弁護士コラム

取調べ録音録画の機械反訳

大量の取調べ録音録画が作成されている案件を担当することがある。勿論優先順位の問題はあるが、どこかで内容を点検することは避けて通れない(検察官が捜査供述に依拠した立証を放棄し、かつ、被告人質問を実施しなければ、点検する必要がなくなることもあるにはある)。

仮に20時間分あるとすると、業者に反訳を依頼すると20万円以上かかるし、一月くらい待たされる。かといって、自分で20時間、聞きたいかというと全くそうではない(自分で一度、聞いても、将来的に必要になる箇所をすぐに取り出せる記録が作成できるわけでも無いから将来的に見て殆ど無駄な作業である)。

この点、最近では音声認識技術が急速に発展しており、それを活用すれば労せずして反訳が手に入るのではないか?と期待しているのだが、例えばグーグルドキュメントに「聞かせても」上手く認識してくれない。「聞かせて」上手く音声認識してくれるアプリも登場しているが、電話や打合せの声が飛び交う法律事務所では、静かな部屋でずっと聞かせ続けることが現実的に難しい。

最近、動画データのまま読み込ませて(つまり「聞かせる」必要なしに)反訳する機能のあるアプリがあると言うことで、知人が試してくれたのだが、それなりの精度で反訳が出来ていた。これまでの欠点を全て克服して、かなり有望であるとは感じた。

ただ、気になることもあった。
道交法違反の取調べ録音録画を用いたその実験では、反訳文が「署名とか酒試飲したのかな」となっていた。
なんのこっちゃ(飲酒運転の事案では無かった)と原データにあたると、「しょめいとか、し、しいんしたのかな」と言う風に聞き取れた。取調官が少しどもって、「署名とか、し、指印したのかな」と発言していたわけである。
まだ機械学習が足りておらず、「(署名)指印」より「(道交法だから酒の)試飲」という連想が働き、「し」を「しゅ」=酒と変換する、何らかの作用が生じたのだろう。
AIが「一番可能性のあると考える」訳語を当てると、このように、「酒を試飲した自動車事故」みたいな、全体の文脈からは有り得ない、しかしそこだけ切り取れば有り得る代物に仕上がるのかもしれない(更に悪いことに、複数回試行すると毎回、少しずつ違った反訳が出てくるそうである)。

結局は、まだまだ人海戦術で点検するしか無い・・ということなのだろうが、指数関数的に発展していく技術なので、数ヶ月後には違った局面になっているのかも知れない。

(弁護士 金岡)

調査官解説刑事篇より

本欄2021年11月12日において、調査官解説刑事篇の木谷調査官(当時)解説を取り上げたことがある。
実はこのころ、調査官解説刑事篇を読破しようという計画を立てて、ちょいちょい読んでいたのだが、思ったように速度は上がらず、未だ、ようやく昭和が終わる、という状況である(4年で8冊・・もう少し速度を上げないと一生、終わりそうに無い)。

本稿は、そういった調査官解説刑事篇の中で琴線に触れた部分の備忘である。
最三小1984年4月24日判決は、殺人教唆等の公訴事実についての唯一の直接証拠である被教唆者の検察官に対する供述調書の証拠価値について、最高裁判所が幾多の疑問ありとして破棄差し戻しした事案である。不勉強にして、全く知らない事案であった。

安廣調査官(当時)解説は、約30頁に及ぶ長大なものだが、「事案に即した具体的証拠判断に終始しており、特段の法律解釈を含むわけではなく・・この類型の破棄判決が判例集に登載されることは比較的少ない」と断った上で、事案の重大性に加え「同種の争点を有する事件も少なくないことから、実務の参考になる」としている。
共犯者供述が唯一の直接証拠である類型は、現代においても勿論、珍しいものではなく、それなりに供述状況が保全されている現代においても、それだけで証拠能力や証明力が決着するものでもないので、上記は頷ける指摘である。

そして、目を惹いたのは、まず、「真犯人ではない者であってもアリバイ立証ができるか否かは偶然に左右されるのであって、本件の被告人のように有力なアリバイ立証ができることはむしろ稀なことであると思われる。有罪、無罪の判断がアリバイの成否如何にかかってしまうような事態は、本来あまりあってはならないはずである」との指摘(298頁)である。
全く異論が無い。
しかしこのことが実務の現場でどれほど理解されているのかは怪しい。
「どちらが正しいか」ではなく「検察官が間違いなく正しいか」が刑事裁判というものであると理解していれば、先の山田論文のように、全部不同意はけしからんとか、薄い予定主張はけしからんという発想は出てこないのではないかと思われるからである。

もう一つ、「一般にある者の供述のことごとくが虚偽であることを逐一証明することは困難であり、その重要な一部が虚偽であることが明らかになれば、これと密接に関連する他の部分も虚偽ではないかと疑われて当然というべきであろう」との指摘(同299頁)も重要である。因みに、脚注ではローマ以来の法格言として「一事に虚偽あらば万事に虚偽あり」が援用されている。
出来の悪い判決に、「この点については弁護人の反対尋問でも特に弾劾されていない」というような言い回しが用いられることをまま見受けるが、正しく上記のとおり、「そこについて直接的な弾劾の手がかりは無いが、他の部分で虚偽を述べているのだからお察しだろうに」という場合は不可避に存する。刑事裁判の限界を弁え、間違っても冤罪方向にだけは間違わないようにしようと考えるならば、先のアリバイにしてもそうだが、「そこまで求めるのは性質的に無い物ねだりだ」という弁えは重要である。
見事に、端的に言い当てていると感心した(供述Aが虚偽であると断じられた場合に、密接関連部分が信用できなくなるのは当然として、全く関係ない供述Bについても、当然、慎重になるべきであると考える。上述の「密接に関連する他の部分」との言い回しに拘るよりは、その含意するところに着目すべきである。)。

(弁護士 金岡)

岡口罷免事件について(朝日新聞「耕論」紙面版)

現在、書くことが多くて困っている位なのだが(11日で更新6回は幾ら何でも多すぎる)、とりあえず「旬の話題」を逃すわけにはいかないので本日はこの話題を。

先だって本欄(本年5月5日)で紹介した、岡口罷免事件に関するインタビュー記事の短縮版が、朝日新聞紙面に掲載された(本年6月11日付け朝刊)。
他の論者として誰が選ばれるのかや、どういう意見なのかは取材を受けた当時は知らされておらず、正直に言えば今回の紙面で初めて読んだ。

政治学者の西川氏の意見は、もとより畑が違うので論理構成は異なるが、方向性としては通じるものがある。
世論に流された罷免判決を抑止するための制度的手当論、萎縮効果による弊害は、細部まではともかくも頷けるものであり、早急に是正する必要があるだろう。

他方、ライターの長嶺氏は、罷免を是とする立場である。
その論旨は、「一般国民に矛先を向けて傷つけるような投稿」を行う裁判官は責任を厳しく問われてしかるべきであり、なんとなれば「こんな裁判官には裁かれたくない」という意識を国民に持たれてしまうからである、というものである。
(本業の判決や決定のお粗末さに「こんな裁判官には裁かれたくない」という思いは日常しているけど・・という揶揄はさておいて)私的なSNSに端を発した今回の騒動をそのような事実認定で捉えることは、弾劾判決からも出てこないように思われるので、前提とした事実が噛み合っていない感があり、残念である。

まあともかく、かように三者三様である。
勿論、多様な見方があって良いわけだし、多様な言論があって良いわけである。改めて、そう思う。是非その文脈で裁判官の市民的自由も捉えるべきであろう。
無難なことしか言わない裁判官ばかりになるのを防ぐ必要は、西川氏・長嶺氏共通の指摘である。そのためには、萎縮せず社会のそこここで活動できるようにすること、本業の判決や決定の中では、「言ったもん勝ち」の如き無内容なものを許さず、具体的明晰な説明を行わせて判断内容の品質保証に信頼を得させることが、まずは求められていると考える。

(弁護士 金岡)

拘置所から外部医療機関に通院できるか~名古屋拘置所の非人道的運用基準~

最決2021年6月15日(刑事施設被収容者におけるカルテ開示)宇賀補足意見によれば、「法務省矯正局矯正医療管理官編・矯正医療においても,矯正医療に求められている内容は,基本的に一般社会の医療と異なるところはないとしている」という。
しかし、少なくとも名古屋拘置所は、殆ど手遅れになるまで外部医療機関を受診させない基準で運用していることが判明した。
本記事は、それを公表するものである。

【1】
被収容者処遇法は、「必要に応じ被収容者を刑事施設の外の病院又は診療所に通院させ、やむを得ないときは被収容者を刑事施設の外の病院又は診療所に入院させることができる。」として(62条3項)、外部病院への入通院を裁量的に認めるところ、具体的にどのような場合にそうして貰えるのか、という点は明確では無い。

一つ言えることは、「殆ど手遅れになるまで、痛み止め程度で放置されているのではないか」という疑いが強い、ということである。(代用刑事施設では受けられていた外部病院を含む医療が、拘置所に移った途端、禁じられたという苦情は後を絶たない。拘置所でステージ4の末期癌が発見された長期収容者もいれば、手遅れで勾留執行停止後に亡くなった方もおられる。)

【2】
現在進行形の保釈事件で、弁護側の協力医(脳神経専門医)は、被告人に神経根圧迫が進行している可能性があり、後遺障害も懸念されるからMRIによる早急な精査をすべきだとの意見を提出した(情報公開などを駆使して被留置者診療簿等を収集提供し、数週間がかりで形成された意見である)が、これに対し、名古屋高検は、名古屋拘置所の医師から聞き取ったとする内容を提出して反論している。

それによれば、外部病院等への通院基準は、名古屋拘置所の場合、次の通りである。
(本年6月5日、名古屋高検の髙田浩検察官が、名古屋拘置所の土田医師より聴取した内容とのことである。なお、土田医師の下の名前は不詳。)

「一般論として、外部の専門医療機関の診察をさせるかは、名古屋拘置所では常駐の医師がまず判断することになっています。
その判断は、その人の容態が急速に悪くなっているとか、明らかに将来的な後遺症が残りそうだとか、身体生命に危険がありそうだと診られる場合です。」
「(被告人A氏について)仮にAが勾留されておらず外部にいたとして、本人が希望すれば手術が行われるケースもあるかもしれません」

容態が急速に悪化しているとか、明らかに将来的な後遺症が残りそうとか、身体生命に危険がありそうだとか、そういう場合でなければ外部病院等への通院をさせない、というのである。
耳を疑う、おそろしい話である。
どこが、「矯正医療に求められている内容は,基本的に一般社会の医療と異なるところはない」のだろうか。

【3】
参考までに、患者の権利に関するWMAリスボン宣言は、
「選択の自由の権利」として、2a「患者は、民間、公的部門を問わず、担当の医師、病院、あるいは保健サービス機関を自由に選択し、また変更する権利を有する。」としているが、上記名古屋拘置所基準は、明らかにこれに反している。
また、「自己決定の権利」として、3a「患者は、自分自身に関わる自由な決定を行うための自己決定の権利を有する。」としていることにも、無論、反している。

土田医師の最後の一言が、問題の所在を如実に表している。

未決拘禁状態で無ければ、自分で病院に行き、医師から手術を勧められ、それを選択することが有り得る症状であっても、名古屋拘置所はそれを許さない。ここに、医療に関する選択の自由も自己決定権も無い。「一般社会の医療」とは凡そ懸け離れた劣悪さである。

上記土田医師の説明をみた弁護士から「この医師は、被収容者を人としてみていない」という感想があったが同感である。人としての尊厳を否定した上でなければ、このような意見は出てくるはずも無かろう。

【4】
更におそろしいことに、名古屋高裁は、この事案(被告人は一部執行猶予付きの3年の実刑を受けて控訴中)で保釈を却下し、異議申立も棄却した。
当初却下決定に(「原審裁判所意見」も含め)具体的理由はなく、異議棄却決定にも、「原決定は、健康上の必要性などを考慮してもなお、裁量保釈が適当でないと判断したと解され、そのような原決定の判断は相当」と1~2行、書かれているだけで、被告人が精密検査を受けられず、後遺障害も懸念される事態について、一言も触れられていないという醜悪さである。
「我が国の刑事司法は殆ど絶望的」と言うなら、僅かばかりでも希望は残されているわけだが、最早、そう言えるほどの希望も残されていないな、と思う。

(弁護士 金岡)

弁護人席前のベンチが撤去された高知地裁の法廷

本欄で最近二度ばかり紹介した、弁護人席前のベンチが撤去された法廷。K地裁。
幸いにも今春の法廷写真が手に入ったので(全き合法の手段である)、情報元にもお断りの上、実名を挙げる。
高知地裁である。

以下が、その写真である。

 

向かって左が弁護人席で、その前にあるだろうベンチが無い。
その代わりに、弁護人の右隣、傍聴席に最も近い側に、背もたれの低い椅子があるのが分かるだろうか(もし分かりづらい場合は、「高知地裁 ニュース」とかでググると手頃な報道番組が見つかるはずである)。弁護人用の、背もたれの高い椅子が2つ、その手前に背もたれの低い椅子が一つである。被告人はそこに座る。そこにしか座らない、ということである。

こうすれば、裁判官の趣味志向がどうだろうと、横並びで出てこない杭がどうだろうと、被告人は当事者として然るべき場所に座ることになる(必要に応じ、被告人には法壇側に座って貰う方が良い場合もあるだろう)。
勿論、巨悪は、この当たり前を認めようとしない裁判所であり、弁護人席前のベンチに罪は無い。しかし、弁護人席前のベンチを撤去してしまえば、問題は解決し、自腹で弁護人席前のベンチを復活させようという気概のある裁判官など別にいないだろう。

なので、弁護人席前のベンチを撤去させれば全てが解決し、SBMは過去の笑い話になる。

(弁護人 金岡)

 

腰縄手錠配慮(×)SBM(×)

本欄本年5月20日「弁護人席前のベンチを撤去させよう!」において、いつのまにか実務の最先端から置いてきぼりになっていることを痛感したところである。
心を入れ替え、可能な事案は手間を惜しまず、腰縄手錠解錠時期問題、身体拘束事件でのSBMを試みなければならない。
ということで(不幸にして身体拘束中の)早速2件で、試してみたが、何れも××である。

【その1 関和寛史裁判官の場合】
起訴後勾留中の事案で、勾留理由開示請求を行い、
・腰縄手錠配慮
・弁護人の隣への着席
を求めた。

開廷前、なにやら傍聴人に案内が流れていたので、「入廷時期操作」方式で配慮されたのかと思いきや、関和裁判官曰く「対応しません」とのこと。同裁判官曰く、接見禁止の事案なので、もともとそういう順番にしようとしていた、と(傍聴人と被告人とが交談する機会を可能な限りゼロにしたかったと言うことであろう)。
結果としては事なきを得ているのだから、もう少し違う言い方をする余地もあっただろうに(「結果的にそうなっているので今回は“検討しなかった”」とか)、平然と「配慮しません」と述べるところ、人権意識の希薄さを恥とすら思えない残念さである(日弁連の人権大会で、腰縄手錠が主題となる時代である。人権大会にゲストとしてお招きするのはどうだろうか。)。

こういう裁判官であるから、無論(?)隣への着席も「対応しません」という。
異議を申し立て、K地裁の「弁護人席前ベンチ撤廃」事例まで紹介したが(実名も出した)当然、異議は棄却された。なお、異議事由には、拘置所職員への意向聴取などの事実調べが行われていないという審理不尽も掲げたが、何ら是正されないまま手続が進んだ。
拘置所がどう言おうと関係ない、着席位置は自分が決める、という、傲慢さである。弊害が無いのに人権制約することは比例原則違反だが、そういう憲法感覚も無い。
次の異動先がK地裁であれば、お好みの位置に着席させるため私財を投じてでもベンチ復活を策謀されるのだろうなぁと嗤うしか無かった(そうしないなら、名古屋地裁でも同じように措置できるはずだ)。K地裁のためには、そういう異動はない方が良いが、当地からは早々にいなくなってどうぞ、というところである。

【その2 蛯原意裁判長の場合】
車椅子の被告人の事案である。
同じく、
・腰縄手錠配慮
・弁護人の隣への着席
を求めた。

隣への着席問題を念頭に置いた説示として、被告人の状態どうこうではなく、他の事件への波及を考えて配慮すべき特段の事情があるかないかの観点から検討するというような説明があって、配慮を拒否された。
異議を申し立てたが、公益の代表者たる検察官は「理由がない」と主張。
無論、異議棄却である。

そういえば往時、この問題に取り組み始めたころ、「他の事件への波及論」があったなぁとは思ったが(本欄の過去記事を漁ったが見つからなかった。他方で、一審強において名古屋地裁が個々の裁判官の訴訟指揮の問題として協議に応じなかった記事は見付けた。)、2019年とか2020年の話である。それから4~5年、(波を起こせなかった弁護士会にも問題はあろうが)ずっと横睨みで、「他所がやらないから、うちもやらない」を続けている裁判所には恐れ入る。そういう粘り強さは、もうちょっとこう、冤罪審理とかの違うところで発揮して欲しいものだ。
というよりも、K地裁が弁護人席前のベンチを撤去しているのだから、どうせ横睨みするならK地裁を横睨みすればいいものを、ダメな方に合わせて組織的人権侵害を恥と思わない。これでよくも「司法に対する国民の信頼」とか口にするなぁと思う。「人権よりも業界慣行を守ります!」をcatch phraseにすればよい。

(註)くだんのK地裁について、インターネットニュースで流れている法廷撮影を参照して、確かに弁護人前のベンチが無い法廷構造であることを確認出来た。そのうち、実名を挙げられるように思う。⇒(6月8日追記)本欄本年6月7日付け記事を参照されたい。

(弁護士 金岡)

 

交通反則事件における「一件記録」閲覧のその後

本欄本年1月3日付けで、交通反則事件における「一件記録」閲覧について報告した。要するに、過失運転致傷罪の捜査と、同一の事実関係を前提とした交通反則事件とが同時並行で進行したため、交通反則事件における「一件記録」閲覧により、過失運転致傷罪の捜査弁護における防御活動が格段に進展したという流れである。

この事案は、事故当時の被害者が立位であったのか路上に横臥していたのかが争点になり得るものであったが、一件記録を閲覧できたため、確信を持って「事実認定」出来、当該認定事実を前提として過失論を展開し、それなりに具体性のある不起訴申入書を作成することが出来た。
結果、本年3月、不起訴処分になった。

不起訴処分を受けた返す刀で、交通反則事件の打ち切りを求めた。
刑事事件が(起訴猶予ではない)不起訴処分になったのであれば、最早、交通反則事件において過失責任に問うことは無理があるだろうし、合一確定の観点から不相当である、ということを強調した。
その結果、6月に「除外手続」なるものがされ、要するに注文通り、手続が打ち切られることになった(書面は出ないとのこと・・そういえば以前にも手続打ち切りを経験しているが、その時も電話一本で済まされた記憶である。想定される処分の重さに比して、実にいい加減な事件処理ではある。)。

捜査段階において一件記録が開示されれば、充実した捜査弁護が行え、無用な起訴を阻止できる。社会生活において不可欠というべき運転免許の得喪も、刑事事件の結論が出た後、その結論に合わせて行うべきと指摘できる。(そういえば最近、刑事事件で無罪になった事案が行政では有責判定されたとの報道があった。民事で結論が変わるならともかく~民事と刑事では過失の捉え方自体が異なるという裁判官の論文すらある~、同じく公法系の事件で(証拠関係共通である限り)結論がわかれるのは、制度不備では無かろうか。)

交通反則事件へも弁護人が介入することの重要性、事件処理の順番を違えさせないことの重要性、捜査段階における一件記録開示に(事案ごとであるとしても原則的に)弊害が見出せなかった事例の追加、といった、前向きな教訓を見出せた事例であった。

(弁護士 金岡)

「山田耕司論文」余話~鬼頭論文の紹介~

本欄本年5月29日付け、31日付けで掲載した山田論文批判は、幸い、それなりに読まれたようである(といっても刑事弁護を日常的に丁寧に行っている層には当然すぎることしか書かれていないが)。

さて、同論文で言及された「公判前円滑化チーム」に参加されていた鬼頭治雄弁護士が、山田論文に対する意見を公表されたので、ここに紹介しておきたい。
https://www.kt-law.jp/wp/13508/c-essay/c-essay-keiji/

鬼頭弁護士は、言うまでもなく名古屋を代表する刑事弁護士である。
そのお立場からも、やはり山田論文は刑事弁護に対する無理解が酷すぎる趣旨に整理して指摘されている(特に4項)。曰く、「弁護人の仕事は、決して被告人の不確かな記憶に基づく言い分を垂れ流すことではない(ということが正しく理解されていないのではないか)。」、「証拠開示が弁護活動の反対尋問にとってどれだけ重要かについての無理解」等々である。

興味深いのは、望ましくない整理手続の長期化を、(山田論文のように、手抜き弁護を推奨し、被告人の犠牲の上に成立させるのでは無く、)どのように回避するかの処方箋である。
鬼頭論文5項では、①判事検事の大幅増員、②弁護人の専門化、③法曹一元的に裁判官が弁護の性質に対する理解を深めること、が掲げられ、更に3項で、④整理手続における整理に過剰な期待を抱かず、生き物である裁判の性質に委ねる方が良い、ということが指摘されている。

①について、判事の不足は、山田論文を整理手続全般の在り方の見地から批判した私の整理の文脈からは出てこないが、現実問題、裁判員裁判が非対象事件の審理日程を窮屈にしており、「そこ2か月は通常事件の尋問が入らない」的な露骨な選別が行われている現在、大事な視点であろう。
検事の不足についても、経験する限り、整理手続を停滞させているのは、(山田論文で言われていたような)納期感覚の無い弁護人の所業では無く、弁護人の類型証拠開示請求や証言予定開示請求に対してまともな対応が出来ず、2か月3か月と手続を空転させてしまう検察官の方に責任がある(少なくとも私の経験において、私が納期感覚なく時間を浪費しているという認識はないし、そのような批判を受けた記憶もない)ので、検察官の増員も必要である。

②についても、残念ながらそのとおりと言わざるを得ないのが現状だろう。
例えば先日も、起訴から1年が経過し数名の尋問が進んだ非対象事件を(いわゆるヤメ検弁護士が主導する弁護団から)引き取ったのだが、なんと請求証拠開示以外の証拠開示が一切無いまま進んでいたので、絶望的な気分になった。
仮に神の如き見通しで的確なケースセオリーが構築できたにしても、「もしかしたらそれを台無しにする証拠が検察官手持ち証拠に潜んでいやしないだろうか」という点検作業を怠ることは、「プロなら」考えられないのだが、このような弁護人に刑事弁護を担わせることは、無免許運転さながらの危険さである。山田論文の批判は、極めて真っ当な、推奨されるべき刑事弁護の否定と、手抜き弁護の慫慂に向けられているため、本題からは逸れるが、刑事弁護士の専門化は、弁護士会に突きつけられた課題であろう。

③について、ちょっとでも刑事弁護の現場で辛酸を舐めれば、山田論文のような馬鹿げた発想は出てこないはずなので、無論、有意義である。

ところで④は、整理手続の肥大化に対する批判であろう。
整理手続が肥大化して、公判が儀式化することには、夙に批判が向けられている。
そのことは私も承知している。
しかし、裁判が生き物であり、生き生きとした劇的な法廷を志向する向きからの批判を承知で言うと、整理手続段階で反対尋問事項及び弁論が完成されなければならず、公判は、それを取り漏らし無く一気呵成に審理を遂げるべきという現代の弁護実践からすれば、整理手続の肥大化は宿命的であるようにも思う。整理手続でがっちり争点が固められ、検察官は勿論、裁判所によっても「ちゃぶ台返し」がないからこそ、安心して一気呵成の審理に突き進めるのである。
証拠開示の充実自体は、私の示した処方箋その1のとおり、全面証拠開示等で賄えるとしても、集中審理の前提たる争点整理がそこそこで閉じられることは、弁護活動に不測の危険をもたらすため、違和感のある発想であり、更に議論を要するように思われた。

(弁護士 金岡)

山田耕司裁判官による名古屋の刑事弁護批判について(2/2・完)

前回に引き続き山田論文の検討を行う。

(具体的検討その4)
【指摘④】公判前整理手続の長期化問題について、名古屋地裁特有の問題として・・早期の弁護方針の明示に消極的で、弁護人が類型証拠開示を全て終え、開示を受けた証拠全部の検討が終わるまでは、暫定的なものも含め、予定主張を明示をせず、弁護方針もいわないなどというスタンスに固執する弁護人がかなり存在していた。
(中には、被告人や共犯者の録音録画を被告人に見せないと主張明示しないとまで述べる弁護人までもがいた)
さらに、専門的知見が必要な事件については、専門家の意見を聴取してからでないと、予定主張明示や証拠意見の提出もできないという弁護人も多い。

1.第1段落
前回、指摘①に対して述べたとおり、原則的に、攻撃防御方法が明確に固定される前の段階、或いは公判に顕出され得る全事情を把握する前の段階で、予定主張を提出する余地はないのが論理的帰結である(従って、この原則を解除するには、より多く利益が得られる場合に限られる)。
「弁護人が類型証拠開示を全て終え、開示を受けた証拠全部の検討が終わるまで」予定主張を明示しないというのは当然であり、類型証拠開示を終える前、あるいは開示を受けた証拠が未検討のまま、予定主張を出すことは不可である。
山田論文は「暫定的なもの」であれば出せるのではないかと言いたげである。そのような訴訟指揮を目にすることも往時はあった。しかし、「暫定的なもの」を出したところで、その後に変更される可能性が高いなら、その上に整理手続を積み上げるのは無謀(手続法は手続の積み重ねであることを理由に、条件付き訴訟行為を否定するなどの共通理解がある)であり、無意味どころか手続を錯雑化させる(更に「予定主張の変遷」を足がかりに弾劾を試みる検察官、それを制止しない裁判官にあたっては目も当てられないことになる)。「暫定的なもの」を提出することは、不必要不相当であることを知るべきである。

2.第2段落
「被告人や共犯者の録音録画を被告人に見せないと主張明示しない」ことは、「とまで」と強い調子で批判されている。
しかし、例えば山田裁判官御自身が、共犯事件で逮捕勾留・起訴され、共犯者の調書をみて「罪をかぶせられている」と仰天した場合、どうだろうか。調書が取調官の作文で、実際の録録では共犯者が相当抵抗していた痕跡があるかも知れない。その検討を、さしあたり弁護人に委ねたとして、「まあ大体、普通だったよ」とか言われて、納得できるだろうか。少なくとも、自分でしっかり検討したいという層がいてもおかしくないだろう。
弁護人は専門家の目から隈無く検討するが、そうはいっても沢山ある事件の一つであり、自分の人生がかかった一つの事件に取り組む依頼者の熱心さには及ばないだろう。依頼者が自ら検討する権利は当然であり、その検討が尽きるまで、基本方針(上記の場合であれば、共犯者の意図的な虚偽供述を防御対象とするのか、調書化されていない生の供述を活かす方向で方針を組み立てるのか)が立つことは無い。基本方針が立たない時点で、予定主張を出せないのは蓋し当然である。
被告人が、人生のかかった防御を尽くす権利があるという刑事裁判の基本が分かっていれば、このような無理解を晒すことはなかろう。このような無理解の露呈は、山田裁判官の三十数年間の裁判が、実は被告人の防御権を軽んじた上に積み上げられていたのではないかとすら疑わせるものである。

3.第3段落
専門的知見が必要な事件については、専門家の意見を聴取してからでないと、予定主張明示や証拠意見の提出もできない、というのは、余りに当然である。
検察官請求証拠である精神鑑定や交通工学鑑定について、争うのか「乗る」のか、それは、専門家の意見を踏まえなければ決定しかねる。
「被告人は事件の筋書きを決定できるのではないか」、これも往時は時に見受けられた指摘であるが、弁護人は、全証拠関係に基づき、あるべき合理的疑いを独自に指摘しなければならない立場であるので、全く当たっていない。極端な話、本人が認めると言っても、証拠が足りていなければ合理的疑いありと指摘しなければならないからである。
もし山田論文の指摘が、専門家を訪ねて証明力を吟味しなくとも結論は被告人が持っているのではないかという含意であるなら、利益原則や、弁護人が独自に争点形成することをも期待されている、ということを理解していないものである。

(具体的検討その5)
【指摘⑤】(公判前整理手続の長期化要因として)名古屋の特質の1つともいえる弁護方針明示の遅れに関する名古屋の実情について、❶(指摘④と同じなので割愛)、❷弁護人が全部不同意意見を述べるなどの硬直的な弁護方針を示した事案、❸弁護人において追起訴が終わるまで弁護方針を明示しなかった事案、❹(被告人属性の問題なので略)、❺弁護人から提出された予定主張記載書面の内容が希薄で、争点や証拠の整理に資するところが少なかったために、その後の手続が遅延した事案がある。

1.❷について
不同意意見は、要するに反対尋問権を放棄しないという意味合いであるが、憲法上の権利を放棄する局面であるから夙に慎重さが求められる。平たく言えば、同意する理由がなければ不同意とするのが原則である。勿論、同意する理由には、有利に援用したい場合のみならず、不利でも前提にせざるを得ない場合もあるが、それすらも弁護方針全体の中で決定されることであるから、例えば「弾劾の目処は立たないが、自滅する方に賭けて」不同意というのも一つの方法論である(事実、法廷で証言を聞いて、反対尋問するまでも無いくらい後退するということは珍しくも無い)。要は、供述証拠には様々な誤りが混入しうるのであるから、具体的見通しが立たなくとも内容を前提に出来ないという一点での不同意も有り得る。
結局、全部不同意意見が、一律おかしい、硬直的だということにはならない。原則が不同意から始まるという理解が裁判所側にどれほど浸透しているかは分からないが、硬直的だという批判は浅はかに映る。

2.❸について
追起訴が終わる前に、類型証拠開示等の所要の防御活動が尽きていることは先ずありそうにも無いので、原理的に、追起訴が終わる前に予定主張を出すべき局面が到来していることはありそうにもない、というのが一点あるが、その点はおいても、関連事件や関連証拠の全体像を把握する前に弁護方針が確立することは有り得ないのだから、追起訴完了前に予定主張を出すことなど、あってはならない。
山田論文の指摘が、関連事件の追起訴を念頭に置いたものか、全く関係の無い別件の追起訴を念頭においたものかは分かりかねるが、どちらであれ、追起訴分の事実関係や証拠開示が先であることは動かない。
追起訴が終わるまで弁護方針を出さないことを批判する方がどうかしている。

3.❺について
「弁護人から提出された予定主張記載書面の内容が希薄で、争点や証拠の整理に資するところが少なかった」という指摘は抽象的なので、直ちに何とも論評しがたいところではあるが、少なくとも指摘されるべきは、弁護人にとっての争点整理、証拠整理は、「争点の絞り込み」「争いがない事実を増やしていく」ようなものではない、ということである。
繰り返し指摘しているとおり、攻撃防御方法を確定し、防御方針が確立すること、それが弁護人にとっての全てであり、そこに至れば必要十分である。従って(いつぞや一審強で発言したことがあるが)「公訴事実は争う」という予定主張でも、成立するときは成立する。そして検察官は「公訴事実を全部立証しなければならない」という、当たり前と言えば当たり前のことを要求されるだけだから、文句を付けられる筋合いでは無い。
「争点の絞り込み」「争いがない事実を増やしていく」ことが、攻撃防御方法を確定し、防御方針が確立する上で有用ならばそうすればよいし、有用で無いならそうする必要も無い。山田論文の前記指摘が、争点の絞り込みや争いのない事実を増やすことに消極的な弁護批判であるなら、これまた、全部不同意意見批判と同様に浅はかである。

(具体的検討その6)
【指摘⑥】名古屋地裁では、長期化するような事案で、弁護人から争点及び証拠の整理に必要かつ十分な主張が出てきたことは余り多くないのが実情であった。
・・特に弁護人において納期意識が低い上に(時間を度外視して自分が納得行くまで検討し書面を作成したいというマインドが強いように感じている)、迅速に裁判を行おうという意思が低く・・。

第1段落が指摘として失当であることは既に述べている。
第2段落は、更に読むからにおかしい指摘である。
「納期意識」が、決められた期限を守らない、ということであれば、それは擁護しない。しかし、山田論文の指摘は「時間を度外視」とあるので、迅速な裁判より、時間をふんだんにかけてでも納得行く弁護方針の確立を優先させる姿勢を批判しているものであろう。
その前提であるが、「検討不十分なまま拙速に進める弁護人」と「時間はかかっても万全の準備を行う弁護人」のどちらが正しいだろうか。・・裁判所に分かりやすく言えば、「検討不十分なままいい加減な判決を下す裁判官」と「時間はかかっても隅々まで目配りした判決を下す裁判官」のどちらが正しいだろうか。
私が被告人であれば、どちらか選べというなら、速度重視でいい加減な判決を書く裁判官はお断りだし、速度重視で準備不足の弁護人もお断りだが、山田裁判官にとっては、どうやら、いい加減な裁判官、弁護人の方が歓迎すべきと言うことなのだろう。
・・全く理解ができない。被告人が、人生のかかった防御を尽くす権利があるという刑事裁判の基本が分かっていれば、納期意識なるものを持ち出し、納得行くまで検討を行おうとする弁護人を批判するような不見識をさらけ出すことも無かろうに、と感じる。

(終わりに)
以上、駆け足で検討してみた。
犯人性を争う重大事件で、ものの9か月で準備を終えろとか(指摘②)、証拠請求を積極的に進めて開示証拠を全部検討する前に予定主張を出せとか(指摘③)、依頼者がじっくり証拠を検討する前に予定主張を出せとか(指摘④)、専門家の意見を得る前に予定主張を出せとか(指摘⑤)、誰がどう聞いても理解に苦しむような指摘に、得るものは全くなかったと言い切れる。
この甚だ誤った理解の上に、整理手続長期化に対する処方箋を示されても、しょせん正しいものになるはずは無い。

私の中で、整理手続が長期化していると感じる時がない、というわけではない。いや寧ろ、整理手続に時間がかかりすぎるとうんざりすること屡々である。
それへの処方箋は3つある。

第一に、全面証拠開示である。類型証拠開示という、まだるっこしい無駄な作業が、半年一年と時間を浪費する。あるかないか、回答を引き出すだけで数ヶ月以上、空転することとて珍しくない。未送致記録を含めて、捜査機関が得たあらゆる情報を、継続的機械的に記録に残し(つまり「かつて存在したことに争いの無い情報」が本当に削除されたかどうかという不毛な論争に時間を費やさせるようなことをなくし)、自動的に弁護人に開示すれば、大幅短縮が可能なことは請け合いであるし、開示されるべき証拠が開示されることに弊害も無かろう。
第二に、刑事施設における打合せ環境の改善である。被告人側に、パソコン等の整理や備忘に有用な道具を使えるようにする、ブルーレイ等の再生環境を整える、弁護人とのメール通信を可能にするといった、現代社会において当たり前の打合せ環境を用意するだけで、随分と円滑に進むようになるだろう。石器時代宜しく、ペンと付箋、文通、動画はアクリル板越し・・ということをやらされていては、遅々として進まないのも当然である。
第三に、弁護人により強力な証拠蒐集手段を与えることである。検察官からの開示以外では、弁護士会照会や公務所照会など、断られるとどうしようも無くなる収集手段しか無い(私の経験上、この5年で弁護人の求めに応じ令状が出たことが4回はあるが、おそらく、最も多い方の部類であろう)。集まるべきものを集める手段に乏しいことが、長期化原因となっている。
以上について、弁護士側に異論は見ないと思う。

山田論文における批判の方向性、処方箋が、全く違うことに驚かされる。それはとりもなおさず、前回1/2冒頭で指摘したとおり、(名古屋の地域性どうこうの問題では無く)刑事弁護のことをなにも理解されていないことの表れである。先の「共犯者の録録」の件を例に取れば、「そんな打合せが本当にいるのか」に疑問を持つのではなく、アクリル板越しに弁護人に見せて貰わなければ必要な検討が出来ない環境にこそ、疑問を持つべきである。本当に現場を知らないなぁと言う溜息しか出ない。

(2/2・完)

山田耕司裁判官による名古屋の刑事弁護批判について(1/2)

(はじめに)

山田耕司裁判官執筆の判例時報2586号「裁判員裁判の歩みとこれから(2)」において、名古屋の刑事弁護に対し強い批判がされており、「最早これは褒め言葉だろう」という揶揄までされていると仄聞した。
そもそも名古屋の刑事弁護にこれといった型式があるわけではなく、少なくとも私が名古屋の刑事弁護の標準を画しているとは露ほども思わない(もしそうだったら、どんなにか楽になることかとは思う)のだが、それなら読んでみようかと手に取ってみた。

連載(1)によると、6回連載の意欲作とのことなので、中途半端なところで批判するのも宜しくないのかも知れないが、くだんの連載(2)を見る限り、約34年の裁判官の御経歴をして、刑事弁護のことを全く理解されていない(別に驚かないが、修辞的に言えば)驚きの内容だったので、この時点で本欄で取り上げても良いと判断した次第である。

以下、関心の向くままに取り上げたい。
なお、本稿の主題はあくまで、論文中の(名古屋の)刑事弁護批判が無理解にして的外れであることを指摘するところにあるので、それ以外の部分の論旨の妥当性は問題としていないことを予め断っておく。
取り上げる項目は、以下の指摘6点となる。

【指摘①】(予定主張の提出において)早々に手の内を明らかにするのを良しとしないという古い戦術に拘泥する困った弁護人もいる。

【指摘②】岐阜地裁では、犯人性が争われた重大事件でさえ、起訴後1年以内に第1回公判期日が入っている。岐阜の弁護人は協力的であったため、長期化せずに済んだが、名古屋地裁ではそれを望むべくもなかった。

【指摘③】特に名古屋地裁では、証拠開示請求を積極的に進め、開示証拠を全部検討した上でなければ、予定主張を明示しないという態度を頑なにする弁護人が多い。

【指摘④】公判前整理手続の長期化問題について、名古屋地裁特有の問題として・・早期の弁護方針の明示に消極的で、弁護人が類型証拠開示を全て終え、開示を受けた証拠全部の検討が終わるまでは、暫定的なものも含め、予定主張を明示をせず、弁護方針もいわないなどというスタンスに固執する弁護人がかなり存在していた。
(中には、被告人や共犯者の録音録画を被告人に見せないと主張明示しないとまで述べる弁護人までもがいた)
さらに、専門的知見が必要な事件については、専門家の意見を聴取してからでないと、予定主張明示や証拠意見の提出もできないという弁護人も多い。

【指摘⑤】(公判前整理手続の長期化要因として)名古屋の特質の1つともいえる弁護方針明示の遅れに関する名古屋の実情について、❶(指摘④と同じなので割愛)、❷弁護人が全部不同意意見を述べるなどの硬直的な弁護方針を示した事案、❸弁護人において追起訴が終わるまで弁護方針を明示しなかった事案、❹(略)、❺弁護人から提出された予定主張記載書面の内容が希薄で、争点や証拠の整理に資するところが少なかったために、その後の手続が遅延した事案がある。

【指摘⑥】名古屋地裁では、長期化するような事案で、弁護人から争点及び証拠の整理に必要かつ十分な主張が出てきたことは余り多くないのが実情であった。
・・特に弁護人において納期意識が低い上に(時間を度外視して自分が納得行くまで検討し書面を作成したいというマインドが強いように感じている)、迅速に裁判を行おうという意思が低く・・。

(具体的検討その1)
【指摘①】(予定主張の提出において)早々に手の内を明らかにするのを良しとしないという古い戦術に拘泥する困った弁護人もいる。

「早々」と「手の内」の具体的な内容が分からないので、なんとも言いかねるところではあるが、指摘④に関する氏の論調では、前掲の通り「類型証拠開示を全て終え、開示を受けた証拠全部の検討が終わるまで」予定主張を出さない弁護人はけしからん、「被告人や共犯者の録音録画を被告人に見せるまで」予定主張を出さない弁護人はけしからん、「専門的知見が必要な事件については、専門家の意見を聴取してからでないと、予定主張明示や証拠意見の提出もできない」弁護人はけしからん、というのだから、上記のように「けしからん」弁護人は、「早々に手の内を明らかにしない」「古い戦術に拘泥する困った弁護人」ということになるのだろう。

詳細は後述指摘④のところで取り上げるが(従って「2/2・完」に譲る)、例えば第三類型の、「専門的知見が必要な事件については、専門家の意見を聴取してからでないと、予定主張明示や証拠意見の提出もできない」弁護人が、「古い戦術に拘泥する困った弁護人」でなく、周到な下調べの上に明確な弁護方針を確立する、理想的な弁護人像の体現であることは、論を待たない。
それを悪し様に批判している時点で、無理解を露呈していること明白であり、この論文に読む価値はないだろうと感じざるを得ない(なので仕方なく読んでいる)。

刑事弁護の本質は、弾劾である。弾劾というのは、取りも直さず、攻撃防御方法が明確に固定化されてからで無ければ行い得ない。従って、攻撃防御方法が明確に固定される前に弾劾方針を提示すると言うことは、その本質と相容れない。「早々に手の内を明らかにするのを良しとしない」というのは、本質的に矛盾した批判であろう。
また、弾劾のケースセオリーを確立するためには、およそ公判に顕出され得る全事情を把握しなければならない。予定主張と弾劾のケースセオリーとは同一では無いにせよ、共通性がある以上、予定主張は公判に顕出され得る全事情を把握した後で無ければ提出し得ないのが道理である。山田論文は、この道理に悖る。

判例時報誌という定評のある全国誌に、このように、刑事弁護の本質と矛盾し、道理に悖る主張が掲載されるということこそ、困った事態である。勉強の足りていない初学者が真に受けると弁護過誤が量産されることになる。

(具体的検討その2)
【指摘②】岐阜地裁では、犯人性が争われた重大事件でさえ、起訴後1年以内に第1回公判期日が入っている。岐阜の弁護人は協力的であったため、長期化せずに済んだが、名古屋地裁ではそれを望むべくもなかった。

「犯人性が争われた重大事件」で、起訴後1年以内に第1回公判期日が入っているということは、逆算して起訴後9か月もせずに公判前整理手続が終結しているということになる。「9か月」が一概に有り得ない数字かどうかは知らないが、私の(山田裁判官には大きく劣るものの)20年余りの刑事弁護実践に賭けて、「短すぎる」とは言える。

起訴後一月で、検察官の証明予定と請求証拠が出る。
これに対する類型証拠開示請求を起案するのに3週間。
これに対する検察官の回答に3週間。
謄写して打ち合わせして、検討して足らざるを補うに4週間。
ここまでで既に3ヶ月半が経過している。
もし仮に、類型が一先ず尽きたと仮定して(余りありそうに無い仮定である)、集まった証拠に基づき、弁護側の問題意識を検証していくのに、現地に行ったり、実験したり、専門家を訪ねたり、調べ物をしたり・・民事の「通常期間」ですら一月が標準であることを考えると、数ヶ月を要求しても問題はあるまい。
以上合計で7か月。
犯人性を争うとなれば、証人尋問は不可避だろう。証言予定開示を開示させるのに一月。その内容に対し、類型証拠開示請求が必要になる。ここら辺までくると裁定請求に発展する案件も出てこよう。

・・あらゆる準備が理想的かつ、紛糾せずに進んだ机上の空論ですら、9か月に押さえることは少々、手に余る。そして現実は絶対にそうならない(公務所照会一つで半年以上、止まってしまう事案とて珍しくもなんともない。近時では、膨大なデジタルデータを含む証拠があり、その有効活用を模索すると、それだけで数ヶ月がかりとなることも稀では無い。)。
「岐阜地裁では、犯人性が争われた重大事件でさえ、起訴後1年以内に第1回公判期日が入っている」と褒めそやす前に(刑事弁護的には「馬鹿にされている」というべきであろうが)、その弁護活動が、手続として必要にして十分なもの、(事案の軽重に貴賤など無いのであるが)一分の隙も無いものであったと言えるのか(もしアリバイ主張の事案だったとすれば、被告人のスマートフォン端末を隅々まで総点検するくらいのことはしたのか等)を検証する方が先であろうと憂慮する。

ともかく、起訴後1年以内に第1回公判期日が入っているのが当然みたいな物言いも前同様、弁護過誤を量産するだけの謬見である。

(具体的検討その3)
【指摘③】特に名古屋地裁では、証拠開示請求を積極的に進め、開示証拠を全部検討した上でなければ、予定主張を明示しないという態度を頑なにする弁護人が多い。

読むからにおかしな一文である。
「証拠開示請求を積極的に進める」・・当然推奨されるべきことである。
「刑事証拠を全部検討した上で予定主張を提出」・・当然推奨(以下略)。
当然推奨+当然推奨=「頑なな弁護人」??
プラスとプラスを足し算した筈が、何故かマイナスになるという。中学1年の課程を終えれば、このような計算間違いはしなくなりそうなものではあるが、甚だ謎である。

言わずもがなだが、証拠開示を受けながら、開示証拠を全部検討することもなく予定主張を出す弁護人がいるとすれば、手抜き弁護としか言い様がない。そこに擁護の余地はない。なにが頑ななのか、さっぱり分からないので、これ以上、批判するのも難しい。

(2/2・完に続く)

(弁護士 金岡)

手抜きと予断まみれの裁判体

同じ系統の話題が続くが、今回も身体拘束にかかる裁判絡みの愚痴である。
これが偽らざる裁判の現場で起きていることだということを、しつこく言い続けるしかない事態なので仕方が無い。

それにしても、信じがたいことが続く時は続くものである。
(というか、同じ裁判体が次々と問題を引き起こしてくれる)

【1】
本欄本年5月11日付けでは、名古屋地裁刑事第4部の準抗告審の判断理由がひどい、ということを指摘した。同一事件で逮捕勾留を繰り返して濫用的であると主張したことに対し、一言も触れずに棄却することを繰り返しており、無能か無気力かは知らないがゴミ屑同然の決定書であると評価した。

本欄本年5月24日付けで報告した、断りも無く判断を翌日送りにして、さっさと帰宅してしまった連中も、同じ名古屋地裁刑事第4部の面々である(詳細は後述)。
書記官の不手際と言うことで謝罪されたが、私の意見としては、弁護人の主張に取り合うとか、その向こうに自由の回復を希求する生身の人間がいるということに思いの至らない、この部の方々らしい仕打ちだと思っている(謝罪させられた書記官は良い面の皮だと思う)。

【2】
更に更に、今回勃発したのは、「手抜きと予断まみれの裁判体」というべき事態である(それだけではないので報告事項は2つになる)。

この事件の被告人は、3度に亘り逮捕勾留されたことで、様々な合議体の判断を受けている・・と言いたいところであるが、第2次逮捕勾留以降は主に地裁刑事1部の裁判官が手分けして勾留したり準抗告を棄却したりし、第3次逮捕勾留以降は地裁刑事第4部の面々が手分けして勾留したり準抗告を棄却したりしている。
第3次逮捕勾留の勾留準抗告、勾留延長準抗告を棄却し、要するに「50日~60日」もの捜査の必要性を是認した合議体の、左陪席が、保釈の担当であり、その保釈却下決定に対する準抗告審の担当裁判官が、残りの2名+、第2次逮捕勾留当時活躍した地裁刑事1部の左陪席である、ということが確認出来た。
詳細は下表の通りであり、名古屋地裁刑事部には20名の裁判官がいるのに、7名で回している。

つい先日まで、「50日~60日」の身体拘束を当然視した裁判官3名(久禮、藤根、関和)のうち、1名(関和)が保釈を却下し、残り2名がその準抗告審を担当するとなれば、同僚どころか意見の一致を見た相手に厳しい判断は期待できず、結論は「お察し」であろう(先んじて残り2名の回避を申し立てたが当然無視された)。悪いことに、残り1名は新顔かと思いきや、第2次逮捕勾留で経験済みの左陪席を連れてくるというのだから、これはもう、わざとそうしていることが明らかである。
要するに、一から事件記録を検討する手間を省くために、「経験済み」の裁判官を集めてきて準抗告を担当しているわけである。
記録検討の手間が省ける理由は、先入観が既にあるからである。つまりこの準抗告審裁判体は、白紙の心証で臨むのでは無く、捜査当時の先入観を活用することを期待されて審理に臨んでいるのだから、結論が「お察し」の通りであるのは自明である。
これのどこが公正な裁判か、と思うわけである。

記録検討の手間を省くために、先入観を活用することを前提に意図的に編成された準抗告審裁判所・・おまけに先日まで同一事件で合議体を組んでいた面々。誰一人として、白紙の心証で虚心に事後審査してくれる等とは期待しないだろう。

第2次勾留決定     津島
接見等禁止決定     津島
勾留延長決定      吉田
勾留延長準抗告棄却決定 平手・津島・藤井
第3次勾留決定     平手
接見等禁止決定     平手
接見等禁止一部解除決定 津島
勾留準抗告棄却決定   久禮・藤根・関和
勾留延長決定      平手
勾留延長準抗告棄却決定 久禮・藤根・関和
接見等禁止決定     関和
保釈請求却下決定    関和
保釈準抗告棄却決定   久禮・藤根・藤井

 

小規模庁では日常茶飯事、という声もあるかも知れない。
しかし、裁判所の人的体制の前に被告人の憲法上の権利が後退を迫られるのはおかしいことである。そういう思考に馴らされたくは無い。

【3】
折角なのでもう一点、驚きの報告をしておこう。
今回、久禮・藤根+αの先入観裁判官3名に勿論、保釈不許可に対する準抗告を棄却されたのであるが、その理由の一節がこうである。

「本件事案の性質・内容、被告人と共犯者の各供述状況や関係性等に加え、今後の捜査の進展の見込み等も踏まえれば・・・4号所定の事由が認められる」

「今後の捜査の進展の見込み等」??
保釈許否の判断にあたり、「今後の捜査の進展の見込み等」が考慮されるというのはどういう意味なのだろうか。起訴された事件の捜査がこれから進展するということだろうか?それとも起訴されていない事件の捜査の話か?
どちらにせよ、もう全く理解すらできないでいるのだが、「保釈90」を編んだ時にも、(確認したわけでは無いが)「今後の捜査の進展の見込み等」なるものを考慮して保釈を不許可にしました、と述べた裁判例は見なかったと思う。
唖然とするほど異質で、これ真面目に反論しなければならないの?という思いでいる。

保釈許否の判断にあたり、「今後の捜査の進展の見込み等」が考慮される、などという珍答案を出されたなら、二回試験で不合格になるのがオチでは無かろうか。

(弁護士 金岡)

連絡も無く判断を翌日送りにする準抗告審

またか、という話である。
本欄で時々、取り上げる話題であるが、勾留準抗告審などの局面で、係属部が分からず、補充の書面を出そうにも出せないとか、判断が即日かどうかが分からずお迎え体制をどうするか判断が付かなくなり困る、ということは、そこそこ共有されている経験だろう。
幾つかの点で改善を求め、一定の成果が上がったことは過去に本欄で報告したことがあるが、所詮は人治の仕事なので、顔ぶれが変われば元の木阿弥、ということもある。

今回、保釈却下に対する準抗告を午後4時台に提出したが、その後、待てど暮らせど、何の連絡も無い。午後4時台の申立だと午後8時くらいの判断も有り得ると思い(往時は23時台に逆転許可決定が出たという経験もしたが、まあ最早、時代錯誤かも知れない)、電話連絡に神経を尖らせていたが、音沙汰無し。22時を回ったあたりで「帰りやがったな・・」と、諦めた。

そもそも係属部が分からなければ、連絡のしようもない。
連絡がとれれば、判断が翌日送りかも分かろうものなので、係属部が伝達されなかったのが第一の問題である(これは名古屋地裁全体の問題であるから、所長宛に抗議文を提出することにした。現所長は就任会見で「信頼される裁判所として、質の高い司法サービスを提供できるよう取り組む」と述べておられるので、係属部伝達網を直ちに作って下さるだろうこと請け合いである。)。
また、判断が翌日送りと分かれば、それはそれで(合理的な理由がなければ抗議するけれども、ともかく、)「今日の判断は無いので明日に備えて下さい」と、身元保証人に連絡して、緊張体制を解いて貰えるだろう(私も電話に神経を尖らせなくて済む)。自分たちはさっさと帰宅し、こちらには即日判断が有り得る前提での緊張体制を強いる、考えが浅いとしか言いようのない仕打ちである。自分たちの裁判が「人」を扱っているという弁えがあれば、このような考えの浅い仕打ちはしないのではないかと思われたので、係属部(名古屋地裁刑事第4部)に対し抗議文を提出した。

以下は、その締めくくり部分の転載である。

(転載)
第3 終わりに
先に述べたとおり、係属部が分からず補充資料の提出が出来ないとか、係属部と連絡を取る方法が無く困惑した、という経験は、刑事弁護人において少なからず共有されており、当職も、ことあるごとに、御庁に対しても改善を要求している(例えば、当弁護人が開設しているウェブサイトにおいて、後掲脚注の通り、2018年8月31日付けや2019年3月18日付けで公開しているもの参照)。
そのような経緯がある中で、今回、係属部の連絡すらなく、また、弁護人が深夜の連絡に備えて待機していたというのに断りも無く判断を翌日送りにして帰宅する、などという、防御権軽視も甚だしく、また、関係者への最低限度の礼譲すら弁えない事態が生じた。
身体拘束にかかる裁判は、裁判所の(権利では無く)責務であり、その向こうには、自由の回復を希求する被収容者や、そのために身を粉にする身元保証人らがいる、ということを少しでも認識していれば、今回のように、関係者を無視して自分たちだけさっさと退庁する、というような行為に出ようとは思わないだろう。
自由の回復を希求する被収容者や、そのために身を粉にする身元保証人がいることに思いが及ばず、書類を右から左に動かす程度の仕事に堕しているのではないかと感じざるを得ない。
よって、頭書の通り抗議する次第である。

(後日談)
抗議文を出してものの2時間で、「いずれも連絡すべきことを書記官が失念しておりました」という謝罪が入った。「秘書が秘書が」の裁判所版?という感じしかしないが、まあ、そういう謝罪があったということは記録しておこう。

(弁護士 金岡)

「弁護人席前のベンチ」を撤去させよう!

さるMLで話題の件である。
裁判員裁判では無い、且つ身体拘束中の事件で、被告人を弁護人の隣に着席させることは出来るかという趣旨の投稿に対し、私からは、「尋問が続くような事案では複数の経験がある」ということを報告したのだが、他の投稿者から「うちの地裁では全件そうなっています」という驚くべき報告がなされた。

仮にK地裁としておくが(高裁所在地では無い)、K地裁では、被告人用のベンチ椅子すらなく、弁護人席の並びに座席が用意されているのみ、という。
名古屋地裁では、弁護人席の前に被告人用のベンチがあるので、全く異なる風景が広がっていることになる。
驚くべきことである。

思い起こせば、被告人を弁護人の隣に着席させることには、その当事者たる地位に基づくという観点と、より実効的に弁護人の助言を受けるべき防御の観点とが主に強調されており、裁判員裁判を契機に裁判員裁判では身体拘束中の事件であっても弁護人の隣に着席できるようになったのは、前者の観点(但し「裁判員が先入感を持たないように」という裁判員目線の変則的な形で考慮され、被告人のためでは無い~被告人のためであるなら、裁判員裁判限定の議論に止まったはずは無い~)が強調されたからであろう。
歪んだ当事者的地位の保障の議論が進められた結果、非対象事件は取り残され、「非対象事件は従前のまま」という膠着状態に陥った。それへの突破口として、後者の観点、つまり防御の観点から隣で無ければならないという視点が(正しく私の実践例におけるように)強調され、その結果、尋問が続くような事案ではかろうじて認められるが、数十分で片付けられていくような事案では取り合われない、という状況に陥っているのだろうと思われる。

しかし、現状追認は同罪である。K地裁のように、被告人用のベンチ椅子すらなく弁護人席の隣が当然、という裁判所があるのであれば(本欄を掲載するに当たり、わざわざ確認してきて貰ったので、間違いの無いことである)、拘置所の戒護権なるものも最早、問題ではないことの証である。全事件で隣に座らせること、まったなしである。

(弁護士 金岡)

最近の勾留・保釈の話題(3/3・完)

前回「裁判書でも弁明せず」に倣って副題を付けるなら「極上のヒラメ」とでも題するのが良いだろう。悪い方の報告その2である。

事案は、平たく言うとA罪で保釈中、再犯によりB罪で逮捕起訴されたことに対する保釈請求が、抗告審で逆転却下された顛末と、その後の事態の推移である。言いたいことは沢山あるのだが、ここでは抗告審の判断理由、その後の受訴裁判所のヒラメ的対応に焦点を当てて報告する。

1月 受訴裁判所(単独)保釈却下
2月 同
3月 受訴裁判所(単独)保釈許可 ⇒ 抗告審で逆転却下(特別抗告棄却)
5月 受訴裁判所(裁定合議)保釈却下
以上のような経過を辿った。

(抗告審の判断理由)
ア 各原決定によれば、原裁判所は、次のような理由で、裁量により被告人の保釈を何れも許可したものである。(略)
イ (・・)その上で、各原決定は・・裁量保釈が相当である旨いういが、原裁判所は、同期日後である1月及び2月に各保釈却下決定をしているところ、それらの時点から各原決定時までにも、本件各事実に関する公判審理の進捗状況に変わりはなく、A罪の審理に関しても有意な進展があったとは見られず、結局、上記各保釈却下決定決定時から特段の事情変更があったとは認められないのに、裁量で保釈を許可するのが相当とした各原決定の判断は不合理であって裁量を逸脱したものというほかない。(名古屋高裁刑事第1部、杉山慎治裁判長、細野高広裁判官、谷口吉伸裁判官)

(検討)
このように、抗告審決定は、直接、3月時点の裁量保釈の適当性に切り込むのではなく、1月2月と裁量保釈が不適当であると判断した従前の却下決定時点から事情変更がないのに裁量保釈の判断を変更したことは違法だという、事情変更一本で抗告を認容した。
1月から起算すれば40日が経過し、更に身体拘束が長引いていることを事情変更と思うことの出来ない、傲慢な人間がいることに哀れみすら覚えるが(とても残念なことだが、全く驚きはない)、特別抗告も棄却され、親玉ぐるみでそうなのだから裁判所の体質としか言い様がなかろう。
ここまででも十分、悪い報告だったのだが。

(受訴裁判所は極上のヒラメ)
3月に保釈が逆転却下され、基本事件は審理から約1年を経て裁定合議となり、受訴裁判所は合議体に変更された。
5月の打合せ期日の機会を捉えて保釈請求に及んだ。
前回から更に40日ばかりが経過しており、事情変更としては十分でしょ、3月の時点で裁量保釈が適当という判断をしているのだから、というのが請求理由である。

これに対し受訴裁判所は、一転して裁量保釈を却下した。
そして、弁護人抗告に対する原裁判所意見として、わざわざ非定型の決定理由を起案して抗告審に提出している。
曰く、「・・(これこれの理由により)裁量保釈は相当ではない。」「なお、抗告審により取り消された3月の当裁判所の保釈許可決定が原裁判時の当裁判所の判断を拘束するものとはいえない」(名古屋地方刑事第6部、蛯原意裁判長、村瀬恵裁判官、塚本貴大裁判官)(なお、4月までの単独事件は村瀬裁判官に係属)

3月の時点で裁量保釈が適当だという判断をしていた以上、5月においても同様の判断を維持すべきであろう。同じ証拠関係に基づく限り、同じ判断でなければおかしい。勿論、上級審が当該判断を否定する判示をしたのであれば、それを参酌して上級審の判断に服する判断変更はあり得ようが、本件では詳しく解説したとおり、3月の抗告審は直接裁量保釈の適当性には言及していないから、受訴裁判所としては、特に駄目出しされていない3月の許可決定と同じ判断をすることが出来たし、そうしないなら、同じ証拠関係に基づくにも関わらず裁量保釈の適当性について判断を覆した理由を説明しなければ、裁判の信頼性に疑義が生じよう(同じ証拠関係なのに兵器で正反対の結論を導き、要するに御都合主義的な操作により裁判を弄んでいる)ところである。
しかるに受訴裁判所は、上級審から何も言われないうちから、自主的に裁量保釈の適当性について判断を変更して、抗告審の前回判断に沿う結論を導き、剰え、3月の許可決定には拘束されないのだから問題ないという非定型の弁明まで、提出した。
抗告審裁判所の傾向性は明らかであるから、判断を取り消される憂き目に遭わないよう、上級審の意に沿う決定を行い、あわせて抗告棄却に備えて材料まで提供する。その目線は憲法や被告人には向いておらず、ひたすら上級審に向いているのだなと実感する。
故に、極上のヒラメ、という評価になる。

(感想)
前回報告(2/3)の、裁判書でも弁明しない連中も大概だが、こちらもこちらで、俗悪な代物である。同じ証拠関係に基づき裁量保釈が適当だと判断した前回決定について、上でとやかく言われたわけではないけれども、率先して判断を変更する、などという矜持のないことをやっていて、恥ずかしくないのだろうか。せめて、前回と判断を違える具体的理由について説明しなければ裁判の正当性に関わり、恥ずかしい、という気持ちにはならないのだろうか。
少しでもその目線が憲法や被告人に向いていれば、こうはならない筈である。
普通の神経では、こんな裁判結果を連発されれば絶望するに十分であり、刑事事件にやりがいを見出せなくなること請け合いだと思う。

(弁護士 金岡)

勾留質問に立ち会えず

最近の勾留・保釈についての報告の途中であるが、先にこちらの話題を取り上げておきたい。

勾留質問に立会を申し入れるべきである、という弁護人実践は夙に語られるが、現状の実務においては全く取り合われない、と言えるだろう。

しかし私の経験として、在宅被疑者の勾留質問であれば立ち会ったことが二度ある。
在宅被疑者の勾留質問は、例えば勾留却下により釈放された後、結局は起訴され、その際に検察官が「在宅求令状」をしてくる場合が典型だろう。
なにしろ在宅被疑者なので、一緒に裁判所に着いていき、「私がいて、なにか?」という顔をしていると、勾留質問に立ち会えるという寸法である。
前記経験では、応接室のようなところに通され、一通りこちらから準抗告が認容されて釈放された経緯を説明すると、「じゃ、帰って良いです」という感じで終わった。

このように、在宅被疑者が勾留質問に弁護人を同伴することは全き自由である。これが一転して身体拘束中だと同伴できなくなる理論的根拠はどこにもないだろう。現在、裁判所が判で押したように「認めません」というのは、いやそもそも、裁判所に「認めない権利」などないと思われる(要求されるのは、排除できる法的根拠であり、立会権があるかないかではなく、議論のすり替えが行われている)ので、明らかに違法が横行していると考える。

さて、今回の報告は、「A罪で勾留されていた被疑者が、公訴事実の同一性を欠くB罪で起訴された」という場合である。
このような場合、A罪の勾留ではB罪の起訴後勾留が出来ないので、裁判所はB罪について勾留質問を行い、起訴後勾留するかを決定することになる。
理論的にみた場合、A罪の勾留最終日にB罪で起訴された被告人は、(A罪の勾留が24時まで可能なのか、不起訴処分とともに失効するのかは本題ではないのでさておくとして、)A罪では勾留中だが、B罪では在宅被告人である。
従って、たまたまA罪で代用監獄にお住まいであり、代用監獄職員による送迎を受ける待遇ではあるが、B罪との関係では、なにかしら強制的、一方的取り扱いを受ける立場ではないと言うことになる。
そこに着目すると、たとえ身体拘束中の被疑者が勾留質問に弁護人を同伴することを違法な公権力行使により強制的に排除して知らん顔の現在の裁判所実務を前提にしても、B罪の在宅被告人が弁護人を同伴することを強制的に排除することは出来ないはずである。
今回、そこに着目して立会を請求したが、裁判所は(身体拘束中の被疑者におなじみの)認めませんという対応に終始した。
前記の通り、B罪の在宅被告人である依頼者は、しかし、通常の身体拘束中の被疑者と同じように、裁判所構内の地下にある、辿り着くまでに二重に施錠された勾留質問室に連行され(B罪の在宅被告人である依頼者を手錠腰縄で連行することは違法だと思う)、弁護人が居座ろうにも通行できないので不可能である。
かくして、しれっと同席することも叶わないのであるが、こういう、理論的な説明も出来ないのに腕力で排除する、という事態は実に腹立たしい。腕力で排除されれば事前救済措置はないので、結局、国賠しかないのか?ということになる。それはそれで一興であるが。

(弁護士 金岡)

最近の勾留・保釈の話題(2/3)「裁判書でも弁明せず」

さて、悪い方の話題の紹介に移る。
事案は、本欄本年4月18日「抽象的な決定理由」で取り上げたものと同じである。
もう少し正確に書いておくと、

共犯者Aが被害者Xとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 共犯者Aが被害者Yとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 共犯者Aが被害者Zとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 間を置いて依頼者BがXとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 依頼者BがYとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 依頼者BがZとの関係で逮捕勾留(延長)
という、「一粒で6回/120日おいしい」身体拘束を裁判所が容認している案件である。
かの、「日本対チャペル事件」において「制限時間の潜脱」が手厳しく批判されてもどこ吹く風、被疑者ごとに事件を分断、被害者ごとに事件を分断、やりたい放題である。

本欄本年4月18日「抽象的な決定理由」では、B=Y事件の勾留延長準抗告に具体的な理由の欠片も見られないというお馴染みの現象を報告した。

今回は、B=Z事件の勾留、勾留延長準抗告を取り上げる。
上記の通り、弁護人の問題意識は事件を分断して身体拘束期間を潜脱する権利濫用(及び勾留延長準抗告においては「やむを得ない事由」の存否)にある。申立理由もそのように構成されている。
では裁判所の判断はどうか。

(勾留準抗告審の判断理由)
被疑者は住居不定であるほか、組織的常習性の強くうかがわれる事案の性質内容、被疑者の供述状況、捜査の進捗状況に加え、被疑者が逃亡していたことやその身上等によれば、被疑者が罪証を隠滅し、逃亡すると疑うに足りる相当な理由があり、勾留の必要性も認められるから、原裁判に何ら誤りは無い。(名古屋地裁刑事第4部、久禮博一、藤根桃世、関和寛史)

・・あれ?権利濫用の話はどこへ?
勾留しておく事情があっても権利濫用はダメでしょ?
裁判所は弁明せず、というのは「裁判書が全て」ということだが、「裁判書でも弁明しない」裁判所ではどうしようもない。

(勾留延長準抗告審の判断理由)
組織的常習性の強くうかがわれる事案の性質内容、黙秘する被疑者の供述状況や捜査の進捗状況に加え、その身上によれば、被疑者に対する処分を決するには、勾留を継続した上で相当日数を要する原裁判掲記の捜査を遂げる必要があることは明らか。(名古屋地裁刑事第4部、久禮博一、藤根桃世、関和寛史)

・・あれ?権利濫用の話はどこへ?
あと、原則的10日間(及び多重に展開された先行捜査)で「組織的常習性」とやらは十分に捜査され尽くしたと思うんだけど例外を許容すべき理由は??
もう全く、議論すらしてくれないという惨状である。「こんな悪い奴、捕まえておくよね」それしか言えないなら、裁判官要らないよな、と思う。

因みに、「相当日数を要する原裁判掲記の捜査」には、かれこれ50日、包括的に黙秘している被疑者の取調べも挙示されている。包括的黙秘を解除する見込みのない被疑者の取調べを「相当日数」やらなければ適切な終局処分が決定できないなら、永遠に適切な終局処分は決定できないはずで、それならとっとと釈放しなよ・・とまあ、突っ込み処満載である。

(総評)
とある法科大学院で長らく教鞭を執られている研究者が、「優秀な学生は裁判官になろうとしなくなっているのではないか」「裁判理由はコピペ満載」「裁判官が劣化している」との観測を示されていたが、上記惨状を見れば、あたっていると言わなければならないだろう。
少しでも自分の頭で考える能力があれば、被疑者ごと、被害者ごとの事件分断の権利濫用性について検討しようと思うはずだし、間違っても包括的に黙秘している被疑者取調べを延長理由に挙げようとは思わないだろうし、百歩どころか4万キロほど譲っても、弁護人の問題意識に対し説得的な説明をしようと試みるだろう。

何より、強度の人権制約を受ける被疑者に対し、「この勾留は憲法に照らして正当なものである」と伝えなければならないはずだ。この数十文字が、それに応えるものだろうか。能力が無いのか、気力が無いのか、その両方なのかは知らないが、このような身体拘束裁判が異常なまでに空疎な、ゴミ屑同然のものであることは、誰の目にも(除く、一定数の刑事裁判官)明らかだと思う。

勿論,弁護人は、不断の努力により、現状を変えようと努める必要がある。本件についても特別抗告を申し立てている。
最後にその一節を転記しておこう。
「付言するに、原決定と同一の裁判官3名は、本件の当初勾留決定に対する準抗告申立事件においても、全く理由を付さない決定を行っている。この3名に関しては、まともに裁判をする能力が無く、塵芥を量産しているという評価しか出来ない。」

私生活の行状で罷免どうこう言う前に、まともな裁判をする能力気力のない裁判官をどうにかして欲しいものである。勿論、憲法論として、裁判内容への干渉は裁判官の独立を害するから不可能である。憲法に守られ、国賠でも一般公務員より守られ、せっせと塵芥を量産する。随分と楽な商売である。

(弁護士 金岡)

最近の勾留・保釈の話題(1/3)

最近の勾留・保釈は?と尋ねて、良くなっているという声は先ず聞かれない。
我と我が身を振り返っても、「こういう裁判官は救いがたい」と結論付けるしかない現象にうんざりしてばかりである。

とまあ愚痴を言っていても始まらないし、後ろ向きの話題ばかりでもなんなので、取り敢えず少し前向きな方を一つ紹介し、あとはひどい事例を紹介していこうと思う。

さて一般に、前任が投げ出した、或いは前任では不許可だった保釈を、交代して実現出来た場合、一概には言えないがやはり技術的な違いも相応に影響しているだろう。本欄2021年12月12日「4日で逆転保釈に漕ぎ着ける」は、医師への取材により必要性の核となる手術の必要性についてきちんと疎明し、あっさり逆転に至ったものであるが、例えばそういうことである。

今回経験した事案も、2月に国選弁護人が保釈を請求して却下され、その後、こちらに相談が来て交代し、(大体2か月後の)受任後、すぐに保釈許可を得たものである。
事案としては累犯前科のある窃盗の否認事件であり、有罪なら実刑が確実である。前任当時、3号4号で却下されており、検察官の反対意見は「不相当却下」意見であった(前任弁護人は不服申立を行わず)。

この事案では、罪証隠滅自体はさほどでもないが、逃亡方面はやはりきちんとした手当が必要だろうと思われた。しかし前任は、極めて形式的な家族の身元保証書しか提出しておらず、(実際のところは分からないが記録からは)弁護人自ら家族と面談したかも判然とせず、また、家族は一度も面会に行っていない、という状況であったため、検察官は反対意見中でここを強調し、それはある意味、尤もな指摘でもあった。

後任としては、当然ながら家族に面会に行ってもらい、その上で家族と面談して状況を確認し、保釈された場合の生活見通しを具体的に聴取し・・という、まあ丁寧に普通のことをやっただけなのであるが、検察官は「事情変更がないので前回判断を維持すべき」とはいうものの、意見を「単なる不相当」に緩和し(こういう柔軟な検察官対応は見上げたものである)、また、反対意見の論調も「本当に見通し通りに家族が協調できるかは不確かである」といった、流石に為にする反対かなという程度のものになっていた。
結果、無事に保釈が許可され、検察官の不服申立もなかった。
前回却下から概ね50日が経過していた(但し第1回前のまま)。

経験的に、今回紹介した事案や冒頭の事案のように、強いところや弱いところを見極め、梃子入れすることで結論が変わることは、ままあることであり、ちょっとした手間を惜しまず手を尽くすべきことは当然である。
特に身元保証関係を手抜きする(「友達」は論外だし、「家族」であっても、面会にも来ないような家族を出しても意味は無い)のは、ありがちだが、一番まずい。身元保証関係を梃子入れするだけで結論が好転した事案は二度三度ではきかないくらいあり、身元保証関係で手抜きをする前任の仕事を見ると依頼者を気の毒に思う。

今回、幸いにも逆転に漕ぎ着け、検察官も相応に事情変更を酌んだ反対意見を出した、というのは良い事例報告になろう。
被疑者にとって、一日一日が身体拘束の長期化であり、状況の変化に敏感に、それを的確に疎明するのが弁護人の使命である。

(2/3に続く)

(弁護士 金岡)

岡口罷免事件について(朝日新聞デジタル)

朝日新聞デジタルに、岡口罷免事件のインタビュー記事が掲載された。
有料記事であるが、以下にURLを貼り付けておく。
https://www.asahi.com/articles/ASS521J5MS52UPQJ004M.html?iref=comtop_7_06

この問題の専門家を気取るつもりは毛頭無いが、前回本欄で取り上げた時(本欄本年4月11日)には「規範も大概であるが」と、「著しい」「非行」要件について定立された規範自体への検討を先送りしたところもあり、発言の機会を頂けたのはもっけの幸いと言うところである。

今回の記事を要約すると、
第一に、「非行」要件がふわっとし過ぎていること。
第二に、「著しい」の絞りが無いに等しいこと。
第三に、萎縮効果。
この辺を強調した。

「非行」要件即ち「一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」について、どうとでも当て嵌めが可能なことは指摘するまでもないだろう。現に、結果的に遺族を傷つけたのだから品位を害すると結論付けられている。判決で「被害者の証言は虚偽である疑いがあると言わざるを得ない」と書いた途端、被害者を傷つけた、品位を害した!という難癖を付けることも出来るだろう。これは勿論難癖だが、そういう使い方すら出来る規範だと言うことが問題なのである。

「著しい」要件は、「国民の信託に背反したか」基準が持ち出されたわけだが、「一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」である(つまり「非行」には該当する)のに「国民の信託に背反した」とは言えない領域はどこにあるのだろうか。そんな領域は通常想定できないから、この二つの要件は実質同義である。
故に、「著しい」要件により罷免の範囲を限定する必要があると言いつつ、児戯に等しい言葉遊びで何ら範囲限定が出来ていないのが今回の判決である。

このような要件論から必然的に、萎縮効果は大きいだろう。
公私を問わず、結果責任で「誰かしらを傷つけたから品位を害した」即ち「信託に背反した」という方程式が成立するとなると、危なっかしくて発言できない。
例えば現職裁判官が法律や裁判例を解説する動画に登場するのは有益だと思うが、面白おかしい表現を用いたり、毒のある表現を用いるだけで身に危険が及ぶなら(お通夜のような動画を見せられても面白くないのだから、表現方法の性質上、面白おかしさや毒も必要である)、誰もそのような割に合わない活動には加わるまい。とある現職裁判官がブログで「この程度の高裁部総括の民事部があることが誠に嘆かわしい」「(最高裁)事務総局は・・無能極まりない」等と強い調子で論を展開しているものはあるが、これはまあ、幾つかの点で例外に属しているから参考に出来ない。
現代においては、価値観が多様化し、何か言えば(完全な部外者からでも)強い反発が寄せられることは普通にある。そのような時代において私生活まで結果責任で縛る判決が登場したことは、実に時代錯誤であり、憲法の精神にそぐわない。

とまあ、こういうようなことを追加で話させて頂いた。
興味がある向きは御覧頂けると幸いである。

(弁護士 金岡)

滋賀いなり寿司事件に思うこと

少し時機を逸したが、誤認逮捕事例である滋賀いなり寿司事件について思うところを書いておきたい(私が何かしら関わりを持っているわけでは無いので報道による情報を基にしている)。

事実関係としては、
・店員が万引きっぽいところを見た、
・店員が警察に通報した、
・臨場した警官が防犯ビデオで万引きっぽいところを確認、
・鞄の中から、いなり寿司パックが出てきた、
・本人は知人に貰ったものと説明した、
という流れで現行犯逮捕になった。
その後の捜査で、
・知人が判明して知人が交付事実を追認、
・在庫管理から被害品が存在しないと判明、
という流れで約82時間の拘束で釈放となった、というものと把握した。
店員がどのような情報を警察に伝えたのか、在庫確認や知人の登場が時系列的にどのあたりかが分かると、尚更、考える材料になるのだが、現状ではこんなところである。

さて、複数の識者が指摘しているのは、そもそも現行犯逮捕要件が充足しているかということであり、現行犯逮捕という見解、準現行犯逮捕という見解、充足していないという見解が飛び交っている(こういう分野は裁判官の専門分野なので、分かり易く解説してくれる心意気のある裁判官がいると良いのだが、万が一にも品位を害したくないという例の重しがのしかかるだろうか)。
店員が現認して、目を離さないまま、警察が臨場して現認性を引き継いだのなら、準現行犯を持ち出さなくても現認性の方は良いだろうが、その場で防犯ビデオを確認したと言うから、(結果論として万引きバッチリの場面が映っているはずは無い以上)店員の目撃共々、肝心の実行行為を明白に認定できるだけの事実認定は不可能だったはずで、その一点において既に違法逮捕だろうと思われる。
寿司パックが出てきたとしても、それが売り場のものという同一性について、同様の議論が妥当する。結局、現行犯人性を満たさず違法逮捕である。

もう一点、(報道から推測するに)身元の確かな近所の高齢者、というところではないか、と思われるが、そうなると、逮捕の必要性があったのかも疑問である。
警察の主観において間違いなく現行犯なのに否認しているから逮捕の必要性がある、という、どうせいつもお馴染みの論理で、碌に検討(捜査)もしなかったのではないかと勘ぐりたくなる。

ところで、逮捕の適法性の問題はさておいて、個人的に気掛かり、かつ、見た範囲では特に識者から指摘がされていない点を2点、取り上げたい。

まず、約82時間の拘束で釈放となった、ということからすれば、勾留請求がされ、裁判所が勾留していたのではないか、ということである。現行犯逮捕事案だから令状審査機会はここしかなく、本人が盗品では無いと主張している、防犯ビデオもバッチリの場面ではない、という事案で、現行犯逮捕の適法性について裁判所はどのように審理判断したのだろうか、ということが非常に気になる。
結果論からいえば誤認逮捕であり、それを咎めるのは令状審査に期待された役割である。皮肉な言い方になるが、前線に立つ警察官が一定やらかすことは制度が予定しており(良いというわけでは無い)、それを是正するのが令状審査であるが、裁判所は今回、誤認逮捕を追認(勾留決定)したとすれば、そのことについてきちんと反省の場を設けているだろうか?
・・折に触れて指摘していることだが、裁判所は、裁判官の独立の意味を履き違えて、誤判原因を究明しようとしない。誤判原因を究明しようとしなければ、同じ局面で同じように間違うだけである。今日日、小学6年生でも同じ間違いをしないよう学ぶものであるが、何もしていないとすれば、その点では裁判所は小学校にも劣ると言わなければならないだろう。

もう1点。
当番弁護士はどうしていたのか、というのも気になるところである。
こちらは、出動要請がなければしょうがないことであるが、(歴史的事実として誤認逮捕だったわけだから)誤認逮捕とわかっている当の本人は、藁にもすがる思いで当番弁護を要請したのではないか、と。(もしこの事案で当番弁護の出動要請がなかったのなら、宣伝方法に問題があると言うことにならないだろうか)
出動要請があれば、82時間のうちの前半で弁護士が駆けつけ、帰りの足で知人とやらを探しに行けただろうし、悪くしても勾留の必要性のところを掘り起こして勾留に反対する意見書くらい出せただろうに、と思うのだが。
機会があれば、その辺も知りたいところである。

根本的に悪いのは、構成要件該当性において明白性が乏しいのに逮捕に踏み切った警察であるが、制度的に、それは想定されたことである(許容はされていない)。
これを是正する当番弁護士制度や令状審査があって、それが期待されたようには機能していない、とすれば、その原因究明が求められようところであるが、そういう指摘は見ないので、敢えて本欄で取り上げてみた。

(弁護士 金岡)

感情的な裁判官

民事調停の話題である。
市立高校の通学路沿いの住民が、生徒らが屯したりゴミを放置したりすることについて、校則の改正や警備員の常駐を求めて調停を申し立てたところ、自治体側(豊橋市)は一定程度の要望(駐車禁止の張り紙を増やすなど)には応じたものの、校則の改正や警備員の常駐については応じないとし、それが困難な事情があるなら説明して欲しいと要求したことに対しては「説明する気は無い」として不調を求めた(調停委員を介した情報)。

不調は予期されたことであったが、「(説明しようと思えば説明できるのに)説明する気は無い」とにべもなく対応されたことは流石に看過できず、後の国賠にも必要な事情になると判断して、「不調にするなら、(説明しようと思えば説明できるのに)説明する気は無い」という不調経過であることを調停調書に明記するよう求めた。

すると担当=柴田和也裁判官は、「豊橋市は個別対応出来ないということで不調にする」と、いきなり話を変えた上に、「(説明しようと思えば説明できるのに)説明する気は無い」という不調経過を残すことについては、「調停調書は調停合意を書くもの」「不調の経過は書かない」としてこれを拒否した。
更に、こちらが裁判官の対応が不合理であり、そういうおかしな発言を録音してでも対抗せざるを得ないと抗議したところ(現状、これは非違行為になり得るため、よほど顕著な正当化要素がない限り、やるものではないが)、「録音するなら大きな問題にするしかない」と連呼し続けるだけの機械と化し、最後は不調と叫んで電話を切られた。

同席していた当事者は唖然としたようで、「感情的で話も出来ない裁判官」「話し合いのプラットフォームがない」と嘆いていたが、同感である。思い通りにならないと、感情的にわめくだけの機械と成り果てるような裁判官が、市民の信頼を勝ち得ようはずもない。私的行状で国民の信頼に違背したと法曹界から追放してしまうような動きもあれば、恥ずべき喚き散らしもお咎め無しの裁判官もいる。なんたる落差だろうか。
都合の悪い調停経過は調書に記載しないとしてもみ消しにかかる点も、ひどい。手続経過は期日調書でしか証明し得ないところ、もみ消したい張本人に期日調書作成権限を与えては、手続監視が成り立たない。(という記事を書いている最中、今度は、さいたま家裁の裁判官に同じことをやられそうになった。手続を無理矢理打ち切るというので、その粗雑な訴訟指揮を全部書けと要求したら拒否・・じゃあ忌避するという話に発展したところで(電話会議で忌避は出来るのだろうか?)何とか翻意させたが、本来、監視を受けるべき権力行使主体に手続調書編集の絶対的な権限を与える仕組みは始末が悪い。)

調停が非公開であることを踏まえても、おかしなことはおかしなことだと公に示しておくことは重要であろう。本欄にて取り上げた次第である。

(弁護士 金岡)

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