INFPの私が見たINFPの誤解されやすいポイント
INFPであることを自覚してから最近ずっと内省を繰り返している私ですが、おかげで肩の荷が下りたというか、精神面での負担が幾分楽になった気がします。
「ああ、無理して肩肘張らなくてもいいんだ」と思えましたから、悟りというわけではありませんが「そうだ、自分ってそういう人間だった」という原点・本質に立ち返ることができました。
もちろん戻ってそれで終わりではないのですが、最近改めて思うのがネットなどでINFPについての心理面などを見て回ると「結構誤解されやすいなあ」と思うことも多々あります。
そこで今回は私の経験則と性格面の解説も交えて、INFP(仲介者)が他の15タイプの人間から見て「いやこれはこうなんだよ」というポイントを解説していきましょう。
①「人付き合いが悪い」のではなく「心許した人以外に心開かない」
INFPはよく「人当たりはいいのに人付き合いが悪い」と言われる人が多いのですが、これは半分正解の半分誤解であり、正確には「心許した人以外には心開かない」んですね。
いわゆる「内弁慶」とも違っていて、別にどんな人間に対しても自己開示はある程度やろうと思えばできますが、それをしてやる程の人間性が相手にあるかどうかをちょっとした会話の中から敏感に察知しています。
そこが「深読みのしすぎ」ともいわれますが、その中で「この人だったら本当に心底信頼できる」と思った人の前でのみ心を開いて全く違う素性を見せます、逆に言えばそうでない人には実は奥底の思いを見せません。
だからINFPが見せる表面上の優しさ・冷たさ・穏やかさはあくまで氷山の一角であり、内面には物凄く複雑な想いを抱えていて、それを見せられる相手にだけはちゃんと本音を明かしています。
また、性格解説にはこのように書かれています。
仲介者は自己表現の才能があるので、架空の人物や“例え”を通して、心の奥の思いや秘密を明かすこともあります。
そう、INFPは自分の中にある想いを直接的に語ることは滅多にしませんが、その分文章表現や音楽・絵画・アニメ・映画などの表現媒体を通して間接的に他者からへの思いを表すのです。
決して嘘をついているわけではないのですが、かといって皆まで語っているわけでもないのがINFP独自の表現方法であり、例え話や寓話・童話のような教訓話というものが小さい頃から好んでいます。
だから、私も直接的に言葉で語る以上に文章なり何なりを通して自分の思いを伝えることが多いので、他者からは「何を考えているのかわからない人」という誤解を受けてしまうのでしょう。
そうしたミステリアスに受け取られかねない部分ももちろんあるのですが、それに関しては「わかる人だけがわかればいい」というある種の割り切りができてしまうのもINFPの特徴です。
②「他者に共感しない」のではなく「他者に共感はするが、他者からの共感は求めていない」
INFPのことをよく知らないと「他者に共感しない」と誤解する人もいるのですが、全然違っていてINFPは外交官グループの中でもENFPと並んで他者への共感能力は高い方です。
実際、悪意に満ちたネットはともかく現実だと割と他者の悩みに寄り添い話を聞くことだって普通にしてあげているし、何ならカウンセラーみたいな傾聴とアドバイスもしています。
ただ、そういう姿を基本的に表面に出さず、自分のところに来てくれた人にだけ見せているものですから、全く関わりのない外側の人間から見たら「冷たい人」と誤解されがちです。
で、なぜENFPと違ってそれを直接的に出さないかというと、以下の理由が該当します。
仲介者は世の苦しみを重圧として抱え、他の人が持つ否定的な考え方や気分を吸収しがちなので、バウンダリーを引くようにしなければ「是正されなければいけない悪が多すぎる…」と感じ、精神的に打ちのめされてしまうでしょう。
そう、INFPは他者の悪意やネガティブな考えまでをも直接的に受け取ってしまう敏感さがあるので精神的な摩耗をしやすく、またそれを知っているからこそ自分の苦悩・葛藤を内々で処理してしまうのです。
ここが厄介というかめんどくさいところで、INFPは「他者に共感する」ことはあっても「他者から共感される」ことは求めておらず、むしろ「余計なお世話」と言わんばかりに徹底的に拒みます。
その中には「俺の考えがわかってたまるか」というのもありますし、自分の問題はあくまでも自分で解決するという考え方が強いので、どうしても自分一人で解決しない問題以外は他者の協力を求めません。
だから「可愛げがない」と思われがちで、ましてや私のようなAタイプになると自信があるせいか「ああ、大丈夫だから」と他者が協力を求めてきても断ってしまうのです。
逆に言えば、INFPのいう「大丈夫だから」は間接的に「俺の心の中に入ってくるんじゃねえ。自分の問題は自分で何とかしてみせらあ」という柔らかくも強い意思表示です。
③「引きこもりの陰キャ」ではなく「自発的に外出もするが人混みが嫌い」
INFPはネット界隈だと特に「引きこもりの陰キャ」と言われ、実際コロナで自粛になっても全くダメージを受けなかったのですが、決してずっと引きこもりっぱなしということではありません。
正確には「自発的に外出もするが人混みが嫌い」というのが特徴で、他人のエネルギーや気・感情を敏感に察知してしまうINFPは都会のゴミゴミとした感じがとにかく嫌いなんですね。
仕事でそういうところに行く時もなるべく人通りが少ないところを選択しますし、また行くとしても美術館・神社・寺・自然の中といった神秘性を感じるところを好みます。
世の中の様々な事に不思議を感じ、興味を示します。 自然の複雑で神秘的な姿には驚きと畏敬の念を抱きます。 なぜこの世界が存在し人間はどう生きるべきなのか考え始めます。
ここにも書いてありますが、INFPは精神主義の理想主義者なので、いわゆるマイナスイオンが出ているようなパワースポットが高確率で好きです。
そういう場所に行って自らの身を清めることによって深い知見を得たり新たなインスピレーションを得たりするので、そういうところには機会があれば積極的に行きます。
INFPは受け身だと思われがちですが決してそうではなく、自らが興味を示したものには並々ならぬ情熱を持っているので、とことんまで突き詰めようとするのです。
ただ、その場所は決して世間一般の大衆や群衆が居るような雑踏の中や賑わいの場所ではないので、あまりそういうところに好き好んで行くことはございません。
自発的な外出はします、しかしそれも己の美学や価値観を広げたり深めたりするためであって、単に友達や仲間と会えればそれでいいというものではないことは確かです。
④「メンヘラ(ヤンデレ)」ではなく「他者への悪意に敏感」
ネットだとINFPは「メンヘラ(ヤンデレ)」と言われがちですが、確かに不健康時のINFPとENFPはそれに近い症状になりがちですが、それにはれっきとした原因があります。
上記で述べたように「他者への悪意に敏感」なので、ネットの誹謗中傷や批判などを見ると人間の醜悪を敏感に感じ取ってしまい、耐性がつかないうちはそういうのに弱いんですね。
私はAタイプなのもあるのと、ネットにある人間の悪意への対処法もある程度心得てきたので今更それに関して何とも思いませんが、そうじゃないタイプの繊細すぎるINFPも中にはいます。
Tタイプに多く、自己肯定感が低いうちは他人の目を気にしてしまいがちなところがあるので、そこはどうしても精神的な弱点となってしまうのではないでしょうか。
世の中の、不誠実な面、醜い面を鋭く見抜き、悲嘆にくれる時間が長く続くかもしれませんが、やがて、 単に環境に依存して受動的に選択するのではなく、 自ら将来に対して責任を負い、 人生を切り開く気概が必要であるということに気がつくようになります。
こう解説されていますが、逆に言えばその現実を認めた上で自ら将来に対する責任を負って理想に邁進するだけの気概と根性が加わるとINFPは最終的に無敵のロマンティストへ変貌します。
それこそ作家タイプのINFPで苦しみを背負いながらもそれを作品に昇華してきた人たち、例えば堂本剛や又吉直樹・J・K・ローリング辺りはそういうタイプではないでしょうか。
INFPタイプの作家性に関しては後述しますが、確かに世間の醜さに絶望して精神を病んでしまいがちなのはINFPの、特にTタイプに多く見られがちな傾向ではあります。
しかし、すべてのINFPがそうなのではなく、覚悟を持って道を切り開いて強さを身につければ精神を病まず強者のステージにまで上り詰められるのは事実です。
⑤「社会不適合者」ではなく「世間一般の価値観・常識に興味がない」
INFPは「社会不適合者」というレッテルを貼られがちですが、これも半分間違いであり、正確には「世間一般の価値観・常識に興味がない」のです。
もちろん最終的には世界の平和であったり社会への貢献といった「公的なる願い」を果たそうとしますが、それは決して現実的な観点や数字を達成するといった現実的な側面からではありません。
あくまでも自らの精神面を豊かにして内面の美を研磨し、それを芸術や物語といった作品にしたり人に教え導いたりすることによって実現を目指そうとするのです。
そこがいわゆる理論派の分析家タイプの人たちやとにかく仕事のノルマをこなすことで社会に貢献する番人タイプの人間とは大きく異なります。
自分の利益のために、策略を巡らしたり、他人を操作することはしません。 また、自分を売り込むということも、あまり興味がありません。 そういった必要性に気がつくことすらないかもしれません。 但し、人間に対する洞察力があるので、自分の言動がどのように他人に影響するか想像することはできます。
こう解説されているように、INTJやENTJのような策略・権謀術数・人心掌握に興味がありませんし、またISTPやESTPのような物質的なもので社会貢献をする人たちと大きく違うのはここです。
そもそも自分の利益や損得といった利害が決定打になりません、INFPにとって理論・理屈はあくまでも道具であって目的ではないので、ノルマ達成や数字管理には興味がありません。
そもそも芸術自体が本来は点数をつけて数値化できる分野ではないので、売り上げや視聴率といったもので人気だったかどうかなんて私に言わせれば大した問題ではないのです。
それが作品評価にも繋がっていて、例えば「鬼滅の刃」のように世間的に大ヒットしていても自分とは合わない作品があれば構わず「つまらない」とハッキリ言います。
⑥「暗いものが好き」なのではなく「暗いものを乗り越えた先にある明るいものが好き」
INFPは表面上大人しい性格と見られがちなので「暗いものが好き」と思われがちですが、これも違っていて「暗いものを乗り越えた先にある明るいものが好き」なのです。
これは特に自分が好きな作品に関してはこの価値観がピッタリと自分に合うといったものが多く、特にこの解説に対して強く共感しました。
INFPは、悲しいことや苦しいことに惹かれがちですが、そういったことを好んでいるのではありません。そういった否定的な状況と向かい合わずして、本当に肯定的な感情を持つことはできないのです。絶望や退廃的な考えにとらわれることがありますが、内面における価値観の洗練を続け、最終的には、存在の美や人間の肯定的な面を見て、意味を見出し、希望を持つようになります。
常に幸福を求めている状態を維持するために、 実際に幸福を得るチャンスが訪れた時、それを無意識のうちに拒否してしまうことがあります。 あまりにも、美的なイメージが強すぎるために、現実を受け入れられないことも原因の一つです。 簡単に手に入った幸運は、自分にとって相応しいとは思われず、素直に喜べないかもしれません。
これは現実世界にもフィクションに対しても同じ考えであり、「フィクションはフィクション」と区別しつつも、「苦しみと向き合った末に手にした勝利と実現した幸福」を至上の価値と考えます。
だから、単純にただ絶望を謳っているだけの美学がないものはダメですし、またハッピーエンドもお気楽なノリで作られるような表面上が軽く見えてしまうようなのもダメなのです。
それこそ「絶望だって希望の手前」ではないですが、「左右極限を知らねば中道に入れず」というのが私の価値観としてありまして、苦しみや悲しみがあることは別にいいんです。
問題はそれにきちんと向き合い精神的昇華なり成長なりしていった先にきちんと自らの手で掴み取ったといえる本物の理想主義的なハッピーエンドをこそ私は美しいと考えます。
目指すところはあくまでもハッピーエンド、でもそれにしっかり共感性の高い道中の試練や苦悩・葛藤と向き合わずして真のポジティブに到達できないのではないでしょうか。
INFPはあくまでもロマンティストですから目指すものはハッピーエンドでいいのです、でもそこに至るものを内実のあるものにできなかったら無価値・無意味なものにしか思えません。
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