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久留米の戦争遺構活用策探る 陸軍墓地跡の「野外講堂」「遥拝台」

 師団司令部が置かれ、軍とともに発展した歴史もある久留米市の戦争遺構を巡る見学会がこのほど、同市野中町の久留米競輪場周辺であった。地元の池の谷自治会が開催。近隣住民ら約15人が参加し、活用策などを語り合った。

 久留米競輪場一帯は、太平洋戦争中の1942年に完成した陸軍墓地の跡地。当時、土地を所有するブリヂストン創業者の石橋正二郎氏らが陸軍墓地建設奉賛会へ寄付し、市も建設費を負担した。跡地の一角には墓地の付属施設だった「円形野外講堂」と「遥拝台(ようはいだい)」があり、競輪場内に忠霊塔が立つ。跡地は市が所有し、忠霊塔前で毎年5月に慰霊祭を開いている。

 野外講堂と遥拝台は細い山道を通らなければならず、訪れる人は少ない。日中も草木が生い茂って薄暗く、防犯上、住民にとって長らく悩みの種だった。池の谷自治会は昨年度から市と連携し、周辺の草刈りや清掃を実施。3月には2遺構の案内板を設置し、まちづくりに生かす取り組みを始めた。見学会はその一環だ。

 参加者一行は、市文化財保護課の西拓巳さん(32)の案内で赤れんが造りの遥拝台(高さ4・8メートル)を訪れた。内部のらせん階段を上った屋上の標柱には「宮城(きゅうじょう)遥拝」と刻まれており、かつては軍の式典などで皇居の方角に向かって参拝していたとみられる。

 近くに住む参加者の男性は「父親から手旗信号の練習をしていたと聞いた」「戦後も国旗が掲揚されていた」と記憶を語る。

 次に訪れたのは、約500人を収容したとされる野外講堂。直径22メートル、舞台前面のなだらかな斜面に客席が並ぶ。西さんによると、軍の関連行事が催されたと考えられるが利用実態は不明という。「国内の軍用墓地跡を見渡しても、講堂が付属しているのは珍しい」と西さん。参加者は舞台で合唱を試み、音響の良さに驚いていた。

 野外講堂について自治会の中垣忠子会長(80)は、音楽団体からコンサート会場として利用したいとの相談を受けたことがあるという。中垣会長は「放置されたままではもったいない。音楽会などで利用ができないか。子どもたちに知ってもらう機会もつくりたい」と話した。

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