──ガブリエル先生、はじめまして! 今日はよろしくお願いします。
マルクス・ガブリエル(以下・ガブリエル) はじめまして! じゃあ早速、希望について話しましょうか! こういうときでも、希望は持っていたいですからね。
──昨年3月にWHOがパンデミックを宣言してから、先生は世界のよい変化をすでに感じ始めていらっしゃいますか?
ガブリエル パンデミックが宣言されてすぐに人々のモラル(道徳)が進歩していると感じました。モラルとは、人間としてやっていいことと悪いこと、という分別ですが、その狭間にある巨大空間を私は「道徳的に中立」と呼んでいます。人間の行動のほとんどはここに属していて、つまり道徳に関係がありません。たとえば、私が箸で食事をとろうがフォークを使おうが、あるいは仕事に地下鉄で行こうが歩いて行こうが、道徳的なふるまいとは関係がありませんよね。道徳の進歩というのは、こうした道徳的に中立である行為が、あるきっかけによって道徳的な行為になることです。つまりパンデミックの初期から私たちは、マスクを着用したりすることで他者の命を守ることが、道徳的に絶対の義務であることを認識したわけです。これは間違いなく道徳的な進歩と言えるでしょう。さらにこれにブラック・ライブズ・マター運動が続いたのは、単なる偶然ではないと思います。ロックダウン下にあったすべての国で、こうした道徳の進歩があり、よりよい人間になろうとする動きが起こっています。
──パンデミックによって道徳が進歩したことで、ブラック・ライブズ・マター運動という人権問題が再燃したということですね。
ガブリエル これは自由とは何か、という問いにもつながります。たとえば人には、自分に対して行う分にはいいけれど、同じことを他者にやってはいけないということがありますね。つまり人間と人間の間には不可視な境界があり、もしその境界線を超えようとするなら、相手に許可してもらう必要があります。自分の自由の終わりとは、他者の自由の始まりである、というわけです。セクシュアルな行為に同意が必要であるというのと、まったく同じことです。
──マスクの着用も手洗いも、ソーシャルディスタンスを取ることもそうですね。
ガブリエル そうです。つまりパンデミックは、人間というグローバル組織の道徳的構造を明らかにしたのです。私たち一人ひとりの間には見えない境界があるんだ、それを超えるときには理解が必要なんだ、と気づいたわけです。そうして人間がより道徳的になっているということが、私がコロナ禍から得た最大の希望ですね。
一方で、道徳の進歩があれば後退もあります。ドナルド・トランプ政権下のアメリカにそれは顕著だと思います。あるいは北朝鮮のような全体主義のなかでは、道徳の進歩は起こり得ません。だから私の楽観的な見方にも限界はあるのです。パンデミック下では、たとえば私の日本人の友人の何人かが、ヨーロッパがコロナ対策に失敗したのは衛生水準の低さからだと指摘していました。そしてヨーロッパの人々は、アメリカに対して同じことを言っていました。皆が自分と相手を比較して、自分が優位であろうとしていたわけです。これは明らかに正しくない行為ですね。
──ひとつ気になるのは、多くの人が「ニューノーマル」と叫びながら、ワクチンや治療薬が開発されれば「元に戻れる」ことを実は期待しているんじゃないかということです。パンデミックによってもたらされた道徳的進歩が「元に戻る」ことは懸念されませんか?
ガブリエル 人々がこのパンデミックについて、まだきちんと理解できていないことがいくつかあると思っています。その最たるものが、このパンデミックには終わりがあるというイリュージョンに囚われていることです。ワクチンが開発されたからといってウイルスの脅威が終わるわけでは決してありません。HIVとともに生きるということと同じです。つまり2019年12月の状態に戻ることは、二度とあり得ないと認識しなければいけないのです。私は、この状況に終わりがあると人々が考えていることが、最大の問題だと思っています。私たちは、人間性の新時代にすでにいるのであり、それこそが、ニューノーマルなんですから。
そして、もうひとつ強調しておきたいのは、私たちが生きる社会システムは、再構築されなければならないということです。とくに教育システムなどは、ただちに再構築されるべきでしょう。小さなころから哲学を学んでいたら、相対主義者もニヒリストも生まれなかったでしょうから。
──私たちが道徳について考えるとき、知らず識らずのうちに文化や宗教の違いに影響を受けてしまうことがあります。それを超える道徳観を身につけるには、どうすればいいでしょうか?
ガブリエル それはとても重要な問いですね。だけど私は基本的に、そんな文化や宗教の違いで道徳観が変わるなんて信じていません。認識することと価値を置くことは、意味が異なります。私たちが人間の行動について異なる道徳的な認識を持っていたとしても、それは道徳の価値の違いにはならないのです。
たとえば、ドナルド・トランプはたぶん量子力学が得意ではありませんよね。するとトランプの量子力学の認識というのは、(量子力学の創始者といわれる)ドイツの物理学者、マックス・プランクの量子力学の認識とは大きく異なるはずです。それでも、トランプが間違っていてプランクが正しいとはなりません。認識が違うだけです。一方、もし中国が、中国のシステムに従わないことを理由に香港の人々を迫害することを道徳的に許されると考えていたとしたら、これは明らかに間違っています。これは中国だからそうなのではなく、たとえばドイツであろうと日本であろうと、つまり文化如何にかかわらず、「香港の人々を迫害する」ことが道徳的に悪であることは、ゆるぎない事実だからです。
性差別を例に考えてみても同じことが言えます。ある地域で女性蔑視の文化があるからといって、性暴力が許されるわけではありません。その地域に対して、仮にドイツが「君たちの(性差別の)文化は悪い」と指摘したとしますね。これ対して、その地域が「入植者的態度だ」と非難したところで、たとえ実際に両国の間に植民地支配の歴史があったとしても、性暴力が悪いという事実は変わりません。文化の中で醸成されたステレオタイプと呼ばれるものも、同じく非道徳的です。というわけで、文化の違いや歴史にもとづいて道徳の“見方”が変わることはあっても、道徳の“価値”は変わらないのです。
文化は閉ざされたシステムではありません。よく欧米人は個人主義的でアジア人はそうじゃない、なんてことが言われますが、これもまったくナンセンスです。アジアの人はドイツの人と何ら変わらない個人なのだから。そう考えていくと、相対主義がいかに邪悪な教義であるかがわかりますよね。
──宗教が道徳におよぼす影響にも、まったく同じことが言えるわけですね。
ガブリエル そのとおりです。ほとんどの宗教は多くの道徳的事実を誤認しています。キリスト教原理主義はよくないし、キリスト教を基盤とする帝国主義も悪です。これに説明は必要ないでしょう。ある特定のグループを道徳的な考えの対象から排除しようとする宗教は、すべてサタンの産物だと私は思っています。
──これからの世界にも、宗教が果たせる役割はあると思いますか?
ガブリエル 哲学がこれまでの宗教の役割を担うことになると思いますね。宗教は信仰であり、哲学を必要とするかもしれませんが、哲学は実際の生活に役に立つものです。地球上のあまりに多くの人が、宗教は哲学の役割をも担えると考えているようですが、そういう認識を改めない限りは、道徳的事実を正しく捉えることはできません。それは人類全体の危機のひとつと言ってもいいほどです。もうひとつ同じくらいマズい考えに、科学は宗教に取って代わるものだとする考えがあります。これも多くの国や地域が考えていることですが、誤りですね。道徳において、すべての人は完全に平等なのだということをきちんと理解する必要があります。
──そう理解できれば、現在私たちが抱える人権問題や環境問題をはじめとする多くの問題は解決に向かいそうですが、今のところ、そうではありませんよね。私たちに今求められている態度、あるいはシステムがあるとしたら、どういったものでしょうか?
ガブリエル 新しい啓蒙主義のシステムが必要だと私は考えています。現代社会のすべての異なるシステム、とくにビジネスや政治、行政、教育、科学、宗教、芸術、市民社会は、人間性の道徳的解放という同じ目標に向かって行われるべきです。こうしたシステムから道徳的な視点を切り離した途端に、人間性は破壊に向かいます。気候危機に核爆弾、生物兵器、エネルギー問題がいい例です。物理学者に聞くべき質問は物理についてだけであり、彼らに道徳のことを尋ねても、残念ながら有用な回答は得られないのです。科学が哲学の代役を務められるように話す人々がいますが、とんでもありません。科学が間違っているというわけではなく、科学と道徳は別だということです。虫歯になって歯医者に行き、歯科医に「これからもチョコレートを食べていいですか?」と聞いたとします。歯科医はダメだと言うでしょう。虫歯の原因になることが科学的にわかっているから。でもそういうことじゃない。科学は道徳を考える上で、数字という根拠を与えてくれるという意味で役に立ちますが、道徳にはなり得ません。
──だからこそ、あらゆる活動に道徳的な視点が必要だということですね。
ガブリエル そうです。新型コロナウイルスは、旅行したり国境を超えてモノを生産する必要がなければ、これほどまでの影響は与えなかったでしょう。経済活動がもっと緩やかであったならば、パンデミックは起きなかったはずですし、ウイルスを制御することもできたでしょう。あるいは、我々人間が科学や技術から道徳を切り離すことがなければ、おそらくコウモリからヒトに感染することもなかったかもしれません。それが、あらゆるシステムに道徳が必要であり、哲学が必要だと考える理由です。
──その新しい啓蒙主義を進めていく上で、国家や国境という概念が障壁になることはないのでしょうか?
ガブリエル それも大切な視点ですね。新しい啓蒙主義に支えられた「新世界主義」を実現する上で、国境という存在ありきで考えないことがファーストステップになると思います。ただ、境界線というのは、管理する上で非常に便利なものではあるし、資源の配分という戦略的な視点から見ても、いいアイデアと言えるかもしれません。だから、国境をなくすことが最善の解決策であると考えているわけでは決してなく、無政府主義を諸手を挙げて支持するわけではありませんが、今後、国境というものについてはきちんと議論されるべきだと思います。というわけで、一旦は現在の世界にある民族国家の考え方をそのまま採用するとしましょう。しかしそこで気をつけなければいけないのは、民族国家の枠組みの中でものごとを考えるというのは、すなわちナショナリズムだということです。各国のコロナ禍への対応に対して、あそこの国よりうちはうまくやった、などと多くの人が言っていることからもわかる通り、我々の多くはナショナリストです。でも、今回のようなパンデミックに国別の特効薬なんてありません。気候危機への対応も同じです。気温が上昇しているというけれどドイツはそんな暑くないから、気候危機には関係ない、とは言えないのです。それは日本にとっても同じでしょう。
──新しい啓蒙主義のシステムは、行き過ぎた経済至上主義の抑止力にもなると期待していいでしょうか。
ガブリエル 著名な経済学者やドイツが拠点のグローバル企業の元役員なども参加しているドイツのシンクタンク、New Instituteは、まさにこの新しい啓蒙主義から経済をはじめとするあらゆる人間の活動を捉えなおそうとしています。新しい啓蒙主義は可能性のひとつかもしれませんが、それを進める価値は大いにあると思います。私たちが目指すべきは道徳的進歩であり、それこそがモダニティのエンジンだからです。このエンジンがなければ、いとも簡単に人間は独裁的になってしまうのです。
──ちなみにファッション業界では今、サステナビリティが盛んに叫ばれるようになっています。先生からご覧になって、そこにはすでに道徳的進歩が見られると思いますか?
ガブリエル ファッションの進化は目を見張るものがあると、実際に興味深く観察しています。Vejaというブランドのスニーカーを先日購入したのですが、化学的な原料を一切含まず、化学処理も施されていない、非常にサステナブルな靴ですよね。履きつぶしたあと食べられるくらいに、というと大げさですが(笑)、それくらいに無害なのです。こうしたプロダクトから、現在のファッションは大きな変化を迎えていると実感しました。それは建築の世界にも感じますね。
──ではアートについてはどうでしょうか。先生は著書『なぜ世界は存在しないのか』の中で、アートの意味についても言及していらっしゃいますが。
ガブリエル アートに対して実は今、ちょっと懐疑的になっています。アーティストのせいではなく、社会がアートをモノを売るための道具にしてしまった結果、芸術ではなくデザインと化してしまったからです。そもそもアートに道徳的解放を求めてはいけないのだとも思います。アートはときに、非道徳的な存在にもなり得ますから。
──先生のおっしゃる道徳的な進歩は、ウイルスという人類共通の脅威を前に日常生活においても感じるところではありますが、同時に、たとえばマスクを着けていないとか除菌していないとか、換気の悪い空間で大勢で飲み食いするとか、とにかくウイルスを拡散しないための行為を遵守していないと大バッシングに遭う、ということがあります。社会がウイルスに対してセンシティブになればなるほど、ルール違反を取り締まる傾向も強まっていく。遵守していない人が悪いといえばそうなのかもしれませんが、不寛容を助長する閉塞感もあると感じています。
ガブリエル パンデミックによって社会は大きな転換点にあり、社会には変革が必要です。これは紛れもない事実です。ただ、私が自著の中で「Principle of Respect(尊重の原則)」について書いたように、道徳をふりかざして人をジャッジ(非難)してはいけません。なぜなら、どんな人だって間違いを犯すからです。だから、道徳的によろしくない行為をしている人がいたからといって、逮捕して刑務所に入れればそれでOK、というわけでは決してありませんよね。道徳的な批判というのは、リスペクトをもってものすごく注意深くする必要があります。それほど難しいことなので、トレーニングが必要です。そしてこのトレーニングこそが、道徳的進歩を促すためにも重要なのです。
Text: Maya Nago