327.学長からのお願い
「ジンキョウ殿、武客……いえ、留学生ニア・リストン殿は確かにお預かりしました。案内していただき感謝します」
「はい。あと頼みます」
ひとしきり騒いだ学長テッサンが言うと、目上の者を立てる口調でジンキョウは一礼し、「またあとでな」と私に言って詰め所を出ていった。
奔放な彼だが、やはりああいう礼儀作法が身についている一面は、武人らしく、また皇子らしくもある。
裸じゃないせいもあるのだろう、初めて少しばかり権力者の息子らしく見えたな。
そんなジンキョウが出て行き、詰め所の扉が閉まると――
「……へえ」
詰め所にいる十数名ほどの教師たちから、強烈な闘気をぶつけられた。
面白いじゃないか。
それは殺気のように冴え冴えとしながら、しかし濃密にまとわりつくような……豪の荒々しさを柔の平穏や閑静といったもので覆い、必要以外の場に漏れないようまとめたような闘気だ。あまりうまく表現できないが。
ただ、とにかく。
ただの殺気でも闘気でもないそれは、複雑かつ熟達なる研鑽の下に成り立っている。
この気配一つ取っても、並の武闘家ではありえないレベルの高さだ。ここの教師は皆強者である。
ほんの一瞬で、この部屋は戦場と化したと言える。
――まあ、ささやかな挨拶代わりと言ったところか。
「……いやはやこれは……」
ん?
周囲を見回していた私の傍で、モロに、遠慮なく、結構な至近距離で駄々洩らししているかのように闘気をぶつけて挑発していた学長が、大きく目を見開く。
「これほどの闘気に当てられても、心身に一糸ほどのぶれもないとは……どうやらニア・リストン殿と我々では、かなり格が違うようですな」
…………
私としては、戦うことも動きを見ることもなくそれを看破した学長こそ、よっぽどすごいと思うが。
会ってまだほんの少しだ。
彼は多少なりとも「氣」を修得しているようだが、この程度の「氣」の熟練度で、私の強さが正確に測れるわけがないし。
きっと見た目だけで言えば、私なんてただの髪の白い子供にしか思えないはずだ。
たとえ穏やかならざる場で、穏やかに佇んでいようとも、だ。
それだけでは強さの証明にはならないから。
山のように経験してきたことと、大切に育ててきた感覚とで、見切ったのだろうか。
何にしろ、見た目のコミカルさと濃い顔からは想像できないくらいに切れ者であり、また実力者でもあるのだろう。勘働きもよさそうだし、侮れない男だ。
「なんなら手合わせをしても構いませんが」
教師の何人かが本気で殺意を向けて来たり、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がったりと、色めき立った態度を見せたが。
「――それは追々、ぜひ。ですが今は少々無理ですな」
と、学長は教師たちをたしなめるように言った。
「今日は二学期初日。ニア殿にとっても大事な留学初日です。生徒同士ならまだしも、教師と事を起こすには早いでしょう。ニア殿が学校に慣れてからでも充分間に合いますな」
うん、まあね。
冷静に考えればそうだね。
武人としてはつまらない返答だが。
しかしそれができる大人だからこそ、このテッサンという男が鳳凰学舎の最高責任者なのだろう。
生粋の武人をその席に据えたら、本当にめちゃくちゃになりそうだしな。
「どうぞこちらへ。ルーエン君、君も来てくれ」
学長に促され、私と、名を呼ばれた男性教師が、詰め所に隣接されていたちょっと豪華な部屋……きっと応接間であろう場所に案内された。
絨毯が敷いてあったり、ソファーがあったりと、学校の施設にしては高そうな調度品や家具ばかりだ。
まあ、ここは一応貴族学校みたいなものなので、ここで生徒の親である貴族や富豪と会ったり会わなかったりするのだろう。
「まず、こちらがルーエン・バリ先生。ニア殿の担任の教師になります」
「ルーエンだ。よろしく」
三十半ばほどの……さっきはしゃぐ学長をたしなめつつも私に挑発的な気配を向けてきた男である。
恐らく切るのも面倒なのだろう長い黒髪を頭の上で結んでまとめたり、無精ヒゲが生えていたりと、貴族学校にいていい風貌の教師ではない。
――その強さ、その武を以て、教師という地位にいるようだ。
逆にいうと、ウーハイトンではそういうのでいいようだ。見た目かなりだらしない感じだが、いいのか。
本当にこれでいいのかどうか、さすがに少々不安になってきたが。
「ルーエン先生は、まだ修行中ですか?」
「日々是精進。俺の目指す武はまだ先にある」
なるほど。
教師として働いてはいるが、武人であることも捨ててはいないと。まだまだ高みを目指していると。
いいじゃないか。立場で言うとガンドルフみたいな環境だな。ぜひ応援してやりたい。
「学校内のことは追々わかるでしょう。ここにはニア殿と同じ立場となる留学生も多いので、きっと皆親切にしてくれるでしょう」
だといいが。
「……それでですね、ニア殿。実はお願いがいくつかありまして。その話をするためにお呼びしたのです」
はあ。お願いとな。
「もしかして生徒同士で戦っちゃダメ、とか?」
もしそうなら、たぶん今日中にいくつか該当する案件が起きそうなのだが。
「あー……ちょっと近いですな」
ちょっと近い?
「互いに名乗りを上げた上での一対一なら、特に私闘を禁止はしておりません。
不意打ちなし、権力や財力の忖度なし、事前に使用武器の明言化をしさえすれば。暗器は駄目。
その規則の上で、生徒たちも頻繁にやってますよ」
お、そうなのか。
……というか冷静に考えると、私闘が「頻繁にやってる」って辺り、本当に武の傾向が強い国である。
そもそもそんなものが公認で許可されていることもすごいのに。
「お願いというのは、ニア殿の場合は、正式な私闘は教師の立会人を付けてほしいということです」
ほう。
「立会人が必要なのはわかるけど、教師限定ですか?」
「はい。ニア殿の実力からすれば、生徒なんて……いえ、教師も含めても、誰であろうと瞬殺できるでしょう?」
さすがに「ええ、そうですね。全員束になっても一瞬で殺せますね」とは答えづらいので、曖昧に頷いておく。
「さすがに死人を出すのはまずいのです。なので、いざという時のストッパー、お目付け役とでも思っていただければ。もちろん私闘の内容についての証言者にもなりますし」
教師たちに私が止められるかどうかは別として、教師側としては知らないところで問題が発生するのが嫌なのだろう。
急な出来事では対処も後手に回ってしまうから。
「きっと皇帝陛下から、国内での私闘の許可は得ているものかと思います。当然この学舎内でも適用されるはずですが、そこを曲げていただきたいのです」
ああ……そういうことか。
正確には、皇帝からは特に許可は出ていない。
が、強いて止めることもなかったので、私闘は黙認されているのだと解釈している。
だって武客として呼ばれた私に、挑戦者が来ないはずがないから。
実際すでに来たし。
だから、敢えて皇帝はその辺の明言を避けたのだと思う。
どんな理由があるかまではわからないが、あの人の……いや、この国の人たちの態度からして、私に不利になるような理由ではないことだけは、わかっているつもりだ。
だからこそ私も敢えて確認はしないままで今ここにいるのだ。
「立ち合いの件はわかりました。機会があればそのようにさせていただきますので」
「お願いします。それともう一つあるんですが」
うん。
「ニア殿は、九門館についてどなたかに聞かれましたか?」
お、知っている名が出たな。
ウーハイトンに来てすぐに、リントン・オーロンに聞いたやつだ。
「九門館。この国で最も有名で、最も強いとされている九つの流派の総称、と聞いています」
「その通りです。
天破流、裏脚流は世界的にも有名な方ですが、他にもそれらと肩を並べる七つの武門がありまして」
らしいね。
詳しくはまだ聞いていないが、その九つの流派は、昔からずっと最強、頂点の座を狙って争ってきたのだとか。
昔は九門館の門下生同士で頻繁に揉め、死闘も多かったらしいが、さすがに昨今はそこまで殺伐としている関係ではない、と言っていたかな。
ただ、昔ほどやりあってはいないものの、やはり仲が良いわけではないらしいが。
「恐らくニア殿を勧誘する武門もあるかと思いますが、どうかその九門に拠り所を探さないでいただきたいのです」
ああ、そう。
属するなと。
リントンも遠回しに、同じようなことを言っていたっけ。
「それなら問題ありません」
と、私は意識して闘志を漲らせて微笑んだ。
「私は、地位や権力や財力になど興味ありません。唯一の興味は武力のみ。そして私は私より弱い者に下る気はないので」
武人らしい返事をしてやると――
「お、おぉ……! これがニア殿の龍の片鱗……!」
「……さすがはウェイバァ老が見出した逸材。俺を気迫だけで抑え込むか……!」
学長テッサンと教師ルーエンは、武人らしく、嬉しそうに戸惑い慄いてくれた。