反差別アンソロへよせて
自ジャンル(某漫画作品)で「反差別を信条にするオタクたちで集まって作るABカプ固定アンソロ」通称【反差別アンソロ】企画が立ち上がってクソ燃えた。
この件についてわたしは一生キレてるんで、怒りをここに吐き出して行こうと思います。
前提
まず、当件の反差別アンソロとは以下の条件で執筆者を公募し合同誌として発行する企画を指す。
描き手が差別に反対していること
差別や偏見を助長する表現をしないこと
内容はキャラA×キャラBカプ固定二次創作
「反差別アンソロ」についてはいろいろ意見があるが、9割は下らない。全く無駄である。
もちろんそんなものは歯牙にもかけないしここには記さない。私がキレてる要点だけを言っていく。
先に言っておくが私は同人女であり、また同人女が嫌いなのでほぼ毎日キレてる。
同人活動はあまり精力的ではない。思い出したときに絵と文を、そしてたまに本を作っている。
概要
いろいろな意見を見るなかで、キャラクターが政治利用されることへの懸念と忌避感を持つ根拠としてタイでハム太郎が学生運動のアイコンになっている事例を上げる同人女のツイート(𝕏のポスト)を目にした。
主にこれへめちゃめちゃ腹立ててる。
※参考
「とっとこハム太郎」はなぜタイで反政府デモのシンボルになったか(六辻彰二)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8822797a75a872bff73ff3117cca63698cdb8e40
良記事です。
キレ
ツイートの内容は概ね以下。
「今回は反差別という比較的印象の良いテーマだが、これを看過してしまえば今後自分が嫌悪する思想のアイコンとしても使われてしまうのでは、という不安がある(ので反差別アンソロ企画はやめて欲しい)」
主張としてはまあわからないでもない。
(「比較的【印象】の良い」という表現に違和感があるものの……)
が、その例でじゃあカエルのぺぺとか引用すんのかなと思ったらハム太郎が例に出されたので
はあ……?
マジで何?
民主的な政権の樹立に対しては国際社会の一員として賛同の姿勢を示すべきでは?(民主政権実現を“特定の思想”と表現するのはそれこそ特殊な思想だが……)
「悪い集団」に使われることを懸念しているのだとしても、タイのデモは平和なのでこの例から読み取れること何もない
勝手に使われることについて肖像権や著作権の問題が出るとして、しかしその問題はデモでなくても存在している
⇒どの角度から見ても何言ってんだすぎて意味わからん
そもそも自ジャンルキャラは作者の故郷自治体で啓発ポスターになってるが、これ切欠で非公式でも啓発キャラとして掲げる人が出てきちゃうカモ……みたいな心配ははねーのかよ!
「政治利用」の当たり判定どこ?
それはもはや「私には“政治”の好悪が判断できないので一切触れたくないです」だろうがよ、ボケナスが……!!
仮説立案
と、ここまで書いてて思ったが、まさにそうで
「自分に“政治”の好悪が判断し切れないので周りも当然そう」
「二次創作をやるときに、自分が判断もできない/間違えるかもしれない題材を取り扱いたくない」
「他人も当然そうであるべき」
と、反射的に捉えてしまった人が多いのかもしれない。
すべての差別に反対します、という、人間としてごく当たり前の事さえ、【印象】という粒度でしか捉えることができない。
補足
カエルのぺぺについて自分で出した話題なので一応触れる。
※参考
お気楽ぺペが“ヘイト・シンボル”に⁉ https://lee.hpplus.jp/column/1906023/
映画にもなっているそうです。
インタビュー記事を読んでもわかる通り、ぺぺがヘイトシンボルにまで至った事の背景にはまずネットミームとしてクソコラが作られまくっていた経緯がある。政治利用以前の問題。
照らし合わせて考えれば、同人活動で反差別アンソロが立ち上がったからといってそのジャンルがネットミームになってクソコラ作られまくった挙句に【特定の思想】のアイコンになる事態なんてのは余程起こり得ないことだと判るはずだし、もしそんなことになったとしてもそれは反差別アンソロのせいじゃなくて【特定の思想】を持ってクソコラ作ったやつ(ここでは存在しないので仮想敵ですが……)のせいだろうがよ。
無茶苦茶言うな。
キレの要点
ハム太郎のことを例に取った人には「タイで学生運動のアイコンになってるのが嫌」という意識があろうかと思う。
けれど記事を読めば分かるように彼らは
「民主政権を目指し」
「国民ひとりひとりが」
「ごく平和的に活動を行う手段のひとつとして」
「自分たちにとって親しみあるキャラクターで連帯した」
に過ぎない。
もちろん作者が「自分のキャラクターをそういったシーンで使われるのは本意ではない」というならそれは尊重されるべきだし、「という訳なので使わないほうがいいです」と伝えていくことは必要かもしれない。
けれどこれを、「学生運動」「反政府デモ」という【印象】だけで捉えて
【特定の思想】を持つ【集団】のアイコンに使われて【嫌】とする感性は
どれほど人間性が、ないんだよ、と悔しくなる。
わたしたちはタダで民主政権を手に入れたのではない。過去に戦ってきた人たちの尊さをも踏みにじるようなことを、よりにもよって「大人の」「クリエイターが」言うのか。
恥を知れよ。
反差別アンソロへよせて
「国際社会の一員として」は、創作制作をするものなら意識すべきなんじゃないかと、私はずっと考えている。
自分が作って自分の外に出すものが、どんなにインプレッション少なかろうが社会に全く影響を与えないなんていうことは、たぶんない。
単なる噂話で銀行は破綻するし、物語の中であれ是として描かれたことはやっぱりいい事なんだなと、受け取った人の価値観に反映される。デザインひとつとっても、右利きの人にしか向けないデザインは右利きの人しか肯定しない。
アマチュアとはいえ創作・制作をするなら考えて然るべきじゃないの?ってずっと思ってる。
「作って誰かに見せる」なら見せる誰かの事を考えないと意味がないし、その「誰か」が(つまりわたしたちが)社会でどう生きてるのかも、意識して考えたい。
そこへ来て、私には「すべての差別に反対するのは“当然”なんだからわざわざ明言することではない」とは言えない。
今の社会は、それが本当に“当然”であれるのか?と問うところまで進んでいる。或いは、“当然”と言えるほどその価値観は世界に是認されていない。
結果、「すべての差別に反対です」とわざわざ明言しながらアンソロを企画してくれた人のおかげでそれがぜんぜん“当然”じゃなかったことが重ね重ね可視化された。
「反差別」である意味
歯牙にもかけたくない9割のうちの話だが、言葉として【反】が嫌いな人がかなり多い、という印象がある。
こういった意識を味方につけて、Twitter(𝕏)上には「反差別は特殊な思想」とする言説が蔓延っている。
明言するが、これは単なるヘイト誘導に他ならない。
それが“特殊な思想”であったほうが都合の良い人間が、わざわざ「それは未成年者に不可逆的なトランス医療を施す危険思想だ」「ペドフィリアを擁護する危険思想だ」とありもしない意味合いを塗りつけてヘイトを煽っているのだ。
「反差別は危険な特殊思想」という定義付けを終えれば、今度は「すべての差別に反対することは危険な特殊思想」へと段階を進めるはず。
そもそも「反差別」には「すべての差別に反対します」の意味しかないのだから、「反差別は危険な思想」と思い込ませることさえできれば、「すべての差別へ反対することは危険な思想」まで誘導するのも簡単だろう。
「反差別は特殊な思想」とかいうバカな主張に抗うべき理由はここにある。
つまるところ
【印象】だけで物事を捉えて
「好悪の判断ができない」ので「政治の話は二次創作の場には持ち込むべきでない」と
自分の中だけで決めたルールを
「他者も当然そうに違いない」と幼い自他境界の無さで他人に押し付け
「反差別は“悪い物”」と定義するヘイト誘導にいとも簡単に乗じ
ヘイトの再生産をするにまで至った浅慮な者どもに
私はブチギレており、
そしてほとんど、嫌悪している。
最後に
もちろん、二次創作をする上で自身の思想や主張は秘して置きたいという人を排する意図はない。
政治宗教思想のことは極めてプライベートなことだし、趣味の活動とは完全に切り分けたいと考える人がいても当然のことだと思う。
また、自分の判断や表現の瑕疵によって原作に過ったイメージをつけたくないので二次創作においては「すべての差別に反対です」という作り手個人の信条を前面に出すことに抵抗があるという思いもわかる。
或いは「すべての差別に反対です」と言ったばかりに、自分が避けきれなかった差別意識で必要以上に人を傷つけてしまうことだって考えられる。
自分の表現を人に届ける時、あえて「すべての差別に反対です」とは言わないことで守られる心も、恐らくある。
無理にすることではないし、「反差別アンソロ」があるからといってそのような人が否定されることはない。
でも同人女ってみんな面倒臭くて、となりのひとが言った主張に自分が沿わなければ「わたしはハブられたってコト?🥺」みたいなこと言い出す
そんなわけあるかよボケ
各々生きていけ
私も私でやってくんで
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