これが私の優しさです。
沖縄在住の女性A様から「足が浮腫む病気になり、やがて私は歩けなくなる。私は長年舞踊をやってきた。踊れなくなる前に、私が踊る姿を坂爪さんに撮影して欲しい」と連絡を貰った。私の正しい使い方である。撮影場所は浜比嘉島に決まった。那覇にいる私のために、はるばるA様が自分で車を運転してピックアップしてくれることになった。素晴らしい話だ。ここまで聞いた段階では、誰もが素晴らしい話だと思うだろう。だが、坂爪圭吾。このあとが違った。
A様が車で来た。到着が二時間遅れた。この後の予定があったので、撮影は不可能になった。せめてメシでもと、A様の車に乗った。車内で色々と話す予定だったが、怪しい瞑想音楽が流れていたために集中できなかった。アロマの香りも無理で、手渡されたEM菌の水も気持ち悪くて飲めなかった。私は「体にいいこと、心にいいこと、全部やめろ」と言った。瞑想が悪いとか、アロマが悪いとか、EM菌が悪いと言いたい訳ではない。ただ、少なくとも、A様には効果がないと思った。むしろ、悪影響にさえなっていると思った。若干スピっている本も三冊渡されたが、正直に言うと「全然効果が出てないじゃん!」と思った。頭ばかりが一杯になると、体も、財布の中も、どんどん貧しくなる。
その後、沖縄在住の女性C様から「会いたい」と連絡をいただき、楽園カフェで合流した。シングルマザーのC様には複雑な過去がある。C様は言った。坂爪さんに会いたいと連絡をしただけで、ああ、自分はこんなにも誰かに話を聞いてもらいたかったのかと思い知らされて、涙が出た。これまでは、人と会っても一緒にいる人の話を聞くことの方が多く、自分のことを話す機会がなかった。だけど、私の心は、こんなにも誰かに見てもらいたがっていたのだと気付いたら泣けた、と。素晴らしい話だ。ここまで聞いた段階では、誰もが素晴らしい話だと思うだろう。だが、坂爪圭吾。このあとが違った。
人間関係の絆みたいなものは、会話で築かれるものだと思う。どちらかが一方的に話すとか、どちらかが一方的に聞くだけでは、人間関係の橋が架からない。C様は、人の話を聞いてきたのではなく「楽をしてきた」だけだと思った。人の話を聞けば、自分の話をしないで済む。自分を閉じたまま、人に好かれることができる。だが、この態度は、人の話を聞いているとは言えない。小手先のテクニックで対応しているだけ。心ではなく、頭で受け流しているだけだから、両者の心が通わない。結果、繋がらない。C様は「坂爪さんなら、どんな話でも聞いてくれると思った」と言った。聞く。私は聞く。だが、聞くだけの機械ではないから感想も言う。感想を言うと、幻滅されることがある。私に機械であることを期待する人は、私に幻滅する。
優しさとは何かね。どんな話でも黙って聞き、全部を肯定することだろうか。私には無理だ。エンジンが壊れている車で「いってきます!」と言う人には、このままだと事故るよと言う。私の愛車をそんな風に言うなんて坂爪さんは酷い人だと言われても、仕方ない。危険に見えることには危険と言う。これが私の優しさです。だって、あなた、俺が見る限りとっても辛そうなんだもん。体にいいこと、心にいいこと、どれだけやっても逆効果になっているように見えるんだもん。生き生きとしているようには見えないんだもん。どんどん貧乏になるように見えるんだもん。逆をやると、生き生きできるかもよと言ったら、泣かれた。私は頻繁に女を泣かせる。だが、これもまた、私の優しさである。
おおまかな予定
6月30日(日)沖縄県名護市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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