ガキでも着るぜ、革ジャンは。
1967年小1の頃から革ジャンを
着ていた。湘南時代も横浜
時代も。60'Sボンバー。
年齢が進み、身長が伸びる
5~6年の時には大きな物に
買い替えて。
時代も。60'Sボンバー。
年齢が進み、身長が伸びる
5~6年の時には大きな物に
買い替えて。
今聞くと信じられないだろうが、
当時は出始めの人工皮革よりも
本革のほうが遥かに安かった。
日本での人工皮革は1964年の
東京オリンピックの年にクラ
リーノが発売した。普及する
のは1970年の大阪万博以降。
1960年代当時、革ジャンは現
在のような高級品ではなく、
リーズナブルに手軽に買える
ジャンパーだった。
私は革ジャンは乗馬とアイス
スケートの時に着ていた。防
寒用ではなく、完全に防護服
として。
私がアイススケートを初めて
やったのは5才の時、ドーム型
の品川リンクでだった。
その時には革ジャンではなく
濃紺のモコモコを着ていた。
国体選手に滑り方の基礎をマ
ンツーマンで教わった。
尻餅は何度か着いたが、最初
から滑れた。基礎の仕込みを
してくれた人が専門家だった
おかげだろう。
これはスキーも同じで、人生
初スキー時に、午後からはボ
ーゲンではなくパラレルでご
く普通に滑っていた。2度目の
スキーの時には短い板を履い
て緩斜面ではフィギュアスケ
ートのような滑り方をしてい
た。後ろ向きで滑ったり、く
るくる回ったり片足上げて滑
ったり。30度急斜面はさすが
に上手くは滑れなかったが、
直滑降のような30度斜面の
コースは楽しすぎて笑いが
とまらなかった。
アイスとスキーは違うとよく
聞くが、詳細技法部分が違う
だけで、身体用法は似ている
と感じた。
それにそっくりなのが、オー
トバイの身体操作と操縦走行
だった。
1960年代に大流行したローラー
スケートは難しく感じた。
「なんだこりゃ。身体が靴
ごと傾けられねーじゃねぇ
かよっ!」と。
アイスとローラーこそまるで
別物と感じた。アイスならば
思い切り下半身をバンクさせ
ての高速度旋回とか可能だが、
ローラーは勝手が違ったので
とても難しく感じた。四輪車
みたいな動きで。というか、
自由の利かぬトロッコのよう
に思えた。これは性に合わな
いと感じた。アイススケート、
スキー、オートバイのほうが
しっくり自分に合う。
スケートにしても、氷上を自
在に滑りまくるのは面白くて
仕方ない。

本革のほうが遥かに安かった。
日本での人工皮革は1964年の
東京オリンピックの年にクラ
リーノが発売した。普及する
のは1970年の大阪万博以降。
1960年代当時、革ジャンは現
在のような高級品ではなく、
リーズナブルに手軽に買える
ジャンパーだった。
私は革ジャンは乗馬とアイス
スケートの時に着ていた。防
寒用ではなく、完全に防護服
として。
私がアイススケートを初めて
やったのは5才の時、ドーム型
の品川リンクでだった。
その時には革ジャンではなく
濃紺のモコモコを着ていた。
国体選手に滑り方の基礎をマ
ンツーマンで教わった。
尻餅は何度か着いたが、最初
から滑れた。基礎の仕込みを
してくれた人が専門家だった
おかげだろう。
これはスキーも同じで、人生
初スキー時に、午後からはボ
ーゲンではなくパラレルでご
く普通に滑っていた。2度目の
スキーの時には短い板を履い
て緩斜面ではフィギュアスケ
ートのような滑り方をしてい
た。後ろ向きで滑ったり、く
るくる回ったり片足上げて滑
ったり。30度急斜面はさすが
に上手くは滑れなかったが、
直滑降のような30度斜面の
コースは楽しすぎて笑いが
とまらなかった。
アイスとスキーは違うとよく
聞くが、詳細技法部分が違う
だけで、身体用法は似ている
と感じた。
それにそっくりなのが、オー
トバイの身体操作と操縦走行
だった。
1960年代に大流行したローラー
スケートは難しく感じた。
「なんだこりゃ。身体が靴
ごと傾けられねーじゃねぇ
かよっ!」と。
アイスとローラーこそまるで
別物と感じた。アイスならば
思い切り下半身をバンクさせ
ての高速度旋回とか可能だが、
ローラーは勝手が違ったので
とても難しく感じた。四輪車
みたいな動きで。というか、
自由の利かぬトロッコのよう
に思えた。これは性に合わな
いと感じた。アイススケート、
スキー、オートバイのほうが
しっくり自分に合う。
スケートにしても、氷上を自
在に滑りまくるのは面白くて
仕方ない。
革ジャンそのものは元々は航空
兵のフライトジャケットだった
が、戦後日本でもライダー用の
防護服として一般化した。
1950年代、60年代初期の日活
の若手俳優たちも役の上でも
革ジャンを愛用していた。
小林旭や赤木圭一郎(いずれも
大学生)たちも役の上で革ジャン
を着ていた。
(『ギターを持った渡り鳥』1959)

(『抜き射ちの竜』1960)
(『抜き射ちの竜』1960)
小林さんも赤木さんもダブル
ライダースだ。
1950年代〜1960年代には国内
ではダブルライダースが若
者たちには主流だったよう
だ。
ではダブルライダースが若
者たちには主流だったよう
だ。
私が高校時代の1970年代中期
に、かつてバイク乗りだった
叔父から貰った1950年代
製の革ジャンもダブルライ
ダースだった。アメリカ製で
裾丈がやや短いタイプ。二輪
で前傾姿勢になると背中見え
そうになるやつ。
アメリカンモーターサイクル
は前傾マシンではなく踏ん反
り返りポジションなので短め
の造りだったのだろう。
一方でロンドンスタイルはセ
パハンが主流なので前傾して
も背中が出ない長めの造りだ
った。これは今でもそう。
アメジャンとロンジャンの特
徴の違いだろう。
ダブルライダースは60才を過
ぎた今でも着ている。
ただ、アメリカ製なのに裾丈
はやや長めで、前傾姿勢にも
適しているタイプを愛用して
いる。メーカーはアメリカ製
のAVIREX。
革ジャンについて、革そのも
のは防寒性は乏しい。
インナーで中に空気を確保し、
体温により空気を温めてそれ
を逃がさない事で防寒着とな
る。
耐擦過性において天然皮革よ
り優る人工素材は人類は未だ
発明できず、モーターサイク
ルロードレースでは本革のレ
ーシングウエアの着用が競技
規則で義務付けられている。
二輪乗りにとってレザーウエ
アはファッションで着るの類
ではなく、防護服としての実
用性の効力のほうが高い。
革ジャンは今でも日米独など
の白バイ警官たちは着用して
いる。
見てくれではない。防護服と
しての実用性から革を着る。
日本


ドイツの二輪警察官。
下車時にはベレー。
悪くない。

製の革ジャンもダブルライ
ダースだった。アメリカ製で
裾丈がやや短いタイプ。二輪
で前傾姿勢になると背中見え
そうになるやつ。
アメリカンモーターサイクル
は前傾マシンではなく踏ん反
り返りポジションなので短め
の造りだったのだろう。
一方でロンドンスタイルはセ
パハンが主流なので前傾して
も背中が出ない長めの造りだ
った。これは今でもそう。
アメジャンとロンジャンの特
徴の違いだろう。
ダブルライダースは60才を過
ぎた今でも着ている。
ただ、アメリカ製なのに裾丈
はやや長めで、前傾姿勢にも
適しているタイプを愛用して
いる。メーカーはアメリカ製
のAVIREX。
革ジャンについて、革そのも
のは防寒性は乏しい。
インナーで中に空気を確保し、
体温により空気を温めてそれ
を逃がさない事で防寒着とな
る。
耐擦過性において天然皮革よ
り優る人工素材は人類は未だ
発明できず、モーターサイク
ルロードレースでは本革のレ
ーシングウエアの着用が競技
規則で義務付けられている。
二輪乗りにとってレザーウエ
アはファッションで着るの類
ではなく、防護服としての実
用性の効力のほうが高い。
革ジャンは今でも日米独など
の白バイ警官たちは着用して
いる。
見てくれではない。防護服と
しての実用性から革を着る。
日本
アメリカ

ドイツ
ドイツ
ドイツの二輪警察官。
下車時にはベレー。
悪くない。
今でも私は革ジャンを愛用して
いる。
特にMCの仲間内での共走りの
時は一年中通して絶対に革着用。
走行メンバーが二桁台だろうと
数人の時だろうと、全員が必ず
黒革ジャンに身を包む。隊服の
ようなものだ。

いる。
特にMCの仲間内での共走りの
時は一年中通して絶対に革着用。
走行メンバーが二桁台だろうと
数人の時だろうと、全員が必ず
黒革ジャンに身を包む。隊服の
ようなものだ。