トレーナーウマ娘がミスターシービーを無敵にした話 作:幸い辛い
ジャパンカップの日はあっという間に訪れた。
レース当日、一番早く地下バ道に入っていたトウカイテイオーが靴の調子を確かめていると、ミスターシービーとカツラギエースが並んでやってきた。
足を踏みしめて何度も感覚を慣らそうとするテイオーを、シービーが茶化す。
「そんなにソワソワして、もしかして緊張しちゃった?」
「まさか。緊張なんてするわけないじゃん」
「ふーん?」
「むしろワクワクして仕方がないよ。だってボクは今から伝説とレースができるんだもん」
これほどのレースは、きっとテイオーの競技人生で二度とないだろう。
無敵の帝王伝説、その山場だ。
心の底から闘志が溢れてくる。彼女たちをどう倒すのか、そればかりが脳内を駆け巡っている。
「ボクは最高の仕上がりだよ。シービーこそどうなの? ブランクあるけど鈍ってない?」
「まさか、そんなことがあるわけない。ダスクが管理してくれてるんだから、アタシはいつだって最高の自分のままだよ」
「エースは?」
「シービーと同じだ。あたしはいつだって、最強の切り札のままさ」
シービーとエースは、にこやかに返答したが、その内側からはとてつもない力が滲みだしているのがわかる。油断すると意識をもっていかれそうだ。
エースが軽く手を挙げて、地下バ道の出口に向かって歩き出した。
「お先に失礼。少しでもターフの空気を感じたいんだ。なにせ久しぶりなもんだからさ」
「アタシも一緒に行くよ。ターフの匂いで今にも飛び出しちゃいそうだから」
それにシービーが続いた。
並んでターフへと向かったシービーとエースを見送り、テイオーは大きく息を吐いた。
どういう境地に達すれば、闘争心を極限まで高めたまま、あそこまでの自然体でいられるのだろう。
ダメだ、呑まれるな。だって二人は乗り越えられない壁じゃない、一緒のレースを走る、ウマ娘なんだ。
「よし!」
テイオーは気合いを入れなおすと、迷いない足取りでターフへと向かった。
ジャパンカップのゲートでは、息が苦しくなるようなムードが漂っていた。
それも仕方がないとテイオーは息を吐く。
まったく気配を感じないのが逆に怖いっていうか、なんていうか。
原因は、沈黙したままのシービーとエースだ。
伝説ともいえる二人がなんの気配もなくたたずむ様子が、ウマ娘たちの恐怖を煽っていた。
同じレースを走る中にはテイオーのライバルもいたが、どうやら彼女たちもこの雰囲気に呑まれているらしく、ゲートに入るのにだいぶ苦心しているようだった。
ボクがこの状況でもワクワクしていられるのは、ダスクの指導のおかげ……なのかな?
そして全員がゲートに入り、テイオーの期待と気合いがぐっと高まり最高潮に達したところで――ゲートが開き、ジャパンカップが始まった。
まずは綺麗にスタートを決めて、なんて目論見は、第一歩を踏み出そうとした瞬間から頓挫した。
きゃあ、と隣から声が聞こえた。ビリビリと肌を刺すような圧が放たれ、隣にいたウマ娘が悲鳴を上げて竦んだのだ。
いや、隣だけではなく、ほとんどのウマ娘が竦み、出遅れた。
もちろん、発生源はあの二人だ。スタートと同時に、内に秘めていた力を解放したのだ。
本気出しただけでコレとか、嫌になっちゃうなあ! ホント!
周りが出遅れる中、テイオーたち3人が一気に前へ飛び出した。
レースが進み、向こう正面を疾走するミスターシービーは、“いつものごとくレースを楽しんでいた”。
そもそもの話だが、いったい誰がシービーは走るのが楽しくなくなったと言ったのか。
そんなのはデタラメだ。走るのは楽しいし、勝つのは嬉しいし、その先には未だ自由がある。なにも変わっていない。
確かにその過程に血を沸かす熱狂がないのは認めよう。しかし、だからといって満たされていないわけではない。
ダスクには常々言ってきた。キミが言っていることは見当違いだと。けれど彼女は聞き入れてはくれなかった。私がミスターシービーのレースを穢したと、未だに彼女は自分を責め続けている。
そんなことないって思ってたし、ずっとそう言ってきたけど。
だが、ああ、認めよう。確かにミスターシービーのレースは完璧ではなかった。今こうして競い合っていてわかる。この限界を振り切ったレースの先にこそ、求めた最高の自由があるという予感がある。
だから、いつものごとくと言ったがアレは嘘だ。いつも以上に、だ。
でも……だからってダスクから貰った走りが間違ってるわけじゃない。
ダスクは自分の走りがミスターシービーを損ねたと思っているようだが、違う。
ミスターシービーというウマ娘は、ダスクの走りがあってこそミスターシービー足りえるのだ。欠けていたのならば、それはもうミスターシービーではない。
全部ひっくるめてアタシは
だからこそ、ダスクの今までを肯定し、証明したい。
キミが育てたウマ娘は、キミと出会ったからこそ完璧を目指せるのだと。呪いなんてない、祝福しか貰っていないのだと。
ああ、こんなに勝ちたいと思ったのは初めてかも。
想いを乗せて走ることなんてできないし、乗せるつもりもない。乗せていたとしても重さなんて感じない。それはきっと、これからも変わらないだろう。
でもこれだけはわかった。想いがあると、燃えるんだ。
感じたことのない熱だった。走るための力が、体の底から湧き上がってくる。
シービーは今、自身が心の内に抱いた“誰かへの想い”を乗せて走っていた。
きっとダスクは怒るだろう。くだらない荷物を勝手に背負い込んで、どこまでも高く飛ぶ自由を手放したと。
違うよダスク。そうじゃない。
何も手放してなんかない。むしろシービーは手に入れたのだ。
だって見てよ! 今のアタシは、最高に
ダスクに届けたい想いがどんどん溢れていく。
脚を縛る重さなんて感じない。むしろ翼が生えているみたいに軽い。想いが背中を押している。
体がどんどん前へと進む。シービー自身が信じられない速度で走っている。
ああ、なんてワクワクするんだろう!
レースで届けたい想いがあって、競い合える最高のライバルがいて、その全てをかけてターフを思うがまま駆け抜けられたのなら、その先に見えるのはシービーがずっと欲してやまなかったものだ。
だからダスク。アタシと一緒にその先にある景色を見てよ。アタシが求めた自由を、このレースでキミの心に刻みつけるから。
最終コーナー手前にさしかかったころには、もう前にはテイオーとエースしかいなくなっていた。シービーたちの高速巡行に早々について来られなくなったのだ。
そしてダスクの走りを継承した3人のウマ娘によるデッドヒートが、始まった。
最初にステップを踏んだのはエースだった。彼女はこの中で一番、最高速度を維持する能力に長けている。この位置からスパートをかけても、最後までもつ。
次にテイオーが仕掛けの気配を見せる、ステップを完全に習得している彼女は最高速度に到達するまでの時間が一番短い。仕掛けどころさえ間違わなければ負けはないだろう。
でも、ごめんねテイオー。
だがテイオーの走りは破綻する。なぜならシービーが加速するためのステップの準備を始めたからだ。
シービーの不完全なステップは音と気配によって不協和音を発生させ、呼吸を乱してウマ娘の走りを乱す。つまりシービーの前を走っているテイオーの走りは、この一瞬先に乱れる。
コレを使うのは卑怯かもしれないが、生憎とシービーはこのレースで全力を尽くすと決めた。出し惜しみはなしだ。
前を走るテイオーがステップから走法を移行させ――ようとしたところで、一瞬だけ減速して大きくコースの外に膨らんだ。
ここまで理想的なコース取りをしていたテイオーからすると、あからさまに不自然な動きだったが、シービーにはその意図が読めた。
なるほど、そうきたか。
視認できていればこのステップは効かないのだと、テイオーがエースに聞いていたのを思い出す。
コース取りによる距離のロスを鑑みても、いっそ離れて横並びになってしまったほうが結果的に良いと判断したのだろう。
面白いことをする。ここからの末脚勝負でレースを決めるつもりか。
確かにそれならばテイオーに勝ちの目があるだろうが――
――甘いよ。
シービーの横についたテイオーは作戦の成功を確信していた。
よし、決まった!
これでびっくり走法とかいうふざけた名前のステップは完全に躱した。
つまりここからは完全な末脚勝負。そして末脚勝負ならテイオーには勝算があった。
この中でダスクの走法を完全に継承できたのはボクだけ。だから単純な末脚の速度だけならボクが一番速い!
未だエースは前にいる。けれどあの速度ならば充分に追いつける。
シービーは攻略した。あとはエースを捕らえるだけだ。
満を持してステップを踏み、加速に移行しようとしたタイミングで――しかしテイオーは自身の想定の甘さを思い知ることになった。
ここに至ってなお、テイオーはミスターシービーというウマ娘のことを、わかっていなかったのだ。
え?
シービーがステップを踏んだ――無音で。
なにが起こったのかわからなかった。いや、わかってはいたが、一瞬だけ脳が理解を拒んだ。
なぜならそれは、体の柔らかさという天性の才能を以てしてしか成しえない、ダスクとテイオーだけに許された特権のはずだった。
シービーが完全な走法を手に入れている――そう理解した瞬間、レース中だというのに、ゾッと寒気が走った。
それはつまり、テイオーが想定していた作戦が成り立たなくなるということを意味しているからだ。
作戦は破綻した。けれどテイオーは、それほど動じていなかった。むしろ笑みを浮かべる余裕すらあった。
ボクたちはほとんど横並び。つまりここから、よーいどんの末脚勝負ってわけだ。……面白いじゃん、これで燃えなきゃウマ娘じゃない!
一対一の真っ向勝負。雌雄を決す大一番。
テイオーたちは走法を変え、ほぼ同時にスパートに入る。
今のシービーの速力は未知数だ。
クラシック三冠を走り、秋の天皇賞を走り、挙句の果てに凱旋門賞まで走り。それでもなお底を見せてはいない。
そしてあのダスクが管理をしているのだから、ピークを過ぎているなんて甘い考えは最初から持つべきではない。ブランクも存在しないだろう。
今ここで走っているのは、間違いなく最強無敵のミスターシービーだ。
真っ向勝負、やってやる!
ステップを踏み、走法を移行させる。体がぐんと加速し始める。
恐ろしいことにシービーとの速度はほぼ同じだった。気を抜いたほうが負ける、そんな戦いだ。
そして抜きも抜かれもせぬ状態で、レースが残り300メートルほどになり――異変に気がついた。
走っても走っても、前を走るエースとの距離が、縮まらない。
なに、これ。
シービーが変わらず隣を走っているということは、テイオーが知らぬ間に減速しているわけではない。
むしろ体感では加速しているはずなのに、エースとの差が縮まらない。
テイオーはここに来て悟った。
想定が甘かったのはシービーに対してだけじゃない。エースに対しても甘かったのだ。
これが、カツラギエース!
シンボリルドルフを蹴散らしたのだから、弱いとは思っていなかった。けれどまさか、ここまで強いとは思っていなかった。
ここに来て初めてテイオーは焦りを感じた。
もしかすると、追いつけないかもしれない。
いや、弱気になっちゃダメだ!
ここまで来たのなら、あとは気持ちの勝負だ。怯んでなんていられない。
今はただ、一歩でも先へ。
テイオーはそれだけを思い、2人を意識の外へと追いやると、前だけを見てターフを蹴った。
エースは前だけを見て先頭を走りながら、わずかに口角を上げた。
してやったり! ってやつだ。
あの二人もまさか、エースがここまで走るとは思いもしなかっただろう。
思えば今日まで長かった。
クラシックでの戦いは完敗で終わった。宿敵の師であるダスクの力を借りてまで挑んだ秋の天皇賞ですら届かなかった。
それでも立ち上がり、刃を鍛え、研ぎ続け、やっと訪れた再戦の機会。
正直、シービーと本気でレースをするのはもう無理だと思っていた。凱旋門を終えたあたりでシービーは引退を考え始めていたし、エースもダスクの手が入っているとはいえ、いつまでピークを維持できるかわからなかったからだ。
それがまさか、こんな形で叶うとは思ってもみなかった。テイオーには感謝しかない。
これが多分、最後の機会だ。ここであたしのレースは終わる。全部を注ぎこむんだ。
エースは体勢を少し低くした。こうすればもう少しだけ速くなることを知っているからだ。
あの秋の天皇賞のあとも教えを受け続け、それを昇華する段階で気がついた。ダスクの走りには安全マージンがあることを。
ダスクが自分の走りを他人に授けるために作ったわずかな遊びを徹底的に除去すると、この走りの本来の形――極限まで研ぎ澄まされた刃が顔を出す。
これが終わったら大目玉だろうな、きっと。
エースは内心で苦笑する。
実際に走るとわかるのだ。極限まで薄く研いだ刃は、鋭いと同時に脆いのだと。
ダスクが教えなかったのも納得だ。もしもエースが同じトレーナーの立場であったのなら、こんなものを教えるはずがない。
でも今は、今だけは許してくれ、トレーナーさん。
このレースだけを夢見てきた。それだけを目指してきた。
ここで出し切るために今までやってきたのだ。全て出し切れなかったら後悔する。
つっても、もうほとんど出し尽くしちまったんだけどな。
残り300メートル、ぶっちゃけると、このままのペースで走りきるのは無理だ。
三人の中で一番速い巡航速度を活かして走り、最終直線までで取ったリードを使い潰して逃げ切る。
そう、使い潰して逃げるのだ。垂れるのが前提の作戦だ。そもそも最後までもつ計算ではなかった。
いつかのレースと同じ作戦。これこそエースが逃げるための最適解。
最初っから全力全開! 他のやつらなんて関係ねえ! 前だけ向いて走る!
エースはさらに体勢を低くした。
出せる最高速を少しでも長く維持するために、ゴール板だけを見据えて走った。
ダスクは胸元でぎゅっと手を握りしめながら、レースの展開を客席から見守っていた。
秋の天皇賞で、エースは確かにシービーに届かなかった。でもそれは、あくまで過去の話。
あの時は時間が足りなかったが、今回は違う。このレースのためだけに完璧なチューンを施した彼女は、東京レース場の芝2400において最強の
ありがとうエース。あなたなら、シービーに届くと思ってた。
ずっとミスターシービーを倒す方法を考えてきた。そして出会ったのが、カツラギエースというウマ娘だった。
最初はシービーに挑むなんて無謀でしかないと思っていたが、走りを教えるうちにわかった。彼女はシービーに届きうるウマ娘だと。
テイオーがシービーに宣戦布告してくれたのは、とても都合がよかった。
引退のタイミングを考えていたシービーをどうやってレースに引っ張り出そうか、悩んでいたところだったからだ。
でも、予想外だったな。
テイオーのことだ。
正直に言うと、彼女は打倒シービーのプランに組み込んですらいなかった。
そもそもの出会いからして、いつものコースが整備の関係で使えなくなり、仕方なく学園で走っていたときに出会ったというだけで、別に目をつけていたわけではない。
才能はあると思っていた。自分の走法をトレースできるとも思っていた。けれどシービーとエースに食らいつけるだけのスペックまで成長するとは思っていなかった。
だというのに、それが今、ダスクの計算を超えて、シービーたちと同等の勝負を繰り広げている。
あの二人に食らいつける理由が私にはわからない、けど。
もしかしたら彼女ならやってくれるかもしれないと期待させてくれる、それがトウカイテイオーというウマ娘なんだろうなと思う。
期待を背負った彼女は今、シービーを凌駕せんとしている。
それがきっと、あなたの目指す無敵の帝王なんだね。
レースは進みエースのリードが潰れ、3人が横並びになっていく。ゴール板まであと少し。誰が勝ってもおかしくない。
最終直線を駆ける3人があまりに眩しくて、ダスクは目を細めた。
あの子たちは、なんて楽しそうに走るんだろう。
あの場に自分がいたのなら、という羨望はもちろんある。けれどそれ以上に、全力で走る彼女たちを見て喜ぶ自分がいた。
シービーは自由のために、エースは逆転のために、テイオーは己が道のために。各々が己の夢のために、力を振り絞っている。
みんな、とっても綺麗。まるで天を翔けてるみたい。
最初は自分の走りを、彼女たちを通してトゥインクル・シリーズに刻み付けるのが目的だった。そのために、エゴにまみれた勝手な走りを教えた。
今までずっと、それは間違いだったと後悔してきた。だが、もしかすると彼女たちにとっては、そうではなかったのかもしれない。
シービーの言ってたこと、本当だったんだ。
呪いなんかじゃない、大切なものを教わったのだというシービーの言葉は、慰めではなかった。誰かに大切だと思ってもらえるものを、ちゃんと残せていたのだ。
それがわかった瞬間、信じられないほど心が軽くなり、一気に視界が開けたような気がした。
最初はただの妥協で、ずっと後悔してたけど……今なら言える。トレーナーになってよかった。
そしてトレーナーなのならば、やることは一つしかない。
ダスクはガラにもなく全力で叫ぶ。
「いけ! みんな!」
観客の出す大音量にかき消されたであろうその声が、少しでもあの子たちに届いたのだろうか。一瞬だけ、ぐんと速度を上げた3人は、もつれあうようにゴール板を通過し、揃って大の字に倒れこんだ。
掲示板のランプには審議中の文字が点灯している。けれど走り切った彼女たちには、着順がすでにわかっているらしかった。
2人は先に立ち上がり顔を見合わせると、最後まで倒れていたウマ娘の手を片側ずつ取って起こし、取ったその手を、思いっきり天に向かって上げさせた。
三人称一元視点で書いてるのをいいことに、視点を切り替えまくるスタイル。
こういうとき、この書き方は本当に便利だと思います。
レースの結果をどうするか悩んだ結果、とりあえずボカして投下だけしました。
当初に予告していた通り、エピローグ的なのをあと1話書いて終わりです。
蛇足のオマケ話はゆっくり書きます。
誤字報告すごく助かってます。
書いてる本人だからこそ見落とすところがあるんだなと実感してます。
今更になりますが、感想もとても助かりました。
怪しかった知識の確認をしていただけたり、色々と励みになってます。