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これはまさしく、行動ゲーム理論におけるレベルK思考(level-k reasoning)の話ですね。

確かに、頭脳戦・心理戦漫画(カイジやアカギ、DEATH NOTEや嘘喰いなど)で見られる心理の読み合いは、敵同士の絶妙な信頼関係(?)の上に成り立っていますよね。自分がこう考えてこう行動する所までは相手は読んでくるはず、だから自分はこうする、ここから先は相手は読めないはず、みたいな感じで。

しかし、相手が自分の行動を一段階までは読んでくることを前提として戦略を決めているのに、二段階目までは読んでこないという保証がどこにあるのでしょう。そこを見誤った人間が心理戦で負ける訳ですね。

たとえば、カイジシリーズで有名なEカード勝負を見てみましょう。Eカードは皇帝側、奴隷側に分かれて行うカードゲームで、皇帝側は皇帝カード1枚と市民カード4枚、奴隷側は奴隷カード1枚と市民カード4枚を持ち、それを1枚ずつ出してぶつけます。市民同士は引き分け、皇帝は市民に勝利、奴隷は皇帝に勝利するという力関係です。

つまり、奴隷側は皇帝側が皇帝カードを出してくるタイミングを読んで、そこに奴隷をぶつけることができれば勝ちで、それができなければ皇帝側が勝つというゲームです。単純に考えれば、奴隷側が勝つ確率は5分の1です。

さて、12回戦中の第6戦で、奴隷側の主人公カイジは敵の利根川に対して、第4、5戦で立て続けに2枚目に奴隷カ

これはまさしく、行動ゲーム理論におけるレベルK思考(level-k reasoning)の話ですね。

確かに、頭脳戦・心理戦漫画(カイジやアカギ、DEATH NOTEや嘘喰いなど)で見られる心理の読み合いは、敵同士の絶妙な信頼関係(?)の上に成り立っていますよね。自分がこう考えてこう行動する所までは相手は読んでくるはず、だから自分はこうする、ここから先は相手は読めないはず、みたいな感じで。

しかし、相手が自分の行動を一段階までは読んでくることを前提として戦略を決めているのに、二段階目までは読んでこないという保証がどこにあるのでしょう。そこを見誤った人間が心理戦で負ける訳ですね。

たとえば、カイジシリーズで有名なEカード勝負を見てみましょう。Eカードは皇帝側、奴隷側に分かれて行うカードゲームで、皇帝側は皇帝カード1枚と市民カード4枚、奴隷側は奴隷カード1枚と市民カード4枚を持ち、それを1枚ずつ出してぶつけます。市民同士は引き分け、皇帝は市民に勝利、奴隷は皇帝に勝利するという力関係です。

つまり、奴隷側は皇帝側が皇帝カードを出してくるタイミングを読んで、そこに奴隷をぶつけることができれば勝ちで、それができなければ皇帝側が勝つというゲームです。単純に考えれば、奴隷側が勝つ確率は5分の1です。

さて、12回戦中の第6戦で、奴隷側の主人公カイジは敵の利根川に対して、第4、5戦で立て続けに2枚目に奴隷カードを出したことを利用しようと思い付きます。

利根川が三度2枚目に奴隷が出てくることを恐れて、皇帝を出す勝負を4枚目以降に遅らせるはず、という読みの下、カイジは2枚目に市民を出して引き分けを狙うのですが・・・

その思考を読んだ利根川によって、2枚目に皇帝を出されてしまったカイジは、第6戦を落とすことになってしまいます。

さて、この戦いをレベルK思考の理論で紐解いてみましょう。Kというのは、相手の戦略を何段階まで読んだ上で自分の戦略を決めるかという数を示します。

ただ純粋に目の前の合理性だけを見て戦略を決めるのがK=0の思考。相手(あるいは自分以外の皆)がK=0で思考していることを読んだ上で、それなら自分はこうした方が得策だと決めるのがK=1の思考。さらに、皆がK=1の思考くらいはしてくるだろうと踏んで、さらにその上で自分はどうするか決めるのがK=2の思考・・・という訳です。

そうするとEカードの第6戦は、

K=0:まずは利根川が「2枚目に奴隷が来るかもしれず、何となく気持ち悪い。2枚目は皇帝で勝負に行かず保留して市民を出しておけば、とりあえずその場は安全」という判断をするのが合理的であろうという前提がまずあり、

K=1:それを読んだカイジが2枚目に市民を出して引き分けを狙い、本来5分の1の勝率を2分の1まで高めようとする行動をとり、

K=2:それを読んだ利根川が2枚目に皇帝を通して勝利する、

という読み合いが展開されています。つまりK=1のカイジに対してK=2の利根川が勝利したということです。カイジが勝利するためには、さらにもう一段階読みを深めてK=3の思考をしなければいけませんでした。

しかしながら、相手がKレベルいくつの思考をしてくるかはわかりません。気紛れでK=0で思考をやめてしまうこともあれば、K=4まで深読みしてくるかもしれません。Eカードのように最終的に引き分けがない二者択一のゲームにおいては、深読みしすぎた結果裏目に出ることも十分にあり得ます。ですので、相手がKレベルいくつまで思考しているかを正確に見極めるセンスがなければ勝つことはできません。

そのような訳で、心理の読み合いでどこまで読んだら正解という絶対的な答えはないのですが、一般論としてKレベルいくつくらいの思考を基に行動する人が多いかというデータなら存在します。その一例として「番号選びゲーム」というものを見てみます。

1997年4月、英国のFinancial Times紙が、経済学者リチャード・セーラーにより提案されたあるコンテストを行いました。このコンテストで読者は、0~100の間の整数を1つ選ぶように求められ、全参加者が選択した数字の平均値に3分の2をかけた値に最も近い数字を書いた人が勝者であると決められました。たとえば、全員が書いた数字の平均が60だった場合、40を書いた人が勝者ということです。コンテストの勝者にはロンドン-ニューヨーク間またはロンドン-シカゴ間の、英国航空往復ビジネスクラスチケットが2枚プレゼントされると発表されました。

さて、このコンテストにおいてあなたならどの整数を書くでしょうか。Kレベル理論に則って考えてみましょう。

1.まず、何も考えなければ0~100の整数を選んだ平均は50くらいになりそうです。ということは、その3分の2である33を選ぶのが正解に最も近そうです(K=0)。

2.ところがここで、自分が1で考えたことと同じようなことを他の人も考えたと仮定しましょう。すると皆が選ぶ数字の平均は33くらいになりそうで、ということはその3分の2である22を選ぶのが正解に近そうです(K=1)

3.さらに、自分が2で考えたことと同じような思考を皆が辿ると仮定しましょう。すると皆が選ぶ数字の平均は22くらいになりそうで、そうすると自分が選ぶべき数字は14くらいになりそうです(K=2)

・・・以上のような思考を繰り返していくと、自分が書くべき数字は思考レベルを重ねるほどどんどん小さくなっていきそうです。

実は、もしコンテストに参加した人全員が完全に合理的で、無限のKレベル思考が可能で、かつ参加者全員がそのような完全な思考を有していることをお互いに認識していた場合、このゲームの解は全員が0、または全員が1を選ぶことになります。全員が0を選べば平均も0なのでその3分の2は0になり、全員が1を選べば平均の3分の2は0.666…なので、それに最も近い1が正解になります。そこから自分一人が数字を変えると自分だけが負けになってしまうので、誰も答えを変える人はいなくなり、平衡状態に達するということです。このように、もう誰も戦略を変えなくなって言わば膠着状態に至ることをナッシュ均衡(Nash equilibrium)と呼びます。番号選びゲームにおいては、Kレベル=12くらいでこのナッシュ均衡に到達します。

皆が完全に合理的であればナッシュ均衡の値が正解ということになりますが、現実はそうはなりません。人間は皆が合理的な思考をする訳ではありませんし、また他の人全員が完全に合理的であることを期待している訳でもないからです。実際に、1997年に行われたこのコンテストは1,000人以上の人が参加しましたが、選ばれた数の平均は18.91であり、勝者は13を選んだ人でした。他に選ばれた数字で多かったのは0、1、22、33でした。先ほど申し上げた通り、0と1はナッシュ均衡の値であり、22はK=1の思考レベル、33はK=0の思考レベルの人が選ぶ数字であり、一方でwinning numberであった13はK=2の思考レベルで選ぶ数字に近いものです。

つまり、このコンテストにおける勝者は、Kレベル思考を極限まで重ねてナッシュ均衡に到達した人ではなく、K=1くらいの思考をする人が多いであろうことを察し、K=2くらいの思考レベルで立ち止まるセンスを持った人だったのです。

この「番号選びゲーム」はその後も様々な場所で繰り返し行われましたが、その平均値はおおよそ20~35の範囲内でした。たとえば、デンマークのPolitiken紙が2005年に同じゲームを行った際は約19,000人の参加者が集まりましたが、その際の平均値は21.6であり、14を選んだ人が勝者となりました。またTED-Edでこのゲームについて取り上げた時に視聴者を相手に行った際は、平均値は31.1、つまり21を選んだ人が勝者だったそうです。

これらのデータを総合すると、共有知識に基づくゲーム(参加者全員が同じ情報を基に戦略を考え、しかもそのことをお互いに認識しているゲーム)においては、一般人はおおよそK=0~1の思考レベルで立ち止まることが多く、それに対してその一段上であるK=1~2の思考で戦うのが、勝つ確率を高める戦略と言えそうです。このことはちょっとしたギャンブルや株式投資などを含め、人生の様々な場面に応用可能であることが知られていますので、知っておいて損のない知識だと思います。

<参考文献>『行動ファイナンスと投資心理学』 ハーシュ・シェフリン著 鈴木一功訳

  • 考えるのに使っていい時間を予め決めてから考え始める
    • 使うと決めた時間の9割を過ぎたら、選択肢を増やすことをやめて、選ぶ作業に集中する
    • 使うと決める時間は、実際に考えに費やせる可処分時間の半分を目安に決める
      • 決めた締め切りが訪れてから、もう一呼吸だけ迷えるから
  • 上の制限を前提として、合理的に実施できる最もリスクの低い判断は今ここで思いつく選択肢のではコレ、という判断で進む

相手の自分に対するネガティブな反応に敏感な方が陥りがちな対人関係パターンです。相手の心の少数派の側面を敏感に読み取り、それをあたかも100%であるように解釈してしまう傾向があるのでしょう。

私は仕事柄、質問者さんの仰る「裏を読む」方と比較的多く関わせていただいておりますので、そのような方にどのように関わるかをお伝えすることが効果的な対策の参考になるかと思いましたので、説明いたします。

そのような方は面接中幾らか私が気が緩んだところを見逃さず、突然「先生、今、私の話を聞いていて本当はうんざりしているでしょう?」と詰問調で尋ねてきたりすることがあります。

そのような時に「いやいや、全然そんなことはありませんよ。」と伝えるのは適切ではありません。「本当はうんざりしたのに、先生は嘘をついた。」と解釈されてしまうことが多いのです。しかし、「ピンポーン、正解。実はうんざりしてました。」と伝えるのもあまり治療的ではなさそうですね。

この場合「あ、確かに5%位はちょっと別のことに意識を向けていたかもしれない。でも残りの95%はしっかり話を聞いていたつもりだったけど…。流石に鋭いね。」といった対応をすることが定石です。自分の心の中を出来る限り包み隠さず話すのです。

つまり、そのように捉えたことは間違いではないけれども、それはあくまでも私の心の少数派の部分なのでそこまで心配することはありませんよ。ということを伝

相手の自分に対するネガティブな反応に敏感な方が陥りがちな対人関係パターンです。相手の心の少数派の側面を敏感に読み取り、それをあたかも100%であるように解釈してしまう傾向があるのでしょう。

私は仕事柄、質問者さんの仰る「裏を読む」方と比較的多く関わせていただいておりますので、そのような方にどのように関わるかをお伝えすることが効果的な対策の参考になるかと思いましたので、説明いたします。

そのような方は面接中幾らか私が気が緩んだところを見逃さず、突然「先生、今、私の話を聞いていて本当はうんざりしているでしょう?」と詰問調で尋ねてきたりすることがあります。

そのような時に「いやいや、全然そんなことはありませんよ。」と伝えるのは適切ではありません。「本当はうんざりしたのに、先生は嘘をついた。」と解釈されてしまうことが多いのです。しかし、「ピンポーン、正解。実はうんざりしてました。」と伝えるのもあまり治療的ではなさそうですね。

この場合「あ、確かに5%位はちょっと別のことに意識を向けていたかもしれない。でも残りの95%はしっかり話を聞いていたつもりだったけど…。流石に鋭いね。」といった対応をすることが定石です。自分の心の中を出来る限り包み隠さず話すのです。

つまり、そのように捉えたことは間違いではないけれども、それはあくまでも私の心の少数派の部分なのでそこまで心配することはありませんよ。ということを伝えるのです。自身の心の中は出来る限り数値で表すと更に良いとされています。

質問者さんの相手の方をはじめ、大抵の方は自分の心の少数派の部分を指摘された際の対処法についてトレーニングを積んでおりませんので、どうしても大げさに否定するか、逆ギレするという対応になってしまうのは仕方が無いように思います。

ちなみに、このような対人関係パターンを持つ方は、過去に自分の過失がはっきりとわからずに一方的に相手から関係を切られた、或いはいじめられるようになったといった裏切られ体験をされている方が多いです。同じ過ちを繰り返してはならないという思いが、そのような自分に対するネガティブな情報をキャッチするアンテナを鋭敏にさせてしまうのでしょう。

相手からのネガティブな情報を感じ取ってしまった際は、「それでも今自分と関わりを続けてくれているということは、自分を好いてくれている思いが上回っているからだ。大丈夫だ。」と自分自身に言い聞かせ、自分のアンテナ側の問題も少なからずあるということを納得させることが大切です。「自分はそのままで愛される」といったアファーメーションも有効だったりします。そのような作業の繰り返しでネガティブアンテナの働きを弱めていくことが対策になるかと思われます。

また、そのようなネガティブアンテナが余りにも敏感すぎて苦しい人間関係を繰り返してしまう場合は、一時的に薬物を用いることが悪循環から抜け出す一助となることもあります。

ご参考となりましたら幸いです

同じ質問をネットで心理学者に訊いたことがあります。彼女は見事な解決策を示してくれました。それはー

スナッピング・テクニックです。

手順は以下のとおりです。

手首に輪ゴムを巻きます。考え過ぎに気づいたとき、ゴムを引っぱって離します。強く弾けば弾くほど効果が増します。パチンとゴムを弾くとあなたの脳は「考え過ぎ」との警告を受けとります。

「考え過ぎるべきではない」ことに気づき、知っているあなたは次のステップに進みます。考える対象を別のものに移すか、今あなたが行っていることに集中します。読書や散歩など、他のことを始めてみてもよいでしょう。

このテクニックには本当に助けられました。科学的な研究に基づいたこのメソッドによって、私が抱えていた問題は劇的に減りました。より詳細な情報は検索してみてください。

同じ質問をネットで心理学者に訊いたことがあります。彼女は見事な解決策を示してくれました。それはー

スナッピング・テクニックです。

手順は以下のとおりです。

手首に輪ゴムを巻きます。考え過ぎに気づいたとき、ゴムを引っぱって離します。強く弾けば弾くほど効果が増します。パチンとゴムを弾くとあなたの脳は「考え過ぎ」との警告を受けとります。

「考え過ぎるべきではない」ことに気づき、知っているあなたは次のステップに進みます。考える対象を別のものに移すか、今あなたが行っていることに集中します。読書や散歩など、他のことを始めてみてもよいでしょう。

このテクニックには本当に助けられました。科学的な研究に基づいたこのメソッドによって、私が抱えていた問題は劇的に減りました。より詳細な情報は検索してみてください。

社会学者ルーマンの『信頼』という本をおすすめします。もしかするとネット上で宮台真司が解説しているページが見つかるかも知れません。
正確ではありませんが、触りだけお話すると、この無限ループが何故起こらないかというと、コミュニケーションにおいては信頼というものがツールとして使われているとのことです。人はお互いに相手を信頼することによって、この複雑な社会で決断や言動ができているというわけです。

僕は商売ではそういう心理戦をしませんが、恋愛的なことだと行います。

こういう心理戦の攻防は拮抗する2名の実力者が戦うことがないのです、おそらく一方が長けてるので巧みに相手の心理を読んだりコントロールします。
場合によって相手がそういう意識を持ってると先回りして読まれる方に回ったりもします。

大人の世界では、特に男の子は策略によってやられても、策略でやっちゃっても結果はオーライなので攻防を考えたときに相手を導くか、導かれるかでゲームをメイクします、女性もたいがいは同様で自分でゲームを主導するかされるかを読み合います。

女性は合理的な理由や断れないながれを重んじます、体裁と良いますか「しょうがねーなもう」という環境を自分か相手に造らせます。
男はあいてが「いやだけどしかたないから」といわせる程度の加減に導きます。
俗に言う「いやん、だめ」という断ってないけど拒否みたいな言葉は使わせてあげないとならないです、向こうもそう言わせろよという探り合いをします。

お互いに着地点をわかってると探り合いも滑らかです、男女関係ですとお金の話や自由度の拘束力とかも互いに探り合って読み合ってますよ。
恥をかかせない金の使い方や、恥のかかない金の使わせ方なんかをね。

非常にエレガントな女性はあいてに思いやりをもって金を使わせます、その最低限で陳腐な金の使い方を非常に大きな感謝や喜びを演出したりしますね。
会話や身なり

僕は商売ではそういう心理戦をしませんが、恋愛的なことだと行います。

こういう心理戦の攻防は拮抗する2名の実力者が戦うことがないのです、おそらく一方が長けてるので巧みに相手の心理を読んだりコントロールします。
場合によって相手がそういう意識を持ってると先回りして読まれる方に回ったりもします。

大人の世界では、特に男の子は策略によってやられても、策略でやっちゃっても結果はオーライなので攻防を考えたときに相手を導くか、導かれるかでゲームをメイクします、女性もたいがいは同様で自分でゲームを主導するかされるかを読み合います。

女性は合理的な理由や断れないながれを重んじます、体裁と良いますか「しょうがねーなもう」という環境を自分か相手に造らせます。
男はあいてが「いやだけどしかたないから」といわせる程度の加減に導きます。
俗に言う「いやん、だめ」という断ってないけど拒否みたいな言葉は使わせてあげないとならないです、向こうもそう言わせろよという探り合いをします。

お互いに着地点をわかってると探り合いも滑らかです、男女関係ですとお金の話や自由度の拘束力とかも互いに探り合って読み合ってますよ。
恥をかかせない金の使い方や、恥のかかない金の使わせ方なんかをね。

非常にエレガントな女性はあいてに思いやりをもって金を使わせます、その最低限で陳腐な金の使い方を非常に大きな感謝や喜びを演出したりしますね。
会話や身なりや様々な視点から相手の総合的なことまで読み合っています。

筋トレが良いですよ。

考えすぎるのは、頭と体の動き出すタイミングがズレているためで、本来頭は体を動かす事でたくさんの情報を得て思考を最適化するように出来ています。

インドアだと知識の殆どが文字からのイメージか二次元的なビジュアルになり、3次元に五感を加えたリアルな体験と比べると驚くほど情報量が「少ない」のです。

このため、思考の出す結論のズレのポイントが理解できず、繰り返す事になります。

ただ、「腹落ち」の状態になる時というのは、必ず体験をもとにして「全てがつながる」ような感覚になり、考えているというより、腹に落ちる、つまり全身で理解するような状態になるわけです。

この時初めて、有効かつ実用的な知識となるわけです。

この状態に自分を近づけるのに、現在考えすぎなのであれば、最も効果的なのは「とにかく体を動かす」事になります。

まず考えるひとは、身体を動かす習慣がないため、まずは動く事に慣れるためです。

逆にまず動いてしまうから考えない人というのは、体が動きすぎてしまうため、「ひと呼吸おく」のが有効になります。

これも同じ理由で、大事なのは「アタマとカラダのバランス」なのです。

私は、70歳手前の隠居人です。

最近、癌を宣告されていますが、特にそれで落ち込んだりしてはいません。

なぜだか、私の心が判りますか?

おそらく質問の「人の心が分からないやつはダメだ」とか「普通、相手の考えわかるだろ」とか言う人にも私の心はわからないでしょう。

でも、相手の心や考えが判るのは不可能というのは、多少、暴言です。

相手が数式を書いて数学の問題を問いた時、その思考の過程は数式を読む力がある人なら判ります。完全に不可能という訳ではないのです。でも、数学の知識がない人には確かに不可能です。

また、上記の例のような私の「心の中の情感」に関連することは、同じような年齢で癌を宣告され、そこそこ人生経験を積んでいる人なら「共感」できるでしょう。

「共感」は相手の心の中で起こっているだろう情感を、自分の中で再現して理解する行為です。でも、子供に私の心の情感を理解することは不可能です。

質問の答えです。

「それは不可能ではないでしょうか?私だけが無能で、皆さまは読心術をお持ちだから私は見下されるのですか?」

不可能ではありませんが、完全に可能とも言えません。

数学の「思考過程の自己再現」や「共感」によって擬似的に相手の思考や情感を理解はできます。でも、「思考過程の自己再現」や「共感」ができるためには、理解しようとする側に上記の説明のような条件が必要だということです。

「私だけが無能で、皆さまは読心術をお持ちだから

私は、70歳手前の隠居人です。

最近、癌を宣告されていますが、特にそれで落ち込んだりしてはいません。

なぜだか、私の心が判りますか?

おそらく質問の「人の心が分からないやつはダメだ」とか「普通、相手の考えわかるだろ」とか言う人にも私の心はわからないでしょう。

でも、相手の心や考えが判るのは不可能というのは、多少、暴言です。

相手が数式を書いて数学の問題を問いた時、その思考の過程は数式を読む力がある人なら判ります。完全に不可能という訳ではないのです。でも、数学の知識がない人には確かに不可能です。

また、上記の例のような私の「心の中の情感」に関連することは、同じような年齢で癌を宣告され、そこそこ人生経験を積んでいる人なら「共感」できるでしょう。

「共感」は相手の心の中で起こっているだろう情感を、自分の中で再現して理解する行為です。でも、子供に私の心の情感を理解することは不可能です。

質問の答えです。

「それは不可能ではないでしょうか?私だけが無能で、皆さまは読心術をお持ちだから私は見下されるのですか?」

不可能ではありませんが、完全に可能とも言えません。

数学の「思考過程の自己再現」や「共感」によって擬似的に相手の思考や情感を理解はできます。でも、「思考過程の自己再現」や「共感」ができるためには、理解しようとする側に上記の説明のような条件が必要だということです。

「私だけが無能で、皆さまは読心術をお持ちだから」というように「ふてくされる」のではなくて、

相手があなたに要求している、あなたの理解力について、

「思考過程の自己再現」のために必要な知識や「共感」ができるための経験や境遇がどれほどのレベルが必要なのか?を確認しましょう。

質問の人が、

死にゆく老人の心が分からないようなやつはダメだ」とか「普通(高度な)数学の問題を解く人の考えはわかるだろ」とか言っているなら、相手がかなり無理難題を言っているかもしれないし、

人が美味しそうにご飯を食べているのを見ている、お腹が空いた子供の心が分からないやつはダメだ」とか「普通、小学校の算数の問題を解くぐらいの相手の考えわかるだろ」とか言っているなら、あなたが少し経験不足、勉強不足だって指摘されている可能性があるってことです。

いきなり「不可能」とか極論を言うのは、少し、短絡的過ぎます。

相手は、そういう短絡的な所のあるあなたを諭しているのかもしれません

そのあたりを、少し分析してみましょう。

私は70歳手前の隠居人です。

現役時代、ナンバー1ではなくオンリー1の道を歩み続け、仕事もプライベートも成功し、有益な人脈(経営者、投資家、業界の重鎮)を得て、貧困層から富裕層に上り詰めてきました。

私は平均的な人の数倍の人間関係を経験してきていますが、

人の心を完全に理解できていなくても、経験則で相手の心を予測して対処することができるようになり、それで人生が成功できてます。

「結論を先にかけ」という風潮があり、それが唯一の正解だという考えがありますが、私はそのせいで質問のような問題を引き起こしやすくなると考えています。

実際にQuoraでも、結論だけ見て反論のコメントを書いていて、中身を全くみていない方を見かけます。回答に書いてあるやん、それ。みたいな話を繰り返してコメントで説明しないといけなくなっている状況を見ています。

やはり「読み手」にとって結論が先、ということが向いていないケースがあるのです。

確かに結論を先に書くのはわかりやすいし、読みやすい。私もよく結論から書きます。

しかし、それは多くの人や対象の相手に理解されやすい結論の時です。

理解の難しい、特に反発の大きい結論の場合、決して先に書かないことをお勧めします。

なぜなら、質問のようなことになるからです。

初めに、「なんだこの結論!あり得ないだろ!」と反発を持った瞬間、反論が浮かんできます。そして、その後に記載されている「説明や論理」を斜め読み、もしくは完全に読まずにすっ飛ばして、「私の反論」をぶちかましてくるのです。

中身の話に全く触れないで、持論をかましてくるんですよ。あぁ、読んでないなぁ…って思うわけです。

ひどい時には、「そのようなことを言う奴はサイコパスだ!」などと、人格まで攻撃されます。こんなふうに頭に血が上っている人が、結論の後の中身の話をまともに読んでいると思いますか?なかなかむずかしいです

「結論を先にかけ」という風潮があり、それが唯一の正解だという考えがありますが、私はそのせいで質問のような問題を引き起こしやすくなると考えています。

実際にQuoraでも、結論だけ見て反論のコメントを書いていて、中身を全くみていない方を見かけます。回答に書いてあるやん、それ。みたいな話を繰り返してコメントで説明しないといけなくなっている状況を見ています。

やはり「読み手」にとって結論が先、ということが向いていないケースがあるのです。

確かに結論を先に書くのはわかりやすいし、読みやすい。私もよく結論から書きます。

しかし、それは多くの人や対象の相手に理解されやすい結論の時です。

理解の難しい、特に反発の大きい結論の場合、決して先に書かないことをお勧めします。

なぜなら、質問のようなことになるからです。

初めに、「なんだこの結論!あり得ないだろ!」と反発を持った瞬間、反論が浮かんできます。そして、その後に記載されている「説明や論理」を斜め読み、もしくは完全に読まずにすっ飛ばして、「私の反論」をぶちかましてくるのです。

中身の話に全く触れないで、持論をかましてくるんですよ。あぁ、読んでないなぁ…って思うわけです。

ひどい時には、「そのようなことを言う奴はサイコパスだ!」などと、人格まで攻撃されます。こんなふうに頭に血が上っている人が、結論の後の中身の話をまともに読んでいると思いますか?なかなかむずかしいですよね。特に日本人は、人格と議論の内容を分けられない特性が強いため、このような発展をするケースがあります。

明らかに議論慣れしていないんですよね。

議論慣れしていれば 、「おかしな結論だと思うけどどんな理屈で言ってるんだろう」と、中身に目が行きます。理屈があっているかどうかを検証するわけです。

議論慣れしていないと、結論がけしからん!!だけになってしまう。ひどい時には、もういい話すな!などと言われてしまいます。これはまさに質問文のようなパターンですよね。全部読んでません=もういい話すな!ですよね。

そのため、私は何かの書類を作るときや、何かの報告をする時に、相手の好みそうな結論か、相手の好まなさそうな結論かによって、書き方を変えます。

具体的には、相手が好みそうな結論なら先に書く。相手が好まなさそうな結論なら、まずは丁寧に理屈を先に書き、そのあと結論を書く。という手法を取ります。

これがやれるだけで、話はだいぶ通りやすくなります。

イエスセットというものがあります。

人はイエスを繰り返すと、イエスと言いやすい、逆にノーを繰り返すと、ノーと言いやすい。

ということがわかっています。同調や共感を得ることの大切さを感じますね。

だからまずは、イエスと言いやすいことから話すというのが定番です。

(もちろん、これは共感性の薄い方には通じないのですが)

資料も話す時も同じで、相手に対して通じやすい結論なら先に、通じ難い結論ならイエスを言いやすい事柄から書き、結論を後に書くことで、質問のようなことは避けやすくなります。

また、反論する時はイエスバットというものを駆使した方が、相手にちゃんと読んでもらえたり、聞いてもらえたりします。

相手に原因を求めすぎず、その相手に対して、自分のアプローチを変えてみることで、ちゃんと理解してもらえるようにすることもできる。

そんなことを意識すると、中身を読んでもらえた上での相手の考えも聞けるので、議論も深まるかも知れません。

質問にあるような、こういう人はこういう人!というレッテル貼りや決めつけをしてしまうと、視野を狭めてしまうかもしれませんので、なんでも画一的に当てはまる解釈というのは、「文章の中の結論の位置にせよ」「文章を読み飛ばす人の属性にせよ」、理解を狭めるような悪影響があるものと私は考えています。

ご参考までに。

普通ではないですね、そういう子がいました、両親共教師でしたので、クラス全体の事が俯瞰出来る能力が遺伝したのかな、と思いました、社内で一人一人、誰が好きで誰が苦手か、会長は嘘吐きで、とか、そういうのがわかる子でした。私の事も読んでましたね。

あと大学時代から株やって、競馬もよく当ててました。

会社を辞めたいと言うので、心理カウンセラーみたいな事をしたら?と言ったら、重い暗い知りたく無い事を知るのは嫌だ的な事を言ってました、なるほどな〜と、納得しました。

占いなんかにも向いてますよね、店に所属している占い師の方から聞いたのですが、ある時採用された子が、あまりにも当たるので、すぐ独立してあれよあれよと有名になったそうです、そういう能力は生まれつきなので、突出した能力があればそれを生かして生活した方が楽な気がします。

学習で「こういうケースはこう」みたいな経験則の積み重ねですね。アスペルガー症候群ですらそれができるのに、できませんか? まあ、私はアスペ度が低い方ではありますが……。

見下すとかではなく、一度、ASDないかチェックされてはどうでしょう。

成人のASDのチェック - 武田薬品工業 | 「大人の発達障害ナビ」
ASDをセルフチェックするためのチェックリストです。成人期のASD(自閉症スペクトラム障害)の自己記入式症状チェックリスト(RAADS-14) - 武田薬品工業 | 「大人の発達障害ナビ」

アスペルガー症候群は知的障害のないASD(自閉症スペクトラム)ですが、人の気持ちを察する能力が低めというか、コミュケーション能力に難有りの集団です。

コミュ力を補うための心理療法がいくつかあり、受けてない人よりは多分マシです。診断受けてそれきりのツワモノも多いけど。

発達障害は一生治らないと言われると、一切の努力をしない人が多いんですよね。なぜ、しても無駄と思うのかが、よく分からないです。字句通りに勘違いしているのかもしれません。

そもそも白ヤギさんは手紙を出した側なので、何か用事があったはずなのですよね。

なので黒ヤギさんからの「さっきの手紙のご用事」は自分の出した手紙の返事のはずなワケで、

山羊畜生の悲しさから数回は欲望に負けて食ってしまったとしても、

何回かラリーしたら自分発信だったということを思い出して断ち切って欲しいものですね。

あなたの返答は公開されません
読む価値のある回答でしたか?
この情報はQuoraがページ上の回答を並べ替えるのに役立ちます。
そう思わない
そう思う

程度によります。

たとえば、子供を亡くして嘆き悲しんでいる人に対して、お通夜の席で「子供なんてまた作ればいいじゃん」と笑いながら(本気で)言う人だったらそう言われても仕方ないでしょう。「出て行け」と言われても文句は言えません。

一方で、普段仲良く会話している人が明らかに落ち込んでいるので「どうしたの?」と声を掛けたときに、「昨日○○(アニメのキャラ)が死んだからに決まってるでしょ。人の心がわからないの?」と言われても困ります。

なのであなたがどういう状況で言われたかによります。

仮に前者だとしたら(あまりこの言葉は使いたくないのですが)発達障害の一種かも知れませんので、何らかの対応が必要です。これは単純に治療という意味ではなく(もちろん治療も選択肢の一つですが)、あなた自身がイヤな思いをしなくなるための対策としての選択肢をいろいろと考える必要があるという意味です。

その一つとして「何を言われても気にしない」という生き方もあります。わからないんだから仕方がない。わからないものはわからない。イヤな思いをしたくないのなら私に近づくなという生き方です。私はそうしています。その方が楽です。

後者なら相手のほうが変なので気にする必要はありません。

いちばん簡単なのは悩みが消えるまで歩くことです。

歩いているうちに血行がよくなり、脳も活性化してさっきまで悩んでいたことがバカらしく思えるようになります。

人格が変わると言っても良いぐらい。

あと、瞑想を試してみるのも良いかと思います。

とことん考えて、とことん調べて飽きるまで考えるのも手かと思います。

あと、私が考えすぎて眠れない時に使うのが、思考の中に入っている自分に気づくと、もう一人の自分をつくります。

観察者としての自分。

あぁ、〇〇のことを考えてるんだ〜!と観察します。

観察している自分は考えていない自分です。

その観察者の自分も考え出したら、またもう一人の自分を作り観察者になります。

それを永遠につづけていくうちに寝てます。

要するに、考えの中に入っている自分に気づく訓練みたいな感じです。

慣れると、あぁ次はどんな思考が出てくるのか!?と待ち構えるようになると、思考は出て来れなくなってきます。

黙読する時には何とも読みません。ただ、頭の中で「そこは何かの言葉を書き込むべき空欄」と把握しているだけです。

書いてあることを読み上げて他人に伝える場合は、「『私はナニナニです』と書いてあります。この『ナニナニ』の所が空欄になっています」と説明します。

私の性格は、「石橋を叩きすぎて、自分で石橋を壊すタイプ」と言われます。考えすぎ、、も同じ事かと思います。行動を起こすにあたり、先ずは考えると思います。どうすれば効率よく、最大効果や良い結果をもたらすのか?成功確率は?リスクは?そもそも本当にしたい事なのか?、、、良い結果を求める程、あれこれ考え、いつのまにか「悩む」に思考回路が変わります。考える事とは、その時点の知識と得られる情報から分析して答えを導く作業、と私は定義してます。成功確率もリスクも過去の歴史、人物伝など様々なものから予測も出来ます。でも、自分がこれから行動する事の結果は、何処にも載ってません。結果は誰にも解らない、、なのにこれを考えてしまう。不安だからですよね。これは「感情」であって「考える」ではありません。未来を予測する事は出来ても、答え(結果)は出ない。行動して出て初めて出る答えを、考える事が、考えすぎ、という領域だと私は定義しています。

ざっくり読めるなら、普通かどうかもわかるんじゃないの……?

追記

私はFacebookはやっておりませんし、紹介無しの方は基本的に2万円頂戴しています。これは、結構なエネルギーを使う分の対価とお考え下さい。また、少々込み合っておりますので、お支払いいただいてから48時間程度かかります。

意味不明すぎる。これってつまり「気になるあの人の心を読んでもらう」的な霊感商法なんすかね笑

悪いけど普通の人間はざっくり心や空気を読みながら生きてるんだよ

その感覚は理解できます。私も同じような感覚があります。私の場合は英語で 起きます。それはアメリカの大学院で勉強して以来の出来事です。大学院では教科書を読む量が「半端なく」多かったのです。はやり言葉を使ってしまいましたがピッタリです。読書量があまりにも多く、知らない単語を調べている余裕がありませんでした。そこで分からない単語は前後関係から類推して読むのですが、途中で疲れてしまい読んだ事を忘れてしまうクセがついてしまいました。これが今でも残っていて、急いで読んだ結果、何が書いてあるのか分からない事があります。後で読み返せば分かるのですが。これは英語でも日本語でも起こります。

正解を言えると思います。エンドポイントを決め、そこに到達するまでは、死ぬまではやることです。大抵、相手の方が先にくたばります。

太平洋・中国戦争の失敗の理由は、開始する時にエンドポイントを決めなかったことです。

別に難しいことではなく、ライオンだって、ワニだって同じことをしています。

専門で「深層心理学」を学べば、人の「傾向的」な心理を探れたり知ったりする事は可能です。

ですが、それらは統計に基づくものであり、あくまでも「ある程度」分かるものなので、心理学を学んでも人の全ての心理を読み解く事は出来ません。

それとは別に、人は長年人と接していると当然さまざな性格の人と接するので、それらの経験がそれぞれの人の性格や行動パターンから自身が自然に身につく「経験上」身についた人の言動や行動を読める力が備わっている人はいます…

これらは何故その様な能力が備わったのか?は、口では説明しきれないものがあり言葉としては「経験に基づいた能力」としか表現出来ないものですが…その状況下で「人の心理を読める人」は、確かに存在します。

自分が有利と思えるまで。ただ時間が決まっているはずなので51体49になったらつぎへいきましょ!

私の場合は一種の脳の欠陥ですね。ある年齢をさかいに、読めなくなった文章、文案が多々あります。

いまは、主にコミックを読んでいます。

んー。

  • 共感してほしいだけです
  • 客観評価してほしいだけです
  • 専門的助言がほしいだけです
  • 人材を紹介してほしいだけです
  • 資金を援助してほしいだけです
  • 励ましてほしいだけです
  • 一緒にお酒が飲みたいだけです
  • 大声を出して泣くのを見守ってほしいだけです
  • 優しく頭を撫でてほしいだけです

など欲求は様々ですね。むしろ

  • 何を欲しているのか、もっとわかりやすく表明してほしいだけです
  • それを「噛み合わない」などと評価してほしくないだけです

という欲求にも、善悪でなく、ぜひ共感して差し上げたいところです。

ご質問で指摘されるような人間として回答いたします。

反論するのに無関係と推測される部分を読むのは
無意味だな、非効率だな、時間の無駄だなと考えています。
もちろん無関係でありつつも、読む価値があると思えば全部読みます。
(無関係であるかの判断は主観であり、相手の思惑の及ぶところではありません)

「普段の実生活でもそうなのか?」についてですが
ほとんどの場合、興味無ければ一部ではなく全部スルーします。
一部のみ引っかかって、反論するのは非常に稀なケースです。

なぜ一部のみ引っかかるのか?については
「カニンガムの法則」という心理が起因していると推測します。
この「カニンガムの法則」を「単なる感情の捌け口」と評すれば
その通りなのかもしれません。

他人の評価で自分の存在価値が決まって、他人の評価で人生が決まってしまう!という強迫観念の思い込みなので他人の評価を無視します。

他人てひとを評価するほどの能力なんて持ってないんですよね。ほんの一部だけで決めるド素人なんで!

きずきず言っていたら話ができないので嫌われたくないという考えは捨てて野球好きとサッカー好きの違いくらいに最近は思えるようになったので嫌われたから腹立つ…という考えはなくなりましたね。

普通という基準が曖昧なので断定しにくいのですが、女性の多くはこちらの能力を持ち合わせているはずです。

そうでないと、言葉を発することのできない赤ちゃんの快適さを追求したり、赤ちゃんを安心させることができないからです。

もし質問者が男性であるのなら、対人関係や恋愛市場において非常に有利な能力であると考えます。

貴方からすれば

「やればできるが興味がないのでやっていないだけ」

なのでしょう。

しかし他人から見れば、

「興味がないからやらない」

と、

「できない」(読解力がない)

は同じ事です。

なのでガッカリさせたくないならやればいいし、どうでもいいならそのままでいればいいだけです。

ただし・・"今のままでいながら他人にただ理解を求める"という虫のいいのは無理ですね。

ヤギの使っているレター用紙が和紙でないのなら、そのループは遠からず途絶える筈です。

連中、消化できるのは和紙だけで、他の紙だと腸閉塞かなにかをおこして死んじゃうんですって!

免責条項:

非医療従事者による回答です。情報は参考程度に!

「私はナニナニです」とか「私はホニャララです」とか言ってますね。あ、もちろん事前に「ナニナニ」あるいは「ホニャララ」が空欄を示すことは言いますよ。

手紙の配達速度を上げてやれば、そのうち白ヤギさんも黒ヤギさんもお腹いっぱいになって「もう手紙は無理っす」と食べる気なくなるはず。飽和作戦ですね。

まあ、これもう昔の歌なので今だったらスマホ買ってあげればメールで一瞬よね、となるんですが。

自己回答です。

言葉や行動の裏を読みすぎることをやめることは困難を極めます。

故に、他者の言葉や行動で、負の感情がでても無視することにしました。また、そのようなパターンが多い人間関係においては、意識的に別人格(ペルソナ?)になりきることで、表面的にその他者が望む姿を演じることが良いと思い至りました。こう考えると、相手が満足している=自分の演技が上手い、と判断でき、今のところ辛さはありません。役を演じ終えた後、一人の時に疲れがありますが、慣れることを祈っています。

.

tag_考え方 tag_ペルソナ

もう、普通に

「この話の焦点はそこではないんですよ」

「私がしているのは善悪の話じゃなくて、共感の話なんですよ」

「それは価値観の押し付けでしょう」

と言うしかない。

それしか、解決法は、ない。

黙ってたって察してもらえない。

言って摩擦が生じようが、黙って困り続けるよりはマシ。

それに、冷静に言えば意外と摩擦は生じない。諦められてるだけかも知れないが。

人の心理は神も読めない、と私は思っています。基本的に私は臨床心理士なる職業人を信用していません。彼らのQuoraでの発言を読んで彼らの精神を分析していますが、逃げが非常に上手いですね。何も反応せずにただ黙って読むのみです。

読めません。なぜなら、人の心理は読むものではないからです。新聞は読むものですが、CDメディアを読むものだと思ってにらめっこしていたり、まして読めたと思っているとしたら、奇妙な人です。

読めたと思っている人は何か別のことをしています。人の心は読むものではなく、聴くものです。

他人は自分が思うほどそう言う事を考えていませんし覚えていません。

今朝、顔を合わせた家族が何色の服を着てたかや、何を言って出かけたか(隅々までという意味で)、顔のどこにニキビができていたとかなんて細かく全部覚えてないでしょう。

家族ですらそうなんだからそれ以外の友達や同僚なんてもっと覚えてないし、彼らには話した相手より重要な何かが大抵あります(恋人や家族、その他仕事や事情)

自意識過剰だな!くらい思って寝て忘れてください。

それが癖になればだんだんとそうなっていくと思います。

論点がよくわかりませんが、文章を読み飛ばして切り抜きで反論する事も「全部読んでいない」と前置きして書き逃げ(?)する事も、その『論』が正しく、的を射たものであるならそれでいいと認識します。

逆に、文章を読み込んで反論したりダラダラと議論に興じるにしてもその『論』が偏った物の見方による極論空論に過ぎないならその相手との議論に価値はありません。

価値のない議論をダラダラ続けたがる人間にロクな者は居ないと認識します。よって『言い逃げ』は自分のリソースを節減する上で有効な手段なのてそこにマイナスな意味合いは感じません。

箱を開けてみたら中身はゴミだった場合、それは大事に持ち帰らないのと同じで価値の無い議論をダラダラ続けたりそこに準備する為に文章を読み込んで知識武装する意味はありません。