まあ、百合を男性が読むのを嫌う女性がいたり、性的消費だとクレームをつけるフェミニストがいたりしますが、男性がBLを読もうが、百合を読もうが自由ではあります。
が、ですね。持論なんですが、男性的性欲と女性的性欲って違っていて、BLや百合に男性的性欲が混ざると、「ゲイ漫画」「レズエロ漫画」(ここでは漫画って言ってるけど、小説でももちろんありです)にクラスチェンジしてしまうんですよ。
私が、BLや百合を書くときに最も気をつけていることです。愛の果てに情交があったりなかったりしても良いが、愛欲そのものが主題になってしまうと(もっと言うと「プレイ」になってしまうと)、ジャンルから外れてしまうのです。
私も、主に女性に向けて書いているので、その辺りめちゃくちゃ気にしています。
とは言え、女性が女性向けに書いててガッツリエロいのもありますけどね。
えーとですね、記憶の限り書きますけれど、出典が明らかではない事も先に言っておきます。
元々、1970年代前半に、男性同性愛者向けの雑誌「薔薇族」が、「男性の同性愛=薔薇」という刺々しくも鮮やかで美しいイメージを作り上げました。薔薇(赤)の花言葉である「愛・美」もイメージに乗って、先ず「男性同性愛者=薔薇(族)」という言葉も独り歩きを始めてしまいます。
雑誌の内容は、(もちろん男性の)ヌードグラビア、漫画、官能小説です。
分類としてはポルノ雑誌ですね。
エイズ(HIVを昔はこう言いました)などの性病も真剣にとりあげ、またネットの無い時代の男性同士の出会いの場を提供したこともあって、(途中、複数の休刊時期はありましたが)一定の発行部数は維持し得た雑誌だったと記憶しています。
ただし、複数の評論家やLGBT活動家がこの雑誌に対して「功罪」と称する否定的な論評で、意見を述べています。
~
これに対して、女性の同性愛はほぼ語られたり表面化する事無く、小さなコミュニティが徐々に「薔薇」に対して「立ち姿が凛として繊細で美しく、”純粋”で”無垢”、そして”威厳”のある愛」(←””内は全て花言葉)を表現する形で、ゆっくりとですが女性同士の強い絆を表現しながらコミュニティが拡大していった記憶があります。
「向こう(男性が)が薔薇なら、こちら(女性同士)は百合」といった意識が徐々に浸透し始めたのは、70年代以降だと思い
えーとですね、記憶の限り書きますけれど、出典が明らかではない事も先に言っておきます。
元々、1970年代前半に、男性同性愛者向けの雑誌「薔薇族」が、「男性の同性愛=薔薇」という刺々しくも鮮やかで美しいイメージを作り上げました。薔薇(赤)の花言葉である「愛・美」もイメージに乗って、先ず「男性同性愛者=薔薇(族)」という言葉も独り歩きを始めてしまいます。
雑誌の内容は、(もちろん男性の)ヌードグラビア、漫画、官能小説です。
分類としてはポルノ雑誌ですね。
エイズ(HIVを昔はこう言いました)などの性病も真剣にとりあげ、またネットの無い時代の男性同士の出会いの場を提供したこともあって、(途中、複数の休刊時期はありましたが)一定の発行部数は維持し得た雑誌だったと記憶しています。
ただし、複数の評論家やLGBT活動家がこの雑誌に対して「功罪」と称する否定的な論評で、意見を述べています。
~
これに対して、女性の同性愛はほぼ語られたり表面化する事無く、小さなコミュニティが徐々に「薔薇」に対して「立ち姿が凛として繊細で美しく、”純粋”で”無垢”、そして”威厳”のある愛」(←””内は全て花言葉)を表現する形で、ゆっくりとですが女性同士の強い絆を表現しながらコミュニティが拡大していった記憶があります。
「向こう(男性が)が薔薇なら、こちら(女性同士)は百合」といった意識が徐々に浸透し始めたのは、70年代以降だと思います。この頃の文献に散見している所からイメージが固まったと言えるでしょう。
百合(族)系は特に有名な雑誌や何らかの特定のコミュニティを持たず、ほぼ口コミで広がったと記憶しています。
~~
元々、薔薇や百合と同性愛を結びつけたイメージは日本特有の物、であることは明記しておきます。
「オカマ(男性の女装者)」の反対だから「オナベ(女性の男装者)」と、先行するイメージがあって逆定義的にネーミングされる由来は似ていると思います。
私は女子校に通っているのですが、私の周りにもBL好きはかなりいますね。具体的に調べていないので分かりませんが、共学の女の子達よりもBL好きの割合が高い気がします。また、あくまで主観にはなりますが、男性がGLを好んで見る人が多いという話を聞いたことがありません(女性とBL好きと比較した場合の話です)
私が思うに、女性がBLにハマってしまうのは「女性は男性に比べ、共感能力が高い」からだと思います。
異性間の恋愛ドラマを見た時、女性はドラマのヒロインに共感し(同性であるため、異性である男主人公に対しての共感よりも高いはずです)、「自分をヒロインに投影して感じること」が多いのです。しかしながら、視聴者である女性が想定する言動を、作中のヒロインが全て行う訳ではありません。どこかしら自分の予想と異なる展開に入ってしまう。それって共感能力の高い女性からしてみればストレスですよね。(なんでこのヒロインはこうしないの???ムカつくわ〜😡)ってことです。
そこで登場してくるのがBLです。BLはそもそも女性が(主役として)存在しないため、共感による”期待はずれ”が少ないのです。BL好きの間でよく言われる「推しCP(作中における、読者である女性自身が好きなカップリング)の壁になりたい」という言葉はこれをよく表しています。読者自身の妄想はそこに存在せず、読者はただの傍観者に徹して読む。これにより、女性は物語の中
私は女子校に通っているのですが、私の周りにもBL好きはかなりいますね。具体的に調べていないので分かりませんが、共学の女の子達よりもBL好きの割合が高い気がします。また、あくまで主観にはなりますが、男性がGLを好んで見る人が多いという話を聞いたことがありません(女性とBL好きと比較した場合の話です)
私が思うに、女性がBLにハマってしまうのは「女性は男性に比べ、共感能力が高い」からだと思います。
異性間の恋愛ドラマを見た時、女性はドラマのヒロインに共感し(同性であるため、異性である男主人公に対しての共感よりも高いはずです)、「自分をヒロインに投影して感じること」が多いのです。しかしながら、視聴者である女性が想定する言動を、作中のヒロインが全て行う訳ではありません。どこかしら自分の予想と異なる展開に入ってしまう。それって共感能力の高い女性からしてみればストレスですよね。(なんでこのヒロインはこうしないの???ムカつくわ〜😡)ってことです。
そこで登場してくるのがBLです。BLはそもそも女性が(主役として)存在しないため、共感による”期待はずれ”が少ないのです。BL好きの間でよく言われる「推しCP(作中における、読者である女性自身が好きなカップリング)の壁になりたい」という言葉はこれをよく表しています。読者自身の妄想はそこに存在せず、読者はただの傍観者に徹して読む。これにより、女性は物語の中で起こる恋人同士のあれやこれや😳に没頭しやすいのです。
結論:BLは尊いッッッ😇
腐女子としてお答えすると、人によります。
腐女子と一口に言っても様々で、いわゆる「攻め」が好きで「受け」に自己投影したい人もいればその逆もいますし、世間の偏見の目を乗り越えて結ばれる様に感動を求める人もいればBLが当たり前の世界での話が好きな人もいます。友情と恋愛の中間の関係性が好きな人もいます。彼女がいたけど新しい彼氏に鞍替えする展開が好きな人もいれば、そうでない人もいます。
それで、BLが好きな理由も上記の様な好みの違いによって変わってきます。なので「腐女子全体がBLを好きな理由」を尋ねられてしまうと、「そこに男が2人いるから」ぐらいしか言えない気がします。
ちなみに私の場合は「ムキムキの男がプライドズタズタにされているのを見るのが好きだから」です。
私は百合が大好きです(挨拶)
結論から申し上げますと貴方は恐らく「性同一性障害男性受け萌え」です。
だからメス男子受けという半分ノーマルなBLに手を染めるわけですね!
世の中には昔から男性向けショタというものもあるんですよね。
アストルフォ君とか。ミトス・ユグドラシルとか。ジーニアス・セイジとか。イオン様とか。準にゃんとか。
昔はロリのようなショタという事で「ロリショタ」と呼んでいて、
今では「男の娘」と呼ばれる存在です。
世の中には鬼畜眼鏡やガチムチオッサン受けを描く人もいます。ケモノすら。
だからフェミとかフェミじゃないとかってナンセンスなんすっす。
男女同権(ふぇみにずむ)と性的な指向、嗜好、至高(ふぇちずむ)は別物です。
安心してフェミニズム運動とメス堕ちを両立させて構わないですね。
皆がケチだと経済は回りませんが、皆がフェチだと経済が回ります。
男の娘BLは百合(締め)
エイプリル・フリーメイソンさんにメンションされたのでやってきました。
自分でエロ小説を書くくらいの筋金入りの腐女子、阿部です。
自分も以前に同様の疑問を抱いて、そこから違和感が拭えなくなってから、いわゆる「メス化」させないBLを描くようになりました。
なぜでしょうね。なんやかんやいいつつ、役割分担させたり、攻めと受けが存在すると結局どっちが入れるか入れないかの話にもなるし、知らずのうちに既存の男女の在り方を適用しちゃうのかな。
問題はここからになります。(どこだよ)
というわけで、メス化しないウケというか、伝統的女性性を徹底的に排除したBLを書いてみるわけです。そうすると「BL」じゃなくなるんですよね。特に、女性向け作品としてのBLからはやや離れたものになります。自分にはゲイの友人がいますから、リアルはそこそこに追求できるわけです。さらに、自分には性欲がありませんし「ズリネタ」のためのエロを書くわけじゃないし(は?)、エロを書くなら性欲の存在すら妄想で書かないといけないわけです。
そのBLではなくなった作品から考察した女性性とは、基本的に男性(攻め)の愛情を欲している、というのがかなり大きめの要素になっているような気がするんですよね。これは自分が恋愛しないことも影響している思想な気がするのですが。
つまりですね、これはあくまでも!私の解釈なので自分の場合に過ぎないのですが、伝統的女性性の背景にあ
エイプリル・フリーメイソンさんにメンションされたのでやってきました。
自分でエロ小説を書くくらいの筋金入りの腐女子、阿部です。
自分も以前に同様の疑問を抱いて、そこから違和感が拭えなくなってから、いわゆる「メス化」させないBLを描くようになりました。
なぜでしょうね。なんやかんやいいつつ、役割分担させたり、攻めと受けが存在すると結局どっちが入れるか入れないかの話にもなるし、知らずのうちに既存の男女の在り方を適用しちゃうのかな。
問題はここからになります。(どこだよ)
というわけで、メス化しないウケというか、伝統的女性性を徹底的に排除したBLを書いてみるわけです。そうすると「BL」じゃなくなるんですよね。特に、女性向け作品としてのBLからはやや離れたものになります。自分にはゲイの友人がいますから、リアルはそこそこに追求できるわけです。さらに、自分には性欲がありませんし「ズリネタ」のためのエロを書くわけじゃないし(は?)、エロを書くなら性欲の存在すら妄想で書かないといけないわけです。
そのBLではなくなった作品から考察した女性性とは、基本的に男性(攻め)の愛情を欲している、というのがかなり大きめの要素になっているような気がするんですよね。これは自分が恋愛しないことも影響している思想な気がするのですが。
つまりですね、これはあくまでも!私の解釈なので自分の場合に過ぎないのですが、伝統的女性性の背景にあるのは常に愛情を求める姿でした。片方が一方的に与える、それを受け入れる、みたいにすると、突如としてゲイ向けのゲイモノに変貌するようです。これはつまりフェミニスト的ではない作品になりますよね?何かが見えてきますよね(幻覚)
そんなこと聞いてないって?自分が今書いているのが「セフレになって、特に愛情についての描写もない癖に、突然恋愛感情が湧いてたまるか!なんだ、お前!意味わかんねえから!身体だけは身体だけなんだよ!ばーか!(?)」という感想をそのまま落とし込むようにした作品なんですけど、別にセックスだけさせてるわけじゃありません、日常もちゃんと書いてるわけです。でもテーマがテーマなのもあるのかもしれませんが、フォロワーに「もはやBLではない」と言われます。あなたが求めている受けの像はどんな像なんだい?
てなわけで、女性向けのBL作品の受けに伝統的女性性を求めてしまうのは極めて普通で、そうでなければBLではない、というのが現在の私の意見でございます。そんなこと聞いてなかったらごめんなさい。
双方向が女性的、一方通行が男性的だとするならば(どちらがいいってものではないですよ)、ツイフェミと言われる方々が実はマッチョな思想の持ち主ってのもまあ納得かなって思いますよね。うんうん。
……何言ってんだろ自分……?
私BL大好きです!
BL好きの男の人にも興味があります。そして好感を持ちます。
別に好きなものは好きでいいと思いますよ。
私がBLが好きだからって、男の子と恋をしますし、男になりたいと思っているわけでもないです。すごく、せつなくてドキドキするものが多いです。作品としてすごく良いと思っています。文化?そう文化です。
だからBLが好きだからって、男の人が好きな男の人とも思わないし、もしそうだったとしても、どうとも思わないです。
リリリリリクエストありがとうございますぅぅぅぅ。
なぜ私にリクエストをされたのか、非常に興味があるんですがそこは控えて回答しましょう。
私が小学4年生の時に、初めて漫画を知りました。私は3年生の頃からQueenのフレディマーキュリーに恋をする自称乙女だったはずなんですが、漫画を知ってから、そういう世界がある事に感激し、花ユメコミックに没頭しました。
花ユメと言ったら
「萩尾もと」「竹宮恵子」「成田美奈子」大先生方の古巣です。
そしてBLを語るにふさわしい作品群がこぞって掲載されていた漫画本です。
そうです、いきなりコアな作品群に出会ってしまったのです。
私がBLを受け入れる窓口は見張りもなく警備員もいない、非常に間口の広い玄関でした。一方でナカヨシ・まーがれっとなどの「王子様キャラ」にはまったく興味はなく、アンソニーなんて鼻にもかけませんでした。
何気に崖っぷちを歩くようなギリギリボーダーなキャラクターに共感を覚えたんですね。
ガンダム初代を観ていても、シャァ様に心酔する友人たちとは真逆で、カイ・シデンなどのモブ軍に焦がれていました。
まぁその頃にはキング・マガジン・サンデー・ジャンプにジャンルシフトして、少女マンガから離れていたんですが。
親に見つからない手段で当時のアニメ専門雑誌「月刊OUT」「アニメージュ」を読み漁っていました。
それらの影響から、そういうベースが出来上がってしまっていたんですが、高
リリリリリクエストありがとうございますぅぅぅぅ。
なぜ私にリクエストをされたのか、非常に興味があるんですがそこは控えて回答しましょう。
私が小学4年生の時に、初めて漫画を知りました。私は3年生の頃からQueenのフレディマーキュリーに恋をする自称乙女だったはずなんですが、漫画を知ってから、そういう世界がある事に感激し、花ユメコミックに没頭しました。
花ユメと言ったら
「萩尾もと」「竹宮恵子」「成田美奈子」大先生方の古巣です。
そしてBLを語るにふさわしい作品群がこぞって掲載されていた漫画本です。
そうです、いきなりコアな作品群に出会ってしまったのです。
私がBLを受け入れる窓口は見張りもなく警備員もいない、非常に間口の広い玄関でした。一方でナカヨシ・まーがれっとなどの「王子様キャラ」にはまったく興味はなく、アンソニーなんて鼻にもかけませんでした。
何気に崖っぷちを歩くようなギリギリボーダーなキャラクターに共感を覚えたんですね。
ガンダム初代を観ていても、シャァ様に心酔する友人たちとは真逆で、カイ・シデンなどのモブ軍に焦がれていました。
まぁその頃にはキング・マガジン・サンデー・ジャンプにジャンルシフトして、少女マンガから離れていたんですが。
親に見つからない手段で当時のアニメ専門雑誌「月刊OUT」「アニメージュ」を読み漁っていました。
それらの影響から、そういうベースが出来上がってしまっていたんですが、高校→就職と社会人になって漫画雑誌・コミックからも離れ、育児と仕事を両立する事に忙しくしばらく漫画の世界から離れました。
が。
トラックの運転手になった頃から、同僚が買った漫画本を回し読みするようになり、サンデー・マガジン・ジャンプと「持って帰っていいよ~」と同僚の善意に甘え、自宅に持ち帰るように。
当然子供たちもそれを楽しみにするようになって、親子そろって漫画の読み回しと感想の共感などをする機会がやってきました。
そして出会いました。パソコンに。
当初はHPも少なく、検索してもヒットするページがほとんど無い時代。
自分でHPを作るしかない、そんな時代です。
HTMLを覚え、CGIを覚え、JAVAScriptとCSSを覚え、メモ帳でタグ打ちしながらブラウザで確認、最終的にはそれらを使ってオリジナル作品を作りつつページを増やしていきました。
そこで出会ったのが「薄い本を求める人達」です。
そうです、BL系の薄い本です。
私のHPを訪問してくださる方の中に、イベント参加者の方がちらほらいらして、ぜひ薄い本にして販売してください!と仰せ付かったのが切欠で、自作本を書くに至りました。
初めて、自分で自分の本を作ったのが2002年ごろです。
BLではありませんでしたが、たった50部作った本が、イベント開始直後30分で売り切れました。
その後も作品を書き続け、初長編作品はBLとなりました。
ベースは少年誌の骨組みで、肉付けはやはり萩尾先生、竹宮先生、成田先生の世界観をお借りするような形で、異種混合作品とでも言いましょうか、やってりゃ良いぞ的な作品ではなく、起承転結ががっちりタッグを組んでいるように手を抜かずに書き込みました。
残念ながら冊子にはせず(長編過ぎて薄い本にできなかった)、HP訪問者しか読めない作品ではありましたが。
と、私の経緯はそんなもんです。
あくまでもネタとして面白い、そういう観点から二次創作ではありがちなカップリングなので、不自然ではないような成り行き間を持たせながら作っていました。
一般的な腐女子さんがハマる理由は、カップリングの相手が女子(ヒロイン)だと「嫉妬」するからです。これはかなり単純な理由です。
自分の一押し男性キャラが、他の女子キャラとキャッキャウフフしている図なんて、普通の女子には耐えられないでしょうw
男性アイドルに焦がれる女子が、交際宣言で相手女性に嫉妬するのと同じ論理です。
BL普及は、いまや世界規模です。歯止めは出来ないでしょうねぇ。
恋愛の主導権は常に女性にある。
--多くの男性は自分の意思で女性を選んでいるつもりでは。
もし一夫多妻であったらと男に聞くと、たいていハレムにいる自分を想像する。しかし、男と女がほぼ同数であり、一夫多妻は人気のある男に女が集中するということだから、あぶれる男が続出することになる。
もう一つ、男が勘違いしているのは、ハレムを構え、自分がスカウトして集めることができると思っている。選択のベースはあくまでメスにあり、このオスなら第二夫人でもいい、それだけの価値があると思った場合になびくのであって、男がかき集めているわけではない。
メスがオスを選ぶのが動物一般の大原則--『女は男の指を見る』を書いた竹内久美子氏(動物行動学研究家)に聞く 東洋経済 2010/05/21
男性が女性に支配的なのは騙されているから。
子どもっぽい女に男は何故ヨワイのか?
どうして男は女の子どもっぽさにこうも弱いのだろう。毎度同じ手口を使われながら、よくぞひっかかるものだと感心してしまう。それは、チンパンジーのオスが、発情したメスの赤く膨れ上がった性皮にすっかり参ってしまうことや、ミドリヒョウモンというチョウのオスが、円筒を縦半分は黒、残り半分はオレンジに塗り分け、くるくると回転させただけで、メスが羽ばたいているものと思い込み、熱烈に求愛するといった気の毒な話と大差ないように思える。人間の男も、かつて何かの拍子に子供っぽい女を
恋愛の主導権は常に女性にある。
--多くの男性は自分の意思で女性を選んでいるつもりでは。
もし一夫多妻であったらと男に聞くと、たいていハレムにいる自分を想像する。しかし、男と女がほぼ同数であり、一夫多妻は人気のある男に女が集中するということだから、あぶれる男が続出することになる。
もう一つ、男が勘違いしているのは、ハレムを構え、自分がスカウトして集めることができると思っている。選択のベースはあくまでメスにあり、このオスなら第二夫人でもいい、それだけの価値があると思った場合になびくのであって、男がかき集めているわけではない。
メスがオスを選ぶのが動物一般の大原則--『女は男の指を見る』を書いた竹内久美子氏(動物行動学研究家)に聞く 東洋経済 2010/05/21
男性が女性に支配的なのは騙されているから。
子どもっぽい女に男は何故ヨワイのか?
どうして男は女の子どもっぽさにこうも弱いのだろう。毎度同じ手口を使われながら、よくぞひっかかるものだと感心してしまう。それは、チンパンジーのオスが、発情したメスの赤く膨れ上がった性皮にすっかり参ってしまうことや、ミドリヒョウモンというチョウのオスが、円筒を縦半分は黒、残り半分はオレンジに塗り分け、くるくると回転させただけで、メスが羽ばたいているものと思い込み、熱烈に求愛するといった気の毒な話と大差ないように思える。人間の男も、かつて何かの拍子に子供っぽい女を選ぶ好むようになったのだろう。
チンパンジーのメスには発情期があり、彼女たちは数十日単位でモテたりモテなかったりという浮沈をほぼ一生にわたり繰り返す。またよほどの老体にならない限り出産をし続ける。そのため若いからといってチヤホヤされたりはしない。むしろ出産や育児に熟達した中年メスの方がモテるのである。
遊動生活をする類人猿では、メスは「産んでは育て」を繰り返し、かなり高齢になってからも出産する。ところが、定住生活をする人間では、女は何度かの出産はあわただしく済ませ、子供をてんてこまいで育て上げ、やがては現役引退を表明する…。
なるほど、そうなってくると、男としてはどういう女を選ぶことが得策だろう。あるいは、どういう女に惹かれてしまう男がより多くの子孫を残してきたと言えるだろうか。男は若い女を選んだ方が有利に決まっている!だからこそ、男は若い女が大好きなのである。
有利となるのは若い女ではない。若くみえる女なのだ。愚かなことに、男は若く見せかけることがうまい女を選びはじめた。声が高かったり、丸みを帯びた体形をしていたり、すぐ泣いてしまうような女をである。やがて、そういう女からは年より若く見える息子も娘も生まれてきた。そしてまた男はより若くみえる女を選び…という過程が繰り返された。このようにして人間はどんどん幼形化が進んだというわけである。
ネオティー(幼形成熟、つまり子どもっぽい性質を保ちながら性的に成熟すること)は人間の初期のころにはそれなりの意義をもっていたのだろうが、今となってはあまり有難いものではなくなっている。クジャクのオスは、メスの気を惹こうと尾羽根に贅の限りを尽くし続けたが、そのため今では飛ぶのにも支障をきたすほどになった。オスがメスを、あるいはメスがオスを一定の好みで選び続けていくと、時々こうやって取り返しのつかないことにもなるのである。人間もクジャクの轍を踏みつつあるのだろうか。
男と女の進化論 竹内久美子
ということで、日本の恋愛漫画は潜在的な男女の欲望のリアリティが高いのです。
百合に限った話でもないけど、
それを「おっさんの擬人化」って言います。
おっさんが見ても中におっさんが入ってるのは承知の上でその上でおっさんは擬人化されたおっさんに萌えるという地獄を受け入れているのです。
私は男で完全な異性愛者ですが、男の気持ちを代弁しますと、ほとんどの男は、怖いんだと思います。
自分が完全に受け身になって、すべてを相手に任せる、というのが怖いんですよ。
女の人はすごいよな、と思います。完全に相手に任せきっちゃうでしょ。あれは、驚異的です。私には、あんなこと、できません。
BLとか、昔は薔薇族なんて言葉もありましたが、ああいうのは、そういう完全受け身になることが平気な男のものです。基本的には少数派だと思います。
いっぽう、女の人は完全受け身になることなんて怖くないですからね。しかも、それを男同士でやってるのなんて見ると、ゾクゾクしちゃうんだろうと思います。
他の回答と被っていないところで。Wikipediaでは、以下のような白百合説もありました。
従来日本においては「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と、美しい女性を百合に例えることがしばしばあったが、男性同性愛者が真っ赤な薔薇に例えられていることから、伊藤はそれとの対比で女性的なイメージの強い白百合を当てたという説もあった。
リリーフランキーも百合から取った芸名ですね。ガウガウ。
他の回答と被っていないところで。Wikipediaでは、以下のような白百合説もありました。
従来日本においては「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と、美しい女性を百合に例えることがしばしばあったが、男性同性愛者が真っ赤な薔薇に例えられていることから、伊藤はそれとの対比で女性的なイメージの強い白百合を当てたという説もあった。
リリーフランキーも百合から取った芸名ですね。ガウガウ。
3いることがむしろ多いと思うべきだと思います。
まあ、傍観者として見るなら女性が主になるでしょうね。
ただ、キャラクターに自己投影して、親密な男友達に憧れる、友達以上の関係に憧れる、そういう作品に出てくるイケメンの男の子に憧れる。
こういう男性は結構いるってことですね。
内容の是非は色々あるかと思いますが、やっぱり正面から向き合って検討しているのはこの本じゃないでしょうか。
以下は仮説です。
女性は百合にしろBLにしろ恋愛や、純愛、ドキドキ感という同じフレームワークで見ています。
男性は百合でそんな心理的機微はそこまで重視していません。ただ作中で女子が感情を表したときの可愛い表情だけを見ています。つまりほとんど見た目しか楽しんでいません。男性は圧倒的に見た目偏重フレームワークです。作中人物の同じドキドキを共感・感情移入して再現することをあまりしないと思います。
そしてBLはかなり心理的機微、内面を楽しむことに寄った作品が多いので男性にとっては理解できるものではなくあまり楽しめるものではないのです。そもそもBLで描写される内面・感情は女性的であり男性は感情移入しようとしてもできなさそうですが。
それに加えてほとんど男性は同性愛者の疑いをかけられることを恐れており、そういうものを好むと疑いをかけられるので読もうともしない人が大半なのではないでしょうか?
女性は男性の裸も女性の裸も好きです。
男性は女性の裸は好きですが、男性の裸はあまり好きではありません。
以上。
現実をベースにして脚色するのが「物語」です。
古典から今までの様々な作品を読んでみたらどうでしょうか。
たいてい「男性も女性も従順にしていた方が利益を得られる環境」が描かれます。
そのなかで
「主人公がそこに抗う姿」によって環境での特殊性を表現します。
いろいろ読めば分かりますが「女性が従順なのではありません」。
- 主人公がリードしていて、サブキャラやヒロインはそれに引っ張られる
主人公が男性なら男性以外は皆従順で、主人公が支配的になりやすいのです。
どの物語でもだいたい「環境」に「逆らう」のが主人公の役割です。
逆らう人に付き従えば従順になる。
桃太郎で犬・猿・キジが桃太郎に逆らったら話になりづらい。
浦島太郎で帰る浦島太郎に乙姫様がすがりついたら寛一お宮です。
────────
そんなわけで(どんなわけだ)
私としては質問者さんに「俺物語!!」という少女マンガを読んでいただきたいと思います。
私はこの主人公の「剛田猛男」君が大好きです(笑)
こんな男子に従順にならない女子がいたら驚きます。
支配的な「外見」ですけどね(笑)
出典:俺物語!!
現実をベースにして脚色するのが「物語」です。
古典から今までの様々な作品を読んでみたらどうでしょうか。
たいてい「男性も女性も従順にしていた方が利益を得られる環境」が描かれます。
そのなかで
「主人公がそこに抗う姿」によって環境での特殊性を表現します。
いろいろ読めば分かりますが「女性が従順なのではありません」。
- 主人公がリードしていて、サブキャラやヒロインはそれに引っ張られる
主人公が男性なら男性以外は皆従順で、主人公が支配的になりやすいのです。
どの物語でもだいたい「環境」に「逆らう」のが主人公の役割です。
逆らう人に付き従えば従順になる。
桃太郎で犬・猿・キジが桃太郎に逆らったら話になりづらい。
浦島太郎で帰る浦島太郎に乙姫様がすがりついたら寛一お宮です。
────────
そんなわけで(どんなわけだ)
私としては質問者さんに「俺物語!!」という少女マンガを読んでいただきたいと思います。
私はこの主人公の「剛田猛男」君が大好きです(笑)
こんな男子に従順にならない女子がいたら驚きます。
支配的な「外見」ですけどね(笑)
出典:俺物語!!
百合族は"立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花"から、可憐な乙女のイメージから来てるようです。
んで、薔薇なんですけど、男同士でアレをアソコにナニした後"引っこ抜いた"時のソレの状態が、"薔薇が開いたやうに見へる"からだと、昔誰かに聞きました。
つまり"菊が薔薇になりまする"という事でしょうか。
さもありなん。
百合族は"立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花"から、可憐な乙女のイメージから来てるようです。
んで、薔薇なんですけど、男同士でアレをアソコにナニした後"引っこ抜いた"時のソレの状態が、"薔薇が開いたやうに見へる"からだと、昔誰かに聞きました。
つまり"菊が薔薇になりまする"という事でしょうか。
さもありなん。
心理学を専攻してたわけでもないのにこの手の質問に回答しても良いのか悩みましたが私なりの見解を。
BLはマンガの世界では綺麗で実害が無い訳ですから
恋に恋する夢子ちゃんには読んでいてへーーー?
で終わると思います。自分が身を焦がすような恋をして苦しんでいれば、現実逃避できますし。
百合系も同じく女の園で女の子がカッコいい先輩とかに憧れて…て言うのは男と付き合うのはまだ怖いけど
あの先輩で練習して…ていう子もいましたねー
どちらも男と付き合うのが生々しくて現実味を帯びていない女の子の一過性のものだと思います。
もちろん、LGBTの方もいらっしゃいますがそれはまた違う心理でしょうね。
女性にとってBLは異性の世界です。
男性にとってBLは同性の世界になってしまいます。
ですから、男性にとって女性のBLと同様のものはレズ物ということになります。
レズ物を読む男女比は男:女で7:3かもしれませんね。
それって、女性が女性向けにきれいに表現したから、女性向け。それだけでは?
BLは 昔から”ゲイ”だし、レズも、ドロドロした男性向けは、女性向けより古くからあったりしませんか。
男性むけは汚いのが多いと言ったら怒られますかね
個人的に言うと、
漫画での話ですが、百合モノってそこに自分が入り込む余地がないのであまり読まないんです。BLモノは読むには読むのですが、エロになると苦手で「ないわー」って否定してしまいます。とはいえ、そこに流れる「あの純真な感じのドキドキ感」は初恋に近いのかもしれません。そこに遠い目をしてしまいます(笑)
BLと、高嶺の花の女子に恋心を抱くストーリーは、「叶わぬ恋」という共通点があって、そこからまさかの展開で恋が実るという意味ではよく似ている気がします。ただ、描き手が男性だからか、男性読者が引き込まれやすい展開になっている気がします。(女性が描くと目線が女性目線になるので女性ファンが付きやすいらしい)
プライベートをBL風にしてみる――あるイケメンが仕事のために引っ越しすることになったものの、住むはずだった家が突然なくなりオレと一緒に生活することになった。ところが一緒に暮らしてみると彼にはとんでもない秘密があった…とか書けば何気ない生活もBL風味。
「向け」の判断基準が分かりませんでした。恐らくそこを明確にすることで会話が成立しそうです。