国産二輪車で車はヤマハが
一番良いのは分かり切って
いる。
新型モデルの開発総責任者本
人がイタリアから私に連絡し
てきて、私の日本刀に関する
見識から新型マシン開発に何
度もヒントを貰ったと総責任
者本人が語るXSR700の1型に
乗りたいという気持ちもある。
(多分私の人生の最後の二輪
はXSR700)
しかし、私は16才の時からカ
ワサキが好きというのがある。
マシンはヤマハが一番だと思
っているし、自分が乗ったレ
ーサーも公道市販車もヤマハ
の走行性能は一番気に入って
いた。(現在のカワサキは経歴
5台目)
だが、どうしてもカワサキと
いうメーカーが好きなのだ。
マシンはヤマハが好きで、メ
ーカーはカワサキ。
これはもう、「あの店のあの
鮨職人が握る握り鮨が最高だ」
みたいな好みの問題なので
仕方ない。
モノの良し悪しではなく、味
の好みの問題。
こればっかりは普遍性も妥当
性も関係ない。
二輪においても、戦績や性能
特性の優劣や客観的評価は存
在するが、こと人の好みとな
ると、これはもう料理と全く
一緒で千差万別であり、そこ
には世間の評価や評判や優劣
は一切介在しない。
むしろ逆に、そうした介在を
第一義としてのフィルターを
通して物を見るのは、それは
本当本物のその人の好みでは
ないだろう。
世間で評判がよく、好かれて
いる人だから私も好きだ、と
かみたいなのには愛は存在し
ない。そんなものはニセモノ
だ。
それは皆が好きなものだから
自分も好きとしたい自分が好
きなだけであり、その対象に
は真正面から接しようとはし
一番良いのは分かり切って
いる。
新型モデルの開発総責任者本
人がイタリアから私に連絡し
てきて、私の日本刀に関する
見識から新型マシン開発に何
度もヒントを貰ったと総責任
者本人が語るXSR700の1型に
乗りたいという気持ちもある。
(多分私の人生の最後の二輪
はXSR700)
しかし、私は16才の時からカ
ワサキが好きというのがある。
マシンはヤマハが一番だと思
っているし、自分が乗ったレ
ーサーも公道市販車もヤマハ
の走行性能は一番気に入って
いた。(現在のカワサキは経歴
5台目)
だが、どうしてもカワサキと
いうメーカーが好きなのだ。
マシンはヤマハが好きで、メ
ーカーはカワサキ。
これはもう、「あの店のあの
鮨職人が握る握り鮨が最高だ」
みたいな好みの問題なので
仕方ない。
モノの良し悪しではなく、味
の好みの問題。
こればっかりは普遍性も妥当
性も関係ない。
二輪においても、戦績や性能
特性の優劣や客観的評価は存
在するが、こと人の好みとな
ると、これはもう料理と全く
一緒で千差万別であり、そこ
には世間の評価や評判や優劣
は一切介在しない。
むしろ逆に、そうした介在を
第一義としてのフィルターを
通して物を見るのは、それは
本当本物のその人の好みでは
ないだろう。
世間で評判がよく、好かれて
いる人だから私も好きだ、と
かみたいなのには愛は存在し
ない。そんなものはニセモノ
だ。
それは皆が好きなものだから
自分も好きとしたい自分が好
きなだけであり、その対象に
は真正面から接しようとはし
ていない。
世間はそうした人たち=大衆
が殆どだが。
私はカワサキが好きだ。
これはどう転んでも。
これはいわば私が物心ついた
時から阪神タイガースが好き
だったのと似ている。
タイガースファンは生涯タイ
ガースだ。
こうした事柄はもう不動のも
のなのだ。
そこには流行とかブームとか
大勢の人間が好きだから自分
もとか、そういう軽佻浮薄な
没主体性は一切不在だ。
ド芯から太く、その対象に心
を肉迫させる。主体的に、か
つ積極的に。受動は一切無い。
ホントのファンというのは
そういうもんだと思う。
世間はそうした人たち=大衆
が殆どだが。
私はカワサキが好きだ。
これはどう転んでも。
これはいわば私が物心ついた
時から阪神タイガースが好き
だったのと似ている。
タイガースファンは生涯タイ
ガースだ。
こうした事柄はもう不動のも
のなのだ。
そこには流行とかブームとか
大勢の人間が好きだから自分
もとか、そういう軽佻浮薄な
没主体性は一切不在だ。
ド芯から太く、その対象に心
を肉迫させる。主体的に、か
つ積極的に。受動は一切無い。
ホントのファンというのは
そういうもんだと思う。
ヤマハが車の出来は一番。
ホンダもスズキも魅力的な車
を作るメーカーだと思うし、
二輪作りを実行している人と
メーカーには私は敬意を持っ
ている。
だが、私はカワサキが好き。
冷酷な機械やロボットのよう
なところが無い人間味を感じ
させるカワサキが好きだ。
いうならば、「火の鳥」の
ロビタのようなのがカワサキ
だ。