古くから東アジアでもっとも読まれている中国の思想書といえば、儒家の始祖・孔子の『論語』が有名ですが、『論語』に勝るとも劣らない影響力をもつ書物が、中国にはもう一冊あります。それが道家の始祖・老子の書である『老子』です。「上善若水」「天網恢恢」「和光同塵」「小国寡民」といった『老子』の言葉は、現代日本でもよく知られています。
どちらも中国思想の中核をなす書物といわれていますが、二つの書物には大きな違いがあります。『論語』が、現実社会での道徳や技能の向上、出処進退のあり方など人間の生き方を中心に説いた人間社会学の書であるのに対し、『老子』は、人間の心のありようだけでなく、天地自然のなりたち、万物の根源についてなど、いわば自然科学的な視点から言及している点に特徴があります。
理想としてかかげる人間像も大きく異なっています、『論語』が、学びによって礼儀や知識を身につけることこそが人を育て、ひいては社会の発展につながる、と述べているのに対して、『老子』では、知識や欲望はできるだけ捨て去り、人と争わず、ありのままに生きよ、という正反対の生き方が提唱されています。
『老子』中に見られる思想は、春秋時代から戦国時代にかけて形成されたものと考えられています。その時代の中国は鉄器が普及し始めた頃でした。諸国の王は兵士に鉄製武器を持たせて軍備を整え、群雄割拠の乱世へと突入していきます。灌漑施設の開発や鉄製農具の普及によって農業も盛んとなり、生産性が高まるにつれて商業も急速に発展していきました。
これによって富や地位を得た人もいましたが、その一方で、急激な社会構造の変化と、それにともなって生まれた競争社会に、生きにくさを感じる人も増えていきました。そのような、時代の流れに取り残され、とまどっている人々に向けて、生きていくための処世術を教えたり、あるいは支配階層に向けて、不安定な時代に国をいかに治めていくかを提示する統治論として書かれたのが『老子』なのです。 過酷な競争に常にさらされているという点では、私たちが生きている現代社会は、当時の中国と似ているようにも感じられます。
近年の日本は、終身雇用、正社員雇用という、かつての安定した就業形態が崩れ、アメリカ的な実力主義、成果主義社会へと急速に様変わりを始めました。若者の中には就職もままならず、非正規雇用労働者になるしか道がなかったり、正社員であっても不況下の容赦ないリストラへの不安や、過酷な労働状況に苦しむ人が増えているようです。
「負け組」などと世間でいわれ、萎縮してしまう人も少なくありません。こうした社会的に弱い立場に置かれた人々の間で「心の処方箋」として『老子』を読むのが静かなブームとなっているようです。
たしかに「がんばらなくていい」「あるがままのあなたでいい」といった意味にもとれるメッセージが『老子』には数多く書かれています。ただ、研究者の立場から客観的に見ると、実際の『老子』には、たんなる「癒やしの書」としての面だけではなく、乱世をいかに生き抜くかの「権謀術数の書」という一面も、かなり色濃く存在しています。
そこからなにを読み取るか、どう読むかは読者のみなさんの自由です。天地自然の活動をじっくり観察することから生まれた『老子』の雄大で独創的な思想は、常識に凝り固まった人々の考え方を打破し、煩雑な日常のしがらみから人々の心を解放してきました。『老子』は私たちに、これまでとは違った視点からの「もうひとつの価値観、生き方」を提示してくれます。難解で敬遠されがちな『老子』ですが、そこには静かな必然ともいうべき自然の摂理に導かれた智慧がちりばめられています。この機会に、より多くの人に『老子』の思想に親しんでいただけたら幸いです。
蜂屋邦夫(はちや・くにお)
東京大学名誉教授
1938年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。東京大学東洋文化研究所教授を経て、大東文化大学国際関係学部教授を務め、2009年退職。専門は中国思想史、道教思想史。著書に『図解雑学老子』(ナツメ社)、『中国的思考儒教・仏教・老荘の世界』(講談社学術文庫)、『老荘を読む』(講談社現代新書)、『中国思想とは何だろうか』(河出書房新社)、『荘子=超俗の境へ』(講談社選書メチエ)、訳書に『老子』(岩波文庫)などがある。