絶対にやってはいけないことから言います。
活字やフォントを参考にしないでください。
活字やフォントというものは、機械的に並べておさまりが良いように四角の枠にはまるようにデザインされています。これはこれで機能的なのですが、手書きの手本にはなりませんのでご注意ください。
ーーー
今回はこの「女」という漢字を書くときにのコツをひとつづつ解説してまいります。
まず、全体の形をとらえます。
女という漢字は五角形の形をしています。活字やフォントとは違いますので四角に収めようとせず、五角形に収めるイメージを頭に描いてください。
五角形に収めるということは、1画目が上に突き出すということでもあります。手書きでは、このように突き出している線があると締まって見えます。
1画目の書き出しは五角形の頂点です。左や右に寄らないように、中央から書き出してください。
女という字は「くの一」と呼ばれますが、平仮名の「く」をそのまま描くとバランスが崩れます。最初の線は縦におろしてください。
1画目を曲げるときには、右横に向かって曲げてください。
2画目の書き始めは、1画目の書き始めよりずっと下の位置です。中央に小さな長方形を作るイメージで、2画目の書き始めの位置を把握しましょう。
長方形を作るということは、1画目の線と並行になるイメージで線を描くことになります。ただし、ゆるやかに曲がっていくことを忘れずに。
2画目の書き終わりは、1画目の書
絶対にやってはいけないことから言います。
活字やフォントを参考にしないでください。
活字やフォントというものは、機械的に並べておさまりが良いように四角の枠にはまるようにデザインされています。これはこれで機能的なのですが、手書きの手本にはなりませんのでご注意ください。
ーーー
今回はこの「女」という漢字を書くときにのコツをひとつづつ解説してまいります。
まず、全体の形をとらえます。
女という漢字は五角形の形をしています。活字やフォントとは違いますので四角に収めようとせず、五角形に収めるイメージを頭に描いてください。
五角形に収めるということは、1画目が上に突き出すということでもあります。手書きでは、このように突き出している線があると締まって見えます。
1画目の書き出しは五角形の頂点です。左や右に寄らないように、中央から書き出してください。
女という字は「くの一」と呼ばれますが、平仮名の「く」をそのまま描くとバランスが崩れます。最初の線は縦におろしてください。
1画目を曲げるときには、右横に向かって曲げてください。
2画目の書き始めは、1画目の書き始めよりずっと下の位置です。中央に小さな長方形を作るイメージで、2画目の書き始めの位置を把握しましょう。
長方形を作るということは、1画目の線と並行になるイメージで線を描くことになります。ただし、ゆるやかに曲がっていくことを忘れずに。
2画目の書き終わりは、1画目の書き終わりの高さに揃えてください。五角形の底辺となります。
2画目を描き終えた段階ではこのような二等辺三角形になります。
3画目の書き始めは、五角形の左の頂点より下から書き始めます。そして、1画目の曲がっているポイントのすぐ上を通るように狙いを定めます。
1画目の縦が突き出しているように見せたいからです。
横棒は右肩上がりで、若干の山なりになるように描いてください。
五角形の右側の頂点のあたりで3画目を止めたら完成です。
これが正解ということはありませんが、あくまで一例としてコツをお伝えしました。
本当に、女って難しいですよね(意味深)。
自己回答です。
名前と言うのは、たとえ現代では意図されずとも、性別を表す言葉が名前の最後によく使われます。
例えば男性の場合、「彦」「郎」「夫」「雄」などはどれも「男性」を表す漢字です。
女性の場合、「菜」「恵」「子」「香」などです。こちらは必ずしも「女性」を表しませんが、女性らしさを表します。特に多いのは植物関係です。
ここでお気づきの方もいるかもしれませんが、女性の名前によく使われる漢字の読みは1文字が多いです。上記の4つに加え、「美」「江」「花」「奈」「穂」「乃」「代」「優」など。漢字は違っても、名前にひらがな1文字の読みがつく漢字を最低1回は使うのではないでしょうか。
対して男性の場合、戦国武将を見てもわかりますが、読みが2文字の漢字2つという名前が非常に多いです。私の名前は「太郎」ですが、「太郎」は男という意味にもなるので、◯太郎という名前が多く、むしろ「太郎」のみという名前は少数派です。「~よし」「~たか」「~はる」「~かず」「~ふみ」「~ゆき」「~やす」など適当に挙げても納得いただけるかと思います。一方皆さんご存じの方々「文雄」「那津男」「和夫」「健太」「孝志」など3文字の方も珍しくありません。
逆に長い名前はどうでしょう。「雄一郎」や「進次郎」など、◯一郎や◯次郎はよくある名前です。その理由はご存じのように、一郎や次郎(二郎)が生まれた順番を表すからです。では4文字の女性はどう
自己回答です。
名前と言うのは、たとえ現代では意図されずとも、性別を表す言葉が名前の最後によく使われます。
例えば男性の場合、「彦」「郎」「夫」「雄」などはどれも「男性」を表す漢字です。
女性の場合、「菜」「恵」「子」「香」などです。こちらは必ずしも「女性」を表しませんが、女性らしさを表します。特に多いのは植物関係です。
ここでお気づきの方もいるかもしれませんが、女性の名前によく使われる漢字の読みは1文字が多いです。上記の4つに加え、「美」「江」「花」「奈」「穂」「乃」「代」「優」など。漢字は違っても、名前にひらがな1文字の読みがつく漢字を最低1回は使うのではないでしょうか。
対して男性の場合、戦国武将を見てもわかりますが、読みが2文字の漢字2つという名前が非常に多いです。私の名前は「太郎」ですが、「太郎」は男という意味にもなるので、◯太郎という名前が多く、むしろ「太郎」のみという名前は少数派です。「~よし」「~たか」「~はる」「~かず」「~ふみ」「~ゆき」「~やす」など適当に挙げても納得いただけるかと思います。一方皆さんご存じの方々「文雄」「那津男」「和夫」「健太」「孝志」など3文字の方も珍しくありません。
逆に長い名前はどうでしょう。「雄一郎」や「進次郎」など、◯一郎や◯次郎はよくある名前です。その理由はご存じのように、一郎や次郎(二郎)が生まれた順番を表すからです。では4文字の女性はどうでしょう。「りょうこ」「きょうこ」の類か、「さくらこ」くらいしか思いつきません。なぜなら、少なくとも一つは名前に1文字の漢字を使うからです。漢字を3つ使う名前は「優樹菜」「百合子」「千恵子」などでしょうか。どの名前もひらがなで3文字です。
個人的に興味深いのは、男性は長男や次男用の名前があるのに、女性は長女、次女専用の名前がないことです。家父長制の時代を考えると、男性の名前は誰が本家や事業を継ぐかを明確にするために大切だったと考えられますが、逆に女性の名前にはそれが必要なかったことに加えむしろ「女性らしさ」の方が重要だったということは想像に難くありません。
みなさんも、なんとなく女性の名前は2文字か3文字と思っているのではないでしょうか。逆に男性の名前は3文字か4文字と。
まあ時代が変われば色々変わっていくでしょうが。
(画像はEcosia検索)
私が万年筆の調整していただいた際の経験談を書きます。
調整していただいたのはセーラー万年筆の長原幸夫さんです。ただし10年以上前の私の記憶に基づく記述のため長原さんの発言内容は正確では無いかも知れません。
私の万年筆が調整を必要とした理由は、書き出しだけインクが良く出て、しばらくするとインクの出方が渋くなり、最悪なときはインクがかすれてしまうことがある、という現象だったと思います。そのとき伺った話としては、使う人の腕力により、書いている間にペン先が紙にあたる角度が変わってしまう、とのことでした。体育会などで体を鍛えておらず腕力が弱い人は、特に書いている間に筋力が維持できなくなり、どうしても角度が変化し、タッチも弱くなってしまう、とのことでした。そして、そのとき施していただいた調整は、ペンが傾いても紙に当たる感触が変化しないように、ペン先を丸く研いでいただいたこととインクの流量を増やしていただいたことだったと思います。
この経験から、ペンを持つ筋力によって、文字を書くためのペンの運びかたが異なることがあるということを知りました。そのことから想像するに、一般的に筋力が男性より弱い女性は、筋力を使わずしなやかに書くことが多くなり、筆圧も弱くなると思われます。そのため、筆跡に男女差が生まれるのではないかと思います。
本当に、学校では同じように習ったはずなのに、男女で字の傾向が異なりますよね。
それは単純に男性が力強いというのでもなく、美術系の女性や書道を習った女性は、力強い字を書きます。勢いにあふれてます。そういう場合でもやっぱり男の字にはならないです。むしろ男性以上に大胆な筆致で迷いが無いです。
そう、女性の字は、見ながら書いてるというより、手が覚えていて勝手に書いてる、という感じがする。それが迷いの無さであり、質問者様の発見なのですね。
女性の字に特有な、崩し方があると思うのでその辺も調べると面白いなと思ったりしてます。なんとなく、右上がりで統一感があり、横幅が狭くて、みたいな。。
でも、年配の女性の字は、一見、男性が書いた字に見えたりもする(宣伝で引用されている、感謝のお手紙、など)。なんというか、配慮が無いというか。
昔は男女差は無かったのだろうか。というか昔の女性は男性脳に近かったのだろうか。。
字や絵の男女の違いが、先天的なものなのか、後天的なものなのか。
右利き、左利きの違いは。親と子で字の傾向は遺伝するか。とか。。
僕の経験上、字の綺麗さと、学歴は必ずしも比例しない。。のか??
海外の事例も含めて調べたら面白いですよね。
学校の先生とか、お役所の窓口の人とか、たくさんの字を見慣れている人はどう思うんだろう。
何気なくやっていることすべてに、男性、女性の違いが実は影響している気がしています。
おやおや、そうですか?
書道の大家なんて男の人ばかりで、女性だと紫舟さんくらいしか思い当たらないのですが。
でも周りを見渡すとあんまり男女差はないかな?と思います。
全く違う話ですが、この質問のような男女二項対立の問題が多いような気がするんですけど考えすぎでしょうか?
たいていのことは個人差で終わる話が多いんですけど、性差がなければ納得できませんか?
4文字というか、4音ですかね。
確かに、なんででしょう。
調べたらこんなの↓がありました。
ランキングをざっと見た感想は、「なんか仰々しい名前が多いな」です。4音も使うと可愛らしさがなくなり重たい印象になりますね。源氏名かなと思うような凛々しすぎる名前もちらほら。
というわけで、回答としては「可愛らしくないから」だと思います。
妻だったのが、母になると毒妻になると…あ、なにをくぁwせdrftgyふじこ
平凡社の字通によれば、
妻の上半分は髪に簪を差した状態で、婚儀のときの盛装を表しているそうです。
し・か・し、毒の場合も同じで、髪に簪を差した状態を表しているのですが、盛りすぎて毒になっているという解釈が示されています。
その髪飾りが特に繁多であることを毒という。厚化粧し、盛装した姿は簡素に反するので、毒という。
おいおい、本当かよな解釈になっています。(小学館の新選漢和辞典では別の解釈がされています)
新選漢和辞典だと、
毒の主部分は草(たぶん毒草)を示しているという解釈と、
また、〓は、素行のみだらな男であるともいい、毒は、生(生きること)と、毋(じゃますること)とを合わせた字ともいう。
(〓は、士に毋)
の解釈が示されています。
毋(なかれ)は、無しの命令形で、禁止することを意味する文字です。
妻だったのが、母になると毒妻になると…あ、なにをくぁwせdrftgyふじこ
平凡社の字通によれば、
妻の上半分は髪に簪を差した状態で、婚儀のときの盛装を表しているそうです。
し・か・し、毒の場合も同じで、髪に簪を差した状態を表しているのですが、盛りすぎて毒になっているという解釈が示されています。
その髪飾りが特に繁多であることを毒という。厚化粧し、盛装した姿は簡素に反するので、毒という。
おいおい、本当かよな解釈になっています。(小学館の新選漢和辞典では別の解釈がされています)
新選漢和辞典だと、
毒の主部分は草(たぶん毒草)を示しているという解釈と、
また、〓は、素行のみだらな男であるともいい、毒は、生(生きること)と、毋(じゃますること)とを合わせた字ともいう。
(〓は、士に毋)
の解釈が示されています。
毋(なかれ)は、無しの命令形で、禁止することを意味する文字です。
文字に限らず、あらゆるものに共通する事ですが、
まずは、習ったことを正確になぞれるように、練習したかどうか。
習ったとおりに出来るようになった後、時々習ったものに戻って、癖を見つけて修正したか。
かと考えます。
元々、最初の練習の時点で、様々な形の文字からスタートします。習字ならお手本通りに書けるか、間違えて文字を覚えていないか。平行な線を平行に書いているかどうか、止め、はね、払いなど。
それらを、一つ一つ丁寧に指摘してくれる人が居なければ、自分で気づいて真似できるかどうかになります。
また、人それぞれ、筋肉の付き方や、動かし方に違いがあるので、一度全く同じ文字を書けるようになっても、ずっと繰り返している間にズレが生じます。それを修正するには、元々のものに戻って修正し続け無くてはなりませんが、そんな事、多くの人はしませんよね。自分が書いたものを、自分が読めて、他の人が読めれば。
かくして、様々な文字が出来上がるのです。
日本の女性の名前の多くが三音節以下なのは、明治時代に皇族由来の「○子」と、江戸時代以前の庶民のかな二文字二音節の名前が融合したからだと思います。
日本人の男性に四音節の名前の人が多く、一方で四音節の女性の名前が少ないのは、平安時代初期の嵯峨天皇の影響が大きいと思います。
桓武天皇の第二皇子である嵯峨天皇は、平安京が都となったばかりの9世紀初頭に天皇となった人物で、50人の子供に規則的な命名をしたことで知られています。
江戸時代以前の日本では、幼少期と成人後と出家後で名前を変更することが一般的でした。
嵯峨天皇は、自分の皇子の幼名として出生順に「太郎」「次郎」「三郎」という名前をつけました。このように子供の名前に順番をつける命名法は、徐々に武家の階層に広まっていき、平安時代末期には武家の男子の幼名として一般的になり、さらに庶民へと広まっていきました。そして、この「数字+郎」という名前は、詳しくは後述しますが、明治時代以降の一般男性の名前に大きな影響を与えることになります。
また、嵯峨天皇は、自分の娘の名前に「○子」「○姫」という名前をつけました。嵯峨天皇は、皇族に残る内親王には「子」を、臣籍降下する皇女には「姫」を使いました。嵯峨天皇の時代以降、皇族の女性は必ず「○子」という名前を持つことがしきたりになりました。そして、この命名法は、明治時代以降に一気に一般の庶民にも広がっていくことになります
日本の女性の名前の多くが三音節以下なのは、明治時代に皇族由来の「○子」と、江戸時代以前の庶民のかな二文字二音節の名前が融合したからだと思います。
日本人の男性に四音節の名前の人が多く、一方で四音節の女性の名前が少ないのは、平安時代初期の嵯峨天皇の影響が大きいと思います。
桓武天皇の第二皇子である嵯峨天皇は、平安京が都となったばかりの9世紀初頭に天皇となった人物で、50人の子供に規則的な命名をしたことで知られています。
江戸時代以前の日本では、幼少期と成人後と出家後で名前を変更することが一般的でした。
嵯峨天皇は、自分の皇子の幼名として出生順に「太郎」「次郎」「三郎」という名前をつけました。このように子供の名前に順番をつける命名法は、徐々に武家の階層に広まっていき、平安時代末期には武家の男子の幼名として一般的になり、さらに庶民へと広まっていきました。そして、この「数字+郎」という名前は、詳しくは後述しますが、明治時代以降の一般男性の名前に大きな影響を与えることになります。
また、嵯峨天皇は、自分の娘の名前に「○子」「○姫」という名前をつけました。嵯峨天皇は、皇族に残る内親王には「子」を、臣籍降下する皇女には「姫」を使いました。嵯峨天皇の時代以降、皇族の女性は必ず「○子」という名前を持つことがしきたりになりました。そして、この命名法は、明治時代以降に一気に一般の庶民にも広がっていくことになります。
ちなみに、嵯峨天皇は自分の男子の成人名にも法則を設けていました。嵯峨天皇は、皇族に残る親王には「○良」という漢字二文字四音節の名を、臣籍降下する男子には「融(とおる)」のような漢字一文字三音節の名をつけました。
ここまで皇族や武家、公家の名前を述べてきましたが、百姓などの庶民はそれとは大きく異なる名前を使用していました。
江戸時代以前の庶民の女性の名前は、「たけ」「うめ」「ちよ」「きん」「たか」「とし」などのような、かな二文字二音節のものがほとんどでした。江戸時代以前の庶民の女性の名前は、花や鳥、木などの名前からとられていたり、道徳的な意味が込められていたりすることが多かったようです。古い時代の庶民の女性の名前についての史料はあまり多くないようですが、少なくとも室町時代の時点でかな二文字二音節の女性の名前が定着していたようです。
江戸時代以前の男性は、成長して通過儀礼を経る度に名前を変えました。江戸時代には、幼名としてかなりの割合で「数字+郎」が使われていたようですが、成人してからも「数字+郎」の部分を残す場合が珍しくありませんでした。江戸時代の成人男性は、「衛門」「兵衛」「太夫」などの古代の官職名と「数字+郎」を組み合わせた名前を使用することが多かったようです。具体的には、「次郎三郎(父親の幼名+自分の幼名)」「左衛門次郎(官職名+幼名)」などの名前が使われていました。なお、「郎」の他に「蔵」「吉」などの漢字も使われていました。
このような状況は、明治維新によって一新されます。
まず、男性名についての述べます。明治維新による日本の男性名への最大の影響は、明治四年の戸籍法による名字の義務化と、明治五年の複名禁止令と改名禁止令です。これにより、日本の男性は通過儀礼で名前を変えることができなくなり、成人になって初めて使われるようになる「兵衛」「衛門」は激減しました。また、明治三年の太政官令により旧国名や旧官職名を名前に使用することが禁止されたことも、「兵衛」「衛門」の消滅の原因となりました。
では、明治時代以降の男性の名前はどうなったのでしょうか。明治時代の男性の名前は、江戸時代以前からのの幼名に由来する「数字+郎」や、そこから「郎」が省略される形で派生した「賢一」「賢二」のような数字が入った名前や、数字が消えて「郎」が変化した「男」「雄」「夫」などが入った「政夫」「政雄」「政男」のような名前が使われるようになりました。明治の後半になると、「浩」「隆」「明」のような漢字一文字三音節の名前も広まっていきました。
一方、女性の名前も大きく変化しました。最大の変化は、「まつ」のようなかな二文字二音節の名前が減少し、代わりに上流階級由来の「○子」という名前が大流行したことでした。明治維新の時点で、既に華族の女性の間で「○子」という名前が広まっており、一種のステータスシンボルとなっていました。そして、自由民権運動などを経て「○子」という名前を真似する人が急増しました。例えば、津田塾大学の創立者である幕臣の家庭出身の津田梅子は、戸籍上の本名は「むめ」でしたが、1902年に分籍した際に「梅子」に改めました。従来のかな二文字二音節の名前を漢字にして後ろに「子」をつけることが多かったため、結果的に三音節の名前になりました。つまり、江戸時代以前の二音節の名前に皇族由来の「子」がくっついたことで、「女性の名前は三音節以下」という風習が生まれたといえます。
「○子」という名前は、明治、大正、昭和の時代に徐々に拡大していきますが、戦後になると減少傾向に入り、代わりに「リカ(梨花)(理佳)(里香)」「マリ(真理)(真梨)」のような漢字二文字二音節の名前が復活します。その結果、現代の女性の名前は基本的に二音節か三音節のどちらかになるという状況が成立しました。
【まとめ】
1.女性名について
・女性の「○子」という名前は平安時代初期の皇室に由来する
・江戸時代以前の庶民の女性の名前はかな二文字二音節である
・明治時代以降、かな二文字二音節の名前と「子」が融合して三音節の名前になり、定着する
・戦後に二音節の名前が復活し、「女性の名前は二音節か三音節」という風習が成立する
2.男性名について
・「数字+郎」は1000年以上続く伝統的な名前である
・江戸時代以前の成人男性の名前は官職名と幼名を組み合わせた長い名前である
・明治四年の戸籍法により、「数字+郎」とそこから派生した短めの名前に変化する
→歴史的に男性の名前は長いのが普通だったが、明治以降に徐々に短くなっていった
————————————————————————————
男性名については、今回は全く触れていませんが、生前はその名で呼ぶことが憚られる「諱(いみな)」というものがあります。これは、織田信長の「信長」や徳川家康の「家康」などの部分で、この名前を直接口にすることは非常に失礼なこととされました。(そのため、信長や家康を呼ぶときは通常官職名や仮名で呼びました)この諱は、基本的に漢字二文字四音節とされていました。この事は、漢字二文字四音節の名前がそうでない名前よりも若干固い印象を与える原因になっていると考えることができます。そして、漢字二文字四音節の名前に固い印象があることが、四音節の女性の名前が避けられた理由であるといえる……かもしれません。
中国人は、漢字を発明したごろに、まだ「Matriarchy」の時代でした。これは原因かもしれません。
中国の一番最初の姓(苗字)にされた漢字は、殆ど「女」を付けている漢字です。例えば、「姫、姜、姚、妫」など、これは「Matriarchy」の印でした。よく使っている漢字も影響されていたかもしれません。
それに中国神話で、人類を創造したとされる女神「女媧」は、一人で泥を使って人間を作りました。この場合は男性の影でも見えませんでした…
興味深い質問ですね。常用漢字だけ見ると「女偏が38」あるのに「男偏はない」という偏向ぶりです。さて、それでは漢字を見てみましょう。
姉(あね)>>兄(あに)
妹(いもうと)>>弟(おとうと)
妻(つま)>>夫(おっと)
婆(ばあ)>>爺(じい)
娘(むすめ)>>息(むすこ)
妃(きさき)>>王(おう)
これを見ると、男を表すものには「男」が使われず(省略され)「女」の場合のみに使用例が多いですね。漢字を使い始めた時代にはその方が合理性があったのでしょう。
漢字が成立した時代に「亻」や「士」を示せば、広い意味では「人」狭い意味では「男」などを指したから、という類推が可能です。
しかも少なくとも中国史における王朝史や社会史を踏まえるならば「女性の方が強かったから」という類推は蓋然性が不充分です。
したがって、ご質問文の「漢字が設立(原文ママ)した時代に女性の方が強かったから」という仮説には、まだ賛同する理由が見当たりませんでした。
興味深い仮説なので、他に傍証やヒントが集まったら、大いに面白い話になりそうですね。
いや、逆です。
わざわざ女とつけるのは、男が標準であるからです。女性が強かったなら、自分のことに女とはつけません。
世界中のどんな民族の言語でも実は自分たちのことを表現する言葉は少ないのです。それは当然のこと、あえて言うまでもないこと、ですから。
現代でも同じですよね。女王、女医、女学生、女優…すべて男が当たり前だからわざわざ女とつけるのです。男王、男医、男学生…どれも男性優位社会において使わない、使わなくていい言葉です。
男優という言葉は使いますね。だけどこれはAV業界だけの慣習です。なぜかはもうわかりますよね、AVにおいては女優こそが主役であり撮影現場のドミネーターだからです。これが特殊な例であることが逆に女性の社会的地位が低いことを浮き彫りにしていますね。
古代には『人間』を意味する語彙が同時に暗黙で『男性』を示している事が普通でした。例えば英語の・man・にはそのなごりがあって、『人間』であり同時に『男性』の含意があります。もうわかりますね。漢字の部首で『にんべん』こそが男性を示しているのです。
ハイ、そう思います。
なぜ女性だけなのですか?
「女」は部首だが、「男」はそうでないから。