日本最古のCF 「雄略天皇の女相撲」

人類が生まれてから数え切れないほど行われてきたであろう女同士の闘いキャットファイト、では日本の歴史に記録されている中でもっとも古いキャットファイトはどんなものなのでしょうか。

それはおそらく『日本書紀』に記述がある西暦469年の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)による女相撲と言われております。

自らの仕事に絶対の自信を持ち失敗しないと豪語する工匠・猪名部真根を試す為に、雄略天皇采女達を集めて裸にまわしを締めこませて相撲をとらせたというのが日本で行われたキャットファイト(&女相撲)の最古の記録といわれています。

ここで「采女」とは「うねめ」と読み、諸国の豪族や有力者から天皇の側に、食事の支度や妻妾としての役割を果たす為に献上された女性のことのようです。その為、諸国から容姿に優れた者が献上されていたと言われてます。後の世の大奥に近いイメージでしょうか。

そんな美しい采女達が、ほぼ裸というまわし姿で相撲を取るところを横で見せられて冷静にいつものように正確性を求められる仕事ができる男などいますでしょうか?さすがに名人と名高い猪名部真根も平常でいられなかったのでしょう、手元が狂ってしまいミスをしてしまいました。それ見たことかと雄略天皇は猪名部真根に処刑を命じますが、猪名部真根の同僚が読んだ詩により雄略天皇は「このような事で素晴らしい技を持つ職人を失い、その技を後世に伝えることを途絶えさせてよいのだろうか」と自らの行いが短絡的だったと思い返し、処刑を取りやめにして、ぎりぎりのところで猪名部真根は救われたというのがこの逸話の概要となります。

この逸話には、事実行われたという見方もあれば、中国の残虐な皇帝になぞらえられた創作という説もあります。
ただ私的にはやはり実際に行われたと信じたいと思います。

しかし名人の気をそらす為の方法が”女相撲”というのが普通ではでない発想ですよね。むしろこの手段を思いついたということは、日常的に采女達に相撲をさせていたという事も考えられるのではないかとさえ思います。采女達は各地から集められた女性で、天皇の寵愛を巡るライバル同志、普段から様々な火花散る女の闘いが行われていたことは想像に難くありません。そんな女達に相撲という闘いの場を与えて闘わせていたというのはあり得る話だと思います。

では、この時に行われた女相撲はどのようなものだったのでしょうか。

女相撲というとお互いに廻しを掴んで組み合い、投げを打ち合ったり、突き合いや押し合いを経て土俵から突き出し合う、そんな闘いを想像すると思います。しかしこの時代に今と同じ相撲のルールは確立していたのでしょうか?相撲は西暦726年に「突く・殴る・蹴る」の三手の禁じ手・四十八手・作法礼法等ができたとされております。ですので西暦469年に行われたこの女相撲は、禁じ手や礼儀作法等は特になく、とにかく決められた土俵の中でがむしゃらに相手に勝つことだけに集中するような闘いであったということも十分考えられます。つまり髪の毛をつかみ合い、顔や胸を平手でたたき合い、時にはお互いに自慢の胸を掴みつぶし合うという激しいものだった可能性もあります

そんなことを踏まえつつ、奇譚クラブに素晴らしい女相撲のイラストを投稿されていた雪崎京人先生の作品を引用させて頂き、更に想像(妄想?)を膨らませてみたいと思います。


469年 雄略天皇による采女達による女相撲概要(想像)

闘いの場に、裸に廻しという格好であつまった采女達。その表情は少し緊張しております。ただお互いに相手の裸体を見て胸やお尻といった女性としての価値を値踏みし合い、嫉妬心や日頃押さえていた憎しみが体に湧き上がり、闘争心が徐々に高まっている様子が見てとれます。
そしていよいよ取り組みが始まりました。お互いに体を激しくぶつけ合い、廻しを掴み、負けてたまるものかと力強く組み合っております。激しい取り組みの末に、豪快な投げが決まり勝負が決しました。勝者は勝利に満足気な微笑みを浮かべ、敗者は悔しさのあまり顔がゆがんでおります。ただし本日の対戦は一回ではありません。負けた女の闘争心は落ちるどころか「次は死んでも負けない」と異様に高まって、そう心に誓い相手を睨みつけます。睨まれた女は余裕の表情で「あんたより私のほうが女として上なのよ、次も絶対に勝つわ」とほくそ笑みます。


取り組みが進むごとに、闘いは激しさを増していきます。普段からいがみ合う采女達はこの闘いで、ただ相手を倒すだけではなく、より痛みを、より屈辱を与えて倒そうと闘志を燃やし激しい闘いを繰り広げます。


更に憎しみ合う女同士に遠慮などありません。女性の大事な個所への攻撃も容赦なく行われます。その隆起した膨らみがお互いの憎しみを増長させ、美しく力強く揺れる乳房を思いっきり鷲掴みにして握りつぶさんとばかりに力を込めます。やられた方もすぐに相手の乳首をつねるように掴み返し闘いは加熱していきます。また女性の命ともいわれる美しく手入れされた髪の毛をお互いに掴み合い、引き抜かんとばかりに引っ張り上げ振り回し合います。痛みで苦悶の表情を浮かべる美しい女達。しかし相手への怒りや憎しみにより攻撃の手は緩みません。


勝敗はついたとしても憎しみに駆られた女達の闘いは止まらないこともしばしば。更に痛めつけようと激しく取っ組みあったり、どちらが勝ったかで言い合いになり、そのまま取っ組み合いの喧嘩になったりすることもあります。


闘いの中では、激しくまわしをひっぱり振り回した結果はずみで外れてしまうことも。しかしそんなことはお構いなしに相手に勝つことしか考えない女達。


回を重ねるごとに闘いの激しさは増していき、時に豪快な決まり手も飛び出し、迫力満点の勝負が続きます。


その中でも普段からいがみ合っている采女同士の対戦は正に死闘となります。お互いに相手から受けた屈辱や怒りを思い出しその身に溜め、直接相手にぶつけられるこの絶好の機会を無駄にしないとばかりに相手を睨みつけ、その憎しみの炎を全身から発しております。そして取り組みが始まりました。闘いはいきなり女の魅力を発する髪と胸をその標的として始まります。
かたや髪をわし掴みにして激しく引っ張れば、かたやお返しとばかりにえぐるように胸を握り痛めつけます。また顔や胸を平手で激しく殴りあい、隙を見てそのまま顔を掴んで押し込み合うといった激しい闘いを繰り広げております。そのような取り組みはただ勝てばいいのではない、とにかく憎い女を痛めつけ責め続けるという意志がこもっている為、想像を絶する激しい闘いとなります。この時の采女達は雄略天皇が猪名部真根を試しているという本来の趣旨などはどうでもよく、ただただ憎い女を叩きのめす機会を逃すことはできないとばかりに全てをかけて闘っております。


裸の女がゆるく組み合う程度の相撲をする位では動じない精神力を持っている猪名部真根も、女同士の情念が激しくぶつかり合い、本気で肉弾相討つ激しい闘いが繰り広げられる采女達の女闘美の迫力に、思わず刃先を誤って台座の石に歯を当ててしまい雄略天皇との約束を守ることができないという結果になってしまいました。


いかがだったでしょうか。
喧嘩系CF好きとしては、まだ相撲の取り決めが明確に決まっていなかったこの時代の女相撲というのは、現在の相撲とはまた違う、より喧嘩に近い闘いを想像し、妄想が膨らみますね。日本各地から集められた美女達が体に廻しだけを纏い、普段心の奥底で渦巻いている天皇の寵愛をめぐる嫉妬や愛憎を内に秘め、当時は特に禁じ手が定められていない何でもありの喧嘩のような女相撲による闘いを繰り広げる。まさに日本最古のキャットファイトにふさわしいものだと思います。


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