そして帝国と同盟の戦いも終わります。
帝国側でいち早く戦局の変化を見抜いたのはエーデルガルトだった。
ドラゴンの手綱を引き、麾下の飛竜隊に出した指示で帝国のドラゴンナイト達が編隊飛行を始めた。それに対し、一斉に退いた敵を追おうと動こうとしたパルミラ軍。
その背を撃つように、即ちパルミラ軍の拠点である海上の船から大量の矢が雨霰と襲い掛かる。
「何だと!?」
味方がいるはずの背後からまさかの一斉射を受け、ナデルが驚愕に顔を染めた。
歴戦の将が見せたその動揺をエーデルガルトは見逃さない。
思考するより前にドラゴンへ急上昇、そして急降下を指示。重力に逆らう動きにも歯を食いしばり、両手で斧を振り上げる。
上空から重力落下の猛加速で襲い掛かるエーデルガルトに寸前で気付いたナデルは反射的に自分も斧を振った。
「舐めるな娘ぇ!」
「だあああああああ!!」
接触の直前、エーデルガルトは振り被った斧を持つ手をずらし、刃の根元を片手で握る。上段に構えた斧を振り下ろすのではなく、拳で突く要領で前へと突き出した。
敵の斧を掻い潜って突き込まれたエーデルガルトの斧は、落雷の如き衝撃となってナデルの脇腹を撃ち、その鎧を砕いてみせた。
「ご、ふぅ……!」
ドラゴンごと海に叩き落さんばかりのダメージを受けてナデルは咳き込む。
自分の斧を無視して届かせた手品のように不思議な攻撃。今の今まで隠し、完璧なタイミングで繰り出したエーデルガルトへ称賛の気持ちが湧いた。
「ふふふ……百戦無敗とは、もう名乗れそうにないな……」
「退くというなら追いはしないわ。将として、兵を無駄に減らさないのが賢明ね」
「そのようだな……見事なり帝国軍。悔しいが、俺達は撤退する……!」
油断なくドラゴンを反転させたエーデルガルトが言ったことに反発せず、ナデルは素直に撤退を選んだ。素晴らしい飛行術と戦闘を見せた皇帝と、自分達パルミラ軍を追い込んだ敵の戦術に敬意を表して。
フラフラとしながらもドラゴンを飛ばしてパルミラのドラゴンナイトをまとめていくナデルを見送ると、エーデルガルトは大きく息を吐いた。
強敵だった。短時間ではあったが、激しい空中戦を演じたことで相当な消耗を感じる。
それでも、深追いはしないようにというベレトの指示を守る立ち回りのおかげで部隊としての損耗は少なく、寡戦を制した手応えに強く手を握った。
かつてベレトから教わった斧の技。自らリズムの変化を生み、敵の手をすり抜けるように繰り出す一撃。それが今も自分の助けになっていることを実感して、エーデルガルトは誇らしい気持ちに包まれる。
(勝つのよ!
初めてこれを使った対抗戦の時とは違い、自分はまだまだ動ける。ベレトと一緒に戦える。高揚感に笑みが浮かぶのを止められなかった。
そんな風にエーデルガルトが戦意を新たにしていると、騎乗するドラゴンが急に騒ぎ出す。
「
「「「
釣られたように周囲を飛ぶ帝国のドラゴンが盛んに咆えた。
パルミラ軍を退けたのを見てドラゴン達も勝利の雄叫びを上げたくなったのかもしれないが、まだ帝国が勝ったわけではない。調子に乗られても困る。
「どうどう、落ち着きなさい」
手綱を引いて首元を叩く。合わせて自分も浮かれるわけにはいかないと戒めた。
幸いドラゴンもすぐこちらの意図に気付いたようで「
そこへ、船から飛び立ったベレトのドラゴンが近付いてきた。
「エーデルガルト!」
「師!」
「よくやった、完璧な抑えだったぞ!」
「っっ! ……ええ!」
(褒めてくれた! 師が褒めてくれた! 私の頑張りを見てくれた!)
ベレトがかけた言葉を聞いて、エーデルガルトは一気に破顔する。今し方浮かれるわけにはいかないと考えたばかりなのに、顔の緩みを抑えられない。
とは言え、まだ戦いの最中なのは分かっているので何とか気を引き締めた。すぐにベレトから次の指示が飛ぶ。
「港にいたヒルダが出島に移動している! 彼女の動きを遮れ! クロードと合流させるな!」
「了解!」
指示を受けてすぐドラゴンを向かわせる。ベレトの言葉を理解しているみたいに動くドラゴンは出島の前にある橋に向けて一直線に飛んだ。
飛びながら港の内部に目を向けると、中団でリブローを使うドロテアとリンハルトが見えた。ヒルダの猛攻をアロイスとシャミアの協力で耐え抜くことができたのだ。
戦場がベレトの作戦通りに動いているのを感じてエーデルガルトは笑みを深めた。流れは帝国に来ていることを実感して、勝利を予感する。
今からベレトはクロードとの直接対決に入る。敵大将と一対一で向かい合う彼の邪魔は誰にもさせない。
斧と手綱を握り直し、エーデルガルトは戦意を漲らせた。
「むぐぅ……凌げたか」
膝を付いたアロイスは小さく呟いた。盾越しの視界には遠ざかっていくヒルダの背中が見えて、彼女の猛攻が止んだことに安堵する。
自分は守るべきものを守り抜くことができた。今度こそ彼の大切な人を守り通せたのだという充足感があった。
黒鷲遊撃軍の中で、ベレトから守りを任された中団は被害軽微に済んでいる。ヒルダに踏み込まれたこの場で、盾役を担ったアロイスが鉄壁の構えを敷いて仲間を守り抜いたのだ。
一斉突撃を仕掛けるゴネリル戦姫隊は恐ろしい脅威だったが、専守防衛に努めた帝国重装隊もさるもので、短時間ながらその攻撃を完全に防いでみせた。
それは何よりも、ヒルダが振るうフライクーゲルの攻撃を全て受け止めて凌いだアロイスの防御力あっての功績と言えよう。
「ふふふ……このアロイス、一片の悔いな──じんっ!」
「アホなこと言ってないでしっかりしろ!」
うずくまるアロイスの背中をシャミアが軽く蹴った。笑う余裕があるならシャキッとしろと喝を入れる。
構えていた自分の盾に額をぶつけるアロイスの横でシャミアは追撃の矢を放った。
ヒルダは明らかに目的を持って退いた。敵方の動きを見るに、ベレトが何らかの策を成功させて戦局を大きく動かし、それを誰よりも早く察知したヒルダが戦局に合わせて動いたのだ。
彼女ほどの存在感のある戦力を自由にさせるわけにはいかない。立て続けに射かけるシャミアの矢が離れていくその背を襲う。
しかし、追撃が来ることを読んでいたのか、フライクーゲルをかざして矢を防ぐヒルダは続けて両腕を振り回す。巨大斧が重さを感じさせない動きで軽々と振るわれ、英雄の遺産が纏うオーラが橙色の軌跡となってシャミアの矢から部隊を守り通した。
結果、敵部隊はほとんど削られることなく離脱してしまった。
「ちっ、流石だな……」
舌打ち一つで気持ちを切り替えてからシャミアは振り返る。
「リンハルト! アロイスを回復させろ!」
「はいはい、分かってますよ」
言われる前から走り寄ったリンハルトがアロイスにライブをかける。戦闘が始まってから引っ切り無しにリブローを飛ばし、遊撃軍の回復役を担ってきた彼も額に汗を浮かべているが、回復魔法の魔力に陰りはない。
ヒルダが退いたことで一時だけ空いた間を使い、シャミアは軽く弓の張りを確かめる。部隊の仲間から補充の矢を受け取る彼女にリンハルトは訊ねた。
「シャミアさん、この後は?」
「戦局が変わった。大方ベレトが上手いことやったんだろう。私は補佐に動く。他のところは任せていいな?」
「そうですね。前の方はこのままでいいと思いますよ」
ライブの魔力を止めないまま前線に目を向けたリンハルトに見えるのは、突撃を仕掛けた遊撃軍の前衛の戦闘。カスパル達は今も変わらない調子で戦っており、同盟軍と渡り合っている。
それどころかパルミラ軍のドラゴンナイトが減っていくにつれて、空中はペトラの飛行部隊の、地上はフェルディナントの騎馬部隊の働きによって同盟軍が押し返されていくようだった。
「アロイスを治したらお前達も上がってこい。背後に気を付けてな」
「うーん、すぐには動けませんね。ドロテアがまだ狙ってるので」
「そうか……私もそっちに行った方がいいか?」
「いや、シャミアさんは先生のところに行ってください。そっちの援護が優先です」
「了解だ。じゃあアロイスが治り次第、防御の陣を構えさせろ。最後まで気張れよ」
「はーい」
相談を終えるとシャミアはすぐに動き出した。得意の狙撃でベレトを援護するために、最適なポジションを探しに行くのだ。
離れていくシャミアからリンハルトは視線を移し、今度は近くで集中し続けるドロテアに目を向けた。先ほどから彼女はリブローの手間も惜しんで魔力を練っており、巨大な魔法陣を出現させている。
それはある魔法を用いたベレトの作戦の一つだった。
「上手くやってよ。僕がフォローするの、嫌だからね」
海上にて、激突の火蓋を切ったのはクロード。
「行くぜ先生!」
引き絞った弓矢が紋章の力を纏い、橙色のオーラを帯びる。そこから放たれた矢がベレトに向けて一直線に飛ぶ。
文字通り真っ直ぐに、弧を描かず、衰えない威力で迫った。
騎乗するドラゴンに回避を指示して間一髪でベレトは矢をかわす。大きく体勢を崩し、曲芸のように空中でローリングしてやっと元の飛行を続けた。
弓矢の一射とは思えない軌道と威力、そして射程の長さに驚く。
(これがフェイルノートか……!)
魔弓フェイルノート。番えた矢をオーラで包んで光弾と化し、担い手に風の加護を与える英雄の遺産。五年前に調べた時に概要は知ったが、実際に見ると想像以上に厄介なものだ。
ベレトは弓についても人並み以上の腕前はある。今でこそ天帝の剣の印象が強い彼だが、戦闘に関わる技術はジェラルト達から一通り仕込まれており、傭兵時代は弓を持って遠距離攻撃する時もあった。
だから分かる。クロードの腕前にフェイルノートの性能が加わった今、それがどれほどの脅威となるのか。
「ほらほら、どんどん行くぞ!」
続けてクロードが弓を構えた。空に向けて山なりに、そこからドラゴンの滑空に合わせて今度は通常の一射で直接狙って射る。
それに対し手綱を繰るベレトは天帝の剣を上に向けて伸ばした。前方から飛んでくる矢は回避、真上から迫る矢は蛇腹の刀身で弾いて防ぐ。
事も無げに凌いだように見えるが、ベレトとしては際どく思うものだ。
やはり組み合わせてきたかと考えるのはクロードの矢の撃ち方。彼の弓術の腕前を感じ取り、この戦いの厳しさを感じるのだった。
普通、弓で飛ばす矢は弧を描く。重力と空気の抵抗を受けてしまう矢を的に届かせようとするなら、それが遠くなるほど山なりに曲がる軌道で撃たなくてはいけない。
その応用として、今クロードがやったようにわざと空高く撃って時間差で上から相手を襲う曲射も可能だ。
この弓矢本来の弧を描く二種類の撃ち方と、フェイルノートらしい直線軌道の撃ち方。合わせて三種類の矢がこちらを惑わせてくる。
それはつまり、通常の弓使いと比べてクロードの攻撃パターンが五割増しだということだ。
しかも自身はドラゴンで飛行しながら、さらに狙うのも同じくドラゴンで飛行するベレトという三次元に動く的。それでいながらこの精度の攻撃が可能。
ここまでの短い攻防だけでも彼の実力を感じ取れるというもの。
もちろんベレトも無策ではない。クロードの弓に対抗する手段は用意してある。
取り出した物を装備して、その場で立ち上がって構えてみせた。
「……おいおい、何だそりゃ?」
ベレトの姿を見たクロードは困惑を口にした。
彼が取り出して天帝の剣とは逆の手に装備したのは鉄の盾。英雄の遺産などの特別な雰囲気は感じられない普通の防具だ。
ここで持ち出すのが盾というのは守りを重視するベレトらしいのかもしれない。
ただ、それ以上に気になるのがその姿勢だ。
彼は立っているのだ。その場で。ドラゴンの背中で。
弓を構えながら思わず首を傾げてしまうクロードの前で、今度はベレトの方から動き出す。
「頼むぞ」
「
一声かけただけで意思を伝えたドラゴンが加速してクロードに迫る。
呆けるつもりはないクロードもすぐに動き、ドラゴンを飛ばしながら続けて攻撃。
一射、二射、三射と放つ矢がベレトを襲うも、彼は全てを防ぐ。
ドラゴンに当たるものは天帝の剣を伸ばして弾き、自分に当たるものは盾を構え、
「ふん!」
体を独楽のように回転させ、盾でいなすことで矢を防いでみせた。
受け止めるのではなく、衝撃そのものを後ろへ流す。それはレア手ずから授かった大司教の武術による防御。
それも、飛ぶドラゴンの背中で全身を振り回すように回転させるという、凄まじいバランス感覚が為せる技だった。
「マジかよ!?」
これには流石に驚きを声に出すクロード。
最初と違い、矢を回避せず本人の防御で凌ぐことでドラゴンの飛行を維持したベレトが急接近してくるのだ。
たまらず旋回して距離を取ろうとするも、突っ込んでくる相手の方が速い。
今度はこちらの番だと間合いに入ったと同時にベレトは魔力を解放。ファイアー、そしてサンダーと続けて魔法を放つ。
そんなベレトの攻撃はクロードがかざしたフェイルノートの加護が遮る。ドラゴンごと彼を纏う風が渦巻き、横から迫るファイアーも上から落ちるサンダーもかき消してしまった。
(あれがフェイルノートの守り……もっと強い攻撃で直接叩かないと無理か)
観察できたベレトが思案する間に素早く旋回したクロードは、今度は彼の後ろを狙う。
驚かされはしても主導権は渡さないと攻める手を緩めない。
(読めてるぜ先生。今のあんたは怖くない)
ここまでのベレトの動きを見るに、彼は飛行術の腕自体はそこまでではない。
こうしてドラゴンに騎乗して戦いに臨むからには相応の自信はあるのだろう。だが空中と地上では動き方が全く違う。彼自体がどんなに機敏に動ける戦士でも、空中でそれがそのまま通用することにはならない。
ベレトがドラゴンに頼るのは、エーデルガルトやペトラのように飛行術に長けているからではない。彼が得た神祖の加護の影響でドラゴン達が不思議なほど言うことを聞いてくれるからだ。
ドラゴンに乗りながらドラゴンに頼ることなく、自前の防御でフェイルノートの矢を凌いだ先ほどの動きからそれが読み取れた。
クロードの目算は当たっており、空中戦を繰り広げる両者のどちらが優勢かは少し見れば分かるものだった。
ベレトの飛行は直線的だ。上昇、下降、旋回の指示にドラゴンはきちんと応えてくれるが、寸前に僅かな間が生まれる。どうしても生まれるその小さな間は、戦場では見逃せない遅れとなって積み重なっていく。
対してクロードの飛行は変化に富む。彼の意思にドラゴンは即座に応じ、騎乗者のイメージを損なうことなく動いてみせる。宙返りからの旋回、滑空状態から一段高さを落として再び滑空、まさに人竜一体と呼ぶに相応しい動き。
空中の機動力は明らかにクロードに分があった。
一分も経たない内にベレトの背後を取ったクロードは余裕を持って狙いを定める。後ろから飛んでくる矢に、ベレトは防戦一方だ。
「
「……上へ!」
「
飛んでくる矢を弾きながらベレトは短く指示を出す。焦るような声を上げてドラゴンは急上昇していき、それを追うクロードが下に着く形になった。
器用に足首を鞍に引っかけて立ったままの体勢を維持するベレトを見上げ、クロードは不敵に笑う。そんなことで凌げると思ったか。
「上を取ればイケると思ったか? 甘いな先生!」
背中を狙えるこの位置取りを逃しはしないと、追いかけるためにクロードも急上昇を指示。すぐに応じたドラゴンがベレトの後を追い──度肝を抜かれた。
ふいっと、自然な動きでドラゴンから離れたベレトが宙に身を投げ出した。脱力した体が何もない空中へ倒れ、重力に従い落下を始める。
まるで高所から自殺でもするかの如く、体一つで飛び出したのだ。
「いい゙!?」
目を剥いても体は反応し、ドラゴンへ回避を指示。同時にクロードが射たフェイルノートの矢が真上から迫るベレトへ飛ぶ。
その矢を、またしても全身を独楽のように振り回したベレトが盾で後ろに流す。勢いを緩めることなく重力落下のエネルギーに回転を加えた速度で繰り出されるのは、さながら断頭台の如き回し蹴り。
咄嗟に身を屈めたクロードの肩を掠め、ドラゴンの回避が間に合って二人の衝突は避けられた。
行き違いになったベレトがそのまま海へ落下してしまうのかと目を向ければ、彼は既に後ろ手で天帝の剣を伸ばしており、上から追いかけてきた自分のドラゴンの首に絡ませて事なきを得ていた。
いや、事なきというわけにはいかなかった。
かなりの速度が出ていたベレトが落下を止めるには同じくらい力が必要で、首にワイヤーを巻かれたドラゴンが何度も羽ばたいて少しずつ減速していき、海面スレスレまで下がってようやく止まることができたようだ。
「
「すまない……飛べ!」
「
逆に上を取ったクロードから追撃の矢を射られ、盾で防ぐベレトが飛行を命じる。ドラゴンがどこか悲痛な声を上げながら、慌てたように羽ばたいで再び飛んだ。
とんでもないやり方で攻撃してきたベレトを見下ろしてクロードは声を張る。
「い、今のは驚かされたぜ先生! だが二度は通じないぞ!」
暴れる心臓をなだめすかして冷静さを保つ。捨て身と言ってもおかしくない攻撃でも、使いどころを間違えなければとてつもない脅威だと改めて教えられた気分だ。
それでも、と思いを深める。今の状況は間違いなく自分が押しているとクロードははっきり認識できた。
意表を突かれた今の攻撃も結局は不発に終わっている。ベレトがどんな策を持ち出そうが、こちらに届かなければ意味はない。
そう、今この時において、クロードはベレトを上回っているのだ。
ベレトと戦う時、彼に自由な行動を許してはいけない。彼の能力の中でもとりわけ脅威となる機動力。そのスピードを活かした高速戦闘に持ち込まれては勝ち目がないのだから。
空中戦を挑めばベレトは高確率で応じると予想できた。しかし彼の天帝の剣を用いた立体機動はフォドラでは無二の力であり、同じ土俵では勝負にならないだろう。
だからこそ、この地で戦いたかった。
水の都デアドラ。海上に誘い出してしまえば、踏み締める大地も、頼りにできる高所もない、完全な空中戦。ベレトの立体機動を封じ、対等なドラゴンの飛行術による移動しかできない。
そして遮蔽物が一切ない空中戦に限定してしまえば、弓矢の方が魔法よりも速く、フェイルノートの方が天帝の剣よりも強い。
これぞ、クロードが考案した対ベレト専用の策。
クロードは帝国との戦いを有利にしたかったのではない。ベレトとの戦いを有利にしたかったのだ。
あのベレトを戦場で上回り、自分の策で追い込んでいる。盤上遊戯ではない、実戦での勝利に近付く実感がクロードの背中を押す。
(だからもう)
フェイルノートを引き絞り、最大限に力を込める。
(早く終わってくれ)
リーガンの紋章から力が注がれ、矢が纏う光が一層強くなる。
繰り出されるのは紋章一致の専用戦技。英雄の遺産の真骨頂。
「──落星!」
光線が空を裂いた。
フェイルノートから放たれたのは矢ではなく一条の光。レーザーの如く奔るそれは文字通り閃光の速さでベレトを襲った。
その閃光を、ベレトは神懸かりとも言うべき対応で防いだ。
クロードから向けられる殺気、フェイルノートの光、弓矢の向き。数々の要因を材料に完璧なタイミングで全身を回転、振り回した盾で迎撃してみせる。
しかしながらそれまでの攻撃とは一線を画す威力の光線は、防げてもただでは済まず、一撃で盾を破損させた上にベレトの腕にも大きなダメージを与えた。
腕を捩じ切られそうな衝撃を受け、落ちそうになる体を支えようと咄嗟に天帝の剣をドラゴンに巻き付けて姿勢を直す。ドラゴンも「
予備の盾を取り出して、強く痺れる腕に着けながらベレトは思う。今のは何度も受け切れない。まともに当たれば一撃で沈む。次に撃たれる前に終わらせなければ。
一方その頃、出島で。
黒鷲遊撃軍の前衛をすり抜けたヒルダが港の北に向かって急ぎ、出島と港を繋ぐ橋に辿り着いたちょうどその時にエーデルガルトとかち合った。
戦場である地上を走ってきたヒルダの足の速さにエーデルガルトは驚き、ヒルダもここで現れたエーデルガルトの動きに驚いた。
それでも、ヒルダは出島に行くこと、エーデルガルトはそれを阻止すること、互いの目的がぶつかるものだと一瞬で察し、二人は同時に斧を振るった。
「んもー、こんなところでー!」
「行かせないわ!」
フライクーゲルと銀の斧がぶつかり、強大な衝撃が響く。ドラゴンからの振り下ろしを真っ向から弾くヒルダの剛腕に、エーデルガルトは何としても彼女を阻むと気合いを新たにした。
しかし、ヒルダの方はエーデルガルトのことをほとんど気にしてなかった。何を差し置いてでもクロードの下へ駆けつけなくてはという焦りが頭を占めていたのだ。
盟主として同盟を率いる立場にいながら、クロードの周りは敵が多い。隙あらば彼の足を引っ張ろうとする貴族や商人のことは、政治に苦手意識があるヒルダでもよく知っている。
そんな人も含めて同盟を切り盛りするクロードに、せめて自分達金鹿の同期は仲間でいてやらねばと決めていた。こうして戦場に出ても仲間と一緒に力を合わせて戦うのだと。
なのに、一人で先生のとこに突っ走るなんて!──クロードが単独で戦い始めたことに、ヒルダはどうしても苛立ってしまった。
口でどう言おうと、クロードがベレトに拘っているのは分かっていた。冷静に立ち回れる彼が珍しく意識してしまう人。
そんなの私達だって同じだよ、と心の中で呟く。
ベレトが戦局を変え得る存在なのは知っているのだ。だからこそ立ち向かう時は仲間と一緒に戦うと決めていたのに。
たった一人で戦い始めてしまったクロードが心配で、一秒でも早く馳せ参じなければとヒルダは焦りが治まらない。
「そこどいてよ──劫火!!」
腰だめに構えたフライクーゲルに力を注ぎ、紋章一致の戦技を振り上げる。炎を帯びる巨大斧が再び銀の斧とぶつかり、今度は押し返した。
その一撃はエーデルガルトの斧を破損させたばかりか、吹き上がった炎のオーラが彼女のドラゴンにも大きなダメージを与えた。
「くぁっ!?」
「
墜落するドラゴンから転がり落ちたエーデルガルトは辛うじて受け身を取り、刃が砕けて柄だけになった斧の成れの果てを手に構え直す。
そこはもう出島で、僅かな時間で橋を渡ったこの場まで押し込まれてしまったのかと、ヒルダの進撃を許したことに歯噛みした。
「どいてって言ってるでしょ!」
「させないと言ってるのよ!」
柄だけを手に、あえて前へ前へと斧の間合いの内側に踏み込んでエーデルガルトは攻撃を捌く。武器を壊されてもまるで衰えない戦意にヒルダは怯みそうになるが、負けじとさらに出島の先へと押し込んでいく。
二人の戦いは確実に海に近付いていた。
そのエーデルガルトとヒルダの戦いは、空中のベレトにも見えていた。
矢を凌ぎながら、近くの出島にまで来ているエーデルガルトを援護しなければと考えるが、今の自分に取れる手段は少ない。
クロードの相手をしながら、エーデルガルトを助け、どちらの戦いにも勝つ。そのような都合のいい策が即興で立てられるのか。
(……よし)
思考は一瞬。
その選択をすることにベレトは何の躊躇いもなかった。
ドラゴンを飛ばすベレトを、同じドラゴンでも彼にはできない一層複雑な軌道で飛びながら矢を放ち、クロードは追い詰めていく。変わらない回転防御で矢を防ぐベレトは、反撃の糸口を掴めない。
「どうした先生、よそ見は寂しいな!」
当然クロードもヒルダが近付いていることは見えており、ベレトとエーデルガルトを合流させまいと飛行を調整する。出島とベレトの間を飛ぶようにして、二人を近付けないように動く。
その動きがベレトの欲したものだった。
自分を遮るように立ち回るクロードに向けて、ベレトは大きく振りかぶった天帝の剣を伸ばす。伸びていくワイヤーと剣先が襲うも、クロードは事も無げにドラゴンを操りかわしてみせた。
「当たるかよ!」
そんな大振りの攻撃など遅いと言わんばかりに悠々と回避して、逆に大きく隙を見せたベレトを狙う。
ところが続くクロードのその一射を、ベレトは跳躍で避けた。ドラゴンの背中から飛び出して、再び足場のない空中へ。
何をやっているのかと目で追うクロードを余所に、天帝の剣はまだ伸びる。回避されたその向こう、出島で戦うエーデルガルトの下まで。
「エーデルガルト!!」
ベレトの強い呼びかけに、ヒルダの腹部を蹴飛ばして距離を取ったエーデルガルトは空を仰ぐ。その眼前に迫るのは天帝の剣の切っ先。
刹那、その場にいた者の間でまさかの攻撃が行われたことに対する驚愕が走る。
ただ一人、エーデルガルトを除いて。
天帝の剣。
戦いの最中。
私に向けられた切っ先。
(違う!)
師は私を攻撃しない。
師が剣を伸ばした。
師の行動。
(師は大丈夫って言った!)
この剣は私を攻撃するものではない。
この剣は私を助けるもの。
この剣は私の味方。
(師はいつも私を助けてくれる!)
目の前に来た天帝の剣の切っ先へエーデルガルトは疑うことなく手を伸ばす。ベレトの意思に従う剣先は、その手にグルリとワイヤーを巻き付かせた。
「ぶん回せえええええ!!!」
「っ、わああああああああ!!!」
思考よりも早く体が動く。ベレトの指示した通り、ワイヤーを両手で掴んだエーデルガルトは全身の力を使って
それはあえて言葉で表現するなら、ベレト側を先端にしてエーデルガルト側を持ち手とする鎖分銅をイメージする構図である。
もちろん実際はそんな生易しいものではない。怪力を遺憾なく発揮して振るわれることでドラゴンの飛行を遥かに超える速度を叩き出し、成人男性の重量が超高速で飛来する威力は、英雄の遺産に勝るとも劣らない一種の災害。
「ふっざけ……!」
エーデルガルトに振り回され、自分に向かってくるベレトを見て悪態混じりに弓を向けようとしたクロードだが、迎撃のために番えた矢が真横から弾かれた。
まさかの横槍に動きが止まり、ベレトの前で大きな隙を晒してしまう。
それはこの場から遥か遠く、常人の視界には豆粒のようにしか映らない距離から行われた狙撃。
パルミラ軍の飛行兵による脅威がなくなった戦場で遠慮なく高所に陣取り、充分な余裕を持って敵を狙えるようになったシャミアが撃った超々遠距離精密射撃だった。
そんなことが分かるはずもなく、晒してしまった隙だらけの姿にベレトが迫る。
「クロードおおおお!!!」
「う、おおおおお!?」
回避も間に合わないと判断したクロードは反射的に前方へ腕をかざす。その守りを意に介さず、ベレトの飛び蹴りがその胴体に叩き込まれた。
ドラゴンの背中からクロードはベレトと一塊となって、慣性をほとんど落とさないまま真横に飛ばされる。
滑空から墜落へ移る二人は海上から港へ飛び、倉庫街のど真ん中へ隕石の如く落とされた。大きな倉庫の壁も薄紙のように突き破り、甚大な衝撃と轟音をもたらして倉庫を倒壊させたのである。
その様を出島で見送ったエーデルガルトの手からバチンとワイヤーが外れて元に戻る。一瞬で刀身に納まり、彼女の足元に天帝の剣として転がった。
エーデルガルトには分かった。これはベレトの援護だ。武器を壊されて窮地に陥った自分を助けるために彼は武器を寄こしてくれたのだ。
またも思考するより早く剣を拾って駆け出す。彼の助けを無駄にしないために。
「クロード君! ……しまっ」
「遅い!!」
港へと蹴り飛ばされたクロードを案じて視線を奪われたヒルダはどうしても反応が遅れる。反射的に振るわれたフライクーゲルを極端に体を沈めて回避したエーデルガルトは素早く二度剣を振った。
腕と脚。二度の斬撃で傷付けられたヒルダはもう今までのように戦えない。踏み込みのための足は利かず、斧を両手で振ることもできなくなった彼女は脅威ではない。
よって、ヒルダを無視してエーデルガルトは走り出した。
奇しくもそれは先ほどのヒルダと似て、目の前の戦闘を二の次にしてでも彼の下へ辿り着かなくてはという意識。
「師ー!!」
不思議なほど頭が巡り、飛ぶように体が動くあの感覚はもうなかった。
「ずっと不思議に思っていたんですよね」
不意にリシテアが言葉に出す。
杖と剣を油断なく構えながら、視線は険しく、魔力も練りつつ。
目の前の相手を、信じられない思いで見つめて。
「闇魔法はフォドラに存在しても使える人は限られます。その素質を持つ者は非常に少ない。専用の兵種装備があれば初級なら使えますが、精々そこまでです」
語り掛けるのは今まさに戦う相手のヒューベルト。
肩で息をする彼に対して、リシテアはまだまだ余裕がある。
魔力も体力も、ダメージも少ない自分が客観的に見ても優勢と言える状況。
それでも彼女の心は張り裂けそうな緊張に満ちていた。
「なのに、どうして……あんたがそんなに強力な闇魔法を使えるのか。どこでそれを覚えたのか」
士官学校にいた時からリシテアは疑問だった。
自分以外に使う人などそうそういないと思っていた闇魔法。それを何故、皇女エーデルガルトの従者であるヒューベルトが使えるのか。
普通、皇族の側近ともなればあらゆる面に気を遣って選ばれるものだ。出自はもちろん、能力や振る舞いだって相応しいものが求められる。
その中には身に付けた技も考慮される。皇族に仕える者に相応しい力の持ち主か、多くの人の目に適う人物か。
闇魔法という目に見えて忌まわしく暗い技を操る人物が、皇女の従者に選ばれるだろうか。
ベストラ家が代々皇家フレスベルグ一族を支える家系だから、という事情は理由としては弱い。
アドラステア帝国という古くから続く国は、古いからこそ伝統を、そして対外的な体裁を重んじる。もっと言ってしまえば『見てくれ』を重視する。
仕えさせる者を選ぶなら、それこそ選り取り見取りだろう。皇女の傍にいさせても見劣りしない人物が他に誰も見つからなかったとは考えにくい。
ましてやエーデルガルトは、政変以降に残ったただ一人の皇位継承者。その従者なら厳正に厳正を重ねて選ばれるはず。
いずれ皇帝になる者の傍に、後ろ暗く見える人間を付けるだろうか。
そうやって疑っていたヒューベルトが今し方使ったものが、リシテアの疑問を思わぬ形で晴らすことになる。
「ですが……わたしは知っています。後天的に闇の力を身に付ける手段を」
「おやおや……そのような手段が。はてさて、一体どのような……」
「惚けないで。あんたも受けたんでしょう、あのおぞましい肉体改造を……!」
氷槍──ヒューベルトが披露した槍術。
黒魔法に初球の氷魔法ブリザー、上級のフィンブルがあるように、魔力で氷を生み出すことはできるので、彼の氷槍はその応用なのだと察せられる。
【魔刃】という格上への対抗手段として切ったその札は、彼の素質なくしては成立しない技なのだとリシテアは見抜いた。
魔法とは一人一人で適性が違う。ベレトの魔法のように火と雷という二種類の属性を併用することはあっても、生まれつき備わった属性が後から変わることは本来ありえない。
メイジやダークメイジなどの兵種装備による補正で適性外の魔法を使えることはあるものの、発動できるのは基本となる初級魔法が精々。
その属性の中でも、闇は特殊だ。原則として闇魔法を操る者が他の属性の魔法を使うことはできない。リシテア自身がそうであるように、闇は闇以外に染まらない。
恐らく、ヒューベルトの元々の適性は氷。派生しても風か雷。闇ではない。
そのヒューベルトが魔法では闇を操り、槍術には氷の魔力を組み合わせる。
体質的に合う氷の魔力を戦技に取り入れながら、思考して放つ魔法は闇のもの。
そんなこと、自然なものでは絶対にありえない。
自然なものではなく、人為的な処置を施されて手に入れた力。
「あんたも、あの組織に狂わされたんですね。体も、運命も……!」
リシテアは知っている。この世には、人間の体を切って、弄って、改造して、自然ならざるものへと作り変える外法の技があることを。
そうして自分の人生を歪めた謎の組織が帝国にいることを。
組織から支援を受けているであろうエーデルガルトになら、闇魔法を使うヒューベルトが仕えても違和感は握り潰せる。組織の息がかかっている者が皇女の傍にいれば都合が良いから。
帝国を裏から操る組織がエーデルガルトもヒューベルトも食い潰そうとしているのではないか。そう思い至ったリシテアは思わず戦いの手を止めてしまったのだ。
そこまで考察を進めるリシテアの前でヒューベルトは静かに笑った。
「まったく……実に聡明で察しが良い。しかし根本が違えば結論も違います」
槍を支えにして立つ彼は足元が怪しいが、眼光は未だ鋭く、その戦意は些かも揺らいでいない。
リシテアとの戦いでは間合いの変化を活かして守りを主体に立ち回り、それでいて自分から攻撃を小まめに挟むことで相手に主導権を譲らず、遅滞戦闘を徹底した。
攻撃的な防御に終始することでリシテアをこの場から動かさないという彼の勝利目標を貫き続けていた。
「貴殿が察した組織の魔手は、帝国内ではフレスベルグ家に及んだもの……我が主を襲った変化に比べれば、私の得たものなど些細なものですよ」
「エーデルガルトに? では彼女が戦争に踏み切ったのは組織の──」
「いいえ。エーデルガルト様の覇道はあの方が自ら決意して歩まれるもの。余人の口出しがあるなどと、邪推されるだけでも侮辱と見なします」
「……」
「主のその覚悟に心酔したからこそ、私はエーデルガルト様に全身全霊を捧げるのです。そうして得た力を哀れまれるとは心外もいいところですな」
根本が違えば結論も違う。
私の得たもの。
全身全霊を捧げる。
ヒューベルトが言ったことが自分の考察への返答だと理解したリシテアは、さらに進めた考えに総毛立つ。
「まさか、あんた……自分で自分を改造したんですか!? 力を得るために!」
「くっくっく……力を求める者が力を前にして、手を伸ばさない理由などありますまい。生憎と我が身可愛さに怯える性根など持ち合わせておりませんので」
組織から施されて得た力ではない。自ら組織に食らいついてもぎ取った力なのだと言ってのけるヒューベルトの笑みが壮絶なものに思えて、リシテアは知らず知らずの内に後退った。
何ということか!
ヒューベルトはあの組織に自分から近付き、その力を利用することでエーデルガルトを支えてきたと言っているのだ!
組織の恐ろしさをリシテアは身を以て知っている。
貴族であるコーデリア家に裏から手を回し、一族を陥れ、領地を乱してしまう影響力。それでいて足取りは掴ませない暗躍ぶり。
そして何よりも、リシテアを二つの紋章を持つ特殊な体へ改造した外法の集団。
二つの紋章を宿したことで歪んだ肉体になり、髪の色は変わり、長く生きられない身になったリシテアの心には組織への怒りと恐怖が深く刻まれている。
その組織へ自分から近付いた?
あまつさえ自ら肉体改造を施した?
全てはエーデルガルトのために──それほどの覚悟を抱くヒューベルトを前に身震いする。
凄絶という言葉でも足りないであろう覚悟を示す彼に対して、思わず自分と比べてリシテアは気圧されてしまった。
戦いでは間違いなく押しているはずなのに、はたして自分は彼に勝てるのかと自問してしまう。そう思わせるくらいの気迫をヒューベルトから感じた。
そんな思考が隙となって、割り込む余地を与えてしまったのだろうか。
轟音。そして破砕。
突如、港の倉庫街の一角にまるで雷でも落ちたかのような爆音が轟き、中心の建物が倒壊していく様子がここからでも見えた。
それが海上から飛んだベレトとクロードが倉庫に墜落した音だとは、ここで戦っていたリシテアが知る由もないこと。
(何事!?)
ヒューベルト相手の戦いによそ見は禁物だと頭では分かっていても、戦場で起こる異常にはどうしても反応してしまった。意識の一部がそちらに向き、体が緊張する。
それでも即座に集中を戻したリシテアは流石と言うべき才媛である。槍を構え直すヒューベルトの次の動きを見逃さないように目を凝らす。
だからこそ気付くのが少しだけ遅れた。
彼の槍よりも遥かに大きな魔力が上空に、自分の真上に現れたことに気付いた時にはもう遅かったのだ。
跳ね上げた視界に映るのは炎を纏う巨大な隕石。敵の大魔法による攻撃だった。
「メティオ!? ドロテアですか!」
帝国軍の厄介な切札になるであろう超遠距離攻撃魔法。かつて鷲獅子戦で流れを決定付けた要因の一つが今、リシテアに向けられていた。
すぐ近くに遊撃軍の味方がいる状況でまさかこんな攻撃をしてくるとは思いも寄らず、愕然とするリシテアが下へと戻した視線で捉えたのは敵の作戦の全容。
ヒューベルトが取った次の動きは攻撃ではなく防御。
構えた槍の先端から、穂先を長く伸ばす今までの氷槍とは違い、横に大きく広げていく。それが氷の壁となり、リシテアとの間を遮る障壁となっていく。
背後の部隊ごと守ろうとする動きは、この流れが計算された作戦であると物語っていた。
リシテアをこの場に留めること。彼女とある程度渡り合えること。機を見て諸共メティオで攻撃すること。余波は自力で防ぐこと。
ヒューベルトの実力。ドロテアの魔法。どちらが欠けても成り立たない作戦。
ベレトが考えたであろう作戦を読んだリシテアは、しかし怯む様子はない。
舐めるな──魔力を高めながら隕石を睨む。
不意打ちされようと、味方も巻き込む作戦だろうと、こと魔法において自分が後れを取ることはないのだと。
炎の熱まで感じられそうなくらいに迫った隕石に向けて、リシテアは渾身の魔法を撃ち放つ。
「──ハデスΩ×4!!」
闇の上級魔法。一発で部隊ごと叩き潰すそれの4倍。【魔刃】の名に相応しい極大の魔法が空に向けて放たれた。
吹き上がる四条の闇の奔流が巨大な柱となって隕石に叩きつけられる。ぶつかるそれぞれの余波が爆風となって広場に吹き荒れた。
落下の勢いも乗せて完全に威力を発揮できるメティオに対して、発動から間もない接触のせいで収束が不充分なハデスΩ。遅れがある分、どうしてもリシテアの方が不利になる。
それでも魔力に物を言わせて隕石を押し返す。
「ううぅ、ぁぁああああああ!!!」
全力全開の魔法。リシテアもここまでの魔力は展開したことがない。充分な溜がないまま大魔法を行使したせいか、体に痛みが走る。
無茶だと考える余裕もなく、ひたすら魔力を捻り出して闇の柱を支えた。
そして彼女は押し切った。吹き上がる闇が隕石を押し上げ、炎ごと巻き込む大爆発でメティオを相殺。天を揺るがす轟音がハデスΩの勝利を証明した。
くは、と思わず止めていた息を吐く。この一瞬でごっそり魔力を消耗したせいで頭がクラクラしそうだった。
しかし今のはメティオを防いだだけ。戦いが終わったわけではない。ドロテアの行動も気になるが、先にヒューベルトの動きに注意して──
そこまで考えたところでリシテアはゾッとした。今、自分は完全にヒューベルトのことを忘れていた。メティオの相殺に集中していたから仕方ないかもしれないが、戦いの最中に相手から意識を逸らすとは。
未だ爆風の鳴動が鎮まらない広場。敵が氷壁を張った方に目を向け……ようとして背後へ魔法剣を振るう。感じた殺気へ、頼みとする力を自負を込めて。
風を裂いた剣が甲高い音を立てて斬ったのはヒューベルトの槍。もう背後に回り込んだのか、それでも迎撃してやったぞと思いきや、彼の逆の手に凝る魔力を見て顔を歪める。
斬った槍は何の魔力も通していない、言わばただの棒。本命はヒューベルトの魔法か。
至近距離で彼が放ったのはスライムΒ。粘性を帯びた闇の魔力がリシテアにぶつけられ、さらに勢いのままヒューベルトに腕を取られる。
ダメージは少なくてもスライムに動きを邪魔されて防御の姿勢を取れなかったリシテアはまんまと右腕を極められて──ボキッ──骨を折られてしまった。
「ああっ……!」
「ようやく取りましたよ、この一瞬を!」
密着され、純粋な体格勝負に持ち込まれてしまえばリシテアに勝ち目はなかった。
うつ伏せに抑え込まれ、左手に持っていたテュルソスの杖をヒューベルトに蹴り飛ばされて放してしまう。
「詰みですな。こうなってしまえば貴殿にできることはありません」
「くっ……あんた、よくわたしに近付けましたね……あの爆風の中、自分だって潰されるかもしれなかったのに……」
「そこは貴殿のおかげでしょう」
「……はぁ?」
「先生からも、そして我が主からも、貴殿は実に高く評価されておりますのでね」
全ては掴めるくらい接近するため。
ヒューベルトの氷槍を用いた奮闘、ドロテアのメティオによる奇襲、そしてそれら全てを凌駕して耐え抜くと信じられたリシテアの実力が、この一瞬を作るという作戦を生み出したのだ。
張り詰めた空気の中、強大な力を出して場を乗り切ったことで生まれるたった一瞬の空白。この一連の流れがヒューベルトに託されたベレトの策だったのである。
ここに至ってしまえばリシテアにはどうすることもできない。
全身から魔法を撃てると言っても魔力の運用は変わらない。腕を折られた激痛があろうと魔法は使えるが、いつもと同じ速さはとてもじゃないが望めない。
足でリシテアを抑えながら油断なく腕を構え、既に次の闇魔法を撃つために魔力を集中させているヒューベルトにはどうやっても後れを取る。
しかし、それでも。
「わたしにはまだ、やるべきことがある……こんなところで終わるわけには……!」
領地に今も生きている両親に恩を返す。自分に残された寿命を懸けた目的を果たすまでは死んでも死にきれない。
こうなれば折られた腕で無理やりにでも剣を振って──危うい決意を固めるリシテアだが、そんな彼女の背中から足を離したヒューベルトは彼らしからぬことを言う。
「早まりなさるなリシテア殿。貴殿の願いはまだ続けられます」
「……どうしたんですか急に。止めを刺さないなんて、らしくない」
変わらず魔力を腕に維持したままのヒューベルトを見上げ、少なくとも彼が油断しているわけではないと分かったリシテアは憮然とした声音で訊ねる。
「訝しむ気持ちも分かりますが、私は純粋に帝国の勝利と、エーデルガルト様の理想の実現を支える所存です。そのためには貴殿の存在も重要なのですよ」
「本当にらしくないですね……あんたなら、将来の不安要素を残すくらいならここで始末してしまえばいい、くらいは考えそうだと思いましたけど」
「くくくっ、そこは先生に感謝するといいでしょう。彼の言葉によって我が主の願いが変わり、覇道の行く末も変わったのですから」
「余人の口出しは侮辱じゃなかったんですか?」
「エーデルガルト様が先生をどれほど慕っているかは貴殿もご存知でしょう。私としては思うところも多少はありますが……まあ、何事も例外はあるということで」
「……あんたも苦労してますね」
「お気遣いどうも……それで、リシテア殿。如何されますか?」
話しながらゆっくり体を起こすリシテアに、ヒューベルトは悠然と問いかけた。
「この状況に至って尚も戦闘続行に踏み切るのはそれこそ、貴殿らしくない、というものでは?」
絶体絶命のところまで追い詰められ、その上で生き延びる道を示され、目的を果たす余地があるのだと教えられて、それでも意地を張って戦い続けるか?
ともすれば嘲笑にも聞こえる声色で問うヒューベルト。それを聞いた時点でリシテアの中で答えはもう決まっていた。
元より、そのために生きてきた身。安っぽいプライドに身を委ねて自ら滅ぶより、生き汚くても命を繋ぐ方がヒューベルトの言うように自分らしいというもの。
エーデルガルトが何を目指しているのかは会談を通じて知ることができた。荒療治でも最短の道を進もうとして起こした戦争なら、納得はできる。相変わらず組織と通じている疑惑はあるが……そこは今後、生き延びれば帝国の懐に近付いて調べることもできよう。
少なくとも、賭けてみる価値はある。
何より、彼女が道を踏み外しそうになっても、きっと先生が止めてくれるから。
「……いいでしょう。降伏します、わたしの負けです」
「賢明な判断に感謝します。此度の決戦も、じきに終わるでしょう」
緊張も解いたリシテアが首を垂れるのを認め、戦意のなさを感じたヒューベルトは溜めた魔力を霧散させた。次いで戦場に視線を巡らせる。
メティオ破壊の爆風が落ち着いてきた広場も、その向こうに見える倉庫街も、戦闘の音は先ほどより鎮まっている。遊撃軍の前衛は各所で勝つことができたようだ。
(リシテア殿は……ふむ、リンハルト殿にでも任せますか)
捕虜の扱いは仲間に丸投げすることに決めて、一足早く戦後処理のために動くべくヒューベルトは部下に呼びかけて動き出した。
夢を見ていた。
ベレトが
そんな内容だった、ような気がする。
霞のかかった意識が戻るにつれて現実に帰ってくる。
実際はそんなことにはなっていない。ベレトは
ああそうだ。今まさに戦っていたところじゃないか。
ようやく直前のことに思い至ったクロードは記憶を探る。さっきまで自分は何をしていた?
同盟と帝国の決戦。
有利に始められた。
ベレトの戦術で状況が覆った。
出島から海上に出て彼と戦闘開始。
策がハマって優位に立てていた。
途中で近付いた出島でヒルダがエーデルガルトを追い込んでいて。
ベレトが伸ばした天帝の剣がエーデルガルトに届いて。
いきなりエーデルガルトが伸びたワイヤーでベレトの体を振り回して。
突っ込んでくるベレトに撃とうとした矢は横から邪魔されて。
ベレトの飛び蹴りをモロに食らって。
ぶつかった彼ごと真横にかっ飛んで。
そこから……
「起き、たかっ、クロード」
聞こえた声で、耳から頭が一気に覚醒していく。
まったく、ずるいきょうだいだ。あんたに振り回されるこっちの身になってくれ。隣で一緒に夜明けの景色を見る。そんな俺の野望が、声を聞くだけで浮かび上がって困るってのに。
頭に湧くイメージに思わず苦笑が漏れる。腹筋が引きつり、激痛が走った。痛みに滲みそうになる目をゆっくりと開く。
最初に、仰向けに倒れた自分を認識する。あちこちが傷だらけで、体を少し動かしただけで骨まで痺れるような痛みが響く。それでも瓦礫に埋まった下半身に感覚はあるので脚が千切れたりはしていないようだ。腕も両方とも繋がっているし、ありがたいことに折れてもいない。右手はフェイルノートを握ったままで、左手で探った腰元の矢筒にはまだ何本か矢が残っているし、何とか弓は引けそうだ。
最悪一歩手前みたいな状態であることを確認する内に疑問が湧く。
すぐ近くからベレトの声がしたが、今どんな状況だろう?
(先生はどこだ……?)
そうして徐々に明らかになる視界で声がした方を見上げ、絶句した。
目の前にベレトがいたからだ。
彼が立っていた。こちらに負けず劣らず傷だらけで、巨大な壁を文字通りその身に背負って。
いったいどれほど大きな壁か、ここからでは見当がつかない。クロードの周りが眩しくない程度に暗いのは、その壁が作る影の中だからか。
そこでようやく思い出した。ベレトの飛び蹴りを食らって、彼ごと真横に飛ばされた自分達が港の倉庫に突っ込んだことを。衝撃で倉庫の壁を壊し、建物の倒壊に巻き込まれたことを。
その倒壊で崩れる壁によって生き埋めになるところを、今まさにベレトが身を呈して守ってくれたのだ。
何秒か、何分か、どれほど意識を失っていたかは分からないが、数百キロ、下手をすれば一トンを超える荷重をこうして彼が支えていなければとっくに全身を押し潰されていたに違いない。
「動ける、かっ」
途方もない重さに耐えるベレトが絞り出した声を聞き、クロードは身を捩る。しかし下半身を埋める瓦礫はがっちり固まっており、体を起こすことすらできない。
「く……ダメだ。起き上がれねえ……」
せめてこの場から動くことができればベレトが壁を支える必要もなくなるのに。
ベレトの力も無限ではない。その細身からは信じられない剛力の持ち主だということは知っている(五年前でもラファエルやドゥドゥーとの格闘術訓練で苦も無く彼らを相手取っていた)が、それでもこの重量をいつまでも支えることはできない。
すぐにでも脱出したいのに、動かせるのは腕くらいで……
そこまで考えたクロードは自分にできることに思い至る。思考から淀みなく動作に繋げて手を動かす。
動きに合わせて体の内側からパキポキと嫌な音が聞こえる。ものすごく痛い。それでも矢を抜いて、フェイルノートを引いて構えた。
紋章の力を注がれて光を帯びる矢が向くのは、正面のベレト。
「クロード……?」
こんな状態でも一発だけなら撃つことはできそうだ。目の前で踏ん張って動けない相手を狙うことは造作もない。
全力の『落星』を撃てばその背後の壁を砕いて難を逃れることもできる。
このまま壁諸共を撃ち抜けばこの決戦も終わる。
完全に無防備な敵へ撃つ、たった一射だけで勝てる。
千載一遇の好機。
なのに。
なのに何で。
何であんたはそんな顔ができるんだ。
「……それで、いいっ」
どうして、笑えるんだ。
「生き、ろっ、クロード……!」
どうして、俺を助けるんだ。
どうして、俺を守るんだ。
どうして、俺を生かそうとするんだ。
違うだろ。あんたが守るのはエーデルガルトだろ。俺とは敵になったじゃないか。
さっきの戦いも、もっと攻めることはできただろ。必要以上に傷付けない攻撃ばかりで、俺を殺さないように手加減していたな。
今だって、俺のことなんて見捨てちまえばそのまま勝てていたのに、俺を助けに来たからこうして動けなくなって。
どうして、そこまでして俺まで守ろうとするんだよ。
「エーデル、ガルトをっ」
「……?」
「助けて、あげて、くれっ」
「……っ!」
この期に及んで吐く戯言。そう一笑に付してもおかしくないベレトの言葉。
そのはずなのに、クロードにはそれができなかった。
「頼むっ……きょうだい」
いよいよ支える力の限界を迎えたか。血が滲む全身をぶるぶると震わせるベレトが僅かに膝を折り、それでもと声を絞り出す。
矢に紋章の力を注ぎながらそれを見るクロードは頭の中で自問自答が止まらない。
どうして、俺達は戦っている。敵だからだ。
どうして、先生は俺を守ろうとする。分からない。
どうして、同盟と帝国は戦う。相容れないからだ。
どうして、俺は生かされる。分からない。
どうして、この人はエーデルガルトの味方をした。守りたいからだ。
どうして、俺に頼む。分からない。
どうして、分からない。
どうして、分からない。
どうして、分からない。
クロードは自分が賢しい人間であると自覚している。
思考を止めないこの頭脳が自分の最大の武器。生じた疑問を素早く捌き、すぐに解けない問題は一度置いて別の角度から考察する。そうして考え続けることが自分にできる一番強い戦い方。
その聡い頭が全力で警鐘を鳴らしている。この問いから逃げるな。今ここで解かなければお前は必ず後悔する。この謎を謎のまま見過ごすな、と。
考察するにはまず物事を正確に把握しなくてはならない。
敵であるベレトが今こうしてクロードを守っている。何故だ。クロードを死なせたくないから。
敵対する相手を死なせたくない? 何故。それがベレトの求める勝利だから。
ベレトは何を求めている? 単純に帝国が勝つことではないのは明らか。
彼は何か言ってなかったか。口下手でも考えは率直に口に出す人だ。発言に糸口はなかったか。
思い出せ。ベレトとの会話に何かなかったか。
あったはずだ。覚えていることを確かめろ。
『クロード。君の野望は何だ?』
『だがクロード。未来を見据える君は、人を見ているか?』
『エーデルガルトを守るため』
違う。もっとだ。もっと前。
『みんな、すまなかった』
『ソティスが俺を助けてくれたんだ』
『生徒のために使いたい』
違う。遡り過ぎた。いや、これも大事かもしれないが。
『君に野望があるように、俺にも目指しているものがある。野望と呼べるほど壮大なものじゃないけど、俺にも願望があるんだ』
『君の言葉を借りれば、俺にも見たい景色があるということだ。その景色を見るためには君の存在も不可欠なんだよ』
『俺は諦めない。士官学校で過ごしたあの日々のように、また俺達は肩を並べて笑い合えると信じている。だから大丈夫だよ、きょうだい』
(……初めから、か)
答えに至ったクロードは考え続ける。
(あんたはそもそも……俺の敵じゃなかった)
ベレトは既に伝えていたのだ。自分の望みにはクロードも不可欠だと。肩を並べるために動いていると。
初めから殺すつもりなんてなかったのだ。
大丈夫だと、言葉で、行動で示し続けて。
きょうだいの縁を、彼はずっと手放していなかったのだ。
「く、ふふっ……いてて」
気付いてみればこうも単純なことなのかと少しおかしく感じて、思わず笑い、引きつる体の痛みに顔をしかめる。
そうしている間にも巨大な壁はベレトに重くのしかかり、その身を折ろうとしてくる。周囲がさらに暗くなり、光を帯びるフェイルノートの矢が目立った。
徐々に膝が曲がるベレトが堪らずクロードを急かす。
「クロード……早く……!」
「ああ……いくぜ先生」
最大まで力を注いだ矢を引き絞ったクロードはフェイルノートを向け直す。
狙いは外さない。撃つべきものはもう分かっているから。
「──落星」
閃光が闇を、壁を貫く。広がる波動が砕いた壁を吹き飛ばす。
目論見通り、巨大な壁もフェイルノートの一撃で破壊することができた。
壁だけを。
「……クロード?」
「これでいい……ははっ、どうした先生、呆けちまって」
背中の重さの大半が消え、残った破片を振り落としたベレトは荒い息のまま肩口を見た。今し方クロードが撃った矢はベレトの肩を掠るように通り抜け、背後の壁のみを撃ち抜いていった。
ベレトの顔のすぐ横を通った閃光は彼を傷付けることなく壁を砕き、二人揃って生き延びることができたのだ。
そのまま振り返るベレトの下に、壁によって遮られていた光が差し込んでくる。
それは未だ起き上がれず横になったままのクロードからだと、ベレトの後ろ姿越しに昇る朝陽を幻視する光景だった。
(なんか変なところで夜明けを見ちまったな)
図らずも野望の一端が叶ったような景色が見えて、またしてもおかしく感じて笑えてしまった。
そのクロードの笑い声が聞こえて、ベレトは足を引きずって近寄る。
「待ってろ……今、助ける」
そうすることが当たり前ように自分を助けるべく瓦礫に手を差し込んで持ち上げるベレトを見上げ、やはり間違いではなかったとクロードは思う。
彼は何も変わっていない。五年前からずっと、今に至っても、彼は生徒を守らんとする教師のままなのだと。
ベレトはエーデルガルト『だけ』を守りたいのではない。
エーデルガルトを始めとした黒鷲の生徒。
クロード達金鹿の生徒。
恐らく青獅子のディミトリ達も。
そしてセイロス教団のレアでさえも。
ガルグ=マクで。アビスで。
あの地で縁を得た人を全て守りたいと思い、そのために戦っているのだ。
なんて愚かで欲深いことか!
それでいて、なんて眩く人間らしいことか!
クロードの下半身を埋めていた瓦礫をひっくり返し、そこで動きを止めたベレトを見上げて伝える。
「色々負けたわ」
「……」
「あんたの勝ちだ、きょうだい。決戦も、個人的にも、俺の負けだよ」
流石にこの状況でまだ戦いを続けようと思えるほどクロードの面の皮は厚くなかった。決戦の不利を覆され、自分との直接勝負でもこうして守られてしまい、指揮官としても戦士としても二重の敗北である。
ここまで見事に負けてしまえば逆に清々しいというもの。何ともすっきりした気分で笑うクロードであった。
ところが、こちらの言葉が聞こえただろうに反応がなく、膝を着いたベレトは動きを止めたままで返事もない。
「……」
「おい、先生?」
「……すまない、クロード」
「あ?」
「……後は、頼む」
そこまで言うとベレトの体がフラフラと揺れ、クロードの隣に顔面から倒れ込んでしまった。勢いよく瓦礫にぶつかってとても痛そうである。
「え、ちょ、先生! おい、嘘だろ? 頼むって……俺だって動けねえんだよ!」
慌てるクロードだが、考える暇も与えないと言わんばかりに喧騒が近付いてくる。
戦場だった港に二人が降ってきて倉庫を叩き壊したのだから、何事かと確かめに来て当然だし、さっきの閃光を見ればフェイルノートを持つクロードがいることも分かるだろう。盟主を助けに同盟兵が駆け付けたか、それともベレトを援護しようと黒鷲遊撃軍が先着したか。
こうなったら得意の口先でどうにか場をまとめるしかない。
ろくに身動きもできず、隣には敵の指揮官が倒れているこの状況。はてさてどのように話したものか。
こんな時でも頭を回さなければならない境遇を憂い、せめて溜息の一つくらいは許してほしいと思うクロードだった。
それで終わらないとはどういうことだ。
仕方ないじゃん書きたいことどんどん増えるんだもん。
いやあの、最後に足す部分があまりにも長くなったんですよ。
流石に長すぎて読むのが辛くなると思い、急遽分けました。
後ちょっとだけ続きます。