4
物語の中でエミへの婚約破棄と、星の乙女の命を狙った事を断罪された王宮の夜会で同じように今夜の婚約破棄は行われた。
物語では、レミリアは暗殺者を雇って星の乙女にけしかけていたが、その時1番好感度の高い主要キャラが助けに駆けつけて窮地を脱する。あの時ピナを助け起こしたのはウィリアルドだったので、おそらくもう完全に骨抜きになっているのだろう。
たいして長くもない階段から落ちて打撲と捻挫で済んだと言うのにそれを「殺人未遂」と言い張るとはいっそ呆れる。エミの言葉は一切聞き入れられず、ウィリアルドは星の乙女を傷付けた愚かな女と詰め寄り、無実を訴えるエミを「反省なし」と切り捨てて婚約破棄を行った。
ウィリアルド殿下をウィル様と呼び、幼馴染みや義弟とも確かな信頼関係を築いていたと思っていたエミはすべてに絶望した。絶望して、強く人生に悲観を抱いたエミは自分の中に沈んでいってしまった。きっとわたくしがいなければ、エミは気を失って、その後は会話もままならないような人形のように過ごしただろう。それほどエミの抱いた絶望は強かった。
わたくしは心の中で涙を流しながら、今度はわたくしの中に閉じこもってしまったエミへと言葉をかける。いつもあんなに、絶え間なく流れ込んでいたエミの心の声も感情も何一つ感じない。きっと深い眠りについているような状態なのだろう、今のエミは何も感じることが出来ず、何も考えることが出来ないのだろうとぼんやりと分かってしまい、とてつもなく寂しくなる。
あなたが何もしていないのはわたくしが誰よりも知っていてよ。だから大丈夫、「エミ」の事はわたくしが守ってあげる。幼いわたくしの心をエミの思い出が救ってくれたように。
エミが心を砕いてくれた「レミリア・ローゼ・グラウプナーの幸福」もわたくしが取り戻すわ。
「……陛下と、わたくしのお父様は了承してらっしゃるのでしょうか」
「当然だ。道理を通さずこのような事はしない」
「わたくしは何もしていないといくら言っても……聞き入れては、くださいませんのね」
「今更しらを切るつもりか。先程お前に突き付けた数々の証拠……犯罪行為を命令された下級貴族の子息子女達の証言、その際に使われたお前の紋章入りの手紙、それらについてはお前付きの専属侍女2人と護衛3人の裏付けも取ってあると、一つ一つ提示して見せても君は一切認めなかったが……何より先日、衆人環視の中で行われた殺人未遂……今更言い逃れが出来ると思っているのか」
「それらはすべて悪意によって捏造された物です、とわたくしにはそれしか言いようがございません」
「往生際の悪い……君はもっと頭の良い女性だと思っていた。幼馴染みでもあった、長い付き合いの分情は残っている。……自らの過ちを心から悔い、謝罪を行い心を入れ替えるならそれを受け入れるつもりだが──」
「いいえ、わたくしはわたくしの名において……レミリア・ローゼ・グラウプナーの犯していない罪を認めるなど、偽りを述べるわけにはまいりません」
「……ここまで証拠も出揃って。ああ、そうか。あくまでもシラを切り通すつもりなのか」
おぞましい、とでも言いたげにウィリアルドは口を歪める。グラウプナー公爵家に仕えるはずの侍女に護衛もとっくの昔に内通者と化していた。公爵令嬢の予定を漏らし、罪の捏造に使われた私物を持ち出し、冤罪としてでっち上げられ星の乙女への加害を示す証拠を公爵令嬢の私物に紛れ込ませ……わたくしはそれに気付いていながらも、エミに伝える術を持たなかった。エミはあの者どもも、身分は違えど友人のように思ってやっていたのに。
エミと……レミリアと過ごした時間があって、それでも星の乙女の言い分を信じたこの男とこれ以上言葉を交わす意味は無いだろう。わたくしはそれ以上抵抗する事をやめ沙汰を待った。
別室に移動した後、本日の夜会が星の乙女の社交界デビューを兼ねた最終通告であり、心を入れ替えて星の乙女に謝罪をすれば、婚約は一旦保留とされ、今後の様子次第では婚約破棄とはならなかった事を陛下から伝えられる。横に座る、わたくしのお父様からは失望がひしひしと伝わってきた。
だがしかしわたくしは、エミがやってもいない事を行っただなんて口が裂けても言えない。
「何か、最後に言い残したい事はあるか? レミリア嬢。義娘になるはずだった君がこのようなことになるとは残念だよ」
「……王家に直接誓いを立てた、顔を見せぬ影に互いを監視させつつ常に複数わたくしにつけてくださいと、星の乙女がウィリアルド殿下に近づき始めた時に申し出なかった事を後悔しております」
「…………」
陛下は何も言わなかった。ほんの少し、わたくしに対する疑惑が生まれたような気がしたが、わたくしはそれを利用して思い切り哀れっぽく申し出る。エミのように人から愛される笑顔は出来ているだろうか。
「わたくしの身柄は貴族籍を持ったままグラウプナー公爵領内の田舎に幽閉されるとお聞きしています。罪を認めぬわたくしを疑うためで構いません、どうぞわたくしの生活を監視させる者をお付けください」
「……考えておこう」
「ご配慮、痛み入ります」
陛下はここにきてようやく疑念を抱いたようだったが、隣のお父様からの怒りは消えない。愚かな事をしたのか、工作に負けたのか、どちらにしろわたくしという駒の利用価値は無くなってしまった。物語とは違って貴族籍の剥奪まではされなかったが、星の乙女を傷つけようとして幽閉された令嬢など何の価値も無いだろう。
ああまで星の乙女に骨抜きになっても、物語とは違い「婚約者のレミリア」に対しての情は残っていたのが窺える。親しかった幼馴染みでもある婚約者が嫉妬から醜い行いをした失望も。今夜は皆の前で断罪し、エミ……レミリアから謝罪の言葉を引き出して、それによって手打ちにするつもりだったのだそう。
嫉妬から星の乙女を傷付ける王太子の婚約者を非難する声は強く上がっていた。そうでもしないと王家とは言え貴族の反発を一方的に抑え込む事は出来ない。予想と反して、レミリアが最後まで罪を認めないばかりか婚約破棄に同意したのは彼らにとって計算外だったのでしょうが。
「……レミリア嬢、いいのか」
「わたくしはレミリア・ローゼ・グラウプナーの名において、身に覚えのない罪を認めるわけにはまいりませんの」
先ほどの、ウィリアルドの宣誓を踏襲するようなわたくしの言葉に陛下はため息をついた。
最後まで、わたくしは背筋を伸ばしたまま退室の礼までをきちんとこなす。……今はまだ手札がない。そう、ここは大人しく引き下がるべきである。エミを絶望させた者たちに報いを受けさせるためにはまだ足りないものが多すぎる。
「嘘つき」「公爵家の威光で今まで周りを黙らせていたそうよ」「星の乙女を迫害して」「王太子殿下の婚約者と言えどここまでの横暴は許されまい」「このおびただしい数の証拠に目撃者がいてそんな主張が通るとでも」「まだ自分では無いと言い逃れをするとは」
夜会の最中、エミの周りで囁かれた言葉をわたくしは一言たりとも忘れていない。声で誰かも分かっている、エミの今までの行いを一切鑑みようとせず、あの女の嘘に騙されてエミを陥れ偽証に手を貸した者達は許さない。罪を捏造する偽証を行うのは王国法で犯罪だと明記してある。犯罪者に相応しい末路を用意して差し上げよう。
そしてわたくしの今の発言から、「レミリア」が星の乙女を傷つけるような真似はしていないと察していながら我が身かわいさに実の娘を見捨てたこの男にも、同じ反応をするわたくしの生物学上の母親にも相応の報いは受けてもらう。
エミに救われておきながら、エミを裏切った幼馴染み達も許さない。彼らは婚約者がいながらエミの事を想っていた。彼らの婚約者も薄々それに感付きながらも、それが忠誠から大きく外れるようなもので無いのをわかっていて言及せずにいたほどの淡いものだったが。
家族として1番長い時間を過ごしたはずのクロードも、ピナの醜悪な本性を見抜けず騙された。エミはそんな事をするはずがないとお前は誰より知っていたはずなのに。
何より、エミに想われておきながらあの女に落とされた、人を見る目の無い無能な王太子ウィリアルド。「あの優秀で優しい女性が嫉妬するほど自分は想われている」と優越感を抱いていたのは気付いていた。あの時の話し合いでわだかまりを解消したものの、得意分野が違うとは言え質実なウィリアルドに対して画期的なアイデアを生み出すエミの方が貴族社会の中では注目されやすかった。それを「自分も負けずに頑張ろう」と思いつつも眩しく思っていたのをわたくしは知っていたが、そんなエミに嫉妬されていると喜ぶような醜悪な精神を持っていただなんて。
あの男達は自分の信じたいものを信じたからこうなったのだ。「レミリアに嫉妬されるほど大切に想われている」と、それが真実だと思いたかったからそう信じてこうなった。
近頃は星の乙女が訴える通りの事をエミが本当にやったかどうかなど疑いもせず、言われるがままにエミの行いを嬉々として諫めていた。忠告と名を借りて、彼らの目の奥に「自分の事が好きなのは分かるけど、さすがにこれはやりすぎだ」とやれやれといった大儀そうな態度が透けて見えていた。
彼らも騙された被害者だなんてわたくしは思えない。エミの事を知っていたのに、エミと過ごして信頼を築いていたはずなのに、それを裏切ったあの男達をわたくしは許さない。お前達が1番後悔する形で復讐を行なってあげる。
何よりあの女。何故、神はあの醜悪な魂に星の乙女の体を与えたのかしら。お前だけは何があろうと生きたまま地獄に落とす。心優しいエミが知ったら悲しむだろうがわたくしはこればかりは自分を止められそうになかった。
殺すなんて生温い事はけっしてしない。死を願うような、死すら救済と感じるような境遇があの女には相応しい。
わたくしは、これからのわたくしの取るべき行動について優先順位を付けた上で綿密に計画を立てた。まずはわたくしに与えられた田舎の屋敷一帯の裁量権をお父様……いえ家族の縁を切られたからグラウプナー公爵とお呼びしなくてはね。グラウプナー公爵から譲り受けた屋敷とその周辺、その中に含まれる廃村の裁量権を引き取った。
わたくしの名義で、エミが様々に開発してロイヤリティが入っていた前世の知識を利用した商品の権利と引き換えにだったが。それとは別に村を興すための資金も手切金として僅かだが手に入れた。今はまだこれでいい、復讐のための下地はこれで十分に作り出せる。
わたくしは「悪役令嬢レミリア」の名誉を取り戻し、裏切った者達全員に復讐を遂げた上で幸せになる。幸せにならなければならない。