以前少し書いたが、今回はつかまこ氏が絶対SNSをやめれない理由について書きたいと思う。
つかまこ氏が、再びSNSのアカウントを開設し、また同じことを繰り返そうとしていますが、実は彼がSNSをやめれないということは、以前語った通り、極めて困難であると予想していた。
そのため、彼が辞めないことを非難するというよりかは、何故辞めることができないのかを述べていきたいと思う。
1 つかまこ氏が永久にSNSやめれないと思う理由
かつての旧アカウントではつかまこ氏は自身の孤独を紛らわすことを主たる目的として利用していた。
その他にもブログの宣伝や情報収集、異性との出会いなど多様な目的があったが、あくまでメインは孤独を紛らわすことです。
しかし、インターネットを利用したコミュニケーションでは、寧ろ孤独を増長させてしまう。(参考)
SNSを辞めることにより増長を食い止めることはできたが、"孤独"を解決しない限り、再びコミュニケーションを求めてSNSに戻ってこざるをえない。
人間は、コミュニケーションをする会話相手(厳密に言えば自分の話を聞いてくれる人間)を求める。
SNSが普及する前は、匿名掲示板がその役割の大部分を担っていましたが、「便所の落書き」と揶揄されるほどの情報の信憑性の低さと、匿名性の高さもあり、情報収集や"繋がり"の面でSNSには劣る。
現実で話を聞いてくれる人が身近にいれば良いのだが、
自分の思っていることをそのまま言ってしまうと悪い印象を与えてしまうため自己を抑える。(自慢話・愚痴・悪口・マウント・政治的主張・過激思想など)
そしてリアルな人間と話すには、人間関係の構築・解消の煩わしさ・金・時間・相手との都合・物理的距離など考慮しなければならないことがたくさんあり、自分の話を聞いてもらうのがSNSに比べて相当面倒くさいことが分かる。
そういったことを考慮する必要なく、いつでも無料で手軽に自分の意見を発信でき、"共感"をわかりやすく伝えてくれる。
そして共感もいいねを押すだけで表現できる。
現実では共感してもらえない可能性すらある。
また、現実では人の愚痴を聞く側としての役割を果たさなければならないため、非常に面倒でもある。
そして共感が10もらえれば20を目指し、20もらえれば50を目指すといった具合に際限なく求め続け、いつまでたっても満足感を得ることができない。
そして、その"共感"に慣れきってしまうと、現実の共感が虫けらのように感じてしまう。
SNSで簡単に快楽物質を得ることができるようになり、その結果、現実では到底得られない快楽に脳が慣れてしまうといった感じだろうか。(現実で共感を1得るのは相当大変)
上のような快楽物質の過剰分泌により、現実での出来事が退屈に感じてしまい、SNSに戻ってくるのは必然であったと考えるのが妥当である。
ちなみに快楽物質は前述のコミュニケーション以外にもポルノ・情報収集・ゲームなどでも分泌される。
2 インターネット依存による弊害
快楽物質の過剰分泌による弊害は思ったよりも多い。
メンタル面で言えば何事にもやる気がなくなり無気力な状態が通常になってしまうということである。
また抑うつの症状や集中力の欠如も傾向として見られる。
深刻なケースになると浴室にスマホを持ち込んだり、睡眠を惜しんでまでネットにのめり込んだりと生活よりもインターネット利用を優先するようになる。
しかし上のような症状が、ネットの影響だと気づかないことが多い。
また、インターネットにより比べる対象がかなり多くなり、自分と過剰に比べてしまう。
そうすると、自分がいかに劣っているかを考えるようになり、やがてたいしたことない事でも気にするようになる。
そして劣等感が醸成され、自分もそれに合わせ他人を見下したりマウントを取ることになんの躊躇もなくなる。
つかまこ氏もそのような傾向が見られ、SNSで劣等感を感じるようになり、勝手にコンプレックスを抱くようになった。
それだけでなく、つかまこ氏自身も他人を見下し、マウントを取ることを恒常的にしている。
この動画でも、ブロックされたときの対処法として、相手に対して精神的優位性を持つことを奨めており、心の中とはいえ、人を見下すことになんの躊躇も見られない。
また、私に対してもつかまこ氏の豊富な想像力で、
1「コミュニケーション能力が相当程度ないのかもしれない」
2「自分の職業に満足行ってないのかもしれない」
3「恋愛関連の動画に関心が強いので、私と同じ恋愛弱者なのかもしれない」
4「短文が中心なので、文章力が低い」
と見下してきた。
これを考慮すると、1に関しては接客業できることを褒めたことにより彼が曲解し、勘違いさせてしまったことだろう。
劣等感の強い人間を(お世辞や皮肉でも)褒めることは、絶対にやめたほうが良い。
数少ない褒められる経験を与えることでとんでもない勘違いを引き起こし、見下される。
最悪の場合、勘違いして告白してくる可能性すらある。
2と3に関しては彼の劣等感の根源にあると言ってもよく、年収の低さや恋愛経験の少なさに劣等感を抱いていたのはいうまでもない。
また、経験の少なさゆえ、恋愛関連の動画では、非常識な助言や指南をすることが多くそれにツッコミや疑義が生じることが多くなるのはいうまでもないが、彼は関心が強いと勘違いしたのだろう。
ただ、4に関してはレッテル張りではなく、彼目線では私の文章力が低いという評価なので正当だと思う。
一応短文が中心であるという彼なりの根拠もあるからね。
このように、孤独感の増長、不安症、無気力・うつ・劣等感の醸成など様々な症状が確認できる。
3 まとめ
ネットの功罪のうち功の部分は周知のとおりですが、罪の部分はあまり語られていない。
ネット空間ではネットに対しての批判的な論調のウケは大変悪く、依存症の危険性に気づいた聡明な人間は早々に姿を消すため警鐘を鳴らす人が必然的に減少するのは言うまでもない。
ちなみにつかまこ氏身も依存症の自覚はあったものの、深刻に捉えていないという所作が見受けられた。
上のようなケースや無自覚を救うのは流石に無理ですが、自身にその兆候がある場合は、スパッとやめてみるといいことが起こるかもしれない。
つかまこ氏が、再びSNSのアカウントを開設し、また同じことを繰り返そうとしていますが、実は彼がSNSをやめれないということは、以前語った通り、極めて困難であると予想していた。
そのため、彼が辞めないことを非難するというよりかは、何故辞めることができないのかを述べていきたいと思う。
1 つかまこ氏が永久にSNSやめれないと思う理由
かつての旧アカウントではつかまこ氏は自身の孤独を紛らわすことを主たる目的として利用していた。
その他にもブログの宣伝や情報収集、異性との出会いなど多様な目的があったが、あくまでメインは孤独を紛らわすことです。
しかし、インターネットを利用したコミュニケーションでは、寧ろ孤独を増長させてしまう。(参考)
SNSを辞めることにより増長を食い止めることはできたが、"孤独"を解決しない限り、再びコミュニケーションを求めてSNSに戻ってこざるをえない。
人間は、コミュニケーションをする会話相手(厳密に言えば自分の話を聞いてくれる人間)を求める。
SNSが普及する前は、匿名掲示板がその役割の大部分を担っていましたが、「便所の落書き」と揶揄されるほどの情報の信憑性の低さと、匿名性の高さもあり、情報収集や"繋がり"の面でSNSには劣る。
現実で話を聞いてくれる人が身近にいれば良いのだが、
自分の思っていることをそのまま言ってしまうと悪い印象を与えてしまうため自己を抑える。(自慢話・愚痴・悪口・マウント・政治的主張・過激思想など)
そしてリアルな人間と話すには、人間関係の構築・解消の煩わしさ・金・時間・相手との都合・物理的距離など考慮しなければならないことがたくさんあり、自分の話を聞いてもらうのがSNSに比べて相当面倒くさいことが分かる。
そういったことを考慮する必要なく、いつでも無料で手軽に自分の意見を発信でき、"共感"をわかりやすく伝えてくれる。
そして共感もいいねを押すだけで表現できる。
現実では共感してもらえない可能性すらある。
また、現実では人の愚痴を聞く側としての役割を果たさなければならないため、非常に面倒でもある。
そして共感が10もらえれば20を目指し、20もらえれば50を目指すといった具合に際限なく求め続け、いつまでたっても満足感を得ることができない。
そして、その"共感"に慣れきってしまうと、現実の共感が虫けらのように感じてしまう。
SNSで簡単に快楽物質を得ることができるようになり、その結果、現実では到底得られない快楽に脳が慣れてしまうといった感じだろうか。(現実で共感を1得るのは相当大変)
上のような快楽物質の過剰分泌により、現実での出来事が退屈に感じてしまい、SNSに戻ってくるのは必然であったと考えるのが妥当である。
ちなみに快楽物質は前述のコミュニケーション以外にもポルノ・情報収集・ゲームなどでも分泌される。
2 インターネット依存による弊害
快楽物質の過剰分泌による弊害は思ったよりも多い。
メンタル面で言えば何事にもやる気がなくなり無気力な状態が通常になってしまうということである。
また抑うつの症状や集中力の欠如も傾向として見られる。
深刻なケースになると浴室にスマホを持ち込んだり、睡眠を惜しんでまでネットにのめり込んだりと生活よりもインターネット利用を優先するようになる。
しかし上のような症状が、ネットの影響だと気づかないことが多い。
また、インターネットにより比べる対象がかなり多くなり、自分と過剰に比べてしまう。
そうすると、自分がいかに劣っているかを考えるようになり、やがてたいしたことない事でも気にするようになる。
そして劣等感が醸成され、自分もそれに合わせ他人を見下したりマウントを取ることになんの躊躇もなくなる。
つかまこ氏もそのような傾向が見られ、SNSで劣等感を感じるようになり、勝手にコンプレックスを抱くようになった。
それだけでなく、つかまこ氏自身も他人を見下し、マウントを取ることを恒常的にしている。
この動画でも、ブロックされたときの対処法として、相手に対して精神的優位性を持つことを奨めており、心の中とはいえ、人を見下すことになんの躊躇も見られない。
また、私に対してもつかまこ氏の豊富な想像力で、
1「コミュニケーション能力が相当程度ないのかもしれない」
2「自分の職業に満足行ってないのかもしれない」
3「恋愛関連の動画に関心が強いので、私と同じ恋愛弱者なのかもしれない」
4「短文が中心なので、文章力が低い」
と見下してきた。
これを考慮すると、1に関しては接客業できることを褒めたことにより彼が曲解し、勘違いさせてしまったことだろう。
劣等感の強い人間を(お世辞や皮肉でも)褒めることは、絶対にやめたほうが良い。
数少ない褒められる経験を与えることでとんでもない勘違いを引き起こし、見下される。
最悪の場合、勘違いして告白してくる可能性すらある。
2と3に関しては彼の劣等感の根源にあると言ってもよく、年収の低さや恋愛経験の少なさに劣等感を抱いていたのはいうまでもない。
また、経験の少なさゆえ、恋愛関連の動画では、非常識な助言や指南をすることが多くそれにツッコミや疑義が生じることが多くなるのはいうまでもないが、彼は関心が強いと勘違いしたのだろう。
ただ、4に関してはレッテル張りではなく、彼目線では私の文章力が低いという評価なので正当だと思う。
一応短文が中心であるという彼なりの根拠もあるからね。
このように、孤独感の増長、不安症、無気力・うつ・劣等感の醸成など様々な症状が確認できる。
3 まとめ
ネットの功罪のうち功の部分は周知のとおりですが、罪の部分はあまり語られていない。
ネット空間ではネットに対しての批判的な論調のウケは大変悪く、依存症の危険性に気づいた聡明な人間は早々に姿を消すため警鐘を鳴らす人が必然的に減少するのは言うまでもない。
ちなみにつかまこ氏身も依存症の自覚はあったものの、深刻に捉えていないという所作が見受けられた。
上のようなケースや無自覚を救うのは流石に無理ですが、自身にその兆候がある場合は、スパッとやめてみるといいことが起こるかもしれない。