渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ドライジン

2024年06月27日 | open



ドライジンという酒は本当に
美味いと感じる。
柑橘類で和えなくとも、単に
冷やしたジンをトニックウォ
ーターで割るだけでも最高に
美味しい。(私のスタイルは
ノーステア)
ただ、酒蘊蓄大好き大魔王の
方々は、750mℓのジン1本が数
千円の金額の物を紹介して
「美味しい」とか「至高」と
かよくネット記事やネット動画
でのたまわっている。

違うと思う。
ジンは元々は英国の労働者の酒、
兵士の酒だ。
何年物の1本数十万数百万する
ワインのような世界と同列価値
観で語る酒ではないと思う。
庶民が親しめる酒がジンだ。
日本でいうなら焼酎のような。
大枚はたいて美味い物、美酒を
得られるのは当たり前の事だ。
だが、それは底が浅い。
アラブの富豪とて、1瓶数百万
するワインを毎日飲むだろうか。
日常的に飲めるにはそれぞれの
人によりレベルの差はあろうが、
製法は変わらない。
その中で味の差が出て来る。
その味を「金を出しさえすれば
独占できる」という価値観の食
文化は、私は全否定する。

食材や手間暇により、ある程度
金額がかさむのは致し方ない。
だが、箆棒な途方もない金額を
一食一飲に課すのは私は否定す
るし拒否する。
金額次第でそれが高価な価値が
あるかと盲信するのって、それ
って、キャバクラやホストクラブ
で通常1本5000円で買える酒を1本
50万で売って、それを買って優越
感に浸るのと同じで、極めて虚飾
性に満ち溢れている。

一升1本万単位の清酒も、1本数万
円の焼酎も私は否定する。
違うと思う。食文化というのは。
そうした価値観でいくならば、
王朝料理、宮廷料理があるとして
1人1食5億円の料理があったとし
たらどうか。
論理でいったら、高額載せで価値
観を測ろうとする思念では、そう
した事も成立するのだ。
私は人間のそうした精神構造と思
念の回路を全否定する。


ジンは庶民、労働者でも買える
安い酒だ。
権威や格付けを以て架空の高位
高尚を吹き込んで、その手の類
が好きな連中を喜ばす酒ではな
い。
1本数千円や万単位のジンなど
は根本からして、何かを誤って
いる。
他の種類の酒にしてもそうだ。
ワインの世界は、そうした人間
のみにくい高慢気性を満たすた
めに運用されたりもしているが、
本来酒とはそうした事に利用さ
れるような飲み物ではない。
ただの炭素の固まりを超高額
希少石として憑りつかれたよう
に金員換算価値で測ろうとする
種族たちと同質の気質を酒や
食文化の世界に持ち込むべき
ではない。
市井のラーメン屋も会員制超高
額フランス料理店や料亭も、実
は提供する物は同じなのだ。
それは食べ物であり飲み物で
あり、作る人と飲食する人と
の接点の提供だ。

物事の本質を弁えず、人として
大切な事を忘却して金に目がく
らむ
と、神さえも売る事を人間
はする。

だが、それが如何に人類史的犯罪
であるかは、2000年前に証明され
ている。




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