1人ぐらい食べてもまぁバレへんやろ   作:こだまりパン

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11-Lucky-Trio(ラッキートリオ)

 

 

『きゃー! へんたいよ!』

 

 

 子どもの声らしきそれを拾ったのが最後だった。

 

 ブヅッ、と深崎とのスマホの通話が途切れ、痛いほどの沈黙がキャラバンの中を覆う。

 

 変わらず後部座席に座っていた岸部と、通話のために運転席から岸部の隣に移動していた加藤の二人は、スピーカーモードにして聞いていたその一部始終に思わず顔を見合わせた。

 

「……ガキの幽霊?」

「え、いやぁ……うーん……」

 

 言外に『これが?』と問う加藤に、目の動きだけでコレジャナイ感を表明する岸部。

 怖がっていたものの正体がこれだとは思いたくない。

 

 お互い、何とも言えない微妙な表情だった。

 そしてそれは加藤が手に持っている別のスマホと通話が繋がっている相手も同じだった。

 

『……深崎は大丈夫ですか?』

「え、あ、いや、……すんません、なんかあったみたいです。すぐに確認してきます」

『そうしてください』

 

 こちらもスピーカーモードにしていたスマホから、誠実さと胡散臭さを両立した若い男の声が響いた。

 声の主からの返答はお願いの態を取った、実質拒否権のない命令である。

 

 加藤は岸部に、お前行ってこい、と目配せした。

 

 促された岸部は目を見開き、声には出さず拒否の姿勢を見せる。

 何だか妙な展開になったし、おかげで幽霊への恐怖なんてものは一瞬で霧散したが、それとこれとは別だ。

 深崎の身に何か起こったことは確実だし、変な子ども? の声も聞こえたし、もしかして幽霊は幽霊でもギャグコメディか? と思わないでもないが、どっちにしろ俺が嫌いな幽霊じゃないかフザけるな私は先に帰らせてもらうぞ結婚を約束した幼馴染が故郷にいて無事に帰ったら指輪を渡すんだ、なぁに幽霊なんて楽勝さ俺に任せてお前は先に行け云々かんぬん。

 

 テンパり過ぎて途中から自分でも何を考えているのかわからなくなる岸部。

 傍目から見てもお目々ぐるぐるで頭がややふらついている──そこに加藤のチョップ。

 

「うべっ」

『? どうしました』

「すみません、ポンコツの調子が悪くて直してました」

『そうですか…?』

 

 スマホの向こうの上司は何が起こったのかよくわかっていない様子。

 

 今の内だ、早よ行け。

 加藤は頭を押さえる岸部をげしげしと足蹴にする。

 

 わかった、わかったよ…。

 岸部は不満たらたらの顔を加藤に向けながらドアを開けた。

 

「こんばんは!」

「ぶわィヤ!?」

「どぅあッ!?」

『ぉわっ…!?』

 

 早朝バズーカならぬ深夜バズーカ。

 ドアを開けた目と鼻の先からとんでもない声量のあいさつが飛んできた。

 

 思わず足を踏み外し、キャラバンから転がり落ちて尻餅を突く岸部。

 驚きから落としそうになったスマホでパシッパシッと不格好なお手玉を披露する加藤。

 掴まれ損ねたスマホからの殴打音で鼓膜を叩かれる通話相手の上司。

 三者三様の醜態。

 

 落ち着きを取り戻してからすぐ、ばっ、と二人が顔を向ければ、そこにはニコニコ笑顔の小学生くらいの子どもが立っていた。

 

「な、なんっ」

「こんばんは!」

「こん? は? 子ども…──深崎!?」

 

 ぽかんとしたまま子どもを見上げる岸部に対し、子どもから距離があった加藤は、子どもがその左手で深崎を引きずっているのが見えた。

 意識を失っているらしく、ぐったりと俯いた彼の後襟(うしろえり)が華奢な手に握り込まれている。

 

「おい深崎! ……なぁボウズ、あ、もしかして女の子か? いや今それはどうでもいいか……。なあ! そいつ俺らのツレなんだわ。どういう状況か教えてくんねーか」

 

 色々と浮かぶ疑問はさて置いて、加藤はまず最初に子どもを問い質すことにした。

 どう見たってこの子どもが何か知っていないとおかしな状況なのだから。

 

 道の駅にキャラバン以外の車はない。どころかあの後から加藤ら三人以外に誰かがやって来た形跡もないのだ。

 であればこの子どもはいったいどこから湧いて出たのか。

 なぜ気絶した深崎を引きずっているのか。

 なぜ車のそばにいたのか。

 

「こんばんは!」

「……は?」

「こんばんは!」

「……………ハァ?」

「こ・ん・ば・ん・は!」

 

 しかし子どもは出来の悪い音MADのようにあいさつを繰り返すだけだった。

 気のせいでなければ後半のそれはもはや意地を張っているような声の出し方だ。

 

『──ちょっと、どういう状況ですか。深崎は? さっきから聞こえる子ども? …の声は? 説明してください』

 

 スマホの向こうからやや苛立ちを感じる声が聞こえ、加藤と岸部は我に返った。

 

「バー…っと、っす、すみません。深崎は見つかったんですが──」

「こーんーばーんーはー!」

「……こんな感じで妙なガキに絡まれてまして」

「深崎はガキが見つけたみたいです! 便所からここまで連れてきてくれたみたいでして!」

 

 加藤の報告に、未だ車外で尻餅を突いたままだった岸部が声を張って補足する。

 それを聞いた通話相手は少し間を置いてから口を開いた。

 

『……状況は何となく、いえ、よくわかりませんが理解しました。とにかく深崎は無事だった。そういうことですね?』

「え? ……あ、はい。そう、っすね。見た感じ気絶してるだけみたいです」

「くぉんぶぁんぅわぁ!」

「ちょっと一回黙ろうか電話の邪魔だから……」

 

 よっこらと立ち上がった岸部が子どもの方に近寄り、声を抑えさせようとする。

 

『なぜこんな遅い時間に子どもが……──いや、そもそもからしておかしい』

「え、どういう」

『加藤、あなた達がいるのは無人の道の駅だと、そう言いましたよね。その子どもはどうやって、いつからそこにいたのですか』

「はい? え、それは、まぁ……どっかのクソ親が置き去りにした、とか?」

「それ俺の幼少体験!!」

『かもしれませんね。しかし今本当に重要なのはそこではありません』

 

 悪戦苦闘しながら慣れない子ども相手に注意を引きつけていた岸部が振り向いてツッコミを入れる。が、二人は無視。

 

『深崎はトイレにいたはずですね? それが今、車のすぐそばまで運ばれていた。見知らぬ子どもの手によって』

「えっと、まぁ」

『どうやって?』

「……はい?」

『さっきから聞こえてくる声の高さ、そしてあなた達二人が【ガキ】と言うからには本当に小さい……それこそ小学生ぐらいですか?』

「あの、さっきからいったい何を……」

『少しは考えなさい。深崎は小さい子ども一人で運べるほどに小柄なのですか?』

「あ! ……いや、そんなはずは」

『ならばその子には“何か”ある……というのはあまり考えにくいことですから、もしかしたらその子に注目をわざと集めたい“誰か”がいて、今の状況はその演出の一部に過ぎず、実はその近くに本命が今も潜んでいる、とか。……まぁその場合、その誰かの狙いがあなた達であることが前提になりますね。飛躍し過ぎかもしれませんが、そういった可能性程度は考慮に入れておいてください』

「は、はい……、あ、いや、いや無理だ! それはありえない……!」

『……どうして?』

「俺たちがあの女の処分場所を決めたのも! この道の駅で帰るルートを決めたのも! 全部アンタとの仕事が終わってからなんだ! 車で移動しながら三人でアドリブで決めたんだから誰も知るはずが──」

『盗聴器は?』

「……え」

『発信機の類は? 対策は万全にしていましたか?』

「え、いや、それは……そこら辺は、よく……俺ら別に詳しくないんで……」

『ちなみに言いますと、僕の手元ではリアルタイムであなた方の居場所が把握できていますよ。あぁ、スマホでわざわざ通話しなくとも音だってずっと拾えてますね。車内での他愛ないお喋りは聞かなかったことにして差し上げます』

「へ?」

『あなた達、組織から支給された端末を馬鹿正直に使っていますよね。そんなの「いつでも好きなようにしてください」と言っているようなものですよ。そのキャラバンだってわざわざ組織の息がかかった工場に任せてしまうのですから……ふふっ、細工する隙がたくさんあり過ぎて頭を悩ませる日が来るとは』

「えっ……」

 

 絶句、という言葉がこれ以上似合うものがないであろう加藤の反応。

 スピーカーから垂れ流されたその内容は車外にいた岸部も釘付けにし、この時ばかりは二人の意識から子どもの存在が忘れ去られた。

 当の子どもは少しムッときたようで、小さい唇を尖らせながら、掴んだままだった深崎の後襟をきつく握り直している。

 

「で、でも俺たちなんてただの下っ端で──」

『腐っても組織の構成員……あなたはいったい何を言っているのですか? 前から感じていたことですが、どうやらあなた達には色々と自覚が足りないようで……』

「……っ」

『まぁこの際あなた方の自覚云々はどうでもよろしい。お子様の“ねぇねぇあのね”に付き合うのは保護者か先生の役目ですからね。覚悟も足りなければ経験も、特筆すべきスキルもない。あるのは大学中退で裏社会に飛び込めてしまえる若さと無鉄砲さだけ。重要なのはあなた達が握っている情報にはそれだけの価値が眠っているということ。……要するに、情報の価値を決めるのは概して自分ではなく他人だということです』

 

 加藤も、そして岸部も二の句を継げなかった。

 

 この上司からここまで色々言われたのは初めてのことである。

 今までそれなりに順調に仕事をこなしてきた自負があっただけに、どうやらこの上司の中では自分たちの評価がさほど高くないのだと察せられてしまったのも大きい。

 前までであれば、例えば深崎辺りがあえて空気を読まずに、悪くなりそうな雰囲気を回避するかのように上司との会話を回すことが多かったので、結果的に加藤らが気まずい思いをすることもなかったのだが……ある意味頼みの綱だった当人は未だ気絶中。

 

 深崎は本当に生きているのか疑わしくなるほど静かなままだ。

 その証拠に、ほら、見てみろ、例のガキが深崎の体を片手で持ち上げて…──持ち上げて?

 

「こ・ん・ば・ん・は・!って──言っとるやろがい!」

 

 細腕一本で、深崎の体がキャラバンに向かって投げられた。

 

「お、ぎゃあ!?」

「だ──ッガハ」

『なんーー』

 

 身につけている物も含めれば80kg近い人体によるドッジボールは、まず岸部を巻き込み、おかげでわずかに勢いを殺しながらも岸部が加わったことで160kg近くになった重さが、最後に加藤を押し潰す形でキャラバンの中に雪崩れ込んだ。

 到底160kgでは収まらない瞬間的な重さ──衝撃により大きく揺れるキャラバンの中で男三人が雑に積み重なる。

 

「う、うぅ……ッ」

「いっ……てぇ…! 重っ──あ、足、足……やべえ、なんか、感覚が」

『……加藤? 何かありましたか? ……返事をしなさい! 加藤!!』

 

 床に転がったスマホから聞こえる声に返事をする余裕は誰にもない。

 

 全身を襲う新鮮な痛みに加藤らが悶えていると、ゴッ、と分かりやすい靴音が聞こえた。

 痛みに苛まれながらも目を凝らせば、開けっ放しだったキャラバンのドアに例の子どもが手をかけ、片足だけ乗り込んできたところだった。

 黄色がかったルームランプに照らされる子どもの顔立ちは、よく見れば──その黒ずんだような瞳の色さえ気にしなければ──端正なものだということがわかる。

 

 わかりやすく怒った表情で子供が口を開く。

 

「……さっきからよぉ、ガマンしてあげてりゃよぉ、無視無視無視ってなんなんだよぉマジでよぉ。イイ大人がガキんちょのあいさつガン無視とか悪いお手本過ぎて頭オッパッピーなるわ。それとも見知らぬガキの健気さ目の当たりにしたところでそんなの関係ねぇってか」

 

 チントンシャンテントンは少年アシベで十分だわ! などと意味不明なことを言う謎の子ども。

 気のせいでなければ両目が時折赤く光っているように見えるのは錯覚だろうか。

 

『──おや? これはこれは……もしかしなくとも例の子ども、ですか?』

「ファ?」

『こちらですよ、ボク。それともお嬢さん?』

「レディでよろシコ」

『おっと、そうでしたか。声だけで失礼します、リトルレディ』

 

 子どもの目が床のスマホに向けられる。

 

『先ほどの物音ですが、もしかして加藤たちに何かしましたか?』

「おじさんだれ?」

『おじ…』

「気にするお年頃? めんご。ちな何かしましたかっちゅー話なら、無視イジメされたから仕返しボーリングしたよ。お前ボールな的な? あ、三人とも一応ピンピンしてるよ。ケガしてたらごめんねだけど」

「てめ……ふ、ふざ、けっ」

 

 子どもの不真面目な返しに、深崎をどかし終えた岸部が怒りを露わにする。ごろりと転がった深崎の体は座席の間の床スペースを贅沢に使い、直立するような綺麗な寝相で収まっていて、静かな寝息は普段の素行の悪さと違ってお行儀が良い。

 

『──ふふ、ふふふっ』

 

 岸部の怒りをよそにスマホから聞こえてきたのは、堪えきれなくなった含み笑いだった。

 

『まさか……まさかですよ? もしや一番あり得ないと思っていたパターンだったりしますか?』

「なにがよ」

『ふっ、ふふ……失礼、単刀直入に聞きましょうか。【東都連続猟奇殺人事件】の重要参考人がどうしてここに?』

 

 加藤と岸部がギョッとし──子どもは途端に冷めたような表情になった。

 一瞬前までの怒りなど微塵も存在しなかったかのような切り替えの早さ。そこに物騒な事件名──加藤らは後ろ暗い伝手により事件の詳細を世間一般よりも知っている──も添えられて加藤と岸部は「え?」「は?」と戸惑うことしかできない。

 二人の頭に、こんなガキが? と真っ先に疑う心の声が浮かぶも、たった今、ただのガキではあり得ない所業により被害を受けたばかりである。荒唐無稽であろうが、トリックに違いないと現実逃避したくなろうが、現実は現実。

 どうにか現実を受け止めた二人は池の鯉のようにぱくぱくと喘ぐばかりで、思考に空白を捩じ込まれた脳味噌が再起動するにはリソースが不足しているようだった。

 

 そんな二人をよそに、スマートフォンの向こうの男と暫定重要参考人たる子どもとのやり取りが続く。

 

「知らね」

『おや?』

「その物騒な事件っておれのこと? ぶっちゃけ東京なんて事件だらけじゃん」

とうきょう……ふむ、白を切る、と』

「白もなにも知ーらね。おれみたいなガキんちょが関係あんのそれ?」

『ありますよ』

「あ、…あるんかい」

『ありますよ。大事なことなので二回……ああ、いえ、世間の混乱を見越して公表されていないだけで、各所の監視カメラにはあなたの姿がバッチリ残っていましたから。好きなんですか? ワ●クマン』

「わぁっ……バレテーラ……。……あー、ヤクザのモデル事務所?」

『ええ、特に凄かったですね』

「B級パニックみたいで?」

『はははっ、言い得て妙ですね。サメ映画とか割と好きですよ僕は。一番好きなのはB級のではなく原点の方ですが……まさに、はい、見応え抜群でした。今でも信じられませんが』

「ふーん、じゃあやっぱり警察も本当は知ってるはず…──ん? アンタはなんで知ってんの?」

『それはもう、白から黒まで色々と伝手がありますから……』

「うえぇ、物知りだねアンタ……えっと、あー」

『……あぁ、僕のことは バーボン と。以後お見知りおきを』

「バーボン……あ、お酒?」

『ふふっ、正解です』

「へぇ、好きなの? ウイスキー」

『はい、それなりに。種類までご存知でしたか』

「ちょっとだけ。………にしてもウイスキー、ウイスキーか。……たしか……スコッチ」

『良いですね』

「それから、あー……、ライ? とか」

『F*ck』

「ファ?」

『ん──いえ、なんでも。……M*ther-F*cker……F*ck off FBI

「……だいじょぶ?」

『はい? 何か?』

「ん? ……え?」

『何か?』

「お? あ、お、おぅ……」

 

 声だけでも通話相手の男──バーボンがやたら堂々としているのであろうことだけはわかった。開き直りかな?

 子どもは素直にドン引きである。とある事情により子どもには小声のぼやきも全て筒抜けだったのだが、まぁ詮無きことか。

 

『ちなみにリトルレディ、あなたのお名前をお聞きしても?』

「えー…?」

『もちろん本名を、とは言いません。僕だってお酒の名前ですから。とりあえず決まった呼び方が欲しいだけなので偽名でもニックネームでも何でもどうぞ』

「ふーん? そう……」

 

 軽い調子で会話に乗っていた子どもがここにきて黙り込んだ。

 バーボンとの会話の中でころころと変化していた表情が途端に、再びすんと色を失くす。

 痛みが落ち着き、悪態の一つでも吐いてやろうかと思っていた加藤と岸部も、ナリが小さい子ども相手だというのに萎縮してしまう迫力があった。いびきもなく、すんとも言わずに沈黙したままの深崎が今は羨ましい。

 

「うーん……」

『そこまで悩むことですか』

「むむぅ……」

 

 そしてたっぷり、一分以上は考えていただろうか。

 ようやく子どもが口を開いた。

 

「……フィルサルコ」

『フィル、サルコ?』

「うん、略してフィルが良いかなぁ。色々ほかのと迷ったけど、まぁ、ある意味これが一番呼ばれ慣れてる、かも?」

『ほぉ?』

 

 名乗りを受けたバーボンは先ほど本人が言ったとおり、まさしく興味深そうに声を漏らした。

 

『ふむ、フィルサルコ……フィル、Phil……もしかしてギリシャ語由来の《Phil》ですか?』

「え゛」

『当たりですね。となるとサルコは……ふふ、まさか《Sarco》……、あっ』

 

 この時点で、フィルサルコ──フィルと名乗った子どもは顔をしわくちゃにしてそっぽを向いた。

 まるで年季の入った梅干しのようなその表情は、いじけたような態度と合わさることで『イヤな予感がする』『イーヤーイーヤー!』と全身から主張している。

 もちろん音声オンリーでしか繋がっていないバーボンにそんな様子が伝わるわけもなく、何か閃いたような声を上げた彼はどこか得意げな調子でその先を続けた。

 

『なるほど《Phil-Sarco》。順序を逆にすれば《Sarco-Phil》……これ、タスマニアデビルの学名(Sarcophilus-harrisii)から来てたりしませんか?』

「う──うえ゛えぇぇぇ……!? マジなんなん……っ」

『正解ですか? ──……、…ふっ、ふははっ! ふざけたセンスしてますね! 【肉を愛する(Philsarco)】だなんて、なんとも! ハハッ、本当におかしい……狂ってる……! ハァ──……んんっ、ちなみにこれはアナタが?』

「ちがうよ」

『ですよね』

「バカにしてる?」

『いえいえそんな。少し安心しただけです』

 

 スマホを見るフィルの目つきがゴキブリ相手のそれになりつつある。

 

『ふむ……タスマニアデビル、夜行性、小さく好戦的。世界最大の肉食性有袋類で主に死肉を食すが、鳥や昆虫なども食性の対象。体格に比すれば哺乳類最強と謳われる強靭な咬合力で獲物を骨も残さず食べ尽くし、狩りのために一晩で10km以上を移動するタフネスも備える。縄張り意識は強くなく、また基本的に群れは作らない』

「動物博士? キモチわるいね」

『その反応は心外です。そういう、何かと詳しくなりたがる時期が僕にもあっただけですよ』

 

 ふん。バーボンなりの茶目っ気を鼻で笑ったフィルは、無造作にキャラバンに乗り込み、ギョッとして限界以上に壁際へ張り付こうとする加藤らを無視してスマホを拾った。

 いい加減、会話の相手が床の上のままだと声を張らなければならないのが面倒になったがゆえ。

 

「男ってみんなそうなの?」

『おや、声が近くなりましたね』

「キモ」

『失礼しました。……ええそうですよ。とはいえ僕の同業者には通訳必須のヤニカス詩人(ポエマー)だっていますから、一概に男といっても何かに凝る方向性はバラバラ…──』

「……?」

『──、─』

「? バーボン?」

『……すみません、あなたの名付け親って銀髪ロングヘアーの重度喫煙者(ヘビースモーカー)だったりしませんか?』

「ちがうよ」

『ですよね』

「最初にそう呼んできたのはおれのことヤラしい目で見てくるオジさん*1だったよ」

『……それは』

「どうせアンタ、おれがどんな存在(ヤツ)で何が出来るかとか知ってるんでしょ? ならわかるんじゃない? おれみたいなヤツは日々生きるだけでも必死だからねぇ。お腹いっぱいになるためなら人が嫌がることでもさぁ。……なに? ナニか想像した? 憐れみでもカンじちゃった?」

『あ、藪から棒ですが提案が』

おまえキライだ

『まぁまぁそう言わず。あなたとのお話は中々(おも)……()か……、んん゛っ、新たな発見が多く大変興味深いのですが』

「聞いてよ。そんでもうちょっと誤魔化してよ」

『興味深いのですが』

「流すじゃん」

 

 気の抜けそうなやり取りの割にフィルの、そしてバーボンの声はどことなく硬くなっている。

 

『そこにいる三人、見逃していただけますか?』

 

 思いがけない問いに「「え?」」加藤と岸部の声が重なる。

 

『よもやこのような偶然に出くわすとは思いもしませんでしたが、いやはや、事の次第を考えればこれが──今の状況がどれほどの幸運の上に成り立っていることか……』

「おしゃべり好きだね。ちゃんとトモダチいる?」

『顔は広いのでご心配なく』

 

 加藤らの視線がスマホと子どもの間を細かく行き来する。

 バーボンの質問は聞こえていた。けれどもその内容を正しく理解することができなかった。

 いや、質問の内容はちゃんと理解できている。しかしそれが自分たちに関わりのあることだという実感が正しく湧いていないのだ。

 

『これは単なる推測ですが、そこの三人がアナタに、その自覚も無いままに何か粗相をしたのでしょう?』

「へえ、それで」

『──幽霊屋敷、寄りましたよね』

 

 空気が止まった。

 

 加藤と岸部は恐ろしさに気絶したくなった。

 彼らの目の前、手を伸ばせばすぐにも触れられそうな距離で、フィルは体も顔も真っ直ぐ前を向きながら、何時の間にか、何故か赤黒く発色している両眼で手元の携帯端末を見下ろしている。

 そして気のせいでなければ彼女の上着が、その背中側が不自然に蠢いている。

 

「……なにが言いたいのかなぁ」

『ふふふ、さて、なんでしょう』

「ふざけてるのかな」

『滅相もない。まぁ、アレですよアレ、ギブ・アンド・テイク、あるいは持ちつ持たれつ。僕たちは黙っている、だからアナタも目こぼしをする。後ろ暗い者同士、こういう時の助け合いの精神は大切にしなければ』

「それ、釣り合うと思ってるの」

『いいえ? ですのでもちろんオマケだってつけます。──強力な後ろ盾、欲しくはありませんか?』

 

 バーボンは一拍置き、皆の息遣いすら静かになる瞬間を見計らって告げた。

 

『フィルさん、あなたの置かれている状況はよく理解しているつもりです。お一人だけでさぞかし大変なことでしょう。衣食住の確保はもちろんのこと、日々厳重さを増す捜査網。今はまだ東都全域を当てずっぽうに捜査するばかりですが、日本の警察は優秀です。ほんの少しの手掛かりをもとに、やがてあなたの仮宿に辿り着くのも時間の問題でしょう……』

「………」

『……ふふ、無言というのは意外とわかりやすいものですよ』

「むぅ」

『今この場で返事を、とは言いません。ひとまず、あなたと友好を結ぶ──とまではいかずとも、好んで敵対したいわけではないことさえ伝われば上出来です』

「正気?」

『少なくとも僕は。……なに、心配は要りません。あなたのことを気に入りそうな人物には心当たりがありますので。歓迎されると思いますよ? 奴はそれなりに地位も高い』

「……物好きだね」

『同意します』

「はぁ……わかった、わかったよ」

『ありがとうございます』

 

 フィルから笑顔がこぼれ、バーボンからも小さく笑う声が聞こえてきた。

 フィルの目は普通の黒目だし、服だって独りでに動いていない。あれは恐怖心が成した目の錯覚だったのだろうか。

 

『その端末はフィルさん、あなたに差し上げます。ロック番号は****です。今後の連絡用に使ってください』

「え、ヤだ、イらない。盗聴とか発信機とか──」

『この通話が終わり次第諸々の機能は切りますから』

「え、うーん、……それなら、わかった」

『良かった』

「うーん……じゃあ、その、また」

『ええ、また。近いうちに連絡します』

「はーい」

 

 ぷつ。

 軽い調子で通話が終わった。

 

 通話終了の後、暗転した画面を見つめるフィルに、恐る恐る加藤が声をかけた。

 

「お前──いや、アンタ、その、マジなのか……?」

「お、おいっ…!」

 

 咎める岸部の声は情けなく震えていた。

 

 ぎゅるっ。

 落ち窪んだかのように大きいフィルの黒目が加藤を捉える。

 ひっ、と喉まで出かかった悲鳴を加藤は飲み込む。

 

「っ……マジ、なんだな。深崎ブン投げるし、さっきの会話が本当ならあの屋敷からここまでついて来て……あ! 車の上から聞こえた足音……! まさかアレ」

「あ──あ、ああぁぁ!? 窓の! 窓に! 窓にィ! あの顔! 手形! おお、お、お、お前が……!?」

 

 色々と思い至る節が、頭の中にしこりとして残っていた点と点が全て繋がったかのようだった。

 窓に張りついていた笑顔、赤い手形、謎の足音……手品の種が分かった時に似た快感が二人の背筋を走る。

 

 

 

 加藤は思わず笑顔になった。

 正直なところ、この段になっても何が何だかわからないのは変わらない。

 胡散臭い上司の命令で可愛い子ちゃんの脳天にグロテスクな青春スイカ割りをお見舞いし、気味の悪い幽霊屋敷で遺体の隠蔽という一仕事を終え、道中謎の心霊現象に心を削られ、便所に飛び込んだ変態深崎は子どもに気絶させられ引っ立てられ、かと思えば深崎ドッジボールで超エキサイティングな痛みに襲われたところに? 子どもの正体は連続猟奇殺人事件の重要参考人(上司の話し振りからして、もしかしたら犯人候補?)で? 聞き役に徹していれば子どもはあれよあれよと言う間に上司と仲良く(?)なって勧誘までされ、もののついでのように自分たちの命も助かったらしい。というか何もなければ、子どもとは思えないあの怪力で殺されていたのか俺たちは。

 ……本当にどういう状況だろうか。流行りの携帯小説でももう少しまともな展開になるんじゃなかろうか。

 

 

 

 岸部は思わず泣き顔になった。

 正直なところ、彼はこの段になっても全く安心できていなかった。

 だって、この子ども、バーボンとの話で、結局、最後まで……。

 

 

 

「はい、これ返すね」

 

 ぽい、とフィルの手から、一番近かった岸部にスマホが投げられた。

 岸部は悲愴感を深めながら、けれども『あぁ、やっぱり』なんて思いながら、両手でそれを綺麗に受け止める。

 

「……え? なんで、なん……れ、連絡は?」

 

 投げられたスマホを目で追い、戸惑う加藤。

 岸部は泣き顔から本当に涙があふれ始めている。

 

「だっていらないし」

「え」

 

 加藤は思わず子どもの顔を見上げた。

 そして後悔した。

 

 子どもは、黒目が赤く輝き、白目が黒く濁っていた。

 生木が裂けるような音とともに背中が盛り上がり、人体ではあり得ない第三の腕が、(さなぎ)の羽化のように服を突き破って鎌首を(もた)げる。

 

 悪魔のような大きな腕だ。

 鱗状の外骨格で覆われた腕の先端は肉食獣の顎をデフォルメしたかのような造形で、上に二本、下に二本──上下四本に開いた手指の先端からは太く、長く、尖った爪が伸び、口腔に相当する手のひらにはびっしりと細かい棘が列を成している。

 

 にぎにぎと、悪魔の腕が何かを咀嚼するようなフリをする中、子どもは出来の悪い生徒を相手するのに似た笑顔で加藤らを見た。

 

「勘違いさせちゃった? おれ、理解したわかったとは言ったけど、了承したわかったとは言ってないんだよね」

 

 ごめんね、バーボンにも謝った方がいいかな。

 なんて(うそぶ)く姿はどこまでも他人事で真剣味がない。

 

 加藤らは言葉を失った。

 ふざけるな。と、声を大にして言えたらどれほど良かっただろう。

 実際は声という声にならず、はくはくと、湿っぽい空気を小刻みに漏らすことしかできていない。

 加藤は頭が真っ白になり、岸部はいよいよ涙が止まらなくなるも、裏腹に頭の中は妙に冷静だった。

 

「なん、な、ん……で?」

「『なんで』? なんで、って、そんなの」

 

 子どもの口元に三日月よりも鋭い弧が浮かぶ。

 

「『化物(バケモノ)が人間と仲良くなんて虫唾が走る』じゃん」

 

 悪魔の拳が口を開き、その牙がまず岸部の方を向く。

 

 そして──。

 

 

 

 

「じゃあね、ばいばい、良い上司を持ったね」

 

 

 

 

 その先は覚えていない。

 

 

 

*1
「貴様を材料にすれば面白いクインケが造れそうだッ!」by.ヤラしい目のオジさん


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