Post

Conversation

『福祉の民間委託と公金、そして政治家とメディア』  行政からの民間委託を受けて、公金を使って弱者保護をする福祉団体が増えた。そして、ずさんな会計や透明性の低い運営など、その問題も指摘されるようになってきた。  こうした問題を取り上げること自体が、弱者を救うヒーローの敵、弱者の敵、と考える人もいるようだが、果たしてそうだろうか?  先日、民間福祉団体が従業員に横領されていた(4年間に渡って)とのニュースがあった。シングルマザーやその子どもたちを助けると謳っていた。私は少しでも力になれたらと寄付をしていた。  応援していた。だから、その団体のニュースで流れてきたときは、腹が立った。私が寄付をしたお金を、団体はこんなにずさんに扱ったの? と。  しかし、そういった批判も許さない人がいる。人助けの団体の批判はするな、と。まるで人非人のような言われ方だ。  いいや、私だって誰かのためになればと、20代から寄付をつづけてきた。ある時は大きな団体に寄付をし、ホテルの宴会場で表彰された。感謝状を渡したいからと呼び出された。賞状なんていらないが、呼び出されたので出向いた。どうして? この会場に払う金はどうなっているの? というか、私に賞状を渡したい人は、なぜハイヤーでやってきているの?  首を傾げることは何度かあった。それから、新聞に載っている個人でやっているような団体に寄付をすることにしたのだが……。  この話は改めて、後半に書くことにする。  さて、話を戻し、民間委託における公金使用の在り方について考えてみよう。  私たちにもっともなじみ深い民間委託は、多分公共事業だろう。国道や県道や市道は、本来、国や県や市が作って管理するものだが、国も県も市もそんなリソースはないから、作る所から管理する所まで、幅広く民間委託が行われている。  歴史が長いだけあって、公共事業における公金の使い方は厳密に決まっていて、それに反すると厳しく批判され、時に犯罪になる。  その次に良く知られているのが、イベントの民間委託だろうか。最近あったオリンピックや、今話題の万博のように、国や自治体のイベントの多くは民間委託されている。  でも、イベントの民間委託は公共事業程の歴史はないし、イベントごとに違って統一化できていないから、オリンピックや万博で、様々な不適切な公金の使われ方をした。それらをきちんと批判する事は、もちろん必要な事だ。  そして、余り知られていないのが、今話題の福祉の民間委託。  社会に余裕がなくなり、複雑化して、様々な助けを必要とする人が増えた。  本来なら行政が直接やるべきだろうが、行政にはそのリソースもノウハウもない。様々な福祉ーーとくに弱者保護の福祉を、行政が民間の福祉団体に委託する例が昨今急増している。  ところがこの分野は、公共事業よりも、イベントよりも、公金の使い方も、そのチェック体制も確立していない。  多くの福祉団体のほとんどの人は、善意に基づいて真剣に福祉活動に携わっているのだと思うが、必ずしも効果的でない公金の使われ方や、必ずしも適切でない使い方が為されている例は、枚挙にいとまがない。  それをチェックし、不適切なら批判するのは、私は当然だし、必要なことだと思う。  もちろんその過程で、チェックされる福祉団体の人達に一定の負担は生じる。しかし、それが公金を使うということだし、国から委託を受けたイベント会社だって土木企業だって、同じ様な負担はしている。福祉団体だけが批判を許されない聖域になるのは、私は間違っていると思う。  チェック体制を機能させることは、決して福祉団体を虐める事じゃない。なにしろ私は、人がいちばん大事だと思っている。福祉は助け合いの精神だ。私は、気持ち良く、安全に、寄付をつづけたい。  前出で小さな民間団体に寄付をすることにした、という話をしたが、これも寄付する側に後述するような問題が生じたりするのだ。  新聞に載るような団体であっても、時折、応援していたこと以外の私が知らなかった活動をはじめたりする。それが反社会的なものであったりしたら、そんな活動を支えたことになってしまう。  福祉団体も試行錯誤の末、今、公共事業であるような、公金の使い方、チェックの仕方が確立し、少ない労力できちんとチェックしながら、有効にお金を使えるようになればいい。  それは、限られたお金を使って、より多くの困っている人達を救えるということになる。そしてそれこそが、国や自治体、多くの福祉団体が、本来目的としていることじゃないのだろうか。民間委託をされた福祉団体の公金の使い方は、困っている人達を救うためにこそ、しっかりと行うべきだ。  なお、それにはおなじ人間ばかりがおなじ分野の有識者会議に出てはいけない、ということにもつながる。福祉分野ではこれが多い。会議には、必ず違う意見の人も入れること。  なぜならば、政策作りに参加した識者が、自分たちに有利なルールを作り、そしてそこに多額の予算をつけるように促すということがまかり通ってしまったら、それは利権になってしまうからだ。  話は変わって、ずさんな公金の使い道やきちんと活動報告がされていない団体にも、簡単にお墨付きを与えているのは、一部の政治家たちとメディアである。福祉団体については深く調べもせず、応援する。  団体は政治家へのロビー活動をせっせと行う。政治家にも団体と関わるメリットはある。団体というある程度、固まった支援や票だ。そして、困っている人や弱っている人のための慈善活動をする団体を支援することは、政治家としてのイメージも良い。団体が持ってきた案件に対しなにか政策が動くことがあれば、「自分が動いて彼らを助けたんだ」と得点にもしやすい。  そして、団体にもメリットはある。政治家に、ありとあらゆるところで、自分の団体の名を上げてもらう。一緒に写した写真も使う。それがきちんとした団体であるとのお墨付きとなり、メディアなどにも取り上げられる。  メディア、新聞などに取り上げられると、寄付金が増えるし、さらなる団体のお墨付きとなる。メディアも、読者や視聴者、我々は社会のため、人のために頑張っているのだ、というアピールになる。  政治家やメディアに、きちんとしているとお墨付きを与えられた団体は、その中の人が、自分らの関係している有識者会議などに出て、自分らの団体に有利なルールを作っていく(たとえば、同じジャンルの福祉の問題に対して、新規参入団体は入れないなどだ)。  そうして団体は力をつけていく。力をつけていくと、政治家もメディアも簡単に無下には出来ないややこしい存在になったりもする。  こういったことも、すべて弱者や困窮者を救う手立てになるならそれはそれでいいとは思う。公金を使う限り、公平であれば。そして、メディアや政治家を後ろ盾にした権威を威光に、やりたい放題(ずさんな帳簿付けや、ずさんな活動報告)などがなされなければ。  冒頭の話に戻るが 行政からの民間委託を受けて、公金を使って弱者保護をする福祉団体が増えるにつれ、ずさんな会計や透明性の低い運営など、その問題も指摘されるようになってきた。  問題とされている以上、一度、透明化・明瞭化したらどうだろう。  福祉団体の透明化・明瞭化・健全化は、みなが望むことではないか?  それが多くの国民の信用に繋がり、良い活動をされている団体は、さらなる私たち国民の協力(寄付ももちろんだが、税金で弱者を救うこともそうです)を得られ、よってたくさんの弱者が救われることになると思う。  それができればいい、できると私は信じてる。