数ヶ月前に閉店した見山書店、2020年閉店したBleak House Books(数ヶ月前にニューヨークにて復活)、香港の独立書店が「嫌がらせ告発」を頻繁に受けたり、賃貸継続を拒否されたりなどして、やむなく閉店してしまったケースが多い。香港で居場所をなくして、日本に流れて書店を構えるケースもあります。 法律上レッドラインに抵触するものは、法律で裁き。流石に曖昧な法律でも裁けないものは、「政府に親しい民間人」に任せるのが、ここ数年のトレンドのように見えます。滑稽なのは、政府は今だに「自由都市」をアピールしたがるところです。
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