よみタイ

ビッグな先輩が教えてくれたスペシャルな「広島焼き」

 そんなFさんのもうひとつの散財先が飯でした。Fさんは食いたい時に食いたいものを食う、というのがポリシーの孤独のグルメだったのです。最も足繁く通っていた店は、とある有名な京料理の店で板長を務めたこともある大将が、半ば趣味のように営む小料理屋さんでした。
「いやもうこれがさ、何食ってもびっくりするくらいうまいんだよ。そのかわり安くはないんだけどさ、でも俺、酒はビール1本くらいしか飲まないし、女将さんが俺には丼で飯出してくれるから、支払いはせいぜい5000円くらいかな」
 言っておきますがFさん当時20歳です。日常の晩飯に5000円は明らかに間違っています。
「この間はその店でてっさ(ふぐの刺身)があったから頼もうとしたら、さすがに大将に止められてさ。『学生さんが食うもんちゃう』って。まあ後からこっそり2枚だけサービスで出してくれたんだけど、あれ普通に注文通ってたら、さすがに万行ってたんだろうなあ」

 授業には出ず、バイトもせず、数十万の借金をギャンブルで返済しつつ、まるで学生食堂か何かのように気が向いたらふらっと小料理屋へ。なんだかもはや一周回って聖人か偉人のようにすら思えてきます。そんなFさんが、ある日僕たちを珍しく飯に誘ってくれました。
「こないだ偶然入った店でめちゃくちゃうまいお好み焼き見つけてさ、世の中にこんなお好み焼きあるのかってびっくりしちゃったんだよ。ちょっと今からみんなで行こうぜ。大丈夫大丈夫、お好み焼きだからそんな高くないし、何なら俺が半分出すわ」
 我々は、こんな危なっかしい聖人に自分達のせいで更なる散財を促すわけには行かぬ、と「半分出す」のだけはきっちりお断りした上で、10人くらいでその店に向かうことになりました。

 店に着くと、中央に置かれた大テーブルが運良く空いていました。そこからは厨房内の大きな鉄板がよく見えます。そこではどうも先客のお好み焼きや焼きそばが焼かれつつあるようでしたが、その光景は、お好み焼きというよりは今まで見たことのない何かでした。
 見るからにサラッとした生地が、まず生地だけで鉄板に薄く広げられる様は、まるでクレープのようでした。そしてそこに千切りキャベツが載せられるのですが、驚いたのはその量です。それは薄い生地の上に文字通り山のように、、、、、積まれました。もはやサラダか何かにしか見えませんし、もしそれがサラダとして出されたら、どんなドレッシングがあったとしても食べ切るのはなかなか大儀そうです。
 しかもそのキャベツの上から更に、何やら細々したものともやしと肉も重ねられます。生地も少し追加されます。半ばポカーンとしつつ見守っていると、キャベツは鉄板からの熱で少しずつ沈んでいき、それが鮮やかなヘラ捌きでひっくり返されると、ようやく少しお好み焼きらしくなりました。しかしほっとしたのも束の間、てっきり別の料理だと思っていた焼きそばまでそこに重ねられ、卵も重ねられ、その分厚いお好み焼きはようやく完成したようでした。
 Fさんが「世の中にこんなお好み焼きあるのかってびっくり」したのはそういうことだったのか、と僕はその時点で既に納得し、Fさんに対する「計り知れない男」という以前から抱いていたある種の畏怖混じりの尊敬は、ますます強固なものになりました。
 だいぶ時間が経って、我々の前にも次々と、焼き立てのお好み焼きが運ばれてきました。僕は店の軒先に吊るされていた大きな赤提灯に黒々と大書された文字を思い出し、
「へえ、これが広島焼き、、、、という食べ物なのか……」
と、その邂逅を噛み締めました。ひたすら色々なものが重ねられたそれは、最終的には、一応形状としてはお好み焼き的な何かにはなっていました。しかし食べ始めてすぐに、僕はその納得を打ち消しました。
「何だよこれ!? お好み焼きとは完全に別物じゃん!」
 もはやそれは感動と言っていいものでした。それはとにかくべらぼうにおいしかったのです。こんなものを偶然探し当てるなんて、Fさんやっぱり計り知れねえなあ、と僕はまたまた感服しました。
 そのFさんはというと、自分から誘ったくせに「俺今日はあんまり腹へってないんだよね」と言いながら、自分だけビールを飲みつつ「とんぺい」をつまんでいました。しかし我々が食べ始めて口々に感嘆の声を上げると、いかにも満足げでした。
「なあ、めちゃくちゃうまいだろ? 広島焼き、、、、って」

イラスト:森優
イラスト:森優

次回は6/15(土)公開予定です。

『異国の味』好評発売中!

日本ほど、外国料理をありがたがる国はない!
なぜ「現地風の店」が出店すると、これほど日本人は喜ぶのか。
博覧強記の料理人・イナダシュンスケが、中華・フレンチ・イタリアンにタイ・インド料理ほか「異国の味」の魅力に迫るエッセイ。
「よみタイ」での人気連載に、書きおろし「東京エスニック編」を加えた全10章。
詳細はこちらから!

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント
稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)など。近著に『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)。
最新刊は「よみタイ」での連載をまとめた『異国の味』。

週間ランキング 今読まれているホットな記事

  1. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    東大京大医学部志望ばかりの超進学校で「神戸大学志望」を貫いた足るを知る男【学歴狂の詩 第13回】

  2. 爪切男「午前三時の化粧水」

    2年間の〝おじさん美容生活〟で辿り着いたひとつの結論。「毎日の化粧水とシートマスクだけで人生バラ色だ!」

  3. 山脇りこ「わたしとふたりで旅をする 京都・大阪・神戸 西の都のものがたり」

    〝成瀬〟きっかけで訪れて、魅力満喫の弾丸旅!食に感激、疎水に癒され、歴史にひたる!【第6回 琵琶湖25時間の旅<後編>】

  4. 佐藤誠二朗「DON’T TRUST UNDER FIFTY」

    66歳の現役パンクロッカー、the原爆オナニーズ・TAYLOWが語る「肉体と精神の変化」。そしてバンドの終わり方

  5. 佐藤誠二朗「DON’T TRUST UNDER FIFTY」

    メジャーとマイナーの垣根が取り払われた現在こそが理想。パンクの哲学者・the原爆オナニーズ・TAYLOWが饒舌に語る理由

  6. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    大阪大学と慶應大学、どちらの法学部へ行くべきか? イケメン浪人生・上野の選択【学歴狂の詩 第12回】

  7. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    「田舎の神童」の作り方──滋賀の田舎町には私を超える人間が見当たらなかった

  8. 古典ギリシャ語を学ぶのはどんな人たち?「難解な言語」との向き合い方

  9. 佐藤誠二朗「DON’T TRUST UNDER FIFTY」

    平日は会社員、休日はバンドマン。自己流スタイルを貫き続けた、the原爆オナニーズTAYLOWと「パンクの本質」

  10. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    伝説の英語教師・宮坂の恐怖政治「英作文から神戸大学の臭いがする」【学歴狂の詩 第4回】

  1. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    体育祭の準備でブラック労働に陥る中学校教師【白兎先生は働かない 第2話】

  2. 週末北欧部chika「フィンランド くらしのレッスン」

    どこにいても、自分の暮らしを作るのは自分自身! 最終回 フィンランドでの新しいコミュニティ

  3. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    絶対に定時で帰る中学校教師……その驚きの理由とは? 第1話 部活にはいきません

  4. 野原広子「さいごの恋」

    ロマンス詐欺?教え子に見られて恥ずかしい? 彼への思いの揺らぎの正体は… 第13話 その人、大丈夫?

  5. 野原広子「さいごの恋」

    結婚しなくていいと思っていたのに 第1話 44歳の再婚

  6. 週末北欧部chika「フィンランド くらしのレッスン」

    ご近所さんでなくても、顔なじみができてしまう場所とは… 第39話 ヘルシンキの街の知り合い

  7. 野原広子「さいごの恋」

    50代を前に、男性とこんな時間を持てるなんて… 第12話 週末には温泉

  8. 明「推し博物館 ひとり旅」

    東京都文京区の「印刷博物館」~世界を変えた印刷の歴史にときめく旅

  9. 野原広子「さいごの恋」

    ずっと1人もさびしくない?婚活したみたら? 第2話 枯れてる女

  10. 野原広子「さいごの恋」

    このままセックスもキスもしないで死んでいくのか 第7話 中年女の恋愛市場価値