秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の親戚・関係者を騙る人達にはご注意ください。

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秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の親戚・関係者を騙る人達にはご注意ください。
@fujiiyakuho
観光案内やインストラクターが怪しい場合は、その人が何歳で、ガイド歴が何年で、どこの出身者なのかに注目してみてください。皆様の身近なところに龍角散の偽情報の発信源が・・・。
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秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の親戚・関係者を騙る人達にはご注意ください。’s posts

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原因はこれ。あきたびじょん。 x.com/akitavision/st facebook.com/share/p/qQuZeg 秋田県観光文化スポーツ部誘客推進課 TEL : 018-860-2261 FAX : 018-860-3868 E-mail : kanko@pref.akita.lg.jp ここ。 ↓↓↓ 秋田県観光文化スポーツ部誘客推進課 ↑↑↑
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秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の親戚・関係者を騙る人達にはご注意ください。
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これも。 ブンカDEゲンキ あきた文化情報サイト common3.pref.akita.lg.jp/bunka/list.htm 秋田県観光文化スポーツ部文化振興課 TEL:018-860-1530 common3.pref.akita.lg.jp/kenjinkai/arch わらび劇場でミュージカル観覧 | 県人会からのお知らせ 秋田県あきた未来創造部あきた未来戦略課 TEL 018-860-1232
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龍角散に関して、当家のエピソードとは異なる話を吹聴し、広めてしまったグループがいるようです。 当家は六郷出身の町医者ではありません。 藩にあがっていく御殿医、または下級武士とも、武士待遇だったとも言われています。 人の家の話ですので、強引な説を広めるのはお止めください!
当家の本家がある大仙市大曲とは、有名な大曲の花火大会が開催される街です。 現在の上大町にあたる信用金庫(当時の駅場)の後ろ付近には、かつて龍角散の屋敷が存在しました。 藤井家は江戸の昔、文化年間には大曲の村に住んでいたと言われております。 #龍角散 #秋田県 #大仙市 #花火の街大曲
龍角散の関係者を騙り、無許可でお寺や役所・役場と交渉している人がいます。 特殊詐欺等の犯罪に発展する可能性がありますので、この手の電話やメールがあった場合は、すぐに警察に相談してください。 電話を留守番設定にし、相手に「録音している趣旨を知らせること」も被害防止に効果があります。
以前、俳優の香川照之さんを起用した藤井龍庵(りゅうあん)という龍角散のCMがありましたが、あれは正亭治をモデルとしたCM上の設定(龍角散と甘草)です。 正亭治とは1825年生まれで、現在の秋田県大仙市大曲に屋敷を構えていた人なので、色々と話が合わなくなります。
お借りします。当時はこのデパートの向かいに、龍角散の本家の店がありました。 古くは、このデパートがあった辺りに、当一族の薬店が存在しました。 それが大正から昭和にかけての時代だったと言われています。
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ユニオン(仮)
@union_yokote77_
#懐かしの広告から(1984年) #タカヤナギ デパート大曲本店 かつてタカヤナギ本店がスーパーではなくデパートであったことを私はこのアカウントを始めて知りました。 今や現存せずネットに写真もない本店の絵は貴重かと。跡地の中通店にもあった #ドムドムハンバーガー の文字も。 #グランマート #秋田
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#龍角散 の本家がある大曲(#大仙市)では、#大曲の花火 大会が開催されておりますが、現在の上大町にあたる信用金庫の後ろ付近には、かつて龍角散の屋敷が存在しました! #大曲史談会 さんのパネル看板に地図があるので、ご覧ください。 #akita #fireworks #秋田観光 #花火ウィーク #花火の街大曲
ご存知でしたか? 六郷初の新聞人である倉田桜芳(本名は清)さんは呉服屋。 実は、倉田家の近所には秋田側の藤井家の縁者にあたる家々がいくつもありました。 この界隈には、何千俵もの小作米(ものなり)が入ってきた家があったそうです。 #龍角散 #美郷町 #六郷町 #倉田桜芳
ここなんですね。 現代ではマスコミ報道、広告代理店のやることだからと鵜呑みにしてはいけないのは。 「そこ」こそが不正の温床である可能性があり、この元マーケティング部長のように逮捕されるようなことが出てくる訳ですね。 こわい世の中になりましたね!
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@fujiiyakuho
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詐欺容疑で逮捕されたのは、当時の龍角散のマーケティング部長である武藤毅容疑者。 とある広告代理店が不正に関わった一件でした。 不正はいけませんねぇ。 christiantoday.co.jp/articles/19321
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龍角散の本家があります大仙市の大曲では、毎年、夏になりますと、大曲史談会さんによるまちあるきの解説看板が立っているそうです。 上大町の信用金庫の前には、「藤井玄渕」と書かれた勝町(浜町)付近地図が載っているようです。地元の方は是非ご覧ください! #龍角散 #本家 #秋田県 #大仙市
3年以上前の出来事になりますが、大仙市の大仙アーカイブズ主催の「ぶらまがり (ぶらっと散策 おおまがり)」というイベントがあり、当家の本家のことも地元の新聞に少しだけ載ったらしいですよ。 地元の方からの情報でした。 city.daisen.lg.jp/docs/201909090
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これにつきまして確認しました。秋田市茶町(大町)側からみますと、当家の甥にあたる人の子孫が千畑町(千屋)に嫁いだのだと思われます。 つまり、龍角散は龍角散でも、大仙市の大曲の本家の関係者ではないでしょうか。
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定期:ラベンダー園があります美郷町千屋(旧千畑町)の辺りには、藤井家の親戚が住んでいたようです。 SNS上では、ラベンダー園と龍角散が何か関係あるんですか?という疑問があるようなので、公式見解をツイートさせて頂きました。 #龍角散 #あきたみさと #美郷町ラベンダー園 #千屋
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ここは江戸時代、六郷(美郷町)地区でカンゾウ(甘草)を育てていたとされる湯川清四郎の子孫とされる家ですね。 この湯川清四郎から買った甘草を苗を、今の秋田市で増やしたのが史実となります。 湯川がなぜ甘草を育てていたかは不明のようです。
所謂、テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。 秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そしてもう1つの市町村※に伝わる説と合わなくなっています。 コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
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竿燈祭りが開催されている秋田市。当店があったのは大町の秋田ニューシティ、ダイエーがあった近辺。向かい側は現在のイーホテル。 かつては本金百貨店(のちデパート)がありました。 #龍角散 #秋田県 #秋田市 #秋田観光 #秋田竿燈祭り #秋田竿燈まつり #竿燈まつり #竿燈まつり2022
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定期:久しぶりに秋田市。 江戸時代から明治にかけて、龍角散の本店があったのは現在の秋田市(久保田町)。明治維新を経て、正亭治が東京府と大曲村へ支店を開いた。 その後、別の親族が大町(茶町)で店を開く。 他には保戸野(ほどの)、亀乃丁、楢山(ならやま)などに営業所がありました。
明治初期に秋田市の本店(のち支店に降格)を担当していたのは、正亭治の息子の内の1人だと言われています。 得三郎は3男のため、本来の跡継ぎではなかったわけですね。 明治中期、若しくは後期に秋田市保戸野、または大町(茶町菊乃丁)の店を担当していたのは正亭治の兄貴系統となります。
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現在の秋田県大仙市(大曲)の信用金庫のうしろに、かつて龍角散の屋敷が存在しました。 当家は文化年間(約200年以上前)には大曲にいたとも、はたまた江戸中期には大曲にいたという2つの説が存在するようです。 #龍角散 #秋田県 #大仙市 #大曲 #ゴホンといえば #花火の街大曲
予想通りの展開ですが、やはり龍角散関係のエピソードが全く違うものとして流布されてしまっているようです。 その原因としてあげられるのが2013年のフェイクニュースですが、この手の誤報を拡散すると法的措置を取ることも可能なので、お止めくださいね。 #特殊詐欺グループ
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定期:六郷東根(美郷町)の町医者(初代※)が佐竹藩の医者となり、息子が龍角散を改良したという事実はありません。 年代を無視した噂話にご注意ください。歴史には根拠がなければいけません。 ※玄信、玄淵と名乗った久保田藩の医者が何人いたかは不明です。
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久々のスペシャルヒントを書いてあげましょう! 皆さん、何でバレたか? 似てませんか? えっ、何が?って? 顔が、、、。 これは隆太社長の祖父の出自に、、、。 これがどういう意味だか分かりますか? #龍角散 #小林製薬 #小林ヒストリー
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龍角散の現隆太社長が縁者である小林製薬へ修業に行った時は、身分を隠して大阪へ。 当時の康男社長と副社長だけが知っていたそうですが、先方には直ぐにバレていたそうです。 この出来事を、息子には(家業を)継がせるつもりはないと言いつつ、本当は「実験だった」と康男氏は表現している。
このアカウントの管理をまかされているスタッフによるリサーチチームが、佐竹義堯公を調査対象にしてみますね! 何か面白いことが分かればツイートしていきます。 良い情報がありましたら、DMお願い致します。よろしくお願い致します!
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秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の親戚・関係者を騙る人達にはご注意ください。
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佐竹義堯は相馬家の子、新田(岩崎)藩の養子となり、1857年に久保田(秋田藩)の末期養子となる。 正亭治が遊学するためには、藩の学校で二ヶ年学ぶ必要があり、藩から選抜され、1850年3月26日に長崎の蘭学塾へ入門。 この時の久保田藩主は佐竹義睦となっています。 burari2161.fc2web.com/satakeyositaka
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龍角散の店は元は秋田市が本店と言われ、正確には東京へ出ていった系統と、残った系統があります。 時期は不明ですが、大舘(大館市)や六郷町(美郷町)にも店があったと言われ、明治時代から広告戦略を展開していました。 #龍角散 #秋田市 #大仙市 #美郷町 #大館市 #男鹿市 #花火の街大曲
話題を変えます。 藤井家は、代々秋田藩佐竹公の御用医として江戸についていき、佐竹公の江戸下屋敷に出入りしていたと言われていました(住まいは今の台東区とも、千代田区説もあり)。 藤井康男前社長は、昭和後期の資料に「江戸に出てきてから、約200年」という表現を使っています。
当家を六郷出身と書いているのは「六郷町史」、一方、常陸から久保田に入り、大曲に移住説は「あきた名字と家紋」が元となっているようです。 実際の当家は『何系統かあった』と考えれば様々な説に対応出来ます。そのため、噂話の類いにはご注意ください! #龍角散 #秋田市 #美郷町 #大仙市
それでは話題を変えまして、当家に残る日中戦争のころ(第二次世界大戦より前)と思われる資料を1つ紹介しましょう。 現在の秋田県横手市(当時は横手町)の某会社と取引があったようです。 当家と秋田県の様々な地域とは古いえにしがあります! #龍角散 #秋田県 #横手市
#大曲の花火 秋の章が開催される大曲(#大仙市)には、#龍角散 の本家の屋敷がありました。 なお、1911年(明治44年)の第2回大会(旧名:奥羽六県煙火共進会)に参加者として名前がある藤井某とは当家の関係者です。 実は、この人の名義で寄付をしています。 #秋田観光
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シェア失礼致します。 1974年の「商魂の系譜」ですと、現在とは違う説が載っており、抜粋すると、藤井正亭治は盛んに渡来していた蘭学を学ぶため、藩から選抜されて長崎へ行ったと書かれています。 龍角散に関しましては、現在、出回っている説とは全く異なるエピソードがいくつもあります。
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【公式】株式会社データ・マックス
@data_max_sns
劇団わらび座、完全復活に向けた道程 確固たる経営基盤の確立目指す(前)|NetIB-News data-max.co.jp/article/49754 @data_max_snsより
それでは書いてあげましょう。 江戸中期、「龍角散の原型となった薬」とはどこの薬であったのか? #この紋所が目に入らぬか といえば? ここは出羽国の六郷ですか?
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ムキになったら負けですぜ。こちらは調査したことを次々に貼り付けても構わないのだから。 ヒント:龍角散の昔の薬袋(やくたい)に使われていたのは? 葵の御紋といえばどこの家紋ですか?
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これは国替え時に、全ての部隊が出羽に来た訳ではないことのようです。 秋田県と茨城県で似たような名字が混在するのはこのためです。 よって、当家が国替時に佐竹義宣に従い、秋田県の六郷東根(美郷町)、或いは大曲(大仙市)に来たという事実はありません。
当家を六郷出身と書いているのは「六郷町史」、一方、常陸から久保田に入り、大曲に移住説は「あきた名字と家紋」が元となっているようです。 実際の当家は『何系統かあった』と考えれば様々な説に対応出来ます。そのため、噂話の類いにはご注意ください! #龍角散 #秋田市 #美郷町 #大仙市
龍角散には不正し、逮捕された人がいましたが、古い資料と異なる点が。 藤井正亭治はオランダ医学を学ぶため、今の長崎県へ選抜され、遊学。帰藩後に薬を扱う仕事を命じられたとなっています。 1850年時点での藩主は佐竹義睦(よしちか)。義堯(よしたか)は末期養子。
江戸末期の地図を見ますと、現在の台東区の佐竹商店街がある辺りに屋敷を構えているのは佐竹義睦です。 龍角散ビルの直ぐ近く。美倉橋(みくらはし)を越えると千代田区(神田区)。 ここは秋葉原の近くでもあり、資料によると、昔は小林製薬の東京支店があったようです。
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龍角散には不正し、逮捕された人がいましたが、古い資料と異なる点が。 藤井正亭治はオランダ医学を学ぶため、今の長崎県へ選抜され、遊学。帰藩後に薬を扱う仕事を命じられたとなっています。 1850年時点での藩主は佐竹義睦(よしちか)。義堯(よしたか)は末期養子。 jstage.jst.go.jp/article/faruaw
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これに関しまして、龍角散のふるさと、龍角散ルーツとは六郷(美郷町)でも、大曲(大仙市)でもないという説を入手しております。 ですから、別に六郷とも大曲であるとも断言出来る材料はないのですね! 物事とはそんなもんです。
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このような事実はありません。 x.com/fujiiyakuho/st…
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藤井家は、江戸中期に大曲(大仙市)に住んでいたとも、1805年に久保田(秋田市)から大曲へ移住とも複数の説が存在する模様ですが、確かなのは、国替えの時に大曲へ移住は明らかな間違いです。 新聞記事を鵜呑みにしてはいけません! 江戸後期に屋敷があったのは大曲ですね。
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東京都千代田区の龍角散、秋田市大町(菊乃丁)から見ますと、大仙市大曲側を本家としています。 それは本来は正亭治が弟の方で、 菊乃丁が弟の方だからです。 また様々な龍角散の本家説を唱える方がいますが、信憑性に欠けます。
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@fujiiyakuho
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広告上の設定が美郷町六郷 撮影風景は八峰町 実際には大仙市大曲の屋敷 そして、 秋田藩とは秋田市 江戸屋敷は台東区
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当家の本家がある大仙市大曲とは、有名な大曲の花火大会が開催される街です。 現在の上大町にあたる信用金庫(当時の駅場)の後ろ付近には、かつて龍角散の屋敷が存在しました。 藤井家は江戸の昔、文化年間には大曲の村に住んでいたと言われております。 #龍角散 #秋田県 #大仙市 #花火の街大曲
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