逃げ水   作:ピト

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正常or病んでる

 文化祭のスローガンに対してクレームが入った。本日の文実会議では、そのことを話し合う予定となっている。私は放課後になるとすぐに会議室に到着し、スローガン決めに伴う準備を行っていた。

 

「雪ノ下さん」

 

 準備を黙々としていると声がかけられた。顔を上げて確認すると、生徒会長の城廻先輩が心配そうに私の様子を窺っていた。

 

「城廻先輩。こんにちは」

「うん、こんにちは。体調は大丈夫そう、かな?」

「はい。ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です」

「そっか。よかった。やっぱり負担が集中しすぎちゃってたよね。気付いていたのに何もできなかったし、頼りない先輩でごめんね」

 

 先輩は申し訳なさそうに目を瞑り、両手を顔の前で合わせた。

 

「いえ、そんなことは………」

「でも、これからは雪ノ下さんの負担が減るように手助けするからちゃんと頼ってね!」

「………はい。お気遣いありがとうございます」

 

 むんっ!と両手を握りしめている城廻先輩に対して、私は頭を下げた。その時、廊下側が騒めいた。

 

「はろはろ~!」

「こんちゃ~」

 

 喧騒の中で私の双子の兄と姉が姿を見せた。姉さんは以前から頻繁に文実へ顔を出していたのだけれど、兄さんは今日の来校が初めてだ。あることのためにわざわざ大学終わりに来てもらった。

 会議室の全員の目が兄さんに集中する。女子生徒の誰もが兄さんの姿に見惚れて息を飲んだ。

 

「陽人さんっ!」

 

 突然、隣にいた城廻先輩が喜色溢れる声を出して兄さんに掛け出す。

 

「おっ、めぐりじゃない──っと、こら!危ないぞ」

 

 そして、城廻先輩は勢いそのままに兄さんへ抱き着いた。そのあまりに衝撃的な行動に、私を含めた周囲が呆気に取られていた。

 

「えへへ。陽人さんなら受け止めてくれるって信じてました♪」

 

 普段のほんわかした態度にあどけない笑顔を添えた先輩は、兄さんの腕の中で幸せそうにしていた。兄さんが先輩を下ろして、その額をペチッと軽く叩く。

 

「あう」

「俺が避けてたら大丈夫じゃないだろ?信じてても今度からは止めろよ」

「む~。別にその時はその時です」

 

 兄さんが先輩に注意するが、先輩は口を窄めて拗ねる。

 

「めぐり~?ちょっとお話しようか?」

 

 すると、姉さんが母が我が子を叱る時のような厳しめの声を発する。その恐ろしい声音によって、周囲で聞いている人を巻き込んだ空気が凍った。姉さんの表情はいつも以上に張り付けた笑顔からピクリとも動かない。お面のような動きの無さは不気味さ以外の何物も感じられなかった。しかし、それを一心に受けているであろう城廻先輩は意にも介した様子も無く、通常通りのほんわかした態度を崩さない。

 

「あ、はるさんいたんですか~。こんにちは~」

「………相変わらず呑気ね。あんな突拍子もないことをしておいて」

「仕方ないじゃないですかぁ。やっと会えたんですし、今日くらい許してくださいよ~」

「はぁ…。この子は…」

「めぐり、危ないのは本当なんだからな」

「むぅ。ごめんなさい」

 

 叱られた犬如くしゅんっとなる城廻先輩。姉さんが兄さんと視線を交わし、ため息を吐いた。そして、城廻先輩の頬をモニュモニュと揉み始めた。

 

「………今回だけは大目に見てあげる。でも、次弁えないことしたら分かってるね?」

 

 姉さんは聖母みたく子供を優しく諭す。先程とは一変した態度に、厳しくも優しい母親像が想像された。この場合、ヤンチャな子供が城廻先輩で、抱き着かれた兄さんは父親だろうか。

 

「ふぁーい」

 

 素直に頷く城廻先輩。

 

「にしてもえらく久し振りだな。いつ振りだ?」

「えーっと、一年6ヶ月8日と18時間振りです」

 

 空気がまたしても凍った。しかし、会話の主たちはおかしな所など無いかのように話を進める。

 

「そんなに会ってなかったか」

「はい。寂しかったです」

 

 あまりの自然さな不自然さに、周りは顔を見合わせた。これを機に、私は三人へと近付く。

 

「兄さん、姉さん」

 

 私の呼びかけに、三人が同時に振り向く。

 

「よっ、雪乃」

「やっはろー雪乃ちゃん」

「兄さん、今日は来てくれてありがとう。姉さんはどうしているの?帰ったら?」

「雪乃ちゃんひどいっ!一緒に文化祭準備を進めてきた仲じゃない」

「ひどいも何も今日私が正式に招待したのは兄さんであって、そこに姉さんは含まれていないのだけれど。それに、一緒に進めてきた?邪魔しに来ていたの間違いでしょう」

「ええー?書類整理とか結構やったよ、私」

「雪ノ下さん、はるさんも確かに手伝ってくれてたと思うな。はるさんがいなかったらもっと遅れていたのは事実だし」

 

 おどおどしながら私と姉さんの間を取り持とうとする城廻先輩。先輩は生徒会長としての仕事がありながら、それ以外の仕事を影で沢山やってくれていた。各委員への伝達なんかも先輩が率先してしてくれるおかげで、私自身だいぶ助かっている存在だ。しかも、彼女は三年生。いわゆる受験生だ。勉強に費やしたいであろう時間を、主役にはなれない今回の文化祭に惜しげも無く使ってくれている姿には申し訳なさでいっぱいになる。さらには先日、私の進路選択を平塚先生が持ってきた時、指定校推薦を辞退されたことも聞いている。ゆえに尚更罪悪感が積り、この人には逆らう気が起こらなくなるのだ。

 

「………はあ。いてもいいけれど邪魔せず大人しくしていてちょうだい」

 

 私が折れるしかない。いつもそうだ。こめかみを押さえて一息吐くと会議に向けて最終チェックを行う。そんな中、会議室の扉付近に比企谷くんと葉山くんの姿が見えた。

 

「おっ、比企谷くんじゃん!元気かー!」

 

 兄さんが比企谷くんに手をあげながら声をかけた。対する比企谷くんは一瞬「げっ」という効果音が聞こえそうなほど顔を顰め、それを隠すように会釈をしていた。そして、彼は自分が与えられた席にそそくさと座る。キラリと光る姉さんの瞳。獲物を見つけた猛獣は妖しい笑みを携えていたぶりに向かった。

 

「陽人さん」

「あん?なんだ、隼人か。調子は?」

 

 姉さんが比企谷くんをからかっている。必死に距離を取ろうと試みる彼の反応は、姉さんの嗜虐心を余計に煽る。

 

「うん。ぼちぼちかな」

「もうすぐ文化祭だな。どうだ?青春してるか若人よ」

「ははは、どうなんだろうね」

「思いっきり楽しんどけよ。時間なんてあっという間だ」

「うん。それより、どうして陽人さんがここに?今まで陽乃さんしか来てなかったのに」

「さあな。雪乃に呼ばれたから来ただけさ」

 

 私は忙しくせかせか動いている。何やら視線を感じるが、今はそれどころではない。

 

「すまない。少し遅れ…てはないか」

「静ちゃん」

「ん?ああ、陽人か。事情は雪ノ下から聞いている。だがその前に静ちゃんはよせ」

「んー、却下っ!」

「………まったく。まあいい。そろそろ座れ。ほら陽乃も遊ぶのは中断しろ」

 

 ざわざわしていた室内に平塚先生が入って来たことで、喧騒がおさまる。兄さんと姉さんを平塚先生に任せ、私は全体への指示を出すことにした。

 

「皆さん、今から会議を始めますので着席してください」

 

 号令は全体に行き渡り、三十秒と経たぬ内に全員が着席した。相模さんが到着したのもほぼ同時だった。何食わぬ顔で私の隣に腰を下ろし、何も動き出す様子が無かった。

 

「相模さん、始めてもいいかしら?」

 

 形式的なやり取りだが、委員会の長は彼女なのだ。

 

「えっ、あ、うん。進行よろしく。ウチ、書くよ」

 

 相模さんはホワイトボード用の黒ペンを手に取った。

 

「それでは会議を始めます。今回の議題は文化祭のスローガンについてです。何か意見のある人は挙手をお願いします」

 

 しかし、誰の手も上がる様子が無かった。二十秒程して葉山くんが手を挙げてある提案をした。

 

「みんなすぐには出ないようだし、一度周囲の人たちと話し合ってもらったらどうかな?」

 

 それはありがたい提案ではあった。

 

「そうね。では何人かでグループになって10分ほど話し合ってください。後ほど紙を配りますので、それに記入をお願いいたします」

 

 一拍を置いて喧騒が蔓延った。おそらくまともに案を考えている人は一部の人だけであろうが。しかし、全員やる気がない訳ではないはず。いかんせん彼らが活躍したいステージが違うのだ。

 時間が経ち、配布した紙を回収して、書かれていた案を相模さんに書き出してもらった。

 

 ────友情!努力!勝利!

 ────八弘一宇

 

 二つ目は私の案だ。どうにも四字熟語みたいなお堅いものしか浮かばない。はあ、つくづく一般的な女子高生っぽくないわね。

 

 ────One For All

 

 比企谷くんの周りが少し騒めいた。おおかた彼が捻くれた考えでも吐露したのだろう。最も彼が嫌いそうな言葉だし。

 

「じゃあ、最後にウチらの方から」

 

 ────絆~共に助け合う文化祭~

 

 私は唖然とした。よりによってあなたがそれを書くの?

 

「う~わ~………」

 

 陰湿な声が会議室内に響き渡った。比企谷くんから発せられたその音は小さめだったにも関わらず、やけに大きく聞こえた。

 

「何かな?おかしなことでもあった?」

 

 相模さんは不機嫌な声音で顔をヒクつかせながら比企谷くんに問うた。

 

「いや別に」

 

 比企谷くんは何でもないと装って答える。しかし、私には彼が相模さんをワザと怒らせようとしているようにしか見えない。

 

「何かあったから声に出したんじゃないの?」

 

 実際相模さんはイライラした感情を表に出している。

 

「いや、…まあ、別に」

 

 間の溜め方といい、彼の口調といい、第三者から見ても腹の立つ言い方だ。貴方はいったい何をしようとしているの?

 

「ふ~ん、嫌なら他の案出してね」

 

 相模さんも挑発的な態度で言い放った。

 

「それじゃあ」

 

 比企谷くんは自分の目の前の紙にスラスラとペンを走らせていく。書き終わると相模さんに見せつけるように紙を持ち上げた。

 

「人~よく見たら片方楽してる文化祭~とか?」

 

 時が止まった。全員が比企谷くんの出したスローガンに驚いていた。私は反射的に手に持っていた書類で顔を隠す。静寂を打ち破ったのは、男女二人の豪快な笑い声だった。

 

「「アッハハハハハハハハハハっ!!」」

 

 今度は全員がその笑い声に驚く。

 

「バカだっ!バカがいるっ!お腹痛いっ!」

「イ、イカレてやがるっ!やっぱお前最高っ!」

 

 机に突っ伏したり、天を仰ぎながら兄さんと姉さんは大声で笑い続ける。会議室の雰囲気など気にすることなく、ただ自由に思うがままに笑っていた。

 

「「はーッ、ダメだ。(お)腹吊りそう」」

「二人とも笑いすぎだ」

「「ふぐっ!」」

 

 平塚先生の窘める言葉が聞こえ、兄さんと姉さんの笑い声が一瞬止まった。そうして二人はやっと室内の空気に気付いたようだ。

 

「はぁー、いやー、私はなかなかいいと思うけどね。うん。面白ければオッケー」

 

 私は書類から目だけを出して周囲を窺った。幸い私の方には誰も注視していない。姉さんが左手で目尻に溜まった涙を拭い、右手で親指を立てる姿に全員が目を向けていた。

 

「ネタってだけなら100点満点だな。けどそれだけじゃなさそうだ。聞かせてくれよ」

 

 部外者のはずの兄さんが比企谷くんに発案の意図を求めた。兄さんの瞳は爛々と輝き、無邪気な少年のように楽しそうだ。少し彼が羨ましい。兄さんから期待されている眼差しを受けられるなんて、私にはついぞなかったことだから。比企谷くんは兄さんからの圧に少々気圧されながらも口を開いた。

 

「いや、人って文字は昔から人と人とが支え合ってとか言ってますけど、片方寄り掛かってんじゃないですか。誰かを犠牲にすることを容認している。それが人って概念だと思うんですよね。だから、この文化祭、ひいては文化祭実行委員会にふさわしいんじゃないかと」

「ここでの犠牲ってのは具体的に何を指す?」

「俺とか超犠牲でしょ。バカみたいに仕事させられてるし、ていうか人の仕事押し付けられてるし、それとも、これが実行委員長の言う共に助け合うってことなんですかね。俺は助け合ったことが無いんでよく分かんないですけど」

 

 私は再び書類で顔を隠した。ダッ、ダメ。さっきは何とか我慢できていたのだけれど、また笑いが込み上げてきた。兄さん姉さんと血が繋がっているだけあってツボは同じみたい。声が出てしまわないように両手に力を入れる。反動で体が震えてしまうのは仕方がない。たくさんの視線を感じる。会議室の視線を集めているのだろう。笑いの峠を越えると、私は書類を顔前から外した。やはり全員の視線が集まっていた。意識して満面の笑みを浮かべ、比企谷くんへ発言する。

 

「比企谷くん」

 

 彼の作ったキッカケ。私は副委員長としての役目を果たさなければならない。

 

「却っ下」

 

 短く、分かりやすく、そして若干の感謝を込めて。

 私は一拍置いて息を吐き、今度は相模さんに話しかける。

 

「相模さん、今日はもうこの議題を終わりにしましょう」

「え?でも…」

 

 相模さんが狼狽え、会議室にも疑問の表情が浮かんだ。

 

「どのみちろくな案が出そうにないもの。これで一日を消費するのは愚かな選択よ。今日のところは全員が各自明日までに考えて、以降の作業についても文化祭まで全員全日参加にすれば遅れも十分取り戻せる」

「う、うん。そう、かな」

 

 委員長より言質を取った。これで本来の当たり前の委員会の姿に戻る。

 

「では、次の議題に移らせていただきます」

「へ?まだ何かあったっけ?」

「皆には周知していないことなのだけれど、私個人からの提案があるの」

 

 いつも以上に背筋を伸ばす。

 

「皆さん、10分ほど時間をください。まず、一人ご紹介したい人がいます。皆さんもお気付きだと思いますが、平塚先生の隣に座っている男性です」

 

 私が手で兄さんを紹介すると、注目が兄さんに集まった。

 

「御存じの方も多いかと思います。彼は私の兄で、その隣にいる姉と共に今から丁度3年前の文化祭実行委員長副委員長をしていました」

 

 一旦間を置く。兄さんが立ち上がって軽く会釈すると、拍手が起こった。

 

「現在、私たちの文化祭には数社の地元企業の方々から協賛、ならびに出店参加をしていただく予定でした。その際、企業の方々には特別棟を使用していただくのですが、私たちが想定していた規模よりも小さい間取りで行う旨の連絡がありました。つまり、特別棟が大分持て余すことになります。そこで、どうにか特別棟を有効活用したいと考えました。しかし、我々生徒が新たな動きをするには現状ですら手一杯な状況であり、好ましくはありません。そのため選択肢は追加の企業誘致または自治体誘致なのですが、文化祭までの期間を考慮すれば申請は期待できないでしょう」

 

 兄さんを見ると、兄さんは私の意図を察したように真顔だった。

 

「今ご紹介しました私の兄はSun And Snow Holdings Groupの社長であり、コネと言えばそうなりますが、一考すべき余地は十分あります。ですので、この交渉を兄に持ち掛けても賛成していただけるでしょうか?その賛否を問いたいです」

 

 私が喋り終えると室内が急激に騒めく。生徒は皆兄さんを二度見三度見して混沌となる。兄さんと目が合った。その瞳はまるで私を品定めしているようで不気味だった。背中に一筋の汗が伝う。その時、大きく手が叩く音が鳴った。平塚先生だ。

 

「静粛に。雪ノ下、二三質問する」

「どうぞ」

「交渉と言ったが、お前と陽人の間で既に話が通っているのか?」

「いいえ。兄がこの話を聞いたのも今が初めてです」

「では、この提案が上手くいかない場合もあると?」

「その可能性は否定できません。しかし、私も兄を頷かせるだけの手札を備えているつもりです。やってみる価値は十二分にあるかと」

「最後だ。昨日お前は体調を崩している身だが、これ以上自ら仕事を増やしてどうする?」

「問題ありません。ここにいる全員が明日から全日参加すれば私の負担はもちろん減りますし、必ず成し遂げて見せます」

 

 平塚先生の質問に私は淀みなく答えていく。先生は手をひらひらと振った後、腕を組んだ。好きにしろということらしい。

 

「では、異議のある方は申し出てください」

 

 決議を取る。皆異議はないようだった。

 

「相模さん、最後に号令をかけてもらってもいいかしら?」

「あ、うん。じゃあ、皆さんまた明日からお願いします。お疲れ様でした」

 

 解散が周知させた。続々と生徒が席を立ち、退室していく。帰り際に聞こえる生徒たちの話題は二分しているようだ。比企谷くんへの侮蔑。そして、兄さんのこと。そんな空気の中、私は兄さんの許へと歩み寄る。

 

「兄さん」

 

 兄さんの背中には姉さんが抱き着いて寄り掛かり、四つの目が私と対峙した。

 

「そういうことで私の話を聞いてもらいたいのだけれど」

 

 兄さんが何度か瞬きして口を開いた。

 

「どれだけ無茶か分かってるのか?」

「ええ。でも現状全てを考慮しても、兄さんに頷いてもらえると思っているわ」

「俺が話を聞かないって判断するとは考えなかったのか?兄妹だからせめて話を聞いてもらえるとでも思った?」

「もちろん考えたわ。確かに兄さんなら話は聞いてもらえると思っていたわ。期待が無いと言えば噓になってしまう。だけれど、私たちに取り得る選択肢はほとんど皆無だから、兄さんが首を横に振るとしてもやれることはやらないと何も生まれない」

 

 姿勢を正した。そして、深く頭を下げる。

 

「雪ノ下社長、どうか私のプレゼンを聞いていただけないでしょうか?」

 

 会議室内の音が消え、残っていた人の視線が私たち兄妹へ集中する。時間が経っても私は頭を上げず、そのままの姿勢を保った。

 

「………雪乃、頭を上げな」

「良い返事がいただけるまで上げる訳にはいきません」

 

 準備してきたプレゼン。兄さんの会社の益になり、さらに私たちの文化祭を盛り上げる。この二つを満たさねばならない。しかし、プレゼンの前にまずは話を聞いてもらわねばならない。その為に私が今できるのはこうして頭を下げることくらいだった。

 

「………あ、もしもし柊。今大丈夫?」

 

 兄さんがどこかへ電話を掛けている。願わくば良い方向へ流れんことを。

 

「うん。急にすまんな。今どこにいる?………ふんふん。ところで何時くらいにあがるつもり?………あ、そうなんだ。………いや、ただ今晩食事でもどうかなって……え?もうあがる?いやいや、さっきは……え、そんなのなくなった?いや無くしちゃダメだろ。……ははは、ありがとう。じゃあ、後で迎えに行くな。今総武にいるからちょっと時間かかると思うし、そのまま仕事しててくれ。着いたら連絡入れる。………うん、そのくらいになるね。……うんよろしく」

 

 通話が終了したみたいだ。

 

「雪乃。荷物持って来な。下に車止めてるから十分くらいで出発」

 

 私はやっと頭を上げた。そして、もう一度頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

「時間はあるし、準備はゆっくりでいいから」

「ええ、分かったわ」

 

 第一関門突破。気合を入れ直し、戦場に備えなければならない。武器を取りに向かおう。

 

 

 

 

 ────

 

 雪乃が陽人たちから離れていく。

 

「よかったの?協力するにしてもだいぶ厳しいと思うけど」

 

 陽人の背に引っ付いたままの陽乃が小さく囁いた。

 

「雪乃があんなにちゃんと一人で考えて行動を起こしたのは初めてだ。だいぶ急とはいえ、生えてきた芽をすぐに摘んでしまうのも惜しいだろ」

「ふ~ん。やれるところまでやらせるってことか。結局、陽人も雪乃ちゃんには甘いんだよね」

「フンッ、ほっとけ。自覚はしてるし、だから判断は柊に任せる」

「秘書ちゃんも大変だね。あの電話じゃ勘違いしてるだろうし」

「陽乃も来るか?」

「ん~、どうしよっかなぁ。ねえ静ちゃん?」

 

 未だ腕組みをしたまま双子の隣に座っている静に、陽乃は意見を求めた。静は机に手を突いて立ち上がった。

 

「私が何と言おうと、お前が行かないはずがなかろう」

 

 淡々と当たり前の事実のように静は答えた。めんどくさそうな元担任の対応に、陽乃はケラケラと笑った。

 

「流石静ちゃん。よく分かってるね」

「私は仕事に戻る。二人とも、くれぐれも無茶はさせてくれるな」

「うん。俺はもう当日しか来ないと思うからその時に。雪乃をよろしく」

「ああ。任された」

 

 静が双子に背を向ける。

 

「あ、静ちゃん」

 

 その時、陽乃が何かを思い出したように静を呼び止めた。

 

「………何だ?」

 

 静は怪訝そうに用件を促す。陽乃は口角を上げて首を傾げた。笑顔であるにも関わらず、背筋が凍るほど不気味だった。

 

「計画は上手くいってる?」

 

 この陽乃の言葉に、静は一瞬キョトンとした表情を見せた。そして、フッと鼻を鳴らして陽乃の耳元へかがんだ。

 

「すこぶる順調だよ。なかなか会えないのが残念なことではあるがね」

 

 双子以外誰にも聞こえないくらいの小さな声で楽しそうに答えていた。身を起こす静。

 

「くれぐれも所持品の喪失には十分気を付けたまえ」

 

 静が陽乃の肩を軽く叩いた。

 

「そうだね。この前から私の一番大事な宝物を盗もうとする人がいるし気を付けないと。そう言えば、夏に陽人と私抜きで会ったみたいじゃん。食事したって陽人から聞いたよ」

「ああ、その時は久し振りに盛り上がったな。どうした?お前も来たかったのか?」

「遠慮するわ。私たち二人で囲える時代はとっくの昔に終わったもの。でもいつか、また三人だけで飲みに行けたらいいね」

「…全てが片付いてからだな」

「今からでもいいんだよ?」

「そんな気はさらさらない」

「………そっか」

「じゃあ、今度こそ私は戻る」

「うん。引き留めてごめん。またね」

 

 静は今度こそやや早足で後にする。陽乃が目下に視線を落とすと、陽人は静を見送っていなかった。

 

「陽人?何見てるの?」

 

 陽乃は双子の兄の目線を辿った。すると、その先には出入り口で会話をしている雪乃と八幡の姿があった。内容は聞き取れないが、雪乃の表情が若干緩んでいる。

 

「そろそろ行こうか」

「そうだね」

 

 陽乃が陽人から身を離し、陽人は立ち上がった。二人並んで歩き出す。

 

「あ、陽人さん!もう帰っちゃうんですか?」

 

 室外に出ようとした時、めぐりが駆け寄ってきた。

 

「せっかく会えたのに早すぎます!色々話したいことがあったのに…」

 

 頬を膨らませて抗議をするめぐり。

 

「すまんな。また文化祭が終わったらゆっくり、な?」

「ぶぅ~。絶対ですよ?」

「ああ。いいよな、陽乃」

「もちろん。私もめぐりとゆっくり話したいからね」

「やったー!」

 

 めぐりは満面の笑みで陽乃へ抱き着いた。そのままじゃれるように陽乃の大きな胸にぐりぐりと顔を擦る。

 

「ん~♪愛い奴め~♪」

 

 陽乃も満更でもなくめぐりを抱え込む。百合百合な空間が誕生し、周囲はその光景を微笑ましそうに見ていた。

 

「…私と静ちゃんの間に入ってこなかったことは評価してあげる」

 

 めぐりだけに聞こえるように音量が限りなく抑えられた囁き。

 

「はるさんが思っているより、私って弁えていますし使えるんですよ?」

「………どうだか」

 

 めぐりは陽乃を見上げてクスクスと笑った。

 

「時間が経てば分かりますよぅ」




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