「変わるには人生遅すぎた」ということはあるのか?
時々、「今更自分自身を変えていくには歳を取りすぎた。」というような声を聞くことがあります。それって、本当にそうでしょうか?
私の考えを言うと、シンプルにあまり意味のない命題だと思ってます。だって何をしたって時は巻き戻らないし、そして、残されたされた時間は唯一無二ですから。
変化を拒む無意識の言い訳はいつどこでも起こる
いつだって変化はエネルギーを使うもので、それへの抵抗が起こるのは当然のことでもあります。いや変化に差し掛かるまでもなく、変化する未来がうっすら見えただけでも抵抗は無意識的に起こってきます。
こういった抵抗は歳をとるまでもなく、いつでも心の中に起こってきたはずです。学校のルールを破って冒険をしようとしたとき、初めて好意を寄せる相手に気持ちを打ち明けようとしたとき、就職面接の前夜や転職活動の最中の胸のざわつき。
いつも頭の中に言い訳が浮かんできては、それを一つ一つ打ち負かしたり、あるいは打ち負かされたり、そんなことの連続です。それがたまたま、今回は「年齢」という言い訳を頭がクリエイティブに生み出してきたんですね。
「あの時にやっておけば」を言い出したらキリがない
そんなことを言いつつ、私自身も年齢という言い訳が浮かんでくることは時々あります。
「もし学生時代にもっと英語の勉強しておけばよかった、今からでは遅すぎるのではないか」とか、「新卒からもっと違ったキャリアを積み上げておけばよかった、今からでは巻き返せない」などと頭をよぎったりします。
確かに今からプロ野球選手になろうと思ったらそれは無理ですが、英語にせよキャリアにせよ、まだまだ選択していく余地のあることです。
ちなみに私の父は60才を過ぎてますが、「イタリアが好きだからイタリア語を勉強して現地に行く」と野心を語っておりました。いつからでも始めようと思えば始められますね。
「言い訳」ではなく自分の本心を聞いて行動を決める
ここで出てくる言い訳というのは、自分自身の本心ではなく、無意識的な抵抗活動に過ぎません。
もちろん、常に変化の海に旅立てばそれでいい、ということではありません。例えば転職したり独立したりするのも、それ自体が良い悪いというものではなく、単に自分が何に向かってどうしたいのか、という価値判断の話でしかないのです。
なので、「言い訳」に耳を傾けるのはやめて物事を判断するのはやめましょう。自分が本当はどうしたいのか、そこに耳を傾けて判断していけるといいですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?
コメント