高麗神社と日本人、韓国人 | 気になる映画とドラマノート

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 埼玉県日高市に高麗神社という神社がある。

 元総理の鳩山由紀夫さんは、選挙の時は、かならず高麗神社に祈願に行ったという。

 高麗神社という神社の由来は、高麗神社のホームページを写させてもらうと、以下のごとし。

高麗神社の主祭神は、かつて朝鮮半島北部に栄えた高句麗からの渡来人高麗王若光(こまのこきしじゃっこう・
「王」は 他に「こしき」「こにしき」「こにきし」などとも読む)です。
最盛期は5世紀の「広開土王(こうかいどおう)」、「長寿王(ちょうじゅおう)」治世の100年間で、中華人民共和国吉林省集安県にある「広開土王碑」から、そのころの高句麗の強勢ぶりをうかがうことができます。

 

若光が渡来した年代についての社伝はありませんが『日本書紀』天智天皇称制5年(666年)10月高句麗から派遣された使節の中に「若光」の名があります。

 

『続日本紀』文武天皇大宝3年(703年)に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されており、高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまったことを考えると、『日本書紀』にある「若光」と当社の御祭神である「高麗王若光」は同一人物と思われます。


 朝鮮半島北部といっても、「半島の北部地帯」という意味じゃないです。半島の北部を含む、満州のほうまで行く広大な国です。「朝鮮半島の北部」という表現は、日本の本州を下北半島の南部というようなものです。高句麗人にしてみれば、本当は朝鮮半島はほんの一部だったんですよね。いまのフィリピンがフェリペ二世の名前に由来するからといって、フィリピン人の故郷がスペインなわけはない。そこまでは、すぐわかるが、高句麗と高麗の字が似ていると、つい関係が深いと思ってしまう。「王氏高麗」と「高句麗後期の正式国名高麗」がつねに混乱して、イメージされるわかりにくさがある。


 「三韓統一」だって、勝手に「三韓」と言った新羅がいただけ。高句麗にしたら、おれは「韓」じゃないよ、と思ったろう。滅びた高句麗は死人にくちなしで、いまや中国からは一地方だったといわれ、韓国からは先祖扱いされている。(たしかに、一部はそうだが)これは、日本がかってに「大東亜」と言ったのと同じだ。


 鳩山さんが祈願に行った神社の「高麗」とは、李氏朝鮮創始者の李成桂大将軍がいた、王氏高麗の「高麗ではなく、「高句麗」のほうの「高麗」なのでした。わたしは、最初、なんで朝鮮人に日本の総理が拝んでいるんだろう、と思ったものです。ところが、「王氏高麗」は、朝鮮民族で、「高句麗」はツングース民族なんですよね。もっとも、韓国観光局のホームページには、高句麗も先祖ということになってますが、高句麗の一部が先祖なのであって、「高句麗そのもの」が先祖ってこたあない。


 古文書に百済の統治者の先祖は朱蒙の子孫だと書いているから、朱蒙が先祖だということになったことはわかる。ところが、新羅の4代目のソクタレ(鉄の王キム・スロに出てきた)は、倭人だと、「三国史記」にも「三国遺事」にも書いてある。

「三国史記」も「三国遺事」も、「王氏高麗」の時代に書かれたのだけど、なぜ「王氏高麗」の時代に「新羅の4代目の王」ソク王は、倭人だと、書いたかというと、「秀吉に襲撃されて怨んだのは、あくまでも、李氏王であって、李氏王は高麗をつぶしたのだから、日本になんの恨みもなかった・・・というよりも、「三国史記」を書いた時点で日本に半島が支配される時代がくるとは思っていなかったから、平然と、新羅の王は倭人だと書いた。


 これは、もし、現在日本と韓国がものすごく仲がよければ、韓国ドラマで、キムスロが日本の地日本海沿岸の豪族に生まれて、まず、朝鮮にわたり、まずキムスロに戦いを挑んで、追放されて、新羅に行き、新羅の側近になって、二代王の長女の娘婿になり、ついには新羅王となる、勇者の物語になること、請け合いなのである。ところが、現代の、日本との関係にこじれがあるから、絶対、新羅の王になるまでの、倭人の青年の物語はドラマされない。本当は、朱蒙が英雄なら、倭人ソクタレも、新羅王になった古代朝鮮の英雄なんですよねぇ。


 善徳女王に出てくる金春秋の祖先はじつは、「三国史記」では、倭人ソクタレが木の上で金の箱に入った子供を見つけて、その拾い子に、「金」キム氏とつけたのがはじめだそうです。

※拾い子とは、愛人の子では?ともいわれる。

 そして、この子供を見つけるきっかけになったのが、鶏の声で場所が林なので、新羅を別名「鶏林」と言った。

 「王氏高麗」は、元々山賊豪族の出でしたが、箔付けのために、衰えた新羅56代王の姪を王妃にして、名門との血脈を保つとともに、はじめて、正史を編纂します。(徳川が和宮様をもらったのに近い。)それが、「三国史記」。

 わたしたちが、善徳女王やキムスロの事蹟を知るのは、「王氏高麗」の血脈主張のために古文書を集大成した、三国史記から、知ることが出来るということらしいです。

 その後、「王氏高麗」は、部下のイ・ソンゲに滅ぼされてしまいます。そこで、朝鮮の王族と倭人の血脈は完全に断たれます。李氏朝鮮以前までは、天皇家というよりも、日本のどこかの豪族の息子つながりで、倭人と新羅、高麗は遠い親戚らしい。そして、この場合の高麗は、高麗神社とは関係なくて、高麗神社の高麗は、後期高句麗の高麗。ああ、ややこしい。


※ただし、「三国史記」のソクタレが倭人だったという記述がウソかほんとうかは証明不可能です。

 しかし、それなら、朱蒙の子孫が百済を起こしたというのも、ただ、古文書にそう書いてある、というだけで本当かどうかはわからないことです。




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