東京五輪は開幕まで、あと1カ月となった。準備は粛々と進んでいる。だが、言いたいことがある。
新型コロナウイルスの脅威は収まるどころか、感染拡大の危険をはらんでいる。僕も1回目のワクチン接種を受けた。だが、ワクチンで感染の全てが解決するわけではない。各メディアの世論調査をみると、五輪の中止を求める人や、無観客開催を望む人がかなりの割合を占める。大会組織委員会をはじめとした関係者は、これらの数字を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
菅義偉(すがよしひで)首相はこれまで何度も、自らの言葉で五輪への協力を国民に訴える機会があったように思う。しかし、避けてきた。「主催者ではないから…」との理由で、開催都市である東京都や組織委員会に責任を負わせ、自身の立場を取り繕っているように映る。力強い言葉で組織を正しく導く。問題が起きれば、率先して責任を取る。リーダーには、そんな覚悟が必要ではないだろうか。
コロナ下で東京五輪を開催する意味はどこにあるのだろう。必要性や意義を十分に説明しないまま強行しても、大多数は納得しない。外食を控えるなど巣ごもり生活を強いられてきた人たちの気持ちは、どうか。僕の周りにも「もう気にせず、ご飯を食べに行く」と話す人がいる。
せっかく自国開催の五輪なのに、世論の後押しを得られない。競技をすることに後ろめたさを感じる。参加する選手たちに、そんな悲しい思いをさせたくない。開催の是非について、自身の意見を公に口にするのもはばかられる雰囲気の中、練習に励んでいる選手たちのもどかしい心情は察するに余りある。
自国開催の五輪に出場すること自体、大変な名誉であると同時に、想像を絶する重圧もかかるものだろう。こんな状況なら正直、海外の五輪の方がよほど気楽ではないか。
野球の日本代表メンバーは16日に発表された。24人の顔ぶれはともあれ、率いる稲葉篤紀(あつのり)監督の心中は複雑だろう。
せめて、彼らを気持ちよく戦いの舞台に送り出してあげたい。多くの人が納得して開幕を迎える五輪になってほしい。そのために、リーダーには為(な)すべきことがある。(野球評論家)