いじめ防止対策推進法は、いじめが心身の健全な成長や人格の形成に与える影響を踏まえて、定義を広くしている。
行為の受け手が、心身の苦痛を表明すれば、何でもかんでも「いじめ」として扱うことになっているのだ。
つまり、この法は、深刻な被害を受けるリスクを潰す為のもの、ということである。
しかしながら、馬鹿な大人達は、この定義を、事案の評価をする際にも使ってしまっている。
「心身の苦痛を感じたらいじめ」という定義をだ。
したがって、本件生徒が生前に転校前の苦い思い出をツイートして「うちの子は心身の苦痛を感じていました」という報道がされてスタートしたこの重大事態調査が、上記欠陥法の定義に基づいて「いじめ」を認定するのは、至極当然のことなのだ。
では何故、学校や市教委は直ぐに、いじめの重大事態調査をしなかったのか?という疑問が浮かぶかも知れないが、それは「重大事態の定義」が「いじめにより、重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき」とされている為である。
横着なあなたは「ウッペツ川に入水して、そのまま入院したのだから、重大な被害が生じているじゃないか!」と思うかも知れない。
しかし、あなたは読み落としている。「いじめにより」という、とても大切な部分を。
本件生徒は、文春オンラインと書籍で遺族が公開した通り、自閉症スペクトラム障害を抱えている。
そして、小学生の時から、衝動的に、教室を飛び出して窓から飛び降りたり、物に当たったり、暴言を吐いたり、家出をして警察に保護されるなどの逸脱行動が確認されていた。
また、中学に入った後も、母親と言い争いになって失踪し、保護された事実がある。
したがって、入水前に他の生徒と口論になったという事実があっても、直ちには「いじめ」とも「いじめによって重大な被害が生じた」とも、評価できない。
上記経緯を踏まえれば、誰でも「いじめによる重大な被害」とは評価せず「発達障害特性の悪化」と評価する筈である。
横着なあなたは今度はこう言うだろう。
「中山教頭が調査をして、LINEで卑猥なやり取りをした問題や、皆の前で自慰行為をした問題や、川で口論になった問題が発覚しただろう!それだけじゃない!謝罪の会だってしている!謝罪をしなければならないことをした奴らがいて、入院してるんだから、いじめにより重大な被害が生じているだろう!」
ハッキリ言うが、そんなに単純な問題ではない。
例えば、あなたは、話を盛ったり、嘘をついたりする人の真実の証言を見極めることが出来るだろうか?何度もクラスメイトと口論になったり、教室や家を飛び出している発達障害の子に同じようなトラブルが生じた時、あなたは「今回はいじめですね」と言えるだろうか?いや、言える筈がない。「いじめの可能性もあるかも知れない」と考えて、様子を見るのが精一杯である筈だ。
また、重大事態は「とりあえず重大事態にしちゃえば良いじゃん!」的な軽いノリで行なえるものではない。
重大事態調査ということになれば、市教委はそのために調査委員を探し、市の金が投じられることになり、過重労働を強いられている学校の職員の負担は更に増え、大事になることで他の生徒たちにも動揺が生じ、そして何より、本件生徒がクラスに戻りにくい状況を作ってしまう可能性が大いにある。
躊躇をするのは当然だ。
それに、それらリスクを冒し、認定されたところでどうにもなりゃしない調査を選択する人よりも、本件生徒の心の問題と向き合って解決をしてあげたい、と考える人の方が、遥かに思い遣りのある人ではないだろうか?
そもそも、調査の先にあるのは、いじめの認定と、「私はいじめ被害者だった!」というマイナスでしかない認知と、調停や裁判によって得られる「金」だけなのに、何故重大事態調査を選択することが、そんなにも尊い判断だと思っているのか全くもって理解不能である。
また、本件生徒は、そのまま転校してしまったので、北星中はそれ以上なにもできなかった、というのも事実。
「いや、引っ越さなかったら、別の形で隠ぺいしようとしたに決まってる。」などと主張する者は、一生思い込みの人生を送っていれば良いが、あなたは違うと思うので問う。
私企業では絶対に許されないレベルの過重労働を強いられている中で、本件生徒の心の問題と向き合い、解決するためにはどうしたら良いのだろうか?と悩みながら考えていた職員達の、一体どこに落ち度があると言うのだろうか?
重大事態調査をすれば「必ず救われる」というカルト宗教にでも入っているのなら、信仰の自由ということで尊重するが、そのような非現実的な世界観を、地に足を着けて生活している善良な市民に押し付けてはいけない。
さて、ここまで説明すれば、どんなに物分かりの悪い馬鹿でも、流石に「学校に落ち度はない」ということが理解出来たと思うので、話を進めよう。
重大事態調査をして「いじめ」を認定したとしても、大事なのは、その中身である。
「いじめが認定された」という表面的な事実をもって、「やっぱり文春報道は事実だったんだ!」「凄惨ないじめがあったんだ!」などと解釈してはいけない。
そのような帰結は、論理的思考ができない馬鹿にしか起こり得ないので、あなたには関係ないと思うが、念の為忠告をしておく。
まず、本事案は、先輩後輩の関係にある生徒間で起きたトラブルである。
行為者が先輩で、行為対象者が後輩だ。
横着なあなたは「先輩に言われたら従うしかないだろ!」と思うだろう。
しかし、それは昭和の価値観だ。
確かに、昔は先輩と聞いただけで縮み上がるモノがあったが、現代の子供たちはそうではない。
我々の時代の上下関係と比べると遥かに緩い関係を築いている。
だからこそ、本件生徒は、周りに2つ上の女の先輩がいる状況でも1つ上の男の先輩を殴れたし、2つ上の女の先輩もいきなり蹴り飛ばせたのである。
殴る蹴るができて「抵抗できませんでした」という主張は通用しない。
そんな馬鹿な話は絶対にあり得ない。
本件生徒は、Twitterでこう言っている。
「一人になりたくなかった。だから先輩たちから離れられませんでした。何より何より一人が怖かったから。」
つまり、特性の暴走はあるにせよ、基本的には「せっかく出来たお友達を失いたくない」という理由で、先輩たちの期待に応えようとしていたのだ。
その結果が、わいせつ画像であり、自慰行為であり、奢る行為である。
残酷な言い方になるが「友達を失いたくない」という理由で行なった行為の責任は、本件生徒にしかない。
横着なあなたは、行為だけを見て「中学生がそんなことをするなんて…」と言って衝撃を受け、キレ散らかしているだけであり、経緯をまるで見ていない。
自分は、もっと過激な遊びをしてきた癖に、である。
しかしながら、その衝撃は解らなくもない。
彼らが若すぎるからである。
大学のヤリサーに所属している阿婆擦れが同じことをしても何とも思わないだろうが、中学生となると流石にそれは…と思う人もいるだろう。
しかし、現代の子供は、スマホを使いこなしている為、ネットで検索をかけて、容易に、えげつない無修正の交わりを見ることができる。
だから、何処に何を入れるのかも知っているし、それを実行に移すのも早い。
このような環境で生きている子供が、発達障害を抱え、過度に期待に応えようとしてしまう寂しさを抱いていると、どうなるか。
答えは言うまでもない。
本事案は、間違いなく、発達障害の特性が直接的にも間接的にも強く影響している。
それを覆い隠して、関係生徒たちや当時対応した先生方を裁くことは絶対に許されない。
発達障害が悪いなどと言っている訳では無い。
発達障害の特性に関わる事実を真っ黒に塗りつぶし、理解を深めようとしない、その態度こそが、本事案を引き起こした原因であり、悪だと言っているのだ。
そして、決して間違えてはいけないのが、本事案(トラブル)があって逸脱行動(2月13日の失踪)が生じたのではなく、小学生の時から逸脱行動(誤った距離感、暴言、物に当たる、失踪)があって本事案(トラブル)が生じている、ということである。
何故、こんなにも分かりやすい事実がありながら、本事案(トラブル)が逸脱行動(2月13日の失踪)を生じさせたなどと言えるのか不思議でしょうがない。
トラブルがある前から失踪しているのだから、トラブルによって失踪したという論理は、どう考えても成り立たない。
特性に悪い影響を与えたとは言えるが、それは因果関係ではなく相関関係である。
「いじめ」ないし被害感情が、将来に深刻な影響を与えるものであることは間違いない。
しかし、そもそも「友達を失いたくない」という理由で、期待に応えようとしたのだから、その責任は本人にしかない。
もちろん、原則は、である。
発達障害の特性や本件生徒の深い孤独感を理解している成人が、特性の弱みや寂しさに付け込んで、コントロールしたのであれば話は別だ。
しかしながら、ただ早くからエロ動画を見ているだけの純粋で残酷な小僧共にそんな能力はないので、その責任は当然に生じない。
したがって、この責任を負うべきは、彼女を最も理解していた筈の母親と、周辺の大人達と、これまでの間、プライバシーがどうのと言って、臭いものに蓋をし、彼らが生きた証を真っ黒に塗りつぶし、偽善的で中途半端な寄り添いを続け、教師達に責任を押し付けてきた、金ぴかのバッジを付けて踏ん反り返っているビジネスマン達のような大人達と、このクソ社会である。
いじめとは、力の均衡が偏った状態で行われる、強者による弱者への暴力だ。
心身の苦痛を感じただけで認めてくれるのは、馬鹿と馬鹿が作った法律だけである。
2019年のトラブルと「自殺の疑いがある失踪」の因果関係は、絶対に認めてはならない。
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