先妻 vs 後妻「後妻打ち(うわなりうち)」

ここでは、古くは平安時代から江戸時代辺りまで行われてきたとされる「後妻打ち」を紹介します。後妻打ちについては非常に有名だと思いますので、ご存知の方も多いかもしれませんが、やはり触れない訳にはいかないと思い、取り上げることにします。

まず「後妻打ち」というのは”うわなりうち”と読みます。元々は”うわなり(当時はうはなり)”というのは古くは古事記にも記載があり、第二夫人以下を呼ぶ言葉だったと考えられております。身分の高い人達の中ではまだ一夫一妻制が確立していない時代で、どちらかというと一夫多妻が通常だった時代でしたので、うわなり=”正妻(第一夫人)を除く妻達(妾を含む)”という意味で、呼ばれていたようです。そして一夫一妻制が確立した時代になった後、離婚後に、妻の座に納まった後妻を「うわなり」と呼ぶようになったようです。ですので、「うわなり=後妻」と漢字があてられたのも後付けのようでして、元々は「宇波成(うはなり)」と書いていたようです。また「後妻打ち」は、「うわなりうち」、「うわなり打ち」、「後妻打」、「後妻討ち」、「うわなり討ち」、「後妻討」、「宇波成打」と様々な書き方をされております(ひらがなの”わ”を”は”に変えて”うはなり”になるものもあります)。どれも同じことを指しますので特にどの表記が正しいということではないみたいです。
また女二人が男を取り合っている状態で、古いほうの女が新しい女に対して嫉妬して争いを起こすようなものも後妻打ちと呼ばれるみたいです。歌舞伎十八番の一つに「」(うわなりと読みます)という演目があり、こちらは本妻の怨霊(実際にはその怨霊に取りつかれた女)が妾に嫉妬の所作をみせるというものになっているみたいです。ちなみにこの演目の「嫐」という漢字とてもいいですよね。女という部首が男を挟んでいて正に一人の男を取り合う二人の女というのを表していて結構好きです。余談ですが男女が入れ替わった漢字も存在していてこちらの「嬲」という漢字は、嬲る(なぶる)というように読むみたいです。

この後妻打ちは古くは以下のような書物の中にも記載がみつかっているみたいです。

後妻打ちについて記載されている書物
  • 御堂関白記(藤原道長)
  • 宝物集(平康頼)
  • 烹雑の記(曲亭馬琴 ※南総里美八犬伝作者)

特に戦が多かった戦国時代に多く行われたとのことで、平和になった江戸時代では徐々に少なくなっていったようです。

では後妻打ちとはどのようなものだったのでしょうか。それについて詳しく記載していきたいと思います。

簡単に言ってしまうと後妻打ちとはその名の通りで、
「離縁されてしまった前妻が、女としての面目を保つ為、また溢れる怒りをぶつける為に、後妻の住む家に仲間と共に押し入り、ほうきや竹棒といった刃物以外の道具を武器として用い、家財道具を壊しうっぷんを晴らすというもの」
だったみたいです。
しかしやられる後妻側もただ見ているだけではなく仲間と共に先妻達を待ちかまえ、家財を守る為に反撃を行い闘い、結果先妻チームと後妻チームが入り乱れての大乱闘が繰り広げられるといったものだったようです。その間亭主は一切の手出しは許されず他の場所に出ていっているか、隅でおとなしく事の顛末を見ているだけという決まりだったようです。ある程度時が経ったところで双方の仲介役が間に入り、この騒動を収め、先妻が引き揚げるという流れになっていたようです。この時大体が後妻が先妻の顔をたてて、先妻にお詫びを入れて、それを先妻が受け入れることで両者納得して終了という感じだったみたいです。


後妻打ちのルール

1)後妻打ちが認められるのは離婚後1カ月以内で後妻を迎え入れた場合
2)参加できるのは双方必ず女性のみであること(ただし申し込みや取り次ぎについては男性が行う)
3)押しかける日時や人数、持ちこむ武器等について詳細を事前に通達すること
 (ただし、武器として刃物は使用禁止
4)基本的に攻撃対象は家財や物品に限り、人間に対する攻撃はしてはいけない
5)ある程度の打ち壊しが行われた後に、仲介役により間が取り持たれ終了となる

しかし上記のうちの4)に関しては、あまり守られていた訳ではなく、実際には武器で叩きあい、髪を掴み合い、引っかきあい、取っ組みあうという肉弾戦が行われることも多くあったようです。お互いに男が絡む女同士の闘いですので、感情的になりエスカレートしない訳はないですよね。時としてけが人がでたり、最悪の場合死者がでてしまうなんてこともあったようです。


そんな当時の様子を描いた歌川広重作「往古うわなり打の図」がこちらです。

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往古うわなり打の図(歌川広重作)

手にはほうきやらしゃもじやら棒やらをもって闘っている様子が描かれております。おそらくこの武器を双方離した時に素手での取っ組み合いが始まるのではと思います。


この後妻打ちはTVでも色々と紹介されましたので、簡単にそれをご紹介します。


番組名:トリビアの泉

世間一般にこの”後妻打ち”という風習に対する認知を広めたのはおそらくこの番組でしょう。私はこの番組がゴールデンで放送する前の深夜に放送されていた時から好きだったので、毎回録画してみてました。

いつものように
No687 鳥取県 ペンネーム グレープフルーツジュースさん(15)からのトリビア
「室町時代 夫に捨てられた妻は 再婚した夫の家に大勢で殴りこみ 家財道具を傷つける風習があった」

とナレーションが入って「へー へー へー」と始まります。

まずは簡単に後妻打ちとは何かという説明が入った後に、「現代でやったらこんな感じ」という映像が流れ「室町時代のしきたりは危険ですので現代ではおやめ下さい」というテロップが入り、その後補足トリビアが入るというものでした。

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補足トリビア

1)この風習は「後妻打(うわなりうち)」と呼ばれ室町時代頃に庶民の間で盛んに行われていたもので本気で家具を壊したり、人を傷つけたりするものではなくお互いの良識、常識に基づく暗黙のルールがあった。
 ①先妻は親せきや親しい友達などを集めてチームを作り
 ②仲間の人数や襲撃する日時 武器として持って行く道具の名前と数を明記した手紙を新しい妻に渡す
 ③新しい妻はそれを受けて先妻の攻撃に対抗するためのチームを作る
 ④襲撃当日は先妻チームは大声を上げながら勝手口から家に入り柱やタンスを叩き
 ⑤新しい妻チームはそれを阻止しようとする
 ⑥頃合を見計らって仲裁役が間に入り終了となる
2)助っ人として何度も呼ばれる”後妻打のベテラン”的存在の女性もいたそうである

私はこの放送を見た時には既に後妻打ちの事はよく知っておりましたので、ほとんど知っている情報だった為”へえ”は少なかったです。そして出演されていた方達もまあまあ知ってらしたのかあまり「へえ」はつきませんでした。時代劇で取り上げられた回もあったり歌舞伎の演目にあったりもするので、まあ妥当のような気がします。

結果:72へえ


後妻打ちは上記のような番組でも取り上げられましたが、やはりTVドラマの時代劇で何回か取り上げられております。以下のリンク先で私が知っている限り全てご紹介しております。ここで紹介した以外でもおそらく何点かあるとは思いますが、ご参考までにどうぞ。

TVドラマ(連続)06 時代劇(後妻打ち) [1971年~2015年]


昔は男の都合でいきなり離縁を突き付けられた女性もいたとのことですので、そうした女性がやり場のない怒りをぶつける為にこのような風習が生まれたのだと思います。また後妻打ちでは亭主は全くの役立たずで、周りに恥をさらすことにもなっていた為、「そうなりたくなければ簡単に離縁をするな、もし離縁しても直後に後妻を娶るな」といった戒めの意味合いもあったと言われております。

でもキャットファイト好きからすると、中々興味深い風習であることは間違いありませんね。


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