我が子を愛していると、他所の子まで可愛く思えてくる。
他所の子の表情に、我が子の面影が見えるようになるからだ。
失敗しようと、過ちを犯そうと
こいつにも事情があると
「自然と」思えるようになるからだ。
だから、私は
他所の子の未来を考えて行動できない親は
即ち、他所の子を愛せない親は
我が子も愛して来なかったと評価する。
「他所の子がどうなろうと私には関係ない」
そう思いながら、自分勝手に生きてきた親は
どうなろうと知ったことではない。
他所の子を「自然と」愛せなかった時点で
その人の人生はもう詰んでいる。
我が子も、妻も、夫も、親も、友人も
誰一人愛せない。
自分のことさえ愛せない。
我が子だけは愛しているなどと言う親は
我が子を愛しているつもりになっているだけで
実際は、執着しているだけに過ぎない。
だから私は、そういう人たちを
誰かを心の底から愛する人のために
相手の痛みを自分の痛みのように感じることができる人のために
犠牲にする場合がある。
他所の子を物扱いする親は
我が子も物扱いしてきたと評価する。
私は、他所の子の未来を考えて行動できない
人の皮を被った獣は
犠牲になった子供を差し置いて
救われる資格などないと思っている。
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