ゲーム関係

  • 1994年に手掛けた『ドラゴンボールZ V.R.V.S』だが、元々は集英社のイベントで展示された物で、内容も赤外線コントローラーを使って4人同時に敵を倒す「体感ゲーム」だった。それを無理矢理JAMMA規格の筺体ゲームにした所為でダウングレードして一対一の2人対戦用になってしまった物に、レバーを何回転もさせる様な珍奇な技コマンドを設定して仕上げた、異色のクソゲーである。あまりのクソさ故に週のインカムも殆ど無かった様で、ゲームセンターから消えるのも早かったらしい。
    その結果、周囲から「常識も才能も持ち合わせていないコイツにプロジェクトを任せるのは極めて危険」と判断されたのか、「岡野哲先生」はAM3研時代に本作以外で目立つ様な仕事を殆どしていない
  • 『ASTRO BOY 鉄腕アトム ~アトムハートの秘密~』用に筋書きと仕様書を書いたが、筋書きは既存のアトムシナリオの継ぎ接ぎコピペに、「新鉄腕アトム」の最終回が気に入らなかったという個人的な理由で書いた「火の鳥が助けてくれましためでたしめでたし」という、代物で、仕様書に関してもゴールデンアックス・ソニックの高速アタック・0移動爆装など他からのアイディアを丸パクリしたあまりにも中身の無い内容だった為、開発担当のトレジャースタッフが全面的に仕様を作り直している。
    これが功を奏し、アトムハートはユーザーから一定の評価を得る事に何とか成功したが、馬鹿な「岡野哲先生」は「俺のおかげでアトムハートは評価されたんだ!」と激しく勘違い。同じくトレジャー開発の『ガンスタースーパーヒーローズ』では調子に乗ってあれこれと口出ししまくり、はん氏*1の絵を「売れない」と本人の目の前で批判した挙句に自分の友達かねこしんや をイラストレーターとして起用したり、レッドを熱血バカキャラから男装少女キャラに変更したり、トレジャーと無関係なセガ製ゲームがモチーフのステージを無理矢理ねじ込んだり、挙句トレジャー側がいくら意見を言っても完全無視を決め込んだり…といった暴虐の限りを尽くし、開発スタッフの士気を大いに下げたらしい。事実、はん氏は当時の自サイトの日記『WEBは色んな人の目が気になって、なかなか思うようにいかんです。ウカツな事を書くと、曲解されてヘンなツッコミされたりたりとか。』『仕事終了。この件に関してはWEBでは一切のコメントを控えます。』等、意味深な発言をしていた。
    尚、この一件がきっかけかは定かではないが、トレジャーから出入り禁止を喰らっている。当然と言えば当然の報いであるが、「岡野哲先生」自身はねちっこくてくどいので、この一件を会社含め今でも恨んでいる様である。
  • PS2「SEGA AGES 2500シリーズ Vol.33 ファンタジーゾーン コンプリートコレクション」に関し、まだ開発も何も始まっていない段階で開発会社M2の堀井社長に「ボス描いた!」という迷惑メールを送り付けるという、他人の迷惑を省みない自己中っぷりを遺憾なく発揮した。挙句、「ドット絵を打ちたい」という申し出を断られた腹いせに、パステルカラーが特徴のファンタジーゾーンにそぐわない淀んだ色使いに、自分テイスト全開のキモいボスキャラが載ったパッケージイラストを描くという嫌がらせ行為にまで及んでいる。
    また、自分の目的を達成する為には手段を選ばない為、他のスタッフと結託してこんな事もやったらしい。
  • TF VIにセガガガ要素やミュールを登場させた事で壮絶な叩きを喰らった為、自分で作ったセガガガ紹介ページにうpしていた設定企画書と、自分のサイトに今までうpしていた横綱大社長の紹介ページ同時期に削除と言う大技を繰り出す。後になってこんな事をするぐらいなら最初からしなければいいものを。
  • ゲーム製作者の分際で達人王のROMを貰ってプレイした事をホームページで自慢したり、ファミコンソフトのROMが1000本も入ったCDを同業者に配ろうとしたり(受け取りを拒否されると「ゲーム研究にはエミュが一番。製作者でエミュを使わない奴は馬鹿だ」等と罵る)、という筋金入りのエミュ厨…もといリアル犯罪者でもある。
  • ゲーム関係の特許を何個か取得している様だが、これらの特許が他で使われた様子は全くといっていいほど無い

漫画・著書関係

  • 漫画のコマやページをコピペして使い回す方法を「コピペグルーヴ」と称し、自分の生み出した独自技法であると自慢げに吹聴しているが、実際は「岡野哲先生」が使い出すより前の1990年代初頭に、漫☆画太郎が『珍遊記』でほぼ同様の技法を使っている。単に知らないのか、あるいは意図的に無視しているのかは分からないが、いずれにせよ独自技法でも何でもないのは確かである。
  • 自著では1989年頃のエピソードとして、MSX用シューティングゲーム開発ツール『吉田工務店』でアマチュアとしてオリジナルソフトを制作し、「MSXマガジン」誌に掲載された事や、ハート電子産業にアルバイトとして約1ヶ月間だけ勤務し、その間に赤川次郎原作のミステリー『死体置場で夕食を』のアドベンチャーゲーム版の開発に関わった事を偉そうに紹介しているが、同時期に『N.H.D』の一員だった事は黒歴史らしく、「Hソフトのドット打ちで日銭を稼いでいた」等とサラッと触れる程度で多くは語ろうとしていない。
  • 「岡野哲先生」の同族である阿部広樹(経歴詐称デブ)筆の「超クソゲー外伝・企画屋稼業」内に収録された漫画『ゲームデザイナー入門』にて、手塚治虫をはじめとした業界の先人達がモデルのキャラクターを精神異常者扱いで登場させる等した為、当初スポンサーだった●スキーが「企画屋稼業」を出版拒否、別の会社(大田出版)から出版される事態となった。
    そんな曰く付きの作品だが、何を考えているのか後に出版された「ゾルゲ大全集(後)」にもそのまま収録しており、加えてその解説ページにて実名を出しつつ先人達を中傷した内容である事を認め、更に悪びれもせずに上記の経緯を自分の手柄話のように得意気に紹介するという、補導歴を自慢するDQN並の低脳っぷりを発揮する。
  • ゲームサイド2009年2月号での休載を経て掲載された2009年4月号分の「8bit年代記」にて、突然作者である「ゾルゲ市蔵」の名が表記されなくなるという事態が発生。2009年6月号分でも依然として匿名連載が継続していたのだが、そんな中、2ちゃんねる上で「8bit年代記や奥付にゾルゲの名前が無いのは原稿料を貰っていないから。その浮いた分の制作費でゲームサイドのアンケード葉書の郵送料が無料になった。雑誌に迷惑をかけた侘びの意味でゾルゲが提案したらしい」という、非常に胡散臭い書き込みがなされた。
    真偽を確かめるべく有志がゲームサイド編集者へ問い合わせた結果、原稿料に関しては「守秘義務がある」という事で返答は得られなかったものの、それ以外に関しては「アンケート葉書の郵送料無料化は編集部員の提案」「連載の執筆者から迷惑を被ったこともない」「執筆者の署名表記は本人に任せている。こちらから匿名連載を指示する事は無い」「岡野氏本人が匿名連載を希望したが、そうする理由や特別な事情等は聞いていない」という、概ね上記の書き込みを完全否定する回答を得ている。やはり、匿名連載というのは全く反省していない「岡野哲先生」なりの逃亡行為だったのである。
    尚、編集部とメールのやり取りが行われた後に発売された2009年8月号分から、再び「8bit年代記」の作者名表記が復活している。禊ぎは済んだとでも思ったのか、あるいはイメージアップ工作が失敗した為にもう匿名連載は無意味と判断したのかもしれない。
  • 海老を食うと架空の世界にワープするという『メギ曜日のハルカ』は自身初となる小説作品だが、その第1話の2行目にしていきなり「神奈川の下田に住んでいる叔父が伊豆半島名産の伊勢エビを送ってくれた」という妙な一節*2があったり、何の必然性も無い中学生(主人公)の飲酒描写があったり、ここここで使用された「風呂場から裸で外に飛び出し~」という(特段面白くもない)ネタを終盤で丸々コピペしたりと、これから小説を連載する人間とは思えない低能っぷりを早速露呈した。
    その後も、バーベキューを楽しむ人をいきなり馬鹿呼ばわりしたり(第4話)、冷凍されているものの食用には衛生管理されていない、エビに見た目が似ているだけで分類的にはミジンコに近いオキアミ(「エビ亜綱エビ下綱ホンエビ上目オキアミ目」)を釣り屋で買い、エビの代わりとして食して変な世界に飛んだり(第5話)ハルカの妄想の影響で突然に神奈川の形が変わって「神奈川の下田」が消滅し、代わりに静岡に半島が生え、そこに「静岡の下田」が誕生したという、真面目にツッコむ気力すら失せる無茶苦茶な展開で第1話の失敗を無かった事にしようとしたり(第12話)と、天性の無能・非常識っぷりを遺憾なく発揮していった。
    当然、そんな小説にもなってない電波作文が人気を得る筈も無く、「第一部完」的な内容の12話を最後に更新が途絶える事に。そのまま長らく放置されていたが、掲載サイト『GAME BRIDGE』のリニューアル時に何の説明も無く連載ページは消滅、あっけない最後を迎えた。電波作文を晒すのが嫌になった「岡野哲先生」が存在の抹消を頼んだという見方もあるが、真相は不明である。
  • 『8bit年代記』の単行本化に際し書き下ろされた表紙イラスト。そこには中年オヤジがテーブル筐体でゲームをしている姿が描かれているのだが、何故か1人プレイなのに筐体の2P側でプレイをしている(当時のゲームは、コインを入れて2Pボタンを押して2P側でプレイ、という事はできない)。このイラスト1つを取って見ただけでも、「昔は良かった」的な作品を書いていながら全くレトロゲーの知識が無い事が伺える。
    また、その単行本の帯には『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』等を手掛けた遠藤雅伸氏がコメントを寄せているが、当の遠藤氏は自身のブログやラジオで8bit年代記に関し「地方のゲーム事情を語る資料的価値がある事は否定できない」としながらも、「地方で行われていた犯罪の告白(という負の意味での資料的価値)」「最低な内容なので読む価値は無いと思う」等、内容を酷評している。自著で散々小馬鹿にしてきた人物を箔付けの為に利用しようとした結果がこれとは、正に因果応報である。
    因みに肝心の売上はと言うと、九割方返本されるほどの不人気っぷりで、出版社は大量の不良在庫を抱えているらしい。こんな状況でも当時雑誌では自信満々に「連載作品中人気No.1」等と紹介していたのだから恐れ入る。

その他

  • セガガガで他社のゲームや漫画、映画等のイラストをトレース改変して馬鹿にするネタをやろうとして没になったり*3、東南アジア産と思しき漫画を丸々スキャンし、台詞やコマ配置を変えただけのものを作品として雑誌に掲載したり、ネット上で拾ったと思われる画像をそのままコピペして漫画に使用した疑惑があったりと、著作権には非常に疎い事が覗える。
  • 『N.H.D.』→『東洋バフォメット評議会』へのサイトリニューアルの際、自身が馴染みの無いゲーム系サイトの掲示板へ怪しげなマルチ広告を投下するという、迷惑な宣伝業者レベルの事を平然と行った。「岡野哲先生」の性格を考えると、これは氷山の一角であり、当時は所構わず色んなサイトに広告を投下しまくっていた可能性が高いだろう。
    他にも、当時漫画や記事を執筆していた『ユーズド・ゲームズ』(現『ゲームサイド』)のHPにあった公式掲示板で「原稿料が安い」等と大暴れし、掲示板を閉鎖に追い込んだという噂がある等、ネット上でも他人の事を考えない迷惑っぷりは変わらない様である。
    因みに、出入り禁止処分を喰らわされたトレジャーのHPにあった公式掲示板も、荒らされて閉鎖に追い込まれたらしいが…。
  • セガガガで、JASRAC非登録のアレックスキッドのテーマをアレク自身が歌うシーンで歌詞が違っている(「それーゆけー」が「いざーゆけー」になっている)事を指摘されると&bold(){「知ってるよ!知っててワザと変えたんだよ!」}などと言い訳をしたらしいが、これに限らず自分の知識の間違いを指摘されたりすると「チェックもほとんど自分ひとりで大変だったから」などと言い訳をして誤魔化す癖がある。技量が狭い「岡野哲先生」は自分より他人の方が博識なのが気に食わないらしく、絶対に自分の非を認めようとしないのである。
    他にもコミケ会場で自身の同人誌を販売していた際に、本の情報に間違いがあることを指摘されると「知ってるよ!しつこいんだよお前!」と怒鳴りだすキチガイっぷりを披露した。
  • 2ちゃんねるで工作中にTF VIを悪く言う輩が居た為、便乗して飛鳥&飛鳥をTF VI以下のクソゲーと主張したが、予想外なことに開発をしたプログラマ(以下:飛鳥兄貴と表記)が出没する。その時、飛鳥兄貴が「飛鳥はTF VI以下だ。だがそれがどうした?だからTF VIが良ゲーなのか?」という問いをしたが、予想外の出来事にすっかり怖気づき、答えを返さずに逃げるという寝小便レベルのヘタレ具合を披露するチキンという比喩は「岡野哲先生」の為にあるとしか思えない瞬間であった。因みに、往生際の悪い「岡野哲先生」はその後「開発者だという証拠を出せ」と暴れたが、本当に証拠を出されてまた何も言えなくなった事は言うまでもない。
    それから数ヵ月後、今度は悪代官をターゲットに代え、「酷いパクリゲー」「バグだらけ」(実際は目立つ様なバグは無い)等と2ちゃんねる上で暴言を吐いたが、偶然か確信犯か、同じく開発スタッフであった飛鳥兄貴の登場により前回と全く同じ末路を歩む事となった。
    この様な事もあり逆恨みを募らせた「岡野哲先生」は、飛鳥兄貴のskypeに「チン毛マン」という40代とは思えない馬鹿丸出しの名前で入ってきて、「死ぬがよい」と一言発してから即アカウントを消したり、『クソゲーまとめ@wiki』でしょぼい印象操作工作をやったり等、小学生レべルの嫌がらせを繰り返している。
  • mixiにて「ローマ暗黒法王」という名前でTF VIや自身のことに関する話題を書く日記を検索して見ては、プライベートメッセージで仲間に陰口を垂れているらしい。しかもバレないように「ララーシュタイン」「アンドロー梅田」「どくろ警察」などいろいろ名前を頻繁に変え、今現在「火焔土器彦」という名前で工作をしたり、底辺のゲーム業界人を仲間に東洋バフォメット評議会というコミュニティーを形成し、その中で「死ね!」を連発したりとご自慢の低俗っぷりを発揮している。尚、「岡野哲先生」がmixiにログインしたりブログを更新したりする時刻と、2ちゃんねる上で「岡野哲先生」への擁護レスが発生する時刻が毎回ほぼ同一らしい。
  • 2009年6月25日、享年50歳という早過ぎる死を迎えたマイケル・ジャクソン氏。その突然の訃報から二週間以上経った7月12日、「岡野哲先生」のブログに『崖の上のマイケル』なる記事が掲載された。マイケル氏はセガ愛好家だった事でも有名であり、当然セガ社員として哀悼の意を示す…のが普通な筈であるが、その内容は何とも悪意に満ちた、故人を嘲笑する様な酷いものであった。しかし、ブログのURLが2ちゃんねるのマイケル氏関連のスレに貼られだす等、大事に発展しかねない動きを見て危機感を抱いたのか、掲載から7時間後には記事を削除。幸い有志が事前に魚拓を取っていたものの、「岡野哲先生」としてはこれで全部無かった事にしたつもりらしく、翌日から何事も無かったかのように振舞っている。
    当然ながら謝罪の言葉等も無いのだが、一応mixiのマイケルコミュメンバーの一人から抗議のメールが届いた際には、返信で「マイケルを尊敬している。マイケルはKing Of Popである。ただ自分の芸風が歪んだ愛から出来てしまうので、気分を害されたならすみません。」と謝罪(というより見苦しい言い訳)した様だ。しかし、本気でマイケル氏を尊敬していると言うわりに、訃報が伝えられた直後の6月27日のブログ記事は誰も読んでない電波作文の宣伝に終始しており、マイケル・ジャクソンのマの字も出てきていなかった。そして二週間以上経った時点で掲載した記事はあの内容。「自分の芸風」「歪んだ愛」で済ますにはあまりにも苦しい。これ以前にも成田亨氏の死去を「くたばった」と表現したり、ZARDの坂井泉水氏と農林水産大臣(当時)の松岡利勝氏の訃報を茶化したりと、故人に対する礼儀を欠いた不謹慎発言を度々繰り返してきた事を考えると、『崖の上のマイケル』も面白半分で書いたのは明白だろう。事実、後にビル・ジョブス氏が死去した際にも、全然面白くないネタ文+面倒くさそうに取ってつけた想い出話を載せているが、そこで悪びれもせずに「愛情をこめた諧謔というものを解しない人もいるみたいなので」等と言っており、これっぽっちも反省していなかった事が伺える。いずれにせよ、この不謹慎極まりない一連のエピソードは、「岡野哲先生」の最低な人間性を顕著に表していると言えるだろう。


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最終更新:2016年02月16日 18:28

*1 初代ガンスタのデザイナー、自身の同人誌でこの時のエピソードを語っている

*2 神奈川県横浜市に『下田町』という場所はあるが、伊豆半島云々の件から考えて、ここは『静岡県の下田市』である方が自然

*3 通販版では没データとして観覧できたが、一般販売時に完全に抹消された