すべてを失くしに行こう。
飛行機の隣に座った女性グループがこの世のものとは思えないほど醜く、声だけじゃなく顔や腕や足も汚いと感じた時に「美しくある必要もないのだな」と思った。おばさんが、美しくある必要はない。醜い方が楽。女でいるより、女を捨てた方が楽。それなのに、沖縄で合流をした女性R様は美しくて美しくて思わず拝みたくなった。美しくする必要もないのに、頼まれていないのに、美しくしてくれてありがとう。すべてに感謝。コントラストのおばさんに感謝。
男らしさと女らしさは、本質を抑えるためにある。男は弱い。強く見せる必要がある。女は強い。弱く見せる必要がある。しおらしい女なんていない。おばさんが本性。女は虎。男は捕食される側。その逆はない。女の弱さは武器。三内丸山遺跡から戦争のための道具は出土されていない。弥生時代になると、途端に武器が増える。狩猟民族には野蛮なイメージがつきまとうが、実際は平和。農耕民族には平穏なイメージがあるが、実際は戦争。縄文は昼。弥生は夜。縄文は祝い。弥生は呪い。縄文時代の墓に怨念はない。晴れ晴れとした潔さ。弥生時代の墓はとにかく怖い。引き摺り下ろす怖さ。地獄に突き落とす怖さ。あらゆるベースに呪詛がある。
昼なのに夜の生き方をすると死ぬ。昼なのに夜の生き方をすると死ぬ。長い夜が開けて、今、時代は昼を迎えている。古い常識は邪魔にしかならず、悪事は露呈し、災害や戦争を通じて旧態依然のシステムが崩れ去る。手放すと軽くなる。しがみつく限り苦しくなる。今あるものに感謝して見られる間に見ておこうと思えば、それを失った時のダメージは少ない。自分を肩書きや所有物と同一化すると、それを失った時に生きていけなくなるくらいのダメージを負う。R様は「今年もまた夏らしいことをなにもしなかった」と後悔することを避け、本州が夏になる前に沖縄の夏に突撃して、先走って夏を楽しむ同行者に私を選んだ。正しい私の使い方である。先に夏を楽しめば、心に余裕が生まれる。
酒と賭博が趣味のR様は大前提的に自由で、沖縄でもそれぞれ好きに生きた。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。自分のことは自分でやる。このルールさえ共有できたら、自分を強く見せる必要も弱く見せる必要もない。同じ時間を過ごすほど、R様の口調が端的になった。女性らしい言葉遣いをする必要がなくなったため、会話は「おい」「こら」「やめろ」「いいね」「超いいね」「最高だね」「ご苦労」「ありがとな」「いい夢見ろよ」など、最低限。それだけでいいし、それだけがいい。小学生レベルの語彙になるが、小学生に並ぶ感性に戻る。
美味しい物を食べると幸せになる。綺麗な物を見ると幸せになる。オーバーツーリズムが加速して、数年前は綺麗だった島がどんどん汚れている。綺麗な間に見ておけば、綺麗な姿を保存できる。見られる間に見ておく。人間は本来活発で、楽しみな予定があれば早起きも苦ではなくなる。悟りや癒しがブームだが、子供が悟ったら嫌だ。子供には子供らしくどんどん外に出て欲しい。悟るのは死んでからでも遅くない。自分について学んでも、自分を知ったことにはならない。どれだけ沖縄の本を読んでも、沖縄を知ったことにはならない。私は私も沖縄も知らない。何も知らないまま、沖縄そのものを泳ぐ。わからないことは混乱ではない。わからないことをわかろうとするから混乱する。わからないまま海に浮かべば、一発で幸せになる。もしここが天国だとしたら、私たちの仕事は、無条件で自分を愛すること、世界を愛すること、お互いを愛すること、自分の光をできるだけ明るく輝かせること、自分を劣っている者だと考えずに、人生を謳歌すること、これくらいだ。
おおまかな予定
6月26日(水)沖縄県那覇市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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