第23回ロサンゼルス(1984年)
ピーター・ユベロス組織委員会委員長の下、民間資本だけで大会を組織・運営する独自の方式を確立、以後の五輪開催に1つの道をつくった。ユベロスは、テレビ放映権料の大幅アップ、1業種1企業に絞ったスポンサー協賛金、さらには聖火リレーの走者からも参加料金を徴収するなどのアイデアで次々と収入増を図った。一方で支出をぎりぎりに抑えた結果、2億1500万ドルの黒字を生み、五輪商業化の流れをつくった。
陸上では地元米国のカール・ルイスが100、200メートル、400メートルリレー、走り幅跳びの4種目を制し話題を独占した。柔道の無差別級では山下泰裕が2回戦で右足ふくらはぎに肉離れを起こしながら決勝まで戦い金メダル。山下は2カ月後にアマチュアスポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞した。西側諸国のモスクワ大会ボイコットの報復としてソ連、東ドイツなど16か国が参加しなかった。
【その時世界は】
韓国の全斗煥大統領が来日。韓国元首の訪日は初めてで、両国間の長いわだかまりの歴史にようやく雪解けが訪れた。この年、日本人男性の平均寿命が74.2歳、女性が79.78歳となり、男女ともに世界一の長寿国となった。高齢化社会の始まりである。アップルコンピュータがパソコン「マッキントッシュ」を発売、コンピューターが身近な製品に。テレビCMに登場したエリマキトカゲが人気を呼んで、動物人気キャラの元祖的存在となった。
〔主要参考資料〕近代オリンピック100年の歩み(ベースボールマガジン社)、最新スポーツ大事典(大修館書店)、オリンピックの事典(三省堂)、国際オリンピック委員会の百年(IOC)、日録20世紀(講談社)、JOCホームページ
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