Chapter3 束の間の休息
第9話 兵器の休日
「負荷限界だね」
翌朝目を覚ましたレイヴンはリリアからそう言われた。
場所はラボ兼医務室。バイオ・メカニクスとサイバネティクス、脳外科から一般外科、精神外科……まだまだ彼女の専門はあるが、とにかく物凄く色々な分野をまたがないと、サイボーグのメンテナンスはできない……らしい。ネジが緩んだから締め直す、怪我をしたから消毒して薬を塗る、とか、単純な治療では済まないのがサイボーグである。
リリアは複数種の専門を持っているが、なぜそんなことをできるんだと聞いたら、彼女に「私にとっては全てが専門ってだけだよ。本を読む感覚で図書館を読んでいるだけだ」と返された。
「負荷限界?」
「戦闘データを拝見した。あのジュブナイルに殴られたり、度重なる
「オフにしてくれ。戦闘中に寝落ちしたらそっちの方が困るだろ」
「そうだね。君は四〇〇億ロガの男だ。最新戦闘機三機買えるね。……何より私の作品だ。失われるのは心が痛む」
「博士にもそんな感情あるんだな」
小馬鹿にするように言った。
リリアはふん、と鼻を鳴らし、
「私も脳はサイボーグさ。ホロスキャンをしている。その上で不眠治療を行い、肉体はブーストマンのそれ。この体になって二〇〇年生きているが、人間らしい考えなんてのはないよ。あくまでモノづくりが好きなだけの芸術家であり、技術者なのさ」
「まあ、モノ作ってるって観点から見りゃ、技術の結晶も芸術品か……」
「……みんなには伝えたが」
リリアが、レイヴンにここに来る前についでに酒保(基地や艦船内にある兵士向けの売店)で来させたブラックコーヒーをビーカーに注ぎ、飲む。
「コップに入れろよ」
「技術者ならみんなが夢見るだろ、これ。……まあいい。お前たちに少し休みを取らせる。昨日の襲撃でエルドシェルドの攻撃が止まっていてね。上が、正規軍の仕事を取るなとかなんとか……私としては私兵隊の実績を上げて研究費用をせしめるチャンスだったんだが……」
「私情じゃないか。っていうかアサルト・ストライカーの一部隊が私兵なんて随分な身分だな」
「天才だからさまざまな特権と越権があるのさ。そして君には休む権利が与えられた。私が慈悲深い故に」
「兵器に休日があるなんて初耳だ」
「えらく皮肉っぽいな? あと私を天才だと認めてくれ。……嫌なことでもあったか?」
「出会って三日だろ。俺は元々こんなだ」
冷たいコーヒーを飲みながら、リリアは「ははーん」と顎に手を当てた。
「君、さては友達が少なかったな? だからアスハとかいう青年を必死に庇ったんだろ」
「う、うるせえよ」
「図星か。……何、オーバーホールと思いたまえよ。整備を欠かした機械は錆び付いていざという時に動かんものだ。まして、心があるなら尚更だ。君にだって、あるだろ」
「心、ね。神経が絡まり合っただけの糸屑だろ」
ほんの数ミリグラムの錠剤で簡単に左右されるようなものを、心だとか魂だとかというのは、どうなんだろうとレイヴンは思う。
科学万能のこの時代においても宗教は確かに存在し、人々は未だに心だとか魂を、神の実在の信仰に関わらず、崇高なものとして見ている。
人間が万物の霊長であり、機械化、電脳化という技術によって事実上老いを捨て去ったことを、笠に着すぎていないか。
少々思い上がりがすぎる。そんな気がしないでもない。
「俺の戸籍はないんだろ? 街に出ても、何もできなくないか?」
「非実在性軍人……要するに架空の戸籍を作ってある。軍籍もある。IDも交付済みだ」
「抜かりないな。……ありがとう、休日を満喫するよ」
「そうしたまえ」
ラボを出て行こうとしたら、奥の部屋から誰か出てきた。
それは、人間……? いや、アンドロイド……いずれにしても、人型の青年である。
全裸だ。乳房があり、男性器があるトランス。外見は、二十歳ほど。しかしその皮膚はメタリックでありながら有機的で、灰色をしていた。顔には目も鼻も口もなく、ハウンドのようなディスプレイがあり、ドット絵でニコニコした表情を浮かべている。
人間でも、アンドロイドでも、サイボーグでも、ない。もっと違う、有機金属ともいうべきものでできたひとがた。
「おとうさん、えほんちょうだい」
「はいはい、今用意するよ」
お父さんと呼ばれたリリアは棚から「きつねとやまのあるじ」という絵本を渡し、その子の頭を撫でた。ディスプレイの上には、リリアと同じプラチナブロンドの髪を生やしていた。見たことがないタイプの女性型のトランスである。
部屋に戻る前、彼女がこちらをチラリと見た。
ひらひらと手を振ってくるので、レイヴンも応じる。
彼女は部屋に戻り、扉を閉めた。
「今の子は?」
「
「聞いたことない言葉だ」
「ディオネアの決算報告会議動画を見ろ。今ホットな投資枠だぞ」
「投資するほどの金がねーんだよ。作業員だった頃だって、ギリギリの生活だったし」
「孤児院が大事なんだな」
レイヴンは意地悪と分かっていながら、こう返した。
「博士はあの子とのことが大事じゃないのか?」
「……大事さ。私が今まで作り上げてきたあらゆるものの中で最高傑作だと思っている」
「人間らしい親は、みんな我が子をそう言うぜ」
皮肉げに、レイヴンは言い放った。
リリアは鬱陶しげに手を払い、
「わかったら出ていけ不良サイボーグ。ソフィアに何かあったらどうする」
「へいへい」
リリアの子はソフィアというらしい。叡智を意味する言葉だ。
あの子に対するリリアの感情は、親らしいものだとレイヴンは思う。それが両者トランスであっても、我が子に対して母性や父性を抱くものだろう。
確かにリリアは、孤児院にいた先生と、同じ目をしていた。子供を思う親の目だ。人間だろうがアンドロイドだろうが、そんなものは、関係ない。
レイヴンを——ミオ・ドローメルや他の子供を愛した先生はアンドロイドだったが、確かに母親だった。
レイヴンは「邪魔したな」と言って、ラボを出て行った。
×
休み、と言われてもすることがない。
半年前の一月に何をしていたのか——何も思い出せない。毎日朝早くから仕事をして、残業。社宅に帰り、ゲームをして眠ってまた明日。そんな毎日だった。命の危険はないが、彩りの少ない日々だった。
翻って今はどうだろう。
気を抜けば銃弾の嵐にさらされ、殴り倒され、切られるかもしれない恐怖と隣り合わせだが、これまでにないほど生きる実感を得ている。
どちら楽しいかと言われれば、断然、今だった。
七月終わりの外は、暑い。
レイヴンは緊急時を考慮していることと、盗難防止の観点から通常生活用の義体ではなくいつもの第七世代義体で街に出ていた。
身につけているのはハイレグ型のインナースーツと、ジャケット。それから『ミロ・ヴィルヘルミナ』という架空の戸籍情報の軍籍があるので、拳銃を二挺執銃していた。
基地から出て、
一定のリズムで存在する緑地と、等間隔で並ぶ遺伝子改良された
「おい、あの子超美人じゃん……」
「うわマジか、エッロ……サイボーグかな?」
「声かけてみようぜ」「よせって、どう見たって軍属だろ」
「軍人っつったら溜まってんだろ」
歩道を歩いていると若い男たちがそう騒ぐのが聞こえた。
いずれも体の一部を機械化し、うなじにはジャックを持っている。皮膚を剥がして直接埋め込むタイプのウェアラブルを左腕に装着し、どうやらそれでゲームに興じていたらしい。
パラソル席から、件のナンパ連中ではないヤンチャそうな金髪ピアスの青年が、「おねーさん!」と声をかけてきた。
「なんだ?」
「軍人さん? いつもお疲れ様です」
「そりゃどうも」
「ちょっと、お茶でもどうですか? 俺、こう見えても雑誌で記事を書いてるんです」
雑誌——電子ペーパー誌とか、ネット書籍だろう。
リリアから、こういう取材は受けるなと言われていた。
理由はわかる。機密が漏れるからだ。
「そういうのは広報部にお願いします。俺はあくまで兵……士、ですので」
兵器、と言いそうになるのを堪えた。
男は「釣れないなー。見ない顔だからいけると思ったんだけど」と太々しく言い放つ。
さっきのナンパ連中は、その様子を遠巻きに眺めていた。
「トランス? 俺って言ってたけど」
「でも、アソコ膨らんでなかったぜ」
「俺っ娘ってやつだろ? ああいうの、結構ベッドで乱れるんだぜ」
「うるせーよ、クソ童貞。セクサロイドとのセックスなんて卒業のうちに入らねーからな」
人のことで好き勝手言いやがって。
今時、美形なだけの女など掃いて捨てるほどいるだろう。整形手術だって、遺伝子から直接整形するものだ。それは子々孫々に継承するものであり、今時この星には美男美女しかいない。容姿に恵まれない者、というのは物理的に存在し得ないのだ。あるのはただ、個人の好き嫌いの尺度である。
ある国ではそれさえも統制して徹底した『配慮』と『平等』を謳う政策をとったが、結局クーデターで滅んでいる。
レイヴンは途中のコーヒーショップに寄った。
左腕のウェアラブルを叩いて残高を確認すると、ここ半年間、月々三〇万ロガの給料が支払われている。どうやらサイボーグになると決めた時点で、この戸籍は用意され、軍人としての給料が支払われていたらしい。
それから、列待ちしながら孤児院を調べる。レヴィディア州オルゴヴィス、オルゴット孤児院。
写真には、修繕工事中の外観。説明欄には、同盟企業からの資金援助に関するニュースが載っている。
本当に、援助されていたのだ。
レイヴンはこの給料も送金すべきではと思ったが、全く見ず知らずのヴィルヘルミナ上等兵から入金があっても、真っ当な経営者なら受け取らないだろう。
社会保障金だけの、家畜のような死んでいないだけの生活に飽き飽きしている連中でもない限り、怪しすぎて受け取れない。
この金は、自由に使おう。
いつ死ぬかわからない暮らしだ。少しくらいハメを外したってバチは当たらない。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「キャラメルマキアートLL、クリームとチョコチップをオプションで」
「かしこまりました。四十三番でお待ちください」
紙を受け取り、レイヴンは左手をデバイスに押し当てて支払いを済ませた。それから待機スペースに移動する。
コーヒーショップ、クイーンズカフェは企業の一つ。このエルトゥーラ旧王国地域全域に店舗を持っていた。それこそディオネアとバチバチにやり合っているエルドシェルドにだってある。
利益が人を動かす時代。
国というものの
今この地域にあるのは思想的指導者が収める聖五芒星竜教同盟と、独立企業連合、そしてわずかばかりの、旧王家を中心としたエルゴン解放戦線である。
「四十三番の方〜」
「はーい」
レイヴンは、余裕で五〇〇ミリは入っていそうなカップを受け取った。クリームを吸い出せる太いストローを蓋に差し、店を出る。
燦々とした太陽光を浴び、青灰色の髪を風に躍らせながら歩く。
ブティックのガラスに映った自分が、あまりにも「女」を謳歌していて、なんというかむずむずした。
任務任務と立て続けで、悩む暇もなかった。
俺は、果たして男に戻りたいのだろうか。このままでいいのだろうか。
この格好にも、一応羞恥心はある。男どもから色目を使われるのは、なんというか気持ち悪い。女としてというよりは、男なのに男から求愛されるのが、嫌だった。別に自分は、同性愛者ではないのだから。
それが、ハウンドたちを跳ね除ける——あのアプローチが問題であって、人として嫌っているわけではない——のも、どこかで「女同士」と思うからか。
結局、考えているうちに思考のドツボにハマり、レイヴンはキャラメルマキアートを——ドリンクというよりデザートと言えるそれを啜った。
焦がしたキャラメルの風味が、生クリームの柔らかい甘みと溶け合う。ビターなチョコチップを噛み砕きながらコーヒーを嚥下すると、その苦味が口の中の甘さをするっと流し去っていった。
甘ったるいだけではない。控えめな甘みと、確かな風味を活かしたコーヒー——をはじめとする食品を、クイーンズカフェは売りにしていた。
いく当てもなく街をぶらついていたら、歓楽街に来てしまった。
昼間に空いているバーもあるが、酒を飲む気分ではない。
まあ、いい気分転換にはなった。
レイヴンは帰ろうとして、ふと見知った女を見た。
ハウンドだ。彼女は一軒の、ダンピール・サングリアというバーに入っていく。
なんとなく、レイヴンもその後に続くのだった。
★★★
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